2018-11-13

憲法9条に対する吉田茂の変節/『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温


『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温
『いちばんよくわかる!憲法第9条』西修

 ・憲法9条に対する吉田茂の変節

・『だから、改憲するべきである』岩田温
『日本人のための憲法原論』小室直樹
『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八
『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八
『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖
『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦

 当初、憲法第9条は、どのように解釈されていたのかを確認しておこう。
 この問題について考える際、最も参考になるのが、吉田茂総理の国会答弁だ。
 昭和21年6月26日、吉田茂は、憲法と自衛権との関係について次のように答弁している。
「戦争抛棄(ほうき)に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はして居りませぬが、第9条第2項に於て一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も抛棄したものであります。従来近年の戦争は多く自衛権の名に於て戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争然りであります」(1946年6月26日、衆議院本会議)
 ここで吉田茂は、憲法第9条が直接自衛権を否定しているものではない、との留保をつけながらも、「自衛権の発動としての戦争」まで否定しているのだ。(中略)
 今日では考えられないことかもしれないが、こうした吉田茂の自衛権を否定する発言に対して、批判したのが日本共産党だ。日本共産党の野坂参三が、「侵略戦争」と「自衛戦争」を区別し、後者を擁護したうえで、次のように指摘した。
「戦争には我々の考えでは二つの種類の戦争がある、二つの性質の戦争がある。一つは正しくない不正の戦争である。(中略)他国征服、侵略の戦争である。是は正しくない。同時に侵略された国が自由を護るための戦争は、我々は正しい戦争と云って差支えないと思う(中略)一体此の憲法草案に戦争一般抛棄と云う形でなしに、我々は之を侵略戦争の抛棄、斯(こ)うするのがもっとも的確ではないか」(1946年6月28日、衆議院本会議)
 日本共産党の野坂は、祖国を防衛する自衛のための戦争までも放棄する必要はなく、他国を武力によって侵略する「侵略戦争」のみを禁じればよいのではないか、という極めて常識的な指摘をしている。
 これに対して、吉田茂は、次のように応じている。
「戦争抛棄に関する憲法草案の條項に於きまして、国家正当防衛に依る戦争は正当なりとせらるるようであるが、私は斯(か)くの如きことを認むることが有害であると思うのであります(拍手)近年の戦争は多くは国家防衛権の名に於(おい)て行われたることは顕著なる事実であります、(中略)故に正当防衛、国家の防衛権に依(よ)る戦争を認むると云うことは、偶々戦争を誘発する有害な考えであるのみならず、若(も)し平和団体が、国際団体が樹立された場合に於きましては、正当防衛権を認むると云うことそれ自身が有害であると思うのであります、御意見の如きは有害無益の議論と私は考えます」

【『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温〈いわた・あつし〉(並木書房、2015年)以下同】

 多くの書籍で引用されている会議録だがまだまだ知らない人が多いと思われるので資料として記録しておく。吉田発言は芦田修正を完全に無視した妄言で、日本の政治が気分によって動く様相をありありと映し出す。敗戦からまだ1年を経てない時期ゆえ、戦争に対する嫌悪感は理解できるが、床屋のオヤジが言うならまだしも一国の総理が議会で説くような内容ではあるまい。原理原則を軽んじ、本音と建前を器用に使い分ける国民性を恥じるべきだ。

「私は一つの含蓄をもってこの修正を提案したのであります。『前項の目的を達するため』を挿入することによって原案では無条件に戦力を保持しないとあったものが一定の条件の下に武力を持たないということになります。日本は無条件に武力を捨てるのではないということは明白であります。そうするとこの修正によって原案は本質的に影響されるのであって、したがって、この修正があっても第9条の内容には変化がないという議論は明らかに誤りであります」

芦田均の証言:昭和32(1957)年12月5日、内閣に設けられた憲法調査会

日米安保条約と吉田茂の思惑/『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 しかし、こうした吉田の「自衛」を放棄するという主張は、戦後日本の一貫した国防方針とはならなかった。
 こうした国防方針を否定することになったのは国際情勢が激変したことによる。冷戦の激化にともない、日本の再軍備が必要だとアメリカが考え始めたのだ。
 1950年の元旦、マッカーサーが「日本国民に告げる声明」において、次のように指摘した。
「この憲法の規定は、たとえどのような理屈をならべようとも、相手側から仕掛けてきた攻撃に対する自己防衛の冒しがたい権利を全然否定したものとは絶対に解釈できない」
 これは、極めて重大な指摘だ。憲法の規定について、従来、吉田茂は、自衛戦争も否定する旨の発言を繰り返してきた。だが、マッカーサーが日本国憲法には、「自己防衛の冒しがたい権利」を否定したものではないと強調したのだ。
 これは、明らかに、日本の再軍備を念頭に置いたものであり、このマッカーサー発言以降、吉田茂の「自衛」論も変化を遂げることになる。

 1952(昭和27)年4月28日まで日本はGHQの占領下にあった。このため憲法制定も憲法解釈も自主的に行うことができなかった。占領下の憲法は廃棄すべきであるとの主張には一定の説得力がある。押し付け憲法論の最右翼で「青年将校」の異名を取った中曽根康弘は衆議院5期目の時に「この憲法のある限り 無条件降伏つづくなり/マック憲法守れるは マ元帥の下僕なり」と歌った(「憲法改正の歌」1956年)。



 国民は食べることに必死だった。政治家は経済発展を何よりも優先した。やがて高度経済成長を迎えた。そして国家を見失った。飽食の時代に至り、バブル景気が弾けた時、長く続いた平和が精神を蝕んできたことにようやく気づいた。

 中国が領空・領海侵犯を繰り返し、沖縄に魔手を伸ばす現実がありながらも、「平和憲法擁護」を叫ぶ人々がまだ存在する。平和の美酒は甘く、薫り高い。アメリカの核の傘の下で目覚めることのない酔いに浸(ひた)るのは無責任な快楽主義といってよい。



GHQはハーグ陸戦条約に違反/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

2018-11-12

三橋貴明氏に教わる「お金とは何か?」



日本人が本当は知らないお金の話 (Knock‐the‐knowing)
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無意識に届かぬ言葉/『精神のあとをたずねて』竹山道雄


『昭和の精神史』竹山道雄
『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘

 ・無意識に届かぬ言葉

『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

竹山道雄著作リスト

     目 次

 あしおと
 思い出
 抵抗と妥協
 誘われたがっている女
「ビルマの竪琴」ができるまで
 二十歳のエチュード
 文章と言葉
 砧
 ベナレスのほとり
 印度の仏跡をたずねて

  あとがき



 どういうわけか、われわれの記憶の中では、生活の中のふとした瑣末(さまつ)なことが静かな印象になって刻みこまれて、それが年を経ると共にますますはっきりとしてきます。それが生涯のあちらこちらに散らばって、モザイクの石のように浮きだしています。あるとき見た、とくに何ということのない風景のたたずまい、人が立っている様子、話している相手の顔にちらとさした翳(かげ)、「ああ、この人は自分を愛している」とか「裏切っている」とか思いながらそのままに消えてしまう感情のもつれ……。こんなものがわれわれの心の底に沈んで巣くっているのですが、それを他人につたえようはありません。他人に話すことができるのは、もっとまとまった筋のたった事件ですが、それは理屈をまぜて整理し構成したものです。そういうものでないと、われわれは言いたいことも言えないのです。

【『精神のあとをたずねて』竹山道雄(実業之日本社、1955年)】

「無意識」の一言をかくも豊かに綴る文学性がしなやかな動きで心に迫ってくる。難しい言葉は一つもない。押しつけや説得も見当たらない。ただ淡々と心の中に流れる川を見つめているような文章である。

 言葉は無意識領域に届かないのだ。ここに近代合理性の陥穽(かんせい)がある。人間には「理窟ではわかるが心がそれを認めない」といった情況が珍しくない。特に我々日本人は理窟を軽んじて事実や現状に引っ張られる傾向が強い。形而上学(哲学)が発達しなかったのもそのためだろう。大人が若者に対して「理窟を言うな」と叱ることが昔はよくあった。

「構成」というキーワードが光を放っている。睡眠中に見る夢はことごとく断片情報に過ぎないが、これらを目が覚めてから構成して一つの物語を形成する。ところが竹山の指摘は我々の日常や人生全般が「印象に基づいた構成である」ことを示すものだ。記憶は歪み、自分を偽る。感情は細部に宿り、一つの事実が人の数だけ異なるストーリーを生んでゆくのだ。

 ここで私の持論が頭をもたげる。「悟りを言葉にすることは可能だろうか?」と。「それは理屈をまぜて整理し構成したものです」――教義もまた。だとすれば宗教という宗教がテキストに縛られている姿がいささか滑稽(こっけい)に見えてくる。

 言葉は人類が理解し合うための道具であろう。道具を真理と位置づけて理解し合うことを忘れれば言葉は人々を分断する方向へと走り出すに違いない。宗派性・党派性に基づく言葉を見よ。彼らは相手を貶め、支持者を奪い合うことしか考えていない。かくも言葉は無残になり得る。

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2018-11-10

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2018-11-09

翻訳と解釈/『ファストフードが世界を食いつくす』エリック・シュローサー


 ・アメリカ食肉業界の恐るべき実態
 ・翻訳と解釈

『小麦は食べるな!』ウイリアム・デイビス
『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー
『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二
『DNA再起動 人生を変える最高の食事法』シャロン・モアレム

必読書リスト その二

 一世代前のアメリカでは、食費の4分の3が、家庭で用意される食事にあてられていた。今日では、食費の半分にあたる額が、外食店に――それも、主としてファストフード店に――支払われている。
 マクドナルド社は、現在アメリカ国内の新規雇用の90パーセントを担うサービス業の、大きな象徴となっている。1968年に、同社の店舗数は約1000だった。現在、世界じゅうに約2万8000店舗あり、毎年新に約2000店が開店している。推計によると、アメリカの労働者の8人にひとりが、いずれかの時期にマクドナルドで働いたことになる。同社が毎年新規に雇う約100万人という数は、アメリカの公営・私営を合わせたどんな組織の新規雇用数よりも多い。マクドナルドはわが国最大の牛肉、豚肉、じゃがいも購入者であり、2番めに大きい鶏肉購入者でもある。また、世界一多くの店舗用不動産を所有している。実のところ、利益の大半を、食品の販売からではなく家賃収入から得ているのだ。マクドナルドは、ほかのどんなブランドよりも多額の広告宣伝負を投じている。その結果、コカコーラの座を奪って、世界一有名なブランドになった。同社はアメリカのどんな私企業よりも、数多くの遊び場(プレイランド)を運営している。そして、わが国有数の玩具販売業者でもある。アメリカの小学生を対象に調査したところ、じつに96パーセントが、ロナルド・マクドナルド(日本では、ドナルド・マクドナルド)を知っていた。これよりも知名度の高い架空の人物は、サンタクロースぐらいのものだろう。マクドナルが今日のわれわれの生活に及ぼす影響の大きさは、誇張したくてもできないほどだ。黄金のアーチは、今やキリスト教の十字架よりも広く知られている。

【『ファストフードが世界を食いつくす』エリック・シュローサー:楡井浩一〈にれい・こういち〉訳(草思社、2001年/草思社文庫、2013年)】

 少し前にジョン・ウィリアムズ著『ストーナー』のあとがきで東江一紀〈あがりえ・かずき/ノンフィクションでは楡井浩一名義〉の逝去を知った。私は大体30~50冊ほどの本を併読するため、つまらない本が続くと楡井浩一、阪本芳久、水谷淳、林大〈はやし・まさる〉、太田直子らの翻訳本を探す羽目になる。

 翻訳は解釈であり、解釈は翻訳である。

読む=情報処理/『読書について』ショウペンハウエル:斎藤忍随訳
読書は「世の中を読む」行為/『社会認識の歩み』内田義彦

 エリック・シュローサーがアメリカ社会を読み解き、シュローサーの文章を楡井浩一が翻訳する。それを読者が解釈し新たな言葉を紡いでゆく。仏教伝播(でんぱ)の歴史で時折天才が登場するが彼らが行ったのは翻訳ではなく翻案であった。独創性が加えられているのだ。

 わざわざショウペンハウエルや内田義彦を引っ張り出したわけだが、二つのテキストを紹介している間に何を書こうとしていたのか忘れてしまった。ま、よくあることだ。

 本書のようなノンフィクションを読むと「やはり白人には敵(かな)わんな」との思いを強くする。構造をダイナミックに把握する能力が抜きん出ているのだ。仕組みや仕掛けといった発想が豊かなのは、全知全能の神がこの世界を創造したことと関係があるのかもしれぬ。

 マクドナルドが不動産事業で儲けている事実を明らかにしたのはロバート・キヨサキである(『金持ち父さん 貧乏父さん アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学』)。つまりハンバーガー屋に見せかけた不動産屋ってわけだ。ボロい商売だ。購入した不動産の支払いをフランチャイズオーナーや客に支払わせているのだから。

 これをあこぎな真似だと思う多くの日本人は金持ちになることができない。「別にいいよ。カネよりも大切なものがあるから」と思うあなたは正しい。江戸時代の日本はヨーロッパのような階級社会ではなかったが身分は存在した。私はこの年になって思うのだが士農工商という序列は案外健全ではないだろうか。ビジネスなどと抜かしても所詮商人である。商人風情(←差別発言)がでかい顔をしているところに資本主義の過ちがあるのだ。現代だと武士に該当するのは官僚であるが彼らは一身の栄誉栄達しか考えていないので武士道にもとる。残された道としては速やかに憲法を改正して、軍人の身分を確立し、新たな武士階級として育成することだ。日本人は日本人らしく情緒とモラルで勝負すればよい。