2008-08-23

戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 生きてゆくためなら利口になる必要がある――それを否定する人は少ないだろう。しかし、功利主義は時に善悪を見失い、いつしか我が身を狡猾さで染めてゆく。まして歴史を改竄(かいざん)するともなれば、後世の人々を嘘で惑わす結果となる。これほどの巨悪はあるまい。

 ナチのユダヤ人絶滅計画が公の場で語られなかった本当の理由は、アメリカ・ユダヤ指導者層の体制的順応政策と、戦後アメリカの政治風土だった。国内問題でも国際問題でも、アメリカ・ユダヤのエリートたちは、アメリカ当局の方針に忠実に従った。そうすることで、同化による権力への道という伝統的な目標が実際に促進された。冷戦が始まると、主流ユダヤ人組織もこの争いに飛び込んでいった。アメリカ・ユダヤのエリートたちがナチ・ホロコーストを「忘れた」のは、ドイツ(1949年からは「西ドイツ」)が戦後アメリカの重要な同盟国となり、アメリカとともにソヴィエト連邦と対峙するようになったからだ。今さら過去をほじくり出しても何の役にも立たないばかりか、問題を複雑化するだけだった。
 わずかな留保条件を残したのみで(それでもすぐに破棄された)、主だったアメリカ・ユダヤ人組織はすぐに政府方針に従い、ほとんど脱ナチ化していないドイツの再軍備を支持した。アメリカ・ユダヤ人委員会(AJC)は、「新方針および戦略的アプローチに対して組織的に反抗すれば、アメリカのユダヤ人は多数派を占める非ユダヤ人から孤立してしまい、戦後国内で達成してきた実績が危うくなる」として、まっ先にドイツとの再同盟の利点を説いた。シオニズム推進派の世界ユダヤ人会議(WJC)とそのアメリカ支部は、始めはこの方針に反対していたが、1950年代初めにドイツとの補償条約が調印されると反対をやめた。

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン: 立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)】

 ユダヤ・エリートはアメリカの国策に従う道を選んだ。そのこと自体を私は批判するつもりはない。アメリカはユダヤ人国家ではないのだから、必要以上の軋轢(あつれき)を避けたと見ることもできよう。問題は、戦後のこうした事実を隠蔽(いんぺい)して、後出しじゃんけんのようにホロコーストを糾弾したことだ。

 もしも全てが、最初から練られた戦略であったとするならば、ユダヤ人恐るべしとしか言いようがない。

2008-08-19

1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 信じ難い話である。捏造された歴史が、蜘蛛の巣さながらに後世の大衆をからめ取る。身動きのできない我々は嘘を信じて生きる他ない。本物の知性とは、我が身を飾る最新情報などではなく、人々の蒙を啓(ひら)かしめる光を伴っている。ノーマン・G・フィンケルスタインの勇気が「知は力」であることを雄弁に物語っている。

 しかしごく最近まで、ナチ・ホロコーストがアメリカ人の生活に登場することはほとんどなかった。第二次世界大戦の終結から1960年代の終わりまで、このテーマを取り上げた書籍や映画はほんのわずかだったし、この問題を扱う講座のある大学は合衆国中で一つだけだった。1963年にハンナ・アーレントが『イェルサレムのアイヒマン』を出したとき、引用できる英語の研究書は、ジェラルド・ライトリンガーの『最終的解決』とラウル・ヒルバーグの『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』の二つしかなかった。そのヒルバーグの名著にしても、やっとのことで日の目を見たものだった。コロンビア大学でヒルバーグの論文指導をしたフランツ・ニューマンはドイツ系ユダヤ人だったが、「君は不幸になる」と言って、この問題で論文を書くことを何とか思いとどまらせようとした。原稿が完成しても、どこの大学や大手出版社も手をつけようとしなかった。ようやく出版にこぎつけたが、『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』はほとんど注目されず、たまに取り上げられても批判的なものがほとんどだった。

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン: 立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)】

「歴史」とは、「言い伝えられるもの」であり「教わるもの」だ。ここに歴史の危うさがある。古(いにしえ)の権力者は自らの正当性のために“勝手な物語”を創作してきた。つまり、歴史の書き手はいつの時代も政治家であった。歴史の嘘を見破るためには、「検証できないものを拒絶する」強靭なまでの知性が求められる。

環境ファッショ、環境帝国主義、環境植民地主義/『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人


『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス

 ・環境・野生動物保護団体の欺瞞
 ・環境ファッショ、環境帝国主義、環境植民地主義
 ・「環境帝国主義」とは?
 ・環境帝国主義の本家アメリカは国内法で外国を制裁する
 ・グリーンピースへの寄付金は動物保護のために使われていない
 ・反捕鯨キャンペーンは日本人へのレイシズムの現れ
 ・有色人捕鯨国だけを攻撃する実態

『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

必読書リスト その二

「環境」というだけで善なる匂いが立ち込める。しかし、環境問題といっても気候変動といっても、高く掲げた大義名分とは裏腹の、政治的な罠が仕掛けられていた。帝国主義の立場から見れば、問題なのは環境ではなく有色人種だった。「反ホロコースト=善」という構図とそっくりだ。

ノーマン・G・フィンケルスタイン

「環境ファッショ」という言葉がある。「環境帝国主義」や「環境植民地主義」と同じく、過激で独善的な自然、環境、動物保護運動に対する表現である。この環境帝国主義の犠牲者は、アザラシと共に生きるイヌイットや、象の利用で潤うアフリカ民族以外にも、いくつも指摘できる。また捕鯨の禁止で伝統的食文化を奪われたのは日本人だけではない。韓国、トンガ、フィジー、アイスランド、カナダ、ブラジル、ペルーなどの人々も同じだ。
 日本はさらに、母船式サケ・マス漁業とアカイカ、カジキを対象にした公海流し網漁業も、環境保護団体のキャンペーンで禁止に追い込まれている。

【『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人〈うめざき・よしと〉(成山堂書店、1999年)】

 国際的な環境保護団体によるキャンペーンは、常に有色人種国家のみを糾弾してきた。こうした詳細が日本のマスメディアで報じられない事実を鑑みると、欧米に対して人種差別を指摘すること自体が日本の国益を損なうことになるのだろう。「日本側の主張は受け入れられなかった」という程度のソフトで簡潔な表現になっていることと思われる。もはや、ジャーナリズムに取材という文字はなく、記者クラブによる報道管制体制がきっちりと出来上がってしまっている。

 米・英・仏といった第二次大戦戦勝国がいまだに敗戦国を虐げている。「国際連合」と翻訳された機関の本当の意味は「連合国」(United Nations)であり、敗戦国はいつまでたっても常任理事国にはなれない。ルワンダに至っては、国連とアメリカによって完全に放置された。その結果、わずか3ヶ月あまりで100万人ものツチ族が殺戮される羽目になった。

誤った信念は合理性の欠如から生まれる/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ


『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 ・誤った信念は合理性の欠如から生まれる
 ・迷信・誤信を許せば、“操作されやすい社会”となる
 ・人間は偶然を物語化する
 ・回帰効果と回帰の誤謬
 ・視覚的錯誤は見直すことでは解消されない
 ・物語に添った恣意的なデータ選択

『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル

宗教とは何か?
必読書リスト その五

 迷信・誤信のメカニズムを微に入り細を穿(うが)って解き明かしている。思考回路に何らかの変化が訪れることは確実だ。情報化社会における迷信・誤信は、人生の舵取りを誤る可能性がある。人間心理を鋭く洞察した本格的な一冊である。

 以上から明らかなように、多くの誤った考えはもっぱら認知的な原因によって生じてくる。つまり、情報を処理したり結論を引き出したりする能力の不完全さによると考えられる。言い替えれば、「そう思いたい」というような心理的欲求を満足させるために誤った考えを持つのではなく、得られた事実に最もうまくあてはまる結論として導き出されたものが、結果的に誤った考えとなってしまうのである。ロバート・マートンの言葉を借りれば、人々がそうした信念を持つのは「自分自身の体験からこう結論せざるを得ない」と考えるからである。誤った信念は決して非合理性が生じるのではなく、合理性の欠陥から生じるのである。

【『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ:守一雄〈もり・かずお〉、守秀子〈もり・ひでお〉訳(新曜社、1993年)】

 全体的に訳文がよくないが、それを補ってあまりある内容。3分の1ほど進めば後は一気読みだ。このテキストのポイントは、「人間は合理性を求めるがゆえに、異形のジグソーピースであっても無理矢理はめ込む」ことである。つまり、“知識”という名の世界地図に余白があればあるほど、違う形のジグソーピースが紛れ込む可能性が高くなる。

 更に、情報の可塑性(かそせい)についても考えざるを得ない。同じ情報であっても受け手次第で変質することがよくある。人は、自分にとって都合のいい情報、都合のいい解釈、都合のいい関連づけをするからだ。

 悪質商法まがいの情報が氾濫する現在、我が身を守るためにも本書を精読すべきである。

2008-08-17

誇張された歴史を生還者が嘲笑/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 ナチス・ドイツの強制収容所を体験した人は、確実に真実の一部を知っている。歴史家の仕事は、部分的な真実をつなぎ合わせ、全体像を再構築することであろう。しかし、ホロコーストの全体像は歴史家の手によって“新しい物語”を創作された。

 私の両親は、死ぬまで毎日のようにそれぞれの過去を追体験していたが、晩年には、大衆向けの見せ物としてのザ・ホロコーストにまったく関心を示さなくなっていた。父の親友にアウシュヴィッツの収容所仲間がいた。買収など考えられない左翼の理想主義者で、戦後のドイツから補償金も信念に基づいて受け取りを拒否していたのだが、最後にはイスラエルのホロコースト博物館「ヤド・ヴァシェム」の館長になった。父は心から失望し、なかなか認めようとしなかったが、最後にはこう言った――あいつもホロコースト産業に買収された、権力と金のために信念を曲げたのだ、と。ザ・ホロコーストの演出が一層ばかげた形を取るようになるにつれ、母は皮肉を込めて、「歴史など戯言だ」というヘンリー・フォードの言葉を引いた。わが家では「ホロコースト生還者」の話はどれもこれも――収容所にいた者やレジスタンスの英雄の話もすべて――特殊な、捻れた笑いの種になった。ジョン・スチュアート・ミルがはるか昔に理解したように、継続的な批判に晒されない真実は、最後には「誇張されることによって真実の効力を停止し、誤りとなる」のである。

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン: 立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)】

 最大の問題は、ホロコーストが神聖化され、一切の批判を封じていることだ。その陰でホロコーストの犠牲が拡大再生産されてゆく。

 第二次世界大戦が終了したのは1945年。あと数十年経てば、戦争を体験した人はこの世からいなくなる。そこで再び、歴史の修正、捏造(ねつぞう)、創作が行われることだろう。政治の目的とは、歴史をでっち上げることなのかも知れない。