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2014-03-29

欽定訳聖書の歴史的意味/『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人


・欽定訳聖書の歴史的意味
他人によってつくられた「私」

 あなたは、15世紀の大ベストセラー『魔女に与える鉄槌』(Malleus Maleficarum)を知っていますか?
『魔女に与える鉄槌』は、1486年にドミニコ会士で異端審問官であったハインリヒ・クラマー(Heinrich Kramer)とヤーコプ・シュプレンガー(Jacob Sprenger)によって書かれた【魔女狩り】に関する論文です。魔女発見の手順とその審問と拷問の方法についてこと細かに記されており、中世において大きな影響を与えたことで知られています。

【『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(フォレスト出版、2011年)以下同】

 私は小室直樹著『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』で『魔女に与える鉄槌』を知った。本書はキリスト教を通してメディアと洗脳に切り込んでいる。文章はやさしいのだがキリスト教の知識がなければ理解が難しいか。

 新しいメディア(媒体)の登場は情報伝播(でんぱ)のスピードを一気に加速する。そして自由に氾濫した情報が人々に不自由な生き方を強いて、ついには新たな魔女狩りに至るといった主旨だ。


 21世紀を生きる日本人として、やはりキリスト教を知の常識として学んでおくことが必要だ。私は昔っからキリスト教に対して嫌悪感を抱いているが、キリスト教を知らずして欧米文化――すなわち先進国文化――のコンテクストを理解することは不可能だ。

キリスト教を知るための書籍」を読む余裕のない人は、
魔女狩り』森島恒雄
インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
苫米地英人、宇宙を語る』苫米地英人
日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
 を読んでから本書に望めばシナプスがスムーズにつながることだろう。

 本書によれば『魔女に与える鉄槌』がドイツで出版されたのが1487年。1520年までに13版の増刷が重ねられ、その後1574年から1669年にわたって33版に至る。苫米地の計算によればグーテンベルク聖書の発行部数を基準(1版あたりの印刷が180部)にすると、で、最初の13版で2340部、次の33版で5940部、合計8280部となる。これに海賊版を加えると優にグーテンベルク聖書を上回った可能性があるとしている。

 魔女狩りのマニュアル本にこれほどの需要があったところから当時の時代的雰囲気が伝わってくる。キリスト思想に抑圧されたヨーロッパ人が集団ヒステリーを起こし、生け贄(にえ)を探していたわけだ。抑圧的な思考は必ず暴力的な行動を招く。


 佐藤優が「イエスの教えを、ユダヤ教とは別のキリスト教であると定型化したのはパウロだ。従って、キリスト教の開祖はイエス・キリストであるが、開祖はパウロである」(『功利主義者の読書術』新潮社、2009年/新潮文庫、2012年)と指摘。これに対して苫米地はコンスタンティヌス大帝(1世)を開祖に挙げる。私は苫米地に一票。

世界の構造は一人の男によって変わった/『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ

 ここから苫米地は聖書の翻訳にまつわる問題を取り上げる。

 英語の「Virgin」に置き換えられたもともとのヘブライ語は「若い女性」という意味であり、イエスの処女懐胎が教義となったのは325年ニカイア公会議においてです。もともとヘブライ語で"almah"という単語が使われており、これは結婚適齢期の女性、もしくは新婚の女性を表す一般名詞です。これがギリシア語に訳される過程で、若い女性と処女の両方を意味する"ギリシア語略 (parthenos)"と訳されました。ニカイア公会議ではヘブライ語の元の言葉を無視してギリシア語の派生的意味合いの「処女」をわざわざ選んだのです。

 キリスト教の書き換え~上書き更新だ。宗教も歴史も常に「書き換え~上書き更新」を繰り返す。なぜなら脳のシステムがそのようにできているためだ。ただし、つながりやすさ=進歩ではないことに留意する必要がある。


 英語の聖書というのは、通常イギリス国教会の聖書です。KJV聖書といわれます。プロテスタントの聖書は英語で書かれたものであり、それ以外は正しい聖書ではないとさえ言えるのです。実はカトリックの聖書も英語の聖書はKJV聖書をベースにしています。

 この聖書を作成した人物は誰か?

 プロテスタントの英語聖書をつくったのは、スコットランド、イングランド、アイルランドを治めたジェームズ1世(チャールズ・ジェームズ・スチュアート)です。彼は1611年に、イギリス国教会の典礼に使うという理由から『欽定(きんてい)訳聖書』(KJV聖書)をつくりました。
 じつは『欽定訳聖書』が誕生する14年ほど前、ジェームズ1世は『デモノロジー』(悪魔学)という書物を著しています。この本は、先に紹介した『魔女に与える鉄槌』の系譜を汲(く)み、イギリスにおける魔女狩りの指南書の役割を果たしました。つまり、イギリスの魔女狩りを主導した王が、現代に受け継がれるイギリス国教会の聖書をつくったのです。


 権力者は聖書を巧妙に書き換えた。「汝殺すことなかれ」の"kill"を"murder"に置き換えた。ここから「神は"murder"は禁じても"kill"は禁じていない」との論理が生まれる。ただし第1回十字軍が1096-1099年であった歴史を踏まえると神の正義と暴力には元々親和性があったと考えてよかろう。欽定訳は暴力のギアをシフトアップした。

 私は昂奮を抑えることができなかった。アングロ・サクソン人の優位性を決定づけた理由が初めてわかったからだ。魔女狩りという同胞の大虐殺から『欽定訳聖書』が生まれ、アングロ・サクソン人の系譜はプロテスタント~ピューリタンの渡米~プラグマティズムへとつながる。

 世界覇権はローマ帝国から大英帝国に移ったが、そこからアメリカには移っていないような気がする。多分アメリカという国家そのものがメディアの役割を果たしているのだ。それゆえ王が存在しないのだろう。

 テンプル騎士団についても詳しく触れていて実に勉強になった。

「新しい媒体は必ず、人間の思考の質を変容させる。長い目で見れば、歴史とは、情報がみずからの本質に目覚めていく物語だと言える」(『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック:楡井浩一訳)。

現代版 魔女の鉄槌
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苫米地英人
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魔女狩りは1300年から激化/『魔女狩り』森島恒雄

2014-02-25

イギリス革命は税制改革に端を発している/『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平

 ・下位文化から下位規範が成立
 ・税金は国家と国民の最大のコミュニケーション
 ・イギリス革命は税制改革に端を発している
 ・憲法は慣習法

『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一
『消費税減税ニッポン復活論』藤井聡、森井じゅん

 イギリスこそがデモクラシーの元祖開山である。
 日本人は、大概こう思っている。
 その【イギリス革命は税制改革に端を発している】。
 1649年の清教徒革命。イギリス諸革命の中でも最初にして最も根本的(ラディカル)と言われる【清教徒革命は、1634年の建艦税(シップ・マネー)に始まった】。(中略)
 チャールズ1世は、絶対君主たる王の命令に依って、中世封建的税制を改革しようとした訳であった。
 が、この税制改革には、待ったが掛かった。
 地主達の猛反対に遭遇(そうぐう)する羽目(はめ)になったのであった。
 ジョン・ハムプデンは、20シリングの建艦税を支払う事を拒絶した。ハムプデンは、「建艦税は、違法なり」として、裁判所に訴えたのであった。
 過半数の判事は、王によって任命され、王の影響下にあった。建艦税は合法である。「非常の際に於いては、王の大権は制限を受ける事がない」
 こう判決が下った。
【この判決に、清教徒達は抗議した】。王の圧政に抵抗したと、ジョン・ハムプデンは、一躍英雄になった。
 この建艦税騒動が、1649年における清教徒革命の発端(ほったん)となったのである。

【『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹(ビジネス社、2012年)以下同/カッパ・ビジネス、1989年『消費税の呪い 日本のデモクラシーが危ない』・天山文庫、1990年『悪魔の消費税』を改訂・改題】

 もちろん税はきっかけであって、それだけでピューリタン革命が成ったわけではない。社会の歪みが税という形に極まり、民の怒りが沸点に達したのだろう。そして新しい思想(宗教)が興(おこ)る。

 先代のジェームズ1世の迫害から逃れたピルグリム・ファーザーズの渡米が1920年だから、ほぼ同時と見てよい。

 圧政や苛政は必ず税となって民を苦しめる。そして民の忍耐が限界に達すると革命が起こる。ただし日本の場合は江戸時代が長すぎて、黒船(=外圧)を待つ傾向が強い。

【清教徒革命のテーマは、「国民の同意抜きの税制改革には応じられない」ここにあった】。(中略)
 この際の【イギリス国民の同意とは、議会の議決と言う事である】。

 議会の議決にはこれほどの重みがある。ジョン・ハムデンはたった20シリングの税を拒むことでピューリタン革命の端緒を開いた。この4月から消費税は5%から8%にアップする。我々は3月までに駆け込みで大きな買い物を済ませ、4月から倹約するだけでよいのだろうか? 消費税は低所得者になればなるほど痛税感が高まる。その「痛み」を私が許した覚えはない。一方では法人税引き下げの検討が活発化している。孔子は政治を行う上で最も大切なものを「民信無くば立たず」と示した(『論語』)。立たねば倒れるのみ。

消費税は民意を問うべし ―自主課税なき処にデモクラシーなし―
小室直樹
ビジネス社
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2014-02-05

黒人奴隷の生と死/『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要


『奴隷船の世界史』布留川正博
『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス

 ・黒人奴隷の生と死

『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

キリスト教を知るための書籍

黒い怒り』(※W・H・グリアー、P・M・コッブズ:太田憲男訳、未來社、1973年)をもう一度引用してみよう。
「アメリカは、黒人は劣等であり、雑草刈りと水汲みのために生まれているとの仮説を身につけた生活様式、アメリカは民族精神、あるいは国民生活様式を築き上げたのである。この国土への新移民(もし白人ならば)はただちに歓迎され、豊富に与えられるもののなかには、彼らが優越感をもって対処することのできる黒人がある、というわけである。彼らは黒人を嫌い、けなし、また虐待し、搾取するように求められたのである。ヨーロッパ人にとって、この国が何と気前よく見えたであろうかは容易に想像し得るのである。即ち、罪を身代りに負う者がすでに備えつけられている国であったのである」
 この点まで理解できれば、われわれはもう一歩先へ進まなければならない。奴隷制度がそのように白人にも黒人にも、その後長い傷を与え続けている以上、奴隷制度そのものを、もっと実態に即して理解しなければならないだろう。それも、奴隷制度の存続をめぐる政治的対立とか、奴隷制度の経済的効用とかいったものではもちろんない。一個の人間が奴隷制度のなかで生まれ、奴隷として働かされ、まだ奴隷制度が全盛だった頃に死んでいったことの意味を、もっと理解しなければいけなのである。

【『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要〈さるや・かなめ〉(河出書房新社、1975年『生活の世界歴史 9 新大陸に生きる』/河出文庫、1992年)以下同】

 岸田秀が紹介していた一冊。『ものぐさ精神分析』か『続 ものぐさ精神分析』か『歴史を精神分析する』のどれかだったと思う。岸田の唯幻論は不思議なもので若くて純粋な時に読むと反発をしたくなるが、複雑な中年期だとストンと腑に落ちる。

 近代史の鍵を握るのは金融とアメリカ建国である。これが私の持論だ。

何が魔女狩りを終わらせたのか?

 特に第二次世界大戦以降の世界を理解するためにはアメリカの成り立ちを知る必要がある。稀釈されてはいるがキリスト教→プロテスタンティズム→プラグマティズムが先進国ルールといってよい。そしてアメリカはサブプライムショック(2007年)とリーマンショック(2008年)で深刻なダメージを受け、9.11テロ以降、以前にも増して暴力的な本性を世界中で露呈している。

 アメリカはインディアンから奪い、そして殺し、黒人の労働力で成り立った国だ。彼らが正義を声高に叫ぶのは歴史の後ろめたさを払拭するためである。彼らの論理によればアメリカの残虐非道はすべて正義の名のもとに正当化し得る。もちろん広島・長崎への原爆投下についても。それが証拠にアメリカは日本の被爆者に対して一度たりとも謝罪をしていない。

 奴隷制度は何も合衆国だけの占有物ではない、という反論もあるだろう。たしかに中南米のたいていの国にそれはあったし、ヨーロッパ諸国の多くも無関係ではなかった。しかし国内の奴隷所有勢力が奴隷を開放しようとする勢力と国論を二分して対立し、足かけ5年、両方あわせて60万人の人命を犠牲にするような大戦争に突入した国は、世界のなかでただアメリカ合衆国あるのみである。

南北戦争
南北戦争の原因
アメリカ合衆国の奴隷制度の歴史

 リンカーン自身が奴隷解放者であったわけではない。リンカーンはイギリスの南部支援を防ぐ目的で奴隷制度廃止を訴えたのだ。単なる政治カードであったことは、その後も黒人差別が続いた事実から明らかであろう。有名無実だ。また具体的には黒人を北部の兵隊とする目論見もあった。

 インディアンを虐殺し、黒人をリンチして木に吊るし、そして自国民同士が殺戮(さつりく)を行うことでアメリカはアメリカとなった。アメリカの暴虐はナチスの比ではない。

アメリカ合衆国の戦争犯罪

 次はどの国の人々が殺されるのだろうか? それが有色人種であることだけは確かだろう。


2014-01-30

ラス・カサスとフランシスコ・デ・ビトリア(サラマンカ大学の神学部教授)/『大航海時代における異文化理解と他者認識 スペイン語文書を読む』染田秀藤


 インディアスに滞在した経験のない学級の徒ビトリアは、征服者フランシスコ・ピサロがアンデス山中の高原都市カハマルカで策を弄してインカ王アタワルパを捕らえ、大勢のインディオを殺戮したことや、約束どおり身代金として莫大な量の金・銀財宝を差し出したアタワルパを絞首刑に処したことを知って、ペルー征服の正当性に疑義を表明し、1539年1月にサラマンカ大学で『インディオについて』と題する特別講義を行った。ビトリアはその講義で、征服戦争の実態に関する情報を頼りに、トマス・アキナス(ママ)の理論に依拠して、ローマ教皇アレキサンデ6世の「贈与大教書」をスペイン国王によるインディアス支配を正当化する権原とみなす公式見解に異議を唱えたばかりか、当時主張されていたそれ以外の正当な権原(皇帝による譲与、先占権、自然法に背馳するインディオの罪など)をことごとく否定した。しかし、彼はそれにとどまらず、独自の「万民法理論」をもとに、新しくスペイン人による征服戦争を正当化する七つないし八つの権原を導いた。さらに、ビトリアは征服戦争の行き過ぎを防ぐために、同年6月、場所も同じサラマンカ大学で『戦争の法について』という特別講義を行った。

【『大航海時代における異文化理解と他者認識 スペイン語文書を読む』染田秀藤〈そめだ・ひでふじ〉(渓水社、1995年)以下同】

 本書によればフランシスコ・デ・ビトリアは後に「国際法の父」と謳われる人物だ。戦争とは人間の残虐さを解放する舞台装置である。殺し合いが目的なのだから、非道な残虐行為が必ず行われる。何をしようが相手を殺せばわからない。味方の国であっても信用ならない。

「解放者」米兵、ノルマンディー住民にとっては「女性に飢えた荒くれ者」

 ノルマンディー上陸作戦は1944年のこと。インディアン虐殺はその400年前である。人類史の大半は残酷というペンキで塗られている。

 ラス・カサスは「1502年に植民者としてエスパニョーラ島に渡航(中略)1514年にエンコメンデロの地位を放棄してインディオ養護の運動に身を捧げてから修道請願をたててドミニコ会士になるまで(1522年)、二度にわたってスペインへ帰国し、当局にインディアスの実情を訴え、その改善策を献じた。

 そのラス・カサスが1540年に帰国した(8度目の航海)。この時の報告内容が1522年に発表された『インディアスの破壊についての簡潔な報告』の母胎となった。

ラス・カサスの立ち位置/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス

 不思議な時の符合である。閉ざされたキリスト世界から開かれた人間が登場したのだ。二人の存在はどのような環境に置かれようとも人間は自由になれることを教えてくれる。そして彼らが殺されなかった事実が歴史の潮目が変わったことを伝える。

 モトリニーアはスペイン人植民者の虐待からインディオを保護することに尽くしたが、征服戦争の犠牲となったインディオの死を「邪教を信じたことに対する神罰」と解釈し、むしろインディオが日々改宗していく様子に感激して、常に改宗者の数を誇らしげに記し、新しいキリスト教世界の建設に大きな期待を表明した。しかし、常にキリスト教化の名のもとにインディオが死に追いやられた事実の意味を問いつづけるラス・カサスはそのような歴史認識を抱くことができなかった。

 これが「普通の宗教的態度」であろう。信仰とは教団ヒエラルキーに額(ぬか)づいてひたすら万歳を叫ぶ行為だ。教団はサブカルチャー装置である。社会通念とは別の価値観を提供し、下位構造の中で競争原理を打ち立てる。更に教団内部でサブカルチャーを形成することで、信者に存在価値・役割・使命・生き甲斐を与えるのだ。資本無用のギブ・アンド・テイク。しかも黙っていてもお布施が入ってくるシステムだ。ああ、教祖になっておけばよかった。

目指せ“明るい教祖ライフ”!/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世

 罰(ばつ)や罰(ばち)を持ちだして人間の罪悪感に訴える宗教には要注意。「自分こそ正しい」と思い込んでいる彼らにこそ天罰が下されるべきだ。

 ラス・カサスとビトリアの言葉が世界を変えたかどうかはわからない。ただ私を変えたことは確かだ。

2013-12-02

天然痘と大虐殺/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス


『奴隷船の世界史』布留川正博
『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔

 ・ラス・カサスの立ち位置
 ・スペイン人開拓者によるインディアン惨殺
 ・天然痘と大虐殺

『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温

キリスト教を知るための書籍
必読書リスト その四

 神はその地方一帯に住む無数の人びとをことごとく素朴で、悪意のない、また、陰ひなたのない人間として創られた。彼らは土地の領主(セニョール)たちに対し、また、現在彼らが仕えているキリスト教徒たちに対しても実に恭順で忠実である。彼らは世界でもっとも謙虚で辛抱強く、また、温厚で口数の少ない人たちで、諍(いさか)いや騒動を起こすこともなく、喧嘩や争いもしない。そればかりか、彼らは怨みや憎しみや復讐心すら抱かない。この人たちは体格的には細くて華奢でひ弱く、そのため、ほかの人びとと比べると、余り仕事に耐えられず、軽い病気にでも罹(かか)ると、たちまち死んでしまうほどである。彼らは恵まれた環境の中で育てられたわれわれの君主や領主の子息よりはるかにひ弱く、農耕を生業とするインディオとて例外ではない。
 インディオたちは粗衣粗食に甘んじ、ほかの人びとのように財産を所有しておらず、また、所有しようとも思っていない。したがって、彼らが贅沢になったり、野心や欲望を抱いたりすることは決してない。

【『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス:染田秀藤〈そめだ・ひでふじ〉訳(岩波文庫、1976年/改訂版、2013年)】

 インディアンについては、あの殺戮者クリストファー・コロンブスでさえ称賛している。

侵略者コロンブスの悪意/『わが魂を聖地に埋めよ アメリカ・インディアン闘争史』ディー・ブラウン

 彼らはあまりにも善良で人を疑うことを知らなかった。白人が欲しい物は何でも与えた。そして殺された。

 インディアンと初めて遭遇した時、白人たちはたじろいだ。彼らの存在が聖書に書かれていなかったためだ。中世の西洋的思考ではキリスト教の神を信じない者は人間として認められなかった。

 ラス・カサスの言葉は逆説的だ。神がインディアンを創造したという前提で書かれているが、実はインディアンの善性が神の地位を押し上げているのだ。

 インディアン虐殺はピルグリム・ファーザーズから始まっていた。そしてインディアンの多くは白人たちがアメリカ大陸に持ち込んだ天然痘などの疫病(えきびょう)で死んだ。これが反ラス・カサス派の根拠となっている。具体的なデータを私は知らないので判断が難しいところだ。

 コロンブスは中米のインディアン諸部族を艦隊を率いて数年にわたり虐殺し、その人口を激減させた。インディアンたちを黄金採集のために奴隷化し、生活権を奪ったためにインディアンたちは飢餓に陥り、疫病が蔓延し、その数をさらに減らした。白人のもたらした疫病が中米のインディアンを減らしたのではない。コロンブスによる大量虐殺が、疫病によるインディアンの激減を招いたのである。

Wikipedia:インディアン戦争

 いわゆるジェノサイド“民族大虐殺”というヒットラーの殺した600万人のユダヤ人、イスラム教徒対ギリシャ政教のボスニア大虐殺等と変らない民族大虐殺が起きたのだ。

先住民族迫害史:アメリカ国立公園特集

 インディアン戦争は苛烈で、捕虜の殺害や、一般市民を攻撃目標にしたり、また他にも民間人への残虐行為が双方で見られた。今日でも知られている出来事としては、ピット砦のイギリス軍士官が天然痘の菌に汚染された毛布を贈り物にし、周辺のインディアンにこれを感染させようとしたことである。

Wikipedia:ポンティアック戦争

 パレスチナを侵略したイスラエルと同じ手口だ。その後白人たちは珍しい品物を与えることでインディアンの分断工作を図る。

 結局インディアンはヨーロッパ人の文明と歴史の前に敗れたといってよい。戦争はトリッキーなやり方で相手を騙した方が勝つ。これが孫子の兵法の極意だ。

兵とは詭道なり/『新訂 孫子』金谷治訳注

 もう一つの歴史の重要な機能とは、「歴史は武器である」という、その性質のことである。文明と文明の衝突の戦場では、歴史は、自分の立場を正当化する武器として威力を発揮する。

【『歴史とはなにか』岡田英弘(文春新書、2001年)】

歴史の本質と国民国家/『歴史とはなにか』岡田英弘

 その上ヨーロッパ人には合理的な宗教まであった。神を背景とした正義にインディアンたちが適(かな)うはずもない。文字を持たなかったアフリカ人も同じ運命を辿っている。

インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)
ラス・カサス
岩波書店
売り上げランキング: 49,059

2013-11-27

ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日本人


聖書と「甘え」 (PHP新書)

スペイン人開拓者によるインディアン惨殺/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス


『奴隷船の世界史』布留川正博
『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔

 ・ラス・カサスの立ち位置
 ・スペイン人開拓者によるインディアン惨殺
 ・天然痘と大虐殺

『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温

キリスト教を知るための書籍
必読書リスト その四

 ラス・カサスの報告書はスペインに反感を抱く連中に政治利用される。それは「黒い伝説」となって欧州を席巻した。

黒い伝説
アメリカの古典文明~スペインの黒い伝説
ラス・カサス著「インディアスの破壊についての簡潔な報告」:千田孝之
「インディアスにおける福音宣教 多様な問題に関する宣教師たちの見解の相違」谷川義美(PDF)

 この他「自虐史観は国を衰亡させる」(藤岡信勝公式サイト)も参照したが印象のみで具体的な事実を欠いている。

 本書を翻訳した染田秀藤の見解については千田氏が紹介している。尚、谷川氏のテキストは長文のため私はまだ部分的にしか目を通していない。「ユカイ文書」も検索してみたが情報らしい情報が見当たらなかった。

 個人的には16世紀のキリスト世界で宣教師がデタラメを報告できるとは考えにくい。折しも魔女狩りの嵐が吹き荒れた時代である。スペインはカトリック国であったためドイツやフランスほどの惨状ではなかったが、中世ヨーロッパの公共がキリスト教会であった事実を思えば藤岡の指摘は的外れであろう。

 またラス・カサス以前にインディアンに対するスペイン人の非道を指摘した人物が存在した。そしてラス・カサスが良心の呵責を覚え、改心に至るまで2年ほどの歳月を要したことにも心をとどめる必要がある。それはまさしくラス・カサス本人がインディアンを人間として見つめることができるようになった期間を示すものだろう。

 征服(コンキスタ)は死罪に値いする大罪であり、恐しい永遠の責め苦を負うのにふさわしい企てであります。

【『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス:染田秀藤〈そめだ・ひでふじ〉訳(岩波文庫、1976年/改訂版、2013年)以下同】

 この一言が同胞を敵に回すことは重々覚悟の上で彼はペンを執(と)ったに違いない。どちらが神意にかなっているか勝負を決そうではないか、との気魄が伝わってくる。

 ラス・カサスがアメリカで目の当たりにした光景は凄惨を極めた。

 インディオたちの戦いは本国〔カスティーリャとレオン本国〕における竹槍合戦か、さらには、子供同士の喧嘩とあまり変りがなかった。キリスト教徒たちは馬に跨り、剣や槍を構え、前代未聞の殺戮や残虐な所業をはじめた。彼らは村々へ押し入り、老いも若きも、身重の女も産後間もない女もことごとく捕え、腹を引き裂き、ずたずたにした。その光景はまるで囲いに追い込んだ子羊の群を襲うのと変りがなかった。
 彼らは、誰が一太刀で体を真二つに斬れるかとか、誰が一撃のもとに首を斬り落とせるかとか、内蔵を破裂させることができるかとか言って賭をした。彼らは母親から乳飲み子を奪い、その子の足をつかんで岩に頭を叩きつけたりした。また、ある者たちは冷酷な笑みを浮べて、幼子を背後から川へ突き落とし、水中に落ちる音を聞いて、「さあ、泳いでみな」と叫んだ。彼らはまたそのほかの幼子を母親もろとも突き殺したりした。こうして、彼らはその場に居合わせた人たち全員にそのような酷い仕打ちを加えた。  さらに、彼らは漸く足が地につくぐらいの大きな絞首台を作り、こともあろうに、われらが救世主と12人の使徒を称え崇めるためだと言って、13人ずつその絞首台に吊し、その下に薪をおいて火をつけた。こうして、彼らはインディオたちを生きたまま火あぶりにした。また、インディオの体中に乾いた藁を縛り、それに火をつけて彼らを焼き殺したキリスト教徒たちもいた。

 何たる無残。事実は小説よりも奇なり。そして小説よりも恐ろしいのだ。人間は面白半分で人殺しができる動物なのだ。

(※火あぶりにされた)彼らは非常に大きな悲鳴をあげ、司令官(カピタン)を悩ませた。そのためか、安眠を妨害されたためか、いずれにせよ、司令官(カピタン)は彼らを絞首刑にするよう命じた。ところが、彼らを火あぶりにしていた死刑執行人(私は彼の名前を知っているし、かつてセビーリャで彼の家族の人と知り合ったことがある)よりはるかに邪悪な警吏(アルグワシル)は絞首刑をよしとせず、大声をたてさせないよう、彼らの口の中へ棒をねじ込み、火をつけた。結局、インディオたちは警吏(アルグシワル)の望みどおり、じわじわと焼き殺されてしまった。
 私はこれまでに述べたことをことごとく、また、そのほか数えきれないほど多くの出来事をつぶさに目撃した。キリスト教徒たちはまるで猛り狂った獣と変らず、人類を破滅へ追いやる人びとであり、人類最大の敵であった。

Bartolomedelascasas

 キリスト教徒たちは彼らを狩り出すために猟犬を獰猛(どうもう)な犬に仕込んだ。犬はインディオをひとりでも見つけると、瞬く間に彼を八つ裂きにした。また、犬は豚を餌食にする時よりもはるかに嬉々として、インディオに襲いかかり、食い殺した。こうして、その獰猛な犬は甚だしい害を加え、大勢のインディオを食い殺した。
 インディオたちが数人のキリスト教徒を殺害するのは実に稀有なことであったが、それは正当な理由と正義にもとづく行為であった。しかし、キリスト教徒たちは、それを口実にして、インディオひとりがひとりのキリスト教徒を殺せば、その仕返しに100人のインディオを殺すべしという掟を定めた。

 暴力は人類の業病(ごうびょう)なのか。魔女狩り、黒人奴隷、そしてインディアン虐殺……。ヨーロッパの暴力はキリスト教に由来しているとしか考えようがない。そのヨーロッパ文明が先進国基準である以上、世界はいつまでも戦争の連鎖にのた打ち回ることだろう。

 平和的な民族は淘汰される運命にある。これ以上の歴史の皮肉があるだろうか。私が人権という概念を信じないのは、それが殺戮者であるヨーロッパ人によってつくられたものであるからだ。

インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)
ラス・カサス
岩波書店
売り上げランキング: 49,059

2013-11-23

ラス・カサスの立ち位置/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス


『宗教は必要か』バートランド・ラッセル
『奴隷船の世界史』布留川正博
『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔

 ・ラス・カサスの立ち位置
 ・スペイン人開拓者によるインディアン惨殺
 ・天然痘と大虐殺

『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温

キリスト教を知るための書籍
必読書リスト その四

 カスティーリャの国王が神とその教会からあの大きな数々の王国、すなわち、インディアスという広大無辺な新世界を委ねられましたのは、その地に済む人びとを導き、治め、改宗させ、現世においても来世においても彼らに幸福な生活を送らせるためにほかなりません。しかるに、それらの王国に済む人びとは同じ人間が手を下したとは想像もつかないような悪事、圧迫、搾取、虐待を蒙ってまいりました。いと強き主君、私は50年以上にわたりその地でそれらを目撃してまいりました。それゆえ、とりわけそのうちのいくつかの行為を申し上げれば殿下は必ず陛下に対し、無法者たちが策略を弄してたえず行いつづけているいわゆる征服(コンキスタ)という企てを今後いっさい許可されないよう懇請していただけるものと確信しております。

【『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス:染田秀藤〈そめだ・ひでふじ〉訳(岩波文庫、1976年/改訂版、2013年)】

 キーが重い。気安く書くわけにはいかないためだ。私がもたもたしているうちに改訳版が刊行されていた。タイトルが広く知られていると、「ま、いつでも読めるよな」とか「今更俺が読んでも……」などと思いがちだ。挙げ句の果てには「読んでしまった」ような錯覚に至ることもある。ソクラテス、トルストイ、ドストエフスキー、夏目漱石……そして岩波文庫だ。

 インディアンの言葉を編んだものを数冊読み、その散漫極まりない編集に業を煮やし、「そろそろ本気を出すか」と意気込んで本書を開いた。寝しなに読むのは避けるべきだ。悪夢にうなされたくなければ。

 ルワンダを軽々と凌駕する大虐殺の歴史だ。アメリカに巣食う暴力の根は「アメリカ大陸発見」の時から地中に深く分け入ったのだ。ヨーロッパ人は元々「魔女狩り」と称して同胞を焼き殺すような連中である。世界の果て(※ヨーロッパから見た世界観)に存在した異邦人は化け物と変わりがなかった。

コロンブスによる「人間」の発見/『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世

 しかもキリスト教の狭い世界観にインディアン(中国を始めとするアジア人も)は含まれていなかった。

 話はいささかそれるかもしれませんが、ここで日本人がいつから奴隷になったのか、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
 近代の奴隷制は、東インド会社の設立にその起源を求めることができます。ことは非常に単純で、奴隷制はもともと、人間とは何かという定義から始まりました。その経緯はおおよそ次のようなものです。
 現在ではカトリックといえば博愛主義の代名詞で、バチカンは世界の戦争や差別をなくす中心的な役割を果たす機関となっています。ところが中世の頃のバチカンはそうではなかったのです。
 1600年、インドに渡ったヨーロッパの貿易商は肌の黒いインド人を見て、同行した神父にこう訊ねました。「この肌の黒い人は人間ですか?」。その神父はその場で答えを出さず、バチカンにその回答を求める質問状を送るのですが、ずいぶんして戻ってきた返書には「人間ではない」としたためてありました。その理由は“キリスト教徒ではないから”というものです。
 アフリカに渡ったときも、同じ手続きが踏まれました。商人から同じことを訊かれた神父が、やはりバチカンに、人間かどうかの判断を仰ぐ質問状を送っているのです。すると、こちらも「人間ではない」という回答がきちんと送ってきました。そういう記録が残っているというのです。
 こうした当時のバチカンの判断によって、奴隷制が始まったと言われています。魔女狩りや異端審問がピークの時代です。東インド会社が行った最大の交易は、人身売買ですが、その背景にはキリスト教徒でない者は人間ではなく奴隷であるという判断があったわけです。
 このことは、日本の場合にも当てはまると思います。
 戦国時代、日本は海外から鉄砲の調達を始めました。織田信長がその近代兵器を駆使して勝利を収めたことは有名ですが、そのためには高性能の火薬、つまりガンパウダーが必要になります。当時のガンパウダーの値段はどのようにつけられていたかというと、一樽につき、娘50人です。織田信長の時代から戊辰戦争の時代まで、鉄砲隊のガンパウダーは、日本人の若い女性を海外に売ることで調達したのです。
 この事実は、裏を返せば、日本人の人身売買を行うにあたり、日本人は「人間ではない」というお墨付きがあったということになります。もし、人間を売買したとなると、キリスト教の教義に違反し、たいへんなことになります。しかし人間ではないから、鉄砲を求める戦国武将との間で、売買が成立したわけです。そのため、当時、大量の日本人の娘がヨーロッパに売り渡されたという記録が残されています。
 つまり日本における奴隷制は、鉄砲隊がその引き金を引くと同時に始まったと考えることができるわけです。

【『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(ビジネス社、2008年)】

 これが近代の現実である。ヨーロッパにとって世界とは聖書に書かれたことがすべてだった。そして聖書の解釈権はヴァチカンが握っていた。神に従うことはヴァチカンに従うことであった。インディアンと中国人(なかんずく中国文化)の存在がヨーロッパを揺るがした。全知全能の神もふらついたことだろう。

「インディアス」とはインドのことだ。クリストファー・コロンブスの第二次航海に参加したラス・カサスは、当然コロンブス同様アメリカ大陸をインドだと思い込んでいた。「新大陸」であることに気づいたのはアメリゴ・ヴェスプッチであった。で、彼の名前から「アメリカ」と命名されたわけだ。

 バルトロメ・デ・ラス・カサスはカトリックの司祭であった。しかもインディアンの奴隷を所有していた。彼は宣教目的でアメリカに渡ったわけだから、インディアンを布教対象としてしか考えてなかったことだろう。そうでありながらも彼はインディアン虐殺をじっと見ているわけにはいかなかった。ここに彼の自由な魂がある。

 時代の流れを自覚することは難しい。地球の自転や公転を意識できないのと一緒だ。時代の常識に逆らうことは勇気を必要とする。激しい毀誉褒貶(きよほうへん)を覚悟しなくてはならない。元々コミュニティには進化的な優位性がある。「皆と同じ」にすることで生存率が高まるのだ。ゆえに勇気をもって異を唱えることは時に死を意味した。諫言。

 一読後、私は思った。「ラス・カサスの名を冠した人道賞を設けるべきだ」と。彼こそは善きサマリア人であった。そして虐殺者の一員であることを断固として拒んだのだ。

 ラス・カサスは68歳で大著『インディアス史』を書き始める。

インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)インディアス史〈1〉 (岩波文庫)インディアス史〈2〉 (岩波文庫)インディアス史〈3〉 (岩波文庫)

インディアス史〈4〉 (岩波文庫)インディアス史〈5〉 (岩波文庫)インディアス史〈6〉 (岩波文庫)インディアス史〈7〉 (岩波文庫)

ラス・カサスとフランシスコ・デ・ビトリア(サラマンカ大学の神学部教授)/『大航海時代における異文化理解と他者認識 スペイン語文書を読む』染田秀藤
侵略者コロンブスの悪意/『わが魂を聖地に埋めよ アメリカ・インディアン闘争史』ディー・ブラウン
虐殺者コロンブス/『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編
米軍による原爆投下は人体実験だった/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
欽定訳聖書の歴史的意味/『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人
集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ
残酷極まりないキリスト教/『宗教は必要か』バートランド・ラッセル

2013-11-10

読後の覚え書き/『カルト脱出記 エホバの証人元信者が語る25年間の記録』佐藤典雅


『幸福の科学との訣別 私の父は大川隆法だった』宏洋
エホバの証人の輸血拒否

 ・読後の覚え書き
 ・子供を虐待するエホバの証人

『良心の危機 「エホバの証人」組織中枢での葛藤』レイモンド・フランズ

エホバの証人批判リンク集

 私は若い頃からエホバの証人とは幾度となく接してきた。二十歳の時、長老と思しきオッサンを完膚なきまでに論破したのが最初であった。爾来、40人前後のエホバとやり取りしてきた。エホバの書籍も読んだが負けることはなかった。あらゆる宗教はその「信ずる行為」において必ず合理性から飛躍せざるを得ない。そこに致命的な誤りがある。厳密な知的検証に耐えられるのは初期仏教のみであろう。

 エホバの証人で活動している多くは女性である。伝道に時間的ノルマを課せられているためだ(詳細は「エホバの証人の組織構造」を参照せよ)。私は真面目で真摯な彼女たちに対してかなり好感を抱いていた。ただし八王子で接した連中はかなりレベルが低かった。本書によれば地域によっては高齢化が進み、士気の低下が著しいとのこと。そう。いかなる組織も日本社会の縮図であることを避けようがないのだ。

 宗教に翻弄される一家の姿が鮮やかに描かれている。徹底した活動と研鑚がやがて懐疑に至る。大多数の信者はアイデンティティの欠如を教団への忠誠心で補っているだけだ。これはどこも一緒だ。彼らの脆弱な自我は「疑う」ことを知らず、安易に世間を批判し、裏切り者を叩くことで歪んだ自己満足を覚えるのだ。

 佐藤は懐疑を手放さなかった。自分の頭で考え抜いた。そして知性が感情をリードした瞬間に洗脳は解けた。過去の自分が「見えた」。

 それにしても児童虐待の件(くだり)は酷い。親同士は教会で虐待を奨励し合い、具体的な手法まで情報交換するという。この一点を取り上げても邪教といってよいだろう。

 神に関わる人間と戦争に関わる人間は妙に似ているな。

【『ブラッド・メリディアン』コーマック・マッカーシー:黒原敏行訳(早川書房、2009年)】

 布教は宣教であり形を換えた戦争なのだ。そしてキリスト教の歴史は暴力と血で染まっている。


 殆どの教団は憎悪生産装置として作動する。

大田俊寛と佐藤剛裕の議論から浮かんでくる宗教の危うさ


 やはりダニエル・C・デネットがいうように宗教とはウイルスである可能性が高い。以下のページでアリとカタツムリを支配するゾンビのような菌類の動画を紹介しているので参照されよ。

ウイルスとしての宗教/『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット

 しかも菌類が寄生することで昆虫たちは「長生き」できるのだ。

 佐藤は上品な家庭で育ったせいか、かなり脇が甘い。母親に対して一切の反撃を控えてきた。本書を丹念に読んでゆくと後半にその答えがすべて書かれている。

 なかんずく教団離脱後のアイデンティティ・クライシスが象徴的だ。エホバはコミュニティとしての機能はあるが人材を育成する組織的機能を欠く。つまりコミュニケーションによって自分を磨く術(すべ)がないのだ。

 だから江原啓之〈えはら・ひろゆき〉の本なんぞに手を出すのだろう。そこで『スッタニパータ』かクリシュナムルティに進めば悩む必要はなかったはずだ。すなわちそれまでの価値観が本の選択をも左右するのだ。

蛇の毒/『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
宗教とは何か?/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ



 懐疑から否定が生まれる。だが実はそこで自分が高みを目指しているのか、それとも単なる逃避に向かうが問われるのだ。佐藤は宗教をプラグマティックに考えているようだがそれは誤りだ。なぜなら効用と合理性は異なるからだ。


 佐藤がエホバの証人を批判しつつも、その批判から離れることができればアイデンティティの問題なんぞ雲散霧消するであろう。

 などとケチをつけたところで本書が良書である事実に変わりはない。amazonの宗教カテゴリーで1位というのも頷ける。

 尚、「物語の装置」としてはエホバの証人であろうと創価学会であろうと共産党であろうとボランティアであろうと一緒だ。


ノリブロ - 持論自論ブログ(佐藤典雅)



【付記】佐藤がジョン・コールマン著『300人委員会』を読んでいながら、『ZEITGEIST(ツァイトガイスト) 時代精神』を知らないのは情報収集の仕方に問題があると言わざるを得ない。私はここからクリシュナムルティに至ったのだ。

2013-09-30

「神々の沈黙」つながり


 同じ日にこんなツイートがあったとは知らなかった。ま、単なる偶然だ。



 神秘時代のクリシュナムルティは「右脳の季節」を過ごしたのだろう。そして言葉を手繰り寄せ、言葉を突き放し、「ただありのままに見つめる」ことを説いた。ここに中道がある。キリスト教文明はテキスト(聖書)を拠り所としてロジックへと傾く。2000年が経過し、その左脳世界がいよいよ行き詰まっているように感じてならない。

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

2013-07-10

TVドラマ「HEROES」に見るキリスト教の影響

HEROES

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 で、結局見ました。最後まで。この文章を書くためにね。

 私がこのドラマを見た目的はアメリカ社会におけるスピリチュアリズムの影響を探ることであった。直ぐに気づいたのは超能力者を見る眼差しが日米で異なる事実であった。日本の場合は2ちゃんねらーがよく書く「ネ申」は人間を超越して神に近づく意味であると思われるが、アメリカの場合は明らかに「神の使い」すなわち天使的要素が強い。つまり神と超能力者の間に働くベクトルが正反対なのだ。

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 これがわかるとドラマは俄然キリスト教臭さを増す。カンパニーが教会で、サイラーは悪魔だ。クレアの父ノア・ベネット(※方舟建造者と同じ名前)は教会の忠実な僕(しもべ)。ネイサンとピーター兄弟はカインとアベル。ファイナル・シーズンに登場するカーニバルはジプシーを思わせるが位置的にはユダヤ人だろう。主役級の能力者(※ドラマ中で超能力者という言葉は使用されていない)であるピーターとクレアはイエス役を務める。

 日本人からするとドラマは終始、支離滅裂な展開となっている。もちろんキリスト教の支離滅裂ぶりに起因するものだ。物語は破綻をきたし、結局打ち切りとなったようだ。

 超能力への憧れ自体がアメリカ社会の行き詰まりを示している可能性は高い。経済的困窮が続くと人は英雄を待望するようになるものだ。

HEROES / ヒーローズ

Heroes

Heroes

2013-02-08

アイルランド首相、被害女性に謝罪=奴隷労働施設送りに国家関与


【ダブリンAFP=時事】カトリックの国アイルランドで1922~96年、1万人以上の女性が奴隷労働をさせられていた「マグダレン修道院事件」について、調査委員会が収容者の4分の1以上は国家の手で送り込まれていたと結論付けた。これを受けケニー首相は5日、議会で謝罪した。
 マグダレン修道院に収容されたのは、未婚の母をはじめ、カトリックの教義を厳格に解釈し「堕落している」とみなされた女性たち。マカリース前大統領の夫マーティン・マカリース上院議員率いる調査委が2011年に発足し、国家の関与を調べていた。
 その結果、福祉事務所や学校、司法機関が修道院送りに介在していたことが判明。ケニー首相も「さまざまな経緯で女性たちは収容されたが、うち26%は国家が関与する形でマグダレン修道院に送られていた」と認めた。

時事ドットコム 2013-02-08

マグダレンの祈り (ヴィレッジブックス)マグダレンの祈り [DVD]

2012-11-25

イスラエル・エルサレムの聖墳墓教会 水道料金未納で銀行口座凍結


 イスラエル・エルサレムの旧市街にある聖墳墓教会が900万シェケル(約1億8600万円)の水道料金未納のため銀行口座を凍結され、聖職者らへの報酬が払えず、閉鎖の危機に直面している。

 4日までに、英BBCが伝えた。キリストの処刑場跡に建てられたとされる教会は、「エルサレム当局が水道料金の免除を認めた」としているが、水道会社は「法律上、免除はありえない」と15年分の料金の支払いを求めている。

MSN産経ニュース 2012-11-05

Church of the Holy Sepulchre

Jerusalem- Church of the Holy Sepulcher

Jerusalem - The church of the holy sepulcher

Jerusalem- Church of the Holy Sepulcher

Church of the Holy Sepulchre, Jerusalem, Israel

2012-09-19

キリストの発言記したパピルス片発見、「私の妻は」の記載


 米ハーバード大学の研究者が18日、イタリア・ローマで開かれた学会で、キリストの妻についての発言を記載した古いパピルス片が見つかったと発表した。

 発表を行ったのはハーバード大学神学校のカレン・キング教授。パピルスの紙片は縦3.8センチ横7.6センチほどの大きさで、エジプトのキリスト教徒が使うコプト語の文字が書かれている。この中に、「キリストは彼らに向かい、『私の妻が…』と発言した」と記された一節があった。

 紙片は個人の収集家が所蔵していたもので、2011年にハーバード大学に持ち込まれ、キング教授が調べていた。ニューヨーク大学の専門家に鑑定を依頼した結果、本物のパピルスであることが確認されたという。

 キング教授によると、内容はキリストと弟子との対話を記録したものとみられ、2世紀半ばごろに書かれたとみられる。表裏の両面に文字が書かれており、書物の1ページだった可能性もあるという。

 ただしこの紙片は、キリストが結婚していたとする説を裏付ける証拠にはならないとキング氏は指摘する。一方、キリストが未婚だったことを裏付ける証拠もないといい、キング氏は記者会見で「キリストが結婚していたかどうかは分からないという立場は、以前と変わっていない」と強調した。

 聖書には、キリストの結婚について触れたくだりは存在しない。しかし結婚していたとする説は以前からあり、聖書に登場する「マグダラのマリア」が妻だったとする説は、ヒット小説「ダ・ヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン著)でも利用された。

CNN 2012-09-19

papyrus

ダ・ヴィンチ・コード(上) (角川文庫) ダ・ヴィンチ・コード(中) (角川文庫) ダ・ヴィンチ・コード(下) (角川文庫)

2012-09-11

バートランド・ラッセル「神について」


 バートランド・ラッセルは論理学、数学、哲学の泰斗。かつて投獄されたこともあった。1950年、ノーベル文学賞を受賞。ラッセル=アインシュタイン宣言でも知られる。

 動画を見ると明らかに落ち着きがない。多分、アインシュタインと同じくAD/HD(注意欠陥・多動性障害)であったのだろう。世間の価値観を疑うことを知らぬ女性ホストの方が堂々としており、妙なアンバランス感がある。



宗教は必要か

哲学入門 (ちくま学芸文庫)ラッセル幸福論 (岩波文庫)怠惰への讃歌 (平凡社ライブラリー)神秘主義と論理

読後の覚え書き/『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』佐藤典雅
バートランド・ラッセル

2012-09-05

ローマ法王候補、死の前にバチカン批判「儀式仰々しい」


 バチカン(ローマ法王庁)の改革派で、法王候補にも挙げられたマルティーニ枢機卿が亡くなり、ミラノの大聖堂(ドゥオーモ)で3日、葬儀が営まれた。最後となったインタビューが死の翌日に報じられ、「教会は200年ほども時代から取り残された。官僚組織が肥大化し、儀式と服装ばかりが仰々しい」と現在のバチカンを厳しく批判していた。

 枢機卿は8月31日、85歳で死去した。持病のパーキンソン病が悪化していたという。率直で分かりやすい語り口で、伊国民に広く愛され、葬儀には聖堂内外に約2万人が集った。葬儀前の週末にはモンティ首相らを含め、約15万人が聖堂に足を運んだという。

 伊北部トリノ生まれ。日本での布教を夢見てイエズス会の聖職者となり、1980年から2002年まではミラノ大司教を務めた。生殖医療や離婚の是非、避妊具の使用に柔軟な姿勢を示し、他宗教との対話にも積極的だった。

朝日新聞デジタル 2012年9月4日

2012-07-19

コペルニクスを非難したマルティン・ルター/『黒体と量子猫』ジェニファー・ウーレット


『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン

 ・かつて無線は死者との通信にも使えると信じられていた
 ・コペルニクスを非難したマルティン・ルター

 1514年、ある匿名の手書きの小冊子が数人の特定の天文学者たちのあいだで回覧されるようになる。その全員がコペルニクスの個人的な友人で、つまり作者は彼本人だった。“小解説”(あるいはラテン語で「コメンタリオス」)として知られるこの冊子には、コペルニクスの新しい宇宙モデルが展開されている。太陽が中心に位置し、地球やほかの惑星がそのまわりを巡っていた。これは太陽の“動き”の年周期を説明していた。当時知られていた六つの惑星すべての並びを正確に測定――水星、金星、地球、火星、土星、木星――し、星の位置の見かけが変化するのは、実際には地球そのものが回転しているために起きる、と結論づけた。最終的に、惑星の明らかに逆行した動きは、動く地球の上からそれを観察しているから起こる、と主張した。こうした原理が『天球の回転について』の基礎を形作った。

【『黒体と量子猫』ジェニファー・ウーレット:尾之上俊彦、飯泉恵美子、福田実訳(ハヤカワ文庫、2007年)】

「コメンタリオス」は「コメンタリオルス」という表記もあるようだ。そして『天球の回転について』(『天体の回転について』とも)が刊行されたのが1543年のこと。コペルニクスは同年に死去する。彼が不本意に過ごしたであろう30年間を思わずにはいられない。

 西洋中世における教会はかように恐ろしい存在であった。そりゃそうだ。魔女の烙印を押されれば直ちに焚殺(ふんさつ)されてしまうのだから。コペルニクスやガリレオ・ガリレイ(1564-1642年)を臆病者と謗(そし)るのは見当違いの了見だ。むしろ人間の思考や興味が「神を超越した」ことに喝采を送るべきだろう。

 多くの者にとって、これは地球は動かないということを意味した。プロテスタントの改革者マルティン・ルターが1539年にコペルニクスを非難し――『天球の回転について』はまだ出版されていなかったが、「小解説」は出回っていた――こうぶちまけた。「この愚か者は天文科学すべてをひっくり返したいのだ! しかし聖書が教えるように、ヨシュアは太陽に進みをとめるようにいったのであって、地球にではない」。聖書の解釈がまちがっているかもしれないという考えが、教会指導者たちには浮かぶはずがないのは明らかだった。

 ヨシュアとはカナン人の大量虐殺を行った指導者である。宗教改革はルターが「聖書に帰れ!」と抗議(プロテスト)したことに由来する。実際は教会改革であったこの運動は当然の如く原理主義的色彩に染め上げられた。

マルティン・ルターが生まれた日

 ルターが怒りの矛先をコペルニクスへ向けたのは便秘と関係があったのかもしれぬ。彼はコペルニクスにではなく便器にぶちまけるべきであった。

 宗教は人間を盲目にする。強い信念が視点を固定化する。独断的な説をドグマと称するが、ドグマには教義・教理の意味もある。教義に基づく宗教は、人間を教義という鋳型(いがた)にはめ込み、同じ規格の人間を製造する。

 

革命の出版:コペルニクスの地動説
コペルニクス
ニコラウス・コペルニクス
「天球の回転について」について
天球回転論(コペルニクス)
高橋憲一訳・解説『コペルニクス・天球回転論』みすず書房,1993年の目次