・『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編
・『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
・『新・悪の論理』倉前盛通
・『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
・『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
・『自然観と科学思想』倉前盛通
・『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
・リベラル派が日本海軍をダメにした
・『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
・『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通
・日本の近代史を学ぶ
・必読書リスト その四
大体、学校の成績などというものは、専ら左脳の言語と論理の領域の働きできまるものである。しかし武人として一番大事な決断力、直観力、動物的カン、総合判断力、創造性、臨機応変の発想転換、勇気、冒険心、一見無謀に見えることでもその背後に活路があることを見抜く力、敵の陥穽の察知、その他、一流の軍人としての主な資質はほとんど右脳の非言語的分野の守備範囲である。
陸士や兵学校や陸軍大学、海軍大学等でトップクラスだった者は往々にして、言語分野の勉強にかたよりすぎて、軍人として一番大事な右脳の活動能力を低下させてしまうおそれがある。
それが今次大戦の戦場で多くの将軍や提督たちが失態を演じた最大の原因であろう。決して、単なる運、不運の問題ではなかった。多くの人々の反撥を買うかもしれぬが、私は米内光政、山本五十六、井上成美という提督たちは、その意味では結局一流の武人ではなかったのかもしれないと思っている。
一流の大将であったか、二流の大将であったかをきめるという「はからい」そのものが、ある意味ではきわめて不遜なことであるが、井上成美大将自身がそれをされていたようであるから敢えていうが、軍人は戦場でどのような戦(いくさ)をしたかによって、その評価はきまるべきものである。武運の強い人もあろうし、武運拙い人もあろう。しかし、武運拙く下手な戦さをした軍人は、その人がいくらリベラルな思想の持主であろうが、人間的に良い人であろうが、武人としては二流、三流の評価に甘んじなければならない。
「あの相撲取りは相撲は弱いですが、人柄が良いし、リベラルな思想の持主だから一流の力士です」
などという評価は、世の中には通用しまい。少しくらい強情でも相撲に強いのが一流の力士ではないのか。
私が常に奇怪に思うことは、米内、山本、井上というリベラル派の提督たちが日本海軍の主流を握って以来、明らかに日本海軍の運命慣性はマイナスの方向へ流され始めたように思われることである。あるいは、日本海海戦であまりにも見事な勝利を得たことで海軍の戦略思想にかたよりがあったかもしれぬ。しかし、世界で最初に航空艦隊を保有したのも日本であったはずだ。試行錯誤は日本も米国も同じようにやっている。責任を古い海軍の将星に転嫁するのは卑怯というものだろう。
もちろん、陸軍がシナ大陸で無謀な消耗戦を何年も続けて国力を消耗したことが、日本そのものの命運を狂わせた最大の原因かもしれぬが、その一番困難な時期に海軍の首脳が揃って、いわゆるリベラル派で占められたことは不幸であった。しかも、これらの人々には過去の海軍の先輩たちを悪しざまに批判することで自分たちの立場を弁護しようとする傾向があったように見える。それは武人のとるべき態度ではない。
軍人は勝たねばならぬ。勝てない戦とわかっていたなら、三人揃って腹でも切って日米戦の不可を断乎主張すべきであったはずだ。はじめから深層の無意識で敗北のシナリオを描きながら、ずるずると戦争に入りこんでしまったのではないのか。それがリベラル派などと称される人々の弱さであり、武将として二流に堕しやすい原因である。
まして、ロンドン軍縮会議に反対したから東郷元帥は二流の軍人だったなどとは、珊瑚海海戦で下手な戦をした井上成美大将は口が裂けてもいうべきではなかった。
戦後の日本海軍に対する評価は、多分にアメリカ海軍の見方に左右されている。米海軍としては、日本海軍にとってマイナスのシナリオを書いた人々を、リベラルで立派な提督だったと賞讃するだろう。
しかし、それは米海軍の勝手であって、日本人としての評価は、いかにして米海軍と良い勝負をしたかという視点から、大東亜戦争の武人の評価はなされるべきである。
【『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(プレジデント社、1983年)】
先に桜井章一著『運に選ばれる人 選ばれない人』(2004年)を読んでおくといいだろう。
私自身はあまり運不運を意識したことはない。ただ人との出会いには恵まれてきた方だと思う。特に20代から30代にかけて尊敬できる先輩と知遇を得たことは大きな財産となった。
歴史を振り返ると運不運を感じることは少なくない。特に二・二六事件から大東亜戦争まで日本は不運の連続であった。倉前盛通は明治維新後に生まれた陸軍士官学校・海軍兵学校出身のエリートがその原因であったと言い切る。学生時代の序列を引きずる日本とは異なりアメリカが実力主義だったことを思えば、人事という点においても日本は既に敗れていた。
昔は、陸士(陸軍士官学校)や海兵(海軍兵学校)を何番で出たか、その後の陸軍や海軍の大学校を何番で出たかで出世が決まった。そんな連中が仕切った戦争は、ことごとく現場を無視した机上の空論ばかりで、無残な大敗を喫した。
【『56歳でフルマラソン 62歳で100キロマラソン』江上剛〈えがみ・ごう〉(扶桑社文庫、2017年)】
倉前は海軍出身で、陸軍よりも海軍組織の方が柔軟性に優れ、戦後を見据えて人材を確保したことも高く評価している(これらの人々が戦後の工業を支えた。ソニーなど)。その上で米内、山本、井上を批判しているのだ。
悪しきエリート主義は東大法学部に受け継がれて日本を蝕み続ける。試験が得意な彼らが現実を見誤り、政策をミスリードし、失われた20年を30年にまで引き延ばそうとしている。武士であれば切腹は避けられない。
国を憂える人はどこにいるのだろうか?