2020-08-23

創価学会の思想は田中智学のパクり/『日蓮主義とはなんだったのか 近代日本の思想水脈』大谷栄一


『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之
『化城の昭和史 二・二六事件への道と日蓮主義者』寺内大吉
・『石原莞爾と昭和の夢 地ひらく』福田和也
・『死なう団事件 軍国主義下のカルト教団』保阪正康
・『血盟団事件 井上日召の生涯』岡村青

 ・創価学会は田中智学のパクり

 その結果、智学は決意する。日輝の教学は時勢の推移のなかでは妥当だと思われることもあったが、万代不易の道理ではない。しかし、日蓮の主張は万古を貫いて動かざるものである。いまこそ、「祖師に還る」「純正に、正しく古に還らなければならぬ」、と。
 日輝は摂受を重視しる「折退(しゃくたい)・摂進(しょうじん)」論を採ったのにたいして、智学は「超悉檀(ちょうしつだん[大谷註:悉檀とはサンスクリットのsiddhāntaの音訳で、教説の立てかたの意]の折伏)」にもとづく「行門の折伏」(実行的折伏)を強調した。折伏が祖師・日蓮の根本的立場であると捉え、それへの復古的な回帰を唱えたのである。この折伏重視の立場性こそが、智学生涯の思想と運動を貫く通奏低音であり、政府にたいする「諌暁(かんぎょう)」(いわゆる国家諌暁)もこの折伏の精神にもとづく。
 明治12年(1879)1月、病気再発の兆しがみえたため、智学は、横浜にいた医師の次兄・椙守普門(すぎもりふもん)の家で療養した。病気は小康を得たが、同年2月、還俗の意思を兄に伝え、病気療養を理由として、17歳で還俗することになる。また、3月には日蓮宗大教院の教導職試補の辞任届も提出している。以後、生涯を通じて、智学は在家仏教者として活動することになる。

【『日蓮主義とはなんだったのか 近代日本の思想水脈』大谷栄一〈おおたに・えいいち〉(講談社、2019年)】

 田中智学・本多日生北一輝〈きた・いっき〉-大川周明〈おおかわ・しゅうめい〉は昭和初期の軍人に多大な影響を及ぼしたが、これを日蓮主義で括ると視野が狭まる。むしろ大正デモクラシーの流れを汲んだ社会民主主義と捉えるのが正当だろう。佐藤優がわざわざ保守論客の関岡英之に近づいて大川周明を持ち上げているのも社会民主主義というタームで考えると腑に落ちる。

 大谷栄一は宗教社会学者である。それゆえ宗教や教団に固執して近代史全体の流れが見えにくくなっている。むしろ話は逆で、時代が揺れ動く波しぶきの一つに日蓮主義があったと私は見る。鎌倉時代にあって日蓮ほど国家意識を持った宗教指導者はいない。出家の身でありながら迫害に迫害を加えられても尚、政治的意見を進言し続けた。昭和初期は内憂外患の時代であり鎌倉の時代相と酷似している。

 日蓮主義は戦後にも継承された、と私は考える。田中智学の国立戒壇論が創価学会に継承されたのである。戦後の一時期まで、智学の国立戒壇論は創価学会の運動の中核部分に保持されていた。創価学会の国立戒壇論は「国柱会譲り」のものだった。

 創価学会は元々日蓮正宗の一信徒団体であったが、戦前より折伏(しゃくぶく)を標榜し原理主義に傾いていた。初代会長の牧口常三郎〈まきぐち・つねさぶろう〉にも田中智学の影響が及んでいた事実が興味深い。戦後、国柱会の勢いは已(や)んだが、創価学会は共産主義的な組織運営で教勢を拡大した。折伏はオルグと化した。公明党が政権与党入りしてからは尖鋭(せんえい)さを失い、与党内野党みたいな中途半端なブレーキ役に甘んじている。創価学会もまた本質的には社会民主主義傾向が顕著なため、外患の多い現代にあって国政をリードすることは不可能だろう。

 尚、大谷栄一には『近代日本の日蓮主義運動』(法蔵館、2001年)との著作もある。

2020-08-21

遠藤商事 鉄黒皮厚板フライパン 28cm 1550g


 ・遠藤商事 鉄黒皮厚板フライパン 28cm 1550g

鉄フライパンの焼き直し

 画像はamazonリンクである。amazonでは2669円(送料無料)、「新品」のリンクを辿ると送料込みで2400円。ヨドバシ.comでは2240円(送料無料)、ムラウチ.comでは1617円+送料594円(関東)で最安だ。というわけでムラウチ家具で購入した。

 鉄フライパンを選ぶにあたって注目したのは目方とビス止め部分である。最近になって気づいたのだがビス止めが2ヶ所、3ヶ所、4ヶ所の物がある。大きさは28cmと決めていた。現在使用しているのはフッ素加工26cmだが、鉄フライパンは底面が小さくなっている。これだと業務スーパーに冷凍餃子30ヶを並べることはできない。28cmでも無理だろう。だがこれ以上大きいフライパンになると両手で持っても振ることが難しくなる。

 元々は南部鉄器を狙っていたのだが24cmとサイズが小さい上、鋳鉄は割れることがある。やはり気兼ねなく使える鉄を選ぶことにした。まだ使っていないのだが、取説で目についた部分を以下にピックアップしておく。

・「シリコン樹脂塗装」は食品衛生法で許可されており無害です。このシリコン樹脂塗装が剥がれて鉄の地肌がでてきたら、この鉄を早く油になじませることがつかいこなすコツです。

・高温のまま冷水を浴びせるなどして、急激に冷さないで下さい。底が凹凸に変形し、過(ママ)熱ムラの原因となります。

・(使い始めについて)食器用洗剤でよく洗い、乾かして下さい。従来の鉄鍋の場合、サビ止めの皮膜を落とすための空焼きが必要でしたが、本製品は食品衛生基準に適合した皮膜を採用しており、そのまま調理されても安全です。

・使いはじめのうちは、調理前に本隊に油を入れて火にかけ、表面全体に油をなじませて、拭き取ってからあらためて調理をはじめて下さい。

・調理食材が冷たいとこりびつきやすくなります。ご注意下さい。

・(サビてしまったら)紙やすり(80~100番)で磨き残しを削ります。

満洲建国と南無妙法蓮華経/『化城の昭和史 二・二六事件への道と日蓮主義者』寺内大吉


『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之

 ・満洲建国と南無妙法蓮華経

・『石原莞爾と昭和の夢 地ひらく』福田和也
・『死なう団事件 軍国主義下のカルト教団』保阪正康
・『血盟団事件 井上日召の生涯』岡村青
『日蓮主義とはなんだったのか 近代日本の思想水脈』大谷栄一

 旧満洲国時代、「爆破地点」と麗々しく記念標識を線路ぎわにかかげながら、その地点から「柳条湖」という固有名詞を抹殺し、存在もしない「柳条溝」としたことは日本名に書き替えたにひとしい。それこそ侵略である。
 こうした身勝手さが、無神経ぶりが明治人間には旋毛のようにこびりついている。徳川300年の鎖国から由来する蛮性であるか。

【『化城の昭和史 二・二六事件への道と日蓮主義者』寺内大吉〈てらうち・だいきち〉(毎日新聞社、1988年/中公文庫、1996年)以下同】

 寺内は浄土宗の坊さんである。尚且つ戦前を黒歴史と認識しているところから左翼史観に毒されていることが判る。ま、1990年代までの知識人はおしなべてこのレベルで批判するのがリベラルと錯覚していた。大東亜戦争を批判するのは一向に構わないのだが、白人帝国主義という時代背景を見落としている人物が多すぎる。

 ところがである。この記念スナップは、ただ一点で世にも不可思議な装飾を撮しだしていた。画面の右端で天井から垂れさがる達筆な七文字であった。

 ――南無妙法蓮華経

 不気味とも異妖でもある上貼りセロファン紙の説明がなければ特定の宗教結社の集会を思わせる。それにしては軍服姿が多すぎる。
「これ……何でしょうねぇ」
 改作は写真部長に指で示した。無論セロファン紙のそこに注釈、説明はなかった。
「知らんのかいな。お題目やがな」
 ことなげに言い捨てて、かえりみようともしない。
「わかってますよ、それくらいは……でもなぜ、こんなものが会場にぶら下がっているんだろう」
 建国会議のスローガンにしては面妖だし、さりとて関東軍が日常にぶら下げていたとしら、いよいよ奇怪である。
「そやなぁ、改作よ。石原参謀は熱心な法華信者やさかい、あの人が持ちこんだんとちがうかいな」
 写真部長は相変らずの無関心ぶりである。(中略)

 日中両国の共存共栄が、満蒙三千万無産大衆の楽園が、石原莞爾にあってはナショナリズムを超越した南無妙法蓮華経からみちびき出されるということになる。だからこそ国旗も軍旗も飾らない会場を染め上げtあ七文字の題目であった。
「改作よ。思い出した」
 写真部長はあわてて補足しようとする。
「何ですか」
「関東軍ハンが言うとったな。この2月16日は日蓮聖人の誕生日なんやと」
 この関東軍ハンは大連支局長のことだ。彼は石原莞爾から教えられたのであろう。
 日蓮聖人の誕生日だからお題目を会場へかかげた……いよいよその無神経さが疑われるではないか。曲がりなりにも建国会議は国際会議である。これを世界へ訴えて日本に領土的野心が絶無なことを理解してもらおうと意図もしている。
 そこへ個人の信教を持ち出して、押しつけようとする。公私混同も甚だしく、国際感覚はゼロにひとしい。


 主人公の改作は尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉をモデルにしている(『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫)。ソ連のスパイに身を落とした尾崎もまた獄に囚(とら)われたのち法華経に傾倒している。改作という名前は池田大作をもじったものか。

 石原莞爾〈いしわら・かんじ〉は国柱会(立正安国会)の信徒であった。「田中智学先生に影響を受けた人々」を見ると著名人が名を連ねている。田中よりも10歳年下の牧口常三郎は創価教育学会を立ち上げたが、これほどの影響は及ぼしていない。先が見えない動乱の時代にあって指導性を発揮し得た事実を単なるカリスマ性でやり過ごすことはできない。それなりの悟性が輝いていたと考えて然るべきだろう。

 一応私が過去に読んできた書物を列挙してみたが、やはり近代史の中で捉える必要があり、日蓮系の系譜に固執すると全体が見えなくなる。石原莞爾については大変面白い人物だとは思うが、昭和天皇ですら「わからない」と判断を留保した将校だ。小室直樹は「天才」と評価しているが、偏った傾向があまり好きになれない。岩畔豪雄〈いわくろ・ひでお〉の評価あたりが正確だと思われる。

2020-08-20

中国食品の見分け方




2020-08-17

宇宙と素粒子のスケール/『宇宙は何でできているのか 素粒子物理学で解く宇宙の謎』村山斉


『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン
『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー、ブライアン・キング

 ・宇宙と素粒子のスケール

・『宇宙は本当にひとつなのか 最新宇宙論入門』村山斉

 もちろん、物質を原子レベルまでバラバラにするのは容易ではありません。たとえば直径10センチメートルのリンゴをバラバラにすると、ざっと1026個ぐらいの原子になります。どんなに鋭いナイフで刻んでも(その刃は必ず原子より大きいので)無理ですね。
 ちなみに、リンゴ1個と原子1個の大きさの比は、天の川銀河と地球の軌道の大きさの比と同じぐらい。天の川銀河がリンゴだとすると、地球の軌道は原子1個程度の大きさしかないということです。
 さて、原子1個の直径は10-10メートル。かつては、これが「この世でいちばん小さいもの=素粒子」だと考えられていました。
 しかし、やがて原子にも「内部構造」がある――つまり「もっとバラバラにできる」ことが判明します。原子の中心には「原子核」と呼ばれるものがあり、そのまわりを「電子」がくるくると回っている。先ほどの「原子の直径(10-10メートル)」とは、電子が回る軌道の直径だったわけです。
 そして、電子の軌道から原子核までの距離は、決して近くありません。地球と人工衛星ぐらいの距離感をイメージする人が多いと思いますが、原子核の直径は電子の軌道よりはるかに小さく、10-15メートル。電子の軌道の10万分の1です。もちろんミクロの世界の話ですから、私たちの目から見ればどちらも同じようなものですが、実際は5桁も違う。富士山の標高と地球の直径でさえ、4桁しか違いません。原子核から見ると、電子ははるか彼方を飛び回っているのです。
 この原子核の発見によって、「素粒子」のサイズは一気に小さくなりました。ところが、話はそこで終わりません。原子核にも「陽子」や「中間子」といった内部構造があり、その陽子や中間子も、いくつかの粒子によって形づくられているのです。
 その粒子が「クォーク」と呼ばれるもの。いまのところ、クォークこそが真の「素粒子」だと考えられています。その大きさは、どんなに大きく見積もっても10-19メートル。かつて「素粒子」だと思われた原子とは9桁、その真ん中にある原子核とも4桁違うのです。
 さらに重力と電磁気力、そしてあとで説明する強い力と弱い力も統一すると期待されている「ひも理論」では、素粒子の大きさは10-35メートルだと考えられています。

 宇宙は1027メートル、素粒子は10-35メートル。この途方もないスケールが、私たちが存在する自然界の「幅」ということになります。その両端にある宇宙研究と素粒子研究のあいだには62桁もの距離がある、と言ってもいいでしょう。

【『宇宙は何でできているのか 素粒子物理学で解く宇宙の謎』村山斉〈むらやま・ひとし〉(幻冬舎新書、2010年)】

 するってえと1万メートルを基準にすればべき乗は31で釣り合うことになるわけだな。1メートルを基準にするのはヒトの身長に合わせたもの。あるいはヒトの視力と言ってもいいだろう。1メートルの大きさなら、かなり離れてもよく見える。

 一番驚かされたのはミクロ世界の方が8桁もの奥行きがあることだ。真に広大なのは外なる宇宙ではなく微小な宇宙とは俄(にわか)に信じ難い。しかもその全てが、物質もエネルギーも光も性質も性格も本を正せば一点から生じたのである。これに優る不思議はない。

 宇宙の営みは素粒子の移動とエネルギーの変換といえよう。その壮大さを思えば歴史や心理の意味も色褪せる。諸行は一瞬もとどまることなく移ろい、常ならざる様相を展開する。感情は人生に重みを与えるが進化の産物であり、集団内部で生存率を高めるところに本来の目的がある。



2乗や3乗などのn乗(べき乗)をHTMLで表示する方法 | DEVRECO

2020-08-15

手洗いを拒否した医師たち/『医師は最善を尽くしているか 医療現場の常識を変えた11のエピソード』アトゥール・ガワンデ


『予期せぬ瞬間 医療の不完全さは乗り越えられるか』アトゥール・ガワンデ

 ・手洗いを拒否した医師たち

『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ

 1847年、ウィーン在住の弱冠28歳の産科医、イグナーツ・センメルヴェイス産褥熱の原因は医師自身の手洗い不足にあることを証明した。医師ならばだれでも知っている有名な話である。感染症の原因は病原体にあることがわかり、抗生物質が発見される前までは、産褥熱は妊婦の死因のトップだった。産褥熱は細菌感染症であり、溶連菌が原因のトップである。溶連菌は急性咽頭炎の原因でもある。センメルヴェイスが働いていた病院では、毎年3000人のお産があり、そのうち600人以上がこの病気のために亡くなっていた。お産で2割が死ぬと聞けばだれでも怖くなるだろう。一方、当時、自宅でのお産では1パーセントしか亡くならなかったのである。センメルヴェイスはこの差の原因は、医師自身が菌を患者から患者に運んでいるからだと結論した。彼は自分が働く病棟では、医師も看護師も一人の患者の処置が終わるごとに爪の間までブラシと塩素でこすり洗いするようにさせた。病棟での産褥熱による死亡は1パーセント以下になった。これだけでも動かしがたい証拠のように見える。しかし、それでも医師の習慣は変わらなかった。同僚の産科医の中には、センメルヴェイスの主張を批判するものもいた。医師が菌を運んで患者を殺しているという考え自体が受け入れられなかったのである。センメルヴェイスは結局、賞賛を受けるどころか、病院での職を追われることになった。

【『医師は最善を尽くしているか 医療現場の常識を変えた11のエピソード』アトゥール・ガワンデ:原井宏明〈はらい・ひろあき〉訳(みすず書房、2013年/原書、2007年)以下同】

 当時、産褥熱の原因は瘴気(しょうき)と信じられていた。日本だと疫病の原因は「鬼」(き)と考えられてきた。節分の「鬼は外」も感染症の原因を祓(はら)う目的があった。鬼に関しては面白い話がたくさんあるのだが以下のページを紹介するにとどめておく。

鬼と呼ばれたもの
PDF:「鬼」のもたらす病―中国および日本の古医学における病因観とその意義―(上)/長谷川雅雄・辻本裕成・ペトロ・クネヒト

 話はこれで終わらない。センメルヴェイスは動物実験で証明することや論文を書くことを求められたが激しく拒んだ。理由は不明である。彼は侮辱されたとして激越な個人攻撃で応じた。病院スタッフにも厳しく当たるようになった。天才は狂信者に変貌した。

 病院とは患者の集まる場所である。時に医師や病院が感染を拡大させることがある。現場では基本である手洗いの励行すら難しいという。

 通常の石けんでもていねいに洗えば、感染症をそこそこ防げる。表面活性作用によってはほこりやあかが取り除かれる。しかし、15秒間洗ったとしても、菌の数はひと桁減る程度である。通常の石けんでは不十分であることをセンメルヴェイスは知っていて、だからこそ塩素水を感染症予防に使うようにした。今日の殺菌性石けんは菌の細胞膜と蛋白を破壊する塩化ヘキシジンのような薬品を含んでいる。このような石けんを使ったとしても、正しい手洗いを行うためには、厳密なやり方に従わなければならない。最初に、時計や指輪などの装飾品を取り外さなければならない。これらは細菌の住処として悪名高い。次に蛇口からのお湯で手を濡らす。石けんを出し、前腕の3分の1を含む手の皮膚全体につけ、15秒から30秒間(石けんによって異なる)洗いつづけなければならない。そして、すすぎを30秒間続ける。綺麗な使い捨てタオルで完全に乾かす。最後に、使い捨てタオルを使って蛇口を閉める。患者に触れるたびにこれを繰り返す。
 だれもこの通りにはやっていない。事実上不可能だ。朝の回診では、一人のレジデントが1時間あたり20人の患者を診て回る。集中治療室の看護師も同じくらいの密度で患者と接しており、そのたびに手洗いが必要である。手洗い1回に要する時間をなんとか1分以内に納めたとしても、それでも労働時間の3分の1は手洗いに使っていることになる。そして、何度も手を洗えば、皮膚が荒れ、結果的に皮膚炎を引き起こし、それがさらに細菌の数を増やす。

 感染症拡大の最も大きな原因は都市化による過密な人口だが、病院そのものが患者を過密化するシステムとして作動する。人類が目指した効率はウイルスや細菌にとって絶好の機会となった。

 結論は自ずと導かれる。都市化をやめるか、妥協をするかである。都市化をやめるのは政治決断である。通信技術は電話~FAX~オフィスオートメーション~インターネットと進展してきたが労働時間は決して短くならない。「OAによって事務が効率化したにもかかわらず、ジャパニーズビジネスマンの超過勤務がたった半時間でも減ったわけではない」(『仏の顔もサンドバッグ』小田嶋隆)。霞が関の官僚が国会対策で深夜まで残業を強いられているわけだから、民間の効率化が進むことはまず考えにくい。まずは自民党が経団連の顔色を窺うことをやめて、霞が関改革と労働改革を推進する必要がある。

 日本の手洗い文化は神道の手水(ちょうず)に端を発する。元々は川で身を清めていた禊(みそぎ)を簡略化したのが手水の始まりとされる(手洗い、うがいの歴史は2500年続く | 一般社団法人京すずめ文化観光研究所)。西洋に2000年先んじていたといえば自慢が過ぎるが、国土に河川が多い地の利も見逃せない。水が豊富な国は存外少ない。