2020-08-31

天皇陛下が歴史上初めて全国民に向けて発したメッセージが「終戦の詔勅」


「玉音」とは天皇陛下のお声のこと。我が国の歴史の中で天皇陛下が全国民に向けて玉音を発せられたのは歴史上3回しかない。(中略)一つが終戦の時の玉音放送、二度目が東北地方太平洋沖地震に関するビデオメッセージ、三度目はご譲位を表明されたメッセージ。


【玉音放送】わかりやすく解説 日本人なら知っておくべき昭和天皇による『終戦の詔勅』の意味|小名木善行(ねずさん)

2020-08-29

陸軍中将の見識/『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三


 ・陸軍中将の見識
 ・大本営の情報遮断

『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰

日本の近代史を学ぶ

 堀はここで生れて初めて情報電報に目を通す身となった。大多数の電報は、枢軸国といわれた独、伊、ルーマニヤや中立国の武官、大公使からの電報で、右肩に親展、極秘という朱肉の大きな角印が目にしみた。その他は内外の通信社の速報ニュース、外国系ラジオ放送、新聞などが机の上に並べられていた。
 家に帰った堀はその晩、父堀丈夫〈たけお〉に情報をやることになった旨を話した。父は晩酌の盃を置いて、一瞬考えてから、
「俺も40年近く軍人生活をしてきたが、情報だけはやったことがない。強いて言えば大佐時代に2年間フランスに航空の勉強にいったのが、情報といえばいえるだけ。情報は結局相手が何を考えているかを探る仕事だ。だが、そう簡単にお前たちの前に心の中を見せてはくれない。しかし心は見せないが、仕草は見せる。その仕草にも本物と偽物とがある。それらを十分に集めたり、点検したりして、これが相手の意中だと判断を下す。相手といっても、第一線の指揮官には自分の正面の敵の指揮官になるし、大本営だったら国家の主権の中枢が相手ということになろう。主権の中枢から直接聞くことが出来たら一番良いが、それは至難であって、時には嘘もつかれる。そうなるといろいろ各場面で現われる仕草を集めて、それを通して判断する以外にはないようだな」
 父は何度も「仕草」という言葉を使った。仕草とは軍隊用語でいう徴候のことである。情報のことは知らないという父から受けた初めての情報教育であった。

【『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三〈ほり・えいぞう〉(文藝春秋、1989年/文春文庫、1996年)】

 堀栄三は「正確な情報の収集とその分析という過程を軽視する大本営にあって、情報分析によって米軍の侵攻パターンを的確に予測したため、『マッカーサー参謀』とあだ名された」(Wikipedia)。上念司〈じょうねん・つかさ〉が毎年8月15日に繰り返し読む書籍と知って興味を抱いた。

 俚諺(りげん)に「一葉落ちて天下の秋を知る」とある。孔子は「一を聞いて十を知る」(『論語』)と説き、日蓮も「一をもつて万を察せよ。庭戸(ていこ)を出でずして天下をしるとはこれなり」(「報恩抄」)と述べる。わずかな予兆から変化を見抜くことは生存率を高める。堀栄三の養父はそれを「仕草」と表現した。陸軍中将の高い見識に驚かされる。法華経方便品(ほうべんぽん)に「諸法実相十如是」とある。仕草という言葉が十如是に通じる。

 私は上念ほどの感動を覚えなかったのだが、小野寺信〈おのでら・まこと〉を知り再読せざるを得なくなった。

2020-08-27

縁に触れて覚る/『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル


『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』ノエル・ペリン

 ・縁に触れて覚る

・『新訳 弓と禅 付・「武士道的な弓道」講演録』オイゲン・ヘリゲル
・『無我と無私 禅の考え方に学ぶ』オイゲン・ヘリゲル
・『禅の道』オイゲン・ヘリゲル (著
・『弓聖阿波研造』池沢幹彦
『弓と禅』中西政次
『鉄人を創る肥田式強健術』高木一行
『表の体育裏の体育 日本の近代化と古の伝承 の間(はざま)に生まれた身体観・鍛錬法』甲野善紀
『武術の新・人間学 温故知新の身体論』甲野善紀
『惣角流浪』今野敏
『鬼の冠 武田惣角伝』津本陽
『会津の武田惣角 ヤマト流合気柔術三代記』池月映
『透明な力 不世出の武術家 佐川幸義』木村達雄
『肚 人間の重心』 カールフリート・デュルクハイム

悟りとは
必読書リスト その五

 すると先生は声をはげまして「いや、その狙うということがいけない。的のことも、中てることも、その他どんなことも考えてはならない。弓を引いて、矢が離れるまで待っていなさい。他のことはすべて成るがままにしておくのです」と答えられた。そう言って先生は弓を執り、引き絞って射放した。矢は的のまん中にとまっていた。それから先生は私に向かって言われた。――「私のやり方をよく視ていましたか。仏陀が瞑想(めいそう)にふっている絵にあるように、私が目をほとんど閉じていたのを、あなたは見ましたか。私は的が次第にぼやけて見えるほど目を閉じる。すると的は私の方へ近づいて来るように思われる。そうしてそれは私と一体になる。これは心を深く凝らさなければ達せられないことである。的が私と一体になるならば、それは私が仏陀と一体になることを意味する。そして私と仏陀が一体になれば、矢は有(う)と非有(ひう)の不動の中心に、したがってまた的の中心に在ることになる。矢が中心に在る――これをわれわれの目覚めた意識をもって解釈すれば、矢は中心から出て中心に入るのである。それゆえあなたは的を狙わずに自分自身を狙いなさい。するとあなたはあなた自身と仏陀と的とを同時に射中てます」

【『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル述:柴田治三郎〈しばた・じさぶろう〉訳(岩波文庫、1982年/原講演は1936年〈昭和11年〉)】

 オイゲン・ヘリゲルは学生時代からドイツの神秘説を詳しく調べていた。マイスター・エックハルトが称揚した「離繋」の本質がわかるかもしれないと考えて来日を決意。東北帝国大学に招聘(しょうへい)されて哲学を教えた。弓聖(きゅうせい)と称えられた阿波研造〈あわ・けんぞう〉に弓術を学ぶ。細君は生け花と墨絵を習う。足掛け6年にわたって稽古をした。3年が経過しても満足のゆく状態にはならなかった。4年目で芽が出る。そこで西洋の合理性が邪魔をした。ヘリゲルは理窟(りくつ)という答えを求めたが阿波が示したのは「悟りの道」であった。

 日野晃の著作で本書を知った。タイトルは聞き覚えがあったが弓に興味はなかった。高校生の時、弓道部の友人に招かれて一度だけ弓を引いたことがあるがワンバウンドで辛うじて的に当てた。普通の弓であったが私にとっては強弓(ごうきゅう)だった。私の運動神経は球技で発揮されるため何となく「縁がないな」と感じた。

 9時ごろ私は先生の家へ伺った。先生は私を招じて腰かけさせたまま、顧みなかった。しばらくしてから先生は立ちあがり、ついて来るようにと目配(めくば)せした。私たちは先生の家の横にある広い道場に入った。先生は編針のように細長い1本の蚊取線香に火をともして、それを垜(あずち)の中ほどにある的の前の砂に立てた。それから私たちは射る場所へ来た。先生は光をまともに受けて立っているので、まばゆいほど明るく見える。しかし的は真っ暗なところにあり、蚊取線香の微(かす)かに光る一点は非常に小さいので、なかなかそのありかが分からないくらいである。先生は先刻から一語も発せずに、自分の弓と2本の矢を執った。第一の矢が射られた。発止(はっし)という音で、命中したことが分かった。第二の矢も音を立てて打ちこまれた。先生は私を促して、射られた2本の矢ををあらためさせた。第一の矢はみごと的のまん中に立ち、第二の矢は第一の矢の筈(はず)に中たってそれを二つに割(さ)いていた。私はそれを元の場所へ持って来た。先生はそれを見て考えこんでいたが、やがて次のように言われた。――「私はこの道場で30年も稽古をしていて暗い時でも的がどの辺にあるかは分かっているはずだから、1本目の矢が的のまん中に中たったのはさほど見事な出来ばえでもないと、あなたは考えられるであろう。それだけならばいかにももっともかも知れない。しかし2本目の矢はどう見られるか。これは【私】から出たのでもなければ、【私】が中てたものでもない。そこで、こんな暗さで一体狙うことができるものか、よく考えてごらんなさい。それでもまだあなたは、狙わずには中てられぬと言い張られるか。まあ私たちは、的の前では仏陀の前に頭を下げる時と同じ気持になろうではありませんか」――
 それ以来、私は疑うことも問うことも思いわずらうこともきっぱりと諦めた。

 エピソードが神話性を帯びて宗教的な物語にまで高められている。物理学や確率で論じることに意味はない。オイゲン・ヘリゲルに染み付いた西洋哲学という蒙(もう)が啓(ひら)いた瞬間であった。阿波研造は縁覚(えんがく)の人物だったのだろう。21歳で弓術を始め、「41歳のとき、天啓のような神秘的な一射を体験をし、『一射絶命』『射裡見性』を唱え始める」(Wikipedia)。阿波は禅を通して即時性や如実知見(にょじつちけん)を悟ったのだろう。

 矢筈の直径は8mm前後である。ここに当てるということは1~2mmの精度が求められよう。つまり阿波が放った2本目の矢は1mmの的に当てたと考えてよい。しかも暗く的は見えないのだ。まさに神業(かみわざ)である。しかも阿波はそれが「技術ではない」と言うのだ。人智を超えた領域に触れたと感じるのは私だけではないだろう。

 日本の宗教改革ともいうべき鎌倉仏教において悟りの道を目指したのは禅宗のみである。他はマントラ密教に堕した感がある。常に生死(しょうじ)の境に身を置く武士が禅を好んだのもむべなるかな。現代世界に目を転じても世界を席巻した日本仏教は禅だけといっても過言ではなく、多くのミステリ作品にも取り上げられている。修行の面から見れば瞑想とヨガは欧米で広く受け容れられている。

 スポーツは狩猟をゲーム化したものだが、武道は暴力を洗練し尚且つ抑制したものだ。それを悟りに結びつけたところに日本武術の独創性がある。

2020-08-26

武田邦彦「日本人の宗教は自然と祖先」


 日本の宗教は世界でもレベルが段違いに高い。(神道という意味ですか?)違う。神道というのはヨーロッパの宗教思想で日本の宗教を見たら、一神教とか多神教とかなる。日本には一神教も多神教もない。「信教の自由」もない。「男女平等」がないのと同じで根本的に西洋と概念が違う。日本の宗教というのは二つの神様がある。一つが自然。もう一つが祖先。なぜ自然と祖先かというと、自分をつくったもの。日本の宗教観というのは「自分をつくったもの」が神様。だから「お天道様の下では嘘をつかない」。お天道様がなければ自分は存在できないから。お天道様、海、山、川、全部が神様なんだ。それからもう一つは祖先。なぜ祖先か。自分の親は二人、親の親が4人、親の親の親が8人。(さかのぼるごとに)2のn乗となる。僕がある時に計算したら日本の県というのは、大体600年さかのぼると全員が兄弟になる。高知県で調べたところ、現在の高知県民は600年前の高知県民の遺伝子全てを受け継いでいる。日本の宗教は自然と祖先で、自然と祖先は全部お祈りする。日本人がハロウィンを楽しみ、結婚式を教会で挙げ、クリスマスはサンタクロース、正月はお宮参りをする。その後お墓参りをする。これはなぜそうなのかというと日本人の宗教は自然と祖先だから、宗教という次元で争うことをしない。日本人にとってはお釈迦様も偉い、イエス・キリストも偉い。神道だからとか靖国神社だとかいうのは関係ない。そうした考えは学者がヨーロッパの学問を勉強してもっと進んだ日本に適用しようとするからそうなる。

虎ノ門ニュース 2020年8月21日(金)