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2014-04-25

普遍的な教義は存在しない/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー


『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳
『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド

 ・普遍的な教義は存在しない
 ・デカルト劇場と認知科学
 ・情動的シナリオ


『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
『人間の本性について』エドワード・O ウィルソン
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ

キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?
必読書 その五

 どうして人間はこんなことを考えるのか? なぜこんなことをするのか? どうしてこんなにも多様な信念をもっているのか? なぜ人間はこうした信念に強くこだわるのか? これらの疑問はノーム・チョムスキーの区別を借りて言えば、かつては【謎】(解こうにも、どこから手をつければよいかわからなかった)だったが、現在では【問題】(解凍の見通しぐらいはついている)にまでなっている。

【『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー:鈴木光太郎、中村潔訳(NTT出版、2008年)以下同】

 2012年に読んだ本ランキング1位である。油断していたらもう品切れだ。このまま絶版となるかも。書籍の命は蝉のようにはかない。昨今の出版事情を思えば、望むと望まざるとにかかわらずデジタル書籍の時代に向かうことだろう。

 原著の刊行が2001年で『神は妄想である 宗教との決別』リチャード・ドーキンス、『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネットに先んじている。これにニコラス・ウェイドを加えて「宗教機能学」と名づけても見当外れではあるまい(※ジェシー・ベリングは個人的に評価せず)。その嚆矢(こうし)がパスカル・ボイヤーである。


 宗教の起源についての説明のほとんどは、次のような示唆のどれかを強調する。すなわち、人間の心は説明を欲する、人間の心は安らぎを求める、人間の社会は秩序を必要とする、人間の知性は錯覚に陥りやすい。

 科学(因果関係)、心理学、社会学、認知心理学がそれぞれに対応する。

 続いて以下の驚くべき指摘がなされる。

・「特定の」宗教を信仰することなしに、宗教を信仰することもできる。
・「宗教」にあたる単語がなくても、宗教はありうる。
・「信じる」という表現がなくても、宗教をもつことはできる。

 実はニコラス・ウェイドが使用する「遺伝」という言葉への違和感は書評を書く段階で初めて気づいた。パスカル・ボイヤーも「宗教が『生得的』だとか『遺伝子のなかにある』」という見方には否定的だ。

 もし「宗教とは、宇宙の賢く不滅の創造主に従うことによって、どうすれば私たちの魂が救われるかを説く教えを信じることだ」と言う人がいたら、その人はたぶん、いろんな土地を旅したり、広くいろんなものを読んでいないのだ。多くの文化では、死者はこの世に戻ってきて生きている者たちを怖がらせると考えられているが、どの文化でもそうなわけではない。ある特殊な人々が神々や死者と交信できると考えられている社会もあるが、この考えもどこにでも見られるわけではない。また、人間の魂は死後も生き続けるとするところもあるが、この仮定もまた、普遍的なわけではない。私たちが宗教について一般的な説明を考え出そうとする場合、その説明はほかの宗教にも通用するものかを考慮すべきだろう。

 実際にフィールドワークを行っている人物ならではの視点だ。テキストはアブラハムの宗教を想定しているが、他の宗教にも同じ問いを突きつけている。つまり「普遍的な教義」は存在しないのだ。

 10代から20代にかけての読書は好きなものを手当たり次第に読めばよい。30代となれば何らかのテーマを決めて取り組む必要がある。そして現代社会の構造を思えば、やはり経済と科学は避けて通れない。人は40代にもなれば何らかの思想を持つ。そこから宗教性を探るのが正しい読書道だ。自分の死が20~30年先に見え始めた頃だ。

 信じる信じないというテーマは騙される騙されないという問題を含んでいる。妙な営業に引っかかったり、悪質な詐欺被害に遭ったり、社会の様々な分野で心理的抑圧を受けるのは、考える力すなわち判断力を奪われた結果といえよう。きちんと人や本から学んでおけば避けられた問題であると私は考える。

 知的格闘を経ていない信は浅はかなものだ。強靭な信は合理性に裏打ちされていることを忘れてはならない。

2014-04-08

脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン


『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 ・脳は宇宙であり、宇宙は脳である

『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル

 脳はニューロンとグリアという細胞が何千億個も集まってできている。その細胞の一つひとつが、都市と同じくらい込み入っている。それぞれに全ヒトゲノムが入っていて、複雑な営みのなかで何十億という分子をやり取りする。一つひとつの細胞がほかの細胞に電気パルスを毎秒何百回も送る。脳内で生じる数十兆のパルスそれぞれを1個の光子で表わしたら、目がくらむような光になるだろう。
 その細胞どうしをつなぐネットワークは驚異的に複雑なので、人間の言語では表現できず、新種の数学が必要だ。典型的なニューロン1個は近隣のニューロンと約1万個の結合部をもっている。何十億というニューロンがあることを考えると、脳組織わずか1立方センチに銀河系の星と同じ数の結合部があることになる。
 あなたの頭蓋骨のなかにある1300グラムのピンク色でゼリー状の器官は、異質な、計算する物質だ。小さな自己設定型のパーツで構成され、私たちがつくろうと志したことのあるどんなものもはるかに超えている。だから、自分が怠け者だとか鈍いと思っている人も、安心してほしい。あなたは地球上で最も活発で、最も鋭い生きものなのだ。
 それにしても、うそのような話だ。私たちはおそらく地球上で唯一、向こうみずにも自らのプログラミング言語を解読するゲームに打ち込むほど高度なシステムである。あなたのデスクトップコンピューターが、周辺装置を操作し始め、勝手にカバーをはずし、ウェブカメラを自分の回路に向けるところを想像してみてほしい。それが私たちだ。

【『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン:大田直子訳(早川書房、2012年『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』改題)】

 今気づいたのだが著者は、リチャード・E・サイトウィック(リチャード・E・シトーウィック改め)『脳のなかの万華鏡 「共感覚」のめくるめく世界』の共著者であるデイヴィッド・M・イーグルマンとたぶん同一人物だろう。

 意識三部作としては、『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ→『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ→本書の順番で読むことを勧める。次にアントニオ・R・ダマシオへ進み、更に『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム、『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ、『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロースを読めば理解が深まる。たぶん天才になっていることだろう。

 宇宙に匹敵する広大な領域。それが脳である。脳が宇宙であるならば、宇宙が脳である可能性も高い(『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』セス・ロイド/『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック/『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル)。


 ニューロン(神経細胞)の数は「大脳で数百億個、小脳で1000億個、脳全体では千数百億個にもなる」(理化学研究所 脳科学総合研究センター)。大脳よりも小脳に多かったとは露知らず。そしてニューロンとニューロンをつなぐシナプスは1個につき1万箇所ある(生理学研究所)。ただし脳の状態をいくら調べたところで意識が解明されるわけではない。

何を意識の発生とするか


 私は意識発生のメカニズムを解く鍵は自己鏡像認知にあると考える。既に何度か書いてきたが、自己鏡像認知とは「相手の瞳に映る自分を理解する能力」と定義したい。「私」だけでは意識たり得ない。「私」を客観的かつ抽象的に捉える視点(メタ認知)こそが意識なのだ。

 しかしながら我々の日常生活は無意識で運転されている。

 車でいえば、教習所にいたときには、クラッチを踏んでギアをローに入れて……、と、順番に逐次的に学びます。
 けれども、実際の運転はこれでは危ないのです。同時に様々なことをしなくてはなりません。あるとき、それができるようになりますが、それは無意識化されるからです。
 意識というのは気がつくことだと書きましたが、今気がついているところはひとつしかフォーカスを持てないのです。無意識にすれば、心臓と肺が勝手に同時に動きます。
 同時に二つのことをするのはすごく大変です。けれどもそれは、車の運転と同じで慣れです。何度もやっていると、いつの間にかその作業が無意識化されるようになってくるのです。
 無意識化された瞬間に、超並列に一気に変わります。

【『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(PHP研究所、2007年/PHP文庫、2009年)】

論理の限界/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 例えば旅行に行くとしよう。行き先は意識的に選択するが、現地で何を見るかは条件反射的に行われる。すなわち何を見るかを我々は意識的に選べないのだ。五感は外界への反応に基いており、五感情報は一方的に受け取る性質を帯びている。

 意識が発生するのは違和感を覚える場合が多い。他者や世界を自分の外側に強く意識した時、自我意識が立ち上がってくるのではあるまいか。その意味で疎外感を知らない幼児が鏡像認知をできないのは当然である。もちろん国家意識も自我意識から芽生えたものだろう。

 瞑想が諸法無我の実践であるならば、シナプスの発火は止(や)み、自我は解体され宇宙に溶け込むのだろう。ジル・ボルト・テイラーがそう語っている。

あなたの知らない脳──意識は傍観者である (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)心の操縦術 (PHP文庫)


死の恐怖/『ちくま哲学の森 1 生きる技術』鶴見俊輔、森毅、井上ひさし、安野光雅、池内紀編

2013-09-23

ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』の手引き


『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 ・手引き
 ・唯識における意識
 ・認識と存在
 ・「我々は意識を持つ自動人形である」
 ・『イーリアス』に意識はなかった

『新版 分裂病と人類』中井久夫
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー

 やっと半分読み終えたところだ。568ページの大冊。いきなり取り掛かっても理解に苦しむことと思われるので、併読すべき関連書を示しておく。

■(サイ)の発見/『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽




ソマティック・マーカー仮説/『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』(『生存する脳 心と脳と身体の神秘』改題)アントニオ・R・ダマシオ





「意識の誘引」→「意識への誘因」に訂正



 まずは外堀から埋めてゆこう。

ネオ=ロゴスの妥当性について/『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 次に物語の意味を学ぶ。

物語る行為の意味/『物語の哲学』野家啓一

 続いて歴史の本質を知る。

世界史は中国世界と地中海世界から誕生した/『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘
読書の昂奮極まれり/『歴史とは何か』E・H・カー
歴史の本質と国民国家/『歴史とはなにか』岡田英弘
コロンブスによる「人間」の発見/『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世

 で、『ユーザーイリュージョン』へ進みたいところだが、基本的な科学知識がない場合は以下を読む。

太陽系の本当の大きさ/『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン

 そして意識を巡る探究においては本書と双璧を成す神本(かみぼん)。

エントロピーを解明したボルツマン/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 ここまで読めば多くの人々が「自分は天才になってしまった」と錯覚することができるだろう(笑)。だが本気で英知を磨きたいのであれば更に以下へと進む。

『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー:竹内薫訳(新潮社、2009年/新潮文庫、2012年)
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド:依田卓巳〈よだ・たくみ〉訳(NTT出版、2011年)
『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー:鈴木光太郎、中村潔訳(NTT出版、2008年)
脳は神秘を好む/『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース
誤った信念は合理性の欠如から生まれる/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム:渡会圭子〈わたらい・けいこ〉訳(インターシフト、2011年)
宗教の原型は確証バイアス/『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン
指数関数的な加速度とシンギュラリティ(特異点)/『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル

 以上である。「ざまあみやがれ」というほど頭がよくなる。我ながら素晴らしいラインナップだ。「さすが本読み巧者」と褒めてくれ給え。



言語的な存在/『触発する言葉 言語・権力・行為体』ジュディス・バトラー
脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
デカルト劇場と認知科学/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
高砂族にはフィクションという概念がなかった/『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝
信じることと騙されること/『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節
『カミの人類学 不思議の場所をめぐって』岩田慶治
『歴史的意識について』竹山道雄

2013-07-04

バイロン・ケイティは現代のアルハットである/『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル


『ものぐさ精神分析』岸田秀
『続 ものぐさ精神分析』岸田秀
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『生きる技法』安冨歩
『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
『どんなことがあっても自分をみじめにしないためには 論理療法のすすめ』アルバート・エリス
『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』岸見一郎、古賀史健
『悟りの階梯 テーラワーダ仏教が明かす悟りの構造』藤本晃
『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル
『手にとるようにNLPがわかる本』加藤聖龍
『NLPフレーム・チェンジ 視点が変わる〈リフレーミング〉7つの技術』L・マイケル・ホール、ボビー・G・ボーデンハマー
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『未処理の感情に気付けば、問題の8割は解決する』城ノ石ゆかり
『マンガでわかる 仕事もプライベートもうまくいく 感情のしくみ』城ノ石ゆかり監修、今谷鉄柱作画
『ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジー』由佐美加子、天外伺朗
『無意識がわかれば人生が変わる 「現実」は4つのメンタルモデルからつくり出される』前野隆司、由佐美加子
『ザ・メンタルモデル ワークブック 自分を「観る」から始まる生きやすさへのパラダイムシフト』由佐美加子、中村伸也
『過去にも未来にもとらわれない生き方 スピリチュアルな目覚めが「自分」を解放する』ステファン・ボディアン

 ・バイロン・ケイティは現代のアルハットである
 ・認識のフレームを転換するメソッド

『人生を変える一番シンプルな方法 セドナメソッド』ヘイル・ドゥオスキン
『タオを生きる あるがままを受け入れる81の言葉』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
『わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと』サリー・ボンジャース
『悟り系で行こう 「私」が終わる時、「世界」が現れる』那智タケシ
『二十一世紀の諸法無我 断片と統合 新しき超人たちへの福音』那智タケシ
『気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう? ダイレクトパスの基本と対話』グレッグ・グッド
『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』エックハルト・トール
『ニュー・アース』エックハルト・トール
『覚醒の炎 プンジャジの教え』デーヴィッド・ゴッドマン

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
悟りとは
必読書リスト その五

 世界にはたった3種類の領域しかありません。私の領域、あなたの領域、そして神の領域です。私にとって、神という言葉は「現実」を意味します。現実こそが世界を支配しているという意味で、神なのです。私やあなた、みんながコントロールできないもの、それが神の領域です。
 ストレスの多くは、頭の中で自分自身の領域から離れたときに生じます。「(あなたは)就職した方がいい、幸せになってほしい、時間通りに来るべきだ、もっと自己管理する必要がある」と考えるとき、私はあなたの領域に入り込んでいます。一方で、地震や洪水、戦争、死について危惧していれば、神の領域に入っていることになります。私が頭の中で、あなたや神の領域に干渉していると、自分自身から離れてしまうことになります。

【『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル:ティム・マクリーン、高岡よし子監訳、神田房枝訳(ダイヤモンド社、2011年/安藤由紀子訳、アーティストハウスパブリッシャーズ、2003年)】

 私が「現代のアルハット(=阿羅漢)」と考える人物は二人いる。その筆頭格がバイロン・ケイティである(もう一人はジル・ボルト・テイラー)。彼女は元々悪い母親であった。ところが病気を通して悟りを得る。そこから導き出されたのが「ザ・ワーク」である。

 相手(もちろん自分でも構わない)の悩みに対して四つの質問をするだけという極めてシンプルなものだ。

「それは本当でしょうか?」
「その考えが本当であると、絶対言い切れますか?」
「そう考えるとき、(あなたは)どのように反応しますか?」
「その考えがなければ、(あなたは)どうなりますか?」

 たったこれだけだ。だがこの深遠なる問いによって悩みは完全に相対化されるのだ。つまりブッダの説法と同じ原理だ。ま、論より証拠、見てごらんよ。


 凄い……。何が凄いかって、彼女は全く誘導していないのだ。にもかかわらず問い掛けるだけで、相手は自ら問題の本質を悟っている。つまり、「世界が変わった」のだ。バイロン・ケイティが言うところの「ストーリー」と私が常々触れている「物語」とは全く同じ意味だ。

 彼女は「領域」という言葉で異なる世界を表現している。親が子に「お前はこうするべきだ」と語る時、子は親の所有物と化していることが多い。親はよかれと錯覚しながら、子の人生を操縦しようとするのだ。教育や宗教も同様であろう。

 感化と言えば聞こえはよい。だがブッダは感化を否定している。


 もちろんクリシュナムルティも否定している。

 学びとは理解することを愛し、ものごとをそれ自体のために行なうことを愛することを含蓄している。学びは、一切の強制がないときにだけ可能である。そして強制は、さまざまな形をとるのではないだろうか? 感化、固執、脅し、言葉たくみな激励、あるいは微妙な形の報いによる強制があるのだ。

【『未来の生』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1989年)】

 たとえその子が、彼に対するあなたの愛ゆえにいたずらをやめたとしても、それでは一種の感化であり、それは本当の変化でしょうか。それは愛かもしれませんが、それでも、何かをしたり、何かになるようにという、その子に対する一つの形の圧力です。そしてあなたが、子供は変化しなければならないと言うとき、それはどういうことでしょう。何から何への変化でしょうか。ありのままの彼が、【あるべき】彼に変化するのでしょうか。あるべき彼に変化するなら、彼はかつての自分を単に修正しただけであり、それゆえにまったく変化ではないのでしょう。

【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】

 バイロン・ケイティのワークは在りし日のブッダを彷彿(ほうふつ)とさせる。ブッダもクリシュナムルティも「偉大なる問い」を発する人であった。安易な答えを人々に教えるだけであれば、彼らの名前はこれほどの響きを持たなかったはずだ。

 占ってもらう必要はない。祈ってもらう必要もない。本書を開いてただワークシートに記入するだけでよいのだから。



すべてが私を支えている/『探すのをやめたとき愛は見つかる 人生を美しく変える四つの質問』バイロン・ケイティ
血で綴られた一書/『生きる技法』安冨歩
序文「インド思想の潮流」に日本仏教を解く鍵あり/『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人責任編集、『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵
『歴史的意識について』竹山道雄

2012-12-31

2012年に読んだ本ランキング


2011年に読んだ本ランキング

『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(下) 1901-2006年』と小室直樹著『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』を書いていなかったので、今年読了した本は72冊である。挫折本が異様に多いのは、いよいよ余生が残り少なくなっており取捨選択を厳しくしているためだ。なお昨年同様クリシュナムルティは入れていない。また小説も除いた。

奇貨居くべし』宮城谷昌光
楽毅』宮城谷昌光

黄金旅風』飯嶋和一
神無き月十番目の夜』飯嶋和一

とうに夜半を過ぎて』レイ・ブラッドベリ

 次に小室直樹と苫米地英人も除いた。

悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹

現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人
利権の亡者を黙らせろ 日本連邦誕生論 ポスト3.11世代の新指針』苫米地英人

 更に今年最も大きな収穫ともいえるアルボムッレ・スマナサーラ長老も除いた。

怒らないこと 役立つ初期仏教法話 1』アルボムッレ・スマナサーラ
怒らないこと 2 役立つ初期仏教法話 11』アルボムッレ・スマナサーラ
心は病気 役立つ初期仏教法話 2』アルボムッレ・スマナサーラ
苦しみをなくすこと 役立つ初期仏教法話 3』アルボムッレ・スマナサーラ

 石原吉郎関連も除いた。

シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代

 ではまず番外から紹介しよう。

拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之
地下足袋の詩(うた) 歩く生活相談室18年』入佐明美
ストレス、パニックを消す! 最強の呼吸法 システマ・ブリージング』北川貴英
ブッダの人と思想』中村元
学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(上) 1492-1901年』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編
学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(下) 1901-2006年』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編
魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー
完全なる証明 100万ドルを拒否した天才数学者』マーシャ・ガッセン
複雑で単純な世界 不確実なできごとを複雑系で予測する』ニール・ジョンソン

 次にベスト10。判断が難しいため同立順位が複数あることをご了承願おう。

 10位 『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩
 9位 『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ
 8位 『カウンセリングの技法』國分康孝
 7位 『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
 6位 『通貨戦争 影の支配者たちは世界統一通貨をめざす』宋鴻兵〈ソン・ホンビン〉
 6位 『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』宋鴻兵〈ソン・ホンビン〉
 5位 『放浪の天才数学者エルデシュ』ポール・ホフマン
 5位 『My Brain is Open 20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記』ブルース・シェクター
 4位 『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
 3位 『宗教は必要か』バートランド・ラッセル
 3位 『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
 2位 『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
 1位 『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー

2013年に読んだ本ランキング

2012-09-30

本覚論の正当性/『反密教学』津田真一


 ・本覚論の正当性

本覚思想とは時間論/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ
本覚思想とは時間的有限性の打破/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ

 上級者向け。私の知識不足もあるのだろうが、どうもこの手の本は知に傾いて、溺れているような印象を受ける。ところどころで嫌な臭いが鼻につく。

 尚、「改訂新版」には「『法華経』・願成就の哲学」という論文が追加されている。

 個人的にはブルトマンを読んだ直後にブルトマンの名を目にしたのが嬉しい驚きであった。

新約聖書の否定的研究/『イエス』R・ブルトマン

 書き始めたものの遅々として進まないので、覚え書きを断続的に記しておこう。

「印」とは端的にシールあるいはスタンプ、すなわち何らかの文書や証書に或る人は法人の名前を押す印鑑、ないしは、それによって押されたその人や法人の名前の痕跡のことです。日本では、例えば詔勅といって天皇の声明や宣言が発せられるとき、それが書かれた紙に天皇の【印】、すなわち玉璽が押され、その声明や宣言の絶対性・絶対的な真理性を、その声明や宣言を発した主体である天皇の【存在】において表示します。天皇の【印】は天皇の権威の表示であり、それにとどまらず、さらに、天皇の【存在】の表示なのです。すなわち、その【印】において天皇が現にそこに存在している、さらに言うならば、その【印】が天皇をそこに存在せしめているのです。このことは、アナロジーとして、そのまま『法華経』が「実相」すなわち「法の自性」の「印」であることにあてはまります。

【『反密教学』津田真一(春秋社、2008年改訂新版/リブロポート、1987年)以下同】

 署名捺印の法的根拠もこの辺にあるのだろう。アナロジーについては以下を参照されよ。

アナロジーは死の象徴化から始まった/『カミとヒトの解剖学』養老孟司
アナログの意味/『コンピュータ妄語録』小田嶋隆

 しかしだな、こんな言い分は所詮、大乗仏教ルールに基づく考えであって、外野~観客席~球場外の社会にまで響く言葉ではない。確かにシンボルという点ではマンダラを考えるヒントにはなり得る。だがそこを突き詰めてゆくと、必然的に言葉のシンボル性にまで辿り着いてしまう。「人間は個々の解釈世界に生きる動物である」と私が考えるのはこのためだ。経典・教義は受け手(=信者)の解釈によって歪められる。

 水戸黄門の印籠は水戸黄門そのものではない。にもかかわらず水戸黄門を直接知らない人々にとっては、本人以上に印籠の方が社会機能を果たすのである。これを悪用したのが印章偽造や印鑑盗難だ。

 つまり法華経が悟りや真理を表現したものであったとしても、それ自体が悟りそのものではないということだ。

一乗」とは、やはり、「すべての人は【成仏できる】」、「【仏になりうる】」という思想ではなく、(その前半において)「すべての人は【すでに仏なのである】」(【引用二】における第六一偈)という思想なのです。そして、(おなじ第六一偈における)「その請願はすでに満たされている」という一句が見落とされているが故に、敢えていうならば、件の〈『法華経』のゲニウス〉の見えざる手によって平川博士の慧眼さえも覆われていたが故に、博士ですら、ついにその認識には立ち得なかったのです。

 と前置きした上で津田はこう述べる。

 したがって、「一乗」とは、その完全な形式においては、(ひとまず、)

〈汝は(ないしは一切衆生は)すでに【仏なのである】〉  しかも、 〈汝は(ないしは一切衆生は、すでに【仏である】にもかかわらず、修行して自(みずか)ら仏に【なるべきなのである】)〉

 という命題によって指し示されるべき思想なのであります。この命題は、〈「直接法 INdikativ〉」、しかも、「命令法 Imperativ」〉という、完全な弁証法形式をとっておりますが、このことを念頭に入れた上で、議論を、さきに触れた問題、すなわち、『法華経』が「実相の【印】」、「法自性【印】」であるとして、この「一乗」ということをその「実相」、「法自性」とそのままイコールにしてよいのか、という問題、逆に言うなら『法華経』とはこの「一乗」という論理としての真理を説く経典なのだ、と言ってそこで終ってしまってよいのか、いや、そうではなくて、その奥にもう一つ真の問題、『法華経』の思想の究極の問題があるのではないか、という問題に戻したいと思います。

 これを卓見とすべきではあるまい。原典に忠実であろうとする求道心が誠実な解釈を可能にしたのだ。

 そもそも大乗仏教自体が教団の政治力学に彩られた存在であったことだろう。思想的進化といえば聞こえはよいが、その実態は政治性に基づいた理論武装であったと私は推察する。部派仏教を「小乗」と貶(けな)す姿勢に高い精神性は見受けられない。

 では私なりに敷衍(ふえん)してみよう。まず大前提として宗教はスポーツではない。これを見落とす人が意外と多い。スポーツや芸術など身体が伴う技能を有する人々はそれぞれ何らかの真理を探り当てている。我々はともするとこの延長線上に宗教や信仰を位置づける。

「するとあれか、練習なしでイチローになれるってことか?」とついつい考えがちだ。しかしそうではない。「悟る」とは「気づく」ことだ。気づきは老若男女という条件に支配されない。時に子供の言葉や詩歌に大人が深い感動を覚えるのもこれが理由だ。

子供の詩
『がんばれば、幸せになれるよ 小児ガンと闘った9歳の息子が遺した言葉』山崎敏子
女子中学生の渾身の叫び/『いのちの作文 難病の少女からのメッセージ』綾野まさる、猿渡瞳

 すなわち悟りとは経験や学識に左右されるものではない。ここ、アンダーライン。修行をしなければ成仏できないとの論理は、大人にならなければ悟りを得られないと言っているようなものである。とすれば夭折(ようせつ)は修正の効かない不幸と化す。

 もしも悟りに時間を要するのであれば、「悟っていない現在」は否定される。このようにして我々は「何者かに【なる】」ことを強要されるのだ。「今がどんなに苦しくとも将来のために頑張れ」などと。

 時間を必要とするのは知識や技術であろう。悟りとは正真正銘の自由を意味する。ブッダはただ「離れよ」と教えたはずだ。

 現在という一瞬の中に無限の広がりを見つめたのが仏法である。瞑想は何十年も先のゴールを目指して行うべき代物ではあるまい。

 それでも尚、修行必要論にしがみつく大乗信徒どもに私は尋ねよう。「でさ、修行して悟りを開いた人ってどこにいるの?」と。悟りが「教わるもの」であれば、それは知識なのだ。

「〈汝は(ないしは一切衆生は、すでに【仏である】にもかかわらず、修行して自(みずか)ら仏に【なるべきなのである】)〉」――同じことをクリシュナムルティが鮮やかに言い切っている。

「いったんはじめられ、正しい環境を与えられると、気づきは炎のようなものです」 クリシュナムルティの顔は生気と精神的活力で輝いた。「それは果てしなく育っていくことでしょう。困難は、その機能を活性化させることです」

【『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J.クリシュナムルティ:大野純一訳(コスモス・ライブラリー、2000年)】

 クリシュナムルティの言葉が次々と浮かんでくる。「あなた――あなたの身体、感情、思考――は、過去の結果です。あなたの身体はたんなるコピーなのです」「理想を否定せよ」「あらゆる蓄積は束縛である」「心は心配事から自由でなくてはならない」「悟りはそれ自体が歓喜である」「生それ自体が君の師で、君は絶えず学んでいる境地にいます」「〈もっとよいもの〉は〈よいもの〉ではありません」「〈真理〉は途なき大地であり、いかなる方途、いかなる宗教、いかなる宗派によっても、近づくことのできないものなのです」……。

人はどのようにして変容し、『なる』(ビカミング)から『ある』(ビーイング)ことへのこの根源的変化を起こしたらいいのでしょう?」――クリシュナムルティの問いかけによって私は本覚論の本質を悟った。

 こうしたことは既に事実として判明しつつある。ジル・ボルト・テイラー著『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』によれば、右脳は常に悟っている状態らしい。

反密教学奇跡の脳: 脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)

2012-09-06

ジル・ボルト・テイラー


 1冊読了。

 47冊目『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー:竹内薫訳(新潮社、2009年/新潮文庫、2012年)/一昨日読了。少々高っ調子(ハイテンション)な文章が鼻につくが内容は文句なし。類書に山田規畝子〈やまだ・きくこ〉著『壊れた脳 生存する知』があるが、山田が障害世界を描いたのに対し、ジル・ボルト・テイラーは脳という宇宙を経験したといってよい。順序としてはトーマス・ギロビッチ著『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』→ロバート・カーソン著『46年目の光 視力を取り戻した男の奇跡の人生』→本書→アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース著『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』→トール・ノーレットランダーシュ著『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』と進むのがいいだろう。最大の問題は、アナロジーが死の象徴化から始まり、「宗教の原型は確証バイアス」とすれば、宗教は左脳から誕生しながらも宗教体験(悟り)は右脳で行われることになる。数年前から「本覚論(ほんがくろん)を修行論ではなく時間論で捉えるべきだ」と考えてきたが、本書に蒙(もう)を啓(ひら)かれほぼ解決した。「宗教とは何か?」「必読書」に追加。

2012-03-03

ネオ=ロゴスの妥当性について/『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫


『物語の哲学』野家啓一

 ・狂気を情緒で読み解く試み
 ・ネオ=ロゴスの妥当性について

『新版 分裂病と人類』中井久夫
『アラブ、祈りとしての文学』岡真理
『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』メアリアン・ウルフ
物語の本質~青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『オープンダイアローグとは何か』斎藤環著、訳

必読書リスト

 我々が生を自覚するのは死を目の当たりにした時だ。つまり死が生を照射するといってよい。養老孟司〈ようろう・たけし〉が脳のアナロジー(類推)機能は「死の象徴化から始まったのではないか」と鋭く指摘している。

アナロジーは死の象徴化から始まった/『カミとヒトの解剖学』養老孟司

 ま、一言でいってしまえば「生と死の相対性理論」ということになる。

 前の書評にも書いた通り、渡辺哲夫は本書で統合失調症患者の狂気から生の形を探っている。

 歴史は死者によって形成される。歴史は人類の墓標であり、なおかつ道標(どうひょう)でもある。たとえ先祖の墓参りに行かなかったとしても、歴史を無視できる人はいるまい。

 死者たちは生者たちの世界を歴史的に構造化し続ける、死者こそが生者を歴史的存在者たらしめるべく生者を助け支えてくれているのだ、(以下略)

【『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫(筑摩書房、1991年/ちくま学芸文庫、2002年)以下同】

 渡辺は狂気を生と死の間に位置するものと捉えている。そして狂気から発した言葉を「ネオ=ロゴス」と名づけた。

統合失調症患者の内部世界

「あの世で(あの世って死んだ事)子供(B男)が不幸になっています  十二歳中学二年で死にました  私(母親の○○冬子)がころしました
 目が見えません  目玉をくりぬいて脳の中に  くりぬいた目の中から小石をつめ けっかんをめちゃめちゃにして神けいをだめにして 息をたましいできかんしをつめて息ができません  又くりぬいための中に ちゅうしゃきでヨーチンを入れ目がいたくてたまりません  また歯の中にたましいが入ってはがものすごく痛くがまんが出来ません
 又体の中(背中やおなかや手足)の中に石田文子のたましいが入って具合が悪く立っていられない  それをおぼうさんがごういんにおがんで立たしておきます
 又ちゅうかナベに油を入れいっぱいにしてガスの火でわかして一千万度にして三ばいくりぬいた目の中に入れ頭と体の中に入れあつすぎてがまんが出来ません
 又たましいの指でおしりの穴をおさえて便が全然でません又おしっこもおしっこの出る穴をおさえてたましいでおさえて出ません
 又B男のほねをおはかからたましいでぬすんでほねがもえるという薬をつかってほねをおぽしょて ほねをもやしてその為にB男のほねは一本もありません
 又きかんしに石田文子がたましいできかんしをつめて息が出来ません又はなにもたましいでつめて息が出来ません  だから私(冬子)母親のきかんしとB男のきかんしをいれかえて下さい」(※冬子の手記)



「……言葉がトギレトギレになって溶けちゃうんです……言葉が溶けて話せない……聴きとれると語尾が出て心が出てくるんですね、語尾がないとダメダメ……秋子の言葉になおして語尾しっかりさせないと……流れてきて、わたしが言う他人の言葉ですね……わたしの話は死人に近い声でできてるからメチャクチャだって……死人っていうのは、思わないのに言葉が出てくる不思議な人体……言葉が走って出てくるんですね。飛び出してくる、……言葉が自分の性質でないんです。デコボコで、デコボコ言葉、精神のデコボコ……」(※秋子)

 筒井康隆が可愛く見えてくる。通常の概念が揺さぶられ、現実に震動を与える。このような言葉が一部の人々に受け容れられた時に新たな宗教が誕生するのかもしれない。

アジャパー!!」「オヨヨ」「はっぱふみふみ」といった流行語にしても同様だろう。


 デタラメな言葉だとは思う。しかし意味に取りつかれた我々の脳味噌は「言葉を発生させた原因」を思わずにはいられない。渡辺は実に丁寧なアプローチをしている。

 ところが冬子にとっての「たましい」たる「B男」は彼岸に去ってゆかない。あの世もこの世も超絶した強度をもって実態的に現前し続ける。生者を支えるべく歴史の底に沈潜してゆくことがない。つまり、「たましい」は、死者たちの群れから離断された“有るもの”であり続ける。「たましい」は冬子の狂気の世界のなかで、余りにもその存在強度を高めてしまったのである。死者たちの群れに繋ぎとめられない「B男」は、死者たちの群れの“顔”になりようがない。逆に「B男」という「たましい」は、死者たちを圧殺するような強度をもってしまう。「たましい」は、生死を超越して絶対的に孤立している。否、「B男」の「たましい」は、死者たちでなく冬子に融合してしまっている。「B男」は、死者たちの群れを、祖先を、歴史の垂直の軸あるいは歴史の根幹を圧殺し、母たる生者をも“殺害”するほどの“顔”なのである。これはもう“顔”とは呼べまい。「B男」という「たましい」は、死者たちの群れに絶縁された歴史破壊者にほかならない。冬子も「B男」も、こうして本来の死者たちの支えを失っているのである。

 つまり「幽明界(さかい)を異(こと)に」していないわけだ。生と死が淡く溶け合う中に彼女たちは存在する。むしろ存在そのものが溶け出していると言った方が正確かもしれない。

 仏教の諦観は「断念」である。しがらむ念慮を断ち切る(=諦〈あきら〉める=あきらか、つまびらかに観る)ことが本義である。それが欲望という生死(しょうじ)の束縛から「離れる」ことにつながった。現在を十全に生きることは、過去を死なすことでもある。

 他者という言葉は多義的である。私は常識の立場に戻って、この多義性を尊重してゆきたいと思う。
 まず第一に、他者は、ほとんどの他者は、死者である。人類の悠久の歴史のなかで他者を思うとき、この事実は紛れもない。現世は、生者たちは、独力で存立しているのではない。無料無数の死者たちこそ、事物や行為を名づけ、意味分節体制をつくり出し、民族の歴史や民俗を基礎づけ、法律や宗教の起源を教えているのだ。否、教えているという表現は弱過ぎよう。最広義における世界存在の意味分節のすべてが、死者たちの力によって構造的に決定されているのである。言い換えれば、他界は現世の意味であり、死者たちは、生者たちという胎児を生かしめて(ママ)いる胎盤にほかならない。知覚や感覚あるいは実証主義的思考から解放されて、歴史眼をもって見ることが必要である。眼光紙背に徹するように、現世を現世たらしめている現世の背景が見えてくるだろう。
 死者が他者であることに異論の余地はない。それゆえ、他者は、現世の生者を歴史的存在として構造化する力をもつのである。
 第二に、他者は、自己ならざるもの一般として、この現世そのものを意味する。歴史的に意味分節化されたこの現世から言葉を収奪しつつ、また新たな意味分節世界を喚起し形成しつつ、生者各人はこの他者と交流する。この他者は、ひとつの意味分節として、言語のように、言語と似た様式で、差異化され構造化されている。この他者を、それゆえ、以後、言語的分節世界と呼ぶことにしたい。自己ならざるもの一般の世界が言語的分節世界としての他者であるならば、他者は、言葉の働き方に関するわれわれの理解を一歩進めてくれる。
 言うまでもなく、言葉は、各人の脳髄に内臓されているのではない。一瞬一瞬の言語行為は、発語の有無にかかわらず、言語的分節世界という他者から収奪された言葉を通じて遂行される。否、収奪そのものが言語行為なのだ。では、言語的分節世界という他者は、言語集蔵体(ママ)の如きものなのであろうか。もちろん、そうではない。言葉は、言語的分節世界という他者の存立を可能ならしめている死者たちから、彼岸から、言わば贈与されるのである。生者が収奪する言葉は、死者が贈与する言葉にほかならない。この収奪と贈与が成功したとき、言葉は、歴史的に構造化された言葉として力をもつのである。それゆえ、われわれの言葉は、意識的には、主体的に限定された他者の言葉なのであるが、無意識的には、歴史的に限定された死者の言葉なのである。死者の言葉は、悠久の歴史のなかで、死者たちの群れから生者たちへと、一気に、その示差的な全体的体系において、贈与され続ける。それゆえに、言語的分節世界としての他者は歴史的に構造化され続けるのである。

 言語集蔵体とは阿頼耶識(あらやしき/蔵識とも)をイメージした言葉だろう。茂木健一郎が似たことを書いている。

「悲しい」という言葉を使うとき、私たちは、自分が生まれる前の長い歴史の中で、この言葉を綿々と使ってきた日本語を喋る人たちの体験の集積を担っている。「悲しい」という言葉が担っている、思い出すことのできない記憶の中には、戦場での絶叫があったかもしれない、暗がりでのため息があったかもしれない、心の行き違いに対する嘆きがあったかもしれない、そのような、自分たちの祖先の膨大な歴史として仮想するしかない時間の流れが、「悲しい」という言葉一つに込められている。
「悲しい」という言葉一つを発する時、その瞬間に、そのような長い歴史が、私たちの口を通してこの世界に表出する。

【『脳と仮想』茂木健一郎(新潮社、2004年/新潮文庫、2007年)】

 ここにネオ=ロゴスが立ち上がる。

 言い換えるならば、言語的分節世界という他者から排除され、言葉を主体的に収奪限定する機会を失ってしまった独我者が、自力で創造せんとする新たなる言葉、ネオ=ロゴスこそ独語にほかならない。主体不在の閉鎖回路をめぐり続ける独語に、示差的機能を有する安定した体系を求めるのは不可能であろう。それにもかかわらず、他者から排除された独我者は、恐らくは人間の最奥の衝動のゆえに、ネオ=ロゴスを創出しようとする。もちろんここに意識的な意図やいわゆる無意識的な願望をみることなど論外だろう。もっと深い、狂気に陥った者の人間としての最も原初的かつ原始的な力動が想定されねばなるまい。



 ネオ=ロゴスは、死者を実体的に喚起し創造し“蘇生”させると、返す刀で狂的なる生者を“殺害”するのである。これが先に述べた、ネオ=ロゴスの死相の二重性にほかならない。ネオ=ロゴスは、全く新奇な“死者の言葉”あるいは“死の言葉”であると言っても過言ではない。

 スリリングな論考である。だが狂気に引き摺り込まれているような節(ふし)も窺える。はっきり言って渡辺も茂木も大袈裟だ。無視できないように思ってしまうのは、彼らの文体が心地よいためだ。人は文章を読むのではない。文体を感じるのだ。これが読書の本質である。

 言葉や思考は脳機能の一部にすぎない。すなわち氷山の一角である。渡辺の指摘は幼児の言葉にも当てはまる。そして茂木の言及は幼児の言葉に当てはまらない。

 生の営みを支えているのは思考ではなく感覚だ。我々は日常生活の大半において思考していない。

 どうすればできるかといえば、無意識に任せればできるのです。思考の無意識化をするのです。
 車でいえば、教習所にいたときには、クラッチを踏んでギアをローに入れて……、と、順番に逐次的に学びます。
 けれども、実際の運転はこれでは危ないのです。同時に様々なことをしなくてはなりません。あるとき、それができるようになりますが、それは無意識化されるからです。
 意識というのは気がつくことだと書きましたが、今気がついているところはひとつしかフォーカスを持てないのです。無意識にすれば、心臓と肺が勝手に同時に動きます。
 同時に二つのことをするのはすごく大変です。けれどもそれは、車の運転と同じで慣れです。何度もやっていると、いつの間にかその作業が無意識化されるようになってくるのです。
 無意識化された瞬間に、超並列に一気に変わります。

【『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(PHP研究所、2007年/PHP文庫、2009年)】

 結局、「生きる」とは「反応する」ことなのだ。思考は反応の一部にすぎない。そして実際は感情に左右されている。ヒューリスティクスが誤る原因はここにある。

自我と反応に関する覚え書き/『カミとヒトの解剖学』 養老孟司、『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略』 岡本浩一、他

 意外に思うかもしれないが、本を読んでいる時でさえ我々は無意識なのだ。意識が立ち上がってくるのは違和感を覚えたり、誤りを見つけた場合に限られる。スポーツを行っている時はほぼ完全に無意識だ。プロスポーツ選手がスランプに陥ると「考え始める」。

 渡辺と茂木の反応は私の反応とは異なる。だからこそ面白い。そして学ぶことが多い。

死と狂気 (ちくま学芸文庫)
渡辺 哲夫
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圧縮新聞
物語る行為の意味/『物語の哲学』野家啓一
『カミの人類学 不思議の場所をめぐって』岩田慶治
ワクワク教/『未来は、えらべる!』バシャール、本田健

2011-07-21

意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 1990年、アメリカ連邦議会は「脳の10年」を採択した。ゲノムプロジェクトも同年開始。10年後にはほぼ全ての遺伝子配列が明らかになった。計画は予想よりも短期間で成し遂げられた。コンピュータ技術が劇的に進化したためだ。

 脳が作ったコンピュータが脳を解明するというのだから面白い。デジタル化によってコンピュータは並列処理を行えるようになった。計算機は一足飛びで脳に近づいた。

 脳科学は飛躍した。だが、「なぜ意識があるのか?」はまだわかっていない。そもそも「意識とは何か」も不明のままだ。「私」という現象を支えているのは意識の反応であり、それをパターン化したものが「自我」だ。

 世界は五感で構成されている。世界は「在る」のではない。ただ世界を「感じて」いるだけだ。世界は快不快、喜怒哀楽、幸不幸によって異なる。人の数だけ世界があると考えてよかろう。

 では脳は何を感受し、意識を発動するのか?

 物質系や生命系の世界の複雑さは、「深さ」、つまり処分された情報量として記述できる。最大の情報量を持つもの、それゆえに最長の記述を要するようなものには、私たちは関心を抱かない。それは、無秩序や乱雑さや混沌と同じだからだ。また、あまりに規則正しく先の読めるものにも心を引かれない。そこにはなんの驚きもないからだ。
 私たちの興味をそそるのは、歴史を持つもの、つまり、閉じて動かぬことによってではなく、外界と相互作用を行ない、途中で大量の情報を処分することによって長い間、存続してきたものだ。だから、複雑さや深さは、〈熱力学深度〉(処分された情報の量)またはそれと密接に関連した〈論理深度〉(情報の処分に要した計算時間)で測定できる。
 会話には情報交換が伴う。しかし、そのこと自体が重要なのではない。交わされる言葉にはわずかな情報しか含まれていない。肝心なのは、言葉になる前に行なわれる情報の処分だ。メッセージの送り手は大量の情報を圧縮し、情報量をごく小さくしてからそれを口にする。受け手はコンテクストから判断し、実際に処分された大量の情報を引き出す。こうして送り手は、情報を捨てることで〈外情報〉を作り出し、その結果生まれた情報を伝達し、相応量の〈外情報〉を受け手の頭によみがえらせることができる。
 つまり、言語の帯域幅(毎秒伝達できるビット数)はいたって小さい。毎秒せいぜい50ビット程度だ。言語や思考で意識はいっぱいになるのだから、意識の容量が言語より大きいはずはない。1950年代に実施された一連の心理物理学実験から、意識の容量は非常に小さいことが判明した。毎秒40ビット以下、おそらくは16ビットを下回る。
 感覚器官をを通じて取り込む情報量が毎秒約1100万ビットであることを思うと、この数字は桁外れに小さい。意識は、五感経由で間断なく入ってくる情報のほんの一部を経験するにすぎない。
 とすれば、私たちの行動は、感覚器官を通して取り込まれながら意識には上らない大量の情報に基づいているはずだ。毎秒数ビットの意識だけでは、人間行動の多様性は説明できない。事実、心理学者は閾下知覚の存在を確認している。(ただし、このテーマに関する研究の歴史には奇妙な空白期間があり、その背景には、そうした研究から得られた知識が商業目的に悪用されることへの具体的懸念と、人間の得体の知れなさに対する獏とした恐れがあるようだ)。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之訳(原書、1991年/紀伊國屋書店、2002年)以下同】

 何と毎秒1100万ビットの情報量の99.99%を切り捨てていることになる。謡曲「求塚」(もとめづか/観阿弥作)に「されば人、一日一夜を経(ふ)るにだに、八億四千の思ひあり」とある。人は一日に八億四千万もの念慮を為すというのだ。この時代の億が10万であるとしても、84万ってことになりますな。ちなみに起きている時間を16時間として計算すると、1時間=52500、1秒=14.58という数字が導かれる。何となく16ビット以下に近づいているような気がする(笑)。

 たぶん生存に関わらない情報は捨象(しゃしょう)されるのだろう。家が火事になった場合に求められるのは分析することではなく逃げることだ。そう考えると生きるためには、理性よりも情動を発揮する方が有利なのだろう。

ソマティック・マーカー仮説/『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』(『生存する脳 心と脳と身体の神秘』改題)アントニオ・R・ダマシオ

 なお外情報とはトール・ノーレットランダーシュが命名した概念で、発した言葉に表されていない情報のこと。沈黙が雄弁と化す場合もある。人の心をつかむのも大抵の場合一言である。もっとわかりやすいのは音楽だ。言葉を介さずにメッセージを伝えるのだから。

 膨大な情報を切り捨て、最小限の情報を知覚した脳は意識を発動させる。

 結果に疑問の余地はなかった。〈準備電位〉が動作の0.55秒前に現れ始めたのに対し、意識が始動したのは行為の0.20秒前だった。したがって、決意の意識は〈準備電位〉の発生から0.35秒遅れて生じることになる。言い換えれば、脳の起動後0.35秒が経過してから、決意をする意識的経験が起きたわけだ。
 数字を丸めれば(データの出所が明らかな場合はさしつかえなかろう)、自発的行為を実行しようという意図を意識するのは、脳がその決定を実行し始めてから0.5秒たった後という結論になる。
 つまり、三つの事象が起きている。まず〈準備電位〉が発生し、ついで被験者が行為の開始を意識し、最後に行為が実行される。

 これを読んだ時は腰を抜かした。だってそうだろ、意識する前に脳が動いている(準備電位)というのだから。するってえと、やっぱり自由意志はないものと考えられる。(何度でも紹介するぞ!)

人間に自由意思はない/『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?』池谷裕二

 体の触覚に関連する脳領域に電気刺激を与えると、体に触れられた、という感覚が生まれる。人間には、皮質への刺激を感知する触覚がない。通常は頭蓋骨が刺激から脳を守っているからだ。脳への刺激はけっしてないのだから、それを感知する生物学的な意味がない。頭蓋が開かれているとしたら、ほかにもっと憂慮すべきことがあるわけで、感覚皮質への刺激で爪先がうずくかどうかなど考えていられない。

 頭蓋骨はパンドラの匣(はこ)だったというわけだ。というよりは、むしろ脳が頭蓋骨から飛び出そうとしているのかもしれない。「こんな狭苦しいところに、いられるかってえんだ!」といった具合に。

 意識とそれが基づく脳内の活動に関するリベットの研究は、大きく二つに分けられる。一つは、ファインスタインの患者に対する一連の実験であり、これが、意識が生じるまでには0.5秒の脳活動を要するという、驚くべき発見をもたらした。この研究の後に、さらに驚嘆すべき発見へとつながる。すなわち、意識は時間的な繰り上げ調整を行ない、その結果私たちは、外界からの刺激の自覚が、実際は刺激の0.5秒後に生じるにもかかわらず、あたかも刺激の直後に生じたかのように感じる。

人間が認識しているのは0.5秒前の世界/『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』池谷裕二

 0.5秒遅れの情報を脳が補正している。凄いよね。現在という瞬間の中で過去と未来が目まぐるしく交錯しているのだから。

 意識はその持ち主に、世界像と、その世界における能動的主体としての自己像を提示する。しかし、いずれの像も徹底的に編集されている。感覚像は大幅に編集されているため、意識が生じる約0.5秒前から、体のほかの部分がその感覚の影響を受けていることを、意識は知らない。意識は、閾下知覚もそれに対する反応も、すべて隠す。同様に、自らの行為について抱くイメージも歪められている。意識は、行為を始めているのが自分であるかのような顔をするが、実際は違う。現実には、意識が生じる前にすでに物事は始まっている。
 意識は、時間という名の本の大胆な改竄(かいざん)を要求するイカサマ師だ。しかし、当然ながら、それでこそ意識の存在意義がある。大量の情報が処分され、ほんとうに重要なものだけが示されている。正常な意識にとっては、意識が生じる0.5秒前に〈準備電位〉が現れようが現れまいが、まったく関係ない。肝心なのは、何を決意したかや、何を皮膚に感じたか、だ。患者の頭蓋骨を開けたり、学生に指を曲げさせたりしたらどうなるかなど、どうでもいい。重要なのは、不要な情報をすべて処分したときに意識が生じるということだ。

「私」とはこれほどあやふやな存在なのだ。トール・ノーレットランダーシュは意識という幻想を「ユーザーイリュージョン」(利用者の錯覚)と名づけた。

 世界が感覚で構成されている以上、我々の経験はシミュレーションとならざるを得ない。つまり脳が世界を規定するのだ。そして意識は「私」をでっち上げ、存在の重力を生み出す。

 華厳経(けごんきょう)に「心は工(たくみ)なる画師(えし)の如く種種の五陰(五蘊)を画(えが)く。一切世間の中に法として造らざること無し」とある。仏教は脳科学だったのだ。

「世界も私も幻想だ」というのは簡単だ。それよりも一番大切なことは、生(せい)の川が刻々と流れている事実を知ることだ。この流動性をブッダは諸行無常と鋭く見抜き、「私」の実体は諸法無我であると喝破した。

 世界と私は何と不思議に満ちていることか。


デカルト劇場と認知科学/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
知覚系の原理は「濾過」/『唯脳論』養老孟司
「私」という幻想/『悟り系で行こう 「私」が終わる時、「世界」が現れる』那智タケシ
信じることと騙されること/『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節

2010-05-01

論理の限界/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 人は自転車に乗れるが、どうやって乗っているのかは説明できない。書くことはできるが、どうやって書いているのかを書きながら解説することはできない。楽器は演奏できても、うまくなればなるほど、いったい何をどうしているのか説明するのが困難になる。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

「論理の限界」、「言葉の限界」を見事に言い当てている。固有の経験を論理化することはできない。人間が持つコミュニケーション能力は無限の言葉でそれを相手に伝えようとしてきた。哲学がわかりにくいのは経験を伴っていないためであろう。ただ、思考をこねくり回しているだけだ。一人の先達の「悟り」を言葉にしたのが宗教であった。とすれば、教義という言葉の中に悟りは存在しないことになる。そこで修行が重んじられるわけだが、今度はスタイルだけが形式化されて内実が失われてしまう。

 もっとわかりやすくしてみよう。例えば自転車を知らない人々に「自転車に乗る経験」を伝えることが果たして可能だろうか? ブッダやクリシュナムルティが伝えようとしたのは多分そういうことなのだ。



脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン

2009-05-01

外情報/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 世界一短い手紙(※正確には電報)はヴィクトル・ユゴーが書いたもので、「?」だけが記されていた。これに対する出版社の返事が振るっていて「!」のみ。発売されたばかりの『レ・ミゼラブル』の売れ行きをユゴーが尋ね、出版社が「売れ行き良好」と答えたもの。まさに阿吽(あうん)の呼吸だ。

 トール・ノーレットランダーシュは、意図的に省略された情報を〈外情報〉と名づける――

 ユゴーが書いた疑問符は、明白な形で情報を処分した結果だ。もっとも、ただの処分とは違う。彼はたんに全部忘れてしまったのではない。処分した情報を明確に指し示した。しかし、通信文という観点に立てば、その情報はやはり捨てられてしまっている。本書では、この明白な形で処分された情報を〈外情報〉と呼ぶことにしよう。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)以下同】

 で、〈外情報〉にはどのような効果があるのか――

 多くの〈外情報〉を含んだメッセージには深さがある。ある人が最終的なメッセージを作り上げる過程で、意識にある大量の情報を処分し、メッセージから排除すれば、そこには〈外情報〉が生まれる。メッセージの情報量からだけでは、そのメッセージがどれだけの〈外情報〉を伴っているかはわからない。メッセージのコンテクストを理解して初めてそれがわかる。送り手は自分の頭にある情報を指し示すように、メッセージの情報を作り上げる。

 こうなると、情報というよりは言葉の本源に関わってくる問題だ。つまり、我々は日常において言語を介して意思の疎通を図っているが、言語に対するイメージは人によって微妙に異なる。同じということはあり得ない。とすれば、ここに言葉の詐術がある。

 人が心の底から感動した時、「言葉にならない」と言う。本来、情感というものは言葉では表現し尽くせないものだ。それを、相手に何とか伝えようとして我々は言葉を駆使し、声に抑揚をつけ、目を丸くし、身振り手振りを交えて――つまり、身体的な言語をも活用して――表現するのだ。

 結局、意図的に言葉を省略することで、「言葉にならない思い」がメッセージとして放たれるわけだ。「見つめ合う恋人同士」に言葉は不要であろう。ま、数ヶ月もすれば互いに言葉尻を捉えて喧嘩するようになるんだけどさ。

 ここで聞き手に求められるのは、コンテクスト(文脈)を読み解く能力だ。心の深い人物は、おしなべて「声なき声」をすくい取ることができる。本当に耳を澄ませば、小さなため息一つからでも相手の悩みを感じ取ることはできる。

 コミュニケーションの上手な人は自分のことばかり考えたりしない。相手の頭に何があるかも考える。相手に送る情報が、送り手の頭にある何らかの情報を指し示していても、どうにかして受け手に正しい連想を引き起こさせなければ、それは明確さという点で十分とは言えない。情報伝達の目的は、送った情報に込められた〈外情報〉を通して、送り手の心の状態に相通ずる状態を、受け手の心に呼び起こすことだ。情報を送るときには、送り手の頭にある〈外情報〉に関連した何らかの内面的な情報が、受け手の心にもなければならない。伝えられた情報は、受け手に何かを連想させなければならない。

 一読すると、「フーン」以上、で終わりかねないが、実は凄いことを言っている。飯嶋和一著『汝ふたたび故郷へ帰れず』(河出書房新社、1989年)を読んで私は悟った。北朝鮮から帰ってきた曽我ひとみさんが、新潟で父上と再会した際のやり取りなんかが、まさにそうだ。

 仏法ではそれを「念」と名づけた。そして、今この瞬間の思いを「一念」と称し、三千の世間(※本質的な差異との意)を内包していると説かれている(一念三千)。

 言葉を圧縮すれば、当然重みが増す。地球を半径2cmまでに圧縮すれば、ブラックホールが出来上がる(ブライアン・グリーン著『エレガントな宇宙 超ひも理論がすべてを解明する』草思社、2001年)ように。格言や名言が心に響くのも、省略された情報が多いためだと理解できる。そして、〈外情報〉が豊富になればなるほど、メッセージの抽象度は高くなってゆくのだ。



飯島和一作品の外情報

2009-02-16

論理ではなく無意識が行動を支えている/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 意識と無意識のわかりやすい例え――

 人は自転車に乗れるが、どうやって乗っているのかは説明できない。書くことはできるが、どうやって書いているのかを書きながら解説することはできない。楽器は演奏できても、うまくなればなるほど、いったい何をどうしているのか説明するのが困難になる。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

 それまではできなかったことができるようになると、脳内ではシナプスが新しい回路を形成する。この回路が滑らかに作動すると、我々は無意識でそれができるようになる。

 自動車の運転もそうだ。教習所に通っているうちは、「まずエンジンをかけて、それからブレーキペダルを踏んで……」などと頭で考えている。だが免許を取得して運転に慣れてしまえば、全く何も考えることなくラジオに耳を傾け、同乗者と会話しながら運転ができるようになっている。

 そのことを「言葉で説明できない」と指摘するところがトール・ノーレットランダーシュの凄いところ。意識を支えているのが無意識であることが明らか。無意識は言葉にできない。それでも我々は、言葉を交わしながら互いの無意識を感じ取っているのだ。

 きっと無意識は、善悪が混沌としてスープのように煮えたぎっている世界なのだろう。これをコントロールすることは可能なのだろうか? 多分可能なのだろう。無意識が意識を形成し、意識が行為に至る。そして今度は、行為がフィードバックされて意識から無意識へと通じる回路があるはずだ。それをブッダは「業(ごう=行為)」と呼んだ。善男善女よ、善行に励め。



言語も及ばぬ意識下の世界/『共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人』リチャード・E・シトーウィック

2008-12-03

対話とはイマジネーションの共有/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 第2部のコミュニケーション論より。

 コミュニケーションの上手な人は自分のことばかり考えたりしない。相手の頭に何があるかも考える。相手に送る情報が、送り手の頭にある何らかの情報を指し示していても、どうにかして受け手に正しい連想を引き起こさせなければ、それは明確さという点で十分とは言えない。情報伝達の目的は、送った情報に込められた〈外情報〉を通して、送り手の心の状態に相通ずる状態を、受け手の心に呼び起こすことだ。情報を送るときには、送り手の頭にある〈外情報〉に関連した何らかの内面的な情報が、受け手の心にもなければならない。伝えられた情報は、受け手に何かを連想させなければならない。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

「外情報」とは、トール・ノーレットランダーシュ独自の言葉で、意図的に割愛された情報という意味。多くの外情報があればあるほど、言葉のメッセージ性は深まるとしている。情報の余力といっていいだろう。あるいは奥座敷。

 言葉というものは大変便利であるが、自分が何かを話す時には単なる道具と化す。例えば、友人とレストランへ行ったとしよう。二人で口を揃えて「美味しい」と絶賛しても、言葉の内容は異なっているはずだ。また逆から考えてみれば、もっとわかりやすい。いかに美味なるご馳走であっても、それを言葉で表現するには限界がある。結局、「お前も一度食べてみろ」ってな結果となりやすい。なぜか? 感動が伝わらないからだ。

 わかり合えないからこそ、わかり合う努力が必要となる。だから人は意を尽くし、言葉を尽くす。それどころか、マルコム・グラッドウェルの『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』(旧題『ティッピング・ポイント』)によれば、会話をしている人間同士は微妙なバイブレーションを起こしていて、ダンスを踊っている事実が検証されている。

 確かに、対話とはイマジネーションの共有といえそうだ。豊かな言葉と表現力と共に、「外情報」を増やすという奥床しさを説いているのが斬新。「理解し合える」ことは、ある種の「悟り」に近いものだと私は考えている。



飯島和一作品の外情報
コミュニケーションの第一原理/『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー
死線を越えたコミュニケーション/『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
コミュニケーションの可能性/『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子

2008-11-09

嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

「嘘つきのパラドックス」は「自己言及のパラドックス」ともいう。

「私は嘘をついている」――この言葉、嘘つきのパラドックスは、何千年にもわたってヨーロッパの思索者たちを悩ませてきた。この言葉は、もし正しければ偽りになり、偽りなら正しくなる。自分が嘘をついていると主張する嘘つきは、真実を語っていることになるし、逆に、彼が嘘をついているのなら、そう主張したときには嘘をついていないことになってしまう。このパラドックスを特化させたものはいくらでもあるが、根本はみな同じで、自己言及は問題を来たすのだ。これは「私は嘘をついている」という主張にもあてはまるし、「有限の数の語句では定義できない数」という定義にもあてはまる。そうしたパラドックスは、じつに忌まわしい。その一つに、いわゆる〈リシャールのパラドックス〉という、数の不加算性にまつわるものがある。
 ゲーデルは、そうしたパラドックス(哲学者のお好みの言葉を使えば「二律背反」)を彷彿とさせる命題を研究することで、数学的論理の望みを断ち切った。1931年に発表された論文に、非数学的表現を使った文章は非常に少ないが、その一つにこうある。「この議論は、いやがおうにもリシャールのパラドックスを思い起こさせる。嘘つきのパラドックスとも密接な関係がある」ゲーデルが独創的だったのは、「私は証明されえない」という主張をしてみたことだ。もしこの主張が正しければ、証明のしようがない。もし偽りならば、この主張も立証できるはずだ。ところがこの主張が証明できてしまうと、主張の内容と矛盾する。つまり、偽りの事柄を立証してしまったことになる。この主張が正しいのは、唯一、それが証明不可能なときだけだ。これでは数学的論理は形無しだが、それは、これがパラドックスや矛盾だからではない。じつは、問題はこの「私は証明されえない」という主張が正しい点にある。これは、私たちには証明のしようのない真理が存在するということだ。数学的な証明や論理的な証明では到達しえない真理があるのだ。
 ゲーデルの証明をおおざっぱに言うとそうなる。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

 ゲーデルの不完全性定理については、以下のページがわかりやすい――

不完全性定理 - 哲学的な何か、あと科学とか

 第1不完全性原理「ある矛盾の無い理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が、必ず存在する」

 第2不完全性原理「ある理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無いことを、その理論体系の中で証明できない」

 ということは、だ。もし全知全能の神がいるとすれば、それは神が創った世界の外側からしか証明できないってことになる。それでも、ゲーデルは神の実在を証明しようとはしていたんだけどね。

 これは凄いよ。デジタルコンピュータが二進法で動いていることを踏まえると、数学は「置き換え可能な言語」と考えられる。そこに限界があるというのだから、人間の思考の限界を示したも同然だ。早速、今日から考えることをやめようと思う。エ? ああ、その通りだよ。元々あまり考える方ではない。

 ただし、ゲーデルの不完全性定理は、「閉ざされた体系」を想定していることに注目する必要がある。これを、「開かれた体系」にして相互作用を働かせれば、双方の別世界から矛盾を解決することも可能になりそうな気がしないでもないわけでもなくはないとすることもない(←語尾を不明確にしただけだ)。【※これは私の完全な記述ミスで「開かれた系」は系ではない。システムは閉じてこそ世界が形成されるからだ。例えば人体が開かれているとすれば、それはシャム双生児のようになってしまう。同じ勘違いをする人のために、この文章は敢えてそのままにしておく。 2010年9月3日】

 だけどさ、不完全だから面白いんだよね。物質やエネルギーを見ても完全なものなんてないしさ。大体、完全なものがあったとしても、時を経れば劣化してゆくことは避けようがない。成住壊空(じょうじゅうえくう)だわな。

「私たちには証明のしようのない真理が存在する」――そうなら、ますます生きるのが楽しみになってくるよ。科学も文明も宗教も、まだまだ発展する余地があるってことだもんね。



アルゴリズムとは/『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ

2008-10-26

ポーカーにおける確率とエントロピー/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 トール・ノーレットランダーシュは、実に巧みな表現で科学の世界を明かしてくれる。前回紹介した「ボルツマン」もそうだが、簡にして要を得た言葉がスッと頭に入ってくる。「通る・脳烈人乱打手」という名前を進呈したい。

 で、今回はこれまた絶妙な比喩で、マクロとミクロ、そしてエントロピーを説明している。

 ポーカーは格好の例となる。トランプが一組あるとしよう。買ったときには、そのトランプは非常に特殊なマクロ状態にある。一枚一枚のカードがマークと数に従って並んでいる。このマクロ状態に呼応するミクロ状態は、たった一つしかない。工場から出荷されたときの順で全部のカードが並んでいるというミクロ状態だ。しかし、ゲームを始める前にカードを切らなければならない。順番がばらばらになっても、マクロ状態は相変わらず一つしかない(切ったトランプというマクロ状態だ)が、このマクロ状態に呼応するミクロ状態は数限りなくある。カードを切ると、じつに様々な順番になるが、私たちにはとてもそれを全部表現するだけのエネルギーはない。だから、たんに、切ったトランプと言う。
 ポーカーを始めるときには、一人一人のプレーヤーに5枚のカード、いわゆる「手(持ち札)」が配られる。すると、今度はこの手が、プレーヤーが関心を向けるマクロ状態となる。5枚の組み合わせは多種多様だ。たとえば、数は連続していないが、5枚全部が同じマークという組み合わせ(フラッシュ)のように、似たもの同士のカードから成るマクロ状態もある。また、同じマークではないが、数が連続している組み合わせ(ストレート)というマクロ状態もある。ストレートには何通りもあるが、極端に多いわけではない。ストレートでない組み合わせのほうが、はるかに多い。(中略)
 確率とエントロピーには明らかに関係がある。ある「手」を作れるカードの数が多いほど、そういう手を配られる確率が高くなる。だから、「弱い手」(エントロピーの多い手)になりやすく、「強い手」(呼応するミクロ状態の数がとても少ないマクロ状態)は、なかなかできない。ポーカーの目的は、誰が最も低いエントロピーのマクロ状態を持っているかを決めることだ。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

「ポーカーの目的は、誰が最も低いエントロピーのマクロ状態を持っているかを決めることだ」――凄いよね。「これぞ科学的思考だ!」ってな感じ。麻雀や花札も同様だ。ただし、雀卓であなたが厳(おごそ)かにこの言葉を叫んだとしても、誰一人耳を貸さないことだろう。

 カードを何万回切っても、買った時のように数字とマークが順番で並ぶことはあり得ない。これが不可逆性を意味する。カードはどんどんバラバラになってゆく。これが拡散。熱エネルギーは一方向に拡散する。

 当然ではあるが、この後で「マックスウェルの魔物」「ゼノンのパラドックス」にも触れている。

2008-10-25

エントロピーを解明したボルツマン/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 私は本書のことを、「現代の経典」に位置すべき作品だ、と書いた。付箋を挟んだページを読み直し、膨大なテキストを書写したが、あながち間違っていないことが確認できた。そこで、がっぷり四つで取り組むことを決意した。こうした行動は過去に何度か試行されているが、その試行のいずれもが錯誤で終わっていることを明言しておく(『千日の瑠璃』→止まったまま、『ホロコースト産業  同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』→進行中、『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』→まだ端緒)。だが、時を逸してはなるまい。

 では一時限目は、エントロピーから始めよう。

 私は20代の頃に、都筑卓司著『マックスウェルの悪魔 確率から物理学へ』(ブルーバックス、1970年)を読んで以来、エントロピーを誤解し続けてきた。その意味で私にとっては悪書中の悪書といってよい。科学者の仕事は、科学的知識を散りばめて自分の信念を表明することである。そこに、思い込みや勘違い、はたまた誤謬(ごびゅう)や嘘が入り込む余地が大いにあるのだ。科学者だって「にんげんだもの みつを」だ。すなわち、科学者の一部、あるいは大半が「トンデモ野郎」ということだ(←言い過ぎだ)。

 早速、エントロピーを学ぼう。以下のページを読めば十分だ。

「エントロピー」=「乱雑さ具合」ではない

 これでも難しいという人は、次に挙げるテキストをマスターしてから臨んだほうがいいだろう。ニュートンからアインシュタインまでの流れ、そして量子力学&宇宙論、更に脳科学は、世界を読み解く上でどうしても不可欠となる。

『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン
『「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!』佐藤勝彦
『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』池谷裕二

 で、ボルツマンだ――

 ボルツマンの発想は単純そのものだった。彼は、いわゆる〈巨視的(マクロ)状態〉と〈微視的(ミクロ)状態〉、つまり、物質の巨大な集合体の属性と、その物質の個々の構成要素の属性を区別したのだ。マクロ状態とは、温度、圧力、体積などだ。ミクロ状態とは、個々の構成要素の振る舞いの正確な記述から成る。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

 科学の世界も政治に支配されていることが、よくわかるだろう。人間が集まれば、必ず欲望と功名心と利害というパラメータが働く。そして、真理を証明する者は葬られるのだ。歴史は繰り返す。巡る因果は糸車、だ。

「神は細部に宿る」ことをボルツマンは立証した。だが、神はボルツマンを助けなかった。そんな神様があなたや私を助けるわけがないわな。



宗教とは何か?
物語の本質〜青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
デカルト劇場と認知科学/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
無我/『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
脳神経科学本の傑作/『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン
宗教学者の不勉強/『21世紀の宗教研究 脳科学・進化生物学と宗教学の接点』井上順孝編、マイケル・ヴィツェル、長谷川眞理子、芦名定道
人間は世界を幻のように見る/『歴史的意識について』竹山道雄

2008-05-20

病気になると“世界が変わる”/『壊れた脳 生存する知』山田規畝子


『「自分で考える」ということ』澤瀉久敬

 ・病気になると“世界が変わる”
 ・母と子の物語

・『壊れた脳も学習する』山田規畝子
『「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学』山鳥重
『脳は奇跡を起こす』ノーマン・ドイジ
『脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線』ノーマン・ドイジ
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー

必読書 その五

 カバー装丁がまるでダメだ(講談社版)。もっとセンスがよければ、ベストセラーになっていたはずだ。出版社の怠慢を戒めておきたい。

 どんな剛の者でも病気にはかなわない。権力、地位、名誉、財産も、病気の前には無力だ。幸福の第一条件は健康なのかも知れない。普段は意に介することもない健康だが、闘病されている方の手記を読むと、そのありがたさを痛感する。まして、私と同い年であれば尚更のこと。

「病気になると“世界が変わる”」――決して気分的なものではない。脳に異変が起こるとそれは現実となるのだ。医師である山田さんはある日突然、高次脳機能障害となる。

 当時、私は医師として10年ほどの経験を積み、亡き父の跡を継いで、高松市にある実家の整形外科病院の院長を務めていた。子どものころから成績はともかく、勉強は嫌いではなかったのし、知識欲も人一倍あったほうだと思う。とくに記憶することは得意で、自分の病気についても、教科書に書いてある程度のことはだいたい頭に入っていたつもりである。
 だが私の後遺症、のちに「高次脳機能障害」と聞かされるこの障害は、これまで学んだどんなものとも違っていた。
 最初は自分の身に何が起こったのか、見当もつかなかった。
 靴のつま先とかかとを、逆に履こうとする。
 食事中、持っていた皿をスープの中に置いてしまい、配膳盆をびちゃびちゃにする。
 和式の便器に足を突っ込む。
 トイレの水の流し方が思い出せない。
 なぜこんな失敗をしでかすのか、自分でもさっぱりわからなかった。

【『壊れた脳 生存する知』山田規畝子〈やまだ・きくこ〉(講談社、2004年)/角川ソフィア文庫、2009年)】

 脳の機能障害で、立体像を認識することができなくなっていた。入院直後には中枢神経抑制剤を投与され、正常な認知ができずベッドから転落した。「暴れる患者」と判断され、「精神異常者」として扱われた。医師や看護師すら、この病気を正しく認識していなかった。

 それでも、山田さんの筆致はユーモラスで明るい。以前とは性格まで変わってしまった自分を振り返ってこう言い切ってしまうのだ。

 いろいろな自分に会えるのも、考えようによっては、この障害の醍醐味である。

 また、山田さんを取り巻く医師の言葉が、何とも味わい深い。まるで、哲学者のようだ。

「高次脳機能障害は、揺れる病態です。同じ病巣(びょうそう)の患者さんをつれてきても、必ずしも同じ症状ではない。今日できたことが、明日もできるとはかぎらない。患者さんは揺れています。だから診(み)る方も、いつも揺れていないと診られない」(山鳥重〈やまどり・あつし〉教授)

 ある日の朝礼で、私の上司であり、主治医でもある義兄が、全職員を前にして言った。
「ここに入ってこられる方は、病気やけがと闘って、脳に損傷を受けながらも生き残った勝者です。勝者としての尊敬を受ける資格があるのです。みなさんも患者さんを、勝者として充分に敬ってください」

 山田さんは、不自由な生活を強いられながらも社会復帰を果たす。

 3歳の時、一緒に救急車に乗って以来、子息は山田さんを支え続けた。最後に「いつもお母ちゃんを助けてくれたまあちゃんへ」と題して、20行のメッセージが書かれている。私は、溢れる涙を抑えることができなかった。何度となく読んで、何度となく泣いてしまった。

人間とは「ケアする動物」である/『死生観を問いなおす』広井良典
リハビリ

天声人語

 たとえば地下鉄の階段の前で立ちすくむ。上りなのか、下りなのかがわからない。時計の針を見ても左右の違いがわからず4時と8時とを取り違えてしまう。靴の前と後ろとの区別がつかない。
 脳卒中をたびたび経験した医師の山田規畝子(きくこ)さんが自らの体験をつづった『壊れた脳 生存する知』(講談社)は、後遺症の症状を実に冷静に観察している。「脳が壊れた者にしかわからない世界」の記録である。「病気になったことを『科学する楽しさ』にすりかえた」ともいう。
 脳の血管がつまったり破れたりする脳卒中の患者は多い。一昨年10月時点で137万人にのぼる。高血圧の699万人、歯の病気487万人、糖尿病の228万人に次いで4番目だ。
 この病気が厄介なのは、いろいろな後遺症が現れることだ。極めて複雑な器官の脳だけに、現れ方も千差万別らしい。医師にも個々の把握は容易ではない。視覚に狂いが出た山田さんも、何でもないような失敗を重ねて「医者のくせに」と、冷たい目で見られたこともあった。
 リハビリが大事である。山田さんは生活の中で試行錯誤を続けた。階段の上り下りにしても「目で見て混乱するなら見なければいい」と足に任せた。足は覚えていた、と。とにかく無理は禁物だという。育児をしながらの毎日、しばしば「元気出して。がんばって」と励まされる。しかし「元気出さない。がんばらない」と答えるようにしている。
 脳梗塞(こうそく)で先日入院した長嶋茂雄さんも、リハビリを始めるらしい。無理をしないで快復をめざしてほしい。

【朝日新聞 2004-03-09】



ラットにもメタ認知能力が/『人間らしさとはなにか? 人間のユニークさを明かす科学の最前線』マイケル・S・ガザニガ