2022-01-10

大塩平八郎の檄文/『日本の名著27 大塩中斎』責任編集宮城公子


『狗賓童子(ぐひんどうじ)の島』飯嶋和一

 ・大塩平八郎の檄文

『決定版 三島由紀夫全集 36 評論11』三島由紀夫

檄文

(袋上書)天の生んだ民である村々の         小百姓のものまでに告ぐ

「天下の人民が刻苦窮迫すると、天の愛も絶滅終熄するであろう」「小人に国家を治めさせたならば、災害は相次ぎ到来するであろう」と昔の聖人は、深く天下後世の民の君となり、臣となるものを誡めおかれたので、東照神君(徳川家康)も、寄るべない人にこそ、最も憐れみを加えるのが仁政の基だと仰せおかれた。にもかかわらず、この二百四、五十年の太平の間に、しだいに上に立つものは驕りをきわめ、大切な政治にたずさわる諸役人どもは、賄賂をおおっぴらに贈貰(ぞうせい)している。奥向女中の手づるにより、道徳仁義もない卑劣なものでも立身して重要な役に登り、自分一家を肥やすことのみに智術をめぐらし、その領分の民百姓へ過分の御用金を課している。従来、過重の年貢、諸役に困苦する上に、このような無理無法を申し渡され、民百姓はつぎつぎに出費がかさみ、天下の民は困苦窮迫するようになった。このため、江戸表より一国中すべて、民は上を怨まぬものはないようになってきた。にもかかわらず、天子は足利氏以来、御隠居同様(政治にあずかられず)賞罰の権を失われたので、人民の怨みはどこへ告げ愬えるに訴えるところのないようになってしまっている。ついに、人びとの怨みが天に達し、年々の地震火災により、山も崩れ水もあふれるなど、種々さまざまの天災が打ちつづき、ために五穀実らず飢饉と相成った。これらはみな、天が深く誡められる有難いお告げであるのに、上に立つ人はいっこうに気付かず、なおも小人、奸者らが大事な政治をとり行い、ただ下を悩まし、金、米を取りたてる手段ばかりに奔走している。

【『日本の名著27 大塩中斎』責任編集宮城公子〈みやぎ・きみこ〉(中央公論社、1978年https://amzn.to/3zCPaXc/中公バックス、1984年)以下同】

「檄」(げき)は「激」ではない。本来は「木札に記された文書」のこと。檄文とは「自らの主張を綴った文書」で、同意を求め行動を促すことを目的としている。「檄を飛ばす」とは急いで決起を促すこと。

 大塩平八郎は与力であった。現代であれば警察署長、地方裁判官、市長を兼務したような官職か。大塩平八郎の乱(1837年)は、社会の実情を知悉(ちしつ)し、国政(当時は藩=国)トップの無責任・無能を知る中間官僚が起こした叛乱である。

 加えて、三都の内、大阪の金持などは年来、大名貸の利息、扶持米などを莫大に掠(かす)め取り、いまだかつてないような裕福な暮し振りで、町人の身分でありながら、大名の家老、用人格の扱いをうけている。また自分の田畑、新田を夥しく所持し、何不足なく暮し、昨今の天災、天罰を見ながら、畏れもせず、餓死する貧乏人、乞食を救おうともしない。自身は膏梁の味だと美食をし、妾宅へ入りこみ、あるいは揚屋茶屋へ大名の家来を誘い、高価な酒を湯水同然に呑み、この難渋の時節に絹服をまとった役者を妓女とともに迎えて、平生同様に遊楽に耽るのは、いったい、どういうことか。紂王の長夜の酒盛も同様だ。そのところの奉行諸役人は、手にした権力でもってこれらのものを取り締り、人民を救うこともできず、日々堂島の米相場ばかりをいじくっている。まったく禄盗人で、決して天道聖人の心に叶わず、ご容赦のないことだ。蟄居の私も、もはや我慢ならず、湯王、武王の権勢、孔子、孟子の道徳はないけれど、致し方なく、天下のためと思い、血族への禍をもあえて犯し、この度有志のものと申し合わせた。
 つまり、民を悩まし苦しめる諸役人を、まず誅伐し、引き続いて驕っている大阪市中の金持町人どもを誅戮する。そして彼らが穴蔵に蓄えている金・銀・錫、およびその蔵屋敷に隠匿している俵米などを、それぞれ配分する。よって、摂津、河内、和泉、播磨の諸国のうち、田畑をもたぬもの、あるいはもっていても父母妻子らを養えぬほど困窮しているものへ、これらの米金を取らせるので、いつでも大阪市中に騒動が起こったと聞き伝えたら、里数をいとわず一刻も早く大阪へ向って馳せ参じるよう。銘々へ右の米金を分けよう。(紂王の)金・粟 を民に与えた遺意にならい、さしあたりの飢饉、難儀を救おう。もしまた、その内に人物、才能の優れたものは、それぞれ取り立てて無道の者を征伐する軍役にもつかおう。
 これは決して一揆蜂起の企てと同じでない。(われわれは)追々年貢諸役までを軽減し、すべて中興の神武天皇の政治のとおり、心豊かな取扱いをし、年来の驕奢、隠逸の風俗をすっかり改めて、本来の質素に立ち返り、天下の人々がいつまでも天の恩を有難く思い、父母妻子を養う事ができ、生きながらの地獄を救い、死後の極楽を眼前に展開し、堯・舜・天照皇大神の時代を再現できないにしても、中興の(神武帝)政治の姿には立ち返らせようと思うのだ。

 いつの時代も叛乱の原因は貧困である。五・一五事件二・二六事件も東北の貧困が背景にあった。現在であれば失業率がその指標となる。

 多くの庶民が塗炭の苦しみに喘ぐと、必ず誰かが立ち上がって叛乱を起こす。これがヒトという種に埋め込まれたコミュニティ戦略なのだろう。最低基準としての平等が破壊されるとコミュニティは成り立たない。

チンパンジーの利益分配/『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
他者の苦痛に対するラットの情動的反応/『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール

 理窟や政治力学ではない。ヒトの本能がそうさせるのだ。困っている人を見れば放っておかないのが惻隠の情である。

  天命を報じて天誅を致す。
 天保八酉年月日
  摂津・河内・和泉・播磨村々
   庄屋年寄百姓、ならびに小百姓共へ

 もしも自分の周囲の人々の半分が生活に困窮するようなことがあれば、男子たるものいつでも立ち上がる用意をしておくべきだ。檄文の準備も怠り無く。その時はもちろんネットも駆使する。「座して死を待つよりは、出て活路を見出さん」(諸葛孔明)との言葉を銘記せよ。

技と術/『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー、『言語表現法講義』加藤典洋


『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために』岸見一郎
『手にとるようにNLPがわかる本』加藤聖龍

 ・技と術

 西暦1700年か、あるいはさらに遅くまで、イギリスにはクラフト(技能)という言葉がなく、ミステリー(秘伝)なる言葉を使っていた。技能をもつ者はその秘密の保持を義務づけられ、技能は徒弟にならなければ手に入らなかった。手本によって示されるだけだった。

【『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー:上田惇生〈うえだ・あつお〉編訳(ダイヤモンド社、2000年)】

 既に何度も紹介してきたテキストである。個人的には「ミステリー=密教」と読めた。科学は顕教(けんぎょう)である。顕教であるがゆえに訂正され、多くの人々に受け継がれ、そして発展してゆく。一子相伝の秘技は途絶える可能性が高い。

 学、論、法、と来て、さらにいっそう頭より手の方の比重が大きくなると、何になるか、というと、これが術、なんです。術、というのは、アートです。芸術もアート、でも芸術は昔はファイン・アートとファインがついて、美術でした。アートは、技術。フランス語でアルチザンといえば、職人さん。これは、手の比重の方が頭より大きい。そのことで少し頭を楽にしてあげる領域です。

【『言語表現法講義』加藤典洋〈かとう・のりひろ〉(岩波書店、1996年)】

 忘れ得ぬテキストである。ちょうどクリシュナムルティを読んでいた影響もあった。クリシュナムルティが使う術という言葉には確かにアートの意味が込められていた。

 仏教の経論釈広略要とも似通っている。たぶん密教が目指したのは術であったのだろうが、術が目的化したところに形骸化した葬式仏教の原因があったように思われる。マンダラ・マントラ・手印などは瞑想から離れる行為だ。悟りよりも修行を重んじるのは本末転倒だろう。

 現代社会において技と術はスポーツや芸術の専売特許になってしまった感がある。生活や人生における技と術の意味を考える必要があろう。

 

術と法の違い/『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光

2022-01-08

読むに耐えない翻訳/『青い眼がほしい』トニ・モリスン


 尼僧たちは情欲のように静かに通りすぎ、醒めた眼をした酔っぱらいが、グリーク・ホテルのロビーで歌っている。

【『青い眼がほしい』トニ・モリスン:大社淑子〈おおこそ・よしこ〉訳(早川書房、1994年/ハヤカワepi文庫、2001年)】

「情欲のように静かに」で挫ける。多分、女性の感覚なのだろう。男の場合は炎のようにパッと燃え上がる。たったそれだけのことではあるが、翻訳センスが表れている。読むに耐えない。

のたうち回るような衝撃/『イノセント・デイズ』早見和真


 ・のたうち回るような衝撃

『ぼくんちの宗教戦争!』早見和真

ミステリ&SF

 幸乃の呼吸の音だけが耳を打つ時間は、数分にわたり続いた。6年かの拘置所生活ではじめて見せる彼女の抗おうとする姿に、周りを取り囲んだ者たちは息をのんで見守るしかなかった。それは私が望み続けていた光景に近かった。ただ、彼女が立ち向かおうとするものだけが、望んだものと違っていた。

【『イノセント・デイズ』早見和真〈はやみ・かずまさ〉(新潮社、2014年/新潮文庫、2017年)】

2021年に読んだ本ランキング」に入れるのを忘れていた。衝撃の度合いでは高村薫著『レディ・ジョーカー』を超える。死刑囚・田中幸乃と彼女を取り巻く人々の短篇連作集である。異なる人生が事件を巡って交錯する。それぞれの思いが擦れ違い、欲望が絡み合う。

 私にとっては女子高生のいじめが目を背けたくなるような代物だった。「旭川女子中学生いじめ凍死事件」(2021年)を思えば、さほど珍しいことでもないのだろう。もしも私が被害者なら間違いなく相手を殺す。迷うことなく。自分の力が弱ければ不意打ちをすればいい。人間の知性はそのように使うべきなのだ。「いじめを行った者は必ず殺される」という事実が常識となれば、いじめはこの世からなくなることだろう。

 どこにも救いのない物語である。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』へのオマージュ作品だとすれば、見事に成功している。のたうち回るような衝撃である。

2022-01-07

羽生世代の真実/『まわり将棋は技術だ 先崎学の浮いたり沈んだり2』先崎学


『真剣師 小池重明 “新宿の殺し屋"と呼ばれた将棋ギャンブラーの生涯』団鬼六
『将棋の子』大崎善生
『傑作将棋アンソロジー 棋士という人生』大崎善生編
『聖(さとし)の青春』大崎善生
『一葉の写真』先崎学
『フフフの歩』先崎学
『先崎学の浮いたり沈んだり』先崎学

 ・羽生世代の真実

・『山手線内回りのゲリラ 先崎学の浮いたり沈んだり』先崎学
・『証言 羽生世代』大川慎太郎

 はっきり書くが、私は四段になった時、嬉しさはほとんどなかった。一所懸命に勉強を続けていれば、必ず通過できるステップに過ぎないと考えていた。むしろ、佐藤、森内に先に昇段されていた口惜しさで一杯だった。
 他人のことだから分らないが、おそらく私以外の奴も同じだったろう。郷田はちょっと苦労したから違うかもしれないが、他の4人(※羽生、森内、佐藤、先崎)にとって、四段というのは登らなければいけない岩場の中のちょっとした難所ぐらいにしか思っていなかった。
 かといって名人が目標だったわけではない。7冠王でもない。金でも地位でもない。世俗的なものではなかったのである。
 こいつらだけには負けたくない。それが若きころの我々のすべてだった。もっといえば、こいつらにさえ勝てれば日本一になれるという気持もあったかもしれない。
 それだけ認めた相手だから、打ち負かすためには自分を磨くしかない。生半可な付け焼き刃ではない、しっかりとした地力をつける必要があった。互いに強烈に意識しあい、そして自らを高めあったことで今の私たちがあるのである。
 ひとつそこで問題なのは、まわりから見ると今の我々は仲が良さそうに見えることである。だからこの記者の方のような感覚を持つ人がいるのかもしれない。だが決して我々は親友というわけではないのである。

【『まわり将棋は技術だ 先崎学の浮いたり沈んだり2』先崎学〈せんざき・まなぶ〉(文藝春秋、2003年)以下同】

 普段は面白おかしい文章を書く先崎が本気の反論を認(したた)めている。彼を怒らせたのは将棋専門誌の記事だった。ジャーナリストという人種は所詮外野である。プレイヤーの苦闘よりも、わかりやすい戦績や順位に興味が向く。特に顕著なのはスポーツ紙で、アスリートに巣食う寄生虫が時に選手生命を左右することもある。例えば大リーグ移籍を発表した際の野茂バッシングなど。ダニはダニらしく鳴かずに寄生していればいいのだ。

 上記テキストは『週刊文春』の翌週号に続く。

 羽生、森内、佐藤、そして不肖先崎。我々は勝負の世界のトップを争う人間としては仲が良い。すくなくとも互いに嫌悪感はない。
 このことを考える時は、まず皆さんが将棋(あるいは他のゲーム)において最高の友人とはどのような人間かということを考えて頂きたい。
 答えは単純。気持よく将棋が指せることと、自分が負かした時にいかに気持いいか、あるいはいかに相手が口惜しがってくれるかということだ。
 これが最高の棋友の条件である。他は、地位も私生活も関係がない。これだけあればよい。それがゲームを通じた友人のよいところなのだ。
 まず我々は、奨励会のころ、あるいはもっと前から、お互いのことを完全に認めあった。前回書いたように、こいつらを負かすことが常に目標であり続け、それを果たせば日本一になれると思って修業して来たのである。
 だから、我々の関係というのは、あくまでも棋友である。そして最高の棋友である。将棋の盤上以外で何を考えようが、何をしようが、どうでもよい。そういう付き合いを心がけてきた。仲が良く見えるとしたら、そういう部分に綺麗なこころがあるからだろう。

 傍(はた)から眺めているだけではわからぬ世界があるのだ。想像力や惻隠の情が働かなくなれば合理で割り切る不毛な砂の世界が現れるだろう。

 思春期の、男として一番悶々とする遊びたい盛りに、我々は将棋を勉強し続けた。それもこれも互いに負けたくない一心があったからだ。
 競争世界に殉じる。それが我々の青春だった。
 もちろん楽しいことばかりではない。せつない気持になる時もあった。だが分ってくれる人は皮肉なことにライバルしかいなかった。よく皆で遊んだ。仲も良かった。旅行も行った。
 将棋というのは良い相手がいないと良い棋譜もできないし、充実した時間を過ごせない。そういう理屈を子供のころから持つことができたのは、信じられないくらいにそれぞれにとって幸運なことだったろう。

 何かに打ち込むことは別の何かを犠牲にすることでもある。厳しい世界であるほど犠牲にするものは大きい。少年時代から親元を離れることは修行に等しい。最高峰に吹く強靭な風や身を苛(さいな)むような寒さは、そこへ辿り着いた者にしかわからない。しかもエベレスト同様、死屍累々の世界なのだ。

 得た何かと失った何かを天秤(てんびん)にかけるのは凡人の習いである。迷いなく己(おの)が道を選ぶのが一流の証拠なのだ。