2018-07-26

自己治癒コンクリート/『人類を変えた素晴らしき10の材料 その内なる宇宙を探険する』マーク・ミーオドヴニク


『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン

 ・自己治癒コンクリート
 ・人生を変える発見

『世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史』スティーブン・ジョンソン

必読書リスト その三

 自己治癒コンクリートには、このバクテリアとその餌になるデンプンの一形態が混ぜ込まれている。バクテリアは普通の環境下ではケイ酸カルシウム水和物フィブリルに閉じ込められて休眠状態を続ける。だがひびが入るとバクテリアがフィブリルの結合から解放され、水の存在によって目を覚まして餌を探しはじめる。そしてコンクリートに加えられていたデンプンを見つけると、それを食べて成長し、増殖する。その過程で炭酸カルシウムの一形態である方解石を排泄する。この方解石がコンクリートと結合し、ひびをつなぐような鉱物構造をつくりはじめ、ひびのさらなる成長を止めてふさぐのである。

【『人類を変えた素晴らしき10の材料 その内なる宇宙を探険する』マーク・ミーオドヴニク:松井信彦訳(インターシフト、2015年)】

生物でひび割れを直すコンクリートが日本上陸(前編) | 日経 xTECH(クロステック)
生物でひび割れを直すコンクリートが日本上陸(後編) | 日経 xTECH(クロステック)
ひび割れを自ら修復!自己治癒・自己修復コンクリートへのバイオ技術の活用 | コンクリートメディカルセンター

 一種の創発技術と言えそうだ。生命の不思議を利用して人工物を長く活かす発想がユニークだ。

 人体が老化する原因は二つ考えられており、一つは遺伝情報で、もう一つは細胞のコピーミスである。しかしながら今の段階ではまだ特定するに至っていない。ひょっとすると体にバクテリアを投与する医学が出てくるかもしれない。ま、もともと人体はバクテリアだらけだし、DNAにもウイルスの影響が色濃く残っている。


【右下の左側にある「字幕」をクリック】

 自分が合成物であるとはにわかに理解し難いが、それは意識によって統合されていると錯覚しているためだろう。内蔵を移植した人は食べ物の好みが臓器提供者のそれに変わることが報告されている。

 傷や骨折などに対しては治癒メカニズムが働くが、精神や価値観の治癒は難しい。ま、病の自覚症状がないのだから致し方ないとも言えるが(笑)。

2018-07-25

はかることと分けること/『〈はかる〉科学 計・測・量・謀……はかるをめぐる12話』阪上孝、後藤武


『なんでも測定団が行く はかれるものはなんでもはかろう』武蔵工業大学編

 ・はかることと分けること

「はかる」ことは分けること(分類)とともに、人間が外界に適応し、働きかけて生きていくうえでもっとも基本的な営みの一つである。

【『〈はかる〉科学 計・測・量・謀……はかるをめぐる12話』阪上孝〈さかがみ・たかし〉、後藤武(中公新書、2007年)】

 そして科学の基本でもある。「はかる」能力が緻密であったからこそ道具を作ることができた。「分ける」能力はリンネ、ダーウィンを経て量子論にまで至った。

 ふと気づいたのだが政治もまた「はかる」ことと「分ける」ことが基礎となっている。徴税や公共事業など。司法も同様か。目隠しをした正義の女神テミスは剣と秤(はかり)を持っている。

 19世紀の科学的心理学を形づくったどの説でも、われわれが世界から得ているセンスデータは不十分であるということが前提にあり、この刺激という単位を採用したおかげで心理学は刺激の貧しさを克服しなければならなかった。どうやらそのときにある種の「心」の働きが構想された。ギブソンは、この手の知覚論を関節知覚論と呼んでいる。

 これはアフォーダンス理論を解説した箇所である。ギブソンは直接知覚論を説いた。アフォーダンスについては勉強不足のためよく理解していない。大体私が理解しにくいのは西洋の伝統的な思考を知らないためだ。

ギブソンの生態学的知覚論とは何でしょうか。 感覚と知覚について、遠くギリシャのアリストレテスからギブソンに至るまでの経緯の中で、 生態学的知覚論の特徴を検討してみました。

 ま、要は環境からの働きかけを情報として読み取る行為を指しているのだが、仏教だと依報(えほう/環境)・正報(しょうほう/主体)の相互性が説かれているので我々にとっては親和性の高い考え方なのだが、ギブソンはもう一歩具体的な次元に踏み込む。

 多分、「つかまりやすい枝」あたりから始まっているような気がするよ。我々のご先祖様がまだ猿だった時代の話だ。

“はかる”科学―計・測・量・謀…はかるをめぐる12話 (中公新書)
阪上 孝 後藤 武
中央公論新社
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辛淑玉がDHCテレビと司会者の長谷川幸洋を提訴




 動画は2週間限定公開。琉球新報・沖縄タイムスが赤旗化・聖教新聞化している模様である。特筆すべきは沖縄二紙が反日左翼のプラットフォームとして言論の場を提供している事実である。佐藤優はレギュラー出演しているラジオ番組で民主党政権を援護射撃し、更に本土主要紙を批判する際に「沖縄の論調は違います」と沖縄二紙の社説や記事を紹介してきた人物である。ひょっとすると辛淑玉〈シン・スゴ〉に対して入れ知恵をしている可能性もある。

 佐藤は「中間層が重要だ」と語っている(佐藤優は現代の尾崎秀実)が、一定のファン層をもつ人物に次々と接近し、対談を行ってきた。その矛先は右翼にまで向かった。刊行された対談も多い。彼は相手よりも、中間層としてのファンに向けてメッセージを放ったのだろう。

 敗戦後の歴史的な汚点はシベリア抑留、沖縄占領、北朝鮮による日本人拉致の三つである。そう考えると日本人にとって沖縄に巣食う問題は無視できるものではない。

2018-07-24

エアコン室外機の水冷システム


2018-07-23

「はかる」という漢字の多さ/『なんでも測定団が行く はかれるものはなんでもはかろう』武蔵工業大学編


 ・「はかる」という漢字の多さ

『〈はかる〉科学 計・測・量・謀……はかるをめぐる12話』阪上孝、後藤武

 そうした世界統一単位の構想の実現に向けて、まず動き出したのは革命さなかのフランスだった。1790年、政治家で外交官であったタレーランは、統一単位の必要性を説き、パリ科学学士院がこれに取り組むこととなった。新しい単位は、ギリシャ語【原語略】(測定)から「メートル」とした。(中略)
 1792年から1799年にかけて、天文学者のメシェンとドゥランブルが子午線の測定をし、地球子午線全周の4000万分の1の長さを1メートルとした。これをもとに1メートルの長さをもつ白金でできた幅25.2ミリ、厚さ4ミリのメートル原器がつくられた。総裁政府は、この原器に基づくメートル法を含む法律を公布したがなかなか一般には普及せず、メートル法が強制実施されたのは、1840年以降である。

【『なんでも測定団が行く はかれるものはなんでもはかろう』武蔵工業大学編(講談社ブルーバックス、2004年)以下同】

 ウム、やはりフランス革命(1789-99年)は時代を画(かく)す大事件であったことが窺える。ヨーロッパが教会の束縛から自由になったのも多分この頃だろう。1760年代にはイギリスで産業革命が起こった。アメリカ独立戦争が1775年のこと。近代の幕開けだ。因みに明治元年が1868年である。

「はかる」という言葉はたくさんの漢字で表されることでよく知られている。「測・量・計・図・謀・諮」が代表的なところで、そのほかにも「忖・画・度・称・秤・料・評・詢・衡……」など、数多い。要するに、大昔から使っていた「はかる」という言葉に、輸入された漢字を適当に当てているわけだが、この適当ぶりを見てみるとなかなか興味深い。(清水由美子)

「所体のなかにおいて、軽重を権(はか)る。これを権という」(墨子/『孟嘗君』宮城谷昌光)。はかるという訓読みの漢字は34もある(みんなの名前辞典)。

 脳を情報処理装置と考えれば、生きるとは「はかる」ことを意味する。情報処理とは【計】算(≒演算)である。我々の行動は必ず予【測】に基づく。一寸先は闇であるが五感を駆使して測っているのだ。手探りしながら未来を手繰り寄せているようなものだろう。

 図・謀・諮は集団内におけるコミュニケーションである。「謀る」には悪巧みのイメージが強いが、実際は騙す側に生存の優位性がある。ただし集団規範を崩壊させるゆえに課罰のリスクが伴う。

 また、「慮(おもんぱか)る」とは思いをはかる謂(いい)である。情けの深さが人の心を動かす。

 工業と科学技術は計算能力を格段に進歩させ、文明の力は時空を圧縮する。そして我々は現在性を見失った。「はかる」行為をやめて、現在というゼロ地点にとどまるのが瞑想である。止まって観るがゆえに止観と名づける。

2018-07-22

期待外れ/『神奈川・伊豆・箱根・富士自転車散歩』山と渓谷社編


『湘南鎌倉自転車散歩』

 ・期待外れ


【『神奈川・伊豆・箱根・富士自転車散歩』山と渓谷社編(山と渓谷社、2010年)】

 画像の連結を行うのは初めてのことで出来栄えが悪いのは見逃してくれ給え。食指を動かされるコースではあるが私は輪行をする予定がないので部分的にしか走らないと思う。順番から申せば、「道志みち-山中湖-R246」が先で、「河口湖-西湖-本栖湖」は富士山一周コースとなる(200km強)。1年後くらいには実現したい。

『湘南鎌倉』篇で失望・落胆・悲哀を味わっていたためさほど期待はしていなかったのだが、それでも期待外れの感を深めた。私が社長なら編集者を首にするだろう。せめて神奈川県に住むサイクリストに取材をしていたならこんな結果にはなっていなかったはずだ。

 私は東京方面に関しては奥多摩以外行く予定がないため東京篇を買うことはない。汚れなき心は都会を避けて山や湖に向かうのだ。

 サイクリストにとって神奈川県は関東で最も魅力的な場所である。ヒルクライム(登坂)の聖地に数えられるヤビツ峠もある。そのまま登れば宮ヶ瀬湖だ。ただし神奈川の道路事情は決してよくない。東京よりも悪い。片側にしか歩道がない道路が目立つ。しかも幹線道路が東京都心から放射状に伸びているため、南北の往来がわかりにくい。国道246号はところどころ自転車通行禁止となっている。

 結局のところサイクリングコースは本なんぞ当てにしないで自ら試行錯誤を繰り返しながら我が道を探り当てるしかない。

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2018-07-21

境川サイクリングコース/『湘南鎌倉自転車散歩』


 ・境川サイクリングコース

『神奈川・伊豆・箱根・富士自転車散歩』山と渓谷社編



【『湘南鎌倉自転車散歩』藤原祥弘、DECO、麻生弘毅(山と渓谷社、2010年)】

 距離は55.4kmである。境川は大和市・藤沢市のよく知られたサイクリングコースだが源流が城山だとは知らなかった(ただし城山湖ではない)。大地沢青少年センター付近で以前よく散歩していた場所だ。この辺りは八王子と町田と相模原が入り組んでいる場所だ。JR高尾駅からだと徒歩1時間ほどの位置にある。


 因みにGoogleマップで徒歩を選択すると上記地図のコースとなる。境川がかなり東側を迂回しているのがわかるだろう。源流付近は川沿いの道がないはずだ。他の道路も決してサイクリングに向いているとは言い難い。ま、そのうち私が確認してこよう。

 本書自体は私にとって噴飯物という以外になく、「どうして自転車で鎌倉なんぞに行かなくてはならないのだ?」と言わざるを得ない。鎌倉は道が悪いのだ。しかも観光客が多い。気取った店はもっと多い。

 読者層が不明の地図だ。強いて挙げれば「盗まれる可能性が低い自転車に乗っている人」に限られる。でも、ママチャリ~クロスバイクで観光する人っているのかね?

「なぜ我が津久井湖、相模湖、宮ヶ瀬湖がないのだ?」と思っていたところ、別本であることが判った。神奈川南部で私が目指すのは三浦半島の城ヶ島公園や箱根、真鶴程度である。湖巡りや道志みちほどの胸の高鳴りは覚えない。

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2018-07-19

武士道はまだ死んでいない/『VTJ前夜の中井祐樹 七帝柔道記外伝』増田俊也


『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也
『七帝柔道記』増田俊也
『北の海』井上靖

 ・武士道はまだ死んでいない

『木村政彦外伝』増田俊也

 決勝の相手ヒクソン・グレイシーは顔面を大きく腫らしながら決勝に上がってきた小兵の中井に敬意を表したような戦い方をした。私たちは流れるような2人の寝技戦に魅入った。
 この大会が、本当の意味で日本のMMAの嚆矢(こうし)となった。
 神風を起こしたのは、たしかにグレイシー一族でありUFCであった。
 しかし、神風が吹くだけでは大きな波がおこるだけで、その波を乗りこなせるサーファーがいなければ、波はただ岸にぶつかり砕けて消えるだけだ。
 神風が起こした大波を、右目失明によるプロライセンス剥奪という死刑宣告と引き替えに乗りこなした中井祐樹がいたからこそ、日本に総合格闘技が根付き得た。それだけは格闘技ファンは絶対に忘れてはいけない。

【『VTJ前夜の中井祐樹 七帝柔道記外伝』増田俊也〈ますだ・としなり〉(イースト・プレス、2014年/角川文庫、2018年)】

 増田が4年の時に北大柔道部に入ってきたのが中井祐樹〈なかい・ゆうき〉だった。そして中井が最上級生になった時、北大は12年ぶりに優勝旗を奪還する。中井はその後シューティングへ進み、格闘家として歩む。ヴァーリ・トゥード・ジャパン・オープン1995に参戦し決勝でヒクソンに敗れる。意図的な目潰しをしたのはオランダ人空手家のジェラルド・ゴルドーで、レフェリーの制止を振り切って執拗に行い、中井の眼球の裏側にまで親指を入れた。それ以前にも佐竹雅昭との対戦でサミングをしている。根っからのクズというか、白人なら有色人種に対して何をやってもいいと思っているのだろう。

 本書はノンフィクション短篇集である。『七帝柔道記』のその後や、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の執筆エピソードと共に、決して目立つことのなかった本物の武道家たちに光を当てる。

 自分の背負い投げさえ完成すればそれですべては解決する。この背負いさえ完成すれば……。
 すでに尻尾は見えていた。
 堀越はさらに背負いの習得に没頭した。
 そして、ある日、ふとタイミングをつかんだ。
 高校1年から大学4年まで、実に7年近くかけて野村豊和の背負い投げを完全マスターしたのである。自分の形にもっていけば相手が誰だろうと必ず投げることができるようになった。だが、それだけの力がついてきたころには天理大柔道部も代替わりしていた。だから堀越の柔道が大化けしていることに誰も気づかなかった。

 豊和は野村忠宏の叔父である。動画を見るとわかるがその背負い投げは光速と形容するのが相応しい。まさしく人間離れしたスピードである。手首の使い方にコツがあるようだ。

 堀越英範は地味な選手だった。戦績も冴えなかった。しかし一つの技を牛の歩みの如く着実にマスターしていった。そしてスター選手の古賀稔彦と対戦する。

 堀越から組んだ。
 切られた。
 激しく組み手争い。
 組めない。
 まだ組めない。
 組んだ。
 瞬間、堀越は勝てると思った。
 応援の声や会場のざわめきはまったく聞こえなかった。古賀の息遣いだけが耳元で聞こえた。(中略)
 古賀が堀越の左釣り手を切って絞った。
 堀越はこれを待っていた。
 切られた左釣り手で古賀の右腕ごと引っぱり出して抱え、左一本背負いで叩きつけた。一瞬のことだ。あまりに速い背負い投げだった。
 会場の福岡市民体育館はしばらく水を打ったように静まり返り、そして揺り戻すような大歓声が上がった。
 その瞬間、堀越は我に返った。
 勝った……。
 わずか39秒の出来事だった。
 古賀が一本負けしたのは1990年の全日本選手権で小川直也の足車に屈して以来。同階級の日本人に一本負けしたのは生まれて初めてだった。自身得意の背負い投げで投げられたのは中学1年のとき一度きりである。

 流した汗の量だけで勝てるほど甘い世界ではない。技が不可欠なのだ。来る日も来る日も同じ行為を繰り返し、技に磨きをかけ、考える前に動く精密機械のように肉体を鍛え上げるのだ。「なぜ、そこまで?」と問うのは愚かだ。ただ、そういう高みで生きる人間がいることを我々は目撃するだけだ。

 日本の武士道はまだ死んでいないことを思い知らされる。






骨盤体操/『棗田式 胴体トレーニング』棗田三奈子

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2018-07-18

昭和黎明期のバンカラ柔道部/『北の海』井上靖


『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也
『七帝柔道記』増田俊也

 ・昭和黎明期のバンカラ柔道部

『VTJ前夜の中井祐樹』増田俊也
『木村政彦外伝』増田俊也

「稽古はそんなに烈しいですか」
「まあ、烈しいと言えましょうね。朝稽古、昼稽古、夜稽古」
「ほう、すると、勉強は?」
「勉強なんて、そんな余分なものはしませんよ。勉強しに学校へはいって来たんじゃないから」
「じゃ、何のためにはいったんです」
 遠山が訊くと、
「もちろん、柔道をやるためですよ。僕は今年入学して来た1年下の連中に言ったんです。学をやりに来たと思うなよ、柔道をやりに来たと思え」
「ほう」
 洪作は、ここでもまた“ほう”と言う以外仕方なかった。

【『北の海』井上靖(中央公論社、1975年)、新潮文庫、1980年】

『しろばんば』、『夏草冬濤』(なつぐさふゆなみ)、そして本書で自伝三部作となる。井上靖は明治40年(1907年)生まれだから、旧制四高(しこう/現金沢大学)に入ったのは昭和2年(1927年)である。私と同じ旭川出身だとは知らなかった。旧制中学に主席で入学したというのだから元々秀才だったのだろう。主人公の洪作は複雑な家庭環境で育ち、非常に冷めた性格の持ち主となる。ところが受験を控えた時期に蓮見と出会い、春秋の色合いが深まる。

「それにしても、たいへんな学校ね。よくそんなところへはいる者がいると思うね。勉強もしないで、柔道ばかりやって」
「そう思うでしょう。僕もそう思う。だから、考えたらだめなんですよ。考えたら、柔道なんて、やれません。別に柔道家になるわけじゃない。高専大会で優勝することだけが目当なんですからね。でも、練習量がすべてを決定する柔道というものを、僕たちは造ろうとしている。そういう柔道があると思うんです。そういう柔道があるかどうかは、僕たちが自分でやってみないことには判らない。それをやろうと思っている」

 洪作は四高受験を決めた。「練習量がすべてを決定する柔道」との言葉が胸の内に響き渡り、全身を震わせた。まず感心するのは柔道部のスカウト活動である。様々な地域に足を運び、柔道経験者を次々と寝技の餌食にし、「勝つために力を貸して欲しい」と熱弁を振るうのだ。共産党のオルグ活動や日蓮系の折伏といい勝負である。柔道部の人間関係も軍隊というよりは宗教的な次元に近い。二十歳前後の若者とは到底思えぬほど立派な振る舞いである。

 杉戸は説明してくれた。なるほど少し登ると折れ曲り、また少し行くと折れ曲っている。
「腹がへると、何とも言えずきゅうと胃にこたえて来る坂ですよ。あんたも、あしたから、僕の言っていることが嘘でないことが判る。稽古のひどい時には、この辺で足が上らなくなる。なんで四高にはいって、こんなに辛い目にあわかねればならぬかと、自然に涙が出て来る」
「ほんとに涙が出るんですか」
「そりゃあ、出る。1年にはいって、1学期の間は、毎日のように、この坂の途中で涙を出す。実際に足が上らなくなるんだから、涙だって出て来ますよ。だが、1学期が終ると、大体諦めてしまう。こういうものだと思ってしまう。僕などは、現在、そうしたとこへ来ている。鳶のように深刻に考えたりしない。たいしたことではない。3年間、捨ててしまうだけの話なんだ」
「鳶さんも1年ですか」
「そう」
「僕は2年生かと思いました」
「2年の部員はすじ金入りですよ。人間らしい血なんて、1滴も持たなくなる。さかさにして振っても、人間の血なんか1滴も出て来ない。出て来るのは汗ばかりだ。そうなると、みごとですよ。六高(※現岡山大学)に勝つことしか考えなくなる。親のことも、兄弟のことも考えなくなる。考えることは、六高に勝つことばかりだ。人生も、学校の成績も、落第も、及第も考えなくなる。全く、ねえ、変な学生があるものだ」

 バンカラという言葉はハイカラをもじったもので蛮カラとも書く。だが、ここまでくると野蛮そのものである。獣のように力だけが支配する世界のわかりやすさがヒトの古い脳を刺激する。我々の社会にはびこる悪知恵や誤魔化しは一切通用しない。

 読み進むうちに『七帝柔道記』との違いがわからなくなり、不思議な混迷に襲われる。時代は違えども彼らは全く同じ青春を生きているからだろう。

 余談ではあるが、井上が育った静岡の言葉が味わい深く、洪作の四高行きを知った人々が集まってくる場面では、田舎の人々が実にしっかりとした口上で挨拶をしており、失われた文化を思い知らされる。

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目撃された人々 72


 午前9時、気温は33℃を超えていた。

2018-07-16

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美しい青春/『七帝柔道記』増田俊也


『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也

 ・美しい青春

『北の海』井上靖
『VTJ前夜の中井祐樹』増田俊也
『木村政彦外伝』増田俊也

 ひたすら苦しく辛い練習が続いた。
 北大キャンパスで柔道部の時計だけが進まなかった。遅々として進まなかった。たった一日の休みである日曜日が来るまでがあまりに長かった。あまりに苦しかった。拷問のような時間だった。
 いや、毎日の練習が終わるまでの数時間でさえ、それまで経験した時間の流れの100倍にも200倍にも感じられた。500倍にも1000倍にも1万倍にも感じられた。ときに乱取り一本の6分間が数百時間にも感じられた。毎日毎日、残りの本数を数えながら乱取(らんど)りを繰り返した。汗の蒸気のなかで寝技乱取りを繰り返した。道場には汗の蒸気とうめき声しかなかった。いったい引退までにこの乱取りを何万本こなさなければならいのか――。

【『七帝柔道記』増田俊也〈ますだ・としなり〉(角川書店、2013年/角川文庫、2017年)】

 柔道の関連書として山口絵理子著『裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記』を挙げておく。七帝柔道(ななていじゅうどう/しちていじゅうどう)は高専柔道の流れを汲むもので寝技が中心である。異種格闘技で名を馳せるグレイシー柔術(ブラジリアン柔術)も同じ流れの中にある。一般的に知られるのは講道館柔道でかなりルールが違う。講道館ルールでは投げ技に続く寝技しか認められていないが、七帝柔道では引き込みが可能で、「待て」がなく、場外もなしで、勝敗は「一本」のみとなっている。関節技が決まっても「参った」をしない選手が多く、骨折に至ることが珍しくない。武道の中でも最も苛酷を極める。

 本書は増田俊也の学生時代を描いた自伝である。高校で柔道を経験した増田ですら悶絶するほどの苦しい練習だった。北海道警察への出稽古シーンなどはまさに修羅場といってよい。絞め技・関節技が中心で人体の限界を思わせるほどの壮絶さである。

 多くの人々がスポーツに魅了される理由は、彼らの苦行に秘密があるのだろう。ストイックな日々は修行そのものだ。のんべんだらりと毎日を過ごす我々は自分が見失った理想を彼らに見出す。宗教が色褪せたのは自らを苦しめる真剣さをなくしたためだろう。

 そしてこれだけの練習をしても北大は最下位だった。語り継がれる伝統と勝利への貪欲な責任感が宗教的な次元にまで高められ、その他の青春を全て犠牲にする。充実した青春は多いが美しい青春は稀(まれ)だ。




七帝柔道記 (角川文庫)
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2018-07-13

【討論】サヨクの本質-共産主義は本当に死んだか?[桜H30/2/24]


 これは勉強になった。岩田温〈いわた・あつし〉が新風を吹き込んでいる。ただし中国が簡単に滅ぶという見方は甘すぎる。アメリカが世界覇権から一歩退くのは中国が前面に出てくることが大前提となっているのだから。


「リベラル」という病 奇怪すぎる日本型反知性主義
岩田 温
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2018-07-12

布教インペリアリズム/『みじかい命』竹山道雄


『昭和の精神史』竹山道雄
『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
・『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄

 ・×踏み絵 ○絵踏み
 ・布教インペリアリズム

『石田英一郎対談集 文化とヒューマニズム』石田英一郎

キリスト教を知るための書籍
日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 往きて宣べつたへ「天国は近づけり」と言へ――このイエズスの命令は、おそらく人々にこの世の崩壊が明日にも迫っていることを教え、すべては融けて消えてなくなると説き、その中にあってもなお永遠の生命を保つためには、ゴッドの教えをきいてゴットの国に入れ、ということであったのだろう。その教えをきかない者は呪われた者だった。
 年と共に、これが歴史の実体としては、行きて宣べて、しかもかつ略奪劫掠せよということとなったことは、疑いをいれない。宗教宣伝が領略の名目となったことはまちがいがなかった。むしろ、この両者は一体のものだったろう。12世紀の十字軍遠征を扇動した法王の言葉は他に紹介したことがある。彼はこれによって集団ヒステリーをかきたてた。西欧の方々の国の村から町から異教徒という被害妄想に憑かれた人々が、群をなし列をなしてぞろぞろと東へ征った。
 バテレンの布教は日本征服と関係がある――この結びつきは、徳川時代において日本人の固定観念だった。それが明治に布教が再開されるに及んで消えた。その間の時期に日本の指導層は合理的に物を考えるようになっていた。しかし、近頃バテレンの機密文書がぞくぞくと発表されるに及んで、やはり前の固定観念が正しかったことが明らかになった。その証拠はかぎりがない。
 大航海時代に南ヨーロッパ諸国民が世界に雄飛した動機について告白したものは、聖なる教えを奉ずる自己の利益となる行為は正しいものであるということを、表明している。じつにキリスト教徒でない者は、まだ人間であるか否かを疑われ、むしろ家畜として使役すべきものだった。

【『みじかい命』竹山道雄(新潮社、1975年)】

 40代でクリシュナムルティと出会い、50代で竹山道雄を知ったことは私の読書人生もあながち的外れではなかったことを証(あか)しているようで少しばかり自慢気になる。若い頃から抱いてた疑問の数々はすべて晴れたといっても過言ではない。

 本書は江戸時代を舞台としたキリスト教小説である。竹山は1903年(明治36年)生まれだから刊行時は72歳だ。竹山の前半生は戦争と共にあった。

日清戦争(1894-95年)
日露戦争(1904-05年)
第一次世界大戦(1914-18年)
満州事変(1931-32年)
支那事変日中戦争(1937-45年)
大東亜戦争(1941-45年)

 明治開国で日本は辛うじて植民地となることは免れたが長く不平等条約に苦しめられた。明治政府は白人帝国主義の外圧に対抗すべく富国強兵を掲げ殖産興業に邁進した。日露戦争は近代史における一大事件で初めて有色人種が白人を打ち負かした近代戦争であった。その後も半世紀近くにわたって日本はロシアの南下と戦い続ける。

 竹山は戦前にドイツとパリへ3年間留学している(※当時一高のドイツ語講師)。また鎌倉の海岸で偶然出会ったベルナルト・レーリンク(オランダの裁判官で東京裁判の判事を務めた)とも親交を重ねた。言うなれば「誰よりもヨーロッパを知る日本人」であった。彼はいち早くナチスの欺瞞を見抜いた。そしてナチスという現象の歴史的由来を探った。竹山は「キリスト教にその原因あり」と喝破した。

 竹山の経験・見識を総動員して描かれた小説が本書である。SF的手法を用いた原爆投下の悪夢や、戯画的に綴られる性描写、リアリズムを追求するがゆえの残酷さなどは好みが分かれることと思われるが、私はその全てに息が止まるほどの激情を覚えた。主人公の湯浅を竹山の分身と捉えることも可能だろう。

 キリスト教小説として読めば飯嶋和一作品(『黄金旅風』以降)の底の浅さがよく見えてくる。ただし飯嶋がキリスト教を道具立てとして使っているのか、宣教を目的にしているのかは不明である。

 キリスト教ヨーロッパによる布教インペリアリズム(帝国主義)を理解せずして近代史を把握することはできない。アフリカ・アジアの殆どの国が植民地として農地同然の扱いを受けた。日本はやっとの思いで日露戦争・日清戦争に打ち勝ち、一等国として扱われた。

 第二次世界大戦の枠組みで形成される国際社会ではいまだに日本を貶める話題に事欠かない。例えば慰安婦捏造問題が挙げられよう。チャイナ・マネーとつながっているヒラリー・クリントンがセックス・スレイブ(性奴隷)と口にしたことは記憶に新しい。私は常々思っているのだが慰安所という当時の日本文化を通して反撃することが正しい。慰安所は現地での性犯罪を防ぐ目的で設置された。衛生面にも配慮がなされており、過酷な労働に対する報酬も高額なものだった。慰安婦と結婚した兵士も少なからず存在した。明治維新の志士だって遊郭の女性を妻や妾にしている例は多い。

 アメリカ兵はノルマンディーに上陸し、フランスをナチスドイツから解放すると、フランス人女性を次々と強姦した。「GIはどこでも所かまわずセックスしていた」(「解放者」米兵、ノルマンディー住民にとっては「女性に飢えた荒くれ者」)。同盟国の女性すら強姦するのだから敵国ともなると残虐の度合いが桁違いとなる。ベトナム戦争では「一人の女が赤熱した銃剣を性器にぐさりと深く突き立てられるのも見た」という米兵の証言もある(『人間の崩壊 ベトナム米兵の証言』マーク・レーン)。

 アングロサクソンも恐ろしいがもっと凄いのはロシア兵だ。イナゴの大群が作物を食い尽くすように強姦しまくる。第二次世界大戦のドイツでは少女から老人に至るまで犯された。満州では日本人女性も多数の犠牲者を出している。

 白人は自らの歴史を振り返って反省することがない。なぜなら彼らはキリスト教という正義に取り憑かれているためだ。本来であれば東洋から学問的追求をするべきなのだが、自国の歴史すらまともに知ることができない現状である。

 私が知る限りではどの宗教学者や仏教者よりも竹山はキリスト教の本質を鋭く捉え、日本文化を通して見事な鉄槌を下している。