2019-04-27

スクワット入門/『死ぬまで歩くにはスクワットだけすればいい』小林弘幸


・『「腰割り」で体が若返る 肩こり・腰痛・ひざ痛など体の不調を改善するお手軽体操』白木仁

 ・スクワット入門

『本当に必要な「ゆるスクワット」と「かかと落とし」』中村幸男
・『世界一やせるスクワット』坂詰真二監修
・『神スクワット 1日20回からの腹も凹む究極のメニュー』森俊憲

 正しいフォームとは、最も健康効果を高めるフォームのことです。同時に、誰が行ってもケガやアクシデントが起こりにくい、安全なフォームのこと。
 そこで私は、医学的知見をもとに、健康効果を最大限に高めるとともに、誰もが安心して行える正しいスクワットの方法を検証しました。
 最初は、私自身も「階段をラクに上るため」という、ちょっとしたきっかけで始めたスクワットでしたが、効果を調べていくと、実におもしろいことがわかりました。【スクワットには、足腰を鍛えるだけではなく、免疫力向上、認知症予防、尿もれ防止、便秘改善、心を前向きにする作用】など、たくさんの驚くべき効果が隠されていたのです。
【スクワットをすることで、これからのあなたの人生は確実に変わります】。

【『死ぬまで歩くにはスクワットだけすればいい』小林弘幸(幻冬舎、2017年)以下同】

 スクワットは意外と奥が深いのだが中々いい本がない。一応私が読んだものをピックアップしておいたが雑多な情報から自分なりにエッセンスをつかむのがよいだろう。

 筋トレの基本はスクワットである。理由は簡単で人体の最も太い筋肉が大腿筋であるからだ。加齢に逆らえるのは筋肉だけである。黙っていると筋肉は年々減少してゆく。体型は変わっていなくても実際はサルコペニア肥満になっているケースが多い(『寝たきり老人になりたくないなら大腰筋を鍛えなさい』久野譜也)。有酸素運動で鍛えられる筋肉は代謝とは無縁で、贅肉を落とすためには筋トレが不可欠だ。

・毎日、朝晩行う
・ゆっくり行う
・ひざを90度より深く曲げない
・意識を太ももに集中させる
・腰を曲げない
・腰を下ろすときに息を吐き、上げるときに息を吸う
・食前に行う
・入浴前に行う
・ゆったりした衣服で行う
・痛みを感じたらすぐに中断

 所謂ハーフスクワットなのだが姿勢については諸説ある。一般的には足を肩幅より広い位置に置き、爪先をやや外側に向ける。腕は胸で組む、胸から離して組む、真っ直ぐ伸ばして掌(てのひら)を下に向けて重ねる、など。股割りスタイルというのもあって、この場合は相撲取りのように足と膝を外側に向けて行う。膝に掛かる負荷が少ないといわれている。

 高齢者はテーブルや椅子、手摺りなどにつかまって行うといいだろう。特に女性の場合、尻餅をついて背骨の圧迫骨折が原因で寝たきりになるケースが多いので安易な姿勢は戒めるべきだ。

死ぬまで歩くにはスクワットだけすればいい
小林 弘幸
幻冬舎 (2017-10-25)
売り上げランキング: 14,784

2019-04-26

「私たちはなぜ友人をほしがるのでしょうか?」/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ


 ・自由の問題 1
 ・自由の問題 2
 ・自由の問題 3
 ・欲望が悲哀・不安・恐怖を生む
 ・教育の機能 1
 ・教育の機能 2
 ・教育の機能 3
 ・教育の機能 4
 ・縁起と人間関係についての考察
 ・宗教とは何か?
 ・無垢の自信
 ・真の学びとは
 ・「私たちはなぜ友人をほしがるのでしょうか?」
 ・時のない状態
 ・生とは
 ・習慣のわだち
 ・生の不思議

クリシュナムルティ著作リスト
必読書リスト その五

 なぜ友人がほしいのでしょう。君たちは夫や妻もなく、子供もなく、友だちもなく、この世の中に一人で生きられますか。ほとんどの人は一人では生きられません。そのために友人がほしいのです。一人でいるには、非常に大きな智慧が必要です。そして、神や真理を見出すには、一人でいなくては【なりません】。友人や夫や妻を持つことや赤ちゃんを持つこともすてきです。しかし、私たちはそれらの中で、家庭や仕事、腐敗してゆく存在のつまらない単調な課業のなか(ママ)で、迷ってしまいます。それになじんでしまうのです。そのとき、一人で生きるという考えは恐ろしく、怖いものになるのです。しかし、生に豊かさがあるなら――お金や知識という誰にでも獲得できる豊かさではなく、始まりもなく終わりもない真実の動きという豊かさがあるのなら、そのとき交友は二次的な問題になるでしょう。

【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)以下同】

「私たちはなぜ友人をほしがるのでしょうか?」という少女の質問に答えたもの。「神や真理を見出すには、一人でいなくては【なりません】」との一言で教祖や師匠の存在を否定して痛烈である。出家の目的もここにあるのだろう。ブッダのもとに集ったサンガは共同体であったとされるが、現代の我々が考えるようなコミュニティではなかったように思われる。精神的な相互扶助があればそこに依存が生まれるからだ。

「始まりもなく終わりもない真実の動き」――このようなクリシュナムルティ独特の表現が何を指しているのか私にはわからない。たぶん三法印(諸行無常、諸法無我、涅槃寂静)のことだとは思うが、クリシュナムルティの言葉の方がすっきりと胸に入ってくる。

 しかし、君たちは一人でいる教育を受けないでしょう。君たちは自分一人で散歩に出かけることがありますか。一人で出かけ、木陰に坐ることはとても重要です――本も持たず、友人もなく、自分一人で、です。そして、木の葉が散るのを観察し、河のさざなみや漁師の歌を聴き、鳥が飛ぶのや、心の空間で自分の思考が互いに追いかけ合い、跳んでいるのを眺めるのです。一人でいて、これらのものを眺めることができるなら、そのとき君はとてつもない富を発見するでしょう。それは、どんな政府も税金を掛けられないし、どんな人間の作用によっても腐敗しないし、決して滅ぶことがないのです。

 デカルトだってここまでの観察はできなかったことだろう。見るためには距離が必要だ。つまり自分の思考を観察するためには自我から離れる必要があるのだ。

 クリシュナムルティは「悟れ」とすら言わない。ただ、「見よ」というだけである。「止観」(しかん)とはこのことか。道元は「正法眼蔵」を、日蓮は「開目抄」「観心本尊抄」を著した。「見る」という方向性は一致しているがクリシュナムルティのシンプルさは際立っている。


2019-04-25

ジョン・ホイーラーが示したビッグクエスチョン/『量子が変える情報の宇宙』ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー


『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック
『量子革命 アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突』マンジット・クマール
『宇宙は「もつれ」でできている 「量子論最大の難問」はどう解き明かされたか』ルイーザ・ギルダー

 ・ジョン・ホイーラーが示したビッグクエスチョン

『すごい物理学講義』カルロ・ロヴェッリ
『世界は「関係」でできている 美しくも過激な量子論』カルロ・ロヴェッリ
『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ
『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』セス・ロイド
『宇宙が始まる前には何があったのか?』ローレンス・クラウス

情報とアルゴリズム
必読書リスト その三

 指導者としてのウィーラーは、言葉の持つ魔力を知り抜いていた。一例を挙げると、物理学会が星の崩壊という現象に真剣に目を向けるよう、彼は「ブラックホール」という言葉をこしらえ、この企ては予想を超えた成功を収めた。しかし、晩年になって名声が高まり、評論や講演がより幅広い人々を対象としたものになるにつれて、ウィーラーは、量子力学の解釈や宇宙の起源といった、物理学と哲学が衝突する深遠な問題に的を絞りはじめた。自分の考えを人々の記憶に残る取っつきやすい言葉で表現するために、彼は「ビッグ・クエスチョン」と呼ぶ神託めいた独特な言い回しを作り出した。その中で最も重要な「真のビッグ・クエスチョン」が、この生誕90周年記念シンポジウムにおける議題選定のきっかけとなった。講演者は一人ひとり、これらの謎めいた金言からどんな閃(ひらめ)きをエたのかを、直々(じきじき)に証言したのである。
 ウィーラーの「真のビッグ・クエスチョン」は、まさに抽象的な性質のものであり、また車のバンパーに貼るステッカーに記せるほど簡潔なものだが、運転中にそれに思いを巡らせるのはお勧めできない。その中の五つは、特に際だっている。

いかにして存在したか?
なぜ量子か?
参加型の宇宙か?
何が意味を与えたか?
ITはBITからなるか?

【『量子が変える情報の宇宙』ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー:水谷淳〈みずたに・じゅん〉訳(日経BP社、2006年)】

「ウィーラー」がジョン・ホイーラー(1911-2008年)のことだと気づくのに少し時間がかかった。名前くらいは統一表記にしてもらいたいものだ。昨今の潮流としては原音に近い表記をするようになっているが、もともと日本語表記のセンスはそれほど悪くない。「YEAH」も現在は「イェー」だが、1960年代は「ヤァ」と書いた。ホイーラーはブラックホールの名付け親として広く知られる。

 ぎりぎりまで圧縮されたビッグクエスチョンは哲学的な表現となって激しく脳を揺さぶる。さしずめブッダであれば無記で応じたことだろうが、凡夫の知はとどまるところを知らない。わかったからどうだということではなく、わからずにはいられないのだ。

 存在と認識を突き詰めたところに意識と情報が浮かび上がってくる。参加型の宇宙とは人間原理のこと。人間の意識が宇宙の存在に関与しているという考え方だ。

 人類の進化はまだ途中だろう。ポスト・ヒューマンがレイ・カーツワイルが指摘するような形になるか、あるいは新たな群れ構造が誕生するに違いない。技術の発達を人類の情報共有という点から見れば、我々は知の共有は既に成し遂げたと考えてよい。月から撮影された地球の写真が人々の脳を一変させた事実はそれほど遠い昔のことではない。

 情のレベルは国家や民族という枠組みがあるもののまだまだ一つになっているとは言い難い。祭りと宗教にその鍵があると思われるが、現代社会では音楽や映画の方が大きな影響を及ぼしている。近未来の可能性としてはバイブルを超えるバイブルの誕生もあり得るだろう。人類が戦争を好んでやまないのは群れとしての一体感を感じるためだ。

 種としてのヒトが完全な群れと進化した時、新たな「群れの意識」が創生されることだろう。知情意は共有され、合理的な行動が近未来に向って走り出す。宇宙に向けて偉大な一歩が踏み出されるのはその時だ。

2019-04-22

読み始める

エスリンとアメリカの覚醒―人間の可能性への挑戦
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2019-04-19

我々が知り得るのは「脳に起こっていること」/『養老孟司の人間科学講義』養老孟司


『唯脳論』養老孟司
『カミとヒトの解剖学』養老孟司
『希望のしくみ』アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司

 ・我々が知り得るのは「脳に起こっていること」
 ・われわれが知っている世界は脳のなかだけだ
 ・ヒトには2種類の情報がある

『人類が生まれるための12の偶然』眞淳平:松井孝典監修

情報とアルゴリズム
必読書リスト その三

 科学は宇宙の起源や星の進化を論じ、物質の基礎をなす単位について語る。ヒトの遺伝子はすべて塩基配列がすべて解読された。われわれはそういう時代に生きている。
 それならわれわれが知っていることは、つまりなにか。
 自分の脳のなかだけである。われわれが世界について、なにか知っていると思っているとき、それは自分の脳のなかにある「なにか」を指している。脳を消せば、その「なにか」が消えてしまうからである。それだけではない。脳のなかにないものは、その当人にとって、存在しない。私が知っているさまざまな昆虫は、多くの人にとって、まさに「存在しない」のである。
 歯が痛いとき、われわれは当然、歯のことを直接に「知っている」と思っている。しかし、実際に知っているのは、脳のなかの知覚に関わる部位の、歯に相当する部分に、歯の痛みに相当する活動が起こっている、ということだけである。なぜなら歯から脳に至る知覚神経を麻酔してやると、もはや歯が痛くなくなる。それどころか、主観的には歯がなくなってしまう。だから歯医者に歯を抜かれても、「なにも感じない」。しかし歯では相変わらず炎症が進行しており、歯に生じている実際の事情は、なんら変化したわけではない。だから「歯が痛い」と思っているとき、「歯に起こっていること」を知っているわけではない。「脳に起こっていること」を知っているだけである。

【『養老孟司の人間科学講義』養老孟司〈ようろう・たけし〉(ちくま学芸文庫、2008年/筑摩書房、2002年『人間科学』改題)】

 関連する書評をはてなブログから移動しているのだがとにかく面倒臭い。当ブログのアクセス数や私の年齢を思うと無駄な行動にしか思えない。見知らぬ誰かが本を手繰り寄せる時に道標(みちしるべ)を示すことができればとの思いだけで、よくもまあ20年も駄文を綴(つづ)ってきたものだ。

 書評リンクを一々貼るのも煩わしいので今後は「ラベル」を活用しようと目論んでいる。記事タイトルの一覧表示ができればいいのだが、無料ブログなので多くを求めるまい。

 脳化社会(『カミとヒトの解剖学』養老孟司、1992年)では人生の万般が脳内現象に収まる。これを仏教では「識」(しき)と名付ける(唯識)。

 一冊の本を読んでも感想は人によって異なる。受け取るメッセージも様々だ。ある風景に心を奪われる人もいれば、漫然と見過ごす人もいる。すべての情報は受け手によって解釈され、一つの経典やバイブルから教義を巡って数多くの教団が派生する。その意味から申せば人が人を理解することは不可能だ。不可能という現実を受け入れた上で互いに歩み寄る努力が必要なのだろう。

 脳内現象をアイドリング状態に戻すのがスポーツで、脳内現象をゼロに向かわしめるのが瞑想なのだろう。

 人々の妄想をより大きな妄想に収束させるのが政治と宗教だ。

 そして現代の妄想は資本主義の発達によってマネーを媒介とした欲望の解放に向かう。神をも恐れぬ我々がカネの価値だけは信じているのだから、もはやマネー教と言ってよいだろう。

 人類がいつの時代も戦争を欲するのは種としてのヒトが一体感を感じるためなのだろう。祭りにもまた同様の効果がある。それを超えたコミュニケーションは可能だろうか? もっと静かでもっと知的でもっと和(なご)やか一体感を得る道はあるのだろうか? ある、とは思う。どこに? ここに、とまだ答えることのできぬ自分が歯痒(がゆ)い。