検索キーワード「アインシュタイン」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示
検索キーワード「アインシュタイン」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示

2014-09-18

キリスト教と仏教の時間論/『死生観を問いなおす』広井良典


『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世

 ・キリスト教と仏教の「永遠」は異なる
 ・時間の複層性
 ・人間とは「ケアする動物」である
 ・死生観の構築
 ・存在するとは知覚されること
 ・キリスト教と仏教の時間論

『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎

 キリスト教の場合には、「始めと終わり」のあるこの世の時間の先に、つまり終末の先に、この世とは異なる「永遠の時間」が存在する、と考える。さらに言えば、そこに至ることこそが救済への道なのである(死→復活→永遠という構図)。他方、仏教の場合には、先に車輪のたとえをしたけれども、回転する現象としての時間の中にとどまり続けること、つまり輪廻転生の中に投げ出されていることは「一切皆苦」であり、そこから抜け出して(車輪の中心部である)「永遠の時間」に至ることが、やはり救済となる(輪廻→解脱→永遠という構図)。
 念のために補足すると、ここでいう「永遠」とは、「時間がずっと続くこと」という意味というよりは、むしろ「時間を超えていること(超・時間性)、時間が存在しないこと(無・時間性)」といった意味である。(中略)こうした「永遠」というテーマは、そのまま「死」というものをどう理解するかということと直結する主題である。だからこそ、あらゆる宗教にとって、というよりも人間にとって、この「永遠」というものを自分のなかでどう位置づけ、理解するかが、死生観の根幹をなすと言ってもよいのである。

【『死生観を問いなおす』広井良典(ちくま新書、2001年)】

 死を、もっと具体的にいえば「死の向こう側」をどう設定するかで人の生き方は変わる。「今さえよければいい」という態度を刹那的(せつなてき)と切り捨てるのは、国家や社会が揺らぐのを防ぐためだ。「将来のために現在を犠牲にすることが正しい」との価値観を刷り込まれると、知らず知らずのうちに奴隷的な生き方を強いられる。

 宗教と科学を根本で支えているのは時間であり、時間論という軸で宗教と科学は完全に結びつく。時間こそがこの世を解き明かす一大テーマである。

 宗教は「あの世の論理」(苫米地英人)であり、科学は「この世の論理」である。今気づいたのだが日蓮が政治(この世の論理)にコミットしたのは、一世を風靡した浄土思想からこの世に引き戻す企てであったのかもしれない。アインシュタインが宗教を滅ぼしたと私は考える。観測者の運動状態によって時間の進み方が異なる(相対性理論)ことがわかった時点で、もろもろの宗教は単なる一観測者となったのだ。時間が絶対的なものではないという事実が宗教に鉄槌を加えた。ところがそれに気づいた宗教者はいない。

 時間という概念を有する我々は一生という限定された時間を超越することを望み、死後にまで延長しようと目論む。だが永遠って何だ? 永遠に続く映画を見たい人はいるのか? ドラマ『24 -TWENTY FOUR-』が『永遠 -FOEVER-』とタイトル変更をして120歳になっても戦うジャック・バウアーが想像できるか?

 永遠とは「終わりがない」ことを意味する。永遠のドラマが見たいならgif画像を見ればいい。その終わりがない、繰り返しの続く回し車を走るハムスターのような人生をブッダは六道輪廻と説いた。そう。六道回し車だ。

 永遠と無限は異なる。0と1の間に無限は確かに存在する。だが永遠は存在しない。なぜなら観測できる人がいないからだ。永遠の欺瞞を見抜け。特に「永遠の愛」。

2008-10-25

エントロピーを解明したボルツマン/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 私は本書のことを、「現代の経典」に位置すべき作品だ、と書いた。付箋を挟んだページを読み直し、膨大なテキストを書写したが、あながち間違っていないことが確認できた。そこで、がっぷり四つで取り組むことを決意した。こうした行動は過去に何度か試行されているが、その試行のいずれもが錯誤で終わっていることを明言しておく(『千日の瑠璃』→止まったまま、『ホロコースト産業  同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』→進行中、『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』→まだ端緒)。だが、時を逸してはなるまい。

 では一時限目は、エントロピーから始めよう。

 私は20代の頃に、都筑卓司著『マックスウェルの悪魔 確率から物理学へ』(ブルーバックス、1970年)を読んで以来、エントロピーを誤解し続けてきた。その意味で私にとっては悪書中の悪書といってよい。科学者の仕事は、科学的知識を散りばめて自分の信念を表明することである。そこに、思い込みや勘違い、はたまた誤謬(ごびゅう)や嘘が入り込む余地が大いにあるのだ。科学者だって「にんげんだもの みつを」だ。すなわち、科学者の一部、あるいは大半が「トンデモ野郎」ということだ(←言い過ぎだ)。

 早速、エントロピーを学ぼう。以下のページを読めば十分だ。

「エントロピー」=「乱雑さ具合」ではない

 これでも難しいという人は、次に挙げるテキストをマスターしてから臨んだほうがいいだろう。ニュートンからアインシュタインまでの流れ、そして量子力学&宇宙論、更に脳科学は、世界を読み解く上でどうしても不可欠となる。

『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン
『「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!』佐藤勝彦
『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』池谷裕二

 で、ボルツマンだ――

 ボルツマンの発想は単純そのものだった。彼は、いわゆる〈巨視的(マクロ)状態〉と〈微視的(ミクロ)状態〉、つまり、物質の巨大な集合体の属性と、その物質の個々の構成要素の属性を区別したのだ。マクロ状態とは、温度、圧力、体積などだ。ミクロ状態とは、個々の構成要素の振る舞いの正確な記述から成る。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

 科学の世界も政治に支配されていることが、よくわかるだろう。人間が集まれば、必ず欲望と功名心と利害というパラメータが働く。そして、真理を証明する者は葬られるのだ。歴史は繰り返す。巡る因果は糸車、だ。

「神は細部に宿る」ことをボルツマンは立証した。だが、神はボルツマンを助けなかった。そんな神様があなたや私を助けるわけがないわな。



宗教とは何か?
物語の本質〜青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
デカルト劇場と認知科学/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
無我/『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
脳神経科学本の傑作/『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン
宗教学者の不勉強/『21世紀の宗教研究 脳科学・進化生物学と宗教学の接点』井上順孝編、マイケル・ヴィツェル、長谷川眞理子、芦名定道
人間は世界を幻のように見る/『歴史的意識について』竹山道雄

2019-04-25

ジョン・ホイーラーが示したビッグクエスチョン/『量子が変える情報の宇宙』ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー


『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック
『量子革命 アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突』マンジット・クマール
『宇宙は「もつれ」でできている 「量子論最大の難問」はどう解き明かされたか』ルイーザ・ギルダー

 ・ジョン・ホイーラーが示したビッグクエスチョン

『すごい物理学講義』カルロ・ロヴェッリ
『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ
『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』セス・ロイド
『宇宙が始まる前には何があったのか?』ローレンス・クラウス

情報とアルゴリズム
必読書リスト その三

 指導者としてのウィーラーは、言葉の持つ魔力を知り抜いていた。一例を挙げると、物理学会が星の崩壊という現象に真剣に目を向けるよう、彼は「ブラックホール」という言葉をこしらえ、この企ては予想を超えた成功を収めた。しかし、晩年になって名声が高まり、評論や講演がより幅広い人々を対象としたものになるにつれて、ウィーラーは、量子力学の解釈や宇宙の起源といった、物理学と哲学が衝突する深遠な問題に的を絞りはじめた。自分の考えを人々の記憶に残る取っつきやすい言葉で表現するために、彼は「ビッグ・クエスチョン」と呼ぶ神託めいた独特な言い回しを作り出した。その中で最も重要な「真のビッグ・クエスチョン」が、この生誕90周年記念シンポジウムにおける議題選定のきっかけとなった。講演者は一人ひとり、これらの謎めいた金言からどんな閃(ひらめ)きをエたのかを、直々(じきじき)に証言したのである。
 ウィーラーの「真のビッグ・クエスチョン」は、まさに抽象的な性質のものであり、また車のバンパーに貼るステッカーに記せるほど簡潔なものだが、運転中にそれに思いを巡らせるのはお勧めできない。その中の五つは、特に際だっている。

いかにして存在したか?
なぜ量子か?
参加型の宇宙か?
何が意味を与えたか?
ITはBITからなるか?

【『量子が変える情報の宇宙』ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー:水谷淳〈みずたに・じゅん〉訳(日経BP社、2006年)】

「ウィーラー」がジョン・ホイーラー(1911-2008年)のことだと気づくのに少し時間がかかった。名前くらいは統一表記にしてもらいたいものだ。昨今の潮流としては原音に近い表記をするようになっているが、もともと日本語表記のセンスはそれほど悪くない。「YEAH」も現在は「イェー」だが、1960年代は「ヤァ」と書いた。ホイーラーはブラックホールの名付け親として広く知られる。

 ぎりぎりまで圧縮されたビッグクエスチョンは哲学的な表現となって激しく脳を揺さぶる。さしずめブッダであれば無記で応じたことだろうが、凡夫の知はとどまるところを知らない。わかったからどうだということではなく、わからずにはいられないのだ。

 存在と認識を突き詰めたところに意識と情報が浮かび上がってくる。参加型の宇宙とは人間原理のこと。人間の意識が宇宙の存在に関与しているという考え方だ。

 人類の進化はまだ途中だろう。ポスト・ヒューマンがレイ・カーツワイルが指摘するような形になるか、あるいは新たな群れ構造が誕生するに違いない。技術の発達を人類の情報共有という点から見れば、我々は知の共有は既に成し遂げたと考えてよい。月から撮影された地球の写真が人々の脳を一変させた事実はそれほど遠い昔のことではない。

 情のレベルは国家や民族という枠組みがあるもののまだまだ一つになっているとは言い難い。祭りと宗教にその鍵があると思われるが、現代社会では音楽や映画の方が大きな影響を及ぼしている。近未来の可能性としてはバイブルを超えるバイブルの誕生もあり得るだろう。人類が戦争を好んでやまないのは群れとしての一体感を感じるためだ。

 種としてのヒトが完全な群れと進化した時、新たな「群れの意識」が創生されることだろう。知情意は共有され、合理的な行動が近未来に向って走り出す。宇宙に向けて偉大な一歩が踏み出されるのはその時だ。

2008-11-16

ゲーデルの生と死/『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎


『死生観を問いなおす』広井良典

 ・ゲーデルの生と死
 ・すべての数学的な真理を証明するシステムは永遠に存在しない
 ・すべての犯罪を立証する司法システムは永遠に存在しない
 ・アインシュタイン「私は、エレガントに逝く」
 ・クルト・ゲーデルが考えたこと

『理性の限界 不可能性・確定性・不完全性』高橋昌一郎
『知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性』高橋昌一郎
『感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性』高橋昌一郎

宗教とは何か?
必読書 その三

 ゲーデルの不完全性定理入門。これは良書。新書でこれだけの内容を盛り込めるのだから、高橋昌一郎の筆力恐るべし。ただ、読点が多過ぎるのが気になった(「、ゲーデルが、」が目立つ)。

 巻頭でゲーデルの人生がスケッチされているが、これまた秀逸。一気に引き込まれる――

 クルト・ゲーデルは、1978年1月14日、71歳で生涯を閉じた。死亡診断書に記載された死因は、「人格障害による栄養失調および飢餓衰弱」である。身長5フィート7インチ(約170センチメートル)に対して、死亡時の体重は65ポンド(約30キログラム)にすぎなかった。死の直前のゲーデルは、誰かに毒殺されるという強迫観念に支配された。そのため、食事を摂取できなくなり、医師の治療も拒否して、自らを餓死に追い込んだのである。彼は、椅子に座ったまま、胎児のような姿勢で亡くなっていた。
 3月3日、ゲーデルの追悼式典が、プリンストン高等研究所で開催された。司会を務めた数学者アンドレ・ヴェイユは、「過去2500年を振り返っても、アリストテレスと肩を並べると誇張なく言えるのは、ゲーデルただ一人である」と述べた。このような賛辞は、ゲーデルにとって生存中から珍しいものではない。
 すでに1950年代、高等研究所所長だったロバート・オッペンハイマーは、入院中のゲーデルの担当医師に向かって、「君の患者は、アリストテレス以来の最大の論理学者だからね」と声をかけている。70年代には、物理学者ジョン・ホイーラーが、「アリストテレス以来の最大の論理学者と呼ぶくらいでは、ゲーデルを過小評価しすぎだ」と述べている。天才的と呼ばれる数学者や物理学者にとっても、ゲーデルは、さらに別格の天才だったのである。
 1929年、23歳のゲーデルは、ウィーン大学博士論文で「完全性定理」を証明した。この定理は、古典論理の完全性を表したもので、アリストテレスの三段論法に始まる推論規則が完全にシステム化されることを示している。つまり、ゲーデルは、完全性定理によって古典論理学を完成させたのであり、この時点でアリストテレスと肩を並べたと言っても、過言ではない。
 その翌年、24歳のゲーデルは、「不完全性定理」を証明した。この定理は、古典論理とは違って、自然数論を完全にシステム化できないことを表している。一般に、有意味な情報を生み出す体系は自然数論を含むことから、不完全性定理は、いかなる有意味な体系も完全にシステム化できないという驚異的な事実を示したことになる。オッペンハイマーが「人間の理性一般における限界を明らかにした」と述べたように、不完全性定理は、人類の世界観を根本的に変革させたのである。

【『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎〈たかはし・しょういちろう〉(講談社現代新書、1999年)】

 で、不完全性定理だ。昨今の科学本には、量子力学と共に必ず登場する。いやはや私も衝撃を受けた。心底驚いたよ。

 本物の学説は、それまでの研究成果を台無しにする破壊力に満ちている。それは、まさしく「革命」の名に値する。何とはなしに、「ブッダやイエスが説いた教えを初めて聞いた人々も、こんな衝撃を受けたんだろうな」と思ってしまうほど。

 数学が神の領域に達する様相は、実にスリリングで脳味噌が激しく揺さぶられる。



アルゴリズムとは/『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ
論理万能主義は誤り/『国家の品格』藤原正彦

2011-10-06

地球外文明(ETC)は存在しない/『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由 フェルミのパラドックス』スティーヴン・ウェッブ


『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン
『黒体と量子猫』ジェニファー・ウーレット
・『重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る』大栗博司

 ・地球外文明(ETC)は存在しない

『ブラックホール戦争 スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い』レオナルド・サスキンド

 神と宇宙人と幽霊はたぶん同一人物だ。いずれも自我の延長線上に位置するもので、人類共通の願望が浮かび上がってくる。で、少なからず見たことのある人はいるのだが、連れてきた人は一人もいない。

霊界は「もちろんある」/『カミとヒトの解剖学』養老孟司

 すなわち神と宇宙人と幽霊は情報次元において存在するのだ。ま、ドラえもんと似たようなものと思えばいい。ドラえもんは存在するが、やはり連れてくることは不可能だ。

「地球外文明(エクストラテレストリアル・シヴィリゼーション/略してETC)〈※原文表記は Extra-Terrestrial Civilization か〉」は、厳密にいえば宇宙人というよりも、高度な文明をもつ知的生命体という意味合いだ。

 ロシアの天体物理学者ニコライ・カルダシェフは、そのような分類について、役に立つ考え方を提案した。ETCの技術水準は三つあるのではないかという。カルダシェフ・タイプ1、つまりK1文明は、われわれの文明と同等で、惑星のエネルギー資源を利用することができる文明である。K2文明になると、地球の文明を超え、恒星のエネルギー資源を利用できる。K3文明ともなると、銀河全体のエネルギー資源を利用できる。さて、(スティーヴン・)ジレットによれば、銀河にあるETCの大半はK2かK3ではないかという。地球上の生命についてわかっていることからすると、生命には利用可能な空間を見つけて、そこへ広がっていくという、生得の傾向があるらしい。地球外生命は別だと考える理由はない。きっとETCは、生まれた星系から銀河へ進出しようとしているだろう。ここで大事なのは、技術的に進んだETCなら、数百万年で銀河系を植民地にできるという点である。それならすでに地球にも来ていていいはずだ。銀河は生命であふれかえっているはずだ。ところがETCが存在する証拠は見つかっていない。ジレットはこれをフェルミ・パラドックスと呼んだ。ジレットにとって、このパラドックスはそっけない結論を示していた。この宇宙にいるのは、人類だけということである。

【『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由 フェルミのパラドックス』スティーヴン・ウェッブ:松浦俊輔訳(青土社、2004年/新版『広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由』、2018年)以下同】

カルダシェフの定義
フェルミのパラドックス

 科学者の想像力は凄いもんだ。「あ!」と頭の中に電気が灯(とも)る。「ってなわけで、やっぱりいないのよ」以上、で終わってもよさそうなものだが、スティーヴン・ウェッブはここから50の理由を挙証してゆく。

Black Hole Pumps Iron (NASA, Chandra, 09/14/09)

 まずはエンリコ・フェルミの人となりを紹介しよう。

 その後まもなく、ベータ崩壊(大質量の原子核にある、電子を放出するタイプの放射能)に関するフェルミの理論で、その国際的な名声は定まった。その理論は、電子とともに、幽霊のような正体不明の粒子が放出されることを求めていた。この粒子をフェルミは中性微子(ニュートリノ)――「小さな中性のもの」と呼んだ。このような仮説的なフェルミ粒子の存在を誰もが信じた訳ではないが、結局、フェルミは正しかった。物理学者は1956年、とうとう、ニュートリノを検出したのである。

 何と「ニュートリノ」を命名した人物であった。しかも生まれるずっと前の名付け親ときたもんだ。偉大なるオジイサンとしか言いようがない。

 フェルミの同業者たちは、物理学の問題についてその核心をまっすぐ見通し、それを簡単な言葉で述べるフェルミの恐ろしいほどの能力を讃えていた。みんなフェルミのことを法王と呼んでいた。間違うことがないように見えたからだ。それと同様に印象的だったのが、答えの大きさを推定する方法だった(複雑な計算を暗算することも多かった)。フェルミはこの能力を学生に教え込もうとした。いきなり、一見すると答えようのない問題に答えろと命じることがよくあった。世界中の海岸にある砂粒の数はいくらかとか、カラスは止まらないでどのくらいの距離飛べるかとか、人が呼吸するたびに、ジュリアス・シーザーが最後に吐いた息の中にある原子のうち何個を呼吸していることになるかとかの問題である。このような「フェルミ推定」(今ではそう呼ばれている)を考えるには、学生は世界や日常の経験についての理解に基づいて、おおざっぱな近似をする必要がある。教科書やすでにある知識に基づいてはいられないのだ。

 科学は合理性をもって世界を捉える。ここに科学の魅力がある。例えば人体は60兆個の細胞から成る。そして毎日15兆個(20%)が死ぬ。1秒間で5000万の細胞が生まれ変わる。血管全部をつなぐと10万km(地球2周半に相当)になり、肺を広げるとテニスコート半分ほどとなる(「からだの不思議 素晴らしい人体」を参照した)。

 これは単なる数量の計測ではない。人体を小宇宙と開く偉大な発見なのだ。

 パラドックスという言葉は二つのギリシア語に由来する。「~に反する」という意味の「パラ」と、「見解・判断」を意味する「ドクサ」である。それはある見解や解釈とともに、別の、互いに排除し合う見解があることを述べている。この言葉はいろいろな細かい意味をまとうようになったが、どの使い方にも、中心には矛盾という観念がある。ただ、パラドックスはつじつまが合わないだけのことではない。「雨が降っている。雨は降っていない」と言えば、それは自己矛盾で、パラドックスはそれだけのことではない。パラドックスが生じるのは、一群の自明の前提から始めて、その前提を危うくする結論が導かれるときである。外ではきっと雨が降っているに違いないとする鉄壁の論拠があったとして、それでも窓の外を見ると雨は降っていない。この場合、解決すべきパラドックスがあるということになる。
 弱いパラドックスあるいは「誤謬(ファラシー)」は、少し考えれば解決がつくことが多い。矛盾が生じるのは、たいてい、ただ前提から結論に至る論理のつながりを間違えているだけだからだ。これに対して強いパラドックスでは、矛盾の元はすぐには明らかにならない。解決がつくまで何世紀もかかることもある。強いパラドックスには、われわれが後生大事に抱えている理論や信仰を問い直すという力がある。

 パラドックスというテーマにも強弱があるという指摘が面白い。小疑は小悟に、大疑は大悟に通じるということなのだろう。宗教って、こういうところが曖昧なんだよね。彼らはバイブルや経典に束縛されて合理性を見失うのだ。だから、どの宗教でも間違い探しみたいな研鑚ばかりしているのが現状だ。

Black Holes Have Simple Feeding Habits (NASA, Chandra, 6/18/08)

 では、フェルミ・パラドックスが誕生した瞬間を見てみよう。

 4人は腰をおろして昼食をとり、話はもっと現世的なことに転じた。すると、まだほかのこと話しているさなか、だしぬけにフェルミが聞いた。「みんなどこにいるんだろうね」。昼食をともにしていたテラー、ヨーク、コノピンスキーは、フェルミが地球外からの来訪者のことを言っているのだとすぐに理解した。それがフェルミだったので、みな、それが最初思われていたよりも厄介で根本にかかわる問題であることに気づいた。ヨークの記憶では、フェルミは次々と解散して、地球はとっくに誰かが、何度も来ているはずだという結論を出した。(1950年、ロスアラモスにて)

 ロスアラモスの昼食から生まれたというのが示唆的だ。ロスアラモスは核爆弾の総本山である。

 言い換えれば、われわれと通信しようとする文明が、今現在、100万あってもおかしくないということだ。すると、なぜ、向こうからの声が聞こえてこないのだろう。それに、どうしてこちらへ来ていないのだろう。(中略)みんなどこにいるのか。【彼らはどこにいるのだろう】。これがフェルミ・パラドックスである。
 パラドックスは知的生命が存在しないということではないことに気をつけておこう。パラドックスは、知的生命が存在すると予想されるのに、その兆しが見あたらないということである。

 つまり文明が発達していれば当然放射されるはずの電磁波が観測されていないのだ。もちろん宇宙は広大であるがゆえに、たまたま地球の上を通過していないと考えることはできる。

 このパラドックスが別個に四度発見されたことを知れば、このパラドックスの力がわかるだろう。このパラドックスは、正確にはツィオルコフスキー=フェルミ=ヴューイング=ハート・パラドックスと呼ぶべきかもしれない。

 知のシンクロニシティといってよい。一握りの人が先鞭(せんべん)をつける格好で脳内のネットワークシステムは進化し続ける。

Kepler's Supernova Has Fast-Moving Shell (NASA, Chandra, Hubble, Spitzer,10/06/04)

 しかし今のところ何も見つかっていない。探査機は熱を放出しているだろうが、異常な赤外線も観測されていない。

 高度な技術をもつ知的生命体が存在する可能性は極めて低い。

 しかしわれわれは自信をもって、エイリアンの存在を示す証拠はまだ見つかっていないと言うことはできる。それを観測していないのに、なぜいるかもしれないと想定するのだろう(さらに、探査機が太陽系にいるのなら、どうして地球だけ放っておくのかという問題も残る)

 宇宙人を信じる人々は願望を投影しているのだ。著者は物理学者であるが元々はETC肯定派だったという。科学者の間でさえ意見が分かれている。

 もしかしたら、われわれみながエイリアンなのかもしれないのだ。

 人体だって元を尋ねれば星屑に行き着くわけだから、別にエイリアンであっても構わんがね。特に地球という土地に束縛される必要はないだろう。

 地球外文明(ETC)は存在しない。今のところは。



偽りの記憶/『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』スーザン・A・クランシー
宇宙人に誘拐されたアメリカ人は400万人もいる/『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー、ブライアン・キング

2017-05-31

信じることと騙されること/『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節


『巷の神々』(『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)石原慎太郎
『対話 人間の原点』小谷喜美、石原慎太郎

 ・信じることと騙されること

『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 山村に滞在していると、かつてはキツネにだまされたという話をよく聞いた。それはあまりにもたくさんあって、ありふれた話といってよいほどであった。キツネだけではない。タヌキにも、ムジナにも、イタチにさえ人間たちはだまされていた。そういう話がたえず発生していたのである。
 ところがよく聞いてみると、それはいずれも1965年(昭和40年)以前の話だった。1965年以降は、あれほどあったキツネにだまされたという話が、日本の社会から発生しなくなってしまうのである。それも全国ほぼ一斉に、である。

【『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節〈うちやま・たかし〉(講談社現代新書、2007年)以下同】

 目の付けどころが素晴らしい。やはり現実を鋭く見据える眼差しに学問の出発点があるのだろう。私は道産子だが、歴史の浅い北海道ですら狐憑(つ)きの話は聞いたことがある。

 結局、東京オリンピック(1964年10月10日~24日)が日本社会を一変させたのだろう。ともすると経済的発展のみが注目されがちだが宗教性や精神性まで変わったという指摘は瞠目に値する。

 ただし内山節が試みるのは科学的検証ではない。

 私が知っているのは、かつて日本の人々はあたり前のようにキツネにだまされながら暮らしていた、あるいはそういう暮らしが自然と人間の関係のなかにあったという山のように多くの物語が存在した、という事実だけである。

 つまり「キツネは人を騙(だま)す動物である」という共通認識のもとで、「騙された」という話を共有できる情報空間がかつて存在したのだ。

 内山はコミュニケーションの変化を指摘する。1960年代にテレビが普及したことで口語体に変化が現れた。言葉は映像を補完するものとして格下げされた。また映像が視聴者から想像力を奪った。そして時差も消えた。

 人から人に伝えられる場合、情報には脚色が施される。事実よりも物語性に重きが置かれる。

 さらに電話の普及は、人間どうしのコミュニケーションから表情のもっていた役割をなくさせ、用件のみを伝えるというコミュニケーション作法をひろげていった。
 同時に1960年代に入ると、自然からの情報を読むという行為も衰退しはじめたのである。

 隔世の感がある。電話で長話・無駄話をするようになったのはバブル景気(1986~1991年)の頃からだろう。

公共の空間に土足のままで入り込む携帯電話/『仏の顔もサンドバッグ』小田嶋隆

 そしてバブル景気と歩調を合わせるようにファクシミリポケットベル携帯電話が普及する。

 文明の利器(←もはや死語)は人類から「語り」という文化を奪ったのだろう。古来、ヒトは焚き火や炉を囲んで先祖伝来の物語を伝え、コミュニケーションを図った。現在辛うじて残っているのは日本の炬燵(こたつ)くらいのものだが、エアコンやファンヒーターを併用しているため寄り添う気持ちが弱まる。

 では本題に入ろう。

 幕末から明治時代に新しく生まれた宗教は、ある日一人の人間が神がかりをし、神の意志を伝えるかたちで誕生したものが多い。たとえば大本教(おおもときょう)をみれば、出口なお(※1837-1918年)が神がかりしてはじまる。その出口なおは以前から地域社会で一目おかれていた人ではない。貧しく、苦労の多い、学問もない、その意味で社会の底辺で生きていた人である。その【なお】が神がかりし、「訳のわからないこと」を言いはじめる。このとき周りの人々が、「あのばあさんも気がふれた」で終りにしていたら、大本教は生まれなかった。状況をみるかぎり、それでもよかったはずなのである。ところが神がかりをして語りつづける言葉に、「真理」を感じた人たちがいた。その人たちが、【なお】を教祖とした結びつきをもちはじめる。そこに大本教の母体が芽生えた。
 この場合、大本教を開いた人は出口なおであるのか、それとも【なお】の言葉に「真理」を感じた人の方だったのか。
 必要だったのは両者の共鳴だろう。とすると、「真理」を感じた人たちは、なぜ【なお】の言葉に「真理」を感じとったのか。私は「真理」を感じた人たちの気持のなかに、すでに【なお】と共通するものが潜んでいたからだと思う。自分のなかにも同じような気持があった。しかしそれは言葉にはならない気持だった。表現形態をもたない気持。わかりやすくいえば無意識的な意識だった。そこに【なお】の言葉が共鳴したとき、人々のなかから、【なお】は気がふれたのではなく「真理」を語っていると思う人が現われた。教祖は無意識的な意識に、それを表現しうる言葉を与えたのである。
 この関係は、古くからある宗教でも変わりはないと私は考えている。他者のなかにある無意識的な意識との共鳴が生まれなければ、どれほど深い教義の伝達があったとしても、大きな宗教的動きには転じない。

 内山節は哲学者である。視点が宗教学者よりも一段高く、宗教を社会現象として捉えている。

 よく考えてみよう。これは宗教現象に限ったことであろうか? そうではあるまい。政治にせよ経済にせよ、はたまた科学に至るまで共鳴と流行が見られる。無神論者のアインシュタインでさえ宇宙の大きさは静止した定常状態であると思い込んでいた。脳は情報に束縛されるのだ。それが悟りであろうと神懸(がか)りであろうと脳内情報であることに変わりはない。前世の物語も現在の脳から生まれる。

 国民国家の時代における戦争と平和もひとえに国民の共鳴が織り成す状態と考えられよう。企業の繁栄も社員や消費者の共鳴に支えられている。技術革新がそのままヒット商品になるかといえばそうではない。かつてソニーが開発したベータマックスはソフト(実態としてはエロビデオ)が貧弱であったために普及しなかった。

 我々が「正しい」とか「確かにそうだ」と感じる根拠は理性よりも感情に基づいているような気がする。つまり脳の揺れ(共鳴)が心地よいかどうかで判断しているのだろう。歴史が進化するなどというのは共産主義者の戯言(たわごと)だ。

 内山の達観には敬意を表するが文系の限界をも露呈している。ここまで気づいていながらネットワーク科学~複雑系科学に踏み込んでいない物足りなさがある。

『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』マーク・ブキャナン
『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』マルコム・グラッドウェル
『新ネットワーク思考 世界のしくみを読み解く』アルバート=ラズロ・バラバシ
『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン
『複雑で単純な世界 不確実なできごとを複雑系で予測する』ニール・ジョンソン

 更にここから意識(心脳問題)や認知科学行動経済学を視野に入れなければ読書量が足りないと言わざるを得ない。

 もう一歩思索してみよう。人々は何に対して共鳴するのだろうか? それはスタイル(文体)である。

歴史とは「文体(スタイル)の積畳である」/『漢字がつくった東アジア』石川九楊

 仏典も聖書も大衆が魅了されるのは論理性ではなく文体(スタイル)であろう。ここが重要だ。そして受け入れらたスタイルは様式となりエートス(気風)に至る。「マックス・ヴェーバーはかくいった。宗教とは何か、それは『エトス(Ethos)』のことであると。エトスというのは簡単に訳すと『行動様式』。つまり、行動のパターンである」(『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹)。

 信じるから騙される。もっと言ってしまおう。信じることは騙されることでもある。言葉という虚構(フィクション)で共同体を維持するためには物語(フィクション)が必要になる(『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ)。神話を信じることは神話に騙されることを意味する。神話を疑う者はコミュニティから弾(はじ)き出される。

 我々だって大差はない。小説、演劇、ドラマ、映画、漫画、歌詞、絵画に至るまで散々フィクションを楽しんでいるではないか。そう。俺たち騙されるのが好きなんだよ(笑)。

2011-07-17

進化論に驚いたクリスチャン


 ・太陽系の本当の大きさ
 ・相対性理論によれば飛行機に乗ると若返る
 ・枕には4万匹のダニがいる
 ・あなた個人を終点とする長い長い系図
 ・陽子
 ・ビッグバン宇宙論
 ・進化論に驚いたクリスチャン

『人類が生まれるための12の偶然』眞淳平:松井孝典監修
『黒体と量子猫』ジェニファー・ウーレット
・『重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る』大栗博司
『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由 フェルミのパラドックス』スティーヴン・ウェッブ
『ブラックホール戦争 スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い』レオナルド・サスキンド

 先祖が猿だなんて!
 本当であってほしくない。
 でも本当だとしたら、
 そんな話が世間に広まらないようお祈りしなくては。
  ――ウースター主教夫人がダーウィンの進化論を聞いたときに発したとされる言葉

【『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン:楡井浩一〈にれい・こういち〉訳(NHK出版、2006年/新潮文庫、2014年)】

人類が知っていることすべての短い歴史(上) (新潮文庫)人類が知っていることすべての短い歴史(下) (新潮文庫)

2013-12-10

ネット時代の読書法


 昨日(「私のダメな読書法」)の続きを。

 読書という大地は広大で、書籍の山はエベレストのように高い。やはり優れたガイドが必要だ。私にとっては向井敏〈むかい・さとし〉が頼りであった。そこに彗星の如く内藤陳が登場する。『読まずに死ねるか!』(集英社、1983年)シリーズはバイブルとなった。

 あの頃(30年前)は音楽であれば月刊誌『ミュージック・マガジン』(中村とうよう編集)とNHK-FMの「クロスオーバーイレブン」で探すしかなかった。何という情報の乏しさだろう。レコード購入の選択ミスなどざらだった。

 今はインターネットがある。その気になれば情報はいくらでも見つけることが可能となった。

 私の経験から申せば、やはり若い時期は努めて濫読(らんどく)すべきだ。10年間で1000冊程度読めば、たどたどしいながらも自分なりの地図ができてくる。ここでガイドとすべきは自分と感性が近い人物だ。私は開高健や谷沢永一よりも向井敏に共感を覚えた。

 自分が感動した本のタイトルで検索をする。徹底的に。書評ブログは数が多いようで実は少ない。私はamazonレビュワーまで追っ掛けているよ(笑)。情報はある程度の量がないと精度が上がらない。そして獲物を見つけたら、直ちにそこから別の本を辿るのである。自分の目に止まる本の数は極めて限られている。だから視野を広げる努力をするよりも他人の目を使った方が手っ取り早い。

 で、googleも意外と当てにならない。書籍タイトルで検索するのはまだ初心者だ。私はテキストでも検索をかける。それでもダメなら複数キーワードを挿入する。ここに検索センスが求められる。

 1000冊という最初の山を踏破した後は、カテゴリーやテーマを決めてまとめ読みするのが効果的だ。アインシュタインの相対性理論だって、10冊読めば何となく理解できるようになるし、20冊も読めばそこそこ語れるようになるものだ。概念を脳に定着させるためには反復が必要となる。関連書に共通する類似部分が理解を深めるのだ。

 最初は興味本位でいいと思う。しかしある程度力を蓄えたならば、登るべき峰を自分できちんと設定することが望ましい。自分で高さを実感するからこそ眺望が開けるのだ。そこにはあなたにしか見えない景色が広がっている。

2014-03-19

クリシュナムルティの三法印/『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムルティ


クリシュナムルティはアインシュタインに匹敵する
コミュニケーションの本質は「理解」にある
クリシュナムルティ「自我の終焉」
・クリシュナムルティの三法印

 ですから、非難もせず、正当化もせず、自己を他のものと同一化もせずに、【あるがままのもの】を【あるがまま】に認識したとき、私たちはそれを理解することができるのです。自分自身がある一定の条件と状況のもとに置かれていることを知ることが、すでに自己解放の過程にあるということです。これに反して、自分が置かれている条件や、内なる葛藤を自覚していない人間は、自分とは別の人間になろうとして、その結果、それが習慣になってしまうのです。そういうわけですから、ここで次のことを銘記しておきましょう。私たちは【あるがままのもの】を【あるがままに】考察し、それに偏向を加えたりせずに、実際にある通りのものを観察し、認識したいのだということを。【あるがままのもの】を認識し追求していくためには、きわめて鋭敏な精神と柔軟な心を必要とします。というのは、【あるがままのもの】は絶え間なく活動し、絶えず変化し続けているからなのです。そしてもし精神が、信念や知識というようなものに束縛されていたりすれば、その精神は追求をやめ、【あるがままのもの】の素早い動きを追わなくなってしまいます。【あるがままのもの】は、決して静的なものではなく、厳密に観察してみると分かるように、絶えず活動しているのです。そしてその動きについてゆくには、非常に鋭敏な精神と柔軟な心の働きが必要なのです。ですから精神が静止していたり、信念や先入観に囚(とら)われていたり、自己を対象と同一化してしまっていると、そのような働きが出てこないのです。また干からびた精神や心は、【あるがままのもの】を素早く敏捷に追っていくことができません。

【『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ:根木宏〈ねぎ・ひろし〉、山口圭三郎〈やまぐち・けいざぶろう〉訳(篠崎書林、1980年)以下同】

 諸法実相を覚知するためには諸法無我が前提となり、あるがままのものは諸行無常である。つまり諸法の実相を見ることが涅槃寂静なのだ。専門用語をひとつも使うことなく三法印をあますところなく説いている。

 ブッダとクリシュナムルティの不思議なる一致に私は恐れをなす。仏とはたぶん人を意味するのではない。それは「現象」なのだ。法が人の姿を通して現れた現象なのだろう。我々の瞳は光を捉えることができない。目に映るのは可視光線だけだ。月光や稲妻は塵(ちり)などに当たった光の反射であろう。ブッダとクリシュナムルティは人類にとって光であった。それゆえ「捉えた」(=わかった)と錯覚してはなるまい。

 我々は「【あるがままのもの】を【あるがまま】に認識」できない。その事実が延髄に衝撃を走らせる。アントニオ猪木の蹴りでさえ、これほどの衝撃を与えることはできない。私は「私」というフィルターを通して世界を見ているのだ。色眼鏡は暗く、鏡は歪んでいる。思考・解釈・類推が私の世界だ。不幸な者にとって世界は忌むべき対象であり、幸福な者にとっては揺りかごみたいな場所なのだろう。

 では「私」を通すことなく世界を見つめることは可能だろうか? 「可能だ」とクリシュナムルティは説く。ならばグズグズ理屈をこねることなく実践しようではないか。諸法無我に至った時、諸法実相が見える。その内容は『クリシュナムルティの神秘体験』に詳しく描かれている。

自我の終焉―絶対自由への道
J.クリシュナムーティ
篠崎書林
売り上げランキング: 418,779

2011-11-07

部屋が汚いのではない


 アインシュタインも真っ青になる相対性理論(笑)。

部屋が汚いのではない。私が美しいのだ。
Nov 26 10 via モバツイ / www.movatwi.jpFavoriteRetweetReply

2017-12-28

読み始める

宇宙が始まる前には何があったのか? (文春文庫)
ローレンス クラウス
文藝春秋 (2017-01-06)
売り上げランキング: 33,789

ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語 (ハヤカワ文庫NF)
ヴィトルト リプチンスキ Witold Rybczynski
早川書房
売り上げランキング: 59,472

人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊 (文春新書)
井上 智洋
文藝春秋
売り上げランキング: 1,191

読書について 他二篇 (岩波文庫)
ショウペンハウエル
岩波書店
売り上げランキング: 5,646

読書について (光文社古典新訳文庫)
光文社 (2015-09-25)
売り上げランキング: 407

ニーチェ みずからの時代と闘う者 (岩波文庫)
ルドルフ・シュタイナー
岩波書店
売り上げランキング: 244,504

ひとはなぜ戦争をするのか (講談社学術文庫)
アルバート アインシュタイン ジグムント フロイト
講談社
売り上げランキング: 12,689

大乗仏教概論 (岩波文庫)
鈴木 大拙
岩波書店
売り上げランキング: 69,137

イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871)
イザベラ・バード
講談社
売り上げランキング: 11,574

イザベラ・バードの日本紀行 (下) (講談社学術文庫 1872)
イザベラ・バード
講談社
売り上げランキング: 20,077

イザベラ・バードの旅 『日本奥地紀行』を読む (講談社学術文庫)
宮本 常一
講談社
売り上げランキング: 153,953

チベット旅行記(上) (講談社学術文庫)
河口 慧海
講談社
売り上げランキング: 246,613

チベット旅行記(下) (講談社学術文庫)
河口 慧海
講談社
売り上げランキング: 261,629

昭和の精神史 (中公クラシックス)
竹山 道雄
中央公論新社
売り上げランキング: 602,433

三国志〈上〉 (岩波少年文庫)
羅 貫中
岩波書店
売り上げランキング: 35,232

三国志〈中〉 (岩波少年文庫)
羅 貫中
岩波書店
売り上げランキング: 37,408

三国志〈下〉 (岩波少年文庫)
羅 貫中
岩波書店
売り上げランキング: 37,429

聖の青春 (角川文庫)
聖の青春 (角川文庫)
posted with amazlet at 17.12.28
大崎 善生
KADOKAWA/角川書店 (2015-06-20)
売り上げランキング: 3,163

2017-07-26

エネルギーを使えばつかうほど時間が早く進む/『「長生き」が地球を滅ぼす 現代人の時間とエネルギー』本川達雄


『ゾウの時間ネズミの時間 サイズの生物学』本川達雄
『裏切り』カーリン・アルヴテーゲン

 ・エネルギーを使えばつかうほど時間が早く進む

時間論
必読書リスト その三

 生物では、時間の早さはエネルギー消費量で変わってくる。エネルギーを使えばつか(ママ)うほど、時間が早く進むのである。
 この関係は、人間の一生にも当てはまるし、社会生活の時間にも当てはまると本書ではみなす。
 時計の時間なら、一定の速度で進んで行き万物共通。でも、現実の時間は、早くなったり遅かったりする。車やコンピュータを使えば時間は早くなる。車はガソリンを食う。道路をつくるにはエネルギーがいる。だからエネルギーを大量に使い時間を早めているのが現代なのだと本書では考える。
 そう考えると、現代社会がハッキリと見えてくる。時は金なり。ビジネスは時間を操作して金を稼いでいるのである。だからこそドッグイヤーになっていくのである。現代社会を理解するには、時計の時間だけでは不十分なのだ。
 エネルギーを使うことにより時間が変わる、ということは、時間とは自分で操作できるものなのだ。
 こう考えると、すごく自由になった気がしないだろうか。時間に縛られた日本人。時間の奴隷のような気分から解放され、生き方が変わるだろう。
 生物においてはエネルギーを使えば時間が進むのだが、これは、生物がエネルギーを使って時間をつくり出しているのだと私は解釈している。エネルギーとは働くこと。つまり、働いて仕事をすると時間が生み出されてくるのが生物の時間なのである。

【『「長生き」が地球を滅ぼす 現代人の時間とエネルギー』本川達雄(阪急コミュニケーションズ、2006年/文芸社文庫、2012年/1996年、NHKライブラリー『時間 生物の視点とヒトの生き方』改題)】

 中学生の頃から抱いていた疑問が完全に氷解した。ひとたび抱いた疑問を私が手放すことはない。アインシュタインの相対性理論がわかった気になりながら、時間とエネルギーの相対性に気づかぬところが凡人の悲しいところだ。

 昨日私は「速度は空間を圧縮する」と書いたが、それは「時間が早く進む」ことを意味していたのだ。

 結局文明は光の速度を追い続けるのだろう。光速度において時間は流れない。光は常に新しく、そして永遠だ。



テクノロジーは人間性を加速する/『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー
長距離ハイキング/『トレイルズ 「道」を歩くことの哲学』ロバート・ムーア
あなたが1日に使えるエネルギーの総量とその配分の仕方は法則により制限されている/『データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』矢野和男
策と術は時を短縮/『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光

2020-03-15

アーサー・エディントンと一般相対性理論/『ゼロからわかるブラックホール 時空を歪める暗黒天体が吸い込み、輝き、噴出するメカニズム』大須賀健


『暗黒宇宙の謎 宇宙をあやつる暗黒の正体とは』谷口義明

 ・アーサー・エディントンと一般相対性理論

『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』村山斉
『ブラックホール戦争 スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い』レオナルド・サスキンド

 蛇足ですが、エディントンは会期中、「一般相対論は大変難解で、理解しているのは世界に3人しかいないというのは本当か?」という質問を受けたそうです。対して何も答えないエディントンに質問者は「謙遜しなくてもよいのでは?」と再度返答を促します。するとエディントンは「私とアインシュタインのほかは誰だろうかと思ってね」と答えたと伝えられています。一般相対論の難解さと、自信に満ちたエディントンの心境がよくわかるエピソードです。

【『ゼロからわかるブラックホール 時空を歪める暗黒天体が吸い込み、輝き、噴出するメカニズム』大須賀健〈おおすが・けん〉(ブルーバックス、2011年)】

 スティーヴン・ホーキング著『ホーキング、宇宙を語る ビッグバンからブラックホールまで
で紹介されているエピソードが一般的だがもっと正確な記述があったので紹介しよう。

 正真正銘の教科書本だ。自分の思い込みがいくつも訂正された。例えば赤方偏移など。読書量が多いことは何の自慢にもならないが(単なる病気のため)、知識が正確になるのは確かである。

 そのアーサー・エディントンがブラックホールの存在を理論的に導いた教え子のスブラマニアン・チャンドラセカールを徹底的に批判する。功成り名を遂げた科学者ほど新しい理論を受け容れることが難しいようだ。

2015-04-03

情報という概念/『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ


『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ
『量子革命 アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突』マンジット・クマール
『量子が変える情報の宇宙』ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー

 ・情報という概念

『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ
情報とアルゴリズム

 熱力学の法則――物質のかたまりに含まれる原子の運動を支配する法則――は、すべての根底にある、情報についての法則だ。相対性理論は、極度に大きな速さで動いている物体や重力の強い影響を受けている物体がどのように振舞うかを述べるものだが、実は情報の理論である。量子論は、ごく小さなものの領域を支配する理論だが、情報の理論でもある。情報という概念は、単なるハードディスクの内容よりはるかに広く、今述べた理論をすべて、信じられないほど強力な一つの概念にまとめあげる。
 情報理論がこれほど強力なのは、情報が物理的なものだからだ。情報はただの抽象的な概念ではなく、ただの事実や数字、日付や名前ではない。物質とエネルギーに備わる、数量化でき測定できる具体的な性質なのだ。鉛のかたまりの重さや核弾頭に貯蔵されたエネルギーにおとらず実在するのであり、質量やエネルギーと同じく、情報は一組の物理法則によって、どう振舞いうるか――どう操作、移転、複製、消去、破壊できるか――を規定されている。宇宙にある何もかもが情報の法則にしたがわなければならない。宇宙にある何もかもが、それに含まれる情報によって形づくられるからだ。
 この情報という概念は、長い歴史をもつ暗号作戦と暗号解読の技術から生まれた。国家機密を隠すために用いられた暗号は、情報を人目に触れぬまま、ある場所から別の場所へと運ぶ方法だった。暗号解読の技術が熱力学――熱機関の振舞い、熱の交換、仕事の生成を記述する学問――と結びついた結果生まれたのが情報理論だ。情報についてのこの新しい理論は、量子論と相対性理論におとらず革命的な考えである。一瞬にして通信の分野を変容させ、コンピューター時代への道を敷いたのが情報理論なのだが、これはほんの始まりにすぎなかった。10年のうちに物理学者と生物学者は、情報理論のさまざまな考えがコンピューターのビットおよぎバイトや暗号や通信のほかにも多くのものを支配することを理解しはじめた。こうした考えは、原子より小さい世界の振舞い、地球上の生命すべて、さらには宇宙全体を記述するのだ。

【『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ:林大〈はやし・まさる〉訳(早川書房、2007年)】

 驚愕の指摘である。熱力学の法則と相対性理論と量子論を「情報」の一言で結びつけている。「振る舞い」とのキーワードが腑に落ちれば、エントロピーで読み解く手法に得心がゆく。『異端の数ゼロ』で見せた鮮やかな筆致は衰えていない。

 ロルフ・ランダウアーが「情報は物理的」と喝破し、ジョン・ホイーラーが「すべてはビットから生まれる」と断言した。マクスウェルの悪魔に止めを刺したのはランダウアーの原理であった。

 よくよく考えるとマクスウェルの悪魔自身が素早い分子と遅い分子という情報に基いていることがわかる。思考実験恐るべし。本物の問いはその中に答えをはらんでいる。

 調べものをしているうちに2時間ほど経過。知識が少ないと書評を書くのも骨が折れる。熱力学第二法則とエントロピー増大則がどうもスッキリと理解できない。この物理法則が社会や組織に適用可能かどうかで行き詰まった。結局のところ新たな知見は得られず。

物質界(生命系を含め)の法則:熱力学の第二法則

 エントロピー増大則は諸行無常を志向する。自然は秩序から無秩序へと向かい、宇宙のエントロピーは時間とともに増大する。コップの水にインクを1滴たらす。インクは拡散し、薄く色のついた水となる。逆はあり得ない(不可逆性)。つまり閉じたシステムでエントロピーが減少すれば、それは時間が逆行したことを意味する。風呂の湯はやがて冷める。外部から熱を加えない限り。

 生物は秩序を形成している点でエントロピー増大則に逆らっているように見えるが、エネルギーを外部から摂取し、エントロピーを外に捨てている。汚れた部屋に例えれば、掃除をすれば部屋のエントロピーは減少するが、掃除機の中のエントロピーは増大する。乱雑さが移動しただけに過ぎない。

 ゲーデルの不完全性定理は神の地位をも揺るがした。

 ニューヨーク州立大学の哲学者パトリック・グリムは、1991年、不完全性定理の哲学的帰結として、神の非存在論を導いている。彼の推論は、次のようなものである。

 定義 すべての真理を知る無矛盾な存在を「神」と呼ぶ。
 グリムの定理 「神」は存在しない。

 証明は、非常に単純である。定義により、すべての真理を知る「神」は、もちろん自然数論も知っているはずであり、無矛盾でもある。ところが、不完全性定理により、ゲーデル命題に相当する特定の多項方程式については、矛盾を犯すことなく、その真理を決定できないことになる。したがって、すべての真理を知る「神」は、存在しないことになる。
 ただし、グリムは、彼の証明が否定するのは、「人間理性によって理解可能な神」であって、神学そのものを否定するわけではないと述べている。

【『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎〈たかはし・しょういちろう〉(講談社現代新書、1999年)】

神の存在論的証明

 では熱力学第二法則はどうか? 仏教東漸の歴史を見れば確かに乱雑さは増している。ブッダの時代にあっても人を介すほどに教えは乱雑になっていったことだろう。熱は冷め、秩序は無秩序へ向かう。しかしその一方で人間の意識は秩序を形成する。都市化が典型である。そして生命現象という秩序は、必ず死という無秩序に至る。

 宇宙的な時間スケールで見た時、生命現象にはどのような意味があるのか? それともないのか? 思考はそこで止まったまま進まない。

宇宙を復号する―量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号
チャールズ・サイフェ
早川書房
売り上げランキング: 465,965

ゲーデルの哲学 (講談社現代新書)
高橋 昌一郎
講談社
売り上げランキング: 176,034

2015-09-11

アミール・D・アクゼル、斎藤充功、舩坂弘、岩下哲典、磯田道史、他


 10冊挫折、6冊読了。

シリーズ日本近現代史10 日本の近現代史をどう見るか』岩波新書編集部編(岩波新書、2010年)/書き手は井上勝生、牧原憲夫、原田敬一、成田龍一、加藤陽子、吉田裕〈よしだ・ゆたか〉、雨宮昭一〈あめみや・しょういち〉、武田晴人〈たけだ・はるひと〉、吉見俊哉〈よしみ・しゅんや〉。岩波書店は戦後、雑誌『世界』の誌面を進歩的知識人(左翼)に提供してきた出版社である。左翼の呻き声みたいな代物で読む価値はないと判断した。

シリーズ日本近現代史1 幕末・維新』井上勝生(岩波新書、2006年)/amazonの★一つレビューを読むと、やはり左翼であると思われる。日本を貶めるのが彼らの仕事だ。

日本の歴史18 開国と幕末改革』井上勝生(講談社学術文庫、2009年)/というわけで1頁も読まず。井上は北大名誉教授。北海道は日教組が強く左翼の巣窟である。北海道に渡った人々には長男が少なく、先祖を敬う気風に欠ける。と道産子である私が断言しておこう。離婚率が高いのも「家を背負っていない」ため。

ホワット・イフ? 野球のボールを光速で投げたらどうなるか』ランドール・ マンロー:吉田三知世訳(早川書房、2015年)/池谷裕二の書評に騙された。ネット上で寄せられた質問に答えたQ&A集。それほど面白くない。

日本軍は本当に「残虐」だったのか 反日プロパガンダとしての日本軍の蛮行』丸谷元人〈まるたに・はじめ〉(ハート出版、2014年)/ダメ本。文章がいいだけに惜しまれる。イデオロギーとしての右翼はその姿勢において左翼と変わりがない。先入観に染まった景色に興味はない。

面白い本』成毛眞〈なるけ・まこと〉(岩波新書、2013年)・『もっと面白い本』成毛眞(岩波新書、2014年)/全然面白くない。成毛がノンフィクション専門とは知らなんだ。ノンフィクションに重きを置く態度が今ひとつ理解できない。

モチーフで読む美術史』宮下規久朗〈みやした・きくろう〉(ちくま文庫、2013年)/説明に傾き過ぎて文章が平板。エッジを効かせた文体が欲しいところ。

生きていくための短歌』南悟(岩波ジュニア新書、2009年)/定時制高校に通う生徒諸君の歌集。短歌は著者サイトでも読める。授業の成功と短歌の良し悪しは別物であろう。あまり心に引っ掛からず。

時間の図鑑』アダム ハート=デイヴィス:日暮雅通〈ひぐらし・まさみち〉訳、山田和子協力(悠書館、2012年)/ヴィジュアル本はフォントが小さくて読みにくい。前半は素晴らしいのだが後半まで息が続かない。仏教と量子力学までフォローしてもらいたかった。高価な本はまず図書館で借りてから購入を検討するのがセオリーだ。

 102冊目『いくらやっても決算書が読めない人のための 早い話、会計なんてこれだけですよ!』岩谷誠治〈いわたに・せいじ〉(日本実業出版社、2013年)/今まで読んだ中では一番わかりやすかった。それでも決算書を読めるようになるには遠い道のりである。

 103冊目『日本人の叡智』磯田道史〈いそだ・みちふみ〉(新潮新書、2011年)/著者は大学教授にして古文書オタク。題材で読ませる。文章に締まりを欠くが内容は素晴らしい。読むだけで背筋が伸びる。

 104冊目『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』岩下哲典(新書y、2006年)/文章に冴えがない。黒船来航といえば「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も寝られず」との狂歌が思い出されるが、この歌が後代の作であることを示す。ペリー来航は予想された出来事であった。当時のインテリジェンス能力は現在の政府よりも遥かに上である。しかも適切な対応ができた。阿部正弘、黒田斉溥、島津斉彬を中心に、佐久間象山・吉田松陰らの役割が明らかにされている。阿片戦争に対する危機意識の高さが彼らの能力を十二分に引き出したのだろう。

 105冊目『英霊の絶叫 玉砕島アンガウル戦記』舩坂弘〈ふなさか・ひろし〉(光人社NF文庫、1996年/新装版、2014年/文藝春秋、1966年『英霊の絶叫 玉砕島アンガウル』を改題)/舩坂弘は超人的な身体能力と体力の持ち主で「不死身の分隊長」と呼ばれた人物。白兵戦における強さは和製ランボーといってもターミネーターといってもよい。隣のペリリュー島の玉砕については知られていたが、アンガウルの戦いを公にしたのは本書が嚆矢(こうし)と思われる。剣道を通して親交のあった三島由紀夫が一文を寄せる。偉大なる父祖の戦いに涙止まらず。大小20ヶ所以上の傷を抱えながら船坂は米軍司令部で自爆攻撃を試みる。が、手榴弾の安全ピンを抜こうとした瞬間に狙撃される。阿修羅のような船坂にアメリカ軍人たちは「勇敢なる兵士」の名称を送り絶賛した。

 106冊目『日本スパイ養成所 陸軍中野学校のすべて』斎藤充功〈さいとう・みちのり〉、他(笠倉出版社、2014年)/小野田寛郎の任務が山下財宝(丸福金貨)の秘匿であったという想像が紹介されている。全体的には悪くないのだが、いささか予断と臆見が目立つ。

 107冊目『量子のからみあう宇宙』アミール・D・アクゼル:水谷淳訳(早川書房、2004年)/アミール・D・アクゼルの本には外れがない。量子力学を築いた人々の系譜。各章もすっきりしていて実にわかりやすい。図や式は飛ばして構わない。私もチンプンカンプンであった。量子力学の天敵アインシュタインを巡る物語でもある。

2013-11-03

ヘルマン・ヘッセ、福江純、マーティン・リンストローム、今野晴貴、オットー


 4冊挫折、1冊読了。

アインシュタインの宿題』福江純〈ふくえ・じゅん〉(大和書房、2000年/知恵の森文庫、2003年)/砕けた調子が裏目に出ている。

なぜ、それを買わずにはいられないのか ブランド仕掛け人の告白』マーティン・リンストローム:木村博江訳(文藝春秋、2012年)/やや冗長。本書でも紹介されているヴァンス・パッカード著『かくれた説得者』を読めば十分だ。

ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』今野晴貴〈こんの・はるき〉(文春新書、2012年)/良書。ただ私の興味が続かなかった。

聖なるもの』オットー:久松英二訳(岩波文庫、2010年)/原著は1917年の刊行。10年前に出会っていたら読了したことだろう。ルードルフ・オットーはドイツのプロテスタント神学者・宗教哲学者。この分野はR・ブルトマン著『イエス』を凌駕するものでなければ食指が動かない。※参照記事

 55冊目『シッダルタ』ヘルマン・ヘッセ:手塚富雄訳(岩波文庫、2011年)/読んでいる途中で「必読書」に入れた。メタフィクションである。ブッダはゴータマとして登場するが主人公のシッダルタは別人だ。「それにしても……」という思いを禁じ得ない。西洋の知性がここまで仏教を理解するとは。日本人が鎌倉仏教の上にあぐらをかいて仏教を名乗っている事実に嫌悪感すら抱かされた。悟りと迷いの往還に六道輪廻の真実を見た。文学者は偉大なる翻訳者でもある。やがてクリシュナムルティを描く文豪も出てくることだろう。

2016-03-24

大塚貢、田中森一、佐藤優、北野幸伯、他


 2冊挫折、5冊読了。

報復』ジリアン・ホフマン:吉田利子訳(ヴィレッジブックス、2004年)/訳が悪い。

日本の長者番付 戦後億万長者の盛衰』菊地浩之(平凡社新書、2015年)/読み物たり得ず。単なる資料だ。

 31冊目『隷属国家 日本の岐路 今度は中国の天領になるのか?』北野幸伯〈きたの・よしのり〉(ダイヤモンド社、2008年)/北野の著作はインテリジェンス入門としてうってつけだ。佐藤優のような嘘も感じられない。日本にとって真の脅威は中国であり、単純な反米感情の危険性を説く。食料安保、移民問題など。

 32冊目『日本自立のためのプーチン最強講義 もし、あの絶対リーダーが日本の首相になったら』北野幸伯〈きたの・よしのり〉(集英社インターナショナル、2013年)/ロシアを追われたプーチンが日本を訪れ柔道三昧の日々を送る。そこへ日本の首相がやってきて諸々の政治問題を相談する。プーチンという強いリーダー像を通して日本の政治家に欠けている資質が明らかになる。わかりやすく巧みな設定だ。

 33冊目『日本人の知らない「クレムリン・メソッド」 世界を動かす11の原理』北野幸伯〈きたの・よしのり〉(集英社インターナショナル、2014年)/北野本4冊目。重複した内容が目立つ。ただし最新情報が盛り込まれている。最終章の「『イデオロギー』は国家が大衆を支配する『道具』にすぎない」という見出しは覚えておくべきだ。

 34冊目『正義の正体』田中森一〈たなか・もりかず〉、佐藤優〈さとう・まさる〉(集英社インターナショナル、2008年)/面白かった。19時間の対談で1冊の本が出来上がるのだから、やはりこの二人は只者ではない。佐藤が凄いと思った人物は小渕恵三とエリツィンであるという。どちらのエピソードも実に興味深く、知られざる素顔が見える。

 35冊目『給食で死ぬ!! いじめ・非行・暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった長野・真田町の奇跡!!』大塚貢、西村修、鈴木昭平(コスモ21、2012年)/DVD付きで1500円。北野本で知った。一読の価値あり。DVDを先に見た方がよい。この講演会から生まれた書籍である。大塚が校長を務めた中学では、学校の廊下をバイクが走り回り、煙草の吸い殻を拾うと1時間でバケツが一杯になったという。大塚は三段階改革で学校を変えた。まず最初に非行の原因は「面白くない授業にある」として、授業を魅力的なものに変えた。続いて給食をパンから米中心に変え、無農薬・低農薬の地元野菜にした。地産地消である。そのために学校への補助金が打ち切られた。最後に学校を花で飾った。各クラスが花壇を担当して種から花を育てた。生徒たちは激変した。安部司の引用など危うい記述も目立つが、取り組み自体は素晴らしいと思う。本を先に読んでしまうと、まるで鈴木が主催するエジソン・アインシュタインスクール協会の宣伝本に見えるが、講演DVDを先に見れば腑に落ちる。西村は新日本の現役プロレスラーで東京文京区議会議員と二足のわらじを履く人物。