2012-04-12

「イランの原爆」の実体 新世界秩序への最後の挑戦





 仏作家アラン・ソラル。グロ-バル主義帝国の宗教とも言える「ホロコースト」(ガス室を用いたユダヤ人殲滅)の歴史見直しを主張するアフマディネジャド大統領はユダヤロビ­ーから第二のヒトラーと呼ばれイスラエルの脅威と見なされる。帝国の中心地イスラエルの存在理由を与えるショアーの現実について世界で初めて疑問を呈した国家イランはグ­ローバル主義世界統治計画者にとって邪魔な存在であり、かつてのヒトラーと同様の運命を辿る可能性がある。

2012-04-10

手の表情


Untitled


 手を拱(こまね)いているのではない。酷使に耐えてきた手を少し休めているだけだ。それにしても神々(こうごう)しいまでの穏やかさを湛(たた)えている。彼はホームレスだ。

◎美しき合掌
◎M・C・エッシャー「描く手」

「薄紫」SION


 知っている曲のはずだった。苦く、せつない歌詞に今初めて耳を傾ける。



俺の声/SION 月明かりの下で [DVD]

SION
原田芳雄「only my song」

2012-04-09

原発は明治政府が朝敵(天皇の敵)とした地域に立てられている

「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた/『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹


『青い空』海老沢泰久

 ・キリスト教の「愛(アガペー)」と仏教の「空(くう)」
 ・「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた
 ・宗教には啓典宗教とそれ以外の宗教がある

『イエス』ルドルフ・カール・ブルトマン
『世界史の新常識』文藝春秋編
『日本人のためのイスラム原論』小室直樹
目指せ“明るい教祖ライフ”!/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世

キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?
必読書リスト その五

「歴史は勝者によって書かれる」と陳舜臣〈ちん・しゅんしん〉は喝破した(『中国五千年』1989年)。蓋(けだ)し名言である。

 中世までは文明においても学問においてもアラブ世界がリードをしていた。

 歴史をさかのぼってみよう。まず十字軍(1096-1272年)によって西洋の暴力性は噴出した。

 セルジューク朝の圧迫に苦しんだ東ローマ帝国皇帝アレクシオス1世コムネノスの依頼により、1095年にローマ教皇ウルバヌス2世がキリスト教徒に対し、イスラム教徒に対する軍事行動を呼びかけ、参加者には免償(罪の償いの免除)が与えられると宣言した。この呼びかけにこたえた騎士たちは途上、イスラム教徒支配下の都市を攻略し虐殺、レイプ、略奪を行いながらエルサレムを目指した。(第1回十字軍)

Wikipedia

 彼らは神からの免罪を勝ち取るために、別の罪を犯しながら進軍したのだ。この病根は今もなお西洋を支配している。根っこにあるのは「神という被害妄想」であろう。

 ところが十字軍は9回に渡って遠征が繰り返されているが、明らかな勝利を収めたのは第1回だけであった。ざまあみやがれってえんだ。

 当時、アジアからは大モンゴル帝国の蹄(ひづめ)が高らかに鳴り響いていた。圧倒的な武力を誇るモンゴルはヨーロッパ世界にまで辿りつく。(Wikipediaのgif画像を参照せよ)

 西洋は八方塞(ふさ)がりであった。これを打開したのが大航海時代(15-17世紀)である。以下に三つのテキストを紹介する。

 しかも、毎年毎年同水準の生活や産業を維持してゆくだけなら、同じ規模の土地を「エンクロージャー(囲いこみ)」して守っていけばいいが、その水準をあげてゆくためには、土地の規模を拡大していかなければならない。かくして、北フランスやイギリスなどの石の風土に成立した牧畜業は、不断に新しい土地(テリトリー)を外に拡大する動きを生む。これが、いわゆるフロンティア運動を生み、アメリカやアフリカやアジアでの植民地獲得競争(テリトリー・ゲーム)を激化させるのである。
 つまり、西欧に成立し、ひいてはアメリカにおいて加速されるフロンティア・スピリットは、本来、牧畜を主産業とするヨーロッパ近代文明の本質を「外に進出する力」としたわけである。これは、ヨーロッパ文明に先立つ、15~16世紀のスペイン、ポルトガルが主導したキリスト教文明、いわゆる大航海時代の外への進出と若干その本質を異にする。
 いわゆる大航海時代の外への進出は、17世紀からのイギリスやオランダやフランスが主導した、国民国家(ネーション・ステイト)によるテリトリー・ゲームとは若干違う。大航海時代というのは、キリスト教文明の拡大、つまり各国の国王が王朝の富を拡大するとともに、その富を神に献ずる、つまり「富を天国に積む」ことを企てるものであった。

【『砂の文明・石の文明・泥の文明』松本健一(PHP新書、2003年)】



 ベルは、近代の終焉についても述べている。彼によると、近代の特徴は「超越(beyound)」にある。しかし、ポスト・モダーンは「限度(limit)」である。確かに、近代がルネサンス、宗教改革、大航海時代から始まるとすると、その特徴は「超越すること」にあった。近代の原理は「無限への衝動」であり、「ファウスト的衝動」とも呼ばれる「もっと、もっと」の精神によって営まれてきたのである。言い換えれば、「無制限の無条件の顧みるところなき」衝動によって駆動されてきたのが、近代の特徴であった。(訳者解説)

【『二十世紀文化の散歩道』ダニエル・ベル:正慶孝〈しょうけい・たかし〉訳(ダイヤモンド社、1990年)】



 モンゴル帝国の弱点は、それが大陸帝国であることにあった。陸上輸送のコストは、水上輸送に比べてはるかに大きく、その差は遠距離になればなるほど大きくなる。その点、海洋帝国は、港を要所要所に確保するだけで、陸軍に比べて小さな海軍力で航路の制海権を維持し、大量の物資を低いコストで短時間に輸送して、貿易を営んで大きな利益を上げることが出来る。これがモンゴル帝国の外側に残った諸国によって、いわゆる大航海時代が始まる原因であった。

【『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘(ちくまライブラリー、1992年/ちくま文庫、1998年)】

 すなわち陸路を阻まれた西洋世界は行き場を失った格好で海へ飛び出したわけだ。船を出すからには金がかかる。また航海で命を失うリスクもある。一方、新天地に辿りつけば香辛料などを獲得できる可能性がある。こうした利益とリスクをバランスすることで共同資本という概念が生まれた。ここに株式会社の起源がある。

資本主義経済の最初の担い手は投機家だった/『投機学入門 市場経済の「偶然」と「必然」を計算する』山崎和邦

 ヨーロッパ人は新天地で何を行ったのか?

 15世紀から17世紀後半にかけての大航海時代、コロンブス(イタリアの航海者。1451頃~1506)やマゼラン(ポルトガルの探検家。1480頃~1521)が未知の国へ向けて航海した。そこで新大陸に上陸した彼らは一体何をしたか。
 正解は、罪もない現地人の鏖(みなごろし)! 大虐殺である。別に住民たちがこぞってこの侵入者たちを襲ったわけでもないのに。何と酷いことをするのだ、と怒ってみても詮(せん)はない。侵入者たちのほうからすれば、キリスト教の教義(おしえ)に従って異教徒を殺したまでなので、後ろめたさなどあろうはずもないのだ。

【『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹(徳間書店、2000年)以下同】

 彼らは貴重な食料や資源の獲得とともに、キリスト教を宣教することを目的としていた。思想的侵略といってよい。神の僕(しもべ)は神の代理人でもあった。

 小室直樹はヨーロッパ人の暴力性を一文で解き明かす。

 その答えは『旧約聖書』の「ヨシュア記」を読むとわかる。(中略)
「ヨシュア記」にこそ〈宗教の秘密〉は隠されているのだ。
 神はイスラエルの民にカナンの地を約束した。ところが、イスラエルの民がしばらくエジプトにいるうちに、カナンの地は異民族に占領されていた。そこで、「主(神)はせっかく地を約束してくださいましたけれども、そこには異民族がおります」といった。すると神はどう答えたか。「異民族は皆殺しにせよ」と、こういったのだ。
 神の命令は絶対である。絶対に正しい。
 となれば、異民族は鏖(みなごろし)にしなくてはならない。殺し残したら、それは神の命令に背いたことになる。それは罪だ。
 したがって、「ヨシュア記」を読むと、大人も子供も、女も男も、一人残さず殺したという件(くだり)がやたらと出てくる。(中略)
 異教徒の虐殺に次ぐ大虐殺、それは神の命令なのである。

 長らく抱えてきた西洋世界への疑問が氷解した。モンゴルと中東からの圧力から解放されたヨーロッパ人は、アメリカでインディアンを虐殺し、国内では魔女狩りを行っていた。

侵略者コロンブスの悪意/『わが魂を聖地に埋めよ アメリカ・インディアン闘争史』ディー・ブラウン
「コロンブスの新大陸発見は先住民虐殺の始まり」、チリ先住民が抗議デモ
魔女は生木でゆっくりと焼かれた/『魔女狩り』森島恒雄
「欧米人が仕掛ける罠」武田邦彦、高山正之

 更に小室は驚くべき指摘をする。

「隣人にかぎりなき奉仕をする人」が、同時に大虐殺を行っても矛盾ではない。両方とも神の命令であるからである。

 つまりヨーロッパ人が虐殺と慈善活動を同時に行うことには合理性があるのだ。「理」とは東洋の道理とは異なり、この世界を創造した神の摂理を意味する。

 信仰とはただ神を仰いで神の言葉に従うことだ。厳密にいえば仏教の信心とは異なる。まず西洋と東洋の言葉の溝を理解することが重要だ。それゆえ西洋世界の信仰とは教条主義(ドグマティズム)となる。

 日本語の「絶対」は副詞として使われることが多く、「どうしても、なにがなんでも、必ず、決して」(Weblio 辞書)との意味合いである。だが西洋の絶対は違う。絶対とは動かし得ない座標軸である神を意味するのだ。

 であるからして天動説が地動説にとって変わろうとも、神だけは不動の位置を占めている――などと説明を試みる私の文章もまだまだ甘い。「神が絶対」なのではなく「絶対とは神のこと」なのだ。

 神という絶対の前に自分が存在する。これが「個人」である。「個人」とは翻訳語であって明治以前の日本に「個人」という概念は存在しなかったと考えてよい。柳父章〈やなぶ・あきら〉は「個人ではなく身分としての存在」であったと指摘している。

 そして神という絶対性に対置するところに自我が立ち現れるのだ。キリスト教の自我と仏教の我も異なる。自我は存在性で、我は当体・主体を意味する。自己実現病に取りつかれている人々が増えているのは、キリスト教文明による害毒であると思えてならない。

 絶対の前では自我が揺らぐ。自我は絶対ではないからだ。それゆえ確実な存在性を示すためにデカルトは考え続けた――「我思う、ゆえに我あり」。あいつが思っていたのは神様のことだ。生きている間の存在証明はできたとしても、死を前にしては無力な哲学だ。やつらの死後は神に祝福されることが約束されているから、死と取り組む必要もなかったのだろう。

 神という絶対性が人間を言葉の奴隷にした。そしてヨーロッパ人は殺戮(さつりく)の限りを尽くした。一方ブッダは存在=我を打ち破り、諸法無我と悟った。時間軸においては諸行無常である。これが「空」(くう)の思想だ。神は点であるが、空はあらゆる次元へと広がっている。

川はどこにあるのか?

 世界を平和にするためには神に死んでもらう他ない。本気でそう思う。



虐殺者コロンブス/『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編
エンリケ航海王子
ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
戦争まみれのヨーロッパ史/『戦争と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト
ポルトガル人の奴隷売買に激怒した豊臣秀吉/『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温

2012-04-06

「Money As Debt」(負債としてのお金)


「腐敗した銀行制度」カナダ12歳の少女による講演
30分で判る 経済の仕組み

 ・「Money As Debt」(負債としてのお金)

武田邦彦『現代のコペルニクス』 日本の重大問題(2)国の借金
『サヨナラ!操作された「お金と民主主義」 なるほど!「マネーの構造」がよーく分かった』天野統康
『マネーの正体 金融資産を守るためにわれわれが知っておくべきこと』吉田繁治
『〈借金人間〉製造工場 “負債"の政治経済学』マウリツィオ・ラッツァラート


 直訳すれば「負債としてのマネー」。お金ができる仕組み。銀行の詐欺システム。

学校の先生が絶対に教えてくれないゴールドスミス物語
信用創造のカラクリ
ある中学校のクラスでシャーペンの芯が通貨になった話
『モノポリー・マン 連邦準備銀行の手口』
『アメリカ:自由からファシズムへ』アーロン・ルッソ監督
モンサント社が開発するターミネーター技術]/『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子
ネイサン・ロスチャイルドの逆売りとワーテルローの戦い/『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』宋鴻兵

2012-04-05

キリスト教の「愛(アガペー)」と仏教の「空(くう)」/『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹


『青い空』海老沢泰久

 ・キリスト教の「愛(アガペー)」と仏教の「空(くう)」
 ・「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた
 ・宗教には啓典宗教とそれ以外の宗教がある

『イエス』ルドルフ・カール・ブルトマン
『世界史の新常識』文藝春秋編
『日本人のためのイスラム原論』小室直樹
目指せ“明るい教祖ライフ”!/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世

キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?
必読書リスト その五

 キリスト教の「愛(アガペー)」は、真(まこと)に驚くべき教義である。それは、何千年ものイスラエルの宗教がのぼりつめた「苦難の僕(しもべ)」の教説から発生した。そして、全世界を包み込むほどのエクスタシーを発散し、資本主義デモクラシー近代法を生んだ。
 仏教の「(くう)」は、人類が到達した最深、最高の哲理であろう。それは、形式論理学記号論理学をも超越している論理を駆使していることが、最近明らかにされてきた。「空」は、最近の社会科学、自然科学を比喩として用いるとき、初めて鮮明に理解されるであろう。

【『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹(徳間書店、2000年)】

 ずっと奇人だと思い込んでいた。数年前にカッパ・ビジネスを3冊ほど読んで、ただの奇人ではないことがわかった。

小沢遼子足蹴り事件

 1983年1月26日、ロッキード事件被告田中角栄への求刑公判の日、テレビ朝日の番組「こんにちは2時」の生放送に出演した。番組のテーマはもちろん角栄の裁判であり、小沢遼子ら反角栄側2人と小室による討論を行った。ところが冒頭、突然立ち上がってこぶしをふり上げ、「田中がこんなになったのは検察が悪いからだ。検事をぶっ殺してやりたい。検察官は死刑だ」とわめき出し、田中批判を繰り広げた小沢遼子を足蹴にして退場させられた。

 ところが、翌日朝、同局は小室を「モーニングショー」に生出演させた。その際さらにパワーアップしてカメラの面前で「政治家は賄賂を取ってもよいし、汚職をしてもよい。それで国民が豊かになればよい。政治家の道義と小市民的な道義はちがう。政治家に小市民的な道義を求めることは間違いだ。政治家は人を殺したってよい。黒田清隆は自分の奥さんを殺したって何でもなかった」などと叫び、そのまま放送された。

 これをもってテレビ出演はほとんどなくなり、以後、奇人と評された。

Wikipedia

 谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉も同じような主張をしているが、よくよく吟味をすれば一定の合理性はある。小沢事件に端を発する「政治とカネの問題」などは、確かに政治家を小市民に貶(おとし)めるような同調圧力が働いている。

 清廉潔白で無能な政治家が一番困る。

 小室は社会科学的アプローチで五大宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教)を読み解く。その合理性が曖昧さを退ける。「日本人のための宗教原論」というタイトルに偽りはない。

 信者の瞳は崇拝感情によって曇っている。客観的な評価は困難であろう。小室は冷徹な眼でバッサバッサと斬り捨てる。

 2000年を経てもなお人々の胸に鮮やかな影を落とす人物が存在する。その事実が重い。彼らは神仏などではなく人間であった。否、彼らこそが真の人間を示したのだ。

 ヤスパースは「軸の時代」(枢軸時代)と名づけた。人類は精神的な存在へと飛翔した。

 振る舞いとしての「愛」と、哲理としての「空」が一致するところに真の宗教性がある。イエスとブッダが直接出会うことがあったならば、決して争うような真似はしなかったはずだ。

 文明や科学の発達は部分的な幸福を支えてはいるが、人生の苦悩を解決するものではない。量子力学が恋の悩みを軽くすることもなければ、ゲーデルの不完全性定理が職場の人間関係を改善してくれるわけでもない。

 だとすれば、やはり宗教性が大切なのだ。特定の信仰を持つ必要はない。制度宗教、組織宗教に額づくよりも、自分の目と手で直接触れて学んでゆくことが正しい。

「誰が」説いたかよりも、「説かれた教え」が重要だ。これを依法不依人(えほうふえにん/法四依の一つ)という。



神智学協会というコネクター/『仏教と西洋の出会い』フレデリック・ルノワール
ウイルスとしての宗教/『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット
欽定訳聖書の歴史的意味/『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人

2012-04-04

宋鴻兵


 1冊読了。

 19冊目『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』宋鴻兵〈ソン・ホンビン〉:橋本碩也〈はしもと・せきや〉監訳、河本佳世〈かわもと・かよ〉訳(ランダムハウス講談社、2009年)/やはり中国は侮れない。私は知った。1968年生まれの恐るべき知性を。その名、宋鴻兵〈ソン・ホンビン〉。タイトルが仰々しくて陰謀モノの匂いを放っているが、ロスチャイルド家を巡る金融の歴史と手口が描かれている。この手の本の中では決定版といってよい。結局のところ、資本主義の命運が決まったのは産業革命などではなく、ナポレオンの敗退(ワーテルローの戦い)であった。本書を読むと中野剛志〈なかの・たけし〉ですら子供じみて見えてくる。

2012-04-03

Roger Ridley - I've Got Dreams to Remember



 それがこの曲だ。


「Playing for Change」Songs Around the World

 twitterで紹介したところ、「I've Got Dreams to Remember」を発見。オーティス・レディングやエタ・ジェイムズよりも素晴らしい。どこか浪曲を思わせる雰囲気が漂う。声ではなく喉で歌い上げている。路上に轟く力強い声が、海を渡って私の胸を激しく打つ。

第七番目の方角/『それでもあなたの道を行け インディアンが語るナチュラル・ウィズダム』ジョセフ・ブルチャック


 私の大好きな話に「第七番目の方角」というのがある。私はこれを、現代ラコタ族のすぐれた伝承の語り手である、ケヴィン・ロックから教えてもらった。それはこういう話だ。
「グレート・スピリットであるワカンタンカ(※スー族の崇める大精霊「ワカンタンカ〈ワカン=神秘、タンカ=大いなる〉」)は、六つの方角を決めた。すなわち、東、南、西、北、上、下である。しかし、まだひとつだけ、決められていない方角が残されていた。この七番目の方角は、すべてのなかでもっとも力にあふれ、もっとも偉大な知恵と強さを秘めている方角だったので、グレート・スピリットであるワカンタンカは、それをどこか簡単には見つからない場所に置こうと考えた。そしてとうとうそれは、人間がものを探すときにいちばん最後になって気がつく場所に隠されることになった。それがどこであったかというと、ひとりひとりの心のなかだったという話だ」(はじめに)

【『それでもあなたの道を行け インディアンが語るナチュラル・ウィズダム』ジョセフ・ブルチャック:中沢新一、石川雄午訳〈いしかわ・ゆうご〉(めるくまーる、1998年)】

 表紙の顔に眼が釘付けとなった。インディアンの若者は真っ直ぐに私を見つめていた。世に直線が存在するのであれば、彼の視線こそは正しく直線であった。双眸(そうぼう)は清らかな光を発し、顎(あご)のラインが力強い意志を感じさせる。気高き香りが濃厚さを伴って漂ってくるようだ。

navajo-boy

 インディアンの風貌はそれ自体が詩であり音楽でもある。彼らは「人間の顔」を持っている。我々の弛緩(しかん)し、のっぺりした顔とは大違いだ。真っ当な生活、そして正しい感情が表情を彫琢(ちょうたく)するのだろう。

「第七番目の方角」は「内なる方向」であった。座標軸ではなく方向という指摘が重い。つまり特異点ではなく、その向こう側の領域なのだ。インディアン仏法における生死不二(しょうじふに)といってよい。

 人々を覚醒させる真理を私は仏法と呼ぶ。特定の教団へ誘(いざな)い、他勢力と競い争う言説は、商用レベルのプロパガンダであって仏法ではない。むしろ政治的言説といってよかろう。彼らは真理ではなく集団力学に支配されている。

 第七の道を行く人は、澄み切った湖面のような厳粛なる静けさを湛(たた)えている。彼らは言葉で語らない。目で語るがゆえに。これを白毫相(びゃくごうそう)という。

それでもあなたの道を行け―インディアンが語るナチュラル・ウィズダム

2012-04-02

『アメリカ:自由からファシズムへ』アーロン・ルッソ監督


監視社会への道 愛国者法とアメリカ
『モノポリー・マン 連邦準備銀行の手口』
「Money As Debt」
『なぜアメリカは戦争を続けるのか』シャーロット・ストリート・フィルムズ制作(アメリカ、2004年)

魚津郁夫、こうの史代

1冊挫折、1冊読了。

プラグマティズムの思想』魚津郁夫〈うおづ・いくお〉(ちくま学芸文庫、2006年/財団法人放送大学教育振興会、2001年『現代アメリカ思想』加筆、改題)/良書。20代、30代で読んでおくべきだった。今となっては不要。

 18冊目『夕凪の街 桜の国』こうの史代〈ふみよ〉(双葉社、2004年)/微妙だ。「夕凪の街」は読んでよかった。ただ、漫画作品としてはあまり評価できない。物語が寸断されており、出来損ないのモザイク画みたいになってしまっている。こうのは、取材した情報の重みに耐えられなかったのではあるまいか。広角で描かれた淡い景色の絵は実に味わい深い。

2012-03-29

「騙された」~大飯原発安全性「妥当」評価に専門家批判






 原子力発電所の運転再開の判断の前提となるストレステストを審議している国の原子力安全・保安院の専門家による意見聴取会が20日開かれ、保安院が関西電力・大飯原発のテ­スト結果を「妥当」と評価したことについて、専門家から批判が相次いだ。

 福井県にある関西電力・大飯原発3号機と4号機のストレステストについて、原子力安全・保安院が専門家による審議を前回の8日の会議で打ち切り、「テスト結果は妥当だ」と­する最終評価をまとめ、安全委員会に提出していた。

 これに対し、20日開かれた保安院の意見聴取会で、2人の委員から「議論が尽くされておらず、強い不信感を覚えた」として批判する意見が相次いだ。

 東京大学名誉教授の井野博満委員は「議論が尽くされておらず、「だまされた」という強い不信感を覚えた」と発言。芝浦工業大学講師の後藤政志委員も「積み残している問題が­たくさんある」「あたかもやったかのごとく問題ないとするのは、ものすごく問題だ。それで事故が起きたら責任をどうするのか」と指摘。また、2次評価の報告を待たず、1次­評価だけで、「妥当」とする姿勢についても厳しく批判した。

『モノポリー・マン 連邦準備銀行の手口』


学校の先生が絶対に教えてくれないゴールドスミス物語
「Money As Debt」
『アメリカ:自由からファシズムへ』アーロン・ルッソ監督

2012-03-26

遊ぶ影

Shadowy Playground [explored]

 まるで、人と影が戯(たわむ)れているようだ。

時間の存在




量子宇宙への3つの道 (サイエンス・マスターズ) 脳神経学者の語る40の死後のものがたり わかる「時間」―相対性理論から、タイムトラベル、原子時計まで (ニュートンムック Newton別冊)

時間はどこで生まれるのか (集英社新書) 時間の本性 14歳のための時間論 空間の謎・時間の謎―宇宙の始まりに迫る物理学と哲学 (中公新書)

松田武、斎藤明美、フランツ・カフカ、畑村洋太郎

4冊挫折。

戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー 半永久的依存の起源』松田武(岩波書店、2008年)/大冊すぎて体力が持たなかった。

高峰秀子の流儀』斎藤明美(新潮社、2010年)/書き手が位置を誤っている。高峰に近づきすぎて読者を見失っている。

夢・アフォリズム・詩』フランツ・カフカ:吉田仙太郎編訳(平凡社ライブラリー、1996年)/ワン・センテンスが長すぎる。

未曾有と想定外 東日本大震災に学ぶ』畑村洋太郎〈はたむら・ようたろう〉(講談社現代新書、2011年)/良書。ただ私の興味が向かなかった。

2012-03-25

イスラエル軍 ガザの学校を白リン弾で爆撃



イスラエルが指揮したパレスチナ難民虐殺 1982年





 レバノンの難民キャンプ、サブラとシャチラにおけるパレスチナ民間人虐殺は1982年9月16~18日、大統領暗殺への報復を口実にイスラエル軍の指揮のもとファランジ­スト党員によって行われた。

ミシェル・オンフレ対ジャック・アタリ



<反>哲学教科書

光の存在


The rage from within


 光はある。常に。どんな時でも。

キリスト教は仏教の影響を受けていた


2012-03-22

インドが世界最大の武器輸入国に、輸出は中国が上位に浮上

 スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)がまとめた世界の武器取引に関する調査報告によると、インドが中国を抜いて世界最大の武器輸入国となる一方、武器輸出では中国が世界第6位に浮上した。

 2007~11年の武器輸入はインドが世界全体の10%を占め、次いで韓国(6%)、パキスタン(5%)、中国(同)、シンガポール(4%)とアジア各国が上位を独占した。

 輸出では米国、ロシア、ドイツ、フランス、英国に次いで、中国が世界6位に浮上。同国は主にインドと敵対するパキスタンなどに武器を供給している

 SIPRIの推計では、インドは今後15年で1000億ドル以上を武器に費やす見通し。同研究所の専門家は、「インドの武器調達はパキスタンとの緊張関係、および中国を潜在的脅威とする見方を強めていることと関係がある」と解説する。

 インドの英字紙ヒンドゥによると、同国の武器調達はジェット戦闘機と軍艦を中心に、装備の近代化に重点を置いているという。

 一方、中国は国防予算を増額し、ステルス戦闘機や空母開発の大規模プロジェクトに力を注ぐ。こうした兵器の国内生産に伴い、相対的な輸入は減少した。

CNN 2012-03-22

ザ・特集:フクシマで死を見つめて 自殺防止活動に取り組む僧侶・中下大樹さんに聞く

 東京を拠点に自殺や孤独死の防止活動を続けてきた僧侶、中下大樹さん(36)。この1年は福島県の仮設住宅に通い、自ら命を絶った人の遺族らと交流を重ねてきた。これまでに2000人以上の死の現場に立ち会ったという中下さんは、「フクシマ」で失われゆく命をどう見つめているのか。

岩手・宮城との違いは将来が見えないこと。原発の恩恵を受けてきた地域では、不安、不満を口にできないつらさもある。

「それはお受けできません。僕は、あの方たちと一生、お付き合いをしていくつもりなのですから」。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の二重災害に見舞われた福島県。そこで死を選ぶまでに追い詰められた人たちの苦悩を知りたいと、無理を承知で「同行取材させてほしい」と中下さんに申し入れた。その答えだった。家族の自殺について遺族が本音を打ち明けてくれる関係を築くまでに、半年以上かかったこと。その事実を近所にも隠している人が多いこと。中下さんの穏やかな、だがきっぱりとした言葉にうなずくしかなかった。

 中下さんは大学院でターミナルケア(終末期の医療や看護)を学んだ後、「死の問題を突き詰めたい」と僧侶になった。新潟県のホスピスに勤務して末期がん患者数百人をみとり、07年からは東京に活動を移し、貧しさから葬式を出せない家庭や孤独死した人のために葬儀を執り行う「葬送支援」、孤独死を防ぐために一人暮らしの人の家を月に数回訪ねる活動、さらに「死にたい」と訴える人からの電話相談にも応じる。明治大学で死生学を教える非常勤講師も務めた。

 東日本大震災の直後から被災地に入り、遺体安置所で読経をしたり、がれき撤去の手伝いなどもしながら、家族を失った人たちの声に耳を傾けてきた。この1年間に被災3県に延べ190日間入り、うち約100日を福島で過ごした。当初は仮設住宅を訪れても「よそ者は帰れ」と拒絶されるばかりだったが、5回、6回と重ねるうちに「泊まって行くか?」と声をかけられるようになった。

 やがて、親しくなった人たちと雑談する中で、気になる話を聞くようになる。「あの家の人は急に死んじゃったけれど、きっと自殺だよ。酒ばかり飲むようになって、様子がおかしいと思っていたら……」。まるでろうそくの火が消えるように、仮設住宅からいなくなる人たちがいた。

「多い場合には、約200世帯の仮設住宅で、自殺とみられるケースが3件もあった」と中下さん。内閣府が統計を取り始めた昨年6月以降、「震災関連自殺」は3県で56人。うち福島は10人と決して突出しているわけではないが、「原発や放射能への考え方の違いや、ふるさとに帰れない苦しみなどが相まって、より深刻なケースが多い。酒に溺れ、体を壊しても治療せずに亡くなる“緩慢な自殺”など統計に反映されない死も多数あります」と指摘する。

 では、具体的にどんな悲話があるのか。

 木々が葉を落とし始めた昨秋、富岡町出身の50代の男性が、仮設住宅で命を絶った。以前、中下さんが一緒に酒を飲んだこともある人だった。自営業を営んでいたが、原発事故で町が警戒区域に指定され、新たな土地で事業を再開するには設備投資が1億円近くかかる。しかも移住先は決まっていない。一生をかけて築き上げた事業を一からやり直さねばならないことに絶望を深め、やがてアルコールに依存し、うつ状態になっていたという。

 妻は仮設住宅に中下さんを招き入れ、お茶をふるまいながら「夫が死んだことはつらいが、苦しんでいたからホッとしていると思う」と語り、さらに「もう家には帰れないとあきらめている。除染にお金を使うより、早く移住先を確保してほしい」と亡き夫に代わって訴えたという。

「福島と岩手・宮城の違いは、何よりも“将来”が見えないこと。また、原発の恩恵を受けてきた地域では、今も原発や放射能への不安や不満を口にできないというつらさがある。それを言った途端、周囲に白い目で見られ、仮設で居場所がなくなったという話もよく聞きます」

 昨夏、福島県の内陸部にある仮設住宅に近い火葬場で、中下さんは80代男性のひつぎに向かってお経を唱えた。家族はなく、参列して手を合わせたのは、一緒に避難している古くからの知人3、4人だけ。葬儀と呼ぶにはあまりに簡素な別れの場面だった。

 亡くなった男性は、原発事故前まで浪江町で農業を営み一人で暮らしていた。放射線量が高く、事故直後にバスに乗せられ避難して以来、「生まれ育った町で人生をまっとうしたい」と切望していたという。仮設住宅から近所の人の目を盗むように一人で浪江町の自宅に戻り、納屋でひっそりと首をつった。〈迷惑をかけてごめんなさい〉と書かれた遺書が仏壇の前に残されていた。

「ロシア語に『サマショール』という言葉があります。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故で、強制退去を命じられた地域に勝手に戻って暮らす人のことで、言うことをきかないわがままな人という意味です。同じように、地縁を大事にする土地柄の人たちは近所の目を気にし、一人だけ違う行動をとることに罪悪感を抱きがち。この男性も、避難を続けるようにという周囲の説得に従えない自分を“邪魔な存在”と感じ、追い詰められていったようです」

 環境の激変そのものがストレスとなり、死を選ぶ人もいる。中下さんによると、あるお年寄りの男性は、温暖な浜通りから、冬には雪が降り積もる内陸の会津地方に避難した。だが慣れない雪に外出しづらくなって家にこもるようになり、酒と睡眠薬を同時に飲むようになった。そしてある日、吐いた物をのどに詰まらせて死亡。「事故死」として処理されたが、中下さんは「自殺」とみる。

 寝る間も惜しみ被災地の自殺防止に奔走する中下さんだが、取材の最後に「でもね……」と言葉を切り、少しためらうように言った。「病気などで亡くなる方に比べ、自殺された方の死に顔は、安らかに見えることが多いんです。眉間(みけん)もきれいに開いていてね。不謹慎かもしれませんが、活動を続ければ続けるほど、自殺が本当に悪いことなのか、分からなくなってくるような気がして……」

 そして、こう続けた。「裏を返せば、(安らかな死に顔は)生きているのが地獄の苦しみだったということ。被災者を支えるセーフティーネットが未整備だったり機能していないために、死ななくてもいいのに死を選ばざるを得ない人がたくさんいる。苦しむ人を孤立させないため、すべきことはまだあるはずです」

 中下さんは今、家族を亡くした人に声をかけ、仮設住宅の集会所などで同じ痛みを抱えた人同士が思いを分かちあう会を開いている。震災後、「絆」の大切さが叫ばれているが、福島で今、起きていることは従来の地縁や血縁に頼るだけでは解決できないと考えるからだ。

 悩み、苦しむ人を救うことは難しい。けれども、隣でうなずくことで、生きる力が回復するのを支えることはできるのかもしれない。

 時に迷い、時に共に涙を流しながら、中下さんは福島で痛みを抱える人の傍らに立ち続けようとしている。

◆主な相談先や関連サイト

◇寄り添いホットライン
 電話0120-279-338
 一般社団法人・社会的包摂サポートセンターが運営。自殺、仕事、住居、お金などの悩みに対応する電話相談。24時間対応、通話無料。

◇いのちと暮らしの相談ナビ
 http://lifelink-db.org
 自殺対策のNPO法人・ライフリンク(東京)が運営。失業、多重債務などの悩み別に、地域ごとの相談窓口を検索できるサイト。

毎日新聞 2012年3月22日 東京朝刊


悲しむ力 2000人の死を見た僧侶が伝える30の言葉

神戸・小学生連続殺傷事件:彩花さんの母・山下京子さん手記全文「どんな困難に遭っても、心の財だけは絶対に壊されない」


『淳』土師守
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
加害男性、山下さんへ5通目の手紙 神戸連続児童殺傷事件

 ・神戸・小学生連続殺傷事件:彩花さんの母・山下京子さん手記全文「どんな困難に遭っても、心の財だけは絶対に壊されない」

元少年A(酒鬼薔薇聖斗)著『絶歌』を巡って

 神戸市須磨区で97年に起きた小学生連続殺傷事件で亡くなった山下彩花(あやか)さん(当時10歳)の母京子さん(56)が、23日の命日を前に毎日新聞に手記を寄せた。全文は次の通り。



 竜が台小学校の正門前にたたずんでいる彩花桜が、今年も小さな蕾(つぼみ)をつけはじめています。自分の命よりも大切な彩花を亡くして以来、つらい季節になってしまった春が、彩花桜の成長とともにようやく優しい姿で身近なところに戻って来ました。

 あの日から丸15年。

 5年、10年、15年……。数字の上ではそれを区切りと呼ぶのでしょうが、大切な人を亡くした遺族にとっては心の区切りなどないような気がします。でも、一歩一歩積み重ねてきた時間がもたらす恩恵は、想像以上に大きく、苦しかった五千数百日の道のりを俯瞰(ふかん)できる力を与えてくれました。そして、彩花が居た時のように屈託なく笑うことや心の底から喜ぶことを思い出させてもくれました。

 突然、我が身に起きたあまりにも理不尽な出来事。身を切られるような苦しさと悲しみ。そのうえ、自宅で生活できないほどのマスコミの過熱報道……。まるで、真っ暗な闇に放り出されたような絶望的な日々が続き「彩花のところに行きたい」と何度願ったことでしょう。夫や息子がいなければ、そして、人との絆が無ければ、私はあの地獄のような日々を、とても耐えることはできなかったでしょう。

 その後、二度も病魔に襲われ死を覚悟した時にも、多くの支えの中で病気に立ち向かうことができました。ふり返れば、私たち家族を見守り、寄り添い、励まし、支え続けてくれたたくさんの温かい真心のおかげで今日という日があるのだと、あらためて感謝の思いがこみ上げてきます。

 昨年3月11日、東日本で未曾有の大震災が起きました。

 大切な人を突然亡くされ深い悲しみを抱えた人。家族の行方がわからず探し続ける人。生き残ったことに罪悪感を持っている人。家や仕事を失い途方にくれる人。住む家があるのに原発の影響で帰ることができない人。美しいふるさとを奪われた人……。津波や原発事故は私たちの国にあまりにも大きな爪(つめ)痕を残しました。決して取り戻すことができない尊い命を奪い、穏やかな生活を踏みにじってしまいました。

「どんな困難に遭ったとしても、心の財(たから)だけは絶対に壊されない」という大好きな言葉があります。

 この15年間、私たち家族は、日常の中で揺れ動きながら、時に絶望して泣きながらも目の前の壁に挑んできました。どんなに苦しくても、あきらめなければ必ず笑顔と幸せを取り戻すことができる。心の財さえ壊されなければ、人は再び、いえ、何度でも立ち上がることができる、ということを東日本大震災で被災された全ての人たちに身を持ってお伝えします。そして、私に出来る支援をこれからも続けていきたいと思っています。

 大きくなった彩花桜を見上げたら「ずっとそばに居るよ、姿は見えなくても」と、彩花の弾むような声が聴こえたような気がしました。

 山下京子

毎日新聞 神戸版 2012年3月21日

ニューストレッチプログラムその6「30秒で首がほぐれてしなやかになる」


 ・ニューストレッチプログラムその6「30秒で首がほぐれてしなやかになる」

ニューストレッチプログラム(首)

 北洞誠一〈きたほら・せいいち〉のあべこべ体操。

生きたまま捨てられた女子高生…火葬場搬送途中


 中国安徽(あんき)省で、暴漢に襲われて倒れていた高校3年の女子生徒が警察官に凍死体と判断され、生きたまま隣村に捨てられる事件があった。

 生徒は野外に2晩放置された末に救助され一命を取り留めたが、当局側の劣悪な対応に批判が高まっている。

 地元紙などによると、生徒は11日夕、学校から帰宅途中に暴漢に鈍器で後頭部を殴られたとみられる。12日夕、自宅から数キロ・メートル離れた水のない用水路に血だらけで倒れているところを村民が発見し、通報した。

 だが、凍死したホームレスと判断した警察は捜査を行わず、地元政府当局に連絡。当局者も確認せず、火葬場の車に搬送を指示し、運転手は約10キロ・メートル離れた隣村の溝に捨てたという。生徒は13日朝、村民に発見され病院に運ばれた。

 生徒を死者と判断した警官と役人ら4人は既に拘束され、責任を追及されるが、国内の報道機関やインターネットでは「当局の人命軽視」「ホームレスの遺体なら捨てるのか」との批判が噴出している。

YOMIURI ONLINE 2012年3月22日

特捜捜査の原点 造船疑獄事件~佐藤栄作とのコネクション


 特捜捜査の原点はここにある。誕生以来、常に一方の政治勢力と手を組んで自らの地位を守り、政治と裏取引をしながら、国民には「巨悪に挑戦する正義」として振る舞ってきた。それを終始支えてきたのが民主主義の原理を理解する能力のないメディアである。わずかな情報のエサに釣られて簡単に権力の走狗となってきた。そして情けないのは政治家も検察権力に迎合する事が自らを守る第一と考え、数々のでっち上げ捜査に口をつぐんできた。

「裁かれるのは日本の民主主義」田中良紹〈たなか・よしつぐ〉

2012-03-20

中国 ひき逃げされた男性死亡 車41台が素通り


【中国交通事故】冷酷18人の通行人2歳の女児を助けず/「曇り空、ふたりで」SIONと福山雅治

ブルース・シェクター

1冊読了

 17冊目『My Brain is Open 20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記』ブルース・シェクター:グラベルロード訳(共立出版、2003年)/ポール・ホフマンと内容が重複しており、うっかり同じ本を読んだのかと思ったほど。原著は双方ともに1998年となっている。中々難しいのだが、文章はこちらの方がよく、ホフマンの方がドラマ性は高い。特筆すべきは数学の記述で実に洗練されていること。そのうえ正確だ。翻訳でこれほど美しい文章はお目にかかったことがない。一つだけ合点がゆかないのだが、なぜタイトルと著者名を英語表記にしているのだろう?

パレスチナのビル・イン村 分離壁との戦い

Shai Carmeli Pollak  2006年。イスラエルが安全障壁として建設する分離壁はパレスチナ領土を併合・分断し国家成立を妨げる目的を持つ。国際法違反のこの政策により土地を奪われることに反対­するパレスチナの村の住民の非暴力的抵抗運動に参加するイスラエル人が撮影したドキュメンタリー。ビル・イン村の抵抗運動は功を奏し、2007年イスラエル最高裁はビル・­イン付近の壁のル-ト変更を命じ2011年6月壁の解体作業が開始した。

 イスラエルが不法に建設する安全障壁のためにパレスチナの村のオリーブの木が大量に破壊された。様々な手段で反対デモを鎮圧しようとするイスラエル軍とビル・イン村存続の­ために戦う活動家達。

 ドキュメンタリー2006年。イスラエルの隔離壁建設はビル・イン村の人々から土地と生計手段のオリーブを奪った。土地返還を求め様々な非暴力的手段でデモを行い続ける村­人と彼らに連帯するイスラエル人活動家の姿は世界の注目を集め始める。

 イスラエル人監督Shai Carmeli Pollak によるドキュメンタリー映画、2006年。イスラエルの分離壁建設のために土地を奪われたビル・イン村の粘り強い反対運動はイスラエルのメディアでも話題になる。ビル・イン­村は隔離政策に苦しむパレスチナ人の抵抗の象徴となる。イスラエル人活動家とパレスチナ人の団結と友情が僅かながら希望を感じさせる。

http://www.bilin-village.org/











 怒りに打ち震えながら見た。イスラエルは、パレスチナ人にとって命ともいうべき土地を奪い、丹精込めて育てたオリーブの木をチェーンソーで切断する。徴兵制を布(し)いているためイスラエルの全国民がパレスチナを虐げているといっても過言ではない。だが、そんな唾棄すべきイスラエルにも良心が存在した。人間もまだまだ捨てたものではない。

 デモの中に私服警官が紛れ込んで、わざと石を投げた。これがユダヤ人のやり方だ。更には障害者に向けて武器を発砲している。非暴力運動は広範さを必要とする。長い目で見れば勝ち目はないだろう。それゆえ私は、パレスチナが軍事力を持つべきだと考える。1948年から現在の状態が続いているのだ。インディアンやチベットのようになることを恐れる。

2012-03-19

KONY2012を支持する人々





◎KONY 2012/ジョゼフ・コニー逮捕キャンペーン
◎コニー 2012の正体~アフリカ侵略心理作戦
◎The Kony 2012 論争
◎ウガンダ反政府勢力の蛮行告発映画、「真実と違う」と地元民は猛反発

文字は絶対王朝から生まれる/『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽


 ・■(サイ)の発見
 ・文字は絶対王朝から生まれる

『漢字 生い立ちとその背景』白川静

「あ!」と思った。

 日本に文字が出来なかったのは、絶対王朝が出来なかったからです。「神聖王」を核とする絶対王朝が出来なければ、文字は生まれて来ない。(白川静)

【『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽(平凡社、2001年)以下同】

 私は漢字のマンダラ性を見抜きながらも絶対性には思い至らなかった。しかもその理由が振るっている。

 神聖王朝というと、そういう異民族の支配をも含めて、絶対的な権威を持たなければならんから、自分が神でなければならない。神さまと交通出来る者でなければならない。神と交通する手段が文字であった訳です。
 これは統治のために使うというような実務的なものではない。(白川静)

 法の制定や布告のためかと思ったのだが完全に外れた。「呪」の義を想う。呪いと祝いは距離をはらみながらも同じ一点から生まれるのかもしれない。それは縦の直線なのだ。真上から見れば点と化すことだろう。

 権威とはそれ自体が「新しい世界」なのだ。人々が知り得ぬ世界観を提示することで権威は保たれる。私が「オーソリティ」(権威)と認めるのは、私の知り得ぬ世界を提示する人に限られる。すなわち「王」は「世界」であり、「世界」とは「王」が規定するのだろう。

 本書で一番面白かったのは岡野玲子(漫画家)との対談である。白川は「狂う」の語義について語る。

白川●「くるう」という言葉は、「くるくる回る」という場合の「くる」ね、あの「くるくる」と同じ語源で、獣が時に自分の尻尾を追い掛けるようにしてくるくる回ったりしますね、ああいう理解出来ん動作をする、それが「くるう」なんです。

 理解を超えたものが「新しい世界」を提示する。ああ、そうか。「世界」とは「理解」なのだ。自分のわかっている――あるいは「わかっている」と錯覚している――範疇(はんちゅう)こそが「世界」である。

白川●だから「狂」というのは本当に気が触れてしまったというのではなくて、一種の異常な力が自分の内にあると考えられる状態を、本当は「狂」という。本当に狂うてしまったのでは話にならんのでね。狂うたような意識の高揚された状態、それが「狂」なんです。平常的なものを全部否定する。平常的なものの中にある限りはね、ものは少しも改革されない。既成の枠の中にきちんと納まってしまっておって、これはもう力を失っていくだけであって、新たな力を発揮するということは出来ませんわね。そういう風な状態にある時に、「狂」という、新しい創造的な力というものがそれを打ち破る。

 つまり「狂」とは抑えきれないマグマなのだろう。最初の噴火があり、次々と大地が火を放つと、そこに「新しい山」ができる。これが「新しい世界」なのだ。人々が理解できるのはマグマが冷め、定まった形状になってからのことである。

 岡野の応答がまた凄い。

岡野玲子●それで、実際に笛をを吹いた時にどういう変化があるのかというのを知らなくてはと思って、神社にお参りして、自分で実際に笛を吹いてみる、歌を歌ってみる。そして歌う前と歌った後ではどう違うのかっていうのを自分で体験しました。
 実際に違うんです。笛を吹く前と吹いた後では、もう、その社から流れてくる力とか、その社に向かって見た時に、そこの社に見える色であるとかが、全部変わってくるんですね。

 あたかも、この世界を創造した神の発言のようだ。「息を吹き込むこと」で世界は作られるのだ。内部世界と外部世界をつなぐのは「呼吸」である。ヨガや瞑想で呼吸を重んじるのは当然だ。自律神経系で唯一コントロールできるのが「呼吸」なのだ。

 呼吸は有作(うさ)と無作(むさ)との間を行き来する。そして呼気と吸気の間に「死」が存在する。呼吸はそれ自体が生死(しょうじ)を表している。

 白川が自分の仕事を振り返る。

白川●いや自分でもね、ほんとうに僕が書いたのかなあって思う時がある。瞬(またた)く間にやったからな。『字統』は一年で書いてしまったでしょ。『字訓』も一年で書いてしまった。『字通』はね、用例などを吟味しておったから、それで手間がかかった。

 これが「狂う」ということなのだ。何かに取り憑(つ)かれ、何かに動かされ、気がつくと何かが出来上がっている。真の力とは自力と他力との融合である。内なる「狂」が外なる「秩序」と化す。ここに芸術が立ち現れる。

 白川は「ものが見えるということはね、一つの霊的な世界だから」と語り、「3200年昔。僕が見ておるのはな。3200年昔の世界なんや」と心情を吐露する。彼は漢字を通して3200年前の「人間」を見つめていたのだろう。空間ではなく時間を見つめる眼差しに畏怖の念を覚える。

白川静の世界―漢字のものがたり (別冊太陽)新訂 字統新訂 字訓字通

2012-03-18

リビアの先端医療技術 国民評議会に対する怒り





 2012年2月15日。カダフィ政権下で実現した先端技術を持つ医療センターの存在にも関わらず外国での治療を促進する国民評議会に対して医師が怒りを表明。

無実の非ユダヤ人殺害を正当化する「王のトーラ」 イスラエル


 2010年。人種差別・暴力的な宗教理論書を支持する二人の超民族主義者のラビの逮捕とそれに対する抗議デモ。超正統ユダヤ教とネタニヤフとの関係。

シリア情勢 2012年2月14日 ティエリ・メサン





 新たな力関係、ロシア主導の国際協定、ホムス戦闘の現実、フランス情報部(DGSE)の関与。独立記者ティエリ・メサン。

「白雪姫を毒リンゴから救おう」

華麗なゴール


Gorgeous


 偶然が生んだ物語。

ウガンダ反政府勢力の蛮行告発映画、「真実と違う」と地元民は猛反発


 米児童権利団体が制作しインターネットで反響を呼んでいる、ウガンダの反政府勢力「神の抵抗軍(Lord's Resistance Army、LRA)」のジョゼフ・コニー(Joseph Kony)司令官の身柄拘束を訴える動画に、当のウガンダの人びとが猛反発している。ウガンダ国内各地でこの短編映画の上映会を計画していた青少年支援団体は15日、初回上映を見た人々が激怒したため、計画を中止したと発表した。

「Kony 2012」と題された約30分の短編映画は、米児童権利団体「インビジブル・チルドレン(Invisible Children、見えない子どもたち)」が制作したもの。前週公開されて以来、インターネットを中心に大きな反響を呼んでいる。ウガンダではネットへ接続できる人が少ないことから、地元の青少年支援団体「アフリカン・ユース・イニシアチブ・ネットワーク(African Youth Initiative Network、AYINET)」が上映会を計画した。

「描かれているのは過去の姿」「実情伝えていない」

 ところが13日、同国北部(Lira)で行われた上映会では、映画が始まってすぐに人びとが怒り出し、投石を始めたため上映は中止に追い込まれた。会場に集まった数千人の観衆の多くは、LRAの兵士らに四肢を切断されるなど実際に被害を受けた人たちだった。

 AYINETのビクター・オチェン(Victor Ochen)代表によると、集まった人びとは映画の内容について「無神経で、ウガンダ北部の過去の姿しか描いていない」と非難。「なぜ、アメリカの白人の子どもたちを映して、(ウガンダ北部の)地元の人びとが置かれた真の現状を伝えないのか」と口々に批判したという。

 上映会計画の中止を発表したオチェン氏は、「どこへ行っても同じ反応だろうと判断した」と説明した。

 LRAはウガンダ北部で政府軍と20年にわたって戦闘を続け、民間人の手足を切断したり、子どもを誘拐して兵士や性奴隷にしたとして悪名高い。LRAのコニー司令官は、北部のアチョリ人で構成された反政府組織の実権を1988年に握り、聖書に書かれた十戒に基づく政権樹立を掲げて中央政府に対する抵抗を開始した。

 LRAは2006年にウガンダ北部から排除されたが、南スーダンなど周辺国で活動を続けている。国際刑事裁判所(International Criminal Court、ICC)は人道に対する罪などでコニー司令官に対する逮捕状を出しているが、身柄はまだ拘束できていない。

AFP 2012-03-16

KONY 2012/ジョゼフ・コニー逮捕キャンペーン
コニー 2012の正体~アフリカ侵略心理作戦
The Kony 2012 論争
KONY2012を支持する人々