2009-08-27

不可触民の少女になされた仕打ち/『不可触民 もうひとつのインド』山際素男


 ・豊かな生命力は深い矛盾から生まれる
 ・家族の目の前で首を斬り落とされる不可触民
 ・不可触民の少女になされた仕打ち
 ・ガンジーはヒンズー教徒としてカースト制度を肯定

『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ
『アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール
『ガンジーの実像』ロベール・ドリエージュ
『中国はいかにチベットを侵略したか』マイケル・ダナム

 私はタゴールの言葉を想った。「人間の歴史は、侮辱された人間が勝利する日を、辛抱づよく待っている」――。

 で、「侮辱された人」って誰のことなんだろうね? タゴールはマハトマ・ガンディーらのインド独立運動を支持していた。とすると、イギリス支配下のインドにいた上流カーストあたりを意味しているのかもしれない。

 ガンディーの尊称である「マハトマ(偉大なる魂)」は、タゴールが付けたという説がある。ガンディーは確かにインド独立を勝ち取ったが、カースト制度を終生にわたって支持した。彼は偉大なる魂ではなく、“偉大なる下半身”の持ち主だろう。ガンディーは晩年、若い女性を同衾(どうきん)させることを常としていた(※自分が性欲に打ち克つことを証明するために)。

 では、ガンディーが死守しようとしたカースト制度は、不可触民に対してどのような仕打ちをしてきたのか――

「わしの姪っ子二人は、この近くの村にいます。
 上は16、下は14です。二人ともまだ嫁入り前の生娘(きむすめ)だった。
 地主のところで畑仕事をさせてもらっていました。気立てのええ働きもんでの、地主も重宝がってくれとった。
 あれらの日当は、よそより低かったのが不満での。1日、3ルピーさ。いまどきよそはどこでも4ルピーは払うとるよ。
 上の娘は負けん気だったでの、地主に半ルピー(15円)でええから、日当を増やしてもらえんかって頼んだのじゃ。
 地主はまるっきり取り合ってくれなんだ。
 それで娘は、4ルピーで他に働くところはいくらもある、というたそうな。
 その一言が、地主の癇(かん)にさわったのじゃ。
 いきなり、もっとった杖で娘をひどく殴ったら、その娘が怒って、もうあんたんところでは働かん、いうたんだじゃよ(ママ)。
 他に人がいる前じゃったのが悪かったのよ。
 地主は、生意気な小娘じゃ、いうて、手下に命じて、上の娘を素裸にむいて、木にくくりつけた。そして木の枝で散々ぶったんじゃ。
 見物人が集まっての、面白そうに笑って見ておったそうな。だれも助けてくれるもんはおらん。みんな地主を怖れておるし、不可触民の娘なぞいい慰めにしか思うておらんでの。
 地主の家の若いもんが興がって、くくりつけられとるその娘の股倉に棒を押しこんだりはじめた。周りがもっとやれとけしかけ、娘のアソコに棒をムリヤリ突っこもうとしたんだ。
 娘は厭(いや)がってあらがったよ、当たり前じゃ。嫁入り前の小娘に、そんなむごい悪戯(いたずら)をしてええもんかの。娘があんまり暴れるんでロープがゆるんで、娘の足が運悪く、その若いもんの顔に当ってしもうた。
 男は大声で“不可触民がオレの顔を足げにした”とわめきおった。
 周囲は益々面白がって、懲(こ)らしめろ、見せしめにしろ、と騒いだ」
 老農夫は、そこでつばをぐっと呑みこみ、眼を光らせた。
「そいつはあんた、家の鍛冶場(かじば)から真赤な鉄火箸を持ってきて――。
 娘の、アソコにぐいと突っこんだのじゃ。怖ろしい悲鳴を上げて娘は気を失ってしまった。下の娘も気が違うなってその場に倒れてしもったのです。
 可哀そうに、上の娘は家でも病人ですじゃ。人相もなにも変ってしもうた。一生、嫁にもいけん体にされてしもうて――。
 あんた、たったの半ルピーで、どうしてあのような目にあわされんねば ならんのです」
「カーストヒンズーたちは、わしらを慰みもんにして楽しんどるだ」
 その言葉にホールの中の顔が一斉に頷いた。目の前の“母親”も、何度も深く頷いた。
「あいつらの一番の楽しみは、弱いもん苛(いじ)めなんじゃ」別の声がいった。

【『不可触民 もうひとつのインド』山際素男〈やまぎわ・もとお〉(三一書房、1981年/知恵の森文庫、2000年)】

 私の中に怒りは湧いてこない。ただ、静かなる殺意が確固たる形を成すだけだ。法で裁くなどと悠長なことを言っている場合ではない。「速やかに殺害せよ」と私のDNAが命令を下す。宗教だとか文化だとか言語の違いは全く関係ない。罪もない少女にこんな仕打ちをするような手合いは人類の敵なのだ。

 この文章が恐ろしいのは、まず娘の惨状を傍観している親がいて、それを傍観している著者がいて、更に傍観する読者が存在するという点に尽きる。何層にもわたる傍観が、ともすると無力感へと導こうとしている。「どうせ、お前は何もできないだろう?」という問いかけが、「何もできなかった」という事実と相俟(ま)って私から力を奪おうとする。

 結局、ガンディーが守ろうとしたのは、上流カーストが不可触民を虐待する権利だったってわけだ。結果的にそう言われてもガンディーは反論のしようがあるまい。

 人類が犯してきた数多くの虐殺の歴史が教えているのは、「沈黙していれば殺される」という事実である。だから私は、殺される前に殺すことは罪にならないと考える。これは正当防衛なのだ。

 極論かもしれないが、私は人種差別者は死刑に処すべきだと本気で思っている。なぜなら、明日以降「殺されるために生まれてくる人々」による正当防衛であると信ずるからだ。差別とは「相手を殺す」思想に他ならない。

 私は歯ぎしりしながら、自分にできることを淡々と行う。そして、自分にできる範囲を少しでも広げてゆく。そうでなければ、生きている甲斐がないから。

2009-08-21

愛国心への疑問/『イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』小田嶋隆


・『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆

 ・愛国心への疑問
 ・ギネス認定はインチキ
 ・個性は伸ばすものではなく、勝手に伸びるものだ
 ・無投票の権利

・『テレビ標本箱』小田嶋隆

 かつて掲示板上で愛国心についてやり取りしたことがある。随分前の話だ。愛国心について否定的な論調を私が書いたところ、「あなたに愛国心はないのか?」と質(ただ)された。すかさず「ないね」と応じた。この時、本当に愛国心がないことを自覚した。

 これは、私が道産子であることも関係していると思う。北海道では学校行事において「君が代」を歌う場面がほぼ完全にない。私の場合だと、中学の音楽の授業で歌ったことが一度あるだけだ。だから今でも「君が代」を歌えない。ちなみに「蛍の光」を歌うことも殆どない。私が通った中学の卒業式では、原語で「ハレルヤ・コーラス」を卒業生が歌うのが伝統となっていた。合唱の盛んな学校だったのだ。

 愛国心――ないね。どこを探しても爪の垢ほどもないよ。愛郷心はある。愛町内会心もある。愛国心を売り物にしている連中を見ると、私はどうしようもない嫌悪感を覚える。「だったら、自衛隊に入れよ」と言いたくなる。

 更に二つばかり理由がある。一つは私が海外へ行ったことがないため、日本と外国を比較しにくいこと。つまり、日本人であることを強く自覚する経験が乏しいのだ。

 もう一つは、国から何かをしてもらった記憶がない。「お前な、道路や空港を作ったのは誰だと思ってるんだ?」と言われればそれまでなんだが、如何せん日本国に対して「ありがとう」と思ったことがないのだから仕方がない。例えば、ヨーロッパの一部の国のように無料で高校や大学に行けたり、他国からの侵略行為を防いでもらったりしていれば、愛国心が芽生える可能性もあったことだろう。でも、どちらかといえばやっぱり「税金ばっかり取りやがって」という不満の方が多い。

 小田嶋隆が愛国心をバッサリと斬り捨てている――

 S誌に目を通す。巻頭のコラム子は「日本人には、国のために死ぬ覚悟があるんだろうか」と言っている。ふむ。君たちの言う「国」というのは、具体的には何を指しているんだ? 「国土」「国民」あるいは「国家体制」か? それとも「国家」という概念か? でないとすると、もしかしてまさかとは思うが「国体」か? はっきりさせてくれ。なにしろ命がかかってるんだから。
 もうひとつ。
「死ぬ」というのはどういうことだ? 私の死が、どういうふうに私の国のためになるんだ? そのへんのところをもう少し詳しく説明してくれるとありがたい。
 もうひとつある。「国のため」と言う時の「ため」とは、実質的にはどういうことなんだ? 防衛? それとも版図の拡大? 経済的繁栄? あるいは「国際社会における誇りある地位」とか、そういったたぐいのお話か? いずれにしろ、「これも国のためだ」式の通り一遍な説明で「ああそうですか」と無邪気に鉄砲を担ぐわけにはいかないな、オレは。
 国家権力を掌握している人間の利益を守るために、国民が命を捨てねばならないような国があるんだとしたら、先に死ぬべきなのは国民より国家の方だということになるが、君たちはこの答えで満足してくれるだろうか?

【『イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』小田嶋隆(朝日新聞社、2005年)以下同】

 こんなコラムを巻頭に掲載するのは『諸君!』(文藝春秋)か『正論』(産経新聞社)しかないわな。右寄りの論調というのは愛国心を当然の前提とし、そこに思い切り寄り掛かっている。愛国心を疑ったり、まして愛国心のない野郎は国賊と評価される。

 しかしながら、愛を強制することはできない。街で擦れ違った見目麗しき女性に対して、「あなたは私を愛すのが当然だ」と言っても通用しないのと同じだろう。その昔、『愛される理由』というタイトルの本があったが、確かに愛されるには何がしかの理由や根拠が必要だ。

「国」というのは何だ?
 君たちの想定する「国」と革命分子の想定する「国」が違うものなのだとしたら、そりゃ単に内乱ってことにならないか? 逆に訊ねるが、君たちは、国民に死を要求するような国に対して忠誠を尽くすことができるのか? ついでに言えば、君たちが二言目には口にする「愛する者や家族が目の前で殺されているのを黙って座視するのか」式の設問は、無効だよ。覚えておくといい。質問は、答えを限定する。より詳しく言うなら、質問というのは、時に、回答の思考形式を限定するための手段として用いられるということだ。

 この指摘は実に鋭い。例えば、生まれたばかりの赤ん坊がパレスチナ人であるという理由だけでイスラエル人の手で殺されている。そして、まだお腹の中にいる胎児まで殺されている。殺された赤ん坊に国家という意識があるはずもないし、人種すら自覚していない。結局、国家意識というのは後天的に教育されるものだ。言語を始めとする文化や風習に馴染み、自分がコミュニティの一員であるという自覚が生まれた後に、「異質な別世界」を実感できるようになる。

 戦争が国家単位で行われている事実を踏まえると、国家という単位はない方がいいかもしれぬ。

 枠組みは常に悪用される。「国を守る」ということと「家族を守る」ということが無批判に同一視されているような質問は、発せられた時点で既に罠だってことだ。家族が暴漢に襲われている状況と国が戦争をしている状況は同じものではない。それどこから、逆かもしれない。だって、相手の国にとっては、暴漢はこちらということになるからね。つまり、君たちの質問の意図は、仮想敵国を強盗殺人犯に仕立て上げるところにあるわけで、国防とはまったく関係がないのだよ。
 兵隊が何を守るか知っているか? 国土?
 ははは。幸運な場合、結果として兵隊が国土を守ることもあるだろう。
 しかし、たいていの場合、兵隊が守るのはなによりもまず、軍隊の秩序であり、上官の命令だ。
 そして軍隊の機能はなによりもまず殺人であって防衛ではない。殺人が防衛の手段になるということが事実であるにしろ、軍隊の本意は防衛にはない。あくまでも殺人ということが彼らの動機であり目的であり存在意義です。さらに言うなら、その軍隊が命にかえて防衛するのは、国民の安全ではなくて、権力者の意志だよ。権力者の意志が国防にあればそれでいいじゃないかって?
 そうかもしれない。しかし、その権力者と対立する陣営の権力者の意志もまた国防にある。そして、国防という概念は敵の側から見れば侵略と区別がつきにくいものだ。ってことは、忠良な国民をかかえた2人の権力者は、自分の国防のために互いに侵略をし合うことにならないか?
 国のために命を捨てるのはけっこうだ。が、それが相互侵略のためだとしたら、犬死にどころか無理心中じゃないか。

 戦争の欺瞞を見事に暴き出している。俗に愛憎は紙一重と言う。であれば、愛国心とは他国を敵国と仮想することで成り立っているのかもしれない。とすると、権力者にとっては近隣諸国に敵国が存在した方が都合がいいとも考えられる。

 確かにそうだ。北朝鮮がテポドンを北海道に落としたら、私はたちどころに愛国者となるだろう。北朝鮮に対する憎悪を燃やした瞬間に、私の中の日本人が目を覚ますのだ。単純なもんだね。いや、ホントの話。恐ろしくなってくるよ。

 それでも人類が戦争をやめることはないだろう。戦争こそは人類の業(ごう)なのだ。だから、いっそのこと大掛かりな「戦争シミュレーションゲーム」を開発すればいいと思う。実際の戦争と同じように国会を召集し文民統制の下、自衛隊が戦略を練る。保有する武器や兵力もそのまま反映させて、ネット上のゲームで勝敗を決する。コントローラーを握るのはもちろん首相や大統領だ。

 これが実現すると選挙運動も大きく変わってゆくことだろう。ま、首相はアキバ系で間違いなし。指にはタコができている。また、数ヶ月前まで引きこもりだった青年が突如、首相になることも考えられる。

 皆が手を取り合う平和よりも、犠牲者の少ない戦争のあり方を模索した方が実行可能な気がしてくる。

イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド
小田嶋 隆
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小田嶋隆『イン・ヒズ・オウン・サイト』│mm(ミリメートル)
・民族という概念は「創られた伝統」に過ぎない/『インテリジェンス人生相談 個人編』佐藤優
・民族という概念は18世紀に発明された
・ポピュリズムによるナショナリズムの昂揚
・戦争は「質の悪いゲーム」だ/『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆
・戦争で異形にされた人々/『戦争に反対する戦争』エルンスト・フリードリッヒ編

2009-08-17

石原吉郎と寿福寺/『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治


『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『望郷と海』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代

 ・石原吉郎と寿福寺
  ・寿福寺再訪
 ・常識を疑え
 ・「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた

『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆

 石原吉郎〈いしはら・よしろう〉、鹿野武一〈かの・ぶいち〉、菅季治〈かん・すえはる〉の三人はシベリアの同じ収容所で過ごした時期がある。終戦のどさくさに紛れてソ連は、60万人もの日本人を抑留し奴隷同然に扱った。日本政府はこれを黙認した。

 菅季治は二人に先んじて帰国していたが、徳田要請問題で政治家に利用された挙げ句、中央線の鉄路に身を投げた。シベリア抑留から解放されてわずか5ヶ月後のことだった。

“究極のペシミスト”鹿野武一は、勤務先の病院の宿直室で心臓麻痺を起こして死んだ。帰国してから一年半後のこと。石原吉郎は詩人として名を残し、62歳(1977年)まで生きたが晩年は狂気の中を彷徨(さまよ)った。

 不幸と悲劇は一度つかまえた人間を離すことがないのであろうか。シベリアでは目の前に悪が対峙していた。向こう側に存在する悪に自分が犯されないようにすることが彼等の戦いであった。ところが帰国した日本では、そこここに悪が蔓延していた。善と悪に対して鋭く研ぎ澄まされた彼等の感覚は、小さな悪の後ろに広がる巨大な闇を捉えていた。

 夏が終わりを告げそうな今日、石原が足を運んだ鎌倉の寿福寺へ行ってきた。石原と会うために――

 この頃、石原吉郎はよくひとりで鎌倉へ出かけて歩きまわっていた。特に好んだのは、昔の面影が色濃く残る北鎌倉で、なかでもよく訪れたのが、鎌倉五山の中でも最古を誇る寺で、苔むしたやぐら(洞窟)に、北条政子、源実朝の墓がある寿福寺だった。
 寿福寺との出会いを、石原は「生きることの重さ」(74年6月、朝日新聞)にこう書いている。

 少し前に、雨の北鎌倉を一日歩きまわったことがある。たまたま立ち寄った寺に、北条政子と源実朝の墓があった。いずれも洞窟の暗がりに凝然と立ちすくんでおり、その荒涼とした気配が気に入ってしばらくたたずんでいたのをおぼえている。
 たぶんその時私が立っていたのは他界への入口のような所であったろう。しばらく生きるために、私はそこを立ち去った

【『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治〈ただ・しげはる〉(社会思想社、1994年/文元社、2004年)※社会思想社版は「シベリヤ」となっている】

 妻の夏休みが今日しかなかったので海水浴のついでに足を延ばした。



 地図を持って行かなかったため、鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)の左側から建長寺に辿り着き、そこの案内板を見て、長寿寺の手前の道を左に曲がった。入った瞬間、石原もここ(亀ヶ谷坂切通し)を歩いたことだろうと密かに確信した。影の濃い道だった。



 私の眼が石原の視線を探した。探し回った。そして、やっと目的の場所を見つけた。





 上が北条政子の墓で、下が源実朝の墓である。実際に足を運べばわかるが、写真からは窺い知ることのできない異様な雰囲気がある。確かに冥界といえる。夏の日差しの中で、そこだけぽっかりと別世界が口を開けていた。大の大人を恐れさせる何かがあった。暗がりや湿度では説明のつかない異質さが佇(たたず)んでいた。


【実朝の右隣の墓の内側から撮影】


 石原はここで何を見たのか。沈黙の中で闇を睨(にら)んでいたその時、潮風の向こうから電車の走る音が聴こえた。私は、〈走る留置所〉と呼ばれるストルイピンカを想った。そして、微(かす)かな潮の香りを嗅ぎながら、シベリアの地で望郷の思いを海に託した石原の心に触れたような気がした――

 海が見たい、と私は切実に思った。私には、わたるべき海があった。そして、その海の最初の渚と私を、3000キロにわたる草原(ステップ)と凍土(ツンドラ)がへだてていた。望郷の想いをその渚へ、私は限らざるをえなかった。空ともいえ、風ともいえるものは、そこで絶句するであろう。想念がたどりうるのは、かろうじてその際(きわ)までであった。海をわたるには、なによりも海を見なければならなかったのである。
 すべての距離は、それをこえる時間に換算される。しかし海と私をへだてる距離は、換算を禁じられた距離であった。それが禁じられたとき、海は水滴の集合から、石のような物質へと変貌した。海の変貌には、いうまでもなく私自身の変貌が対応している。

【「望郷と海」(『展望』1971年8月)/『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫、2005年)】

 源実朝は和歌を嗜(たしな)んだ。詩人の石原も和歌を詠んだ。実朝は甥(おい)の手で殺された。石原は祖国から見捨てられた。

 岩穴の闇を正視する時、石原の心はシベリアに引き戻されたに違いない。そして、生きるためにそこを立ち去った瞬間、今度は闇を背負い込んでしまうのだ。そのまま別の闇に向かって彼は歩き続けた。

 石原の孤独にはブラックホールの如き重量があった。その重みに耐えられなくなった時、精神は狂気へと避難した。石原は独居の浴槽の中で心臓麻痺死した。酷寒のシベリアを生き延びた者に対する神の祝福と思えてならない。


寿福寺
寿福寺
・「岸壁の母」菊池章子

2009-08-15

紙幣とは何か?/『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳、グループ現代


『金持ち父さん 貧乏父さん アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学』ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター
『国債は買ってはいけない! 誰でもわかるお金の話』武田邦彦
『平成経済20年史』紺谷典子
『税金を払わない奴ら なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?』大村大次郎

 ・貨幣経済が環境を破壊する
 ・紙幣とは何か?
 ・「自由・平等・博愛」はフリーメイソンのスローガン
 ・ミヒャエル・エンデの社会主義的傾向
 ・世界金融システムが貧しい国から富を奪う
 ・利子、配当は富裕層に集中する

・『税金を払う奴はバカ! 搾取され続けている日本人に告ぐ』大村大次郎
・『無税国家のつくり方 税金を払う奴はバカ!2』大村大次郎
『デジタル・ゴールド ビットコイン、その知られざる物語』ナサニエル・ポッパー

必読書リスト その二

 我が国における紙幣とは「日本銀行券」のことである。私はこれを小学生の時分にクイズで知った。よもや、こんな妙ちきりんな名前だとは夢にも思わなかった。「券」だと? じゃあ、映画のチケットと変わりがないことになる。しかし、流通の範囲がべらぼうに異なる。ただ、日本全国のお店、会社で取引可能な商品券と考えると腑に落ちる。

「紙幣(しへい)とは、広義には、公的権力(主に国家)により通貨として強制通用することが認められている紙片である」(Wikipedia)――何だ、この素っ気ない言い方は(笑)。まるで、大金持ちの坊っちゃんが「ケッ、こんなモンは所詮紙切れなんだよ」と捨てゼリフを吐いているように聞こえる。

 ミヒャエル・エンデは紙幣の意味を法律家に問い質(ただ)した――

「私は10人の法律家に手紙を書き、法律的見地から銀行券とは何かと尋ねました。それは『法的権利』なのか、国家がそれを保証するのか。もしそうなら『お金』は経済領域に属さず、法的単位ということになります。『法的単位』なら商いの対象にはできません。しかし、そうではなく経済領域に属するものなら、それは商品といえます。10人の法律家からは10通りの返答がきました。つまり、法的に見て、銀行券とは何なのかを私たちはまるで知らないわけです。定義は一度もされませんでした。私たちは、それが何か知らないものを、日夜使っていることになります。だからこそ、『お金』は一人歩きするのです」

【『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳〈かわむら・あつのり〉、グループ現代(NHK出版、2000年/講談社+α文庫、2011年)】

 何ということか。我々は紙幣の意味もわからずに紙幣を使い、紙幣を追い求め、紙幣のためにあくせくと生きていたのだ。もっと混乱させてあげよう。では、紙幣と貨幣はどのように違うのか? 紙幣は日本銀行が発行し、貨幣は国が発行する。で、発行元が異なる理由もわからない。

 疑問はどんどん膨らむ。国立印刷局が紙幣を印刷し、造幣局が貨幣を鋳造すると、どの程度の報酬が支払われているのであろうか? ちなみに、券種を問わず紙幣1枚あたりの印刷代は約16円である(廣宮孝信著『国債を刷れ! 「国の借金は税金で返せ」のウソ』彩図社、2009年)。これぞ錬金術(笑)。

 脳がそうした性質を持つことから、われわれがなぜお金を使うことができるかが、なんとなく理解できる。お金は脳の信号によく似たものだからである。お金を媒介にして、本来はまったく無関係なものが交換される。それが不思議でないのは(じつはきわめて不思議だが)、何よりもまず、脳の中にお金の流通に類似した、つまりそれと相似な過程がもともと存在するからであろう。

【唯脳論宣言/『唯脳論』養老孟司】

「国家」と「貨幣」は人間を超越する/『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』佐藤優、魚住昭

 ということは、だ。お金とは「情報」ということに落ち着く。つまり貨幣とは、交換媒介機能、価値尺度機能、価値保蔵機能を併せ持った情報なのだ。永井俊哉氏は貨幣の機能を「コミュニケーションメディアである」としている。

 この情報は、一般的に労働の対価として考えられている。多くの人々がそのように考えることは国家権力にとって甚だ都合がよい。では、目覚めた民衆となるべく二つの疑問を提示して今回は筆を擱(お)こう。

 労働の対価は正当に支払われているのか? 労働以外にお金を獲得する方法はないのか?

2009-08-13

貨幣経済が環境を破壊する/『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳、グループ現代


『金持ち父さん 貧乏父さん アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学』ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター
『国債は買ってはいけない! 誰でもわかるお金の話』武田邦彦
『平成経済20年史』紺谷典子
『税金を払わない奴ら なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?』大村大次郎

 ・貨幣経済が環境を破壊する
 ・紙幣とは何か?
 ・「自由・平等・博愛」はフリーメイソンのスローガン
 ・ミヒャエル・エンデの社会主義的傾向
 ・世界金融システムが貧しい国から富を奪う
 ・利子、配当は富裕層に集中する

・『税金を払う奴はバカ! 搾取され続けている日本人に告ぐ』大村大次郎
・『無税国家のつくり方 税金を払う奴はバカ!2』大村大次郎
『デジタル・ゴールド ビットコイン、その知られざる物語』ナサニエル・ポッパー

必読書リスト その二


 お金は不思議な存在だ。お金は本来であれば単なる約束事に過ぎない。ところが等価交換の物差しが、いつしか目的と化してしまっている。「金に物を言わせる」という表現があるように、お金は雄弁だ。そして言葉の如く流通する。

 お金の意味を我々は知っているようで知らない。学校で教わることもなかった。お金に関する何冊かの本を読んできたが、疑問は膨らむ一方だった。しかし、本書を読んで私の蒙(もう)は啓(ひら)かれた。貨幣の欺瞞、信用創造のインチキを本書は十全に暴いている。

 唯一の難点は、ミヒャエル・エンデの言葉にキリスト教的な臭みがあることだ。謙遜が慇懃無礼(いんぎんぶれい)のレベルに達している。ま、死者はいつだって美化されるということか。

 重要な内容を鑑み、何度かに分けて書く予定である。

 まずは、「貨幣経済が環境を破壊する」事実を示す――

「紙幣発行が何をもたらしたのか? 一つの実例が、ビンスヴァンガーの著書に出ています。たしかロシアのバイカル湖だったと思いますが、その湖畔の人々は紙幣がその地方に導入されるまではよい生活を送っていたというのです。日により漁の成果は異なるものの、魚を採り(ママ)自宅や近所の人々の食卓に供していました。毎日売れるだけの量を採っていたのです。それが今日ではバイカル湖の、いわば最後の一匹まで採り尽くされてしまいました。どうしてそうなったかというと、ある日、紙幣が導入されたからです。それといっしょに銀行のローンもやってきて、漁師たちは、むろんローンでもっと大きな船を買い、さらに効果が高い漁法を採用しました。冷凍倉庫が建てられ、採った魚はもっと遠くまで運搬できるようになりました。そのために対岸の漁師たちも競って、さらに大きな船を買い、さらに効果が高い漁法を使い、魚を早く、たくさん採ることに努めたのです。ローンを利子つきで返すためだけでも、そうせざるをえませんでした。そのため、今日では湖に魚がいなくなりました。競争に勝つためには、相手より、より早く、より多く魚を採らなくてはなりません。しかし、湖は誰のものでもありませんから、魚が一匹もいなくなっても、誰も責任を感じません。これは一例に過ぎませんが、近代経済、なかでも貨幣経済が自然資源と調和していないことがわかります」

【『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳〈かわむら・あつのり〉、グループ現代(NHK出版、2000年/講談社+α文庫、2011年)】

 これは、アーロン・ブラウンの主張と全く同じである。

帝国主義による経済的侵略/『ギャンブルトレーダー ポーカーで分かる相場と金融の心理学』アーロン・ブラウン

 ブラウンが結論を人間不信に着地させたのに対し、エンデは環境破壊に結びつけている。

 貨幣経済は、将来の価値を先取りするために現在の環境を踏みにじる。人間は未来に生きる動物といえる。そして「未来=蓄え」を意味する時、人は現在を犠牲にする。

 ここで行われていることは「未来を先取りする競争」である。つまり、貯蓄を可能にした貨幣経済は、「未来を奪い合う」社会を招来する結果となる。しかもこの未来は、人類全体のものではない。ということは、「エゴの競争」である。

 エゴイズムは限りなく肥大する。肥大したエゴイズムを地球環境は支えることができない。「自分さえよければ」という生き方が、湖の魚を獲り尽くしてしまった。人間の未来が魚の未来を奪ったのだ。共存の崩壊。

 お金は未来である。とすると、蓄えられたお金は意志を持つようになる。エゴ未来は人間を、畜生道の下の餓鬼道に引き摺り込む。ここにおいて人間は動物以下の存在と化す。

 お金はエゴイズムに火を点ける。お金を持っている人は確かに幸せだ。だが、お金から離れられる人はもっと幸せではなかろうか。

 欲望は否定されるものではなくして、コントロールされるべきものである。「少欲知足の経済」を実現しなければ、地球の寿命は短くなる一方だ。



信用創造のカラクリ/『ギャンブルトレーダー ポーカーで分かる相場と金融の心理学』アーロン・ブラウン
時は金なり/『反社会学講座』パオロ・マッツァリーノ
信用創造の正体は借金/『ほんとうは恐ろしいお金(マネー)のしくみ 日本人はなぜお金持ちになれないのか』大村大次郎