2020-10-20

「人間を守るため」という真の目的/『続・人類と感染症の歴史 新たな恐怖に備える』加藤茂孝


『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『人類史のなかの定住革命』西田正規
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝

 ・「人間を守るため」という真の目的

『感染症の世界史』石弘之
『感染症の時代 エイズ、O157、結核から麻薬まで』井上栄
『飛行機に乗ってくる病原体 空港検疫官の見た感染症の現実』響堂新
『感染症と文明 共生への道』山本太郎
『感染症クライシス』洋泉社MOOK
『病が語る日本史』酒井シヅ
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット

 リスクマネジメントとして考えてみると、津波の対策として有効なのは、いかなる巨大な津波でも防げる巨大堤防で日本列島を取り囲むことではなく、津波発生の素早い予報・周知と前もって一次避難の場所を設定し、日頃から避難訓練をすることである。「人間こそが人間を守る」。感染症対策もこれと同じであり、病原体は、今後も絶えることなく新たに人間社会に侵入・出現してくる。この侵入・出現を防ぐのは、早期発見のためのシステム・ネットワークを構築し、早期発見・診断に続く早期治療・対策を実施することである。制度や規則は基盤となるものであり重要ではあるが、そこに、デュ・ガールの言う「人の本性」、芥川の言う「人間性」への配慮を大切にした「人間を守るため」という真の目的を失わないようにしないと、制度も基盤も生きたものにはならない。

【『続・人類と感染症の歴史 新たな恐怖に備える』加藤茂孝〈かとう・しげたか〉(丸善出版、2018年)】

 正篇と較べると続篇は私の胸に驚くほど響かなかった。たぶん働き過ぎの影響もあるのだろう。あるいは加齢による体力の低下が原因かも。機会があれば再読する予定だ。

 リスクマネジメントの「人間を守るため」という真の目的については以下の書籍が参考になる。

『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦
『人が死なない防災』片田敏孝

 昨今のコロナ騒動で感じるのは、各国政府における科学とは無縁の意思決定で、いたずらに国民の不安を煽り、国家への依存度を高めようとしているようにしか見えない。一方の国民はテレビ情報を鵜呑みにして科学者気分に浸っている。国家は帝国を目指し、帝国は覇権を主張する。コロナ騒動は戦争の序曲として静かに恐怖を煽り続けることだろう。

穀物が国家を作る/『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット


『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『文化的進化論 人びとの価値観と行動が世界をつくりかえる』ロナルド・イングルハート
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る』島泰三
『人類史のなかの定住革命』西田正規

 ・定住革命と感染症
 ・群集状態と群集心理
 ・国家と文明の深層史(ディープ・ヒストリー)を探れ
 ・穀物が国家を作る

『小麦は食べるな!』ウイリアム・デイビス
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎
『脱税の世界史』大村大次郎
・『対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』加藤寛、渡部昇一
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
・『近代の呪い』渡辺京二
『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー
『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二

必読書リスト その四

 しかし、なぜ穀物は、最初期の国家でこれほど大きな役割を果たしたのだろうか。結局のところ、ほかの作物は――中東ではとくにレンズマメ、ヒヨコマメ、エンドウマメなどの豆類が、中国ではタロイモ、ダイズが――すでに作物化されていたのだ。なぜ、こうしたものは国家形成の基盤とならなかったのだろう。もっと広げれば、なぜ歴史記録には「レンズマメ国家」がないだろう。ヒヨコマメ国家やタロイモ国家、サゴ国家、パンノキ国家、ヤムイモ国家、キャッサバ国家、ジャガイモ国家、ピーナッツ国家、あるいはバナナ国家はなぜ登場しなかったのだろう。こうした栽培品種の多くは、土地1単位当たりで得られるカロリーがコムギやオオムギよりも多く、労働力が少なくて済むものもある。単独で、あるいはいくつかを組み合わせることで、同程度の基礎的栄養は提供されたはずだ。言い換えれば、こうした作物の多くは、人口密度と食料価値という農業人口統計学的な条件を、穀物と同じ程度には満たしているのだ(このなかで水稲だけは、土地1単位当たりのカロリー値の集中度という点で抜きんでている)。
 わたしの考えでは、穀物と国家がつながる鍵は、穀物だけが課税の基礎となりうることにある。すなわち目視、分割、査定、貯蔵、運搬、そして「分配」ができるということだ。レンズマメやイモ類をはじめとするデンプン植物といった作物にも、こうした望ましいかたちで国家適応した性質がいくつか見られるが、すべての利点を備えたものはない。穀物にしかない利点を理解するためには、自分が古代の徴税役人になったと想像してみればいい。その関心は、なによりも収奪の容易さと効率にある。
 穀物が地上で育ち、ほぼ同時に熟すということは、それだけ徴税官は仕事がしやすいということだ。軍隊や徴税役人は、正しい時期に到着しさえすれば、1回の遠征で実りのすべてを刈り取り、脱穀し、押収することができる。敵対する軍隊にとっては、穀物だと焦土作戦がとても簡単になる。収穫を待つばかりの穀物畑を焼き払うだけで、耕作の移民は逃げるか飢え死にするかしかない。さらに好都合なことに、徴税役人にしても敵軍にしても、ただ待っていれば作物は脱穀され、貯蔵されるので、あとは穀物倉の中身をごっそり押収すればいい。実際に中世の十分の一税では、耕作農民が脱穀前の穀物を束にして畑に置いておけば、超税官が10束ごとに1束ずつ持っていくことになっていた。

【『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット:立木勝〈たちき:まさる〉訳(みすず書房、2019年)】

 国家とは徴税システムなのだ。衝撃と共に暗澹(あんたん)たる気持ちに打ちひしがれた。小室直樹が「税金は国家と国民の最大のコミュニケーション」(『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』)と指摘したが、初期国家は奴隷に支えられていた。つまり搾取を、民主政という擬制によってコミュニケーションと見せかけるまでに奴隷制度は薄められたのだろう。であれば国民とは納税者と消費者の異名である。

「チンパンジーの利益分配」(『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール)を思えば、人類の不公平さはあたかもチンパンジー以下に退化した感を覚える。社会主義・共産主義への憧れがいつまで経っても消えない理由もこのあたりにあるのだろう。ただし旧共産圏が格差を自由主義以上に拡大した事実を我々は知っている。

 一体誰がどのような目的で国民の富を奪っているのだろうか? 税は強制的に徴収される。所得税は新しい税で、源泉徴収が導入されたのは第二次世界大戦前のことだったと記憶している。確かヒトラー率いるドイツに続いて日本が導入したはずだ。元々は収穫高に応じて負担が決められた。近代では戦費調達を目的とした税も多い(酒税、たばこ税など)。一旦設定された税が取り消されることはない。税負担は増え続ける一方で軽減に応じる国家は見当たらない。、国家はきっと酷税によって亡ぶことだろう。

 現代の奴隷は「自らお金を支払う者」である。消費には必ず税が含まれている。マイホームを購入すれば、印紙税・登録免許税・不動産取得税・固定資産税・都市計画税などの負担があり、自動車を買えば、自動車取得税、消費税、自動車重量税、自動車税を取られ、ガソリンには2種類のガソリン税と石油税が含まれる。飛鳥時代の税金(租庸調の租)は収穫の約3%であった(税の歴史 | 税の学習コーナー|国税庁)。現在、日本の国民負担率(税+社会保障費)は42.8%(2016年)で、財政赤字分をも含めた潜在的国民負担率は50.6%となっている。所得の半分以上が税として徴収されている事実を殆どの国民は自覚していない。

負担率に関する資料 : 財務省
国民負担率の国際比較(OECD加盟34カ国)【PDF】
各国の「国民負担率」 - 前原誠司【PDF】
国民負担率の内訳の国際比較をさぐる(2020年時点最新版)(不破雷蔵) - 個人 - Yahoo!ニュース
世界で一番、税金が高い国

 渡部昇一が財務官僚に訊ねたところ、本当であれば所得税1割を全国民が納めれば国家は回ると答えた。だとすれば、4割の税金はどこに消えているのか? 2020年度の税収63.5兆円から単純計算すれば、25.4兆円のカネが消えていることになる。誰かの懐(ふところ)に入るにしては大きすぎる額だ。

 穀物が国家を作るための道具であったとすれば、穀物が健康を損なう原因になっていることは十分あり得る。本書では初期国家周辺の狩猟採集民が健康においても人生の充実度においても優(まさ)っていたと断じている。

 一貫して恐ろしいことを淡々と綴る筆致に白色人種の残酷な知性が垣間見える。300ページ足らずで4000円を超える価格をつけたみすず書房は更に残酷である。こんなべら棒な値段の本は買わない方がいいだろう。図書館から借りればよい。



税を下げて衰亡した国はない/『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一

2020-10-12

国家と文明の深層史(ディープ・ヒストリー)を探れ/『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット


『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『文化的進化論 人びとの価値観と行動が世界をつくりかえる』ロナルド・イングルハート
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る』島泰三
『人類史のなかの定住革命』西田正規

 ・定住革命と感染症
 ・群集状態と群集心理
 ・国家と文明の深層史(ディープ・ヒストリー)を探れ
 ・穀物が国家を作る

『小麦は食べるな!』ウイリアム・デイビス
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎
『脱税の世界史』大村大次郎
・『対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』加藤寛、渡部昇一
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
・『近代の呪い』渡辺京二
『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー
『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二

必読書リスト その四

クロード・レヴィ=ストロースは書いている。

文字は、中央集権化し階層化した国家が自らを再生産するために必要なのだろう。……文字というのは奇妙なものだ。……文字の出現に付随していると思われる唯一の現象は、都市と帝国の形成、つまり相当数の個人の一つの政治組織への統合と、それら個人のカーストや階級への位(くらい)付けである。……文字は、人間に光明をもたらす前に、人間の搾取に便宜を与えたように見える。

【『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット:立木勝〈たちき:まさる〉訳(みすず書房、2019年)】

 秦の始皇帝が行ったのは文字・貨幣・暦・度量衡の統一である。秦(しん)は英語のChinaとシナの語源でもある。シナという呼称については以下のページに記した。

都市革命から枢軸文明が生まれた/『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲

 レヴィ=ストロースの絶妙なエピグラフから農耕革命の欺瞞を暴く驚愕の一書である。

 定住と最初の町の登場は、ふつうは灌漑と国家が影響したものだと見られていた。これも今はそうではなく、たいていは湿地の豊穣の産物だということがわかっている。また、定住と耕作がそのまま国家形成につながったと考えられていたが、国家が姿を現したのは、固定された畑での農耕が登場してからずいぶんあとのことだった。さらに、農業は人間の健康、栄養、余暇における大きな前進だという思い込みがあったが、初めはそのほぼ正反対が現実だった。以前は、国家と初期文明はたいてい魅力的な磁石として見られ、その贅沢、文化、機会によって人びとを引きつけたと考えられてきた。実際には、初期の国家はさまざまな形態での束縛によって人口を捕獲し、縛りをつけておかなければならず、しかも群集による伝染病に悩まされていた。初期の国家は脆弱ですぐに崩壊したが、それに続く「暗黒時代」には、実は人間の福祉が向上した跡が見られることが多い。最後に、たいていの場合、国家の外での生活(「野蛮人」としての暮らし)が、少なくとも文明内部の非エリートと比べれば、物質的に安楽で、自由で、健康的だったことを示す強い証拠がある。

 人類のコミュニティが部族から国家へ【進化した】との思い込みがくっきりと浮かび上がってくる。しかも我々はそれが自然の摂理であるかのように錯覚している。テキスト中の「暗黒時代」とは国家不在の時代を意味するのだろう。つまり集団を嫌ったアウトサイダーの方が豊かな生活をしていたというのだ。そこから導かれるのは国家を成り立たせたのは奴隷の存在であることだ。

 そこである感覚が要求してくる――わたしたちが定住し、穀物を栽培し、家畜を育てながら、現在国家と呼んでいる新奇な制度によって支配される「臣民」となった経緯を知るために、深層史(ディープ・ヒストリー)を探れ、と。

 私は元々群れや集団に関心があり、人類のコミュニティがダンバー数の150人から国家に至ったのは必然であり、国家を超えるコミュニティの誕生は難しいと考えてきた。ヒトが動物の頂点に君臨したのは知恵があるためだ。腕力では動物に敵わないが人類は武器とチームワークで動物を打ち負かした。武器は手斧(ちょうな)に始まり、投石、弓矢、火、火薬、刀剣、火砲そして銃(13世紀後半、中国で誕生)へと発展した。第一次世界大戦(1914-18年)では機関銃が使われ、第二次世界大戦(1939-45年)ではミサイル(ドイツのV2ロケットが嚆矢〈こうし〉)と原子爆弾が開発された。あらゆる集団は組織化された暴力(軍隊・警察)に膝を屈する。つまり国家とは人々の暴力を制御するところに生まれるものなのだ。これが私の基本的な考えで「国家とは軍隊なり」と言えるかもしれない。ところが食糧を基軸に考えると全く異なる人類の姿が現れる。

 さらに〈飼い馴らし〉の「最高責任者」であるホモ・サピエンスについてはどうだろう。〈飼い馴らされた〉のはむしろホモ・サピエンスの方ではないだろうか。耕作、植え付け、雑草取り、収穫、脱穀、製粉といったサイクルに縛りつけられているうえ(このすべてがお気に入りの穀物のためだ)、家畜の世話も毎日しなければならない。これは、誰が誰の召使いかという、ほとんど形而上学的な問いかけになる――少なくとも、食べるときまでは。

 安定した食糧生産を支えるのは安定した労働力である。ここで考える必要があるのは狩猟・漁撈(ぎょろう)との比較だ。労働生産性からいえば明らかに農耕の方が分が悪い。労働時間はもとより、天候リスクや戦争リスクを思えば収穫までの期間が種々のリスク要因となる。すなわち農耕の背景には何らかの強制があったのだろう。

〈飼い馴らし〉は、ドムス周辺の動植物の遺伝子構造と形態を変えてしまった。植物と動物と人間が農業定住地に集まることで新しい、非常に人工的な環境が生まれ、そこにダーウィン的な選択圧が働いて、新しい適応が進んだ。新しい作物は、わたしたちがつねに気をつけて保護してやらなければ生きていけない。「でくのぼう」になってしまった。家畜化されたヒツジやヤギについてもほぼ同じことがいえて、どちらも野生種と比べると小柄だし、おとなしい。周囲の環境への意識も低く、性的二形性〔雌雄差〕も小さい。こうした文脈のなかで、わたしは、同様のプロセスがわたしたちにも起こっているのではないかと問いかける。ドムスによって、狭い空間への閉じこめによって、過密状態によって、身体活動や社会組織のパターンの変化によって、わたしたちもまた、〈飼い馴らされて〉きたのではないだろうか。

「ドムス複合体」なるキーワードが提示されるが、domesticate(飼い馴らす)された環境で育てられた家畜や農産物と、定住を開始したヒトが相互に飼い馴らされて生物学的変化を遂げてゆく様相を意味する。切り取られた自然環境の中で新たな進化――あるいは退化――が起こる。

 ではなぜ人類は農耕の道を選んだのか? 国家と文明の深層史(ディープ・ヒストリー)は見たこともない相貌を現す。

2020-10-08

群集状態と群集心理/『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット


『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『文化的進化論 人びとの価値観と行動が世界をつくりかえる』ロナルド・イングルハート
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る』島泰三
『人類史のなかの定住革命』西田正規

 ・定住革命と感染症
 ・群集状態と群集心理
 ・国家と文明の深層史(ディープ・ヒストリー)を探れ
 ・穀物が国家を作る

『小麦は食べるな!』ウイリアム・デイビス
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎
『脱税の世界史』大村大次郎
・『対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』加藤寛、渡部昇一
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
・『近代の呪い』渡辺京二
『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー
『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二

必読書リスト その四

 最初の文字ソースからはっきりわかるのは、初期のメソポタミア人が、病気が広がる「伝染」の原理を理解していたことだ。可能な場合には、確認された最初の患者を隔離し、専用の地区に閉じこめて、誰も出入りさせないというステップを踏んでいる。長距離の旅をする者、交易商人、兵士などが病気を運びやすいことも理解していた。分離して接触を避けるというこの習慣は、ルネサンス時代に各地の港に設置されたラザレット〔ペスト患者の隔離施設〕を予見させるものだった。伝染を理解していたことは、罹患者を避けるだけでなく、その人の使ったカップや皿、衣服、寝具なども回避したことからも示唆される。遠征から還ってきて病気が疑われる兵士は、市内に入る前に衣服と盾を焼き捨てるよう義務づけられた。分離や隔離でうまくいかなければ、人びとは瀕死の者や死亡者を置き去りにして、都市から逃げ出した。もし還ってくるとしたら、病気の流行が過ぎてから十分に期間をおいてからだった。またそうするなかで、逆に病気を辺境へと持って行ってしまうことも多かったに違いない。そのときには、また新たな隔離と逃避が行われたのだろう。わたしは、初期の、記録のない時期に人口密集地が放棄されたうちの相当多くは、政治ではなく病気が理由だったと考えてまず間違いないと思う。

【『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット:立木勝〈たちき:まさる〉訳(みすず書房、2019年)】

 やはりコロナ禍であればこそ感染症に関する記述が目を引く。「初期のメソポタミア人」とは紀元前3000年とか4000年の昔だろう(メソポタミア文明)。恐るべき類推能力といってよい。脳の特徴はアナロジー(類推、類比)とアナログ(連続量)にあるのだろう。

 ここでの目的のために、この群集と病気の論理を適用するのはホモ・サピエンスだけにしておくが、今の例のように、この論理は、病気傾向のあるあらゆる生命体、植物、あるいは動物の群集に容易に適用できる。これは群集に伴う現象だから、鳥やヒツジの群れ、魚の集団、トナカイやガゼルの群れ、さらには穀物の畑にも同じように適用できる。遺伝子が類似しているほど(=多様性が少ないほど)、すべての個体が同じ病原菌に対して脆弱になりやすい。人間が広範に異動するようになるまでは、おそらく渡り鳥が――1カ所にかたまった営巣することや群集して長距離を移動することから――遠くまで疾患を広める主要な媒介生物だっただろう。感染と群集との関係は、実際の媒介生物による伝播が理解されるずっと前から知られていて、利用されてきた。狩猟採集民はそのことを十分にわかっていたから、大きな定住地には近寄らなかったし、各地に離れて暮らすのも、伝染病との接触を避ける方法だと見られていた。

 渡り鳥から他の動物に感染する規模は限られる。ましてその動物と人間が接触する可能性は更に限られる。人間にとって低リスクということはウイルスや微生物にとっては高リスクとなる。奴らが生き延びる可能性は乏しい。

 もう一つ別のシナリオを考えてみよう。寄生生物は宿主(しゅくしゅ)を操る(『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ)。ひょっとすると寄生生物の操作によって人類は都市化をした可能性もある。リチャード・ドーキンスは「生物は遺伝子によって利用される乗り物に過ぎない」と主張した(『利己的な遺伝子』1976年)が、「寄生生物によって利用される乗り物」ということもあり得るのだ。

 定住とそれによって可能となった群集状態は、どれほど大きく評価してもしすぎにはならない。なにしろ、ホモ・サピエンスに特異的に適応した微生物による感染症は、ほぼすべてがこの1万年の間に――しかも、おそらくその多くは過去5000年のうちに――出現しているのだ。これは強い意味での「文明効果」だった。これら、天然痘、おたふく風邪、麻疹、インフルエンザ、水痘、そしておそらくマラリアなど、歴史的に新しいこうした疾患は、都市化が始まったから、そしてこれから見るように、農業が始まったからこそ生じたものだ。ごく最近まで、こうした疾患は人間の死亡原因の大部分を占めていた。定住前の人びとには人間固有の寄生虫や病気がなかったというのではない。しかし、その時期の病気は群集疾患ではなく、腸チフス、アメーバ赤痢、疱疹、トラコーマ、ハンセン病、住血吸虫症、フィラリア症など、潜伏期間が長いことや、人間以外の生物が保有宿主であることが特徴だった。
 群集疾患は密度依存性疾患ともよばれ、現代の公衆衛生用語では急性市中感染症という。

 つまり感染症は人類の業病ではなく都市化による禍(わざわい)なのだ。移動しない群れで私が思いつくのは蟻(あり)くらいなものだ。定住・農耕革命は人類を蟻化する営みなのかもしれない。

 いずれにせよ国家システムが進化の理に適っているのであれば人類は感染症と共生できるだろう。そうでなければ感染症によって死に絶えるか、あるいは国家以外のシステムを築いて生き延びるしかない。

 群集状態には感染症リスクが伴うが、群集心理には付和雷同・価値観の画一化・教育やメディアを通した洗脳などの問題があり、こちらの方が私は恐ろしい。