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2014-03-10

古代イスラエル人の宗教が論理学を育てた/『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
『小室直樹の資本主義原論』小室直樹
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹

 ・古代イスラエル人の宗教が論理学を育てた

『日本人のための憲法原論』小室直樹

 近代数学はギリシャに始まった。ギリシャの優れた論理学と結びついたからである。ギリシャの論理学は、アリストテレス形式論理学に結実した。しかし、完璧(かんぺき)な形式論理学を人類精神として成果させたのは、古代イスラエル人の宗教であった。
 古代イスラエル人の宗教(のちのユダヤ教)は、「神は存在するのか、しないのか」の問いかけから始まる。それが、古代ギリシャ人の人類の遺(のこ)した「存在問題」に発展して、完璧(かんぺき)な論理学へと育っていったのであった。

【『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹(東洋経済新報社、2001年)以下同】

 ぶっ飛んでる。数学本の書き出しがこれだ。「論理」というターム(学術用語)でいきなり数学と宗教を結びつける。知的な掘削作業が異なる世界の間にトンネルを掘る。ひとつ穴を開ければ地続きの大地が広がる。言われてみればあっさりと腑に落ちる。神の存在問題が真偽や証明に関わってくるためだ。

 小室の鋭い指摘は人類の知能が進化する様相を彷彿(ほうふつ)とさせる。

 日本人ははじめ何となく「論理」といってもピンと来(き)にくいが、実は論理こそ数学の【生命】(いのち)なのである。
「論理」という字は漢字であるが、この言葉は西洋からきた。英語で logic' ドイツ語で Logik' フランス語で logique という。その源は logos(ロゴス)である。
 キリスト教に身近い人ならば、「はじめにロゴスあり」(「第一ヨハネ書」)という言葉を思い出すであろう。すべてのはじめにはロゴスがあって、神はロゴスから天地を創造したもうた、というのである。「ロゴス」とは、もともと、神の言葉、神そのもの、神の子イエス、……などという意味である。それが「論理」という意味になっていくのであるが、「論理」とは【論争のための方法のこと】を指す。
 それでは、一体、誰(だれ)と論争をするのか。人と人との論争、と読者は思われるであろうが、究極的には「神と人との論争」なのである。

 キリスト教のロジックについては以下を参照せよ。

教条主義こそロジックの本質/『イエス』R・ブルトマン

 たぶん多種多様な人種や民族の存在が論理を必要としたのだろう。ヨーロッパの血塗られた歴史は魔女狩りを挟んで20世紀まで続いた。「ヨーロッパにおいて戦争がなかった年は、16世紀においては25年、17世紀においてはただの21年にすぎなかった」(『戦争と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト:金森誠也〈かなもり・しげなり〉訳:論創社、1996年/講談社学術文庫、2010年)。

 このように古代イスラエル人の宗教からユダヤ教に至るまでは、神と人間との論争を機軸(きじく)として進歩してきたゆえに、論争は極限まで進んでいった。
 ここに、イスラエルの宗教が機軸(きじく)となって論理学を限りなく育てて、論理学を数学に合体させ、無限の発展の可能性をはらんだ秘密がある。
 論理と数学との合体は、古代ギリシャにおいて実現される。これこそ実に、世界史における画期(かっき)的大事件であり、数学の無限の発達を保証するものであった。

 神と人間との関係は「契約」にとどまらず「論理」をも生んだ。そして古代イスラエルの宗教的価値観はキリスト教に受け継がれ、現代世界を席巻しているわけだ。この世界を変えるためには「新しい宗教的価値観」を示す必要がある。

 論証性の欠如(けつじょ)は、何も中国数学だけの特徴(とくちょう)ではない。後述するユークリッド幾何学(きかがく)以外の数学は、みな論証性が欠如(けつじょ)していたといっても過言ではない。このことに関する限り、ある意味では大変発達した古代の諸高度文明における数学も大同小異であった。つまり、論証性が欠如(けつじょ)しているほどであったから、一貫(いっかん)した体系的論理はあり得なかった。
 一貫(いっかん)した体系的論理を誕生させ、これと結びついたこと。これこそ、数学諸科学の王となり、これらを制御(せいぎょ)し、その下に発展させた理由である。

 中国に歴史はあった(『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘)が論理はなかった。黄色人種しか存在しない東アジアで重んじられるのは「道理」であった。ここに「天」と「神」の根本的な思想的差異がある。天の定めは神が下した運命とは異なる。

 東洋と西洋の概念の違いを岡田英弘が明快に説いている。

 誤訳の例で言うと、先にも書いたが、「革命」という術語は、中国では本来、天が地上支配の命令を引っこめることなのだけれども、これを「レヴォリューション」の訳語に当てる。「レヴォリューション」は「ころがしてもとへ戻す」という意味で、「回転」ならいいが、「革命」とは訳せない。
 ローマの「アウグストゥス」(augustus)を「皇帝」と訳するのも誤訳で、「アウグストゥス」の実体は「元老院の筆頭議員」だった。中国には元老院はないから、「皇帝」は「アウグストゥス」の同義語ではない。
「フューダリズム」(feudalism)を「封建」と訳するのも、ひどい誤訳だ。秦の始皇帝以前の中国では、首都から武装移民が出ていって、新しい土地に都市を建設し、独自の政治生活を始めることが「封建」だった。のちには、皇帝が派遣した軍隊の司令官が、都市に駐屯して、その一帯を支配し、その地位を世襲することを「封建」と言うようになった。ところが日本人は、「封建」を「フューリダリズム」に当てはめてしまった。

【『歴史とはなにか』岡田英弘(文春新書、2001年)】

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2014-02-27

憲法は慣習法/『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平

 ・下位文化から下位規範が成立
 ・税金は国家と国民の最大のコミュニケーション
 ・イギリス革命は税制改革に端を発している
 ・憲法は慣習法

『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一
『消費税減税ニッポン復活論』藤井聡、森井じゅん

 アメリカの例でも明らかであるが、また、ヒットラーも同じである。
 ヒットラーは4年(全権委任法で定められた期間)経っても、権力を国民に還(かえ)す積(つも)りなんか全然なかった。
 それどころか、独裁権力は、増々強力にされるばかりであった。
 それでも、ワイマール憲法が改正される事はなかった。
 より正確に言うと、改正の手続きが取られる事はなかった。
【形式上】、ワイーマール憲法は【生きていた】。
 しかも、【実質的】にはワイマール憲法は【死んだも同然】であった。
 こんな時、どう解釈する。
 ワイマール憲法は改正されたのか、未だ改正されてはいないのか。
 この場合、ワイマール憲法は改正された。
 こう解釈される。
【憲法学者は、全権委任法成立の時点を以って、ワイマール憲法は廃止された】。こう解釈する。
 1933年3月24日を以ってワイマール憲法は死んだ。
 そして、ヒットラーのドイツ第三帝国が生まれた。
 ワイマール憲法改正の為の手続きが取られようと取られまいと、そんな事は結局どうでもいい事なのである。
 憲法は、本質的には慣習法である。
【前例が慣習として確立されると、それは憲法の一部となる】。
 と言う事は、【憲法改正したも同じ事だ】。
 こう言う事なのである。
 この際、形式的に憲法改正の手続きが踏まれようと踏まれまいと、それは所詮どうでもいい事なのである。

【『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹(ビジネス社、2012年)以下同/カッパ・ビジネス、1989年『消費税の呪い 日本のデモクラシーが危ない』・天山文庫、1990年『悪魔の消費税』を改訂・改題】

 PKO(国際連合平和維持活動法案(1992年のPKO国会)がこの典型か。それまで平和と福祉を標榜してきた公明党が外交政策を転換して賛成に回った。後に自衛隊はインド洋イラクにも派遣される。

 また昨年暮れに自民党は自衛隊の海外武器携行制限を撤廃する方針を決めた。

 憲法とは国家権力に対する国民からの命令である。既に解釈改憲がまかり通っている以上、国家は民意に背いているといってよい。つまり憲法も民主主義も死んでしまったのだ。どおりで原発もなくならないわけだ。

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2014-02-25

イギリス革命は税制改革に端を発している/『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平

 ・下位文化から下位規範が成立
 ・税金は国家と国民の最大のコミュニケーション
 ・イギリス革命は税制改革に端を発している
 ・憲法は慣習法

『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一
『消費税減税ニッポン復活論』藤井聡、森井じゅん

 イギリスこそがデモクラシーの元祖開山である。
 日本人は、大概こう思っている。
 その【イギリス革命は税制改革に端を発している】。
 1649年の清教徒革命。イギリス諸革命の中でも最初にして最も根本的(ラディカル)と言われる【清教徒革命は、1634年の建艦税(シップ・マネー)に始まった】。(中略)
 チャールズ1世は、絶対君主たる王の命令に依って、中世封建的税制を改革しようとした訳であった。
 が、この税制改革には、待ったが掛かった。
 地主達の猛反対に遭遇(そうぐう)する羽目(はめ)になったのであった。
 ジョン・ハムプデンは、20シリングの建艦税を支払う事を拒絶した。ハムプデンは、「建艦税は、違法なり」として、裁判所に訴えたのであった。
 過半数の判事は、王によって任命され、王の影響下にあった。建艦税は合法である。「非常の際に於いては、王の大権は制限を受ける事がない」
 こう判決が下った。
【この判決に、清教徒達は抗議した】。王の圧政に抵抗したと、ジョン・ハムプデンは、一躍英雄になった。
 この建艦税騒動が、1649年における清教徒革命の発端(ほったん)となったのである。

【『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹(ビジネス社、2012年)以下同/カッパ・ビジネス、1989年『消費税の呪い 日本のデモクラシーが危ない』・天山文庫、1990年『悪魔の消費税』を改訂・改題】

 もちろん税はきっかけであって、それだけでピューリタン革命が成ったわけではない。社会の歪みが税という形に極まり、民の怒りが沸点に達したのだろう。そして新しい思想(宗教)が興(おこ)る。

 先代のジェームズ1世の迫害から逃れたピルグリム・ファーザーズの渡米が1920年だから、ほぼ同時と見てよい。

 圧政や苛政は必ず税となって民を苦しめる。そして民の忍耐が限界に達すると革命が起こる。ただし日本の場合は江戸時代が長すぎて、黒船(=外圧)を待つ傾向が強い。

【清教徒革命のテーマは、「国民の同意抜きの税制改革には応じられない」ここにあった】。(中略)
 この際の【イギリス国民の同意とは、議会の議決と言う事である】。

 議会の議決にはこれほどの重みがある。ジョン・ハムデンはたった20シリングの税を拒むことでピューリタン革命の端緒を開いた。この4月から消費税は5%から8%にアップする。我々は3月までに駆け込みで大きな買い物を済ませ、4月から倹約するだけでよいのだろうか? 消費税は低所得者になればなるほど痛税感が高まる。その「痛み」を私が許した覚えはない。一方では法人税引き下げの検討が活発化している。孔子は政治を行う上で最も大切なものを「民信無くば立たず」と示した(『論語』)。立たねば倒れるのみ。

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2014-02-24

税金は国家と国民の最大のコミュニケーション/『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平

 ・下位文化から下位規範が成立
 ・税金は国家と国民の最大のコミュニケーション
 ・イギリス革命は税制改革に端を発している
 ・憲法は慣習法

『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一
『消費税減税ニッポン復活論』藤井聡、森井じゅん

「消費税の呪(のろ)いに依(よ)って、日本資本主義は破綻(はたん)するだろう。デモクラシーも滅びるだろう」と小室は予告する。

 その理由は、第一に伝票(インヴォイス)方式を採用しなかったからである。
 伝票方式にすると、仕入れと販売のエッセンスは、丸(まる)でガラス張りになる。
 少なくともその重要な部分は見え見えになる。消費者にも税務署にもお金の流れがはっきりするから、税金を誤魔化(ごまか)す余地は非常に少なくなる。
 伝票方式の最大の良い処(ところは)、脱税がし難(にく)くなる事である。
 誰しも一番頭に来る事は、脱税のチャンスの不平等である。【クロヨン】(9-6-4)、【トーゴーサンピン】(10-5-3-1)と言う例のあれだ。
 サラリーマンや著述業などの所得が殆ど100パーセント透明ガラス張りなのに、中小企業は曇りガラス。農業等は雨戸張り。(中略)
 武田信玄は、租庸(そよう/税金)の取り方に付(ママ)いて言った。
【「租庸で大切な事は、重きにあらず軽きにあらず、公平にあり」】と。(中略)
 徴税(税金を取り立てる)の不公平となると、根本的に違ってくる。
 それは【不公平であるだけでなく、不正でもある】からである。
 特に、デモクラシー諸国に於いては致命的である。
【デモクラシー諸国に於いては、税金の遣(や)り取りこそ国と国民との最大のコミュニケーションである】からである。
【税金こそ、デモクラシーの血液】である。
 血液の循環に依って身体が保たれる様に、税金の循環に依ってデモクラシーは保たれる。
 血液の循環が詰まれば大変である。脳血栓(のうけっせん)、脳梗塞(のうこうそく)等の重病となる。町税が出来なくて税金の循環が詰まれば、デモクラシーは死に兼ねない。

【『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹(ビジネス社、2012年)/カッパ・ビジネス、1989年『消費税の呪い 日本のデモクラシーが危ない』・天山文庫、1990年『悪魔の消費税』を改訂・改題】

 資本主義は資本を所有する者が強者となる世界だ。で、強者は自分に都合のよい仕組みをつくりだす。経団連を見れば一目瞭然だ。多分インボイス方式を採用しなかったのは竹下登首相(当時)による政治的配慮だろう。

 一方で国民はものわかりがよい。「ま、国も赤字で困っているようだから仕方がない」と財布を開くたびに消費税を支払う。一片の疑問を抱くこともなく。

 トータルの税金で日本は既にスウェーデンを抜いている。

消費税率を上げても税収は増えない

 実に所得の55.4%が税という名目で奪われているのだ。にもかかわらず福祉大国ではない事実がおかしい。富の再分配が偏っていることは明らかだろう。人体に例えるなら、きっと心臓から上の方にしか血液が回っていない状態だ。足はとっくに壊死状態だ。

 よき国家であれば、国民は税を支払うことに誇りをもつことだろう。だが資本主義はそれを許さない。なぜなら企業の目的は利潤の最大化にあるからだ。

 巨大資本は多国籍企業となり、タックス・ヘイヴン経由で租税を回避する。アメリカもイギリスも国内にタックス・ヘイヴンが存在する。資本は税を嫌うのだ。

 そして今や、ショック・ドクトリンによって発展途上国の予算やIMFからの融資金を一部の多国籍企業が簒奪(さんだつ)する。資本主義とは不平等の異名である。人類の限界に至るまで差別を助長するに違いない。

 たとえ世界大戦が起こったところでこの仕組みが変わることはない。なぜなら実際の資本は既に眼に映らぬオンライン上に存在するからだ。銀行にある現金は預金の20%程度といわれる。

 この邪悪な資本主義金融体制を倒すためには、スーパーリッチと呼ばれる連中を死刑にするしかない。私に浮かぶアイディアはそれくらいだ。


力の強いもの、ずる賢いものが得をする税金/『税金を払わない奴ら なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?』大村大次郎
マネーと言葉に限られたコミュニケーション/『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎

2014-02-23

下位文化から下位規範が成立/『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平

 ・下位文化から下位規範が成立
 ・税金は国家と国民の最大のコミュニケーション
 ・イギリス革命は税制改革に端を発している
 ・憲法は慣習法

『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『消費税減税ニッポン復活論』藤井聡、森井じゅん

 小室は消費税の簡易課税制度(※売上の20%を付加価値と見なし、これに消費税を課す。残りの80%は仕入れと原材料費と見なされる)が脱税の温床であると指摘する。それどころか「脱税制度そのもの」であると言い切る。

 そして企業間で脱税が日常茶飯の社会行動と化す時、事業計画の中で「重要な変数」として扱われる。脱税プログラミングが開発され、悪徳数学者と悪徳経済学者と悪徳弁護士らが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し、手を組んで、やがて日本経済を危機に陥れる。これが小室の懸念だ。

【定常的な犯罪集団が形成されると、そこに下位文化(サブ・カルチャー)が生まれる。】
 犯罪者集団独自の下位文化だ。この下位文化は、確(しっか)りと成員の行動を規定する(縛り付ける)。
 そして、各成員は、斯くの如く規定された行動をする事が当然だと思い込む様になる。それが正しいと思ってしまうのである。【ここが恐ろしい】。
 ぞっとしても足りない程である。
 社会にとっては紛(まぎ)れもなく犯罪に違いない事も、犯罪者集団は全く正しい事だと思い込む様になってしまうのである。
 と言う事は、どう言う事か。
 犯罪者集団の成員は、堂々と犯罪行為を行なうと言う事だ。堂々と、良心の呵責(かしゃく)なんか何もなく。
 社会全体の人々にとって、これより恐ろしい事は、またと考えられない。
 だって、そうだろう。
 普通、犯罪者と雖(いえど)も良心の呵責に苛(さいな)まれる。こんな事、心ならずも仕出かしてしまったが、本心ではやりたくはなかったんだ。
 これこそ、犯罪に対する最大・最強の歯止め、バラバラな犯罪者の行為が、それほど恐ろしくないと言うのも、右の理由に因(よ)る。が、犯罪者集団が、定常的に、存在するとなると、事情は根本的に変わってくる。この犯罪者集団の中に下位文化が発生する事になると、尚更(なおさら)の事だ。
 そうなると、下位規範(サブ・ノルム)が成立するであろう。詰(つ)まり、社会全体の規範(ノルム)とは全く違った規範が成立してしまうんのだ。これは大変である。
 社会全体が正しいと思った事でも、この犯罪者集団では正しくない。社会全体が許さないと言ったところで、この犯罪者集団でなら許される。
 犯罪者集団の構成員は、確信を以(も)って犯罪行為を遂行する。
 決して、オドオドしたりしない。後悔を感じたりはしないものなのである。
 確信を以って、所謂(いわゆる)「犯罪行為」を遂行する。オール確信犯と言って良い。

【『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹(ビジネス社、2012年)/カッパ・ビジネス、1989年『消費税の呪い 日本のデモクラシーが危ない』・天山文庫、1990年『悪魔の消費税』を改訂・改題】

 脱税が常態化した企業内部のメカニズム原理を見事に抽出している。小室の文体には独特の臭みとしつこさがあるが、何も考えずに慣れた方がよい。漢字表記についても同様だ。

 小室は学問の原理に忠実な人物であった。一切の妥協を許さなかった稀有な学者であった。弟子の一人である宮台真司は常々「天才」と絶賛している。あの宮台がである。

 このテキストが凄いのは、あらゆる閉鎖的集団の内部構造を説明しきっているところだ。例えば政治的談合、あるいは省益・庁益のために働く官僚、そしてコンプライアンスを無視して利益のみを追求する企業。はたまたブラック企業・健康食品のマルチ商法、更には宗教団体やテロリスト集団にまで適用可能だ。

 下位文化から下位規範が成立する。その規範とは「村の掟」だ。村人たちにとって「村の掟」は法律よりも重い。なぜなら彼らはそこに住み、生きてゆく他ないからだ。

 人間の脳は同調圧力に対して屈する傾向が強い。それを社会心理学的に証明したのがソロモン・アッシュの同調実験であった。

アッシュの同調実験/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム

 ヒトの社会性は本能に同調を促し、集団生活に収まることで生き延びる確率を高めたのだろう。つまり「集団に属する」ことは「その集団に同調する」ことを意味すると考えてよい。

 我々は「皆がやっていることだから」という事実に基づいて自分自身をたやすく免罪する。営業マンを見れば一目瞭然だ。不自然なハイテンション、リスクに触れることのない説明、特定商取引法第16条を無視した営業トーク。あいつらは売れさえすればそれでいいのだ。自分のグラフを伸ばすためならどんなことでもやりかねない。

 規範というものはある行動を規制しながらも別の行動を強く促す。集団内のモラルは時に世間のインモラルと化す。しかも官僚や企業の場合、賃金という形で返ってくる。どうせ労働力を売るなら高い方がよい。しかも多少我慢すれば一生面倒を見てもらえる。

 結局のところ我々全員が損得で物事を判断しているのだろう。賃金の上昇を望む人は多いが、モラルの上昇を望む人を見たことがない。時折、正義感を発揮して内部告発をする勇者が登場すると、「馬鹿だよなー。おとなしくしていれば安全な人生を歩めたのに」などとテレビ越しに見つめる人も多い。

 ザル法が日本経済を破壊することを覚えておこう。この春から消費税が増税される。デフレ脱却前に増税を決定したのは致命的な判断ミスだ。ワーキングプアも放置されたままだ。また消費税と自殺者数には相関関係があることも忘れぬように(『消費税のカラクリ』斎藤貴男)。

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読書人階級を再生せよ/『人間の叡智』佐藤優

2013-12-30

小室直樹、米原万里、稲瀬吉雄、J・H・ブルック、磯前順一、他


 10冊挫折、1冊読了。

首切り』ミシェル・クレスピ:山中芳美訳(ハヤカワ文庫、2002年)/スピード感に欠ける。

チャップ・ブックの世界 近代イギリス庶民と廉価本』小林章夫(講談社学術文庫、2007年)/サブカルっぽいノリで書くべきではなかったか。硬すぎる。

千の輝く太陽』カーレド・ホッセイニ:土屋政雄訳(ハヤカワepiブック・プラネット、2008年)/出だしが弱い。あるいは私が酒を呑み過ぎていた可能性も。

あらためて教養とは』村上陽一郎(新潮文庫、2009年)/雑誌への寄稿を「戯(ざ)れ文」と表現する気取りにうんざり。ま、文系なんてえのあこんなものか。直ぐ本を閉じた。

科学と宗教』Thomas Dixon:中村圭志訳(サイエンス・パレット、2013年)/鋭さを欠く。丸善のサイエンス・パレットというシリーズはなぜこんな不親切な表紙にしたのか?

科学と宗教 合理的自然観のパラドクス』J・H・ブルック:田中靖夫訳(工作舎、2005年)/前掲書でも紹介されている一冊。宗教と科学の互恵的関係を証明しようという試み。その意図に私は賛同できない。都合のよい事実を集めればどんな物語も可能だろうよ。

宗教概念あるいは宗教学の死』磯前順一(東京大学出版会、2012年)/哲学用語が多すぎて読む気がしない。

鳥が教えてくれた空』三宮麻由子〈さんのみや・まゆこ〉(NHK出版、1998年/集英社文庫、2004年)/4歳で失明した著者が鳥の鳴き声によって世界を広げるエッセイ。飛ばし読み。少女趣味の精神世界が肌に合わず。

クリシュナムルティ その対話的精神のダイナミズム』稲瀬吉雄(コスモス・ライブラリー、2013年)/考えることに酔っているような節が窺える。開いた直後に閉じた。それくらい文体が肌に合わない。

打ちのめされるようなすごい本』米原万里〈よねはら・まり〉(文藝春秋、2006年/文春文庫、2009年)/最初は読んだことを後悔した。読みたい本が陸続と増えてしまったためだ。150ページほど読んで宗教関連が少ないことに気づいた。巻末の書名索引を辿って『お笑い創価学会 信じる者は救われない 池田大作って、そんなにエライ?』( 佐高信〈さたか・まこと〉、テリー伊藤:光文社、2000年/知恵の森文庫、2002年)の書評を発見。何と「意外に真面目な本だ」と評価していた。共産党代議士の娘はやはり左翼だったのね。瑕疵(かし)では済まされない致命傷となっている。

 65冊目『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』小室直樹(ダイヤモンド現代選書、1976年/中公文庫、1991年)/学問の王道を往く傑作。小室直樹の処女作。社会学ではなくして社会科学。経済学と心理学をも駆使して戦前戦後の日本が同じ行動様式に貫かれている事実を暴く。学生運動の件(くだり)はオウム真理教にもそのまま当てはまる。科学とは原理を示すものだ。この泰斗(たいと)を日本は厚遇しただろうか? 否である。しかし彼の数多い弟子たちが学問の花を開かせている。日本型組織の思考モデルを見事に抽出しており、今読んでも古さをまったく感じさせない。

2013-11-05

小室直樹の読書法

2012-07-15

小室直樹


 1冊読了。書き忘れ。

 36冊目『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹(青春出版社、1997年)/いやはや勉強になった。小室直樹の原論シリーズにはハズレがない。民主主義は「所有の絶対性」から生まれた。この絶対性を支えているのがキリスト教の神、という指摘に目から鱗が落ちる。更に民主主義と資本主義が双生児である事実も明かす。「厳選120冊」に入れた。既に120冊では収まらなくなっている。

2012-06-16

羽田正、フォークナー、マーク・ローランズ、香月泰男、小室直樹、苫米地英人


 3冊挫折、3冊読了。

興亡の世界史 第15巻 東インド会社とアジアの海』羽田正〈はねだ・まさし〉(講談社、2007年)/タイミングが合わず。別の機会に読む予定だ。

フォークナー短編集』フォークナー:龍口直太郎〈たつのくち・なおたろう〉訳(新潮文庫、1955年)/フォントが小さすぎる上、訳文が私の口に合わなかった。最初の「嫉妬」すら読了できず。

哲学者とオオカミ 愛・死・幸福についてのレッスン』マーク・ローランズ:今泉みね子訳(白水社、2010年)/著者の人相が悪すぎる。獣じみた顔つきをしている。文章もまだるっこしい。

 32冊目『没後30年 香月泰男展図録/香月泰男〈私の〉シベリア、そして〈私の〉地球』(朝日新聞社、2004年)/シベリア・シリーズの鈍い金と黒に沈黙を強いられる。個人的な心情として鹿野武一〈かの・ぶいち〉の態度が、石原吉郎の言葉が思われてならなかった。香月泰男〈かづき・やすお〉はふてぶてしいまでの生命力でシベリアを生き抜いた。絵、というよりはイコンに近い作品群であろう。絵画を見て肚の底から唸(うな)ったのは初めてのことだ。

 33冊目『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹(東洋経済新報社、2001年)/やはり小室は凄い。合理的思考を学ぶのなら小室の著作を読むのが手っ取り早い。目から鱗が落ちることを請け合おう。後半は経済学の話題が豊富で実に勉強になった。ただしこの人の文体は少し癖がある。

 34冊目『「生」と「死」の取り扱い説明書』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(KKベストセラーズ、2010年)/粗製濫造気味ではあるが、要所要所に卓見が散りばめられており予断を許さないところがある。恐ろしいほど自我が肥大している人物だけに、最新科学から見た仏教解説と割り切って読むべきだろう。ま、仏教を語りながら自分の宣伝にいそしんでいるだけのことだ。

2012-04-13

宗教には啓典宗教とそれ以外の宗教がある/『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹


『青い空』海老沢泰久

 ・キリスト教の「愛(アガペー)」と仏教の「空(くう)」
 ・「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた
 ・宗教には啓典宗教とそれ以外の宗教がある

『イエス』ルドルフ・カール・ブルトマン
『世界史の新常識』文藝春秋編
『日本人のためのイスラム原論』小室直樹
目指せ“明るい教祖ライフ”!/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世

キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?
必読書リスト その五

宗教」という言葉は、明治時代になって「religion」の訳語として作られた新しい言葉で、もともとのレリジョンの意味は、「繰り返し読む」ということ。
 欧米人のほとんどはキリスト教こそが本当の宗教だと想っているから、宗教といえばキリスト教、そして文字で表された最高教典、すなわち啓典(正典ともいう)のある啓典宗教と考える。

【『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹(徳間書店、2000年)以下同】

 キケロはレリゲーレ[relegere](「とり集める」ないしは「再読する」を意味する)に由来すると考えていた。

宗教の語源/『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル

 教団は文献を取り集め、信者に再読を促す。再読は「考える力」を奪う。そして教団は迷える人々を取り集め、金銭を取り集めるのだ。

 マックス・ヴェーバーはかくいった。宗教とは何か、それは「エトス(Ethos)」のことであると。エトスというのは簡単に訳すと「行動様式」。つまり、行動のパターンである。人間の行動を意識的及び無意識的に突き動かしているもの、それを行動様式と呼び、ドイツ語でエトスという。英語では、エシック(ethic)となる。
 ここで注意を一つ。英語の場合、どこに注意するかというと、語尾にsがないこと。sがあったらエシックス(ethics)となり「倫理」という意味になる。
 倫理というのは、ああしろこうしろという命令もしくは禁止を指すが、その上位(一般)概念であるエシックはもっと意味が広い。禁止や命令も含むが、さらに正しいだとか正しくないだとかいうことも含む。そればかりか、さらに意味は広く、思わずやってしまうことまでも含むのである。

エトス 通信し合えないぼくらの時代
最狭義と最広義の宗教/日本教的宗教観

 簡単にいってしまえば、エシックス(倫理)は思考に訴え、エトスは情動を支配するのだ。倫理は社会の機能で、エトスは個人を規定するものと考えてもよさそうだ。「内なる良心の声」がエトスの正体だ。我々はこれを疑うことを知らない。

 なぜヴェーバーの定義がいいのかというと、宗教だけでなくイデオロギーもまた宗教の一種であると解釈できるところにある。どういうことなのかというと、マルキシズムも宗教である。資本主義も宗教である。そして、武士道などというのも一種の宗教だといえる。

 つまり宗教とは「行動様式原理」を意味する。悪くいえば洗脳だ。

 これから本格的に宗教の議論に入る前にコメントを一つ挙げておく。それは、宗教には啓典宗教とそれ以外の宗教がある、ということだ。
 これは、イスラム教徒による宗教分類であるが、比較宗教学のために便利な分類でもあるので、この本においても採用したい。
「啓典宗教(revealed religion)」とは啓典(正典=canon, Kanon, cannon)を持つ宗教である。ユダヤ教キリスト教イスラム教は啓典宗教である。仏教儒教ヒンドゥー教道教、法教(中国における法家〈ほうか〉の思想)などは啓典宗教ではない。

 啓典という言葉は日本人にあまり馴染みがない。それゆえ「教典(経典)宗教」と言い換えてもよかろう。神の言葉を絶対視することで、信徒は「言葉の奴隷」とならざるを得ない。「言葉に従わせる」という操作性に宗教の本質があるとすれば、ここに絶対的権力が立ち現れる。

 啓典宗教は、存在論、すなわちオントロジー(ontology)に貫かれている。啓典宗教であるキリスト教、イスラム教、ユダヤ教においては、神の存在が最大の問題なのである。

 西洋哲学は存在を巡る議論である。「天にまします我らが父」を目指して形而上学へ傾くことは必然であった。そう考えると西洋と東洋では「生きる」という意味合いすら異なっている可能性が高い。我々日本人は存在に無頓着だ。生きるの語源は「息をする」こと。だから死ぬことを「息を引き取った」と表現する。また人生は川に喩(たと)えられるが、存在性よりも「流れ」と考える人が多い。六道輪廻(ろくどうりんね)を意味する生死流転(しょうじるてん)という言葉も、輪ではなく川をイメージする。

 このままでは言葉が通じない。その深き溝を翻訳する作業が必要だ。日本の外交音痴も「言葉の問題」が本質的な原因と考えられる。

「啓典宗教」というキーワードが閃(ひらめ)きを与えてくれる。大乗仏教は仏教の啓典宗教化を目指したのだろう。つまりコミュニティの人数が多くなれば、「言葉の支配」を避けられないのが人類の宿命なのだ。

 啓典宗教が誤っていることは簡単に証明できる。言葉は絶対のものではない。それは所詮、「解釈される」性質のものだ。ゆえに同じ言葉であったとしても受け止め方は千差万別だ。こうして教義論争が始まる。「religion」の意味が「結びつける」ではないことが明らかだ。



エートスの語源/『ソクラテスはネットの「無料」に抗議する』ルディー和子
自由を達成するためには、どんな組織にも、どんな宗教にも加入する必要はない/『自由と反逆 クリシュナムルティ・トーク集』J・クリシュナムルティ
教条主義こそロジックの本質/『イエス』R・ブルトマン
歴史的真実・宗教的真実に対する違和感/『仏教は本当に意味があるのか』竹村牧男
宗教と言語/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
宗教の社会的側面/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
アブラハムの宗教入門/『まんが パレスチナ問題』山井教雄
電気を知る/『バーニング・ワイヤー』ジェフリー・ディーヴァー
信じることと騙されること/『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節

2012-04-09

「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた/『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹


『青い空』海老沢泰久

 ・キリスト教の「愛(アガペー)」と仏教の「空(くう)」
 ・「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた
 ・宗教には啓典宗教とそれ以外の宗教がある

『イエス』ルドルフ・カール・ブルトマン
『世界史の新常識』文藝春秋編
『日本人のためのイスラム原論』小室直樹
目指せ“明るい教祖ライフ”!/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世

キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?
必読書リスト その五

「歴史は勝者によって書かれる」と陳舜臣〈ちん・しゅんしん〉は喝破した(『中国五千年』1989年)。蓋(けだ)し名言である。

 中世までは文明においても学問においてもアラブ世界がリードをしていた。

 歴史をさかのぼってみよう。まず十字軍(1096-1272年)によって西洋の暴力性は噴出した。

 セルジューク朝の圧迫に苦しんだ東ローマ帝国皇帝アレクシオス1世コムネノスの依頼により、1095年にローマ教皇ウルバヌス2世がキリスト教徒に対し、イスラム教徒に対する軍事行動を呼びかけ、参加者には免償(罪の償いの免除)が与えられると宣言した。この呼びかけにこたえた騎士たちは途上、イスラム教徒支配下の都市を攻略し虐殺、レイプ、略奪を行いながらエルサレムを目指した。(第1回十字軍)

Wikipedia

 彼らは神からの免罪を勝ち取るために、別の罪を犯しながら進軍したのだ。この病根は今もなお西洋を支配している。根っこにあるのは「神という被害妄想」であろう。

 ところが十字軍は9回に渡って遠征が繰り返されているが、明らかな勝利を収めたのは第1回だけであった。ざまあみやがれってえんだ。

 当時、アジアからは大モンゴル帝国の蹄(ひづめ)が高らかに鳴り響いていた。圧倒的な武力を誇るモンゴルはヨーロッパ世界にまで辿りつく。(Wikipediaのgif画像を参照せよ)

 西洋は八方塞(ふさ)がりであった。これを打開したのが大航海時代(15-17世紀)である。以下に三つのテキストを紹介する。

 しかも、毎年毎年同水準の生活や産業を維持してゆくだけなら、同じ規模の土地を「エンクロージャー(囲いこみ)」して守っていけばいいが、その水準をあげてゆくためには、土地の規模を拡大していかなければならない。かくして、北フランスやイギリスなどの石の風土に成立した牧畜業は、不断に新しい土地(テリトリー)を外に拡大する動きを生む。これが、いわゆるフロンティア運動を生み、アメリカやアフリカやアジアでの植民地獲得競争(テリトリー・ゲーム)を激化させるのである。
 つまり、西欧に成立し、ひいてはアメリカにおいて加速されるフロンティア・スピリットは、本来、牧畜を主産業とするヨーロッパ近代文明の本質を「外に進出する力」としたわけである。これは、ヨーロッパ文明に先立つ、15~16世紀のスペイン、ポルトガルが主導したキリスト教文明、いわゆる大航海時代の外への進出と若干その本質を異にする。
 いわゆる大航海時代の外への進出は、17世紀からのイギリスやオランダやフランスが主導した、国民国家(ネーション・ステイト)によるテリトリー・ゲームとは若干違う。大航海時代というのは、キリスト教文明の拡大、つまり各国の国王が王朝の富を拡大するとともに、その富を神に献ずる、つまり「富を天国に積む」ことを企てるものであった。

【『砂の文明・石の文明・泥の文明』松本健一(PHP新書、2003年)】



 ベルは、近代の終焉についても述べている。彼によると、近代の特徴は「超越(beyound)」にある。しかし、ポスト・モダーンは「限度(limit)」である。確かに、近代がルネサンス、宗教改革、大航海時代から始まるとすると、その特徴は「超越すること」にあった。近代の原理は「無限への衝動」であり、「ファウスト的衝動」とも呼ばれる「もっと、もっと」の精神によって営まれてきたのである。言い換えれば、「無制限の無条件の顧みるところなき」衝動によって駆動されてきたのが、近代の特徴であった。(訳者解説)

【『二十世紀文化の散歩道』ダニエル・ベル:正慶孝〈しょうけい・たかし〉訳(ダイヤモンド社、1990年)】



 モンゴル帝国の弱点は、それが大陸帝国であることにあった。陸上輸送のコストは、水上輸送に比べてはるかに大きく、その差は遠距離になればなるほど大きくなる。その点、海洋帝国は、港を要所要所に確保するだけで、陸軍に比べて小さな海軍力で航路の制海権を維持し、大量の物資を低いコストで短時間に輸送して、貿易を営んで大きな利益を上げることが出来る。これがモンゴル帝国の外側に残った諸国によって、いわゆる大航海時代が始まる原因であった。

【『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘(ちくまライブラリー、1992年/ちくま文庫、1998年)】

 すなわち陸路を阻まれた西洋世界は行き場を失った格好で海へ飛び出したわけだ。船を出すからには金がかかる。また航海で命を失うリスクもある。一方、新天地に辿りつけば香辛料などを獲得できる可能性がある。こうした利益とリスクをバランスすることで共同資本という概念が生まれた。ここに株式会社の起源がある。

資本主義経済の最初の担い手は投機家だった/『投機学入門 市場経済の「偶然」と「必然」を計算する』山崎和邦

 ヨーロッパ人は新天地で何を行ったのか?

 15世紀から17世紀後半にかけての大航海時代、コロンブス(イタリアの航海者。1451頃~1506)やマゼラン(ポルトガルの探検家。1480頃~1521)が未知の国へ向けて航海した。そこで新大陸に上陸した彼らは一体何をしたか。
 正解は、罪もない現地人の鏖(みなごろし)! 大虐殺である。別に住民たちがこぞってこの侵入者たちを襲ったわけでもないのに。何と酷いことをするのだ、と怒ってみても詮(せん)はない。侵入者たちのほうからすれば、キリスト教の教義(おしえ)に従って異教徒を殺したまでなので、後ろめたさなどあろうはずもないのだ。

【『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹(徳間書店、2000年)以下同】

 彼らは貴重な食料や資源の獲得とともに、キリスト教を宣教することを目的としていた。思想的侵略といってよい。神の僕(しもべ)は神の代理人でもあった。

 小室直樹はヨーロッパ人の暴力性を一文で解き明かす。

 その答えは『旧約聖書』の「ヨシュア記」を読むとわかる。(中略)
「ヨシュア記」にこそ〈宗教の秘密〉は隠されているのだ。
 神はイスラエルの民にカナンの地を約束した。ところが、イスラエルの民がしばらくエジプトにいるうちに、カナンの地は異民族に占領されていた。そこで、「主(神)はせっかく地を約束してくださいましたけれども、そこには異民族がおります」といった。すると神はどう答えたか。「異民族は皆殺しにせよ」と、こういったのだ。
 神の命令は絶対である。絶対に正しい。
 となれば、異民族は鏖(みなごろし)にしなくてはならない。殺し残したら、それは神の命令に背いたことになる。それは罪だ。
 したがって、「ヨシュア記」を読むと、大人も子供も、女も男も、一人残さず殺したという件(くだり)がやたらと出てくる。(中略)
 異教徒の虐殺に次ぐ大虐殺、それは神の命令なのである。

 長らく抱えてきた西洋世界への疑問が氷解した。モンゴルと中東からの圧力から解放されたヨーロッパ人は、アメリカでインディアンを虐殺し、国内では魔女狩りを行っていた。

侵略者コロンブスの悪意/『わが魂を聖地に埋めよ アメリカ・インディアン闘争史』ディー・ブラウン
「コロンブスの新大陸発見は先住民虐殺の始まり」、チリ先住民が抗議デモ
魔女は生木でゆっくりと焼かれた/『魔女狩り』森島恒雄
「欧米人が仕掛ける罠」武田邦彦、高山正之

 更に小室は驚くべき指摘をする。

「隣人にかぎりなき奉仕をする人」が、同時に大虐殺を行っても矛盾ではない。両方とも神の命令であるからである。

 つまりヨーロッパ人が虐殺と慈善活動を同時に行うことには合理性があるのだ。「理」とは東洋の道理とは異なり、この世界を創造した神の摂理を意味する。

 信仰とはただ神を仰いで神の言葉に従うことだ。厳密にいえば仏教の信心とは異なる。まず西洋と東洋の言葉の溝を理解することが重要だ。それゆえ西洋世界の信仰とは教条主義(ドグマティズム)となる。

 日本語の「絶対」は副詞として使われることが多く、「どうしても、なにがなんでも、必ず、決して」(Weblio 辞書)との意味合いである。だが西洋の絶対は違う。絶対とは動かし得ない座標軸である神を意味するのだ。

 であるからして天動説が地動説にとって変わろうとも、神だけは不動の位置を占めている――などと説明を試みる私の文章もまだまだ甘い。「神が絶対」なのではなく「絶対とは神のこと」なのだ。

 神という絶対の前に自分が存在する。これが「個人」である。「個人」とは翻訳語であって明治以前の日本に「個人」という概念は存在しなかったと考えてよい。柳父章〈やなぶ・あきら〉は「個人ではなく身分としての存在」であったと指摘している。

 そして神という絶対性に対置するところに自我が立ち現れるのだ。キリスト教の自我と仏教の我も異なる。自我は存在性で、我は当体・主体を意味する。自己実現病に取りつかれている人々が増えているのは、キリスト教文明による害毒であると思えてならない。

 絶対の前では自我が揺らぐ。自我は絶対ではないからだ。それゆえ確実な存在性を示すためにデカルトは考え続けた――「我思う、ゆえに我あり」。あいつが思っていたのは神様のことだ。生きている間の存在証明はできたとしても、死を前にしては無力な哲学だ。やつらの死後は神に祝福されることが約束されているから、死と取り組む必要もなかったのだろう。

 神という絶対性が人間を言葉の奴隷にした。そしてヨーロッパ人は殺戮(さつりく)の限りを尽くした。一方ブッダは存在=我を打ち破り、諸法無我と悟った。時間軸においては諸行無常である。これが「空」(くう)の思想だ。神は点であるが、空はあらゆる次元へと広がっている。

川はどこにあるのか?

 世界を平和にするためには神に死んでもらう他ない。本気でそう思う。



虐殺者コロンブス/『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編
エンリケ航海王子
ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
戦争まみれのヨーロッパ史/『戦争と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト
ポルトガル人の奴隷売買に激怒した豊臣秀吉/『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温

2012-04-05

キリスト教の「愛(アガペー)」と仏教の「空(くう)」/『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹


『青い空』海老沢泰久

 ・キリスト教の「愛(アガペー)」と仏教の「空(くう)」
 ・「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた
 ・宗教には啓典宗教とそれ以外の宗教がある

『イエス』ルドルフ・カール・ブルトマン
『世界史の新常識』文藝春秋編
『日本人のためのイスラム原論』小室直樹
目指せ“明るい教祖ライフ”!/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世

キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?
必読書リスト その五

 キリスト教の「愛(アガペー)」は、真(まこと)に驚くべき教義である。それは、何千年ものイスラエルの宗教がのぼりつめた「苦難の僕(しもべ)」の教説から発生した。そして、全世界を包み込むほどのエクスタシーを発散し、資本主義デモクラシー近代法を生んだ。
 仏教の「(くう)」は、人類が到達した最深、最高の哲理であろう。それは、形式論理学記号論理学をも超越している論理を駆使していることが、最近明らかにされてきた。「空」は、最近の社会科学、自然科学を比喩として用いるとき、初めて鮮明に理解されるであろう。

【『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹(徳間書店、2000年)】

 ずっと奇人だと思い込んでいた。数年前にカッパ・ビジネスを3冊ほど読んで、ただの奇人ではないことがわかった。

小沢遼子足蹴り事件

 1983年1月26日、ロッキード事件被告田中角栄への求刑公判の日、テレビ朝日の番組「こんにちは2時」の生放送に出演した。番組のテーマはもちろん角栄の裁判であり、小沢遼子ら反角栄側2人と小室による討論を行った。ところが冒頭、突然立ち上がってこぶしをふり上げ、「田中がこんなになったのは検察が悪いからだ。検事をぶっ殺してやりたい。検察官は死刑だ」とわめき出し、田中批判を繰り広げた小沢遼子を足蹴にして退場させられた。

 ところが、翌日朝、同局は小室を「モーニングショー」に生出演させた。その際さらにパワーアップしてカメラの面前で「政治家は賄賂を取ってもよいし、汚職をしてもよい。それで国民が豊かになればよい。政治家の道義と小市民的な道義はちがう。政治家に小市民的な道義を求めることは間違いだ。政治家は人を殺したってよい。黒田清隆は自分の奥さんを殺したって何でもなかった」などと叫び、そのまま放送された。

 これをもってテレビ出演はほとんどなくなり、以後、奇人と評された。

Wikipedia

 谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉も同じような主張をしているが、よくよく吟味をすれば一定の合理性はある。小沢事件に端を発する「政治とカネの問題」などは、確かに政治家を小市民に貶(おとし)めるような同調圧力が働いている。

 清廉潔白で無能な政治家が一番困る。

 小室は社会科学的アプローチで五大宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教)を読み解く。その合理性が曖昧さを退ける。「日本人のための宗教原論」というタイトルに偽りはない。

 信者の瞳は崇拝感情によって曇っている。客観的な評価は困難であろう。小室は冷徹な眼でバッサバッサと斬り捨てる。

 2000年を経てもなお人々の胸に鮮やかな影を落とす人物が存在する。その事実が重い。彼らは神仏などではなく人間であった。否、彼らこそが真の人間を示したのだ。

 ヤスパースは「軸の時代」(枢軸時代)と名づけた。人類は精神的な存在へと飛翔した。

 振る舞いとしての「愛」と、哲理としての「空」が一致するところに真の宗教性がある。イエスとブッダが直接出会うことがあったならば、決して争うような真似はしなかったはずだ。

 文明や科学の発達は部分的な幸福を支えてはいるが、人生の苦悩を解決するものではない。量子力学が恋の悩みを軽くすることもなければ、ゲーデルの不完全性定理が職場の人間関係を改善してくれるわけでもない。

 だとすれば、やはり宗教性が大切なのだ。特定の信仰を持つ必要はない。制度宗教、組織宗教に額づくよりも、自分の目と手で直接触れて学んでゆくことが正しい。

「誰が」説いたかよりも、「説かれた教え」が重要だ。これを依法不依人(えほうふえにん/法四依の一つ)という。



神智学協会というコネクター/『仏教と西洋の出会い』フレデリック・ルノワール
ウイルスとしての宗教/『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット
欽定訳聖書の歴史的意味/『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人