2020-10-28

ストア派の思想は個の中で完結/『怒りについて 他二篇』セネカ:兼利琢也訳


『人生の短さについて』セネカ:茂手木元蔵訳
『怒りについて 他一篇』セネカ:茂手木元蔵訳

 ・ストア派の思想は個の中で完結

必読書リスト その五

 「なぜ多くの逆境が善き人に生じるのですか」。善き者には悪は何一つ生じえない。正反対のもの同士は混ざらないからである。それはちょうど、かくも多数の河川が、上空から落下した、かくも多量の雨水が、鉱泉のかくも多大な成分が、海の味を変えないどころか、薄めすらしないのと同じである。同様に、逆境の攻撃は勇者の精神を背(そむ)かせはしない。同じ姿勢を保ち、生じ来(きた)るいっさいを己の色に変える。いかなる外部の事象よりも協力だからである。それらを感じないというのではない。打ち克つのだ。そして、いつまでも、平穏に穏やかに、襲いかかるもの抗して屹立(きつりつ)し、あらゆる逆境を鍛錬とみなす。しかし、いかなる男子が、高潔な行為へと一度その意を定めた者ならば、正義の労苦を熱望しつつ、危険のともなう任務を志願せずにいられようか。

【『怒りについて 他二篇』セネカ:兼利琢也〈かねとし・たくや〉訳(岩波文庫、2008年/『怒りについて 他一篇』茂手木元蔵〈もてぎ・もとぞう〉訳、岩波文庫、1980年)】

 旧訳と併せて読むのが正しい。茂手木訳には「神慮について」が、兼利訳には「摂理について」と「賢者の恒心について」が収められている。甲乙つけがたい翻訳だ。

 ストア派の思想は個の中で完結している。時代や社会がどうあれ、問われるのは己の生き方だ。否、「あり方」というべきか。人の悩みや葛藤は往々にして比較と競争から生まれる。そこに社会的動物の所以(ゆえん)もあるのだろう。

 他人にどう見られるかよりも、自分がどうあるかを問う。集団の中で生きれば様々な問題を他人のせいにしたくなるのは人情だが、「あいつが悪い、こいつが悪い」と言ったところで、そこにあるのは「変わらぬ自分の姿」だ。他人をコントロールすることは難しい。自分で自分を動かす方が賢明だ。

 セネカの言葉はあたかも鹿野武一〈かの・ぶいち〉を語っているかのようである(『石原吉郎詩文集』石原吉郎)。酷寒の地シベリアに抑留されながらも自分の人生を決して手放すことのなかった稀有な人物だ。私はどんな功成り名を遂げた有名人よりも鹿野の生き様に憧れる。

 西洋哲学はおしなべて思弁に傾く嫌いがあるが、セネカの言葉には決意の奔流ともいうべき勢いが溢れ、2500年を経ても留(とど)まるところを知らない。

2020-10-27

銀行合併の内情/『半沢直樹2 オレたち花のバブル組』池井戸潤


『半沢直樹1 オレたちバブル入行組』池井戸潤

 ・銀行合併の内情

『半沢直樹3 ロスジェネの逆襲』池井戸潤
・『半沢直樹4 銀翼のイカロス』池井戸潤
『隠蔽捜査』今野敏
・『ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録』西川善文

 旧Sだの旧Tだのという出身に、半沢自身、過剰反応しているつもりはまったくない。産業中央銀行出身だろうと東京第一銀行出身だろうと、肝心なのは銀行員としての姿勢であり資質である。出身銀行で色分けすることに何ら意味のあるはずもない。  ところが、行内世論がそうならないのは、イザ相手と膝を交えて仕事をしたとき、往々にして互いの企業文化がすれ違いを生むからである。結果的に、一枚看板にまとめられたはずの銀行員の間に、出身行別の一線が引かれることになる。  お互いの違いというのは、大きなことではなく、むしろ日常業務の小さなことに起因して、意識付けされる。たとえば、業務上の用語の違い――信用保証協会の保証付き融資のことを産業中央銀行は「協保」(きょうほ)と呼んでいたが、東京第一銀行では「マル保」。「代金取立手形」(だいきんとりたててがた)は、旧Sが「代手」(だいて)で、旧Tが「取手」(とりて)。  ちなみに旧Sの呼称である「代手」は、新入行員として銀行に入ったときに耳にすると最初、目が点になる。先輩のお姉さん行員から、「ねえ、だいてちょうだい」といわれるからである。「こんな昼間からですか」という失言もあったりする。

【『半沢直樹2 オレたち花のバブル組』池井戸潤〈いけいど・じゅん〉(講談社文庫、2019年/文藝春秋、2004年『オレたち花のバブル組』改題/文春文庫、2007年)】

 日本人の村意識は根深い。内と外を巡る独特の意識がある。少し前まで外人という言葉が普通に使われていた。「外野は黙ってろ」なんてのは現在でも耳にする。家には「うち」の読みもある。

 バブル景気が絶頂に向かったその時、「24時間戦えますか。」と謳ったCMがテレビを席巻した。


 余裕のある時代にネタとして扱われたキャッチコピーは巧まずしてその後登場するワーキングプアを予見していた。かつてのモーレツ社員は企業戦士に変貌した。

 社内文化については次の書籍が参考になる。

社内主義から社外主義への転換/『スーパーサラリーマンは社外をめざす』西山昭彦
社内文化に染まっている人は「抵抗勢力」となる/『制度と文化 組織を動かす見えない力』佐藤郁哉、山田真茂留

 前向きだった20代、後ろ向きの30代、俯(うつむ)くだけの40代。

 それがエリートサラリーマンの人生ならあまりにも侘(わび)しい。社内の出世競争に勝って得られるのは地位とカネであり、負けて味わわされるのは屈辱感と自己否定なのだろう。その姿は小学生の運動会と変わりがない。

 ストーリーは勧善懲悪と下剋上が基調となっていてありきたりなものだ。それでも面白く読めてしまうのは私の生きる世界が些末で戦いとは縁遠いゆえか。

2020-10-23

国家は税と共にある/『脱税の世界史』大村大次郎


『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット
『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎

 ・国家は税と共にある

・『対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』加藤寛、渡部昇一
・『近代の呪い』渡辺京二

大村大次郎

 歴史上、「税金のない国」というのは、存在したためしがありません。(中略)
 初期の古代ローマはローマ市民から「直接の税金」はほとんど取っていませんでした。しかし関税を徴収したり、占領地から税を徴収していました。
 歴史上、国家の体(てい)をなす存在において、税金が課されなかったことは一度もないといえるのです。
 一国の政府(政権)の存在というのは、煎じ詰めれば、「いかに税金を徴収し、いかに使うか」ということになると思われます。
 役人を使って国家システムを整えるにも、インフラ整備をするにも、他国からの侵略を防ぐにも、税金が必要になります。だから、税金がないと国家というものは成り立ちません。
 王権国家であろうと、民主政国家であろうと、共産主義国家であろうと、宗教国家であろうと、それは同じです。

【『脱税の世界史』大村大次郎〈おおむら・おおじろう〉(宝島社、2019年)】

 後半の失速が惜しまれる。好著を切り捨てることで「必読書リスト」の厳選が担保されるというジレンマに苦しむ。ジェームズ・C・スコットの後で読んだだけにインパクトは大きかった。大村の著作は宗教に関する物以外は全部お勧めできる。

 哺乳類の群れは暴力と分配を軸に形成される。高度な知能はやがて技術や協力に至るが暴力と分配という軸は動かない。ともすると知能は「人間らしさ」とのフィルターを通して美しい素養を考えがちだが実は違うのではないか。チンパンジーの特筆すべき行動は「相手を騙(だま)す」ことにある。騙すためには相手が何を考えているかを知る必要がある。つまり共感~想像といった思考の飛翔が伴う。この高度な知能が犯す醜い行動が長年にわたって私の心から離れることはなかった。

 感情を排してただありのままの事実を見てみよう。現代社会の成功者とは「嘘をつくのが巧みな人物」であると言ってよい。この場合の嘘とは「自分の意のままに人々を動かす言動や振る舞い」を意味する。政治家・経営者・教師・宗教家・親・先輩は必ず何らかの信念に基づいた操作・誘導を行う。一番わかりやすいのは俳優・芸能人である。彼らは「嘘をつくのが仕事」だ。ミュージシャンも同様である。フィクション(虚構)を通して大衆に夢を見させる役割を果たしている。

 あるいは巨大宗教組織を見れば、そこには国家の萌芽ともいえるシステムが構築されている。ローマ・カトリック教会は十分の一税を徴収していた。喜捨を募らない教団は存在しない。創価学会では100万円の寄付をする信者がざらにいるし、出版を通したビジネスモデルを編み出したのはGLAの高橋信次で、現在は創価学会や幸福の科学に受け継がれている。巨大教団は宗教企業と化した。国家と異なる点は分配なき集金であることに尽きる。

「民が疲弊しないように効率的に税を徴収し、それをまた効率的に国家建設に生かす」
 というのは、国が隆盛するための絶対条件だといえます。
 そして、国が衰退するときというのは、その条件をクリアできなくなったといきだといえます。

 国家は徴税し、税負担は大きくなり、国家は国民を喰い物にした挙げ句、衰退してゆく。富の蓄積(関岡正弘)が大きく偏り歯止めが効かなくなるのだろう。情報産業を支配するGAFAなども国家弱体化の象徴であり、既に多国籍企業は国家をも超越し(『ザ・コーポレーション』)、タックスヘイブンを通して租税を回避している(『タックスヘイブンの闇 世界の富は盗まれている!』ニコラス・シャクソン、『タックス・ヘイブン 逃げていく税金』志賀櫻)。

 いずれにしろ、脱税がはびこるときには、社会は大きな変動が起きます。
 武装蜂起、革命、国家分裂、国家崩壊などには、必ずといっていいほど、「脱税」と「税システムの機能不全」が絡んでいるのです。

 アメリカ大統領選挙を前にしたBLM運動、中国共産党による香港弾圧・ウイグル人虐殺など「大きな変動」は日々報じられている。日本で格差が広がったのは消費税導入(1989年)以降のことである。

 多国籍企業に対する国家の巻き返しと、民族主義・帝国主義が渦巻く時代に入った。日本国民にはかつての米騒動を起こすほどの気概はない。中国と戦うか妥協するかで国の運命が分かれる。

2020-10-20

「人間を守るため」という真の目的/『続・人類と感染症の歴史 新たな恐怖に備える』加藤茂孝


『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『人類史のなかの定住革命』西田正規
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝

 ・「人間を守るため」という真の目的

『感染症の世界史』石弘之
『感染症の時代 エイズ、O157、結核から麻薬まで』井上栄
『飛行機に乗ってくる病原体 空港検疫官の見た感染症の現実』響堂新
『感染症と文明 共生への道』山本太郎
『感染症クライシス』洋泉社MOOK
『病が語る日本史』酒井シヅ
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット

 リスクマネジメントとして考えてみると、津波の対策として有効なのは、いかなる巨大な津波でも防げる巨大堤防で日本列島を取り囲むことではなく、津波発生の素早い予報・周知と前もって一次避難の場所を設定し、日頃から避難訓練をすることである。「人間こそが人間を守る」。感染症対策もこれと同じであり、病原体は、今後も絶えることなく新たに人間社会に侵入・出現してくる。この侵入・出現を防ぐのは、早期発見のためのシステム・ネットワークを構築し、早期発見・診断に続く早期治療・対策を実施することである。制度や規則は基盤となるものであり重要ではあるが、そこに、デュ・ガールの言う「人の本性」、芥川の言う「人間性」への配慮を大切にした「人間を守るため」という真の目的を失わないようにしないと、制度も基盤も生きたものにはならない。

【『続・人類と感染症の歴史 新たな恐怖に備える』加藤茂孝〈かとう・しげたか〉(丸善出版、2018年)】

 正篇と較べると続篇は私の胸に驚くほど響かなかった。たぶん働き過ぎの影響もあるのだろう。あるいは加齢による体力の低下が原因かも。機会があれば再読する予定だ。

 リスクマネジメントの「人間を守るため」という真の目的については以下の書籍が参考になる。

『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦
『人が死なない防災』片田敏孝

 昨今のコロナ騒動で感じるのは、各国政府における科学とは無縁の意思決定で、いたずらに国民の不安を煽り、国家への依存度を高めようとしているようにしか見えない。一方の国民はテレビ情報を鵜呑みにして科学者気分に浸っている。国家は帝国を目指し、帝国は覇権を主張する。コロナ騒動は戦争の序曲として静かに恐怖を煽り続けることだろう。