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2008-08-19

誤った信念は合理性の欠如から生まれる/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ


『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 ・誤った信念は合理性の欠如から生まれる
 ・迷信・誤信を許せば、“操作されやすい社会”となる
 ・人間は偶然を物語化する
 ・回帰効果と回帰の誤謬
 ・視覚的錯誤は見直すことでは解消されない
 ・物語に添った恣意的なデータ選択

『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル

宗教とは何か?
必読書リスト その五

 迷信・誤信のメカニズムを微に入り細を穿(うが)って解き明かしている。思考回路に何らかの変化が訪れることは確実だ。情報化社会における迷信・誤信は、人生の舵取りを誤る可能性がある。人間心理を鋭く洞察した本格的な一冊である。

 以上から明らかなように、多くの誤った考えはもっぱら認知的な原因によって生じてくる。つまり、情報を処理したり結論を引き出したりする能力の不完全さによると考えられる。言い替えれば、「そう思いたい」というような心理的欲求を満足させるために誤った考えを持つのではなく、得られた事実に最もうまくあてはまる結論として導き出されたものが、結果的に誤った考えとなってしまうのである。ロバート・マートンの言葉を借りれば、人々がそうした信念を持つのは「自分自身の体験からこう結論せざるを得ない」と考えるからである。誤った信念は決して非合理性が生じるのではなく、合理性の欠陥から生じるのである。

【『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ:守一雄〈もり・かずお〉、守秀子〈もり・ひでお〉訳(新曜社、1993年)】

 全体的に訳文がよくないが、それを補ってあまりある内容。3分の1ほど進めば後は一気読みだ。このテキストのポイントは、「人間は合理性を求めるがゆえに、異形のジグソーピースであっても無理矢理はめ込む」ことである。つまり、“知識”という名の世界地図に余白があればあるほど、違う形のジグソーピースが紛れ込む可能性が高くなる。

 更に、情報の可塑性(かそせい)についても考えざるを得ない。同じ情報であっても受け手次第で変質することがよくある。人は、自分にとって都合のいい情報、都合のいい解釈、都合のいい関連づけをするからだ。

 悪質商法まがいの情報が氾濫する現在、我が身を守るためにも本書を精読すべきである。

2014-08-08

物語に添った恣意的なデータ選択/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ


『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 ・誤った信念は合理性の欠如から生まれる
 ・迷信・誤信を許せば、“操作されやすい社会”となる
 ・人間は偶然を物語化する
 ・回帰効果と回帰の誤謬
 ・ギャンブラーは勝ち負けの記録を書き換える
 ・知覚の先入観
 ・視覚的錯誤は見直すことでは解消されない
 ・物語に添った恣意的なデータ選択

『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース
『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル

必読書リスト その五

 重要な点はまさにここにある。後づけでならば、どんなデータでも最も特異な部分を見つけて、そこにだけ都合のいい検定法を施すことができるのである。しかしながら、正しい教育を受けた科学者は、(あるいは、賢明な人であれば誰でも)こうしたことを行なわない。というのも、統計的な分析を事後的に行なうと偶然の要因を正しく評価することができず、分析そのものが意味のないものになってしまうことをよく理解しているからである。科学者たちは、上述のような見かけ上の偏りからは仮説を立てるにとどめ、その仮説を独立な一連のデータによって検証しようとする。こうした検証に耐えた仮説だけが、真の仮説として真剣に検討されるのである。
 不都合なことに、一般の人々の直感的な判断は、こうした厳密な制約を受けることがない。ある結果にもとづいて形成された仮説が、その同じ結果によって検証されたと見なされてしまうのである。ここでの例がそうであるように、人々は、データを事後的に、また選択的に読み取ることにより、見かけ上の特異性を過大評価し、その結果、何もないところに秩序を見つけ出すことになってしまうのである。

【『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ:守一雄〈もり・かずお〉、守秀子訳(新曜社、1993年)】

 内容は文句なしなのだが翻訳が悪い。文末が「ある」だらけで文章のリズムが最悪。茂木健一郎に新訳をお願いしたいところ。

 トヨタの自動車を購入した人の殆どはホンダ車の優れた情報には注目しない。それどころか過小評価をする傾向がある。つまり我々は常に「自分の選択が正しかった」ことを証明する目的で情報の取捨選択を行っているのだ。

 もっとわかりやすい例を示そう。ロシアにおけるスターリン、中国における毛沢東の評価だ。このご両人は人類史上最大の殺戮者である。社会主義国では党が価値観を決定する。ま、資本主義の場合はメディアが価値観を決めているわけで、それほど大差はない。錯覚としての自由があるかないかだけの話だ。

 特定の思想や信仰、はたまた理想や強い憧れを抱く者ほど「物語に添った恣意的なデータ選択」を行う。結婚詐欺師に惚れてしまった女性を説得することは難しい。我々の眼はアバタをエクボと認識することが可能なのだ。

 相関関係は因果関係ではない(『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン)。ところが我々は「火のないところに煙は立たない」はずだと確信して評判や噂話の類いを真に受け、縁起を担ぎ、名前の画数や星座・血液型に運勢を委ねる。朝、目が覚めて枕元にプレゼントがあればサンタクロースの存在を信じるような判断力だ。

 思考も複眼でなければ距離感をつかめない。プラスだけではなくマイナスをも考慮し、誤差にまで目を配り、外側だけではなく内側からも見つめ、ひっくり返して裏側を確認するのが合理性なのだ。群盲が象を撫でても象の全体像は浮かび上がってこない。

 得られる情報は常に限定されている。それを自覚するだけでも錯誤を防ぐことができるはずだ。



カーゴカルト=積荷崇拝/『「偶然」の統計学』デイヴィッド・J・ハンド

2009-03-06

人間は偶然を物語化する/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ


・『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 ・誤った信念は合理性の欠如から生まれる
 ・迷信・誤信を許せば、“操作されやすい社会”となる
 ・人間は偶然を物語化する
 ・回帰効果と回帰の誤謬
 ・視覚的錯誤は見直すことでは解消されない
 ・物語に添った恣意的なデータ選択

『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル

必読書リスト その五

 これはランダムウォーク理論といっていいだろう。ランダムとは無作為という意味で、ランダムウォークとは酔っ払いの千鳥足のこと――

 人は、偶然によるできごとがどのようなものであるかについて、間違った直観をもっていることが心理学者によって明らかにされている。たとえば、投げ上げたコインの裏表の出方は、一般に考えられているよりも裏や表が連続しやすい。そこで、裏表が交互に出やすいものだという直観に比べて、真にランダムな系列は、連続が起こりすぎているように見えることになる。コインの表が4回も5回も6回も連続して出ると、コインの裏表がランダムに出ていないように感じてしまう。しかし、コインを20回投げたとき、表が4回連続して出る確率は50%であり、5回連続することも25%の確立で起こりうる。表が6回連続する確率も10%はある。平均的なバスケットボールの選手は、ほぼ50%のショット成功率なので、1試合の間に20本のショットを試みるとすれば(実際、多くの選手はこれくらいショットを試みる)、あたかも「波に乗った」かのように、4本連続や、5本連続、あるいは6本連続でショットを決めるようなことは偶然でも充分起こりうることなのである。

【『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ:守一雄〈もり・かずお〉、守秀子〈もり・ひでこ〉訳(新曜社、1993年)】

 人間は単調さに耐えられない。変化を好むのが人間の性分だ。例えばこんなことはないだろうか。信号待ちでウインカーを点灯する。カチッカチッとメトロノームのように規則正しい音が鳴る。すると、その音から微妙にずらしたリズムでハンドルを指で弾く。こうして独創的な音楽が誕生する。私の指が単調なリズムを破壊したのだ。

 株価のチャートを見てみよう。これは日経平均の9ヶ月間にわたる日足チャートだ。昨年8月上旬に底を打って揉み合いが続いている。2本の移動平均線を超えれば反転しそうだ。株価は上がるか下がるかのどちらかである。とすると、損得の確率は1/2となる(横ばい、手数料は無視して考える)。つまり、コインの裏表と確率的には一緒なのだ。もっとわかりやすく言おう。コインを放って出た裏表の結果を1と計算してチャートにすれば、株価と同じような山と谷ができるってわけだよ。コインを投げる回数はまったく問題ではない。1日1回だって構わない。それでも、チャートの山が形成される。

 人間は物語なしで生きてゆけない。不幸にも幸福にも物語がある。目に見えない運や不運で説明し、他人の実力を羨み、自分の非力を嘆き、昔よりも今の方がいいとか悪いとか言い募る。

 翻って、動物には固有の人生が存在するのだろうか? あまり考えたことがない。「我が家の犬は幸せだ」と思っている飼い主は多いだろうが、それは一方的な幻想に過ぎない。

 大数の法則が恐ろしいのは、「人間の人生なんて、それほど変わるもんじゃないよ」と我々をたしなめているからだろう。

 それでも人は「自分だけの物語」を生きる。人間は、平均を個性に変える天才だ。



必然という物語/『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー
『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人

2014-02-09

人間の脳はバイアス装置/『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム


『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース
『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』イブ・ヘロルド
『われわれは仮想世界を生きている AI社会のその先の未来を描く「シミュレーション仮説」』リズワン・バーク

 ・人間の脳はバイアス装置
 ・「隠れた脳」は阿頼耶識を示唆
 ・人種差別というバイアス

『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー
『たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する』レナード・ムロディナウ
『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ
『感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性』高橋昌一郎
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗

必読書リスト その五

 たいていの人は「偏り」(バイアス)イコール「偏見」ととらえるが、新しい研究では違う意味で使われる。“無意識のバイアス”とは、その人の行動と意図が相反する状況を指す。厄介なのは、当の本人が操られていると感じないことだ。自分のバイアスを都合よく解釈し、意図していなかった行動も、自分で判断を下して行なったものだと主張する。バイアスにはこっけいなものもあれば、無害なものもある。役に立つものも多い。しかし人の生死に関わる例として、私はいつもシェークスピアを思い浮かべる。悪知恵の働くイアーゴはオセロを丸め込み、妻が不貞を働いたと思い込ませる。無意識のバイアスはこのイアーゴのように、あからさまにではなく巧妙に人を操る。操られた側は重大な判断ミスを犯すが、それが間違いだとは思わない。バイアスがそれほどの力を持つのは、人間がその存在に気づかないからだ。

【『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム:渡会圭子〈わたらい・けいこ〉訳(インターシフト、2011年)】

 ワシントン・ポスト紙のサイエンス・ライターが書いたバイアス入門。認知科学の手引書としても秀逸。自由意志の問題にメスを入れる科学の手さばきが実に鮮やかだ。暗い表紙がよくないが内容は文句なし。その上廉価。今時、ハードカバーで1000円台というのは価格破壊に等しい。

人間に自由意思はない/『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?』池谷裕二

 関連書については読書日記を参照せよ。

 認知バイアスに始まり、コミュニケーション、倫理、文化、ジェンダー、集団、つながり、数と8種類のバイアスで各章が構成されている。

 人はバイアスを避けることができない。むしろ人間の脳はバイアス装置として働くというべきなのだろう。我々は特定の価値観に基いて物語を編んでしまう。相関関係を因果関係と混同しながら。

相関関係=因果関係ではない/『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン

 異国の文化に違和感を覚えるのは自国の文化バイアスによるものだ。最も強いバイアスは宗教であろう。

宗教の原型は確証バイアス/『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン

 大切なのは人間の五感情報にはバイアスというフィルターが掛かっていることの自覚だ。懐疑する精神を欠けばバイアスの波にさらわれてしまう。我々の瞳は現実をありのままに映さないのだ。

現代人は木を見つめることができない/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ

 クリシュナムルティは常々「あの花を見よ」と語りかけた。評価も比較もすることなく、ありのままに花を見ることができれば私と花の間に差異は消える。花は私であり私は花と化す。彼は「見る」という行為を通して縁起を教えたのだろう。

 意識は氷山の一角にすぎない。そうであるならば我々を衝き動かしているのは広大な無意識層なのだろう。喜怒哀楽は噴き出すように現れる。感情の表出を押さえ込むことは不可能だ。だからこそ普段から理性や知性を磨いておくべきなのだ。自分自身の歪み(バイアス)を自覚すれば、直ちに新しい世界が見えてくる。



回帰効果と回帰の誤謬/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン

2008-11-30

迷信・誤信を許せば、“操作されやすい社会”となる/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ


『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 ・誤った信念は合理性の欠如から生まれる
 ・迷信・誤信を許せば、“操作されやすい社会”となる
 ・人間は偶然を物語化する
 ・回帰効果と回帰の誤謬
 ・視覚的錯誤は見直すことでは解消されない
 ・物語に添った恣意的なデータ選択

『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース
『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル

必読書リスト その五

 何も考えたくない時がある。どうにでもなれ、と捨て鉢になることもある。私はないけどね。壁にぶち当たって行き詰まると、人は思考を意図的に停止させる。ま、今時は普段から停止しっ放しという若者も多いが。きっと、脳内がエコ・モードとなっているのだろう。節電。

 考えることと考えないことの間には、知性と欲望の川が流れている。欲望に身を任せれば、あっと言う間に川下に流されてしまう。知性は明確な意思に基づいて川上を目指す。

 こんなことは誰でも考えつくことだ。もう一歩考えてみよう。欲望という言葉だと誰もが否定的になるが、これを熱狂と言い換えると妙な引力が働く。人は心のどこかで熱狂を求めている。そう。祭りだ。熱狂の坩堝(るつぼ)。リオのカーニバル。

 私が東京で暮らすようになってから最初に驚かされたのも祭りであった。北海道には御輿(みこし)を担ぐという文化がない。多分。日本人が住むようになってから1世紀あまりしか経ってないことが、先祖や土地への呪縛を薄めているのだろうと個人的に解釈している。

 元来は「祀(まつ)り」であった。それが、「祭り」となり「政(まつりごと)」と変化してきた。では、何を祀っていたのだろうか? そりゃあ、生き物に決まってるわな。何らかの犠牲を伴った方が、神仏からの見返りも大きいと考えるのが普通だよ。当然、若い人間を生贄(いけにえ)にした時代もあったことだろう。生と死は暴力を実感する中で自覚される。そして、熱狂と暴力は同じアパートに住んでいるのだ。

 例えば、ヒトラー支配下のナチス・ドイツ。あるいは、マッカーシズムが旋風を巻き起こしたアメリカ。はたまた、魔女狩りが横行した中世のヨーロッパ。いずれも熱狂と暴力が同居していた時代だ。「考えない」代償はこれほど大きい。

 誤信や迷信を許容していると、間接的にではあるが、別の被害を受けることになる。誤った考えを許容し続けることは、初めは安全に見えてもいつのまにかブレーキが効かなくなる「危険な坂道」なのである。誤った推論や間違った信念をわずかとはいえ許容し続けているかぎり、一般的な思考習慣にまでその影響が及ばないという保証が得られるだろうか? 世の中のものごとについて正しく考えることができることは、貴重で困難なことであり、注意深く育てていかなければならないものなのである。私たちの鋭い知性を、いたずらに正しく働かせたり働かせなかったりしていると、知性そのものを失くしてしまう恐れがあり、世の中を正しく見る能力を失くしてしまう危険がある。さらには、ものごとを批判的にみる能力をしっかり育てておかないと、善意にもとづくとは限らない多くの議論や警告にまったく無抵抗の状態になってしまう。S・J・グールドは、「人々が判断の道具を持つことを学ばずに、希望を追うことだけを学んだとき、政治的な操作の種が蒔かれたことになる」と述べている。個人個人が、そして社会全体が、迷信や誤信を排除するよう努めるべきである。そして、世の中を正しく見つめる「心の習慣」を育てるべく努力すべきであると私は考える。

【『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ:守一雄〈もり・かずお〉、守秀子〈もり・ひでこ〉訳(新曜社、1993年)】

 祭りは「ハレ」の日だ。つまり非日常。現代の非日常といえば、そりゃあテレビに決まってるわな。そして、メディアは情報を加工・修正し、時に粉飾・デフォルメを加え、日常的な操作を行っている。

 一枚の木の葉にも光の鼓動が脈打っている。北極星の輝きは430年もの旅を経て我々の瞳に届けられたものだ。思議し難いが故に不思議。そして、不思議に魅了される内なる不思議。本物の感動はそこにある。

 メディア情報を鵜呑みにしているタコ野郎は、必ずやいつの日かヒトラーのような政治家に一票を投じることになるだろう。



カーゴカルト=積荷崇拝/『「偶然」の統計学』デイヴィッド・J・ハンド

2009-05-06

相関関係=因果関係ではない/『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン


 ・精神疾患は本当に脳の病気なのか?
 ・「ブードゥー教の呪いで人が死ぬ」ことは科学的に立証されている
 ・相関関係=因果関係ではない

『〈正常〉を救え 精神医学を混乱させるDSM-5への警告』アレン・フランセス
『うつ消しごはん タンパク質と鉄をたっぷり摂れば心と体はみるみる軽くなる!』藤川徳美
『心と体を強くする! メガビタミン健康法』藤川徳美
『最強の栄養療法「オーソモレキュラー」入門』溝口徹
『食事で治す心の病 心・脳・栄養――新しい医学の潮流』大沢博
『オーソモレキュラー医学入門』エイブラハム・ホッファー、アンドリュー・W・ソウル
『闇の脳科学 「完全な人間」をつくる』ローン・フランク

必読書リスト その二

 精神疾患を“脳の病”と仕立てることで、薬物治療に弾みがついた。製薬会社がどのようにして、この「仮説」を「既成事実」に変貌させたかを告発した一書。力作である。

 医薬品業界は巨大な利権である。日本のマーケット規模は6兆円を上回る(2006年)。一方、アメリカは2901億ドルで世界の医薬品市場の45%を占めている。

 日本の大手製薬メーカーが戦争犯罪に加担した事実を鑑みると、製薬会社の存在自体に国家権力の意思が働いていることは確かだと思われる。

 薬というものは元々は毒である。製薬会社が承認申請を提出し、厚生労働省の審議会が審査する。もうね、これだけで何か胡散臭くなってくる。厚生労働省が「よきに計らえ」なんて言ったら、後は広告戦略を練るだけだ。病院においてあるパンフレットの類いを見れば直ぐに気づくことだが、その殆どは製薬会社が作成しているものである。

 国民が監視できるシステムとしなければ、いつまで経っても許認可による薬害が後を絶たないことだろう。薬害エイズや薬害肝炎は、まだ記憶に新しい。

 では、薬品天国のアメリカで、どのようにして精神疾患の薬が認可されるのか――

 相関関係がいかに強くてもそれがそのまま因果関係とならないことを、たいていの人は知っている。ところがこの事実は容易に忘れられる。傘を携えているからといって雨が降るわけではないことを誰でも承知しているのに、脳の中の何らかの生物学的マーカーと精神障害の間に相関関係があることが発見されると、このマーカーを障害の原因だと信じこむという落とし穴に容易にはまってしまう。脳がすべての精神的な経験において中心的役割を担っていることが知られていることがその一つの理由なのだろうが、論理的には、この関係は傘と雨の関係と変わりがない。人の精神状態や経験は脳に影響を与えうるし、逆もありうる。二つの事柄に相関関係があるとき、どちらが原因でどちらが結果であるか、自分でわかっているつもりになってはいけない。「原因」と「影響」が混同されやすい。また、二つのものに因果関係がなくても、大きな相関関係はありうる。たとえば、ほとんどの国で、名前が母音で終わる人は名前が子音で終わる人より、平均でみると、背が低い傾向が見られる。しかし少し考えてみればわかるように、最後の母音子音と背の高さに因果関係を想定すべき道理はない。

【『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン:功刀浩〈くぬぎ・ひろし〉監訳、中塚公子訳(みすず書房、2008年/新装版、2018年)】

 つまり、臨床データの解釈によって新しい物語を創作するってわけだ。これを「使った、直った、効いた」の“三た式思考法”と呼ぶ(安斎育郎著『霊はあるか 科学の視点から』講談社ブルーバックス、2002年)。これがどれほど危険であるかは、少し考えれば誰でもわかる。例えば、腹痛を訴える人に梅干しを与えたとしよう。10人で実験したところ、その内6人が3時間後に腹痛が解消していた。では、梅干しに腹痛を癒やす効力があるといえるだろうか? 言えるわけがない。

 それどころかエリオット・S・ヴァレンスタインによれば、精神疾患患者に化学的なバランスの崩れがあるという確かな証拠は何ひとつなく、統合失調症患者にドーパミン受容体の異常があるという証拠を示した人も誰もいないという。ノルアドレナリンとセロトニンについても同様だ。

 企業が利益を追求する以上、当然、実験段階で「きっと効くだろう」「何らかの変化を起こすに違いない」との予断が働く。そこに一定額以上の予算がつぎ込まれていれば、何が何でも都合のいいデータを探し求めるはずだ。彼等にとって、医師や政治家は同じチームメイトだ。ちょっと目配せすれば、わかってくれる――とまあ、こんな具合なのだろう。

 エリオット・S・ヴァレンスタインは決して投薬治療を否定しているわけではない。患者を置き去りにした製薬業界のあり方を告発しているのだ。私も本書を読むまでは、「精神疾患は“心の病”から“脳の病”になった」とばかり思い込んでいた。多くの人々にそう思い込ませたこと自体、アメリカ製薬メーカーによるマーケティングの勝利だった。情報の力は恐ろしい。我々は何となく信じてしまって、医薬品に依存するようになっているのだ。

 世界には、これほどの悪意がはびこっている。



「三た」式思考法
回帰効果と回帰の誤謬/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
宗教の原型は確証バイアス/『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン
物語の本質〜青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
人間の脳はバイアス装置/『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
偶然性/『宗教は必要か』バートランド・ラッセル
物語に添った恣意的なデータ選択/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
相関関係が因果関係を超える/『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ

2011-02-15

宗教の原型は確証バイアス/『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン


『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ

 ・宗教の原型は確証バイアス
 ・自閉症者の可能性

『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一、小原克博
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗

宗教とは何か?
必読書 その五

 正真正銘の神本(かみぼん/神の如く悟りを得られる本)だ。著者のテンプル・グランディンは、オリヴァー・サックス著『火星の人類学者 脳神経科医と7人の奇妙な患者』(吉田利子訳、早川書房、1997年)のタイトルになっている人物。自称「火星の人類学者」は自閉症(※アスペルガー症候群と思われる)の女性動物学者であった。

 これは凄い。とにかく凄い。本書とトール・ノーレットランダーシュ著『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』とレイ・カーツワイル著『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』を合わせて、「科学本三種の神器」と私は名づけたい。

 網羅、渉猟、越境の度合いが生半可でないのだ。本物の知性は統合に向かうことがよく理解できる。緻密さや細部で勝負する知性はカミソリみたいなもので、切れ味は鋭いものの骨肉を断ち切るところまで及ばない。それに対して豊かな広がりをもつ知性は、専門領域を通して高い視点を示すことで世界の風景を変える。

 テンプル・グランディンは自閉症患者が動物の気持ちを理解できるとしている。彼女は幼い頃から動物の感情を知っていたのだ。大人になるまでそれが特殊な能力であることに気づかなかったという。ここから様々な動物の生態を通して人間との違いや人類の歴史を綴っている。

 まあ、一回こっきりの書評で紹介できる作品ではないため、時間が許す限り何度でも書いてみせるよ(笑)。数多(あまた)ある驚天動地の内容で最も驚かされたのがこれ──

 動物と人間は、「確証バイアス」と学者が呼ぶものを、生まれつきもっていることがわかっている。ふたつの事柄が短時間のあいだに起こると、偶然ではなくて、最初の事柄が2番目の事柄を引き起こしたと信じるようにつくられているのだ。
 たとえば、食べ物が出てくる直前に明かりがつくボタンつきのかごにハトを入れると、ハトはすぐに、食べ物を手に入れようとして、明かりがついたボタンをつつくようになる。これは、確証バイアスによって、最初のできごと(ボタンの明かりがつく)が2番目のできごと(食べ物が出てくる)を引き起こしていると考えるようになるからだ。ハトは、たまたま何回かボタンをつついて食べ物が出てくると(ボタンの明かりがついているときに、かならず食べ物が出てくるので)、こんどは、明かりがついているときにボタンをつつくから食べ物が出てくるという結論を出す。
 ハトの行動は、ウサギの足のお守り〔行為のまじないとして持ち歩くウサギの左の後ろ足〕を持っていたらチームが野球の試合に勝てると考える人に似ている。それで、B・F・スキナーはこういった行為を「動物の迷信」と呼んだ。ピッチャーがウサギの足を持っていたときに登板した試合で勝ったのは、ハトが明かりがついたボタンをつついたあとに何回が食べ物を手に入れたのと同じことだ。どちらの場合も、相関関係が原因だと考えた。

【『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン:中尾ゆかり(NHK出版、2006年)以下同】

確証バイアス confirmation bias

 既に何度も紹介済みだが、相関関係と因果関係の混同である。

相関関係=因果関係ではない/『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン

 つまり脳というシステムは、相関関係を因果関係に仕立てることで物語を創造していると言い換えることも可能だ。例えば歴史は権力者のトピックにすぎない。それゆえ歴史の大半は戦争という糸で紡がれている。圧倒的に膨大な量がある一般人の日常が年表に記されることは、まずない。捨象、切り捨て、無視ってわけだ。

「理想的年代記」は物語を紡げない/『物語の哲学 柳田國男と歴史の発見』野家啓一
歴史が人を生むのか、人が歴史をつくるのか?/『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン

 確証バイアスが組みこまれているために生じる不都合は、根拠のない因果関係までたくさん作ってしまうことだ。迷信とは、そういうものだ。たいていの迷信は、実際には関係のないふたつの事柄が、偶然に結びつけられたところから出発している。数学の試験に合格した日に、たまたま青いシャツを着ていた。品評会で賞をとった日にも、たまたま青いシャツを着ていた。それからとは、青いシャツが縁起のいいシャツだと考える。
 動物は、確証バイアスのおかげで、いつも迷信をこしらえている。私は迷信を信じる豚を見たことがある。

 ここでいう「迷信」とは「非科学的」という意味であろう。だとすると殆どの宗教は迷信になる。なぜなら因果関係を証明することができないからだ。幸不幸の原因は神が下したものかも知れないし、家の方角の善し悪しかも知れないし、単なる偶然かもしれないのだ。

 たまたま朝一番でつけたテレビの番組で星座占いをしていたとしよう。あなたのラッキーカラーはピンクだ。ピンクのものさえ身につけておけば万事が上手く運ぶ。昨日、上司から叱られ、恋人と喧嘩をしたあなたの脳は敏感に反応することだろう。で、ピンクのネクタイを締め、颯爽と出社する。

 こうして一日の中の好ましい出来事は「ピンクのネクタイのおかげ」となるのだ。

予言の自己成就/『世界は感情で動く 行動経済学からみる脳のトラップ』マッテオ・モッテルリーニ
人間は偶然を物語化する/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ

 占いを信じる人は、占いに沿った思考となり、占いに当てはまらない事実は印象に残らなくなる。このようにして「占い物語」という人生が進んでゆく。

 ところが、ほかの豚も、これまた確証バイアスにもとづいて、囲いの中の餌桶にまつわる迷信をこしらえる。私が見ていたときには、何頭かが餌用囲いまで歩いていって扉が開いているときに中に入り、それから餌桶に近づき、地面を踏み鳴らしはじめた。足を踏み鳴らしつづけていると、そのうち頭がたまたま囲いの中のスキャナーにじゅうぶんに近づいて、タグが読みとれ、餌が出てきた。どうやら豚は、たまたま足を踏みならしていたときに餌が出てきたことが何回かあって、餌にありつけたのは足を踏み鳴らしたからだという結論に達していたらしい。人間と動物はまったく同じやり方で迷信をこしらえる。わたしたちの脳は、偶然や思いがけないことではなく、関連や相互関係を見るようにしくまれている。しかも、相互関係を原因でもあると考えるようにしくまれている。わたしたちは生命を維持するうえで知っておく必要のあるものや、見つける必要があるもの学ばせる脳の同じ部分が、妄想じみた考えや、陰謀じみた説も生み出すのだ。

 これだ。多分ここから宗教が生まれたのだ。宗教という現象は人間特有のものではなかったのだ。とすると宗教感情がいかに脳の深い部分にあるか知れようというもの。動物にもあるわけだから新皮質より下部にあることだろう。きっと情動も絡んでいるはずだ。

 とはいうものの物語なしで我々は生きてゆけない。はっきりと書いておくが、かつて宗教が人類を救ったことは一度もなかった。聖書や仏典が伝えられてから2000年以上も経過しているが、今尚人類は争い合っている。

 混乱はバラバラの物語が衝突し合っている姿といってよい。同じ宗教を信じていても考え方は違うだろうし、それこそ人の数だけ思想や価値観が存在するのだ。

 まして高度な社会になればなるほど、幸不幸はヒエラルキーや経済性に依存してしまう。我々の幸不幸は比較の中にしかない。

 結局、情報と情報をどう結び合わせるかという問題なのだろう。「私」という情報をどう扱うか? エゴイズムと無縁の物語はあるのか? 人生からそんな宿題を与えられているような気がする。



テンプル・グランディン:世界はあらゆる頭脳を必要としている
物語の本質〜青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
人間の脳はバイアス装置/『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
「信じる」とは相関関係に基づいて形成された因果関係の混乱/『哲学者とオオカミ 愛・死・幸福についてのレッスン』マーク・ローランズ
無意味と有意味/『偶然とは何か 北欧神話で読む現代数学理論全6章』イーヴァル・エクランド
偶然性/『宗教は必要か』バートランド・ラッセル
合理性を阻む宗教的信念/『思想の自由の歴史』J・B・ビュァリ:森島恒雄訳
脳神経科学本の傑作/『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン
宗教学者の不勉強/『21世紀の宗教研究 脳科学・進化生物学と宗教学の接点』井上順孝編、マイケル・ヴィツェル、長谷川眞理子、芦名定道
スロットマシンプレーヤーの視点/『ゾーン 最終章 トレーダーで成功するためのマーク・ダグラスからの最後のアドバイス』マーク・ダグラス、ポーラ・T・ウエッブ
カーゴカルト=積荷崇拝/『「偶然」の統計学』デイヴィッド・J・ハンド
ミツバチのコミュニケーション/『言葉を使う動物たち』エヴァ・メイヤー

2010-10-16

歴史が人を生むのか、人が歴史をつくるのか?/『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン


『複雑系 科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち』M・ミッチェル・ワールドロップ
『新ネットワーク思考 世界のしくみを読み解く』アルバート=ラズロ・バラバシ
『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』マーク・ブキャナン
『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』マルコム・グラッドウェル

 ・歴史を貫く物理法則
 ・歴史が人を生むのか、人が歴史をつくるのか?
 ・政治とは破滅と嫌悪との間の選択
 ・地震はまとまって起こる

必読書リスト その三

 歴史とは物語である。より多くの人々に影響を与えた出来事を恣意的につなぎ、現代へと至る道筋を解き明かす記述である。で、誰が書くのか? それが問題だ。

 歴史を綴るのは権力者の役目である。それは権力を正当化する目的で行われる。だから都合の悪い事柄は隠蔽(いんぺい)されてしまう。削除、割愛、塗りつぶし……。歴史は常に修正され、書き換えられる。

現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル

 果たして歴史が人を生むのか、それとも人が歴史をつくるのか? このテーマに複雑系をもって立ち向かったのが本書である。

 では第一次世界大戦を見てみよう。

 1914年6月28日午前11時、サラエボ。夏のよく晴れた日だった。二人の乗客を乗せた一台の車の運転手が、間違った角で曲った。車は期せずして大通りを離れ、抜け道のない路地で止まった。混雑した埃(ほこり)まみれの通りを走っているときには、それはよくある間違いだった。しかし、この日この運転手が犯した間違いは、何億という人々の命を奪い、そして世界の歴史を大きく変えることとなる。
 その車は、ボスニアに住む19歳のセルビア人学生、ガブリロ・プリンツィプの真正面で止まった。セルビア人テロリスト集団「ブラック・ハンド」の一員だったプリンツィプは、自分の身に起こった幸運を信じることができなかった。彼は歩を進め、車に近づいた。そしてポケットから小さな拳銃を取り出し、狙いを定めた。そして引き金を二度引いた。それから30分経たないうちに、車に乗っていたオーストリア=ハンガリー帝国の皇子フランツ・フェルディナンドと、その妻ソフィーは死んだ。それから数時間のうちに、ヨーロッパの政治地図は崩壊しはじめた。

【『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン:水谷淳〈みずたに・じゅん〉訳(ハヤカワ文庫、2009年/早川書房、2003年『歴史の方程式 科学は大事件を予知できるか』改題)以下同】

 一つの偶然と別の偶然とが出合って悲劇に至る。こうして第一次世界大戦が勃発する。1発の銃弾が1000万人の戦死者と800万人の行方不明者を生んだ。

 物事の因果関係はいつでも好き勝手に決められている。不幸や不運が続くとその原因を名前の画数や家の方角に求める人もいる。あるいは日頃の行いや何かの祟(たた)り、はたまた天罰・仏罰・神の怒り。

人間は偶然を物語化する/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ

 第一次世界大戦を起こしたのは運転手と考えることも可能だ。あるいは皇子のサラエボ行きを決定した人物や学生テロリストの両親とも考えられるし、サラエボの道路事情によるものだったのかもしれない。

「歴史とは偉人たちの伝記である」と初めて言ったのは、イギリスの有名な歴史学者トーマス・カーライルである。そのように考える歴史学者にとって、第二次世界大戦を引き起こしたのはアドルフ・ヒトラーであり、冷戦を終わらせたのはミハイル・ゴルバチョフであり、インドの独立を勝ち取ったのはマハトマ・ガンジーである。これが、歴史の「偉人理論」だ。この考え方は、特別な人間は歴史の本流の外に位置し、「その偉大さの力で」自分の意志を歴史に刻みこむ、というものである。
 このような歴史解釈の方法は、過去をある意味単純にとらえているために、確かに説得力をもっている。もしヒトラーの邪悪さが第二次世界大戦の根本原因だというなら、我々はなぜそれが起こり、誰に責任を押しつけたらよいかを知ることができる。もし誰かがヒトラーを赤ん坊のうちに絞め殺していたとしたら、戦争は起こらず、数え切れない命が救われていたかもしれない。このような見方を取れば、歴史は単純なものであり、歴史学者は、何人かの主役たちの行動を追いかけ、他のことを無視してしまえばいいことになる。
 しかし多くの歴史学者はそうは考えておらず、このような考え方は歴史の動きを異様な形で模倣(もほう)したにすぎないととらえている。アクトン卿は1863年に次のように記している。「歴史に対する見方のなかで、個人の性格に対する興味以上に、誤りと偏見を生み出すものはない」。カーもまた、歴史の「偉人理論」を、「子供じみたもの」で「歴史に対する施策の初歩的段階」に特徴的なものだとして斥けている。

 共産主義をカール・マルクスの「創作物」と決めつけてしまうのは、その起源と特徴を分析することより安易であり、ボルシェビキ革命の原因をニコライ2世の愚かさやダッチメタルに帰してしまうことは、その深遠な社会的原因を探ることより安易である。そして今世紀の二度の大戦をウィルヘルム2世やヒトラーの個人的邪悪さの結果としてしまうのは、その原因を国際関係システムの根深い崩壊に求めるよりも安易なことである。

 カーは、歴史において真に重要な力は社会的な動きの力であり、たとえそれが個人によって引き起こされたものであっても、それが大勢の人間を巻き込むからこそ重要なのだと考えていた。彼は、「歴史はかなりの程度、数の問題だ」と結論づけている。

 歴史がパーソナルな要素に還元できるとすれば、その他大勢の人類はビリヤードの球である。こうして歴史はビリヤード台の上に収まる──わけがない(笑)。

 1+1は2であるが、3になることだってある。例えば1.4+1.3がそうだ。幸福+不幸=ゼロではないし、太陽+ブラックホール=二つの星とはならない。多分。

 このような事実から歴史学者がどんな教訓を引き出したとしても、その個人にとっての意味はかなりあいまいだ。世界が臨界状態のような形に組織化されているとしたら、どんなに小さな力でも恐ろしい影響を与えられるからだ。我々の社会や文化のネットワークでは、孤立した行為というものは存在しえない。我々の世界は、わずかな行為でさえ大きく増幅され記憶されるような形に、(我々によってではなく)自然の力によって設計されているからだ。すると、個人が力をもったとしても、その力の性質は、個人の力の及ばない現実の状況に左右されることになる。もし個人個人の行動が最終的に大きな結果を及ぼすとしたら、それらの結果はほぼ完全に予測不可能なものとなるはずだ。

 臨界状態とは高圧状態における沸点のことで、ここではエネルギーが貯まってバランスが崩れそうな情況を表している。砂粒を一つひとつ積み上げてゆくと、どこかで雪崩(なだれ)現象が起こる。雪崩が起こる一つ手前が臨界状態だ。この実験についても本書で紹介されている。

 つまりこうだ。多くの人々に蓄えられたエネルギーが、一つの出来事をきっかけにして特定の方向へ社会が傾く。これが歴史の正体だ。山火事は火だけでは起こらない。乾燥した空気と風の為せる業(わざ)でもある。

 熱した天ぷら油は発火する可能性もあるし、冷める可能性もある。次のステップを決めるのは熱量なのだ。

 とすると19歳のテロリストが不在であっても第一次世界大戦は起こっていたであろうし、大量虐殺は一人の首謀者が行ったものではなく、大衆の怒りや暴力性に起因したものと考えられる。

 すべての歴史的事柄に対する「説明」は、必ずそれが起こった【後で】なされるものだということは、心に留めておく必要がある。

 人生における選択行為も全く同様で、トーマス・ギロビッチが心理的メカニズムを解き明かしている。

 宇宙は量子ゆらぎから生まれた。そして自由意志の正体は脳神経の電気信号のゆらぎであるとされている。物理的存在は超ひもの振動=ゆらぎによる現象なのだ。

 ゆらぎが方向性を形成すると世界は変わる。人類の歴史は戦争と平和の間でゆらいでいる。



「理想的年代記」は物語を紡げない/『物語の哲学 柳田國男と歴史の発見』野家啓一
コジェーヴ「語られたり書かれたりした記憶なしでは実在的歴史はない」
歴史とは何か/『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘
歴史とは「文体(スタイル)の積畳である」/『漢字がつくった東アジア』石川九楊
エントロピーを解明したボルツマン/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
必然という物語/『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー
歴史の本質と国民国家/『歴史とはなにか』岡田英弘
読書の昂奮極まれり/『歴史とは何か』E・H・カー
物語の本質〜青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
若きパルチザンからの鮮烈なメッセージ/『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
無意味と有意味/『偶然とは何か 北欧神話で読む現代数学理論全6章』イーヴァル・エクランド
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

2009-07-29

回帰効果と回帰の誤謬/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ


・『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 ・誤った信念は合理性の欠如から生まれる
 ・迷信・誤信を許せば、“操作されやすい社会”となる
 ・人間は偶然を物語化する
 ・回帰効果と回帰の誤謬
 ・視覚的錯誤は見直すことでは解消されない
 ・物語に添った恣意的なデータ選択

『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース
『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム

必読書リスト その五

 回帰効果とは、不完全な相関関係における極端な数値に対して、もう一方の数値が平均へと回帰する現象をいう。エ、わかりにくい? 確かに。

 例えば、身長が195cmの父親から生まれた子供は、195cm未満である可能性が高いということ(※遺伝学者のフランシス・ゴルトンが実際に調べた)。あるいは、今月の交通事故死亡者数が極端に低下すれば、来月は上回ることが予想される。はたまた、今回の試験の平均点が90点であれば、次回は90点未満であること。そう。大きく振れた振り子は必ず戻ろうとする。

 ところが人間は往々にして回帰効果を無視して、勝手な物語を作り上げる傾向が強い――

 こうした予想を行なう際に回帰効果を無視してしまうという傾向は、偏りの錯誤と同様に、代表制にもとづく判断のせいであると考えられる。予想されるものと予想の根拠となるものは限りなく類似しているはずだという直観が人々の判断に影響して、両者の得点をほぼ同じものとさせてしまうのである。身長195センチの父親に対しては、身長195センチの子どもが最も代表的だと思われてしまうのである。(実際には、身長195センチの父親を持つ子どもの大半は、これより低い身長となる。)ここでもまた、代表性にもとづく判断が、過度の一般化を引き起こしている。

【『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ:守一雄〈もり・かずお〉、守秀子〈もり・ひでこ〉訳(新曜社、1993年)以下同】

 ということは、だ。鳶(とび)が鷹を生み、今度はその鷹が鳶を生むことはあり得るが、鷹が鷲を生み、鷲が鳳(おおとり)を生むことはないってことだな。ここで重要なのは、極端にいい結果が出た後は、少々悪い結果が出やすいし、その逆もまた真なりってことだ。

 回帰効果を無視すると、今度は回帰の誤謬が生じる――

 回帰の概念を本当に理解できていないときに人々が直面する二つの問題点のうちのもうひとつは、「回帰の誤謬」として知られている。回帰の誤謬というのは、単なる統計学的な回帰現象にすぎないものに対して、複雑な因果関係を想定したりして余計な「説明」をしてしまうことを言う。素晴らしい成績の後、成績が落ち込むと怠けたせいであるとされたり、反対に、凶悪犯罪が頻発した後で犯罪件数の減少が見られると、新しい法律の施行が効を奏したためと考えられたりすることである。回帰の誤謬は、偏りの錯誤と似たところがある。どちらも、偶然に生じたできごとに人々が余計な意味づけをしてしまう現象だからである。統計学的な回帰の結果生じたにすぎない現象に、無理な説明づけをしようとするあまり、間違った信念が形成されることにさえなってしまう。

回帰の誤謬:Wikipedia

 政治の世界では常套手段といってよい。「相関関係と因果関係の混同」と言い換えることも可能だ。具体的な例も示されている――

 言い替えれば、回帰効果は、「ほめることを罰し、罰することをほめる」ことに一役買ってしまうのである。
 こうした現象を見事に示してみせた実験研究がある。この実験は、参加者に教師の役割を演じてもらい、コンピュータが演ずる架空の生徒たちをほめたり、叱ったりするものであった。コンピュータが演ずる生徒は、毎朝8時20分から8時40分までの間に登校し、その登校時刻がディスプレイに表示される。教師は、生徒が朝8時20分から8時30分までに登校して来るよう努めなければならない。生徒の登校時刻が表示されるごとに、参加者は、生徒をほめるか、叱るか、何もしないかのどれかを選択できる。そこで、生徒が8時30分より前に登校してきた時には、参加者は生徒をほめ、遅刻してきた時には叱るであろうと予想される。しかし、実際には、生徒の登校時刻は実験前にあらかじめ決められており、実験に参加した被験者がほめたり叱ったりしても、まったくその影響はない。それにもかかわらず、回帰効果があるために、生徒の登校時間は、遅刻して叱られた後では向上し(つまり、平均の8時30分の方に回帰し)、早く登校してほめられた後では悪くなる(つまり、ここでも平均の8時30分の方に回帰する)ことになる。さて、こうした実験の結果、参加者の7割が「叱ることの方が誉めることよりも登校時刻を守らせる効果がある」という結論を出した。回帰によって生じた、ほめることと叱ることの見かけの効果にだまされてしまったのである。

 以下のリンク先も参照されよ――

やる気のない中学生の子を持つ親の心得

 病気で考えてみよう。いくつもの原因が重なって発症する病気を「多因子疾患」という。遺伝要因と環境要因とが複雑に絡み合っているため、治療をしても一定の効果が現れない場合が多い。ところがアメリカの製薬会社は、相関関係を因果関係に見立てて、「精神疾患は“脳の病気”であり、薬を服用することで治る」という物語を作ることに成功した。

相関関係=因果関係ではない/『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン

 こうした意図的なマーケティング手法にも、回帰の誤謬が含まれていると考えられる。というよりも、最初っから「誤謬の物語」を創作している節すら窺える。

 選挙においても回帰効果は見られる。以下はWikipediaのデータである――

1992年参院選
1993年/自民党223
1995年参院選
1996年/自民党239
1998年参院選
2000年/自民党233
2001年参院選
2003年/自民党237
2004年参院選
2005年/自民党296
2007年参院選

 定数の変化はあるものの、自民党が単独で衆議院の過半数を獲得したのは2005年だけとなっている。来る8月30日の投票において、自民激減は必至と予想されているが、民主党による回帰の誤謬は既に見受けられている。選挙結果を政争の具に利用するようなことがあれば、直ちに国民からそっぽを向かれることだろう。

 ただし、これは統計学の世界の話である。経済学的見地からすれば、金にものを言わせて、誤謬を真実にしてしまうことが多い。



回帰の虚偽
偶然性/『宗教は必要か』バートランド・ラッセル

2010-02-28

神は神経経路から現れる/『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース


『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ

 ・脳は神秘を好む
 ・回帰効果と回帰の誤謬
 ・言語概念連合野と宗教体験
 ・神は神経経路から現れる
 ・人工知能がトップダウン方式であるのに対し、動物の神経回路はボトムアップ方式

『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム

キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?
必読書 その五

 キリスト教の啓示に代表される劇的な宗教体験は、非現実的というよりも超現実的な神秘性を帯びている。当人は雷に打たれたかの如く激しいショックを受けるのだが、果たしてそれがどこで起こっているのか? 第三者が確認できない以上、科学的検証は無理──これだと議論が進まない。本書では信仰者の主観世界が脳内で展開していることを解き明かしている。

アップルパイのリアリティー、神のリアリティー

 まずは、想像してみてほしい。あなたは今、大好物のアップルパイを食べている。あなたの複数の感覚器官に入ったアップルパイの情報は、神経インパルスに変換され、それぞれが脳の特定の領域で処理されて知覚が成立する。視覚中枢は金色がかった茶色をしたパイの像を、嗅覚中枢は食欲をそそるリンゴとシナモンの香りを、触覚中枢はパイの表面のサクサクした歯ごたえと中身のトロリとした舌触りとの複雑なハーモニーを、味覚領域は甘くて濃厚な味をそれぞれ知覚し、これらが統合されたときに、「アップルパイを食べる」というあなたの経験が生じてくる。
 ここで、あなたの脳で起きている神経活動を、SPECTスキャンで測定してみよう。コンピュータ・スクリーン上に表示された明るい色の斑点は、パイを食べるという経験が、文字通りあなたの「心の中にある」ことを示唆している。けれども、だからといって、パイが現実には存在しないとか、パイのおいしさがリアルではないという意味にはならないことは、皆さんもすぐに同意してくださるだろう。同じように、瞑想中の仏教徒や祈りをささげる尼僧たちの宗教的な神秘体験が、観察可能な神経活動と関連づけられることが分かったからといって、その体験がリアルでないことの証拠にはならないのだ。神はたしかに、概念としてもリアリティーとしても、脳の情報処理能力と心の認知能力を通じて経験され、心の中以外の場所に存在することはできない。けれども、アップルパイを食べるような日常的、形而下的な体験についても、それは同じなのだ。
 逆に、皿の上のアップルパイのように、神が実在し、あなたの前に顕現した場合にも、あなたは、「神経活動が作り出したリアリティーの解釈」以外のかたちで神を経験することはできない。神の顔を見るためには視覚情報処理が必要だし、恍惚状態になったり、畏怖の念に満たされたりするためには情動中枢のはたらきが必要だ。神の声を聞くためには聴覚情報処理が必要だし、メッセージを理解するためには認知情報処理が必要だ。神からのメッセージが、言葉ではなく、何らかの神秘的な方法で伝わってきたとしても、その内容を理解するためにはやはり認知情報処理が必要だ。ゆえに、神経学の立場からは、「神があなたを訪れるとき、その通り道は、あなたの神経経路以外にはあり得ない」と断言できる。

【『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎〈もぎ・けんいちろう〉監訳、木村俊雄〈きむら・としお〉訳(PHP研究所、2003年)】

 アップルパイよりは幻肢痛(げんしつう)の方がわかりやすいだろう。手足を切断した患者が「既にない部分」の痛みを訴える症状だ(V・S・ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』が詳しい)。

 我々は普段は意識していないが、五官から入力された情報を知覚しているのは脳である。例えば私があな足の裏をくすぐったとしよう。この場合、足の裏が感じているわけではなく、神経経路を介してきた情報を脳が感じているのである。

 一つテストをしてみよう。今まで食べた梅干しの中で最もしょっぱかったものを思い出してみてほしい。そう。300年経っても腐らないほど塩まみれになったやつだ。どうですか? 口の中に唾(つば)が溜まってきたでしょう(笑)。これ自体、現実にあなたの脳が「しょっぱい」と感じた証拠である。

 更に決定的な証拠を挙げよう。我々は眠っている間に夢を見る。目をつぶっているにもかかわらず。世界の七不思議よりも不思議な話だ。つまり、目で見ていると思いきや実は脳の視覚野が知覚しているのだ。極端な話、生まれつき目が不自由であったとしても、聴覚や触覚で視覚野を働かせることができれば、その人は「見えている」といっていい。

 脳内には松果体(しょうかたい)という内分泌器官があるが、これは「第三の眼」と考えられている。ヒンドゥー教の神シヴァ神には第三の眼が額に描かれている。

 また連合型視覚失認という症状があると、視覚は正常に機能しているが意味を読み取ることができなくなる。生まれつき目の不自由な人が、手術などによって見えるようになると同様の症状が起こることがわかっている。このため手で触って確認した上で見直す作業を繰り返す。

 もう一つ付け加えておくと、あなたが見ている赤と私が見ている赤は多分微妙に異なっている。

 つまり、「見る」という行為は網膜に映った光の点に意味を付与し、物語化することで成り立っているわけだ。

 言ってることわかるかな? 順番が逆だということ。世界があって、それを見るために目を発達させたんじゃなくて、目ができたから世界が世界としてはじめて意味を持った。

【『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』池谷裕二(朝日出版社、2004年/講談社ブルーバックス、2007年)】

 当然、目が不自由であれば音の世界や匂いの世界がある。つまり、我々の知覚が世界を形成しているのである。で、繰り返しになるが知覚を司っているのは脳だ。ということは、世界は脳だと言い換えることができる。

 眠っている間にあなたの脳味噌をそっくり取り出したと仮定する。脳は生きたまま培養液に浸(ひた)され、無数の電極を付けてコンピュータから様々な情報を入力できるようにしておく。起床時間になり、あなたは目覚め周囲を見渡す。いつもと変わらぬ自分の寝室だ。だが実はコンピュータによって視覚野に刺激を加えているだけだった。「そんなことはあり得ない」と思った人はいささか考えが浅い。これは「水槽の脳」という奥深いテーマなのだ。映画『マトリックス』のモチーフにもなっている。

 話を本に戻そう。神を見る人がいる一方で、幽霊を見る人もいる。後者の方が多そうですな(笑)。はたまたせん妄や幻覚という症状もある。いずれにせよ、「見えている」のだから脳が知覚していることは事実であろう。

霊界は「もちろんある」/『カミとヒトの解剖学』養老孟司

 では何が違うのか? それは「見えた後の行動」であろう。啓示を受けた人は崇高になり、幽霊を見た人は臆病になる。そんな単純な結果論でいいのか? 別に構いやしないさ。要は「世界が変わった」という事実が重要なのだ。

 我々は「高さ」に憧れる。アメリカの大統領選挙の殆どは背の高い候補が勝利を収めている。また、高い山を登ると高山病になるため、古(いにしえ)の人々は「神が住んでいて人間を近寄らせない」ものと考えていた。西洋文明は高さを支配する競争でもあった。飛行船、飛行機、ロケットと天にまします神に近づいた国家が世界を支配してきた。不況下にあっても尚、高層マンションが飛ぶように売れているのも同じ理由からだろう。我々は見下ろす──あるいは見下す──ことが好きなのだ。きっと本能が空なる世界を求めてやまないのだろう。

 中には守護霊やオーラが見える人もいる。あれはどうなんだろう? チト眉唾物だね。

 まとまらなくなってきたので結論を述べる。「脳は知覚からの刺激によってシステムが変わる」ことがある、という話だ。「見ることで変わる」と言ってもよい。天に瞬く星々や美しい夕焼けを見た瞬間、言葉にならない何かが胸の中を去来することがある。好意を寄せていれば、あばたもエクボに見えるのだ。

 そのように考えると、「何をどう見るか」でその人の世界は決まるといえよう。人は闇の中で光を見出すことも可能なのだ。

 
トーマス・ギロビッチ
『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
合理性と再現可能性/『科学の方法』中谷宇吉郎
カーゴカルト=積荷崇拝/『「偶然」の統計学』デイヴィッド・J・ハンド

2020-06-27

キリスト教の教えでは「動物に魂はない」/『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博


『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳
『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『道徳性の起源 ボノボが教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
『ママ、最後の抱擁 わたしたちに動物の情動がわかるのか』フランス・ドゥ・ヴァール

 ・経済が宗教を追い越していった
 ・キリスト教の教えでは「動物に魂はない」

『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲

キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?
必読書リスト その五

山極●聖書によれば、動物には魂はないのですか。

小原●そうです。

山極●なるほど。だからね、それは農耕牧畜とともに生まれたんだと思うんですよ。狩猟採集民の世界というのは、動物に魂があるか、人間に魂があるかという話ではなくて、動物と人間は対等ですから、動物と会話ができていたわけですね。

小原●そうですね。狩猟採集の時代にあった動物と会話できるという感覚は、その後、形を変えながらも、様々な神話や物語の中に引き継がれてきたと思います。日本の昔話では、動物と人間が会話を交わす物語がたくさんありますし、さらに言えば、動物にだまされたり、助けられたり、「鶴の恩返し」のように動物と結婚したり、いろいろなバリエーションがありますね。動物が人間をどう見ていたかはともかくとして、少なくとも人間の側からは、長きにわたって、動物は会話できる対象と見られてきたのではないでしょうか。

【『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一〈やまぎわ・じゅいち〉、小原克博〈こはら・かつひろ〉(平凡社新書、2019年)】

 日本人ならすかさず「一寸の虫にも五分の魂がある」と反論するだろう。一神教は神の絶対性を強調する。その神に似せて造ったのが人間だ。人間は神に最も近い動物であるが神には絶対になれない。この断絶性が「動物に魂はない」とする根拠になっているのだろう。

 具体的には南極観測隊の犬の扱い方が好例だ。日本は15頭の犬を南極に置き去りにした(1958年)。イギリスでは「日本人はなんと残酷な民族か!」と糾弾され、「イギリス犬の日本輸出を中止せよ!」という声まで上がった。翌年、奇蹟的に2頭の生存が確認された。これがタロとジロである。一方、イギリス隊は1975年、帰還を余儀なくされた時、100頭の犬を薬物で殺害した。「犬を殺すのが一番経済的だ」という理由で。こうした二面性は神の愛を説きながら殺戮(さつりく)を繰り返してきた彼らの歴史に基づく性質だ。彼らは一方で戦争を行いながら、もう一方で慈善活動を行うことができる。

 かつての捕鯨もそうだ。欧米は鯨油だけを採ってクジラの遺体は捨てた。黒船ペリーが開国を迫ったのは捕鯨船の補給地を確保するためだった(『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男)。日本の場合、食用で尚且つ骨からヒゲに至るまでを活用する。そんな連中が「クジラは知能が高い」という理由で日本を始めとする捕鯨国を口汚く罵っているのだ(『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人)。日本は「動物に魂はあるのか?」と反論すべきであった。

   日本人がキツネに騙されなくなったのは高度経済成長の真っ只中で昭和40年(1965年)のことだ(『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節)。暮らしが豊かになり我々は自然との交感を失ったのだろう。

2014-04-19

偶然性/『宗教は必要か』バートランド・ラッセル


『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である』堀堅士

・偶然性
イエスの道徳的性格には重大な欠点がある
残酷極まりないキリスト教
宗教は恐怖に基いている

ラス・カサスの立ち位置/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?

 とにかく、もうニュートン式の、たれにも理解できないけれども、ある理由で、自然は統一された様式で動作をするといつたたぐい(ママ)の自然の法則は通用しないのです。今では、われわれが自然の法則だと考えていた沢山なことが、実は、人間の習慣でしかないことを発見しているのであります。御承知のように、天体の空間のどんな違いにおいてもなお三呎(※フィート)は1ヤードです。これは、明らかにおどろくべきことではありますが、どうも自然の法則とは言いかねるのであります。そして自然の法則とみなされてきた多くのことはそのたぐいであります。これに反して、原子が実際になすところのことになんらかの知識を得ることができる場合には、ひとびとが考えていたほどには、法則に従つていないことが解るでありましょう。そして到達することのできる法則は、偶然から現れる類のものにそつくりな統計的平均値なのであります。御承知のように、骰子を振つたなら、6の目が二つでるのは大体36回に一度という法則がありますが、われわれは骰子の目がでるのが神の意向によつて規正されている証拠だとはみなしません。反対に、6の目が二ついつもでるならば、神の意向があつたと考えるべきでありましよう。自然の法則というのは、そのうちの沢山なものについての、そのような類のものであります。それは偶然性の法則から出てくる統計学的平均値にすぎず、そのことが自然の法則に関するすべてのことを昔にくらべて、甚だしく影を淡くしているのであります。(「なぜ私はキリスト教徒ではないか」)

【『宗教は必要か』バートランド・ラッセル:大竹勝訳(荒地出版社、1959年)】

 1927年に行われた有名な講演が冒頭に収められている。ラッセルは回りくどいほど丁寧に、そして時々辛辣なユーモアを交えて語る。時代は第一次世界大戦から第二次世界大戦に向かっていた。ヨーロッパで神を否定することは、日本で天皇を否定するよりも困難であったと思われる。それをやってのけたところにラッセルのユニークさ(独自性)がある。アインシュタインも無神論者であったが神の正面に立つことはなかった。

 原子の振る舞いを例に挙げているのはブラウン運動熱力学の法則が念頭にあったのだろう。また量子力学が確立されたのが1927年であるからラッセルは当然知っていたはずだ。特定の素粒子の位置は不確定性原理によって確率でしか捉えることができない。

 人は不幸や不運が続くと「祟(たた)り」に由来すると考えがちである。これがアブラハムの宗教世界では「神が与えた試練」すなわち「運命」と認識される。つまり物語は偶然(あるいは非均衡)から生まれるのだ。ラッセルはサイコロの例えを通して明快に説く。

 脳は時系列に沿って因果関係を構築するため、相関関係を因果関係と錯覚する。

相関関係=因果関係ではない/『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン
回帰効果と回帰の誤謬/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
宗教の原型は確証バイアス/『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン

 そして宗教は人々の不幸と不安に付け込んで商売を行う。免罪符(贖宥状)・お守り・お祓いは金額に換算される。罪を軽くするには神様への賄賂が必要なのだ。

 正確に言えばラッセルはキリスト教批判を目的にしたわけではなかった。彼は科学的なものの見方を披瀝しただけであった。ヨーロッパから神を遠ざけた人物としてラッセルはニーチェと双璧を成すと考える。

宗教は必要か (1968年)

宗教と科学の間の溝について
日本に宗教は必要ですか?/『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳
無意味と有意味/『偶然とは何か 北欧神話で読む現代数学理論全6章』イーヴァル・エクランド
バートランド・ラッセル

2018-09-04

人間は世界を幻のように見る/『歴史的意識について』竹山道雄


『昭和の精神史』竹山道雄
『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄

 ・人間は世界を幻のように見る

『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

必読書リスト その四

 私は長いあいだ人間の心の動きを驚(おどろ)き怪(あや)しんできた。その謎(なぞ)を解きたいと願っていたのだったが、その正体もはっきりとは摑(つか)めず、どこから手をつけていいかも分からない。ただ茫然(ぼうぜん)として手をこまねいている間に年月は奔(はし)って、もはや日暮(ひぐ)れである。
 この謎は、まだ学問の領域(りょういき)ではとりあげられていないのではないか、という気がする。私にはそれを解くことはできず諦(あきら)める他はないのだが、今までにああではないかこうではあるまいかと思いあぐんだ段階のことを記しておきたい。
 その人間の心の不可解とは、だいたい、客観世界(きゃっかんせかい)についての人間の認識とはどういうものなのだろうか、というようなことである。
 人間はナマの世界に自分で直接にふれることはあまりないのではなかろうか。むしろ、世界についてのある映像(えいぞう)の中に生きているのではないのだろうか。
 そして、その人間の世界に対する映像(えいぞう)のもち方は、自分の直接の経験(けいけん)から生れたものよりも、むしろおおむね他から注ぎこまれたものではないだろうか? 「このように見よ」という教条(きょうじょう)のようなものがあって、人間はそれに合せて世界を見る。人間の対世界態度は他から与えられ、これが基本になって世界像がえがかれ、人間はその世界像にしたがって行動する。この際に理性はほとんど参与しない。(「人間は世界を幻のように見る ――傾向敵集合表象――」)

【『歴史的意識について』竹山道雄(講談社学術文庫、1983年)以下同】

 竹山道雄の著作を貫いてやまないのは「イデオロギーに対する不信感」である。その筆鋒(ひっぽう)はナチス・ドイツ、軍国ファッショ、社会主義・共産主義に向けられた。時代を激しく揺り動かすのは煽動されたファナティックな大衆である。大衆は他人から与えられた結論を自分の判断と錯覚し、時代の波に飲み込まれ、次の波を形成してゆく。

 岸田秀が『ものぐさ精神分析』で唯幻論(ゆいげんろん)を披露したのが1977年のこと。注目すべき見解ではあったが学問的な裏づけが弱い。西洋の認識論はプラトンからデカルトまでの流れがあるが、より具体的な進展は人工知能分野における認知科学まで待たねばならなかった。

 1976年に『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』(ジュリアン・ジェインズ)の原書が出ている。ジェインズの衣鉢を継いだ『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』(トール・ノーレットランダーシュ)の原書が1991年である。同年には『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』(トーマス・ギロビッチ)も刊行されている。その後、コンピュータの発達によって脳科学が一気に花開く。アントニオ・R・ダマシオもこの系譜に加えてよい。

 宗教分野では『解明される宗教 進化論的アプローチ』( ダニエル・C・デネット)、『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』(ニコラス・ウェイド)、『神はなぜいるのか?』(パスカル・ボイヤー)、『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』(アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース)と豪華絢爛なラインナップが勢揃いした。

 そしてコンピュータ文明論ともいうべき『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』(レイ・カーツワイル)にまでつながるのである。

 傾向敵集合表象はナマの客観世界からは独立して、人間精神の中だけで成立した世界像であるが、ほとんど絶対の権威(けんい)をもって支配する。それが風のごとく来ってまた去ってゆくのを私は幾度(いくど)も経験した。それが一世を覆(おお)うのをいかんとも解することができず、ついには国運をも傾けてゆく中にただ怪訝(かいが)の念をもって揉(も)まれていた。

 大東亜戦争は冷静に考えれば確かに勝ち目のない戦争であった。講和をするのも遅すぎた。黒船襲来不平等条約三国干渉人種的差別撤廃提案の否決と国民的鬱積は60年以上にも及んだ。軍国主義に至った背景を思えば、当時の政治家や国民を軽々しく批判することは難しい。ドイツは第一次世界大戦後に敗れて法外な賠償金を求められ、国民の溜まりに溜まった怒りがヒトラーを誕生させたのと似ている。しかし日本に独裁者は存在しなかったし、大量虐殺の計画も実施もない。

 共同幻影は集団の中に暗示(あんじ)によって触発され、さながら女が衣装(いしょう)の流行から免(まぬか)れることができないのと同じ強制力(きょうせいりょく)をもつ。それはさながら水が大地に浸(し)みるように拡(ひろ)がってゆくのだが、それに対して、個人の理性をもってしては歯が立たない。

 大正期や戦後の赤化(せっか)が正しくそうだった。かつての大本教創価学会もそうだったのかもしれぬ。

 傾向敵集合表象はつねに論理化して説かれる。そして、理屈(りくつ)はみな後からつく。どのようにもつく。
 その幻影と狂信を正当化する理屈のつけ方には、さまざまなパターンがある。
 もっともしばしば行われるのは「部分的真理の一般化」ということである。

 いわゆる理論武装である。特にキリスト教世界から誕生した共産主義はディベートの流れを汲(く)んでいて自分たちへの批判を想定した問答をマニュアル化する。現実の否定、あるべき理想、論理の構築が三位一体となって脳内情報を書き換える。

 人間はごく身のまわりの事や昨日とか今日の事についてならともかく、すこし離れたことについては、自分が主体になってナマの経験に即して判断することは、ほとんどない。むしろ、集団がいだいている社会表象とでもいうべき、あたえられた枠組(わくぐみ)にしたがって判断する。これは個人が主体であるといわれるヨーロッパ人でもやはりそうである。

 時代の波をつくるのは人々の昂奮や熱狂だ。理性ではない。群れを形成することで生き延びてきた我々の脳(≒心)は他人に同調しやすい。なぜなら同調することが生存確率を高めたのだから。

 いちじるしいことであるが、「第二現実」のみが、人間のエモーションをはげしく動かす。ナマの現実によって激情(げきじょう)が触発(しょくはつ)されることはあまりない。ナマの現実に異変があったときには、むしろそれへの対応(たいおう)にいそがしく、戦中もいかにして食物を手に入れるとか疎開(そかい)するとかに集中して、われわれはむしろプラクチカルになり、悲観(ひかん)とか絶望(ぜつぼう)という情動(じょうどう)はなかった。敗戦のときには虚脱(きょだつ)してむしろ平静だったが、やがて宣伝(せんでん)がはじまってから激動(げきどう)した。戦時中には自殺はなく、敗戦翌年にはおどろくべき数にのぼった。

 私が「物語」と呼び、バイロン・ケイティが「ストーリー」と名づけたものを、竹山は「第二現実」といっている。創作された映画や小説が「第二現実」であるように、我々は「自分」というフィルターを通して世界を見つめる。そこに喜怒哀楽が生まれる。人の感情の多くは誤解や錯誤から生じているのだ。「見る」という行為をブッダは如実知見と説き、智ギ天台は止観とあらわし、日蓮は観心本尊抄を認(したた)め、クリシュナムルティは徹底して「見る」ことを教えた。

 私の眼は節穴なのだろうか? その通り。人間の五感の中で視覚情報が圧倒的に多いのは脳の後ろ1/3を視覚野が占めているためである。ところがだ、実際の視覚情報は我々が感じているような細密なものではなく脳が補完・調整をしているのだ。しかも知覚は準備電位より0.5秒遅れて発生し、視覚の場合は更に光速度分の遅れが加わる。例えば北極星でサッカーが行われたとしよう。我々が超大型電波望遠鏡で見るのは434年前に行われたゲームだ。

 そして見る行為には必ず見えないものが含まれている。表が見えている時、裏は見えない。中も見えない。前を見る時、後ろは見えない。遠くを見る時、近くは見えない。美人を見る時、その他大勢は見えない。見るとは見えない事実を自覚することである。ま、無知の知みたいなもんだ。

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竹山 道雄
講談社
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2019-05-13

「わかった」というのは感情/『「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学』山鳥重


『「自分で考える」ということ』澤瀉久敬
『壊れた脳 生存する知』山田規畝子

 ・「わかった」というのは感情
 ・人間の心は心像しか扱えない

・『「気づく」とはどういうことか』山鳥重
『脳は奇跡を起こす』ノーマン・ドイジ
『脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線』ノーマン・ドイジ

 わかったというのは感情なのです。
 知らない花を見つけて、名前を教えてもらい、実はそれが前から知っていた花だったりすると、そうかと納得します。わかったと感じるのです。

【『「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学』山鳥重〈やまどり・あつし〉(ちくま新書、2002年)以下同】

 山鳥重〈やまどり・あつし〉は神経内科医で高次脳機能障害研究の第一人者である。私は山田規畝子〈やまだ・きくこ〉の著書で知った。「わかったというのは感情」という指摘が鋭く胸に突き刺さる。山鳥は臨床で「わからなくなってしまった人々」(高次脳機能障害)を相手にしている。時計の針が読めない、階段は見えているのだが昇りか下りかがわからない、靴の向きを間違えるなどが具体的な症状だ。わからなくなってしまった不思議を思えば、わかることもまた不思議なのである。

「わかった」という体験は経験のひとつの形式であって、事実とか真理を知るということとは必ずしも同じではありません。
 真理を発見して興奮出来る人は古今東西を問わず、わずかな人たちにすぎません。しかし、「わかった!」「わからん!」はすべての人が毎日繰り返し繰り返し経験することです。わかったからといって、その都度、真実に近づいているわけではありません。わからなかったからといって、その都度、真実から遠ざかっているわけでもありません。「わかった!」からと言って、それが事実であるかどうかは、実はわからないのです。わかったと感じるのです。あるいはわからないと感じるのです。

 特定の思想や哲学・宗教を信じる人々は皆が皆、「わかった気に」なっている。彼らは自分こそが正しいと「わかって」いるのだ。しかも閃(ひらめ)きや悟りに近い経験をする人も少なくない(例えばパウロ)。人間が誤謬(ごびゅう)から脱却できないのは「わかった」という実感を合理性と錯覚するためなのだろう。

誤った信念は合理性の欠如から生まれる/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ

 限られた脳内情報が結び合い、つながった瞬間に「わかった」との自覚が生まれるのだろう。きっとシナプス結合がすっきりしたのだろうが、それが事実かどうかはわからないのだ。家の中の整理整頓をしたところで世界が片づいたわけではない。

 わかるためには「わからない何か」がなくてはなりません。「わからない何か」が自分の中に立ち現れるからこそ、「わかろう」とする心の働きも生まれるのです。

 人生で最も大切な姿勢は「問う」ことである。問いの中身にその人の生き様が表れる。疑問をウヤムヤにしてしまうと眼が曇り、心は鈍くなってしまう。問わずして悩む姿を煩悩と名付ける。

2016-07-19

必読書リスト その五


     ・キリスト教を知るための書籍
     ・宗教とは何か?
     ・ブッダの教えを学ぶ
     ・悟りとは
     ・物語の本質
     ・権威を知るための書籍
     ・情報とアルゴリズム
     ・世界史の教科書
     ・日本の近代史を学ぶ
     ・虐待と精神障害&発達障害に関する書籍
     ・時間論
     ・身体革命
     ・ミステリ&SF
     ・必読書リスト その一
     ・必読書リスト その二
     ・必読書リスト その三
     ・必読書リスト その四
     ・必読書リスト その五

『イスラム教の論理』飯山陽
『「自分で考える」ということ』澤瀉久敬
『壊れた脳 生存する知』山田規畝子
『「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学』山鳥重
『世界はありのままに見ることができない なぜ進化は私たちを真実から遠ざけたのか』ドナルド・ホフマン
『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一
『物語の哲学』野家啓一
『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル
『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世
『宗教は必要か』バートランド・ラッセル
『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩
『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
『権威の概念』アレクサンドル・コジェーヴ
『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳
『「絶対」の探求』バルザック
『絶対製造工場』カレル・チャペック
『華氏451度』レイ・ブラッドベリ
『われら』ザミャーチン:川端香男里訳
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー
『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹
『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン
『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー
・『LIFE3.0 人工知能時代に人間であるということ』マックス・テグマーク
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
『苫米地英人、宇宙を語る』苫米地英人
『数学的にありえない』アダム・ファウアー
『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
『死生観を問いなおす』広井良典
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール
『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳
『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
『人間の本性について』エドワード・O ウィルソン
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物』バート・ヘルドブラー、エドワード・O・ウィルソン
『徳の起源 他人をおもいやる遺伝子』マット・リドレー
『遺伝子 親密なる人類史』シッダールタ・ムカジー
『若返るクラゲ 老いないネズミ 老化する人間』ジョシュ・ミッテルドルフ、ドリオン・セーガン
『音と文明 音の環境学ことはじめ』大橋力
『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』ロバート・ムーア
『潜在意識をとことん使いこなす』C・ジェームス・ジェンセン
『こうして、思考は現実になる』パム・グラウト
『こうして、思考は現実になる 2』パム・グラウト
『自動的に夢がかなっていく ブレイン・プログラミング』アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ
『あなたという習慣を断つ 脳科学が教える新しい自分になる方法』ジョー・ディスペンザ
『ゆだねるということ あなたの人生に奇跡を起こす法』ディーパック・チョプラ
『同じ月を見ている』土田世紀
『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥
『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』草薙龍瞬
『手にとるようにNLPがわかる本』加藤聖龍
『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ
『人生の短さについて』セネカ:茂手木元蔵訳
『怒りについて 他一篇』セネカ:茂手木元蔵訳
『怒りについて 他二篇』セネカ:兼利琢也訳
『中国古典名言事典』諸橋轍次
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『悟り系で行こう 「私」が終わる時、「世界」が現れる』那智タケシ
『わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと』サリー・ボンジャース
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
『タオを生きる あるがままを受け入れる81の言葉』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
『シッダルタ』ヘルマン・ヘッセ
『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳
『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 3』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 4』J・クリシュナムルティ
『生の全体性』J・クリシュナムルティ、デヴィッド・ボーム、デヴィッド・シャインバーグ

2011-07-29

必然という物語/『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー


 科学も宗教も突きつめると時間に行き当たる。人間が一生という時間に支配されている以上、それも当然か。ただ時間というのは概念であって実体はない。昨日の8時を持ってこいと言われても無理だ。

月並会第1回 「時間」その一
月並会第1回 「時間」その二

 とすると時間をどう解釈するかが問われる。人生の幸不幸は多くの場合錯覚であるといってよい。例えば「努力が実る」という言葉があるが、実際は実らない人の方が多い。成功者の発言が一人歩きしていると見ていいだろう。

 人間の脳は時系列に沿って因果という物語を仕立て上げる。我々にはよき出来事を必然と捉える癖がある。つまり「必然という物語」だ。

「起きたことだけのリストを見れば、まるで起こりそうもない一連の出来事のように思えます。でも、それは数霊術の世界の話。人は同じことだけを捜して、異なることをすべて無視する。(中略)
 こんなふうに類似性を探して、それについて想像を膨らませ、似ていることだけを数えあげるなら、誰であれ地球上の二人の間には、驚くほどたくさんの共通点を見つけられるでしょう」(イアン・スチュアート教授、イギリス)

【『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー、ブライアン・キング:有沢善樹、他訳(アスペクト、2004年)以下同】

 このあたりについては既に検証されつつある。

人間は偶然を物語化する/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
脳は神秘を好む/『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース

 その意味で体験はおしなべて擬似相関だといってよい。相関関係を因果関係と認識する誤謬(ごびゅう)だ。必然病。「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」(上杉鷹山)。その意気込みやよし。だが人生や社会における出来事の因果を特定することは不可能だ。経済ですら予測が当たらない。

 本書では偶然と必然を天秤に載せ、これでもかと言わんばかりに偶然とは決して思えないエピソードを次々と紹介している。

 イギリス騎兵隊の将校メジャー・サマーフォードは、第一次世界大戦最後の年、フランドルの戦場において、稲妻に打たれて落馬した。それ以降、彼は腰から下がマヒしてしまう。6年後、メジャーはカナダのバンクーバーに移住する。そして、川釣りをしているときに、ふたたび落雷に遭い、右半身がマヒしてしまう。
 2年後、彼は地元の公園で散歩できるようにまでなった。ところが、1930年のある日、みたび稲妻が彼を襲った。それにより、彼の体は全身マヒになった。彼が死んだのは、それから2年後である。
 ゼウスはそれでもメジャー・サマーフォードを許さなかった。4年後、稲妻が彼の墓を直撃したのである。

 雷の祟(たた)りだ。人は不幸が続くと高価な壷を買わされる羽目になる。先祖の祟りも金次第。

 世界の人口からすれば三度も落雷に撃たれる人は存在しないに等しい。だが撃たれた人がいるとなると、今度は「なぜ撃たれたのか?」という理由探しを脳が始める。「原因は何か」と。

 起こってしまった出来事は書き換え不可能だ。必然志向の問題は別の可能性を封じてしまうところにある。メジャー・サマーフォードに雷が落ちたことは必然か偶然か? 例えばこう人もいる。

6回目の雷直撃も無事回復、なぜか数年の間に撃たれ続ける米国の男性
1分間で二度も雷に撃たれた人

 病気も同様である。遺伝要因と環境要因を特定するのは極めて困難だ。他にも進化医学では進化要因という見方がある。一つの事象には様々なことが複雑に絡み合っている。

 脳は退屈や平凡を嫌う。このため珍しいことや不思議なことに遭遇すると脳は活性化する。超並列で動く脳は色々な情報を結び合わせる。結果から起承転結を導き出すのは最も得意とするところだ。

 デレク・シャープはイギリス空軍のパイロットという職業柄、一般人より死の危険に直面する確率が高いが、それにしても多すぎる死の危険にこれまで直面してきた。しかも、ふつうなら死んで当然という状況から必ず生還した。これを単なる偶然の結果と片づけるのは無理というものだろう。(中略)
 彼が死と一戦まじえた経験は何度もあるが、最初のがいちばん劇的だったと言えるだろう。あれは1983年2月に起こった事故だった。レズ・ピアースという訓練中の航空士を同乗させ、ケンブリッジシャーの町や村の上空を時速1000キロで飛んでいたとき、二人が乗っていたイギリス空軍のホーク戦闘機にマガモが激突したのである。
 マガモは飛行機の風防を突き破り、デレクの顔を直撃した。衝撃で彼の左目が眼窩から飛び出し、首の骨が折れ、顔の骨と神経が大きな損傷を受けた。機上の二人にとって、死は確実かつ差しせまったものに思えた。
 シャープが覚えているのは「ドン!」という感じの衝撃だけである。「頭部全体を誰かに濡れた毛布で引っぱたかれた感じでした。ぼくは本能的に操縦桿を引き戻したんです。低空で緊急事態に陥ったときにはそうしろと訓練されていたからですよ。そうすれば、高度が上がって考える時間ができますからね」
「次の瞬間、意識を失いました。ぼくが意識を失っている間に飛行機がどこまで行ったか、誰にもわかりません。でも、最低2~3分は意識を失っていたはずです。気がついたときには、高度が1500メートルにまで堕ちていましたからね」
 しかも、恐ろしいことに目が見えない。「最初は、目に風防の破片が入ったのだと思いました……顔を拭ってそれを取り除こうとしたんですが、指にべたべたしたものが付着するじゃありませんか。じつのところ、私が拭い取ろうとしていたのは、自分の顔の〈破片〉だったんですよ。痛みはまったく感じませんでしたが、左目が眼窩から飛び出していたんです」

 飛行機はその後、管制官の指示で無事着陸できたという。まったく身の毛もよだつ話である。さすがに著者も脱帽している。

 9.11テロ以降この手の研究も進んでおり、危機的状況で英雄的行為をする人や生き延びる人(サバイバー)に共通性があることがわかりつつある。(英雄的人物の共通点/『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー

 必然という観点からみれば運命と宿命は同じものだ。過去が現在と未来を支配する構造になっている。必然は何となく自己実現と同じ匂いがする。自分という存在の正当化を図る目的がありそうだ。

 偶然主義になればニヒリズムとシニシズムの罠にはまり、必然主義になれば強い思い込みが他の可能性を見失わせる。とすれば、偶然からも必然からも離れて中道をゆくしかない。人生の出来事は「ただある」のだ。そして私も「ただある」というのが本質なのだろう。

本当にあった嘘のような話 (アスペクト文庫)
マーティン・プリマー ブライアン・キング
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ユングは偶然の一致を「時間の創造行為」と呼んだ/『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー、ブライアン・キング
歴史が人を生むのか、人が歴史をつくるのか?/『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン
物語の本質~青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答

2019-11-12

経済が宗教を追い越していった/『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博


『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳
『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

 ・経済が宗教を追い越していった
 ・キリスト教の教えでは「動物に魂はない」

キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?
必読書リスト その五

山極●貨幣が、モノの流通が宗教を追い越していった。(90ページ)

【『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一〈やまぎわ・じゅいち〉、小原克博〈こはら・かつひろ〉(平凡社新書、2019年)】

神は、脳がつくった 200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源』(E・フラー・トリー:寺町朋子訳、ダイヤモンド社、2018年)がつまらなかったので、さほど期待してなかった。むしろ批判的に読もうとすら思っていた。ところがどっこい引きずり込まれた。これはキャスティングの勝利だろう。霊長類学者(山極)と神学者(小原)の組み合わせが弦楽器と鍵盤のようなハーモニーを生んでいる。若い小原が下手に出ているのが功を奏している(写真を見れば一目瞭然だ。顎の位置に注目せよ)。更に小原の正確なキリスト教知識が驚くほど勉強になる。『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』を直前に入れるのが私の独創性だ。

2009-01-13

脳は神秘を好む/『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース


『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ

 ・脳は神秘を好む
 ・言語概念連合野と宗教体験
 ・神は神経経路から現れる
 ・人工知能がトップダウン方式であるのに対し、動物の神経回路はボトムアップ方式

『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン
『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム

キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?
必読書 その五

 宗教的な神秘体験が側頭葉で起こっていることは、既に多くの脳科学本で指摘されている。てんかん患者と似た状態らしい。LSDを服用すると同様の体験ができるとも言われている。トリップ、旅、「そうだあの世へ逝こう」JR。

 いずれにせよ、人間という動物は「不思議」が大好きだ。これに異論を挟む者はあるまい。不思議は不可思議の略語で、大辞泉にはこうある――

1.どうしてなのか、普通では考えも想像もできないこと。説明のつかないこと。また、そのさま。
2.仏語。人間の認識・理解を越えていること。人知の遠く及ばないこと。
3.非常識なこと。とっぴなこと。また、そのさま。
4.怪しいこと。不審に思うこと。また、そのさま。

 4が凄いよね。ストレンジ(strange)ですな。思議とは「あれこれ思いはかること。考えをめぐらすこと」。つまり、「想像を絶する」物語や世界に我々は憧れ、魅了されてしまうのだ。というわけで早速、説明責任という言葉を私の辞書から削除することにしよう(笑)。

 西洋において宗教的な神秘体験は「神との邂逅(かいこう)」として現れることが多い。多分(←テキトー)。日本では「神がかり」と称される。お稲荷さんにはまると「狐憑き」。本当にピョンピョン跳ねるそうだよ。洋の東西に共通するということは、人間の本質に根差している証左といえよう。では、そこにどのような回路があるのか――

 われわれは、宗教的な神秘体験、儀式、脳科学についての膨大なデータの山をふるいにかけて、重要なものだけを選び出した。パズルの要領でこれらのピースを組み合わせているうちに、徐々に意味のあるパターンが見えてきて、やがて、一つの仮説が形成された。それが、「宗教的な神秘体験は、その最も深い部分において、ヒトの生物学的構造と密接に関係している」という仮説だった。別の言い方をするなら、「ヒトがスピリチュアリティーを追求せずにいられないのは、生物学的にそのような構造になっているからではないか」ということだ。

【『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎監訳、木村俊雄訳(PHP研究所、2003年)】

 つまり、「脳がそのような仕組みになっている」ってことだ。ってこたあ、脳そのものが神秘的と言わざるを得ない。脳は“物語としての神話”を求める。起承転結の「転」には不思議な展開が不可欠だ。モチーフは「奇蹟的な逆転」だ。

 そう考えると不思議とは希望の異名なのかも知れない。古来、人間は行き詰まるたびに起死回生を信じて、時には信じるあまり側頭葉をピコピコと点滅させ、“生の行き詰まり”を打開してきたのだろう。

 一つだけはっきりしているのは、古本屋という商売には何の神秘も存在しないことだ。



自我は秘密を求める/『伝説のトレーダー集団 タートル流投資の魔術』カーティス・フェイス
江原啓之はヒンドゥー教的カルト/『スピリチュアリズム』苫米地英人
必然という物語/『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー
物語の本質〜青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
宗教学者の不勉強/『21世紀の宗教研究 脳科学・進化生物学と宗教学の接点』井上順孝編、マイケル・ヴィツェル、長谷川眞理子、芦名定道
人間は世界を幻のように見る/『歴史的意識について』竹山道雄
カーゴカルト=積荷崇拝/『「偶然」の統計学』デイヴィッド・J・ハンド

2011-12-08

ホロコーストの真実を求めて


「しかしプールが見たければ、前もってそれが存在することを知っている必要がある。ガイドツアーでは見れないからだ。ガイドツアーには原則的に、ホロコーストの話をすでに信じ、それに対しておそらく何らかの感情を持つ観光客が参加する。選択的に編集されたガイドツアーで恐ろしい話を次から次へと聞かされた後、最後に最終駅のガス室に至る。この段階で、ツアーのグループは感情的にどんなことでも信じる準備ができている。ガス室は、観客を沸かせるための2時間の前座の後の主役に似ている」

人間は偶然を物語化する/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ










1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン
「貧しいユダヤ人」だけがナチスに殺された/『新版 リウスのパレスチナ問題入門 さまよえるユダヤ人から血まよえるユダヤ人へ』エドワルド・デル・リウス
ガス室否定論者フォリソンを弁護したノーム・チョムスキー