・『囚われの少女ジェーン ドアに閉ざされた17年の叫び』ジェーン・エリオット
・驚天動地、波乱万丈の人生
・ティム・ゲナールは3歳で母親から捨てられた
・幼児は親の愛情を期待せずにはいられない
・『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
・必読書リスト その二
凄まじい人生である。ティム・ゲナールは1958年生まれだから今年で52歳になる。彼の思春期までをスケッチしてみよう。
3歳の時、母親に捨てられる。電信柱に縛りつけて、振り返ることもなく母親は去って行った。4歳になり、元米軍特殊部隊にいた父親と継母(ままはは)から日常的な虐待を受ける。最後は両足を粉砕骨折し、2年間の入院を余儀なくされる。8歳で精神病院に入れられる。9歳で養子になるが、ここでも酷(ひど)い仕打ちを受ける。二度にわたって自殺未遂。11歳で少年院に入り、暴力に目覚める。その後、脱走。12歳の時、初老の紳士にレイプされる。13歳でギャングの仲間入りをする。14歳で男娼(だんしょう)に。15歳で再びホームレス。16歳になり石材加工職人の職業適性証を取得。フランスで最年少の資格取得者となる。この年にボクシングを始め、国内チャンピオンの座を射止めた。
単なるサクセスストーリーではない。生まれてから一度も愛されることのなかった少年が、もがきにもがきながら遂に人間を信じられるようになるまでが綴られている。陰惨極まりない人生でありながらも、それを笑い飛ばすようなユーモアがそこここに顔を覗(のぞ)かせている。
ティム・ゲナールが3歳の時に継母と継子(ままこ)が新しい家族となる。彼はただ父親に抱いてもらうことを夢見ていたが、父親は虐待をもって応えた。継母までがこれに加勢した──
それから、父はぼくの服をつかんで袋みたいに背負い上げ、地下室の入り口まで運んでいき、ドアを開けてそこから下へ放り投げた。
「このガキ、首の骨でも折っちまえ! でなきゃ……」
最後までは聞き取れなかった。ぼくは暗闇めがけて飛行機みたいに空中を飛び、ぐしゃりと着地した。
数秒後、いや数分後だろうか? ぼんやりした頭の中に継母のどなり声がこだまして、ぼくは無の世界から引き戻された。
「上がってくるんだよ! ほら、早く!」
そんなこと言われたって無理だ。動けないんだから……。落ちたときに顎と鼻を砕いていたし、足はこん棒で殴られたときにもう折れていた。すると継母が下りてきて、父に代わってベルトの鞭でぼくを叩いた。ピシッ、ピシッ!
「ほら、動け! 上がりな! 上がるんだよ!」
ぼくは力を振り絞り、階段を一段ずつナメクジみたいに這い上がった。背中にはなおもピシッ、ピシッとベルトの鞭が飛んでくる。足にはまったく感覚がなかった。
朦朧としながらやっと階段の上まで這い上がると、父が仁王立ちで待っていて、また嵐のように襲いかかってきた。これでもか、これでもかとぼくを殴る。右側からの一発で目から火が出た。次いで内出血で膨れ上がっていた左側にも一発。さらにまた右から強烈な一撃が来て、耳がガリッと音を立ててつぶれた。目の前が真っ暗になった。
あとは何も覚えていない。
その日はぼくの誕生日だった。ぼくは五つになったのだ。
【『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール:橘明美訳(ソフトバンク クリエイティブ、2005年)以下同】
ティム・ゲナールは鼻の骨を27回折っているが、23回はボクシングで、4回は父親にやられたものだった。多分、まだ幼くて骨が軟らかかったから死なずに済んだのだろう。父親はその後、我が子の手を焼き、額にナイフを突き立てた。ティムが歩けるようになるまで2年を要した。
我々が生きる世界は暴力に覆われている。立場の弱い者には威張り散らし、車に乗ればけたたましいクラクションを鳴らし、自衛目的の軍隊を黙認し、アメリカの軍事行動に税金が使われても平然としている。我々は確実に暴力を容認している。その容認された暴力が圧縮されて、世界のあちこちで噴火しているのだ。
彼の父親を殺したところで我々の世界は変わらない。とは思うものの、私の心の中に殺意の嵐が駆け巡る。
ティム・ゲナールは10代で既にチンピラグループのボスになっていた。そして18歳の時に障害児と共同生活をするキリスト教ボランティアと巡り合う。こうして彼の人生に初めてうっすらと光が射(さ)し込んだ。トマ神父、そして子供達との出会いが彼を変えたのだ。
ある晩のこと、みんなのトイレのために何度も起こされて、ぼくは頭にきた。
〈もしまた誰か起こしやがったら、階段の上から放り投げてやるから!〉
はいそうですか、とばかりに声がかかった。
ぼくは起き上がり、ぼくを呼んだ女の子のベッドへ行き、腕に抱えた。投げようと思ったから、いつもよりしっかり抱えた。女の子は不思議そうな顔をした。階段のところまで行って、さあ投げてやろうとしたら、その子が不自由な腕でぼくのくびにぎゅっとしがみついてきた。
ぼくははっとした。父も母もぼくを抱きしめてくれなかったのに、この子はぼくを抱きしめてくれているのだと!
ぼくは我に返り、その子をトイレに連れていった。自分のベッドに戻ったときには頭が割れるように痛かった。ぼくは怒りが溜まるとそれを暴力として吐き出さずにはいられない。その怒りが頭からあふれ出さんばかりになっていた。本当に危なかった。でも、ぎりぎりのところであの子が助けてくれたのだ。
本書で描かれているのは24歳までである。このまま映画化できそうなほどの破天荒な人生だ。結婚前に世界各地を旅して回っている。ティム・ゲナールはローマの駅で立ちすくんでいる老婦人に声を掛け、案内を申し出る。この老婦人が何とマザー・テレサその人であった。あちこちに同行した彼はマザー・テレサを知らなかった(笑)。
不信に取りつかれた少年が、信仰と障害児によって生の喜びを知った。愛情を知った彼は、自分の両親を赦(ゆる)した。ティム・ゲナールは本物の自由を手に入れたのだ。
・社会は常に承認を求める/『「認められたい」の正体 承認不安の時代』山竹伸二