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2011-10-15

パスカルはできの悪い形而上学者となった


 パスカルときたら、彼の妹の言うところによれば、面白半分に32の命題を解いたが、その後はかなり凡庸な数学者となり、そのうえはなはだできの悪い形而上学者となった。(「ミクロメガス」)

【『カンディード 他五篇』ヴォルテール:植田祐次訳(岩波文庫、2005年)】

カンディード 他五篇 (岩波文庫)

Blaise Pascal 3-statue

2011-10-02

故郷とは


 人は幼い頃、世界を完全なものとして見ている。大きくなるにつれ、次第にそれらの一切が力を失い、歪(ゆが)んで色あせたものにしか感じられなくなってしまう。“故郷”とは、地理上に位置づけられた地点をさすのではなく、心の中にあって、焼きつけられた様々な時間の集合のことである。どこに行ったとしても再び回復されることはないし、探せば探すほど感光したフィルムのように像は消え失せてしまうはずのものだ。

【『汝ふたたび故郷へ帰れず』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(河出書房新社、1989年/リバイバル版 小学館、2000年/小学館文庫、2003年)】

汝ふたたび故郷へ帰れず (小学館文庫)

2011-09-28

楽観主義


「物事というものは、見かけの半分も悪くはないものですよ」

【『少女パレアナ』エレナ・ポーター:村岡花子訳(角川文庫、1962年)】

少女パレアナ (角川文庫クラシックス)パレアナの青春 (角川文庫)

2011-07-05

言葉にならぬ思い/『ハイファに戻って/太陽の男たち』ガッサーン・カナファーニー


 出稼ぎ目的でイラクからクウェートへ密入国する男たちを描いた短篇。ギラギラと情け容赦なく照りつける太陽。平等に降り注ぐ光の矢が、貧しき者の背中に突き刺さる。

 イスラム教国は法律と道徳と宗教とが完全に一致している。そのため他の国々と比べると厳罰が徹底している。石打ち、鞭打ちは当たり前だ。ちなみに不倫をするとこうなる。

LiVE JOURNAL(閲覧注意)

 違法行為は命懸けであった。鬱屈した思いが更に凝縮される。

 彼はなにか言おうと努めたが、湿り気をおびた胸のつかえが喉をからませ、一言も口にすることができなかった……彼はちょうどこれと同じ胸のつかえをバスラで味わった。バスラで彼は、クウェイトへの密入国を商売にしているデブ親爺の事務所を訪れ、一人の老いぼれ男が荷いうるかぎりの汚辱と希望を両の肩に背負いながらこの男の前に立っていた……(「太陽の男たち」1963年)

【『ハイファに戻って/太陽の男たち』ガッサーン・カナファーニー:黒田寿郎、奴田原睦明〈ぬたはら・のぶあき〉訳(河出書房新社、1978年〈『現代アラブ小説集 7』〉/新装新版、2009年/河出文庫、2017年)】

 言葉にならぬ思いがある。モヤモヤした不満とくすぶり続ける怒り。衣食に事欠くようになれば人は獣と化す。

『二重言語国家・日本』石川九楊

 理不尽に慣れると脳は考えることをやめる。いったん考え始めると自我を保てなくなるからだ。飲み込んだ言葉が情動を圧迫する。マグマと化した情動は脳の奥深くで今か今かとタイミングを計る。

 人々の怒りが沸点に達した時、歴史を塗り替える英雄が登場する。

歴史が人を生むのか、人が歴史をつくるのか?/『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン

 権力者は民の沈黙を恐れよ。言葉にならぬ思いをすくい取れ。さもなくば共同体に暴力の風が吹くことだろう。革命は血生臭さを伴う。

 病院で待たされ、金融機関で待たされ、ハローワークで待たされる人々。泣き止まぬ幼児の傍(かたわ)らで必死に虐待をこらえる若い母親。「ノルマが達成できないなら辞めてもらうまでだ」と上司から脅されるサラリーマン。面接に次ぐ面接で冷ややかな視線にさらされる学生。連れ合いの介護に疲れ果てた老婦人。家族を喪いながらも出口のない避難所生活を強いられる被災者。

 日本の至るところで不満が溜まっている。ファシズムの足音が聞こえやしないか?

パレスチナ人の叫び声が轟き渡る/『ハイファに戻って/太陽の男たち』ガッサーン・カナファーニー

2009-10-04

現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳


『われら』ザミャーチン
『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳

 ・現在をコントロールするものは過去をコントロールする
 ・修正し、改竄を施し、捏造を加え、書き換えられた歴史が「風化」してゆく

『華氏451度』レイ・ブラッドベリ
SNSと心理戦争 今さら聞けない“世論操作”
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー
『AI監獄ウイグル』ジェフリー・ケイジ
ドキュメンタリー映画『プランデミック 3 ザ・グレート・アウェイクニング』〜PLANDEMIC 3: THE GREAT AWAKENING〜

必読書リスト その五

 ディストピア小説の傑作が新訳で蘇った。信じ難いほど読みやすくなっている。高橋和久が救世主に思えるほどだ。世界を読み解く上で不可欠の一書である。舞台設定を未来にすることで、権力の本質が管理・監視・暴力にあることを描き切っている。一見、戯画化しているように思われるが、むしろ細密なデフォルメというべき作品だ。

 それにしてもこんなに面白かったとは! 私は舌なめずりしながらページをめくった。権力は、それを受け容れる人々を無気力にし、自由を求める者には容赦なく暴力を振るう。暴力を振るわなければ維持できない性質が権力にはある。

 優れた小説は人間精神の深奥に迫る。そして精神の力は、肉体に加えられる暴力によって試される。アラブ小説が凄いのは、「想像力としての暴力」ではなく、「現実の暴力」に立脚しているためだ。

 もう一つの太いテーマは、「歴史と記憶」である。権力者は歴史を修正し改竄(かいざん)する。なぜなら、権力の正当性は常に過去に存在するからだ。過去は現在という一点に凝縮され、その現在は未来をも包摂している。つまり、過去と未来は現在を通してつながっているのだ。このため、過去に異なる情報が上書きされると、現在の意味が変質し、未来までもが権力者にとって都合のいいように書き換えることが可能となる――

 党は、オセアニアは過去一度としてユーラシアと同盟を結んでいないと言っている。しかし彼、ウィンストン・スミスは知っている、オセアニアはわずか4年前にはユーラシアと同盟関係にあったのだ。だが、その知識はどこに存在するというのか。彼の意識の中にだけ存在するのであって、それもじきに抹消されてしまうに違いない。そして他の誰もが党の押し付ける嘘を受け入れることになれば――すべての記録が同じ作り話を記すことになれば――その嘘は歴史へと移行し、真実になってしまう。党のスローガンは言う、“過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする”と。それなのに、過去は、変更可能な性質を帯びているにもかかわらず、これまで変更されたことなどない、というわけだ。現在真実であるものは永遠の昔から真実である、というわけだ。実に単純なこと。必要なのは自分の記憶を打ち負かし、その勝利を際限(さいげん)なく続けることだ。それが〈現実コントロール〉と呼ばれているものであり、ニュースピークで言う〈二重思考〉なのだ。

【『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳(ハヤカワepi文庫、2009年/吉田健一・龍口直太郎訳、文藝春秋新社、1950年/『世界SF全集10 ハックスリイ オーウェル』村松達雄・新庄哲夫訳、早川書房、1968年新庄哲夫訳、ハヤカワ文庫、1972年)】

 恐ろしいことに記憶よりも記録が歴史を司る。そして、記録が抹消されれば過去の改竄はたやすく行われる。移ろいやすく変質しやすい記憶は、記録によって塗り替えられる。

「過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする」という党のスローガンはこの上なく正しい。民衆をコントロールできる権力者は、歴史をもコントロールできるのだ。

 仏教では権力者の本質を「他化自在天」(たけじざいてん)と説いた。「他を化(け)すること自在」というのだ。しかも、人界の上の天界が住処となっているから、上層で君臨している。本書に照らせば、「他」というのは「他人の記憶」までもが含まれることになる。

 二重思考(ダブルシンク)は人間の業(ごう)ともいうべき性質である。例えば理性と感情、分析と直観、意識と無意識など我々はいつでもどこでも二重性に取り憑かれている。なぜなら、人間の脳が二つ(右脳と左脳)に分かれているからだ。そう考えると、人間は元々分裂した状態にあると考えることも可能だ。

 そして権力者は人々を分断する。自他の間に懸隔をつくり出す。悪の本質はデバイド(割り→分断)にある。

 オーウェルが象徴的に描き出したビッグ・ブラザーは社会のそこここに存在する。それにしてもオーウェルはとんでもない宿題を残してくれたもんだ。

【問い】ビッグ・ブラザーのような権力者とあなたはどのように戦えるかを答えなさい。制限時間は死ぬまで。



岡田英弘
岡崎勝世
野家啓一
『死生観を問いなおす』広井良典
寿命は違っても心臓の鼓動数は同じ/『ゾウの時間ネズミの時間 サイズの生物学』本川達雄
将来は過去の繰り返しにすぎない/『先物市場のテクニカル分析』ジョン・J・マーフィー
読書の昂奮極まれり/『歴史とは何か』E・H・カー
ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
物語の本質〜青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
物語る行為の意味/『物語の哲学』野家啓一
人間と経済の漂白/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ
忠誠心がもたらす宗教の暗い側面/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
情報理論の父クロード・シャノン/『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック
新世界秩序とグローバリゼーションは単一国を目指す/『われら』ザミャーチン:川端香男里訳
邪悪な秘密結社/『休戦』プリーモ・レーヴィ
過去の歴史を支配する者は、未来を支配することもできる/『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明
コミンテルンの物語/『幽霊人命救助隊』高野和明
『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』輪島裕介
パーソナルデータは新しい石油である/『パーソナルデータの衝撃 一生を丸裸にされる「情報経済」が始まった』城田真琴
アルゴリズムという名の数学破壊兵器/『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
1948年、『共産党宣言』と『一九八四年』/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

2009-01-10

長寿は“価値”から“リスク”へと変貌を遂げた/『恍惚の人』有吉佐和子


 ・長寿は“価値”から“リスク”へと変貌を遂げた

『認知症の人の心の中はどうなっているのか?』佐藤眞一
『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス

 初版は1972年6月新潮社刊。昭和47年である。老人介護に先鞭をつけた記念碑的作品。高度経済成長の真っ只中で書かれている。

 日本は敗戦後、朝鮮特需(1950-1952、55)によって経済的な復興の第一段階を遂げた。で、日米安保が1960年に締結される。ま、先に餌をもらった格好だわな。ベトナム戦争が1959年から始まっているので、アメリカとしては是が非でも日本を反共の砦にする必要があった。そして日本経済はバラ色に輝いた。これが高度経済成長だ。1973年からバブルが弾ける1991年までは「安定成長期」と呼ばれている。ってことはだ、東京オリンピック(1964)や大阪万博(1970)は、アメリカからのボーナスだった可能性が高い。

 日本人の大半が豊かさを満喫し、丸善石油が「オー・モーレツ!」というテレビCMを流し、三波晴夫が「こんにちは」と歌い、水前寺清子は「三百六十五歩のマーチ」でひたすら前に進むことが幸せだと宣言した。フム、行進曲だよ。遅れたら大変だ。

 そんなイケイケドンドンの風潮の中で、有吉佐和子はやがて訪れる高齢化問題を見据えた。

 主人公の昭子の言葉遣いや、杉並区に住んでいる設定を考えると、当時の山の手中流階級一家といったところだろう。以下に紹介するのは、昭子と老人福祉指導主事とのやり取り――

「それに分って頂きたいんです。私は仕事をもっていますし、夜中に何度も起されるのは翌日の仕事に差しつかえますし、世間は女の仕事に対して理解が有りませんけど、そんなものじゃないってことは貴女(あなた)なら分って頂けますね」
「それは分りますけど、お年寄りの身になって考えれば、家庭の中で若いひとと暮す晩年が一番幸福ですからね。お仕事をお持ちだということは私も分りますが、老人を抱えたら誰かが犠牲になることは、どうも仕方がないですね。私たちだって、やがては老人になるのですから」

【『恍惚の人』有吉佐和子(新潮社、1972年/新潮文庫、1982年)】

「老人を抱えたら誰かが犠牲になる」――これが介護の本質だ。これこそが答えなのだ。介護保険が導入された2000年4月以降も変わらぬ実態だ。

 北イラクのシャニダール洞窟で発掘されたネアンデルタール人(※約20万〜3万年前)の化石は、右腕が萎縮する病気でありながらも比較的高齢(35〜40歳)だった。このことから、仲間によって助けられている可能性が指摘されている(『人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」』三井誠)。つまり、介護だ。「人間とは“ケアする動物”である」という見方もある(『死生観を問いなおす』広井良典)。

 そうでありながらもコミュニティが崩壊し、人間が分断される社会が出現してしまった。これこそ、政治が持つ致命的な欠陥のなせる業(わざ)であろう。歪(いびつ)な社会は、歪な政治を裏に返した姿だ。

 今年の4月から介護報酬が引き上げられる。果たして全体で3%のアップがどの程度の効果を生むことやら。「焼け石に雀の涙」となりそうな気がする。多分、有吉佐和子が書いた現実は変わらない。介護は女性の手に押しやられ、ストレスまみれになった挙げ句、家庭は崩壊し、社会のあらゆる部分にダメージを与えることとなる。高齢者がお荷物扱いされるとすれば、我々はお荷物になる人生を歩んでいることになる。



電気を知る/『バーニング・ワイヤー』ジェフリー・ディーヴァー

2000-08-10

オオルリと世一/『千日の瑠璃』丸山健二


『メッセージ 告白的青春論』丸山健二

 ・20世紀の神話
 ・風は変化の象徴
 ・オオルリと世一
 ・孤なる魂をもつ者

『見よ 月が後を追う』 丸山健二

必読書リスト その一

 こんな商売をするようになり読書量がぐっと減った。それは、読み物から売り物への変遷に伴い「本」を見る目つきが変わってしまった証左なのかも知れない。時間がないのも確かだが、それ以上に「読む」という意欲が湧いて来ない昨今である。

 その点、本書は一日一ページの日記形式なので、如何に時間がなくとも区切りよく読むことが可能だ。寝しなに少しずつ読んでいる。初めて読んだ時ほどの昂奮には欠けるが「読む」に値する一書であることは論を俟(ま)たない。

 私はボールペンだ。
 書くために生きるのか、生きるために書きつづけるのか、その辺のことが未だにわかっていない小説家、そんな男に愛用されている水性のボールペンだ。

【『千日の瑠璃』丸山健二(文藝春秋、1992年/文春文庫、1996年)以下同】

 丸山は率直に「書くスタンス」を表明している。

 彼は今、数々の物象と命ある者とが巧みに構成する山国の町、まほろ町をつぶさに観察し、また、風がそよとも吹かない日でも強風のなかの案山子(かかし)のように全身を震わせ、魂さえも震わせてしまう少年と、彼が飼うことになった野鳥を通して、自己のうちには見出せない精神の軌跡と普遍の答を捜そうともくろんでいる。

 丸山の心象風景から生み出された物語は、目に映る表面的な営為を全く別の視点から描き出し、根源に潜む善悪を暴き出す。

 まほろ町で最も巧みに構成されているのは、万人がその美しさを認めざるを得ない「オオルリ」と、誰もが目を背け、哀れんでしまう「世一」の組み合わせだろう。少年「世一」のキャラクターは秀逸である。想像力の飛翔が斯くの如き主人公を誕生させた。世一はあらゆる人の営みが持つ本質を感知し、調和の方向へ、真実の高みへと誘(いざな)う。一見、トリックスター的な要素を湛えつつ、骨太な物語の柱としてそびえ立っている。

 
 

2000-08-05

風は変化の象徴/『千日の瑠璃』丸山健二


『メッセージ 告白的青春論』丸山健二

 ・20世紀の神話
 ・風は変化の象徴
 ・オオルリと世一
 ・孤なる魂をもつ者

『見よ 月が後を追う』 丸山健二

必読書リスト その一

 千日の物語は「風」から幕を明ける。まほろ町に吹く一陣の風が運んだドラマだったのかも知れない。

 私は風だ。

【『千日の瑠璃』丸山健二(文藝春秋、1992年/文春文庫、1996年)以下同】

 風は自らの意志をもって一人の老人の命を奪い、一羽の鳥の命を救う。変化を象徴する「風」が生と死の一線を画し、新たな世界へと読者を誘(いざな)う。

 天に近い山々の紅葉が燃えに燃える十月の一日の土曜日、静か過ぎる黄昏(たそがれ)時のことだった。

 千の主語の冒頭を飾る「風」は、すんなり決まったに違いない。丸山はオートバイに初めて乗った瞬間に知った風の感動をエッセイに書いている。スロットルを開いてキラキラとした風の中を体験した時から、この作品に向かっていたのではないだろうか。

 風は変化の象徴である。季節の移り変わりを知らせ、塵(ちり)を払いのけ、根を張らぬものをなぎ倒し、吹き飛ばす。向かい風となって前進する者の意志を試し、追い風となって帆に力を与える。

 風──見えないが、確かに感じる。そこに生と死を絡めた手腕に敬服した。

 
 

2000-08-01

20世紀の神話/『千日の瑠璃』丸山健二


『メッセージ 告白的青春論』丸山健二

 ・20世紀の神話
 ・風は変化の象徴
 ・オオルリと世一
 ・孤なる魂をもつ者

『見よ 月が後を追う』 丸山健二

必読書リスト その一

 私はある野望を抱いていた。それは、読んだ作品よりも量の多い書評を物することだった。読者へ訴えようとして著された文字の数々が、必要不可欠なものであれば、これに応える読者の感動も同じ数の文字があってしかるべきではないか、そう考えたのだった。

 7歳で文字を読めるようになり、今日(こんにち)までに数千冊の本を読んできたが、繰り返し読むに値する本の何と少ないことよ──。過ぎ去った30年間を振り返り、そう思わざるを得ない。

 そんな読書歴の中で、一昨年、本書と出会った。十数冊の本を併読するのが常であるこの私が、他の本を手にすることが不可能となった。一ページごとに変わる主語。千の視点から紡ぎ出される物語。まほろ町という架空の土地は、さながら小宇宙と化し、主人公である世一少年を中心に魂の劇が展開する。

 本と巡り会ってから丁度30年──。長年の野望を果たす時が来たようだ。

 物語は10月1日から始まった。千日間の冒頭を飾る主語は「風」だった──。詩情豊かな光景の中で、人間が抱く価値観とは全く相反する世界が展開される。

 風が運んで来たドラマに私は圧倒された。感銘などという生易しいものではない。度肝を抜かれたと言った方が正確だ。多読を得意とするこの私が他の書物を手にすることができなくなってしまったことを鮮明に覚えている。しかし、誰にでも薦められる作品ではない。その独特の個性、アクの強い表現、暴力性を伴う緊張感等々。この本を失敗作と評価する向きもある。が、丸山の革新的な手法は、文学の新たな嶺に到達し、読者に媚びを売るそんじょそこいらの作品群を睥睨(へいげい)する。

 一ページごとに変わる主語が千日の物語を紡ぎ出す。ありとあらゆる事物・事象・性質・現象が主語となって「まほろ町」と主人公である少年「世一」を語る。語彙の持つ業(わざ)が森羅万象をつかまえ、凝視し、一ページ一ページが小宇宙の物語を構成する。

 言葉が、自由に飛び交い、舞い上がり、突き刺さり、根を張り巡らす。

 肯定と否定、善と悪、陰と陽、生と死、相反する価値がクモの巣の如く交錯し世一の宇宙を象(かたど)る。

 それぞれのページが瞬間を切り取り、永遠を俯瞰(ふかん)する。微少なドラマを描き、極大の佇まいを奏でる。

 善意は限りなき優しさを伴った美しさとなり、悪意は極まりない辛辣さを満々と湛えドス黒い光を放つ。

 人間の目以外のあらゆるものから見える世界が表出している。

 丸山は、言葉によって構築される世界の限界に挑んだ。そして、それはものの見事に1000ページの作品となって結実した。大自然との交感から編み出された物語は、飽食に驕(おご)る人間の背筋をシャンと伸ばす効果に満ち満ちている。

 圧倒的なスケール、想像を絶する展開、森羅万象が奏でる「まほろ町」という宇宙、そして、自立せる魂の持ち主・少年世一。『千日の瑠璃』は20世紀の神話だ!