まったくもって意外な光景。
2011-08-31
遺伝子組み換えトウモロコシを食べる害虫が増殖中、米国
ウエスタン・コーン・ルートワームという代表的なトウモロコシの害虫に、遺伝子組み換え(GM)トウモロコシが出す毒素に対する耐性が広がりつつあり、トウモロコシ生産者にとって新たな脅威となりつつある。
イリノイ大学(University of Illinois)のマイケル・グレイ(Michael Gray)教授(作物科学)は「ウエスタン・コーン・ルートワームは米国で最も多いトウモロコシの害虫で、欧州でも増える可能性がある」と説明する。
これまでのところ耐性の拡大は限定的だとみられているが、専門家たちは耐性を持った害虫がまん延すればトウモロコシ生産者は再び農薬の大量使用を余儀なくされるだろうと警告している。また、害虫が耐性を獲得しにくい方法でGMトウモロコシを栽培する必要があると指摘している。
2009年に初めて見つかる
トウモロコシ生産者は従来、同じ土地に性質の違う数種類の作物を順番に作付けする輪作を行って害虫被害を防いできた。しかしこの害虫は、トウモロコシと組み合わせて輪作されることが多い大豆にも卵を産むようになったため、農家は農薬を使用せざるを得なくなった。グレイ教授によると、ウエスタン・コーン・ルートワームは頑強で順応性も高く、いくつかの農薬への耐性も持ち始めているという。
米バイオ企業大手モンサント(Monsanto)は2003年、この害虫に強いGMトウモロコシの種を発売した。以降、米国のGMトウモロコシの作付面積は増え、2009年には国内で収穫されたトウモロコシの45%をGMトウモロコシが占めるようになった。
だが、2009年にこの害虫による大きな被害を受けたアイオワ(Iowa)州の4か所のトウモロコシ畑で、GMトウモロコシへの耐性を持ったタイプが初めて発見された。今年はイリノイ(Illinois)州でGMトウモロコシがこの害虫による食害被害を受けた。グレイ教授はここで見つかった害虫がGMトウモロコシ毒素への耐性を持っているかどうか調べている。
前月発表された研究結果では、アイオワのトウモロコシ畑で見つかった害虫は、GMトウモロコシ毒素への耐性を子孫にも引き継いでいることが分かった。
輪作や「おとり作物」栽培をしっかりと
アイオワ州立大学(Iowa State University)のアーロン・ガスマン(Aaron Gassmann)主任研究員は、「この結果は、害虫の耐性獲得管理を改善するとともに、Bt作物(毒素を出すバチルス・チューリンゲンシスという細菌の遺伝子を組み込んだ作物)の使用にあたって統合的なアプローチを取る必要性を示唆している」と、研究報告書のなかで指摘した。
耐性を持つ害虫が発見された畑では、少なくとも3年連続してGMトウモロコシを栽培していた。このことが、害虫が耐性を獲得する一因になったとガスマン氏は考えている。
さらにガスマン氏は、もう一つの要因として「おとり作物」の作付け不足を挙げた。トウモロコシ農家は、農地の20%に遺伝子組み換えではない普通のトウモロコシを植えることになっている。耐性を持つ害虫が発生しても、耐性を持たない害虫と交配すれば耐性を次世代へ引き継ぐ可能性が減るからだ。
すでにモンサントは、政府が義務付けるおとり作物の栽培を容易にするため、1袋にGMとそうでないトウモロコシの種を混ぜたセットを販売しているほか、耐性を持つ害虫が大量発生した場合に代替となる数種類の作物を販売しており、さらに新品種も開発中だという。
モンサントは耐性を持つ害虫が増えているという研究結果を深刻に受け止めていると話しているが、既存のGM作物は作付けした土地の99%以上で良好な結果が出ているとして、農家が既存のGM作物の栽培を止める理由は何もないと主張している。
【AFP 2011-08-31】
・モンサント社が開発するターミネーター技術/『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子
ドイツZDF-Frontal21 福島原発事故、その後(日本語字幕) 拡散希望!!
・ドイツのテレビ局制作の原発事故番組が福島中央テレビによって削除される
原発から60km離れた伊達市のシイタケからは、1kgあたり7000ベクレルの汚染が測定された。基準値は500ベクレルである。「もはや食べ物ではなくて放射性廃棄物です」。(番組より)
・第2ドイツテレビ(ZDF)の放送内容について 取材の実際について
入矢義高、宮城谷昌光、高橋昌一郎
1冊挫折、3冊読了。
挫折『臨済録』入矢義高〈いりや・よしたか〉訳注(岩波文庫、1989年)/期待が外れた。その軽(かろ)き言、さながら天魔の如し。幻惑に目的があるとしか思えず。言葉遊びの感を抱いた。
57冊目『晏子 第三巻』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)/晏弱は死んだ。が、晏嬰の出番は少ない。斉(せい)の国の権謀術数を中心に描かれる。晏嬰は3年間にわたって喪に服す。編集者である池田雅延の解説は蛇足の謗りを免れない。
58冊目『晏子 第四巻』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)/晏嬰は道理の人であった。そしてその道理が忠孝に貫かれていたところに晏嬰の偉大さがある。三代の君公に仕え、断固たる諫言を惜しむことがなかった。孔子が晏嬰に遺恨を抱いたというエピソードも興味深い。池田雅延の解説は読者をコントロールしようとする企図が見え見えで嫌悪感を覚える。
59冊目『東大生の論理 「理性」をめぐる教室』高橋昌一郎〈たかはし・しょういちろう〉(ちくま新書、2010年)/正確には東大一年生の論理である。高橋が非常勤講師として東大へ出向いた模様が描かれている。確かに東大生の優秀さは図抜けている。その発想の柔軟さが素晴らしい。あまりにも東大生の出来がいいため、論理学のテーマが少しぼやけてしまっているのが少々難点。
『ロビンソン・クルーソー』は生き方の問答集である
そう。『ロビンソン・クルーソー』の物語は、生き方の問答集である。人間とは何か、いかに生くべきかの寓話といってもよい。ここには、人間、この不可解なものの正体が、原始の姿さながらに浮き彫りにされているからである。
【『生き方の研究』森本哲郎〈もりもと・てつろう〉(新潮選書、1987年/PHP文庫、2004年)以下同】
さいわいなことに、その島には猛獣はおらず、彼を襲ってくる人間もいなかった。だが、天涯孤独に追いやられた人間は、そこで、いわば人類史を反復しなければならない。じじつ、ロビンソンは人類として一からやり直さなければならなかった。したがって、28年にわたるロビンソンの孤島での生き方は、何万年、いや、何十、何百万年にもわたる人類史の復習だったといっていい。それを、向こう見ずのロビンソンは見事にやりとげるのである。理性的動物(ホモ・サピエンス)として、道具を使う工作人(ホモ・ファーベル)として、経済人(ホモ・エコノミクス)として。
マルクスやマックス・ウェーバーなどがこの物語を人間の経済活動のモデルとして取りあげたのも、そのゆえであった。
【「今週の本棚:富山太佳夫評 『道徳・政治・文学論集』『秘義なきキリスト教』」】
2011-08-30
我々は虐殺される人に背を向けている
アムネスティ・インターナショナルの広告ポスター。小さな悪は見て見ぬ振りをし、巨悪には気づきもしないのが我々の姿だ。見ざる、聞かざる、言わざる。自分が殺される番になって初めて慌てふためくのだ。
・世界のどこかで虐げられる人々が目の前に現れる
・女子割礼に警鐘を鳴らすアムネスティのポスター
合衆国憲法とブッカー・T・ワシントンとジョン・デューイ/『不可触民の父 アンベードカルの生涯』 ダナンジャイ・キール
マハトマ・ガンディーを尊敬する人は多い。きっとビームラーオ・アンベードカルを知らないからだろう。
ガンディーは一言でいえばインド独立の英雄である。彼の非暴力主義は極めて政治的色彩が強いものであった。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアやネルソン・マンデラに影響を与えたこともあって「人権の闘士」と誤解している人々が多い。実際のガンディーは終生にわたってカースト制度の信奉者として生きた。
不可触民への差別は徹底しており、選挙権を与えようとしたアンベールカルの動きを封じ込めるために死の断食までやってみせた。その意味ではインドの極右勢力と考えていいのかもしれない。
アンベードカルは不可触民(アンタッチャブル)ではあったが米国に留学している。
アメリカ滞在中、アンベードカルの心に強い印象を刻んだものが三つあった。一つは合衆国憲法、なかんずく黒人の解放を宣言した憲法第14次改正であり、もう一つは、彼の滞在中、1915年に死んだ、偉大な黒人指導者であり教育者であったブーカー・T・ワシントンであり、プラグマティズム哲学のジョン・デューイも大きな影響を彼にあたえた一人であった。彼の授業には欠かさず出席していたという。
【『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール:山際素男〈やまぎわ・もとお〉訳(三一書房、1983年/光文社新書、2005年)以下同】
偉大な人物と偉大な青年との擦れ違うような出会いに胸をときめかせる。デューイからアンベードカル青年は合理主義を学んだことだろう。合理性こそが古い伝統やカビだらけの宗教を破壊する最大の武器となる。思想や運動の広がりを決定づけるのは「理」(ことわり)である。個々人の利を超える理を示すことができるかどうかで運動の成否が分かれる。
彼は文字通り寸暇を惜しんで生活した。時間と費用を節約するため昼食も抜いた。朝8時の開館を待ちかねたように図書館に入ると、夕方5時の閉館時間までほとんど休みなしに本を読み漁った。守衛に追い出されるように最後に出てくるのはいつもアンベードカルであった。頬はげっそりとこけ、疲労は色濃くにじみ出ていたが、ポケットは写し取ったノートで一杯だった。外の新鮮な空気を吸いながら30分ほど散歩をすると真直ぐ帰宅し夕食を取り、再び机に向った。夜10時頃になると空腹が彼を悩ました。彼の下宿の女主人は恐ろしくけちで、朝食はトースト1枚、小さな魚のフライに1杯の紅茶。夕食は一皿のスープに数枚のビスケットとバターという貧弱なものだった。飢餓感に耐えかねると、友人から分けてもらったパパード(インド製の薄焼きせんべいのようなもの)を焼いて飢えをしのいだ。それからまた暁方まで読書をつづけるのである。同室の友人がいつ眼を覚ましても起きているアンベードカルの健康を案じいい加減に床に入るように忠告しても、アンベードカルは微笑し、「ぼくには時間が限られているんだ。お金が尽きてしまわない内にやらねばならぬ仕事が山程ある」というと、再び机に向った。
若き日の峻烈な鍛えが修行の様相を帯びている。彼の双肩には数千年にわたって虐待されてきた不可触民の苦しみが載っていた。何のために学ぶのか――その一点に迷いや曇りはなかった。一身の栄誉は最初から眼中になかった。学ぶことは人間であることの証明であり、鍛え抜かれた英知によって人々の目を開かせることが可能となる。
マハトマ・ガンディーが評価されているのは西洋世界から見て都合がいいためだろう。民衆の蜂起を恐れる権力者にとって非暴力主義ほど歓迎すべきものはない。ガンディーは国父であるがゆえに国家主義も正当化できる。
この小柄な差別主義者は自分の禁欲主義を誇示するために、姪(めい)を始めとする若い女性たちに同衾(どうきん)を命じた。ま、禁欲主義における自慰行為といってよい。
アンベードカルは今やロンドン大学、コロンビア大学の両博士号、ボン大学留学という輝かしい実績と、上級法廷弁護士という資格で身を固め、いよいよインド学界に風雲を巻き起こしつつ不可触民解放運動の先頭に立って進んでゆくのである。
やはり、「学は光、無学は闇」である。徹底した学びの中で古い時代を打ち破る精神が脈動する。
アンベードカルはカースト制度に風穴を開けた。だがカースト制度がなくなったわけではない。第二、第三のアンベードカルの登場が待たれる。
・不可触民=アウトカースト/『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール
・不可触民が偉大な指導者と認めるのはアンベードカルただ一人
2011-08-29
罪もない少年を殺害し、笑顔で記念撮影をする米兵(アフガニスタン)
射殺されたのはMudinという15歳の少年である。もちろん非武装であった。次のサイトに連続写真がアップされている。
・The Kill Team Photos(※右側テキスト上部の矢印をクリック)
アメリカ兵はただ殺すだけではない。楽しみながら殺すのだ。彼らにとって有色人種を殺害することは「狩り」と同じ行為なのだろう。
【アフガン市民を気晴らしに殺害 米兵取り調べ映像を入手】
【米兵がアフガン市民殺害で告発される】
【米兵がアフガン人をスポーツとして殺害し遺体の一部を蒐集と告訴される】
・米兵、上半身吹き飛んだ遺体と笑顔で記念撮影
・民間人虐殺の米兵に有罪 「戦争記念品」として指切り取る
・本当の戦争の話をしよう
・米兵は拷問、惨殺、虐殺の限りを尽くした/『人間の崩壊 ベトナム米兵の証言』マーク・レーン
ラス・カサス
1冊読了。
56冊目『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス:染田秀藤〈そめだ・ひでふじ〉訳(岩波文庫、1976年)/気力を奮い起こさずして、この薄っぺらい一書を読み終えることはできない。スペイン人によるアメリカ先住民大虐殺の忌まわしい歴史が綴られている。私にとっては『ルワンダ大虐殺』に匹敵する衝撃であった。その非道ぶりは鬼畜にも劣る所業で、10ページも読み進めることができなかった。日本から歴史的視点に立った欧米論を発信する必要があると痛切に思う。欧米からの視線を気にかけて日本論が多数刊行されているが、東洋から西洋を照射する時がきている。欧米に彼らこそがルシファー(悪魔)であることを断固糾弾すべきだ。欧米を戦慄せしめる学徒よ出(いで)よ。ラス・カサスがなにゆえキリスト教に毒されることなく、人間の眼差しを持ち得たのかが最大の不思議である。
2011-08-28
ブログのデータに関する覚え書き
・日本のブログ総数は約1690万。
・記事総数は約13億5000万件。
・データ総量は42テラバイト。
・書籍に換算すると約2700万冊分に相当。
【Gigazine 2008-07-03】
・世界中のブログで使われている言語は日本語が一番多い(2007-04-06)
・ブログ総数は約1690万。
・記事総数は13億5000万件。
・スパムブログは全体の12%。
【INTERNET Watch 2008-07-03】
・総務省 情報通信政策研究所(IICP)|調査研究|研究成果~調査研究報告書
ホスティング型ブログ数(参考)
・はてな 93816
・FC2ブログ 37555
・アメブロ 25968
・Seesaaブログ 25475
・livedoor Blog 15102
・Blogger 11283
・JUGEM 8260
・ココログ 8215
・exciteブログ 8003
・gooブログ 7243
・So-net blog 6974
・Yahoo! ブログ 5964
・Tumblr 4786
・楽天ブログ 4756
・ヤプログ! 4273
・ドリコムブログ 495
・その他 161269(ホスティング型以外を含む)
【TopHatenarに登録されているブログ数を参照した 2011-08-28】
勝敗を分ける決定的な要素は「姿勢」
しかし同時に、姿勢が結果に果たした重大な役割を理解している人は多くはない。たいていの競技・競争では、参加者は戦略的に、身体的技術だけでなく精神的技術を向上させなければならない。もし対戦者が対等の技術レベルでなければ、普通は(必ずしも絶対ではないが)技術的に上のほうが勝つ。しかし、弱者が強敵を倒したとしたら、何がその要因となるのか。あるいは同レベルの二人が戦ったとき、勝敗を分ける決定的な要素は何か。どちらの場合もその答えは「姿勢」なのだ。
【『ゾーン 「勝つ」相場心理学入門』マーク・ダグラス:世良敬明〈せら・たかあき〉訳(パンローリング、2002年)】
河本英夫、宮城谷昌光
3冊読了。
53冊目『哲学、脳を揺さぶる オートポイエーシスの練習問題』河本英夫〈かわもと・ひでお〉(日経BP社、2007年)/天才本。読むだけで天才になれる。オートポイエーシスとカルロ・ペルフェッティがつながっているとは知らなかった。驚愕の一書。
54冊目『晏子 第一巻』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)/イントロは静かに始まり、突然激しい旋律となる。身分の低い晏子〈あんし〉が智謀をもって斉(せい)の国を導く。
55冊目『晏子 第二巻』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)/晏子〈あんし〉とは晏弱〈あんじゃく〉、晏嬰〈あんえい〉父子を指す。まだ幼い晏嬰が登場し、物語に青い風を吹かせる。成人した晏嬰が霊公〈れいこう/斉の君主〉に諫言する件(くだり)が圧巻。感動のあまり10回くらい読み返した。
2011-08-27
2011-08-26
「キリスト教征服の時代」から脱却する方途を探る
キリスト教の後に犯罪の思想的正当化の試みは啓蒙主義や自由主義によって行われ、フランシス・ベーコンやシャルル・ド・モンテスキュー、デイヴィッド・ヒュームらはインディオを「退化した人々」とし、ヨーロッパ人による収奪を正当化した。19世紀に入ると、「近代ヨーロッパ最大の哲学者」ことヘーゲルはインディオや黒人の無能さについて語り続け、近代哲学の立場から収奪を擁護した。(スペインによるアメリカ大陸の植民地化)
レコンキスタ(718-1492年)からアメリカ大陸の植民地化(15-17世紀)、そして21世紀になっても、まだ征服の歴史は続く。虐殺されたアメリカ先住民は1000万~2000万人といわれる。
ヨーロッパ列強による植民地化は奴隷化を意味しており、アメリカ先住民の場合は殲滅されたといっても過言ではない。
少し前に「何が魔女狩りを終わらせたのか?」という一文を書いた。近代は白人同士の殺し合いを有色人種の殺戮に置き換えたように感ずる。
第二次世界大戦後に米ソ冷戦構造となるが、パックス・アメリカーナの時代が長くなるほど、歴史における冷戦の意味は軽くなる。
レコンキスタ-十字軍-アメリカ大陸の植民地化と一本の線を引けば、「キリスト教征服の時代」であることが明らかだ。
・十字軍 意外にウロ覚えな彼らの目的と実態
・十字軍の暗黒史
十字軍の遠征によって中東から西ヨーロッパへ知識が輸入される。これが後にルネサンスを導くこととなった。更に資金調達のために徴税制度を発達させたことが見逃せない。国家の枠組みを規定するのは軍事と徴税である。
近代の定義は国民国家の形成と資本主義の成立である。これをシンボリックに体現した国家がアメリカだ。そして近代はキリスト教信仰からプラグマティズムへのスライドを意味した。ここに民主主義と合理主義という新たな宗教が台頭する。
とするとアメリカ建国の歴史に近代の縮図があると考えてよかろう。
ここからポストモダンの道標はおのずと導かれる。すなわち国民国家を超えた枠組みの提示と、資本主義=広告会社が扇動する大衆消費社会の否定である。
はっきり言って無理だ(笑)。これを実現するとなれば、それこそ核兵器以上に強力で、コレラよりも伝染性の高い宗教が必要だ。
・キリスト教を知る
・マネーと民主主義の密接な関係/『サヨナラ!操作された「お金と民主主義」 なるほど!「マネーの構造」がよーく分かった』天野統康
2011-08-25
三島由紀夫の遺言
・三島由紀夫の遺言
・『決定版 三島由紀夫全集 36 評論11』三島由紀夫
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。
【「果たし得ていない約束」三島由紀夫/サンケイ新聞 昭和45年7月7日付夕刊】
・日英同盟を軽んじて日本は孤立/『日本自立のためのプーチン最強講義 もし、あの絶対リーダーが日本の首相になったら』北野幸伯
志は千里にあり
老驥(ろうき)櫪(れき)に伏(ふ)するも 志(こころざし)は千里にあり
烈士(れっし)は暮年(ぼねん)にも 壮心已(とどめ)あえず
【「歩出夏門行」曹操】
・「歩みて夏門(かもん)を出ずる行(うた)」
・曹操の詩
・「歩みて夏門を出ずる行」に思う
占いは神の言葉/『重耳』宮城谷昌光
・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
・『管仲』宮城谷昌光
・占いこそ物語の原型
・占いは神の言葉
・未来を明るく照らす言葉
・『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光
行動は心の発動から起こる。これを志という。動機という言葉は目先の損得勘定が走っている。昨今流行っているモチベーションという語は動機づけの意であり、管理職による条件づけにすぎない。
そして物語は志から始まる。
「射は、人格そのものといえます。正しければ、中(あた)り、正しくなければ、中りません。矢には邪悪なものを祓(はら)う力があり、その矢をもって周王を護り、外敵をしりぞけるのが、侯なのです」
【『重耳』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1993年/講談社文庫、1996年)以下同】
技だけでは及ばぬ世界がある。心を調(ととの)えるには生活態度を変えなくてはならない。すなわち生き方を改める必要がある。
「射」は技である。それを人格にまで持ち上げ、正邪という色彩を施すところに物語が生まれる。後の世となるが李広将軍は石に矢を立たせた。
この巻において結構の前半と後半を分かつ占いが行われる。
出師にさきだってかならず占いをおこなう。戦争は国の大事であるから、亀の甲を焼き、そのひびで占う卜(ぼく)という占いの方法をもちいる。
出兵を出師(すいし)という。
史蘇〈しそ〉としても意外であったのだろう、どこか割り切れぬ表情であった。兆(ちょう)の形はおそらく百通りほどあり、むろん史蘇の頭のなかにはそれらのすべてが記憶されていて、その兆を自分のことばにおきかえるためには、故事に精通していなければならない。実例のつみかさねの上に兆の形によって予言をおこなうところに確実性がある。
史蘇〈しそ〉は史官である。故事とは古い物語である。しかしながら占いは裁判の判例とは異なる。時流を踏まえた上で、目指すべき星を示さなくてはならない。
史蘇〈しそ〉には詭諸〈きしょ〉の出陣を止める力はない。が、占いをおこなった者は腹蔵のないことを吐露する義務がある。それをとりあげるかどうかは、君主しだいである。
「さいごに申し上げます。民を離そうとするものが、君のもとにはいってくるときは、かならず甘く、その快さによって、害であることがわかりませんから、防ぎようがありません」
と、史蘇は恐ろしいことを大胆に予言した。
兆(ちょう)だけをみて、これだけのことを、確信をもっていえるというところに、史蘇の天才ぶりをみることができる。
何と女難の予言であった。詭諸〈きしょ/重耳の父親〉は驪姫〈りき〉を寵愛し、後嗣(こうし)を巡る争いは血生臭さを帯びた。
史蘇〈しそ〉の占いは空しい諫言で終わった。
「穢(けが)れのないところにしか神は降り立ちません。純正な史官のことばは、神のことばであり、それを聴く方も心を端(ただ)さねばなりません」
と、小さな力を口調にこめていった。
「端すとは──」
「雑念を去ることです。あるいは親のことばを聴く子どもの心に帰ることです」
これは重耳と師である郭偃〈かくえん〉のやり取り。やや鈍重な重耳には虚心坦懐さがあった。ここでいう「神のことば」とは、宗教的な絶対性というよりも「歴史における信号機」のような役割を意味するものと思われる。
驪姫〈りき〉は我が子を後継に据えようと優施〈ゆうし〉と結託し策謀を巡らす。長男の申生〈しんせい〉は殺され、逃亡した重耳には閻楚〈えんそ〉という刺客が送り込まれる。
──たった一人の女が……。
と、士蔿〈しい〉は信じられぬおもいにうちのめされる。あれほどうまくいっていた父子と君臣との仲が、たった一人の女によって、それぞれずたずたに引き裂かれようとしている。
重耳の19年に及ぶ放浪が始まった。
2011-08-24
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