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『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
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『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
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『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
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『文化的進化論 人びとの価値観と行動が世界をつくりかえる』ロナルド・イングルハート
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『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
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『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る』島泰三
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『人類史のなかの定住革命』西田正規
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定住革命と感染症
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群集状態と群集心理
・国家と文明の深層史(ディープ・ヒストリー)を探れ
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穀物が国家を作る
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『小麦は食べるな!』ウイリアム・デイビス
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『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
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『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎
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『脱税の世界史』大村大次郎
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対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』加藤寛、渡部昇一
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『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
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『感染症の世界史』石弘之
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『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
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近代の呪い』渡辺京二
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『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー
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『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
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『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二
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必読書リスト その四
クロード・レヴィ=ストロースは書いている。
文字は、中央集権化し階層化した国家が自らを再生産するために必要なのだろう。……文字というのは奇妙なものだ。……文字の出現に付随していると思われる唯一の現象は、都市と帝国の形成、つまり相当数の個人の一つの政治組織への統合と、それら個人のカーストや階級への位(くらい)付けである。……文字は、人間に光明をもたらす前に、人間の搾取に便宜を与えたように見える。
【『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット:立木勝〈たちき:まさる〉訳(みすず書房、2019年)】
秦の
始皇帝が行ったのは文字・貨幣・暦・度量衡の統一である。秦(しん)は英語のChinaとシナの語源でもある。シナという呼称については以下のページに記した。
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都市革命から枢軸文明が生まれた/『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲
レヴィ=ストロースの絶妙なエピグラフから農耕革命の欺瞞を暴く驚愕の一書である。
定住と最初の町の登場は、ふつうは灌漑と国家が影響したものだと見られていた。これも今はそうではなく、たいていは湿地の豊穣の産物だということがわかっている。また、定住と耕作がそのまま国家形成につながったと考えられていたが、国家が姿を現したのは、固定された畑での農耕が登場してからずいぶんあとのことだった。さらに、農業は人間の健康、栄養、余暇における大きな前進だという思い込みがあったが、初めはそのほぼ正反対が現実だった。以前は、国家と初期文明はたいてい魅力的な磁石として見られ、その贅沢、文化、機会によって人びとを引きつけたと考えられてきた。実際には、初期の国家はさまざまな形態での束縛によって人口を捕獲し、縛りをつけておかなければならず、しかも群集による伝染病に悩まされていた。初期の国家は脆弱ですぐに崩壊したが、それに続く「暗黒時代」には、実は人間の福祉が向上した跡が見られることが多い。最後に、たいていの場合、国家の外での生活(「野蛮人」としての暮らし)が、少なくとも文明内部の非エリートと比べれば、物質的に安楽で、自由で、健康的だったことを示す強い証拠がある。
人類のコミュニティが部族から国家へ【進化した】との思い込みがくっきりと浮かび上がってくる。しかも我々はそれが自然の摂理であるかのように錯覚している。テキスト中の「暗黒時代」とは国家不在の時代を意味するのだろう。つまり集団を嫌ったアウトサイダーの方が豊かな生活をしていたというのだ。そこから導かれるのは国家を成り立たせたのは奴隷の存在であることだ。
そこである感覚が要求してくる――わたしたちが定住し、穀物を栽培し、家畜を育てながら、現在国家と呼んでいる新奇な制度によって支配される「臣民」となった経緯を知るために、深層史(ディープ・ヒストリー)を探れ、と。
私は元々
群れや集団に関心があり、人類のコミュニティが
ダンバー数の150人から国家に至ったのは必然であり、国家を超えるコミュニティの誕生は難しいと考えてきた。ヒトが動物の頂点に君臨したのは知恵があるためだ。腕力では動物に敵わないが人類は武器とチームワークで動物を打ち負かした。武器は手斧(ちょうな)に始まり、投石、弓矢、火、火薬、刀剣、火砲そして銃(13世紀後半、中国で誕生)へと発展した。
第一次世界大戦(1914-18年)では機関銃が使われ、
第二次世界大戦(1939-45年)ではミサイル(ドイツの
V2ロケットが嚆矢〈こうし〉)と原子爆弾が開発された。あらゆる集団は組織化された暴力(軍隊・警察)に膝を屈する。つまり国家とは人々の暴力を制御するところに生まれるものなのだ。これが私の基本的な考えで「国家とは軍隊なり」と言えるかもしれない。ところが食糧を基軸に考えると全く異なる人類の姿が現れる。
さらに〈飼い馴らし〉の「最高責任者」であるホモ・サピエンスについてはどうだろう。〈飼い馴らされた〉のはむしろホモ・サピエンスの方ではないだろうか。耕作、植え付け、雑草取り、収穫、脱穀、製粉といったサイクルに縛りつけられているうえ(このすべてがお気に入りの穀物のためだ)、家畜の世話も毎日しなければならない。これは、誰が誰の召使いかという、ほとんど形而上学的な問いかけになる――少なくとも、食べるときまでは。
安定した食糧生産を支えるのは安定した労働力である。ここで考える必要があるのは狩猟・漁撈(ぎょろう)との比較だ。労働生産性からいえば明らかに農耕の方が分が悪い。労働時間はもとより、天候リスクや戦争リスクを思えば収穫までの期間が種々のリスク要因となる。すなわち農耕の背景には何らかの強制があったのだろう。
〈飼い馴らし〉は、ドムス周辺の動植物の遺伝子構造と形態を変えてしまった。植物と動物と人間が農業定住地に集まることで新しい、非常に人工的な環境が生まれ、そこにダーウィン的な選択圧が働いて、新しい適応が進んだ。新しい作物は、わたしたちがつねに気をつけて保護してやらなければ生きていけない。「でくのぼう」になってしまった。家畜化されたヒツジやヤギについてもほぼ同じことがいえて、どちらも野生種と比べると小柄だし、おとなしい。周囲の環境への意識も低く、性的二形性〔雌雄差〕も小さい。こうした文脈のなかで、わたしは、同様のプロセスがわたしたちにも起こっているのではないかと問いかける。ドムスによって、狭い空間への閉じこめによって、過密状態によって、身体活動や社会組織のパターンの変化によって、わたしたちもまた、〈飼い馴らされて〉きたのではないだろうか。
「ドムス複合体」なるキーワードが提示されるが、domesticate(飼い馴らす)された環境で育てられた家畜や農産物と、定住を開始したヒトが相互に飼い馴らされて生物学的変化を遂げてゆく様相を意味する。切り取られた自然環境の中で新たな進化――あるいは退化――が起こる。
ではなぜ人類は農耕の道を選んだのか? 国家と文明の深層史(ディープ・ヒストリー)は見たこともない相貌を現す。