・『狗賓童子(ぐひんどうじ)の島』飯嶋和一
・大塩平八郎の檄文
・『決定版 三島由紀夫全集 36 評論11』三島由紀夫
檄文
(袋上書)天の生んだ民である村々の 小百姓のものまでに告ぐ
「天下の人民が刻苦窮迫すると、天の愛も絶滅終熄するであろう」「小人に国家を治めさせたならば、災害は相次ぎ到来するであろう」と昔の聖人は、深く天下後世の民の君となり、臣となるものを誡めおかれたので、東照神君(徳川家康)も、寄るべない人にこそ、最も憐れみを加えるのが仁政の基だと仰せおかれた。にもかかわらず、この二百四、五十年の太平の間に、しだいに上に立つものは驕りをきわめ、大切な政治にたずさわる諸役人どもは、賄賂をおおっぴらに贈貰(ぞうせい)している。奥向女中の手づるにより、道徳仁義もない卑劣なものでも立身して重要な役に登り、自分一家を肥やすことのみに智術をめぐらし、その領分の民百姓へ過分の御用金を課している。従来、過重の年貢、諸役に困苦する上に、このような無理無法を申し渡され、民百姓はつぎつぎに出費がかさみ、天下の民は困苦窮迫するようになった。このため、江戸表より一国中すべて、民は上を怨まぬものはないようになってきた。にもかかわらず、天子は足利氏以来、御隠居同様(政治にあずかられず)賞罰の権を失われたので、人民の怨みはどこへ告げ愬えるに訴えるところのないようになってしまっている。ついに、人びとの怨みが天に達し、年々の地震火災により、山も崩れ水もあふれるなど、種々さまざまの天災が打ちつづき、ために五穀実らず飢饉と相成った。これらはみな、天が深く誡められる有難いお告げであるのに、上に立つ人はいっこうに気付かず、なおも小人、奸者らが大事な政治をとり行い、ただ下を悩まし、金、米を取りたてる手段ばかりに奔走している。
【『日本の名著27 大塩中斎』責任編集宮城公子〈みやぎ・きみこ〉(中央公論社、1978年https://amzn.to/3zCPaXc/中公バックス、1984年)以下同】
「檄」(げき)は「激」ではない。本来は「木札に記された文書」のこと。檄文とは「自らの主張を綴った文書」で、同意を求め行動を促すことを目的としている。「檄を飛ばす」とは急いで決起を促すこと。
大塩平八郎は与力であった。現代であれば警察署長、地方裁判官、市長を兼務したような官職か。大塩平八郎の乱(1837年)は、社会の実情を知悉(ちしつ)し、国政(当時は藩=国)トップの無責任・無能を知る中間官僚が起こした叛乱である。
加えて、三都の内、大阪の金持などは年来、大名貸の利息、扶持米などを莫大に掠(かす)め取り、いまだかつてないような裕福な暮し振りで、町人の身分でありながら、大名の家老、用人格の扱いをうけている。また自分の田畑、新田を夥しく所持し、何不足なく暮し、昨今の天災、天罰を見ながら、畏れもせず、餓死する貧乏人、乞食を救おうともしない。自身は膏梁の味だと美食をし、妾宅へ入りこみ、あるいは揚屋茶屋へ大名の家来を誘い、高価な酒を湯水同然に呑み、この難渋の時節に絹服をまとった役者を妓女とともに迎えて、平生同様に遊楽に耽るのは、いったい、どういうことか。紂王の長夜の酒盛も同様だ。そのところの奉行諸役人は、手にした権力でもってこれらのものを取り締り、人民を救うこともできず、日々堂島の米相場ばかりをいじくっている。まったく禄盗人で、決して天道聖人の心に叶わず、ご容赦のないことだ。蟄居の私も、もはや我慢ならず、湯王、武王の権勢、孔子、孟子の道徳はないけれど、致し方なく、天下のためと思い、血族への禍をもあえて犯し、この度有志のものと申し合わせた。
つまり、民を悩まし苦しめる諸役人を、まず誅伐し、引き続いて驕っている大阪市中の金持町人どもを誅戮する。そして彼らが穴蔵に蓄えている金・銀・錫、およびその蔵屋敷に隠匿している俵米などを、それぞれ配分する。よって、摂津、河内、和泉、播磨の諸国のうち、田畑をもたぬもの、あるいはもっていても父母妻子らを養えぬほど困窮しているものへ、これらの米金を取らせるので、いつでも大阪市中に騒動が起こったと聞き伝えたら、里数をいとわず一刻も早く大阪へ向って馳せ参じるよう。銘々へ右の米金を分けよう。(紂王の)金・粟 を民に与えた遺意にならい、さしあたりの飢饉、難儀を救おう。もしまた、その内に人物、才能の優れたものは、それぞれ取り立てて無道の者を征伐する軍役にもつかおう。
これは決して一揆蜂起の企てと同じでない。(われわれは)追々年貢諸役までを軽減し、すべて中興の神武天皇の政治のとおり、心豊かな取扱いをし、年来の驕奢、隠逸の風俗をすっかり改めて、本来の質素に立ち返り、天下の人々がいつまでも天の恩を有難く思い、父母妻子を養う事ができ、生きながらの地獄を救い、死後の極楽を眼前に展開し、堯・舜・天照皇大神の時代を再現できないにしても、中興の(神武帝)政治の姿には立ち返らせようと思うのだ。
いつの時代も叛乱の原因は貧困である。五・一五事件、二・二六事件も東北の貧困が背景にあった。現在であれば失業率がその指標となる。
多くの庶民が塗炭の苦しみに喘ぐと、必ず誰かが立ち上がって叛乱を起こす。これがヒトという種に埋め込まれたコミュニティ戦略なのだろう。最低基準としての平等が破壊されるとコミュニティは成り立たない。
・チンパンジーの利益分配/『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
・他者の苦痛に対するラットの情動的反応/『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール
理窟や政治力学ではない。ヒトの本能がそうさせるのだ。困っている人を見れば放っておかないのが惻隠の情である。
天命を報じて天誅を致す。
天保八酉年月日
摂津・河内・和泉・播磨村々
庄屋年寄百姓、ならびに小百姓共へ
もしも自分の周囲の人々の半分が生活に困窮するようなことがあれば、男子たるものいつでも立ち上がる用意をしておくべきだ。檄文の準備も怠り無く。その時はもちろんネットも駆使する。「座して死を待つよりは、出て活路を見出さん」(諸葛孔明)との言葉を銘記せよ。