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◎コニー 2012の正体~アフリカ侵略心理作戦
◎ウガンダ反政府勢力の蛮行告発映画、「真実と違う」と地元民は猛反発
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1970年、そのことは、広く世間に知られることとなった。
〔■(サイ)〕の発見である。
岩波新書としてその年、出版された『漢字』という一冊の本は衝撃的な■(サイ)のデビューとなる。
■(サイ)は、1970年を遥かに遡る時代に発見されている。
発見者はもちろん「白川静」。
【『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽(平凡社、2001年)以下同】
「白川静」と言えば、〔■(サイ)〕の発見である。現在の漢字の「口」は、口耳の「口」のみの意であるが、古代中国においては、「口」には二つの意があり、口耳の“口”に対して、もう一つ神への申し文(もうしぶみ/人が神に願事〈ねぎごと〉をするために書かれた手紙)を入れる“器”という意味があった。
それが白川静、曰(い)うところの〔■(サイ)〕である。
この〔■(サイ)〕の発見は、従来の漢字の意味を解く法を完全にひっくり返した。
そればかりではない。その〔■(サイ)〕という“器”を通すと、漢字の背後のものがたり、民俗が象(かたち)として見えてくる。
■(サイ)――この象(かたち)を何と呼ぶか、何と読むか。
その名付け親も白川静である。
神々は、花に坐す。木に坐す。風に坐す。山に坐す。川に坐す。海に坐す。
食事の器にも時々降って宿っています。あなたの掌の中にもいます。
古代人は、神々をそう捉えてきた。神はスピリット、精霊、総ての“もの”に宿っている、と。
だから病も神。
白川静曰(いわ)く、
「風邪も、“ふうじゃ”という神さんです」
白川静の或る言葉とは――
【「呪的儀礼(じゅてきぎれい)を文字として形象化(けいしょうか)したものが漢字である」】
白川●本来は「道」そのものが、そのような呪術的対象であった訳。自己の支配の圏外に出る時には、「そこには異族神がおる、我々の祀る霊と違う霊がおる」と考えた、だから祓いながら進まなければならん訳です。
梅原猛●実際に生首を持って歩いた。生々しいなあ。
使い慣れた言い回しにも嘘(うそ)がある。時は流れる、という。流れない「時」もある。雪のように降り積もる◆〈時計の針が前にすすむと「時間」になります/後にすすむと「思い出」になります〉。寺山修司は『思い出の歴史』と題する詩にそう書いたが、この1年は詩人の定義にあてはまらない異形の歳月であったろう。津波に肉親を奪われ、放射線に故郷を追われた人にとって、震災が思い出に変わることは金輪際あり得ない。復興の遅々たる歩みを思えば、針は前にも進んでいない。いまも午後2時46分を指して、時計は止まったままである◆死者・不明者は約2万人…と書きかけて、ためらう。命に「約」や端数があるはずもない。人の命を量では語るまいと、メディアは犠牲者と家族の人生にさまざまな光をあててきた。本紙の読者はその幼女を知っている。〈ままへ。いきてるといいね おげんきですか〉。行方不明の母に手紙を書いた岩手県宮古市の4歳児、昆愛海(こんまなみ)ちゃんもいまは5歳、5月には学齢の6歳になる。漢字を学び、自分の名前の中で「母」が見守ってくれていることに気づく日も遠くないだろう。成長の年輪を一つ刻むだけの時間を費やしながら、いまなお「あの」ではなく「この」震災であることが悔しく、恥ずかしい◆口にするのも文字にするのも、気の滅入(めい)る言葉がある。「絆」である。その心は尊くとも、昔の流行歌ではないが、言葉にすれば嘘に染まる…(『ダンシング・オールナイト』)。宮城県石巻市には、市が自力で処理できる106年分のがれきが積まれている。すべての都道府県で少しずつ引き受ける総力戦以外には解決の手だてがないものを、「汚染の危険がゼロではないのだから」という受け入れ側の拒否反応もあって、がれきの処理は進んでいない。羞恥心を覚えることなく「絆」を語るには、相当に丈夫な神経が要る◆人は優しくなったか。賢くなったか。1年という時間が発する問いは二つだろう。政権与党内では「造反カードの切りどきは…」といった政略談議が音量を増している。予算の財源を手当てする法案には成立のめどが立っていない。肝心かなめの立法府が違法状態の“脱法府”に転じたと聞くに及んでは、悪い夢をみているようでもある。総じて神経の丈夫な人々の暮らす永田町にしても、歳月の問いに「はい」と胸を張って答えられる人は少数だろう◆雪下ろしをしないと屋根がもたないように、降り積もった時間の“時下ろし”をしなければ日本という国がもたない。ひたすら被災地のことだけを考えて、ほかのすべてが脳裏から消えた1年前のあの夜に、一人ひとりが立ち返る以外、時計の針を前に進めるすべはあるまい。この1年に流した一生分の涙をぬぐうのに疲れて、スコップを握る手は重くとも。
【「編集手帳」/読売新聞 2012-03-11】
福島第一原発、NHK40キロ、朝日新聞50キロ、時事通信60キロ、民法各局50キロ圏外に社員退避と内規で定めていると上杉隆氏が週刊文春に記していた。別に危険区域に特攻取材するのが偉いとは思わぬが被災地の方々も内規を知っている方もいる。こういうマスコミが報道している事は信じられない
— 岩田由記夫さん (@IWATAYUKIO) 4月 29, 2011アフガニスタン南部カンダハル州で11日未明に発生し、16人が死亡した米兵による銃乱射事件で、父親と姉妹1人を殺害されたジャン・アグハさん(20)らが、当時の様子を証言した。
アグハさんによると、父親はカーテンの合間から外の様子を見ていたところ、突然喉と顔を撃たれ即死。その後、複数の米兵が自宅に侵入してきた。米兵が自宅にとどまっている間、アグハさんは床に寝そべり、死んだふりをしていたという。
「とても怖かった」と語るアグハさんは「母は目と顔を撃たれた。見た目で母と分からないほどだった。兄弟は頭と胸を撃たれ、姉妹も殺された」と説明した。
アグハさんの証言では、「複数の」米兵が事件に関与しており、酒に酔った複数の米兵が事件を起こしたとの別の目撃者の証言もある。これに対し、ワシントンの米国防総省高官は、単独犯の可能性が高いとしている。
「私に向けて銃を撃ってきた。弾は壁に当たった」。こう話すアグハ・ララさんは、米兵の様子について「彼らは笑っていた。普通の状態ではなく、酔っているように見えた」と証言した。
その上で「これは大量虐殺だ。多くの銃弾を浴びた遺体が散乱していた。カーテンか毛布と一緒に燃やされたようだった」と怒りをあらわにし、「これが米国人が言う支援部隊なのか。彼らは野獣で人間性のかけらもない。タリバンの方がまだましだ」と非難した。
子ども9人と女性3人を含む計16人が死亡した今回の事件で、北大西洋条約機構(NATO)が主導する国際治安支援部隊(ISAF)は、事件に関与したとして米兵1人を拘束し、取り調べを続けている。
【ロイター 2012-03-12】
アフガン乱射の米兵はイラクに3度派遣、子ども3人の父親=当局
アフガニスタン南部カンダハル州で11日未明、米兵が民家3軒で銃を乱射し、アフガン当局によると、子ども9人と女性3人を含む計16人が死亡した。コーラン焼却をめぐり反欧米感情が高まっているアフガンで、新たな火種となる可能性がある。
米軍は事件に関与した容疑で米兵1人を拘束した。複数の当局者によると、この兵士はワシントン州の部隊に所属する陸軍2等軍曹で、イラクで3度の任務を務めた後、アフガンに派遣された。結婚しており、3人の子どもがいるという。
事件は午前2時ごろ、同州西部のパンジワイ地区で発生。現場周辺の住民や犠牲者の親族によると、複数の米兵が民家に次々と侵入し、銃を乱射したという。兵士は酒に酔った状態で笑いながら犯行に及んだとの証言があるほか、子どもを殺害されたという男性は、兵士が薬品を遺体に火を付けたと語った。
一方、ワシントンの米国防総省高官は、複数の酔った米兵が事件に関与しているとの目撃者証言を否定し、単独犯との見方を示した。北大西洋条約機構(NATO)が主導する国際治安支援部隊(ISAF)の広報官は、拘束された米兵は歩いて基地に戻ってきたと明らかにした。
この事件を受け、アフガンのカルザイ大統領は「意図的な殺人だ」と激しく非難し、米国側に説明を要求。また、オバマ米大統領も声明を出し、「この悲劇的でショッキングな事件は、米軍の優れた特性とわれわれがアフガンに対して抱く尊敬の念を示すものではない」と憂慮した。また、オバマ大統領はカルザイ大統領に電話をかけ、早急に真相を究明し、「関与した者の責任を完全に追及する」と約束した。
アフガンでは駐留米軍基地でのコーラン焼却をめぐる反欧米感情が高まっており、米軍などを狙った攻撃や抗議行動で少なくとも30人が死亡。カブールの米大使館は、今回の事件で新たな報復攻撃が起きる可能性があるとしている。
反政府武装勢力タリバンはメディアに宛てた電子メールで、事件への報復攻撃を行うと表明した。
【ロイター 2012-03-12】
■死者:1万5846人■行方不明者:3317人■負傷者:6011人■避難者:34万1411人/東日本大震災、未曾有の被害を数字で振り返る 写真6枚 国際ニュース : AFPBB News afpbb.com/article/disast…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 3月 10, 2012
@kiyoshikasai
笠井潔 神智学協会日本支部長だった鈴木大拙も幸徳人脈に属し、もしも海外滞在中でなかったら、大逆事件に連座していたはずだ。イギリスやロシアのスピリチュアリズムと社会主義運動の関係は、もっと研究されていい。
Mar 01 via web Favorite Retweet Reply
@komorikentarou
小森健太朗 神智学内のクリシュナムルティを世界教師と仰ぐ教団としてアニー・ベサントの肝入りで〈星の教団〉が設立されたが、鈴木大拙はこの参加は拒んでいる(今東光は参加)。クリシュナムルティ自身が「自分は世界教師でない」と教祖の座を拒み、アムステルダムでの結成式が解散式になってしまった。
Mar 02 via web Favorite Retweet Reply
色はにほへど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
で、酸欠になると、肝機能が低下するわけです、脳が鈍るんで。だから登山家の人は血が汚いんですよ、みんな。ドロドロしちゃって。で、血が汚いところから病気っていうのは生まれてくるんで、病院に行ったら僕の血は汚すぎてね、人には輸血できないって言うんですよ。見てわかるくらい、他の人と違うんです。
雑記帳:植村直己さん「最後の日記」 出身地で展示
北米マッキンリー山で84年に消息を絶った冒険家、植村直己さん(当時43歳)の「最後の日記」が出身地・兵庫県豊岡市の植村直己冒険館でパネル展示されている。
捜索隊がマッキンリーの雪洞内で見つけた。84年2月1~6日の日付がある。ノート16ページに、雪をかき分けて登る様子や凍ったトナカイの肉を食べる食事が克明に記されている。展示は13日まで。
「孤独を感じない」「何が何でも登るぞ」とも書いていた。冒険館は「日記は色あせていっても、植村のチャレンジ精神はあれから28年たっても色あせていない」。
【毎日jp 2012-03-05】
長年ヒマラヤに行っていつも見てるんですが、ゴミを捨てる隊ってあるんです。ゴミを捨てる隊と遭難者を出す隊がね、重なってくるんですよ。
だから、今、韓国隊、中国隊、ロシア隊がぼろぼろですよ。失敗したらたたかれるから、絶対に帰れないって、危なくても突っ込んで死んでしまう。そういう隊は、ほかに気も回らないから、ゴミも出す。ほかの隊に比べて余裕がないからゴミも多いんです。
バラエティに出る時は条件として、「富士山の話ができるなら出ますよ」って言ったら、全部OKだったんですよね。
死者たちは生者たちの世界を歴史的に構造化し続ける、死者こそが生者を歴史的存在者たらしめるべく生者を助け支えてくれているのだ、(以下略)
【『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫(筑摩書房、1991年/ちくま学芸文庫、2002年)以下同】
「あの世で(あの世って死んだ事)子供(B男)が不幸になっています 十二歳中学二年で死にました 私(母親の○○冬子)がころしました
目が見えません 目玉をくりぬいて脳の中に くりぬいた目の中から小石をつめ けっかんをめちゃめちゃにして神けいをだめにして 息をたましいできかんしをつめて息ができません 又くりぬいための中に ちゅうしゃきでヨーチンを入れ目がいたくてたまりません また歯の中にたましいが入ってはがものすごく痛くがまんが出来ません
又体の中(背中やおなかや手足)の中に石田文子のたましいが入って具合が悪く立っていられない それをおぼうさんがごういんにおがんで立たしておきます
又ちゅうかナベに油を入れいっぱいにしてガスの火でわかして一千万度にして三ばいくりぬいた目の中に入れ頭と体の中に入れあつすぎてがまんが出来ません
又たましいの指でおしりの穴をおさえて便が全然でません又おしっこもおしっこの出る穴をおさえてたましいでおさえて出ません
又B男のほねをおはかからたましいでぬすんでほねがもえるという薬をつかってほねをおぽしょて ほねをもやしてその為にB男のほねは一本もありません
又きかんしに石田文子がたましいできかんしをつめて息が出来ません又はなにもたましいでつめて息が出来ません だから私(冬子)母親のきかんしとB男のきかんしをいれかえて下さい」(※冬子の手記)
「……言葉がトギレトギレになって溶けちゃうんです……言葉が溶けて話せない……聴きとれると語尾が出て心が出てくるんですね、語尾がないとダメダメ……秋子の言葉になおして語尾しっかりさせないと……流れてきて、わたしが言う他人の言葉ですね……わたしの話は死人に近い声でできてるからメチャクチャだって……死人っていうのは、思わないのに言葉が出てくる不思議な人体……言葉が走って出てくるんですね。飛び出してくる、……言葉が自分の性質でないんです。デコボコで、デコボコ言葉、精神のデコボコ……」(※秋子)
ところが冬子にとっての「たましい」たる「B男」は彼岸に去ってゆかない。あの世もこの世も超絶した強度をもって実態的に現前し続ける。生者を支えるべく歴史の底に沈潜してゆくことがない。つまり、「たましい」は、死者たちの群れから離断された“有るもの”であり続ける。「たましい」は冬子の狂気の世界のなかで、余りにもその存在強度を高めてしまったのである。死者たちの群れに繋ぎとめられない「B男」は、死者たちの群れの“顔”になりようがない。逆に「B男」という「たましい」は、死者たちを圧殺するような強度をもってしまう。「たましい」は、生死を超越して絶対的に孤立している。否、「B男」の「たましい」は、死者たちでなく冬子に融合してしまっている。「B男」は、死者たちの群れを、祖先を、歴史の垂直の軸あるいは歴史の根幹を圧殺し、母たる生者をも“殺害”するほどの“顔”なのである。これはもう“顔”とは呼べまい。「B男」という「たましい」は、死者たちの群れに絶縁された歴史破壊者にほかならない。冬子も「B男」も、こうして本来の死者たちの支えを失っているのである。
他者という言葉は多義的である。私は常識の立場に戻って、この多義性を尊重してゆきたいと思う。
まず第一に、他者は、ほとんどの他者は、死者である。人類の悠久の歴史のなかで他者を思うとき、この事実は紛れもない。現世は、生者たちは、独力で存立しているのではない。無料無数の死者たちこそ、事物や行為を名づけ、意味分節体制をつくり出し、民族の歴史や民俗を基礎づけ、法律や宗教の起源を教えているのだ。否、教えているという表現は弱過ぎよう。最広義における世界存在の意味分節のすべてが、死者たちの力によって構造的に決定されているのである。言い換えれば、他界は現世の意味であり、死者たちは、生者たちという胎児を生かしめて(ママ)いる胎盤にほかならない。知覚や感覚あるいは実証主義的思考から解放されて、歴史眼をもって見ることが必要である。眼光紙背に徹するように、現世を現世たらしめている現世の背景が見えてくるだろう。
死者が他者であることに異論の余地はない。それゆえ、他者は、現世の生者を歴史的存在として構造化する力をもつのである。
第二に、他者は、自己ならざるもの一般として、この現世そのものを意味する。歴史的に意味分節化されたこの現世から言葉を収奪しつつ、また新たな意味分節世界を喚起し形成しつつ、生者各人はこの他者と交流する。この他者は、ひとつの意味分節として、言語のように、言語と似た様式で、差異化され構造化されている。この他者を、それゆえ、以後、言語的分節世界と呼ぶことにしたい。自己ならざるもの一般の世界が言語的分節世界としての他者であるならば、他者は、言葉の働き方に関するわれわれの理解を一歩進めてくれる。
言うまでもなく、言葉は、各人の脳髄に内臓されているのではない。一瞬一瞬の言語行為は、発語の有無にかかわらず、言語的分節世界という他者から収奪された言葉を通じて遂行される。否、収奪そのものが言語行為なのだ。では、言語的分節世界という他者は、言語集蔵体(ママ)の如きものなのであろうか。もちろん、そうではない。言葉は、言語的分節世界という他者の存立を可能ならしめている死者たちから、彼岸から、言わば贈与されるのである。生者が収奪する言葉は、死者が贈与する言葉にほかならない。この収奪と贈与が成功したとき、言葉は、歴史的に構造化された言葉として力をもつのである。それゆえ、われわれの言葉は、意識的には、主体的に限定された他者の言葉なのであるが、無意識的には、歴史的に限定された死者の言葉なのである。死者の言葉は、悠久の歴史のなかで、死者たちの群れから生者たちへと、一気に、その示差的な全体的体系において、贈与され続ける。それゆえに、言語的分節世界としての他者は歴史的に構造化され続けるのである。
「悲しい」という言葉を使うとき、私たちは、自分が生まれる前の長い歴史の中で、この言葉を綿々と使ってきた日本語を喋る人たちの体験の集積を担っている。「悲しい」という言葉が担っている、思い出すことのできない記憶の中には、戦場での絶叫があったかもしれない、暗がりでのため息があったかもしれない、心の行き違いに対する嘆きがあったかもしれない、そのような、自分たちの祖先の膨大な歴史として仮想するしかない時間の流れが、「悲しい」という言葉一つに込められている。
「悲しい」という言葉一つを発する時、その瞬間に、そのような長い歴史が、私たちの口を通してこの世界に表出する。
【『脳と仮想』茂木健一郎(新潮社、2004年/新潮文庫、2007年)】
言い換えるならば、言語的分節世界という他者から排除され、言葉を主体的に収奪限定する機会を失ってしまった独我者が、自力で創造せんとする新たなる言葉、ネオ=ロゴスこそ独語にほかならない。主体不在の閉鎖回路をめぐり続ける独語に、示差的機能を有する安定した体系を求めるのは不可能であろう。それにもかかわらず、他者から排除された独我者は、恐らくは人間の最奥の衝動のゆえに、ネオ=ロゴスを創出しようとする。もちろんここに意識的な意図やいわゆる無意識的な願望をみることなど論外だろう。もっと深い、狂気に陥った者の人間としての最も原初的かつ原始的な力動が想定されねばなるまい。
ネオ=ロゴスは、死者を実体的に喚起し創造し“蘇生”させると、返す刀で狂的なる生者を“殺害”するのである。これが先に述べた、ネオ=ロゴスの死相の二重性にほかならない。ネオ=ロゴスは、全く新奇な“死者の言葉”あるいは“死の言葉”であると言っても過言ではない。
どうすればできるかといえば、無意識に任せればできるのです。思考の無意識化をするのです。
車でいえば、教習所にいたときには、クラッチを踏んでギアをローに入れて……、と、順番に逐次的に学びます。
けれども、実際の運転はこれでは危ないのです。同時に様々なことをしなくてはなりません。あるとき、それができるようになりますが、それは無意識化されるからです。
意識というのは気がつくことだと書きましたが、今気がついているところはひとつしかフォーカスを持てないのです。無意識にすれば、心臓と肺が勝手に同時に動きます。
同時に二つのことをするのはすごく大変です。けれどもそれは、車の運転と同じで慣れです。何度もやっていると、いつの間にかその作業が無意識化されるようになってくるのです。
無意識化された瞬間に、超並列に一気に変わります。
【『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(PHP研究所、2007年/PHP文庫、2009年)】
クリシュナムルティはベジタリアンであったが、他人にも強要する菜食主義者ではなかった。彼はその理由を問われ「(食べるために殺される動物達が)哀れだから」と答え、それ以上は何も語らなかった。私も極力、肉食は避けている。(続く)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 8月 21, 2010我々がスポーツに熱狂するのは、狩りに由来しているのだろう。肉食は興奮をもたらす。その昔、多くの国々では天変や伝染病を鎮める目的で、動物を生け贄として祭壇に捧げた。祈祷を終えた人々は、怒りと悲しみを肉食にぶつけたのではあるまいか? 肉食にはどこかファナティックなところがある。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 8月 21, 2010不思議な法則があって、肉を食べることを覚えると、人間は絶対にその味を捨てることができないんです。人口13億の中国人が肉を食べ始めるようになったということは世界のエネルギーの消費量が今後ぐんぐん上がっていくことを意味するんです。(佐藤優)http://bit.ly/bchjEj
— 小野不一さん (@fuitsuono) 8月 21, 2010【動画】人間が動物に行っている仕打ちを直視せよ。/『さらばアフリカ』ヤコペッティ監督 http://bit.ly/9LfM9C
— 小野不一さん (@fuitsuono) 8月 21, 2010