2020-12-17

累進課税は正しいのだろうか?/『金持ち課税 税の公正をめぐる経済史』ケネス・シーヴ、デイヴィッド・スタサヴェージ


 ・累進課税は正しいのだろうか?

・『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一
・『対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』加藤寛、渡部昇一

 富裕層課税への政治的な支持が最も強くなるのは、それによって、国家による市民の【平等な】扱いが保証されるときである。市民の平等な扱いとは、ロナルド・ドゥウォーキンの表現を借りれば、市民全員を「同様の尊重と配慮をもって」扱うことを意味する。もちろん、人びとが平等に扱われるべきだという考えは、近代民主主義のひとつだ。そこで、この評価基準を用いることで、税の正当化に有効な公正論として重要なものの範囲を絞り込むことができる。人は生まれながらにして違っているとか、ある者は生まれながらにしてほかの者よりい価値が高いとかいった議論はありえない。あるいは、当然のことながら、純然たる自己利益に言及する議論もありえない。しかし、だからといって、人びとは「平等に」あるいは「同様の尊重と配慮をもって」扱われるべきだと述べるだけで、この基準を満たす明確な税政策を演繹的に特定することはできない。そして、まさにそこが、税の公正さをめぐる議論の要なのである。

【『金持ち課税 税の公正をめぐる経済史』ケネス・シーヴ、デイヴィッド・スタサヴェージ:立木勝〈たちき・まさる〉訳】

 著者の結論は「戦時においてのみ金持ち課税が実現する」というもの。思弁に傾きすぎて、言葉をこねくり回している印象が強い。

 本当に「累進課税は正しい」のだろうか? 税率が同じであっても富む者が多くを負担することに変わりはない。第二次世界大戦後、先進国では戦後補償のため富裕層への課税が行われ、徐々に最高税率は下がってきた。


 1974年~1984年の所得税率が最も高く、8000万円超は75%で、住民税最高税率の18%と合わせると93%にもなった。確か80年代だと記憶しているが黒柳徹子などが高税率に反対していた。『窓ぎわのトットちゃん』の印税をごっそり持ってゆかれたのだろう。800万部も売れたのだから印税で8億円入ったとしても、8億円-8000万円=7億2000万円に対しては75+18%の税が課される。(PDF:個人所得課税の税率等の推移 イメージ図

 特殊な職業、例えばプロスポーツ選手が活躍できる期間は20~30代に限られる。選手生命が絶たれれば何の補償もない。彼らに累進課税を適用するのは気の毒であろう。

 更に相続税の問題がある。親から子へと遺産を相続する際に課税することは正しいのだろうか? 財産権(憲法第29条)を犯しているのは明らかだろう。このため富裕層の相続税対策のツールとして株式会社や政治資金団体が利用される。世襲議員の目的は政治家になることではなく資産相続にあるのだ。

 血税には「兵役の義務」という意味がある(血税とは - コトバンク)。国民全員が出征することが真の平等か。

イギリスにおけるカトリック差別/『奴隷船の世界史』布留川正博


 ・イギリスにおけるカトリック差別
 ・奴隷制とリンカーン大統領

『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

 イギリスの政治的状況は、ちょうどこの時期に劇的に変化した。イギリスの「アンシャン・レジーム」ともいうべき制度であった審査法(1673年制定)が1828年に廃止され、翌年にはカトリック解放法が制定された。これによって国教徒以外でも公職に就くことや議員になることが可能になり、また、アイルランドのカトリック教徒にプロテスタントと同等の市民権が与えられることになった。

【『奴隷船の世界史』布留川正博〈ふるかわ・まさひろ〉(岩波新書、2019年)】

「この時期」とはジャマイカにおける奴隷叛乱が起こった時期を指す。Wikipediaには「バプテスト戦争」との表記あり。サム・シャープ(ジャマイカ国家的英雄サム・シャープ | African Symbol Jamaica アフリカンシンボルのジャマイカブログ)は平和的なストライキを行うつもりであったが、一部の奴隷が暴れ始めて遂には大暴動へと発展した。

 この手の文章は正確かつ丹念に読む必要がある。「公職」と「市民権」とある。参政権については、「その当時選挙の参政権は財産によって決定づけられたので、この救済は、年間2ポンドの賃貸価値のある土地を所有するカトリック教徒に票を与えることとなった」(Wikipedia)。

 宗教コミュニティは「禁忌(タブー)を共有する人々」である。市民革命は階級間の差別を解消すべく人権という概念を生み、やがては宗派間の差異をも超越するに至った。日本に人権概念が生まれなかったのは惻隠の情があったのもさることながら、ヨーロッパほどの過酷な差別がなかったためとも考えられよう。

 一神教の絶対性は壮絶な争いを志向する。宗教的正義はドグマに基づいて敵を殺戮する。我々は八百万(やおよろず)の神でよい。争うことなく、クリスマスもハロウィンも祝い、正月は神社を参拝し、節分には豆を撒(ま)き、お彼岸には墓参りをするのが正しい。

2020-12-15

エートスの語源/『ソクラテスはネットの「無料」に抗議する』ルディー和子


『売り方は類人猿が知っている』ルディー和子

 ・累進課税の起源は古代ギリシアに
 ・エートスの語源

SNSと心理戦争 今さら聞けない“世論操作”
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー

必読書 その三

 プラトンの時代には読み書き能力が急激に発達した結果、抽象化する能力が格段に高くなりました。具体的な意味を持った言葉が、抽象的概念を表現する言葉に変化していきました。たとえば、「エートス(ethos)」というギリシア語は、もともとは動物の「ねぐら」とか「生息地」を意味していたのですが、その後、「人の住処での暮らし方」から個人の習慣行動といった意味で用いられるようになり、アリストテレスのころには「性格(人柄)」という意味で使われるようになっています。アリストテレスは著書『弁論術』で、他人を説得するためには、倫理的にも尊敬できる信頼できるエートスが必要だと書いています。

【『ソクラテスはネットの「無料」に抗議する』ルディー和子(日経プレミアシリーズ、2013年)】

 エートスを私はずっと「気風」と読んできた。折角の機会なので定義を再確認しておこう。

《「エトス」とも》
1 アリストテレス倫理学で、人間が行為の反復によって獲得する持続的な性格・習性。⇔パトス。
2 一般に、ある社会集団・民族を支配する倫理的な心的態度。

エートスの意味 - goo国語辞書

 エートスは、「いつもの場所」を意味し、転じて習慣・特性などを意味する古代ギリシア語である。他に、「出発点・出現」または「特徴」を意味する。

エートス - Wikipedia

 大塚久雄(1989)はこの2つのうち「エートス(ethos)」について、次のように定義している。
「『エートス』は単なる規範としての倫理ではない。宗教倫理であれ、あるいは単なる世俗的な伝統主義の倫理であれ、そうした倫理綱領とか倫理徳目とかいう倫理規範ではなくて、そういうものが歴史の流れのなかでいつしか人間の血となり肉となってしまった。いわば社会の倫理的雰囲気とでもいうべきものなのです」。

PDF:職業エートスの形成に関する一考察 キリスト教精神との関係から 阿部正昭

 近代においては,1つの社会,民族の特色をなす性質,道徳をさす社会学的,人類学的用語としても用いられる。このような意味を明確化したのは M.ウェーバーである。(中略)その意味するところはまず,なんらかのあるべき姿をさし示す「倫理」 ethicsとは区別された,本人の自覚しない日常的生活態度であり,また「激情」 pathosとも対立的なものである。日常的生活行動や生活態度を最奥部で規定し,常に一定の方向に向わせる内面的原理を意味する。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

 エートスのラテン語訳 こそがモーレス——モスの複数形——でありモラルの語源なのである。これは、我々がもつ道徳的感情は、その共同体のモラルの遵守とそこからの逸脱から発生しているのだという説明の論理である(アリストテレス『ニコマコス倫理学』)。

エートス: ethos

 私が啓発されたのは小室直樹の解説で、彼は「行動様式」とした(『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』)。武士と武士道を思えば腑に落ちる。行動様式は努めているうちに自然な振る舞いとなり、やがては道と己が一体化して不可分となる。「簡単にいってしまえば、エシックス(倫理)は思考に訴え、エトスは情動を支配するのだ」と上記書評で書いた。思考は前頭葉で行われ、情動は大脳辺縁系が司る。我々がともすると理性よりも感情に振り回されるのは当然で、大脳辺縁系がより下層にあるためだ。その直線的な志向が既に否定されているポール・マクリーン「三位一体脳モデル」だが、生きるための爬虫類脳(脳幹、小脳)・感じるための哺乳類脳(大脳辺縁系、新皮質)・考えるための人間脳(前頭葉)との位置づけはあながち的外れではないだろう。

 エートスが行動様式であれば、倫理からエートスへの飛翔は前頭葉から大脳辺縁系への深化を示すものだ。前頭葉で考えれば切腹はできまい。意志よりも情動が重い。

 そう考えるとやはり若いうちに尊敬できる人物を知ることが重要だ。「このような人になりたい」「あのような生き方をしたい」との切望が人格の基底を成すからだ。

隣り合う二つの世界


2020-12-14

日本に革命が起こらなかったのは税制がうまく行っていたから/『お金の流れで読む日本の歴史 元国税調査官が古代~現代にガサ入れ』大村大次郎


『お坊さんはなぜ領収書を出さないのか』大村大次郎 2012年
『税務署員だけのヒミツの節税術 あらゆる領収書は経費で落とせる【確定申告編】』大村大次郎 2012年
『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎 2015年
『税金を払わない奴ら なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?』大村大次郎 2015年

 ・日本に革命が起こらなかったのは税制がうまく行っていたから

『お金の流れで探る現代権力史 「世界の今」が驚くほどよくわかる』大村大次郎
『お金で読み解く明治維新 薩摩、長州の倒幕資金のひみつ』大村大次郎
『ほんとうは恐ろしいお金(マネー)のしくみ 日本人はなぜお金持ちになれないのか』大村大次郎
『知ってはいけない 金持ち悪の法則』大村大次郎
『脱税の世界史』大村大次郎 2019年

日本の近代史を学ぶ

 我々が中学や高校で教えられてきた日本の歴史、それも古代史には、「重税による圧政に民は苦しんでいた」という記述が多い。日本の為政者たちがずっと国民を苦しめてきたようにも思えてしまう。
 しかし、「お金の流れ」を丁寧に読むと、実はそれが大きな間違いだったということができる。
 そもそも、「税」というのは、それほど簡単に徴収できるものではない。これは私のように「税」に携わったことのある者ならば、誰でも知っていることである。
 いくら国家権力を駆使したところで、重税をかければ、民衆は必ず反抗する。そして、民衆の反抗が強くなれば、国家は運営できなくなる。
【日本は歴史上、民衆からの突き上げで革命が起きたことは一度もない】。ということは、民衆がそこまで強い不満を持ったことはない、つまりは、いつの時代でも税制はそれなりによくできたものと思われる。それは、古代日本の税制についても言えることだ。

【『お金の流れで読む日本の歴史 元国税調査官が古代~現代にガサ入れ』大村大次郎〈おおむら・おおじろう〉(KADOKAWA、2016年/中経の文庫、2017年)】

 古代は部族社会であるため現代よりも「顔の見える社会システム」である。それだけに不正もよく見えるため、叛乱や暴動は現代人が想像する以上に迅速かつ頻繁な出来事であったに違いない。

 源泉徴収制度は実に悪しき仕組みで税務署の仕事を会社にやらせた上で、サラリーマンから納税意識を失わせる効用がある。第二次世界大戦中のナチスドイツが導入し、それに続いたのが我が日本である(1940年/昭和15年)。

 国民と国家の契約関係は、国民が税と兵役に応じることで国家が国民の生命と財産を守る関係となる。日本の民主政が成熟しないのは源泉徴収制度によって国民が税意識を持たないためだ。「税金は国家と国民の最大のコミュニケーション」と小室直樹が指摘した理由もここにある(『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹)。

「日本に革命が起こらなかったのは税制がうまく行っていたから」というのは卓見だと思うが落とし穴もある。相関関係と因果関係は異なる。例えば欧米の奴隷やロシアの農奴、インドのカーストをどう考えるべきか? プーラン・デヴィナット・ターナーは酷税のために立ち上がったわけではない。シベリア抑留の場合はどうだろう? 圧倒的な暴力の前で人間はあまりにも無力である。革命を起こすためには一定程度の自由が前提となるような気がする。