2015-12-03

黒船の強味/『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八


『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織
『國破れて マッカーサー』西鋭夫

 ・黒船の強味
 ・真珠湾攻撃の宣戦布告が遅れた真相

『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八

日本の近代史を学ぶ

Q●なぜ徳川幕府は、黒船と戦争しなかったのでしょうか。兵員数では圧倒していたと思うのですが……。

A●(中略)つまり波打ち際から5kmぐらい離れれば、最新鋭の艦砲の直撃も免れることができるのだが、江戸城の周りには武家屋敷が、さらにその周りにはおびただしい町屋が連なっていた。ペリー艦隊にとっては、風上の市街地をまず砲撃で炎上させ、それを江戸城まで延焼させることぐらいは、わけもないのであった。そのような前例としては、ナポレオン戦争中のネルソン艦隊による、コペンハーゲン市の焼き討ちがあった。
 さらにペリー艦隊は、江戸湾の入り口付近で海賊を働き、日本の商船の出入りを完全に阻止することもできた。江戸時代の街道は、荷車すら通れない未舗装の狭い道幅で、陸上の長距離輸送は、馬の背中や牛の背中に物資を載せて運ぶ以外にない。それではとうてい、大坂方面からの廻船による輸送力を、代行できるものではなかった。食料や薪炭の入港が途絶すれば、ひたすら消費するのみの100万都市には、たちどころに飢餓状態が現出するはずであった。そこには旗本の家族や家来だって巻き込まれてしまうのである。
 もしも江戸城が焼かれ、将軍のお膝元が生活物資の欠乏で大混乱に陥るという事態になれば、諸藩が徳川家に対する忠誠をひるがえす好機が、そこに生ずるだろう。大名が勝手に国元に戻ったり、各地から諸藩の軍勢が江戸にのぼってくるかもしれない。外様大名の誰かと、外国軍が結託しないという保証もなかった。(中略)
 幕末の日本には、全国で47万人くらいの武士がいたらしい。しかし戦争では、特定の戦場に、相手より強力な戦力を集中できた者が勝つ。ペリー艦隊は、日本の海岸の好きな場所に、300人の海兵隊を投入することができる。しかも、艦砲射撃の支援火力付きである。日本側が1500人の火縄銃隊をあつめてきたら、こんどは別な場所を襲撃すればよいのだ。有力な親藩の城下町も多くが海岸の近くにあり、焼き討ち攻撃には弱かった。
 この機動力と火力とを、徳川政権が実力で排除するためには、台場ではなく、鉄道か軍艦かの、どちらかが必要なのであった。

【『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉】

 長年にわたる疑問が解けた。黒船の強味は火力と機動力にあった。世界中の主要都市が海に接しているのも船を受け入れるためである。それは現在も変わらない。鉄道ではやはり量が劣る。

 大まかな歴史を辿ってみよう。

 1415-1648年 大航海時代
 1434年 エンリケ航海王子の派遣隊がボジャドール(ブジャドゥール、ボハドルとも)岬を踏破
 1492年 クリストファー・コロンブスバハマ諸島に到達。
 1497年 ヴァスコ・ダ・ガマがインドに到達
 1543年 種子島にポルトガル船が漂着。鉄砲伝来。
 1519-22年 マゼランが世界一周。
 1602年 オランダ東インド会社(世界初の株式会社)が設立。
 1620年 ピルグリム・ファーザーズメイフラワー号で北米へ移住。
 1840-42年 第一次阿片戦争
 1853-56年 クリミア戦争
 1853年 黒船来航
 1856-60年 第二次阿片戦争
 1856年 ハリス来日。
 1858年 日米修好通商条約
 1861-65年 北米で南北戦争
 1868年 明治維新
 1894-95年 日清戦争
 1904-05年 日露戦争
 1914-18年 第一次世界大戦
 1939-45年 第二次世界大戦

 大航海時代は植民地化と奴隷貿易の時代でもあった。

 ヨーロッパ人によるアフリカ人奴隷貿易(英語版)は、1441年にポルトガル人アントン・ゴンサウヴェスが、西サハラ海岸で拉致したアフリカ人男女をポルトガルのエンリケ航海王子に献上したことに始まる。1441-48年までに927人の奴隷がポルトガル本国に拉致されたと記録されているが、これらの人々は全てベルベル人で黒人ではない。
 1452年、ローマ教皇ニコラウス5世はポルトガル人に異教徒を永遠の奴隷にする許可を与えて、非キリスト教圏の侵略を正当化した。
 大航海時代のアフリカの黒人諸王国は相互に部族闘争を繰り返しており、奴隷狩りで得た他部族の黒人を売却する形でポルトガルとの通商に対応した。ポルトガル人はこの購入奴隷を西インド諸島に運び、カリブ海全域で展開しつつあった砂糖生産のためのプランテーションに必要な労働力として売却した。奴隷を集めてヨーロッパの業者に売ったのは、現地の権力者(つまりは黒人)やアラブ人商人である。

Wikipedia

大英帝国の発展を支えたのは奴隷だった/『砂糖の世界史』川北稔
奴隷は「人間」であった/『奴隷とは』ジュリアス・レスター

「奴隷を集めてヨーロッパの業者に売ったのは、現地の権力者(つまりは黒人)やアラブ人商人である」には疑問あり。要はビジネスとして成立させたのは誰か、ということが重要だ。ユダヤ人であるという指摘もある(デイヴィッド・デューク)。大航海時代を支えたのはユダヤ資本であり、リスクを債権化するという株式会社の原型を考案したのもユダヤ人だ(『投機学入門 市場経済の「偶然」と「必然」を計算する』山崎和邦)。

 火薬・羅針盤・活版印刷術の三大発明はもともと中国伝来のものだった。これらを戦争および侵略の道具としたところに西欧の強味があった。活版印刷は紙幣(銀行券)を生み、他方では宗教改革の追い風となる。

 年表を見直すと、やはり戦争によって技術革新(イノベーション)が進んできた事実がよくわかる。第二次世界大戦は空中戦となり、スプートニク・ショック(1957年)以降、人類は宇宙を目指す。

 本書で初めて知ったのだがクリミア戦争の戦域はカムチャツカ半島まで及んだという(Wikipedia)。つまりペリー艦隊はヨーロッパ諸国が戦争で手を出しにくい絶好の時期に訪れたわけだ。

 日本の開国は事実上はハリスによる日米修好通商条約だが、そのインパクトによって殆どの日本人が黒船によるものと誤解している。開国した日本は自ら黒船を造ろうと決意。欧米列強に学びながら帝国主義の道を歩まざるを得なくなる。

日本の戦争Q&A―兵頭二十八軍学塾
兵頭 二十八
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日米関係の初まりは“強姦”/『黒船幻想 精神分析学から見た日米関係』岸田秀、ケネス・D・バトラー
泰平のねむりをさますじようきせん たつた四はいで夜るも寝られず/『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』岩下哲典
黒船を歌う江戸時代の人々/『幕末外交と開国』加藤祐三

2015-12-02

小山矩子


 1冊挫折。

日本人の底力 陸軍大将・柴五郎の生涯から』小山矩子〈こやま・のりこ〉(文芸社、2007年)/文芸社といえば自費出版系で知られるが、2008年に草思社を子会社化したのは知らなかった。著者は1930年生まれで小学校教諭、校長を務めた人物。フォントの大きい183ページの小著だが、半分過ぎたあたりでやめた。各所に思い込みの強さが見受けられ、自分の思い通りにならないと気が済まないような性質が露呈している。はっきり言って馬鹿丸出しだ。幼児期に会津戦争を経験した柴は何が何でも平和主義者であらねばならない、との強迫観念にとらわれている。日教組臭さを感じるが教育勅語は評価している。歴史とは現在と過去との対話であるが、この人は現在の価値観でしか過去を見ることができないようだ。少なからず資料的価値はあるものの病的な思考に耐えられず。

坂井三郎、副島隆彦、他


 4冊挫折、2冊読了。

山川 世界史総合図録』成瀬治、佐藤次高、木村靖二、岸本美緒監修(山川出版社、1994年)/843円なのだから、もちろん印刷に期待はしていない。たくさんの図が掲載されているがドキドキワクワクするものが少ない。個人的に図録は体質に合わないようだ。今のところ『ニューステージ世界史詳覧』が最強である。

詳説日本史研究』佐藤信、 五味文彦、高埜利彦、鳥海靖編集(山川出版社、2008年)/図表写真がオールカラーという大盤振る舞い。高校生の参考書といった内容で通史を学ぶにはうってつけだろう。執筆者の一人に加藤陽子の名前がある。彼女は左翼だ。西尾幹二らが『自ら歴史を貶める日本人』批判をしている(※動画)。

スッタニパータ[釈尊のことば]全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳(講談社学術文庫、2015年)/読了することあたわず。原典に忠実な翻訳が日本語を滅茶苦茶にしている。それでも尚、本書は必須テキストで参照用の副読本として中村本の隣に置くことが望ましい。

寝たきり老人になりたくないならダイエットはおやめなさい 一生健康でいられる3つの習慣』久野譜也〈くの・しんや〉(飛鳥新社、2015年)/『寝たきり老人になりたくないなら大腰筋を鍛えなさい』の二番煎じ。女性読者層の拡大を狙ったものか。文章もわかりやすく説明も巧みなのだが発展性に欠ける。前著を読んだ人には不要な本だ。

 161冊目『日本の秘密』副島隆彦〈そえじま・たかひこ〉(弓立社、1995年/新版、PHP研究所、2010年)/好著。副島本はおすすめできるものが殆どないのだがこれは例外。吉田茂、安保闘争など。片岡鉄哉と田中清玄〈たなか・きよはる〉の名前を知ったことが最大の収穫であった。

 162、163冊目『大空のサムライ 死闘の果てに悔いなし(上)』『大空のサムライ 還らざる零戦隊(下)』坂井三郎(講談社+α文庫、2001年/光人社、1967年『大空のサムライ かえらざる零戦隊』改題)/一気読み。フィクションありということを知り躊躇していたが読んで正解だった。戦記ものとしては驚くほど悲惨な場面が少ないのも空の男ゆえか。躍動する青春記といってよい。戦闘シーンが単純に堕していない表現力の妙がある。白眉は「あとがき」だ。恐ろしいまでの修練を課してきたことを赤裸々に綴る。零戦が強かったのはその性能もさることながら、パイロットたちの技量によるものであることがよくわかった。

2015-11-28

憲法9条に埋葬された日本人の誇り/『國破れてマッカーサー』西鋭夫


『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ

 ・憲法9条に埋葬された日本人の誇り
 ・アメリカ兵の眼に映った神風特攻隊

『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八
『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 スタンフォード大学フーバー研究所出版から出た本のタイトルは Unconditional Democracy 日本の「無条件降伏(unconditional surender)」と「民主主義」をかけたもので、「有無を言わさず民主主義化された」という強い皮肉を含んだタイトル。アメリカでは、このタイトルだけでも有名になった本だ。
 この本は、アメリカで公開された生(なま)の機密文書を使って書かれた最初の本である。出版されたのは1982(昭和57)年。1991(平成3)年、廣池学園出版部からもペーパーバック版が刊行された。
 私が翻訳したのではないが、大手町ブックスから『マッカーサーの犯罪』として、1983年に出版されたのはこの本だ。その直後から、日本からもアメリカ国内からも、学者たちから電話や手紙が沢山あった。占領関係の資料についての「教えを請(こ)う」ものだった。
『國破れて マッカーサー』は Unconditional Democracy と『マッカーサーの犯罪』を基(もと)に、戦後日本の原点、「占領」という悲劇をさらに明らかにしようと、私自身が全面的に書き改めたものである。(「はじめに」)

【『國破れてマッカーサー』西鋭夫〈にし・としお〉(中央公論社、1998年/中公文庫、2005年)以下同】

 わかりにくい出自である。ひねくれた自慢が話を更にややこしくしている。しかも『マッカーサーの犯罪』は西の名前で刊行されているのだ。本書は確かに良書である。良書なんだが時折行間から嫌な匂いが放たれる。もともと保守とは穏健さに裏打ちされた政治姿勢であり、革新は暴力性を秘めた急進性を伴う性質のものだった。その意味から申せば西は保守ではない。右翼というべき人物だろう。真の保守とは武田邦彦のような人物である。

 ダイレクト出版株式会社で講演録を販売しているが、「無料」と謳っていたので注文したところ、届いたのは音声CDであった。しかも申し込みをした時点でサイトから動画をダウンロードできるため、多分「送料550円」で利益を出しているのだろう。動画を見れば一目瞭然だが時折大声を張り上げる虚仮威(こけおど)しともいうべき講演スタイルで、怒りっぽい年寄りにしか見えない。話しっぷりからも右翼であることが伝わってくる。

 我々の「誇り」は第9条の中に埋葬(まいそう)されている。

 確かにそうだ。民族としての誇りは既にない。GHQの占領政策で埋め込まれた戦争の罪悪感は、戦後教育を通して子供たちの血となり骨と化した。現在の国際情勢にあって日本は歴史的事実を開陳することも許されない立場となっている。従軍慰安婦捏造や南京大虐殺捏造に対して事実究明の反論をすることもできなければ、怒ることすら躊躇(ためら)われる雰囲気に覆われている。

 日本の文化から、日本の歴史から、日本人の意識から「魂」を抜き去り、アメリカが「安全である」と吟味したものだけを、学校教育で徹底させるべし。マッカーサー元帥の命令一声で、日本教育が大改革をさせられたのは、アメリカの国防と繁栄という最も重要な国益があったからだ。
 アメリカが恐れ戦(おのの)いた「日本人の愛国心」を殺すために陰謀作成された「洗脳」を、日本は戦後五十余年の今でさえ「平和教育」と呼び、盲目的に崇拝し、亡国教育に現(うつつ)を抜かしている。(中略)
 あの口五月蠅(うるさ)いアメリカ、自動車部品を1個、2個と数えるアメリカが、コダック、富士フイルムを1本、2本と数えるアメリカが、日本の「教育」に文句を言わない。一言も注文を付けない。
 日本の教育は今のままで良いと思っているからだ。アメリカは日本教育改革がここまで成功するとは思ってもいなかった。

 本書は前半が占領政策、後半が教育行政を描く。単なる機密文書の紹介にとどまらず、しっかりと構成されている。日本の近代史を知るためには不可欠の一書といってよい。ただし、マッカーシズムについて書きながらもヴェノナ文書(『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア)に関する記述がないのは腑に落ちない。またマッカーサーについては兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉著『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』を併せて読むと理解が深まる。



GHQはハーグ陸戦条約に違反/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

石油ファンヒーターはダイニチがおすすめ


 各社石油ファンヒーターのレビューをつぶさに読んできたが、ダイニチが一歩抜きん出ている。思い切った値下げをしており、大半の製品が9リットルの大容量である。

ダイニチ 家庭用石油ファンヒーター Sタイプ ウォームホワイト FW-3215S-Wダイニチ 家庭用石油ファンヒーター FBタイプ プラチナブラウン FB-359T-Tダイニチ 家庭用石油ファンヒーター DXタイプ プレミアムグレー FW-37DX2-Hダイニチ 石油ファンヒーター(木造9畳/コンクリート12畳まで)【暖房器具】DAINICHI ピアノブラック FX-32R3-Kダイニチ 家庭用石油ファンヒーター LXタイプ クールホワイト FW-6714LX-Wダイニチ 家庭用石油ファンヒーター DXタイプ 木目 FW-57DX2-Mダイニチ 家庭用石油ファンヒーター DXタイプ 木目 FW-72DX2-M

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2015-11-27

会津戦争の悲劇/『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人


『逝きし世の面影』渡辺京二
『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織
『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
『武家の女性』山川菊栄
・『覚書 幕末の水戸藩』山川菊栄
・『武士の娘』杉本鉞子
『乃木大将と日本人』スタンレー・ウォシュバン
『動乱はわが掌中にあり 情報将校明石元二郎の日露戦争』水木楊

 ・会津戦争の悲劇

『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子
『敵兵を救助せよ! 英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長』惠隆之介
『國破れてマッカーサー』西鋭夫
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫

必読書リスト その四
日本の近代史を学ぶ

 いくたびか筆とれども、胸塞がり涙さきだちて綴るにたえず、むなしく年を過して齢(よわい)すでに八十路(やそじ)を越えたり。
 多摩河畔の草舎に隠棲すること久しく、巷間に出づることまれなり。粗衣老軀を包むににたり、草木余生を養うにあまる。ありがたきことなれど、故郷の山河を偲び、過ぎし日を想えば心安からず、老残の身の迷いならんと自ら叱咤(しった)すれど、懊悩(おうのう)流涕(りゅうてい)やむことなし。
 父母兄弟姉妹ことごとく地下にありて、余ひとりこの世に残され、語れども答えず、嘆きても慰むるものなし。四季の風月雪花常のごとく訪れ、多摩の流水樹間に輝きて絶えることなきも、非業の最期を遂げられたる祖母、母、姉妹の面影まぶたに浮びて余を招くがごとく、懐かしむがごとく、また老衰孤独の余を憐れむがごとし。
 時移りて薩長の狼藉者も、いまは苔むす墓石のもとに眠りてすでに久し。恨みても甲斐なき繰言(くりごと)なれど、ああ、いまは恨むにあらず、怒るにあらず、ただ口惜しきことかぎりなく、心を悟道に託すること能わざるなり。

【『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人〈いしみつ・まひと〉編著(中公新書、1971年)以下同】

 柴五郎は会津藩の上級武士の家に生まれた。会津戦争に敗れ、斗南(となみ/下北半島)の地で少年時代を極貧のうちに過ごした。その後12歳で単身上京。陸軍幼年学校、陸軍士官学校で学ぶ。士官学校の同期に秋山好古〈あきやま・よしふる〉がいる。柴はフランス語・シナ語・英語に堪能。北清事変(義和団の乱)で8ヶ国の公使館連合で抜きん出たリーダーシップを発揮し世界各国から絶賛される。これがきっかけとなって日英同盟(1902-23年)が結ばれる。そして1919年(大正8年)に陸軍大将となる。

 冒頭「血涙の辞」はこう締め括られる。

 悲運なりし地下の祖母、父母、姉妹の霊前に伏して思慕の情やるかたなく、この一文を献ずるは血を吐く思いなり。

 それは単なる形容詞ではなかった。柴五郎は大東亜戦争の敗北を見届け、85歳で割腹自殺を図る。だが衰えた力は止(とど)めを刺すに至らなかった。その怪我によって死亡したことを思えば自決は成功したと見るべきか。

 村上兵衛〈むらかみ・ひょうえ〉の批判について一言書いておこう。

 少年時代の五郎の自筆回顧録は、ほとんど同じ内容の和綴じの3冊が遺されていることが判った。その1冊が底本となって、『ある明治人の記録』(石光真人著)もすでに出版されているが、潤色がある。私はそれには拠らなかった。(「あとがき」)

【『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛〈むらかみ・ひょうえ〉(光人社、1992年/光人社NF文庫、2013年)】

「潤色」との一言が嫌な匂いを放つ。せめて石光本人に確認すべきではなかったか。そもそも石光は「この書は柴五郎翁が、死の3年前に、私に貸与されて校訂を依頼された、少年期の記録である。その折、特に筆者保存を許され、さらに内容については数回お話をうかがった」(「本書の由来」)と記し、重ねて「内容があまりにもショッキングなものであったために、たびたびお会いして多くの補足的説明をしていただかねばならなかった。したがって本書は、草稿に、さらに聞きとったものを補足して整理したものである」と断っている。村上は「拠らなかった」としているが、実際読んでみると大きな相違は感じられない。私が気づいたのは犬の肉で父親に叱咤される場面くらいである。「潤色」は批判というよりも自著を高みに引き上げる宣伝文句と考えてよかろう。

 女子は祖母つね(81歳)、母ふじ(50歳)、太一郎妻とく(20歳)、姉そい(19歳)、妹さつ(7歳)の5名なり。これら女子の始末は、それぞれの家にまかせあり、去るもよし、籠城するもよしとのことなり。

 五郎少年は大叔母に誘われてキノコ狩りへ出掛けた。それが女家族との永訣となる。会津戦争(1868年)が勃発したのだ。

 戦闘に役立たぬ婦女子はいたずらに兵糧を浪費すべからずと籠城を拒み、敵侵入とともに自害して辱めを受けざることを約しありしなり。

 会津では男児に武士道を教えるのは女性の役割だった。「江戸時代は200年以上にわたって 戦乱のない世界史上では ミラクル・ピースと言われる 平和な時代だった」(『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり)。それゆえ武士道は「生きる規範」として伝えられた。死を覚悟する生きざまは日常的に教えられた。

 清助翁まず奥の部屋より難民を去らしめてのち、余を招き身じまいを正して語る。
「今朝のことなり、敵城下に侵入したるも、御身の母をはじめ家人一同退去を肯(き)かず、祖母、母、兄嫁、姉、妹の5人、いさぎよく自刃されたり。余は乞われて介錯いたし、家に火を放ちて参った。母君臨終にさいして御身の保護養育を委嘱されたり。御身の悲痛もさることながら、これ武家のつねなり。驚き悲しむにたらず。あきらめよ。いさぎよくあきらむべし。幼き妹までいさぎよく自刃して果てたるぞ。今日ただいまより忍びて余の指示にしたがうべし」
 これを聞き茫然自失、答うるに声いでず、泣くに涙流れず、眩暈(めまい)して打ち伏したり。幾刻経たるや知らず、肩叩かれて引きおこさるれば、すでに夜半なり。

 これが8歳の子供に起こった現実であった。『セデック・バレ』そのものである。会津藩はルワンダと化した。

 あれは何時のことだったろう……? 二人だけのとき、【さつ】が懐ろからそっと懐剣を出して見せ、
「いざ大変のときは、わたしもこれで黄泉路(よみじ)に行くのよ」と、誇らしげに五郎に言ったことがあった。
「ふん、生意気な……」
 五郎は、そんなことが起ころうなど、だいいち現実のこととは思えなかった。いや、はるかに遠い、遠い夢のできごと……といった感じで、妹の「たわごと」を聞いたような気もする。しかし、いま大叔父からの報知に接して、あのときの妹の顔が、【うっとり】とあどけない表情で、まざまざと脳裏に立ち戻ってくるのであった。

【『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛〈むらかみ・ひょうえ〉(光人社、1992年/光人社NF文庫、2013年)】

 さつは7歳だった。村上本によれば母親が胸を突いたという。功成り名を遂げた柴五郎は晩年に至って書くことで再び会津戦争を生きたのだろう。「この一文を献ずるは血を吐く思いなり」――。その思いを肚(はら)で受け止めようと渾身の力で踏みとどまる。「勝てば官軍」の陰にはこれほどの悲劇があった。とてもじゃないが西郷隆盛を尊敬する気は起こらない。



日英同盟を軽んじて日本は孤立/『日本自立のためのプーチン最強講義 もし、あの絶対リーダーが日本の首相になったら』北野幸伯
死ぬ覚悟があるのなら相手を倒してから死ね/『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二