2020-12-30

2020年に読んだ本ランキング


2019年に読んだ本ランキング

 ・2020年に読んだ本ランキング

2021年に読んだ本ランキング

 時間がないため大雑把な内容となってしまうが、今年のランキングは以下の通りである。今年読んだ本は750冊ほど。読了本は200冊くらいだと思う。記憶力の低下が著しいので読みながら書かないと、どんどん後回しになってしまう。受信→発信を心掛ける必要あり。以前は受信が溜まれば滴り落ちてくるエキスのようなものがあるだろうと考えていたがそんなものはない。どこにも。年を重ねるに連れて本との出会いは豊かさを増し、人との出会いが貧しくなりつつある。あるいは自分という鐘が鳴り響きにくくなっているのであろうか。

『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー
・『筋力を超えた「張力」で動く! エネルギーは身体の「すきま」を流れる!動きの本質力向上メソッド』JIDAI
・『動きの天才になる』JIDAI
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰
『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一
・『対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』加藤寛、渡部昇一
・『自然農法 わら一本の革命』福岡正信
『樹木たちの知られざる生活 森林管理官が聴いた森の声』ペーター・ヴォールレーベン
『新しい資本主義 希望の大国・日本の可能性』原丈人
・『シリコンバレー式 自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー
『円の支配者 誰が日本経済を崩壊させたのか』リチャード・A・ヴェルナー
『樹木たちの知られざる生活 森林管理官が聴いた森の声』ペーター・ヴォールレーベン
・『目の見えない人は世界をどう見ているのか伊藤亜紗
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄

 10位『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
 9位『人類史のなかの定住革命』西田正規
 8位『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
 7位『皇軍の崩壊』大谷敬一
 6位『近代の呪い』渡辺京二
 5位『日本人と戦争 歴史としての戦争体験』大濱徹也
 4位『日本人の身体』安田登
 3位『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』草薙龍瞬
 2位『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット
 1位『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン

2020-12-28

QUINTETとは何か?


 2018年4月に格闘家・桜庭和志が立ち上げた新たなスポーツイベント。打撃を禁止とし、投げや絞め、関節技のみで戦う組み技競技で、世界初となる5人1チームで闘う団体対抗戦。それも“抜き試合”と呼ばれる、勝っても次の相手と闘い続けるデスマッチ級の過酷システム!







【完全版】トランプ大統領声明 12月22日


【日本語字幕】12月2日トランプ大統領声明「自分の人生の中で一番大事なスピーチ」

 ・【完全版】トランプ大統領声明 12月22日

読み始める

2020-12-27

初期仏教は宗教の枠に収まらず/『初期仏教 ブッダの思想をたどる』馬場紀寿


『原始仏典』中村元
『上座部仏教の思想形成 ブッダからブッダゴーサへ』馬場紀寿

 ・小部は苦行者文学で結集仏典に非ず
 ・初期仏教の主旋律
 ・初期仏教は宗教の枠に収まらず

ブッダの教えを学ぶ

 冒頭で私は仏教を「宗教」と呼んだが、じつを言うと、この初期仏教が、近代西欧で作られた「宗教」概念に、あるいは我々が抱いている「宗教」の印象に当てはまるのか、はなはだ疑わしい。
 まず初期仏教は、全能の神を否定した。ユダヤ教、キリスト教やイスラム教で信じるような、世界を創造した神は存在しないと考える。神々(複数形)の存在は認めているが、初期仏教にとって神々は人間より寿命の長い天界の住人に過ぎない。彼らは超能力を使うことはできるが、しょせん生まれ死んでいく迷える者である。もし「神」を全能の存在と定義するなら、初期仏教は「無神論」である。
 神々もまた迷える存在に過ぎない以上、初期仏教は、神に祈るという行為によって人間が救済されるとは考えない。そのため、ヒンドゥー教のように、神々をお祭りして、願いをかなえようとする行為が勧められることはない。願望をかなえる方法を説くのではなく、むしろ自分自身すら自らの思いどおりにならない、ということに目を向ける。
 さらに、初期仏教は、人間の知覚を超えた宇宙の真理や原理を論じないため、老荘思想のように「道」と一体となって生きるよう説くこともない。主観・客観を超えた、言語を絶する悟りの体験といったことも説かない。それどころか、人間の認識を超えて根拠のあることを語ることはできないと、初期仏教は主張する。
 宇宙原理を説かない初期仏教は、宇宙の秩序に沿った人間の本性があるとは考えない。したがって、儒教(朱子学)のような「道」や「性」にもとづいて社会や個人の規範を示すこともしない。人間のなかに自然な本性を見いだして、そこに立ち返るよう説くのではなく、人という個体存在がさまざまな要素の集合であることを分析していく。
 こうした他教だけではない。初期仏教は、日本の仏教ともずいぶんと様相を異にしている。初期仏典では、極楽浄土の阿弥陀仏も、苦しいときに飛んで助けに来てくれる観音菩薩も説かれない。永遠に生きている仏も、曼荼羅(まんだら)で描かれる仏世界も説かれない。
 また初期仏教では、修行はするが、論理的に矛盾した問題(公案〈こうあん〉)に集中するとか、ただ坐禅(只管打座〈しかんだざ〉)をするといったことはない。出家者が在家信者の葬送儀礼を執り行うことはなく、祈禱をすることもない。出家者が呪術行為にかかわることは禁止されていた。
 初期仏教は、それに代わって、「個の自律」を説く。超越的存在から与えられた規範によってではなく、一人生まれ、一人死にゆく「自己」に立脚して倫理を組み立てる。さらに、生の不確実性を真正面から見据え、自己を再生産する「渇望」という衝動の克服を説く。

【『初期仏教 ブッダの思想をたどる』馬場紀寿〈ばば・のりひさ〉(岩波新書、2018年)】

 真理は言葉にし得ないゆえに否定形をもって伝えられる。馬場のテキストはまるでクリシュナムルティを語っているかのようである。人類は2000年周期で行き詰まり、その度にブッダと称される人物が登場するのだろう。人類は果たして生き方を変えることができるだろうか? あるいは同じ運命を繰り返しながら、やがては滅んでゆくのだろうか? その答えは私の胸の中にある。