小雪が舞っていた。まだあどけなさを残した男子中学生3人組がぽっかりと口を開けて空を見上げていた。ちびっ子二人組は走りながら「ゆきー、ゆきー、ゆき~~~」と歌っていた。小節を回した瞬間、私の顔を見て首を揺らした。ベテランの演歌歌手さながらであった。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 1月 10
2014-01-10
目撃された人々 50
2016-12-03
目撃された人々 71
1938年(昭和13年)、場所は浅草。日陰で一休みしている子供たちです。姉弟でしょうか。 pic.twitter.com/fGA1dSB1sT
— 戦前~戦後のレトロ写真 (@oldpicture1900) 2016年12月3日
弟妹の世話をする中で学ぶことは多い。私には弟が3人と妹が2人いる。特に一番下の妹は19歳も離れているので本当に面白かった。3歳の頃に私の部屋をノックした。因みに我が家ではノックをする風習はない。ガラス越しに小さな姿が見えた。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2016年12月3日
「どうぞ」と応じると、カバンを持ち身を屈めて「こんにちは、あのタカシさんはいますか?」と言う。「ああ、今留守にしてます」と答えると、「じゃ、またきます」と言って頭を何度も下げて出て行った。追いかけて「今のは何だ?」と訊くと、「この間、来た人」と。ピンと来た。保険営業のオバサンだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2016年12月3日
幼い子供たちは「見る」ことで凄まじい量の情報を獲得している。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2016年12月3日
2013-05-22
目撃された人々 36
小雨が降っていた。細い十字路の角で少年が茫洋とした表情で両手をポケットに突っ込み口笛を吹いていた。私がバイクの上から「風邪をひくなよ」と言うと、彼は高い音の口笛で答えた。振り返ると少年はオオルリになっていた――というのは作り話だ。少年は雨と戯れるように歩き去った。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年5月20日
口笛の少年と似ている。/under the big magic tree | Flickr - Photo Sharing! flickr.com/photos/ukke_ph…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年5月20日
2015-07-22
目撃された人々 64
ベランダから見下ろすと中学生の女の子が空に向かってスマートフォンをかざしていた。空には大きな虹がかかっていた。少女はアングルを思案しているようで前後に移動した。数枚の写真を撮ると早速メールを送っていたようだった。それから彼女は二度と虹を見つめることがなかった。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 7月 19
私は比較的美しい光景に出会うことが多いのだが、写真撮影をしないのはこうした理由による。撮影すると「見なくなる」のだ。もっと見ることに真剣でありたい。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 7月 19
2016-11-25
目撃された人々 70
夏の出来事である。集合住宅の玄関に七夕の笹竹が飾られていた。何気なく短冊に目をやると、金釘流の文字で「なるべくおかいものにいきます。たまにはおちゃとかもしたいです」と書いてあった。胸に痛みが走った。リハビリ中のお年寄りなのだろう。やっとの思いで綴った筆跡に違いない。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2016年11月24日
体が不自由になっても季節を愛(め)で寿(ことほ)ぐ姿勢に私は感じ入った。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2016年11月24日
2013-04-26
目撃された人々 34
4~5歳の男の子が自転車に乗る練習をしていた。補助車なし。よろけつつも少しだけ真っ直ぐ走った。私はバイクにまたがったまま擦れ違いざまに目を丸くし、「おお、スゲー」顔をした。少年はニコッと笑った。本当に嬉しそうな表情だった。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月25日
2013-08-16
目撃された人々 42
今朝、外を歩いていたところ私の背中に蝉が止まった。弱々しい声で「ジリ…」とひと鳴き発した。満身に力を込めて樹液を出そうと試みたが上手くいかなかった。蝉は私の背中を蹴って黄泉路へ向かった。
— 小野不一 (@fuitsuono) August 16, 2013
2014-08-17
目撃された人々 59
今朝拾い上げた蝉は、まるで電池切れの携帯電話のようにブーンと一度だけ振動して息絶えた。最後の力を振り絞ったのであろうが鳴き声を発することはかなわなかった。やつのバイブレーションはまだ私の魂を震わせている。生きるとは魂を震わせることなのだ。そんなメッセージを確かに受け取った。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 17
2014-10-20
戦争を問う/『奇貨居くべし 春風篇』宮城谷昌光
・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
・『管仲』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・戦争を問う
・学びて問い、生きて答える
・和氏の璧
・荀子との出会い
・侈傲(しごう)の者は亡ぶ
・孟嘗君の境地
・「蔽(おお)われた者」
・楚国の長城
・深谿に臨まざれば地の厚きことを知らず
・徳には盛衰がない
・『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光
この少年の脳裡(のうり)には、目撃している兵馬の多さだけではなく、各国が出す兵馬の多さもあり、それらがまとまったとき、兵の数は100万をこえるのではないかという想像がつづき、それを迎え撃つ斉軍が50万をこえる大軍容であったら、どんなすさまじい戦いになるのか、という想像の連続がある。その果てにある死者の多さが、呂不韋〈りょふい〉の胸を悪くさせた。
――なにゆえ、人は殺しあうのか。
いつからそういう世になったのであろう。
急に呂不韋はしゃがんで土をなでた。
「どうなさいました」
鮮乙(せんいつ)がふりかえった。彭存〈ほうそん〉も少年の手もとをいぶかしげにながめた。
「土は毒を吐くのだろうか」
土が吐く毒を吸った者が兵士となり、狂って、人を殺す。呂不韋はそんな気がしてきた。
鮮乙(せんいつ)は困惑したように目をあげた。すると彭存(ほうそん)は目を細め、
「土に血を吸わせるからそうなるのだ。人が土のうえで血を流すことをやめ、和合して、土を祭り、酒をささげるようになれば、毒など吐かぬ」
と、おしえた。呂不韋は立った。自分が考えていることを、多くのことばをついやさず、人に通じさせたというおどろきをおぼえた。
【『奇貨居くべし 春風篇』宮城谷昌光(中央公論新社、1997年/中公文庫、2002年/中公文庫新装版、2020年)】
「奇貨(きか)居(お)くべし」は『史記』の「呂不韋伝」にある言葉で、珍しい品物であるから今買っておいて後日利益を得るがよいとの意と、得難い機会だから逃さず利用すべきだとの二意がある。呂不韋〈りょふい〉は中国戦国時代の人物で一介の商人から宰相(さいしょう)にまで上りつめた。始皇帝の実父という説もある。
少年の苦悩が思わず詩となって口を衝(つ)いて出た。それに応答した彭存〈ほうそん〉の言葉もまた詩であった。詩情の通う対話に本書のテーマがシンボリックに表現されている。呂不韋は後に民主主義を目指す政治家となるのだ。
「和合して、土を祭り、酒をささげる」――祭りと鎮魂(ちんこん)の儀式にコミュニティを調和させる鍵があることを示唆(しさ)しているようだ。文明の発達に伴って人々は自然に対する畏敬の念を忘れ、祭儀も形骸化していったのであろう。そもそも都市部では土が見えない。土を邪魔者のように扱う文化は必ず手痛いしっぺ返しを食らうことだろう。アスファルトに覆われ、陽に当たることのない土壌で悪しき菌が培養されているような気がする。
2018-07-18
目撃された人々 72
午前9時、気温は33℃を超えていた。
駐車場に停めたバイクにまたがろうとすると、フェンスの向こうに植木屋がいた。「おはようございます」と私が声を掛けると、「おはようございます。今日は暖かいですね」と返してきた。「暖かいとは普通言わねーわな」と言って二人で大笑いした。颯と風が吹き抜けるようなコミュニケーションだった。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2018年7月18日
2014-02-11
目撃された人々 53
老婆の背中はほぼ90度に曲がっていた。覚束ない足取りでクルマが往き交う道路の脇を歩いていた。私は目を放すことができなかった。心の奥底で振動が起こった。哀しみと怒り。老婆は歩む。死へ向かって。そして老婆の足は現実という大地を踏みしめる。地球よ、お前も老婆の足下にある。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 2月 10
2013-10-11
目撃された人々 47
明らかに空気が抜けていた。「いらっひゃいまへ」。ドラッグストアのレジにいたお嬢さんだ。年の頃は二十歳前後。私の手渡した小銭が間違っていた。「いやあ、この年になると足し算引き算も間違っちまうよ」といいわけをすると、「わたひもへふ」と応じてくれた。つい先程の出来事。
— 小野不一 (@fuitsuono) October 11, 2013
2013-02-19
目撃された人々 32
マンションの入口で若いお母さんと擦れ違った。私は軽く会釈をし「こんにちは」と挨拶をした。母親に続いて3歳くらいの女の子がびっくりするほど大きな声で「こ・ん・に・ち・わ!」と返してきた。あれは教え込まれた反応ではない。生命が確かに開かれている声の響きであった。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年2月19日
2013-06-07
目撃された人々 38
2015-03-13
目撃された人々 62
少し前のことだが、時々見かける学校帰りの少女(たぶん小2)に「お帰り!」と声をかけると、消え入りそうな声で「あ、ただいま」と言った。次に会った時は、手を胸のあたりまで持ち上げたが振らなかった(笑)。それが今じゃどうだ。両手を振って「じゃあねー、バイバーイ」とか言ってやがるよ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 3月 13
挨拶は心の窓に風を吹かせる。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 3月 13
2013-11-08
目撃された人々 48
10歳くらいの少年が私に会釈もどきをした。まだ頭を下げることや目を伏せる意味を知らないのだろう。彼は顔面を水平に前に出してみせたのだ。私は「こんにちは」とにこやかに声を掛けた。そして「このまま横にも動かせるようになればマイケル・ジャクソン並だな」と思い至った。
— 小野不一 (@fuitsuono) November 8, 2013
2013-09-19
目撃された人々 45
たぶん小学校2年生の女の子だ。私のバイクが角を曲がって現れるや否や、彼女は隣にいた子の身体を勢いよく横に押した。何という危険察知能力であろうか。私は徐行しながら少女の顔に見入った。彼女は何事もなかったかのように友達と歩き去った。
— 小野不一 (@fuitsuono) September 18, 2013
2014-03-04
目撃された人々 55
ヘルパーとクロネコヤマトの制服が物干し竿で揺れていた。冬の光がその清潔を照らす。私の手にギターがあったならば直ぐにでも歌ができたことだろう。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 4
2013-04-26
目撃された人々 35
狭い路地で少女に道を譲った。まだ10歳にもなっていないであろう女の子が私の前で深々とお辞儀をした。断じて会釈ではない。思わず50歳の私も頭を下げた。あの子はきっと不軽菩薩の化身なのだろう。私は手を合わせるべきであった。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月25日
・常不軽菩薩
2013-11-29
目撃された人々 49
バイクで丁字路(※T字路は誤り)に差し掛かった時、左手から5歳くらいの少女が歩いてきた。その子はちょうど真ん中でバイクを見て動けなくなり屈み込んだ。そして私の顔を見るなり、なんとニッコリ笑った。バイクもこの笑顔には負けたと見え、自然に減速した。私は手を振りながら右折した。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 11月 29