・『感染症の時代 エイズ、O157、結核から麻薬まで』井上栄
・健康と病気はヒトの環境適応の尺度
・感染症とカースト制度
・『感染症クライシス』洋泉社MOOK
・『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
・『続・人類と感染症の歴史 新たな恐怖に備える』加藤茂孝
・『感染症の世界史』石弘之
・『人類史のなかの定住革命』西田正規
・『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
高温多湿のガンジス川流域文明の感染症は、インダス川流域文明の住人を圧倒した。それがインド社会にカースト制度をもたらしたという研究者もいる。カースト制度とは、紀元前13世紀頃のアーリア人のインド支配にともなって作られた階級的身分制度である。階級間の移動は認められておらず、階級身分は親から子へ受け継がれる。結婚も同じ階級身分内で行うことを規定した社会制度である。人種差別的制度であり、現在は憲法で禁止されている。
そのカースト制度について、歴史研究家であるウィリアム・マクニールは、著書『疫病と世界史』の中で以下のように述べている。
「もちろん、ほかにもさまざまな要素や考え方が、インド社会におけるカスト原理の形成と維持に影響している。だが、カストの枠を超えて身体的接触を持つことに対する禁忌(タブー)の存在、そうしたタブーをうっかり犯してしまった場合に体を清めるため守るべき念入りな規定、これらは、インド社会において次第にカストとして固定していったさまざまな社会集団の間で、相互に安全な距離を保とうとした時に、病気へのおそれがいかに重要な動機だtたかを暗示する」
文化人類学者である川喜田二郎も、カースト制度の起源に、浄不浄によって社会の構成員の交流を管理し、感染症流行を回避しようとした意図があったと、先述のマクニールと同じ説を展開している。もちろん反対意見もある。
一方、疫学の視点からいえば、これは、選別的交流を行っている集団における感染症流行の問題に置き換えることができる。
【『感染症と文明 共生への道』山本太郎(岩波新書、2011年)】
人類の業病(ごうびょう)は「飢饉と疫病と戦争」(『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ)である。宗教は祈ることで人々の心をまとめ上げ、これらの業病に対処してきた。宗教的タブー(禁忌)はたぶん病(やまい)に対応したものと考えられる。
異なる民族が出会う時、必ず病気が交換される。アメリカのインディアンは「コレラ、インフルエンザ、マラリア、麻疹、ペスト、猩紅熱、睡眠病(嗜眠性脳炎)、天然痘、結核、腸チフス」を移され、ヨーロッパ人は梅毒に罹患(りかん)した(感染症の歴史 - Wikipedia)。ポンティアック戦争(1763-66年)では「今日でも知られている出来事としては、ピット砦のイギリス軍士官が天然痘の菌に汚染された毛布を贈り物にし、周辺のインディアンにこれを感染させたことである」(Wikipedia)。
洋の東西を問わず古いコミュニティがよそ者(ストレンジャー)を警戒したのは「この村の掟に従うかどうか」という疑心と、もう一つは伝染病に対する恐れからだ。
カースト制度については米原万里が面白いことを書いている。
親類筋の女性Tがかつてネルーの信奉者だった。ネルーの思想と活動に手放しで共鳴し、親譲りの潤沢な資産を惜しげもなく注(つ)ぎ込んだ。熱烈なる敬愛の念は相手にも通じたらしく、インド独立式典への招待状が舞い込み、いそいそと出かけていった。貴賓席で待ち受けていると、憧れの君は民衆の歓喜の声に包まれて颯爽(さっそう)と登場。ボロをまとった女たちが感極まって駆け寄り壇上のネルーの靴に口付けしようとした瞬間、ネルーはあからさまに汚らわしいという表情をして女たちを足蹴(あしげ)にし、ステッキを振り上げて追い払った。周囲の囁(ささや)きから、女たちが不可触賤民(アンタッチャブル)であることを知る。その刹那、Tの「百年の恋」は冷めた。
【『打ちのめされるようなすごい本』米原万里〈よねはら・まり〉(文藝春秋、2006年/文春文庫、2009年)】
左翼の米原が書くと階級闘争の政治臭を放つが、カーストの根深さはよく理解できる。かつては意味のあった禁忌(きんき)も形骸化すると悪しき伝統に変貌する。宗教は何千年も祈ることしかしてこなかった。一方、科学は原因を調べ対策を講じる。近代とは宗教が科学に追い越された時代であった。神の地位は科学が発達するに連れて低下した。それでもまだ死んではいないが。
不可触民という言葉からも明らかなようにヒンドゥー教は極端なまでに「穢(けが)れ」を恐れる。このため日常的に接触を避ける行動が貫かれており衛生意識も高い。飲食についても厳格な規定がある。宗教的浄化を求める人々は肉食を避ける。こうした風習が感染症対策であることは明らかだろう。インドは歴史を通じて人種差別解消よりも感染症対策を重んじたということなのだろう。