・『勝者の条件』会田雄次
・役の体系
・『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩
・『ニュー・アース』エックハルト・トール
このような「家」の形成は、天皇や藤原氏に限らず、この時代の社会に広くみられる現象であって、その意味では、12世紀を画期とする古代から中世への移行は、「氏」の時代から、「家」の時代への移行として理解することができる。新しく台頭した武士の社会が、御家人といい、家来というように、「家」の組織で構成されていたことは、改めていうまでもない。ただし一般の庶民の間でまで「家」の形成がみられるのは、やや遅れて14~15世紀のころであり、その結果として全面的に「家」を単位とした近世の社会の成立をみることとなる。その意味では、12世紀から15世紀にかけての中世とは、「家」の形成にともなう社会変動の時代であったともいえよう。
ところで、その「家」の形成が始まった12世紀のころから、いわば「家」の原理に基づく新しい文化の発展があったことに注目しなければならない。「家」の原理とは何か。古代の「氏」も、中世以降の「家」も、共同体的な性格をもつ社会組織であった点では共通しているが、地方豪族のヤケを基礎とした「氏」に比べると、家業のために協力する「家」の方が、成員の平等性と、それに基づく自発性という点で、一歩進んでいたとみることができるように思われる。「家」は、それを構成する人々が、血縁の有無にかかわらず、相互に信頼し、その家業のために必要な役割を、それぞれが分担して遂行することにより、永続性を目指そうとする組織であった。武士の家の主従の関係には、その信頼の関係が明確に示されている。この信頼という人間関係と、それに基づく職分(役割)の遂行とが、「家」の原理であったとすれば、「信」と「行」(ぎょう)を基本とした鎌倉仏教は、その原理の宗教的表現であったといえるのではあるまいか。
【『日本文化の歴史』尾藤正英〈びとう・まさひで〉(岩波新書、2000年)】
安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉のブログで知った一冊である。
・マイケル・ジャクソンの思想 福島原発:逃げたら怒る日本人・江戸時代の「役」システムは今も健在。
・「東大話法」と「立場主義」 - Togetter
リンクを貼って終わりにしてもいいのだが、それでは芸がなさすぎるので少しお茶を濁しておこう。
「ヤケ」とは初耳である。寡聞にして知らず。
・吉田孝「イへとヤケ」『律令国家と古代の社会』岩波書店 1983年 71-122頁 - 益体無い話または文
そう考えると『源氏物語』と『平家物語』というタイトルも意味深長に思えてくる。氏素性という言葉も廃(すた)れた。生き残っているのは藤原氏くらいか(『隠された十字架 法隆寺論』梅原猛)。
キリスト教は「天職」という言葉を発明した。
労働は、神がアダムとイヴに与えた呪いだった。古代ギリシャ文化においては、死すべき人間(=奴隷)に課せられた罰だった。そして、宗教改革が「天職」という新しい概念をつくり出した。アウシュヴィッツ強制収容所のゲートには「働けば自由になれる」と書かれていた。
【怠惰理論/『働かない 「怠けもの」と呼ばれた人たち』トム・ルッツ】
日本の「役」はもっと実務的で物語性が淡い。なぜなら日本人にとって労働は喜びであったからだ。
これにより武士と百姓・町人との、三つの身分が区分された。これを士・農・工・商と表現したのは、中世の古語に基づく学者らの用語であって、幕府や大名の公用の表現ではない。この身分制度は、職業による区分であるところに特色があり、それはこの時代の社会を構成した「家」が、それぞれ家業を営むことを目的とした組織であって、その家業の種類によって身分が分かれたことの結果である。職業による身分であるから、血統などによる身分とは違って、その区別は厳格ではない。しかも双系制の家族の伝統があるから、娘婿などの形で養子になれば、血縁のない者でも家業を継ぐことが可能であった。
「実は江戸では、武士が皆の上に立つ者という意識もありませんでした。『士農工商』という四文字熟語が普及したのは、明治の教科書でさかんにPRされたからです」(『お江戸でござる』杉浦日向子)。
「家業」という言葉がわかりやすい。血筋・遺伝子よりも業に重きを置く。これを進化論的に考えるとどうなるのか? DNAよりも技術や経済性を重んじるということか。
犬の血統は形質的なものだと思うが、サラブレッドの場合はどうなのか? 「近年の研究によれば、競走馬の競走成績に及ぼす両親からの遺伝の影響は約33%に過ぎず、残りの約66%は妊娠中の母体内の影響や生後の子馬を取り巻く環境によることであるとされているが、それでもなお競走馬の能力に血統が一定の大きな割合で寄与している事実がある」(競走馬の血統 - Wikipedia)。33%だって影響はでかいだろうよ。
血を重んじる文化は世界中にあるのだろうが、遺伝子が見つかる前から男系遺伝子をのこそうとする人類の本能が実に不思議である。
「役」という文字は、古代に中国から伝来したが、右のような役人や役所といった熟語は中国語にはない。役人という語はあっても、それは単に労働を強制される人という意味であるらしい。その意味での用法は、現代の日本語にもあって、労役・懲役などがそれであるが、その場合には漢音で「エキ」と訓(よ)んで区別している。これに対し古来の呉音(ごおん)による「ヤク」は、前記のように国家や地域、あるいは企業の一員としての自覚に基づき、その責任を主体的に担おうとする際の任務を表現するもので、誇りある観念である。このような自覚ないし自発性に支えられた役割分担の組織を、「役の体系」とよぶことができるとすれば、それこそが16世紀に成立した新しい国家の特色をなすものであるとともに、歴史の歩みの中で日本人が作り上げてきた独特の生活文化であったといえよう。
発展する社会を支えるのは役割分担の巧拙に掛かっているのだろう。ただし日本の場合、合理性よりも情緒に配慮して組織が機能停滞する傾向が強い。その上、社会の各階層に閥(ばつ)がはびこっている。自由競争という言葉はあるが実態は存在しない。
大東亜戦争に敗れてから自民党を中心とする政治家は自らの「役」を果たしてこなかった。官僚は東大閥が支配し国益よりも省益のために働いてきた。マスコミは商業主義に堕し、平然と嘘を垂れ流してきた。学者は文部官僚の顔色を覗いながら予算の分配にありつき、安泰の道を求めて御用学者に転身する。この国の武士やエリートは死んだ。そして親子ですらその「役」を見失ってしまった。夫婦別姓ともなれば「家」は完全に崩壊するだろう。宗教的バックボーンを欠いた我々が「個人」(『翻訳語成立事情』柳父章)になることは難しい。役という役がパートタイマー化して、ただバラバラにされた無表情な大衆と成り果てるに違いない。