・『日本を思ふ』福田恆存
・『いちばんよくわかる!憲法第9条』西修
・『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温
・『だから、改憲するべきである』岩田温
・『日本人のための憲法原論』小室直樹
・『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八
・国民の国防意志が国家の安全を左右する
・外交レトリックを誤った大日本帝国
・五箇条の御誓文
・日本の近代史を学ぶ
・必読書リスト その四
五箇条の御誓文
一 廣(ひろ)ク會議ヲ興(おこ)シ萬機(ばんき)公論(こうろん)ニ決スヘシ
一 上下(しょうか)心ヲ一(いつ)ニシテ盛(さかん)ニ經綸(けいりん)ヲ行フヘシ
一 官武(かんぶ)一途(いっと)庶民ニ至ル迄各(おのおの)其(その)志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦(う)マサラシメン事ヲ要ス
一 舊來(きゅうらい)ノ陋習(ろうしゅう)ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
我國未曾有ノ變革(へんかく)ヲ爲(なさ)ントシ 朕(ちん)躬(み)ヲ以テ衆ニ先ンシ天地神明ニ誓ヒ大ニ斯(この)國是ヲ定メ萬民保全ノ道ヲ立(たて)ントス衆亦(また)此(この)趣旨ニ基キ協心努力セヨ
【『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉(草思社、2013年/草思社文庫、2014年)】
「五箇條の御誓文」意訳(口語文)
一、 広く人材を集めて会議を開き議論を行い、大切なことはすべて公正な意見によって決めましょう。
一、 身分の上下を問わず、心を一つにして積極的に国を治め整えましょう。
一、 文官や武官はいうまでもなく一般の国民も、それぞれ自分の職責を果たし、各自の志すところを達成できるように、人々に希望を失わせないことが肝要です。
一、 これまでの悪い習慣をすてて、何ごとも普遍的な道理に基づいて行いましょう。
一、 知識を世界に求めて天皇を中心とするうるわしい国柄や伝統を大切にして、大いに国を発展させましょう。
これより、わが国は未だかつてない大変革を行おうとするにあたり、私はみずから天地の神々や祖先に誓い、重大な決意のもとに国政に関するこの基本方針を定め、国民の生活を安定させる大道を確立しようとしているところです。皆さんもこの趣旨に基づいて心を合わせて努力して下さい。
【五箇條の御誓文|明治神宮】
政権の奉還が成り、王政復古を宣言された明治天皇は、理屈の上からは、専制君主となって独裁政治を行うこともできたはずだ。「朕は国家なり」と称したフランスのルイ14世のように…。
しかし、明治天皇はそんなことを望まれなかった。ここで誓われた言葉は「広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スベシ」であった。日本は、独裁国家ではなく、立憲君主国家としての道を歩むことを宣言したのである。私はこの言葉が好きだ。
【五箇条の御誓文】
万機とは「政治上の重要な多くの事柄。天下の政治」である(バンキ | 言葉 | 漢字ペディア)。明治大帝は一君万民の伝統を踏まえた上で民主の精神を国民に打ち込んだ。
戦後、昭和21年(1946年)1月1日の昭和天皇の、いわゆる人間宣言において御誓文の全文が引用されている。昭和天皇は幣原喜重郎首相が作成した草案を初めて見た際に、「これで結構だが、これまでも皇室が決して独裁的なものでなかったことを示すために、明治天皇の五箇条の御誓文を加えることはできないだろうか」と述べ、GHQの許可を得て急遽加えられることになった。天皇は後に、
それが実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした。(中略)民主主義を採用したのは明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。そうして五箇条御誓文を発して、それが基となって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入物ではないということを示す必要が大いにあったと思います。
— 昭和52年(1977年)8月23日記者会見
【Wikipedia】
三島由紀夫はこの大御心(おおみごころ)を見落とした。彼は人間宣言を許さなかった。「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」と嘆じた(『英霊の聲』1966年)。
近代日本の政治は万機を「密室の談合」で決してきた。五箇条の御誓文を破ったのは政治家であり、彼らを選んだ国民であった。憲法は五箇条の御誓文でよい。信教の自由、言論の自由、結社の自由などはイギリス式の不文憲法で構わない。