2017-08-15

動燃の裏工作/『原子力ムラの陰謀 機密ファイルが暴く闇』今西憲之+週刊朝日取材班


『東京電力 暗黒の帝国』恩田勝亘

 ・動燃の裏工作

『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩

 取材班が手に入れた資料の山の中に、ピンク色の表紙に太いサインペンで大きく「K」と記された、謎めいたファイルがあった。厚さは3センチほどもあり、ずしりと重い。茶色に変色した書類は時系列順に丁寧にファイリングされ、あちこちに蛍光ペンで線が引いてある。西村氏が、かかわらざるを得なかった「秘密業務」の一端だ。
 そこには、思わず目を疑うようなこんな記述が連なっていた。
〈K機関で所掌しているタレントとの会食を通じて洗脳〉
〈広義な話題を提供し、問題を希釈させる〉
〈中小信用公庫等財界ラインの利用 笹川系ドン「○○氏(原文は実名、以下同)」を動かす〉
〈3月中に本社作戦、津山拠点の確保を終了 3月末から4月上旬に県南戦火 津山圏は水面下でゲリラ戦とする〉
「K機関」「洗脳」「財界のドン」「ゲリラ戦」……もはやわれわれの理解を超えた、スパイ小説のようなフレーズが飛び交っているではないか。

【『原子力ムラの陰謀 機密ファイルが暴く闇』今西憲之+週刊朝日取材班(朝日新聞出版、2013年)】

 西村成生〈にしむら・しげお〉は動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現・日本原子力研究開発機構〈JAEA〉)の総務部次長を務めた人物で、高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏れ事故の内部調査を行う渦中で自殺をした。尚、警察は自殺と断定したが遺族は謀殺を疑っている。今西らは「西村ファイル」を独占入手し原子力産業の舞台裏を暴いた。

 上記テキストは、人形峠のウラン濃縮施設(岡山県と鳥取県の県境)にまつわる動燃の裏工作の一端である。これほど具体性の高い戦術を考えつくのは、やはりその道のプロがいるのだろう。例えば陸軍中野学校、日本共産党、あるいは電通や外資系のマーケティング・コンサルタントなど。オペレーションズ・リサーチも駆使していることだろう。

「アクションプログラム骨子」の中で見過ごせないのは、〈新聞の活用〉の項目にこんな記述があったことだ。
〈意見広告(山陽43万部、津山朝日2万部)――継続〉
〈津山朝日記事掲載 原稿は事業団作成……掲載は記者の取材方式――準備中〉
〈新聞折りこみ 津山朝日のみ実施(山陽新聞系は拒絶)――準備中〉
 そして、驚くべきは次の記述である。
〈投書 朝日……「論壇」 山陽……一般投書(500字)――準備中〉
 なんと、地元紙などに一般市民を装って「やらせ投書」せよ、という指令なのだ。それを裏付けるのが92年3月13日に作成された〈投書原稿作成のポイント〉と題された、社内への指示文書だ。
〈1.立場 (1)一般市民の立場で (2)人形峠事業所に働く者として (3)原子力の開発に携わる者として〉
〈2.内容 (1)身近な出来事について (2)エネルギー問題に関して (3)その他〉
 などと、詳細な「投稿マニュアル」まである。さらに、投書は各部署に「ノルマ」が課せられていたようだ。
〈3.手順 (1)各課3通作成 (2)3月18日までに総務課(○○)まで〉
 そして、この通達から10日後の3月23日、本社から各課長に送られたファックスでは、
〈山陽新聞「ちまた〉欄への投書 依頼の各課3通が出ていないところがありますので、総務課○○まで提出願います
 と督促までしていた。

 メディア・コントロール(『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー)は世論を誘導する目的で行われる。ただし、この程度のことは資金の豊富な日本共産党や創価学会などが日常的に行う手口でさほど目新しいものではない。

 民主政が機能するためには情報公開が前提となる。情報を操作・誘導する者がいれば集合知(『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン)が働くことはない。

 いみじくもタイトルに「原子力ムラ」とあるが、我々がムラを作るのは集団に進化的優位性があるためだ。既得権益が強固なのも同じ理由による。どの集団にも公開された理想と隠された謀(はかりごと)が存在することだろう。「ここだけの話」は耳に心地がよく、集団エリートの結束を強める。

 あの手この手を尽くして嘘を流すのは「彼らの都合」であり何らかの政治目的が透けて見える。原子力産業には多大な税も投入されている。原子力発電は段階的になくすことが望ましい。人類はまだ核分裂の力を制御できる技術を手に入れていないからだ。安全保障という側面から原発を保有する欺瞞はそろそろやめて、核保有を正面から議論すべきではないか。

原子力ムラの陰謀: 機密ファイルが暴く闇
今西憲之+週刊朝日編集部
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2017-08-14

観照が創造とむすびつく/『カミの人類学 不思議の場所をめぐって』岩田慶治


『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲

 ・観照が創造とむすびつく

『カミとヒトの解剖学』養老孟司
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ

 そこに不思議の場所がある。
 眼を閉じておのれの内部を凝視すると、そこに淡い灰色の空間がひろがっているのを感ずるが、その空間の背後に、不思議な場所があるように思われるのである。不用意にそこに近づいてそれを見ようとすると、その場所は急ぎ足に遠ざかってしまう。しかし、おのれを忘れ、その場所の存在をも忘れていると、それが意外に近いところにやってきて何事かを告げる。そういう不思議の場所が、すべてのひとの魂の内部から、身体の境をこえて外部に、どこまでもひろがっているように思われるのである。
 その場所、その未知の領域をさぐってみたい。

【『カミの人類学 不思議の場所をめぐって』岩田慶治〈いわた・けいじ〉(講談社、1979年/講談社文庫、1985年)以下同】

 真の学問は独創に向かう。それは何らかの領域に一人踏み込んでゆく時の必然的なスタイルなのだろう。岩田慶治の場合、独創が文体にまで及んでいる。文化人類学という水脈を掘り下げ、真理という鉱脈を探る営みに圧倒される。

 アニミズム(精霊信仰)は「不思議の場所」から生まれたのだろう。自然の営為に神の意志を読み取ることでヒトは共生してきた。天神地祇(てんじんちぎ)を信ずればこそ人々は地鎮祭を行い、力士は土俵で塩をまくのだ。太陽をお天道様と呼び、その眼差しを感じれば、悪行にブレーキがかかる。

 その場所にたどり着いてみると、この世界が違って見える。おのれ自身が違って見える。そういう予感がしたのである。そこでは、木々の緑がより濃く、より鮮やかにみえるのではないか。生きものたちがより生き生きと活動し、おのれの生を超えたやすらぎをえているのではないか。われわれの尊敬してやまない古人の言葉が、単に観念として知的に理解されるだけではなく、現実に、ありありと、たしかな存在感をともなって聞こえてくるのではないか。その意味で、そこはわれわれにとってもっとも根源的な創造の場なのではないか。
 そこでは見ることが形づくることであり、観照が創造とむすびついている。

「観照が創造とむすびつく」との指摘がクリシュナムルティと重なる。岩田には『木が人になり、人が木になる。 アニミズムと今日』(人文書館、2005年)という著作もある。「私たちはけっして木を見つめない」(『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ)。

 この文章を読んではたと気づくのは、人類の原始的な宗教感情が言葉以前に生まれた可能性である。それはフィクションの原形といっていいだろう。

カミの人類学―不思議の場所をめぐって (1979年)
岩田 慶治
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2017-08-13

無投票の権利/『イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』小田嶋隆


『我が心はICにあらず』小田嶋隆
『安全太郎の夜』小田嶋隆
『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆
『山手線膝栗毛』小田嶋隆
『仏の顔もサンドバッグ』小田嶋隆
『コンピュータ妄語録』小田嶋隆
『「ふへ」の国から ことばの解体新書』小田嶋隆
『無資本主義商品論 金満大国の貧しきココロ』小田嶋隆
『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ』小田嶋隆
『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆

 ・愛国心への疑問
 ・ギネス認定はインチキ
 ・個性は伸ばすものではなく、勝手に伸びるものだ
 ・無投票の権利
 ・勝ち上がってくる力士
 ・長時間睡眠自慢

『テレビ標本箱』小田嶋隆
『テレビ救急箱』小田嶋隆

 何かをする権利は、その裏に何かをしない権利を含んでいる。そうでなければ十全な権利とは言えない。信教の自由は、宗教を信じない自由を含んでいるし、集会の自由は、ひきこもりの自由を包摂している。また、表現の自由は沈黙の権利を保障しているはずだし、職業選択の自由は同時にプー太郎たることの自由でもある。であるからして、投票権は自動的に無投票権を含んでいなければならず、そうである以上、無投票という選択にも、投票行動と同等な重みが持たされねばならない。で、提案がある。議員の定数を投票率に連動させるというのはどうだろう。たとえば投票率が50%なら、議会の議席そのものが半減するわけだ。どうだ? 良さそうじゃないか。
 首長選の場合は、人気を投票率に反映させても良い。得票数をそのまま給与に換算するのも面白いかもしれない。いずれにしても、こういうことになればオレの無投票にも若干の意味が出てくる。

【『イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』小田嶋隆(朝日新聞社、2005年)以下同】

 小田嶋がラジオ番組で「生まれて初めて投票に行った」と語った時、私の心を風が吹き抜けた。ちょっとした衝撃を受けたものだ。また「新聞には編集作業があるがネット情報にはそれがない」との主張にも驚かされた。まるで「普通の大人」が言いそうなことではないか。

 本書はアル中が極まった頃の作品であるにもかかわらず決して魅力が色褪せていない。転落しながらも社会に向かって唾を吐く小田嶋の矜持(きょうじ)があるように思う。

 無投票については諸手を挙げて賛成する。既に何度も書いてきた通り私は民主政(『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志)を支持していない。ワイドショー情報を鵜呑みにするオバサンの1票と私の1票を同列に扱われるのは大いに困る。国民全員が投票を棄権し、オレの1票で国政が決まればこんな嬉しいことはないのだが(笑)。

イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド
小田嶋 隆
朝日新聞社
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人が人材になる過程は木が木材になる過程と似ている/『我が心はICにあらず』小田嶋隆


 ・洗練された妄想
 ・土地の価格で東京に等高線を描いてみる
 ・真実
 ・「お年寄り」という言葉の欺瞞
 ・ファミリーレストラン
 ・町は駅前を中心にして同心円状に発展していく
 ・人が人材になる過程は木が木材になる過程と似ている


『安全太郎の夜』小田嶋隆
『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆
『山手線膝栗毛』小田嶋隆
『仏の顔もサンドバッグ』小田嶋隆
・[https://sessendo.blogspot.com/2022/01/blog-post_95.html:title=『コンピュータ妄語録』小田嶋隆]
『「ふへ」の国から ことばの解体新書』小田嶋隆
『無資本主義商品論 金満大国の貧しきココロ』小田嶋隆
『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ』小田嶋隆
『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆
『イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』小田嶋隆
『テレビ標本箱』小田嶋隆
『テレビ救急箱』小田嶋隆

 人が人材になる過程は、木が木材になる過程とよく似ている。よけいな枝を落とし、虫の食った部分を捨てて、要するに規格化するわけなのだ(生きている木を切り倒して、乾燥させて、丸裸にし、材木にして、切って、削って、風呂場のすのこにするのだ)。そして、言うまでもないことだが、ハッカーという人々は余計な枝が多かったり、幹が曲がっていたり、加工しにくかったりして、人材としては不良品である場合が多い。

【『我が心はICにあらず』小田嶋隆(BNN、1988年/光文社文庫、1989年)】

 ラジオ番組にレギュラー出演するようになった頃から小田嶋は明らかに変わった。その淵源を探ると「日経ビジネスオンラインの連載」(小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」~世間に転がる意味不明/2008年)と『人はなぜ学歴にこだわるのか。』(メディアワークス、2000年/知恵の森文庫、2005年)にあると思われる。

「ア・ピース・オブ・警句」は戦後教育で教え込まれた歴史認識を鵜呑みにしていて馬脚を露(あら)わした感がある。『学歴』の方は読んでいないのだが内田樹〈うちだ・たつる〉が解説を書いていることからも左翼傾向が読み取れる。その後、内田や彼の盟友である平川克美らと『9条どうでしょう』(毎日新聞社、2006年/ちくま文庫、2012年)を刊行する。私が初めて小田嶋の声を耳にしたのも平川のインターネット放送だった。傍(はた)から見れば巧く担がれたようにしか思えない。

 小田嶋はなぜ職歴ではなく学歴を語ったのだろう? やはり小石川高校~早稲田大学という学歴に自信があったためか。


 上には上がいる。元エリート官僚からすれば早稲田・慶応も低学歴になるようだ。小田嶋は学生団体SEALDsを中心とするデモを見学にゆき、挙げ句の果てには生まれて初めての投票にまで及んだ。もはや引きこもり系・オタク系コラムニストを脱して文化人となりつつある。

 ってなわけで初期の小田嶋作品を懐かしむ気持ちがそこはかとなく湧いてきた。明晰な文体、端々に盛られた毒、エッジの効いた皮肉、社会を斜めに見下ろすユーモア――それが小田嶋の魅力であった。

 尚、ハッカーとはハッキングをする人物のことで、犯罪姓の高いハッカーをクラッカーと呼ぶ。

2017-08-11

ソフトパワーとしてのマインド・コントロール/『マインド・コントロール』岡田尊司


『カルト村で生まれました。』高田かや
『洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇』米本和広
『カルトの子 心を盗まれた家族』米本和広
『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』佐藤典雅
『杉田』杉田かおる
『小説 聖教新聞 内部告発実録ノベル』グループS

 ・ソフトパワーとしてのマインド・コントロール

『服従の心理』スタンレー・ミルグラム

宗教とは何か?

 テロリストたちは、一部の人が考えていたように、催眠状態のような意識が狭窄した状態で、あやつられてそうした行動をしたわけではなかった。彼らは、自らの覚悟と決心のもとで、そうした行動をとっていた。
 ただ、それは彼らがマインド・コントロールを受けていたことを、何ら否定する根拠にはならない。マインド・コントロールを受けたものは、自らが主体的に決意して自己責任で行動したと思うことが、むしろ普通だからだ。マインド・コントロールが上質なものであればあるほど、コントロールを受けた者(ママ)は、自分が望んでそうすることにしたのだと感じる。
 安っぽいマインド・コントロールの場合には、コントロールする側の作為が正体を現し、欺瞞の痕跡を残してしまう。そうした場合、いつか不信が芽生えた時、それが破れ目にもつながり、マインド・コントロールが解けてしまうことにもなる。
 だが、完璧な形でマインド・コントロールが行われた場合には、すべては必然性をもったことであり、それに出会う幸運をもったのだと感じ、喜び勇んでその行動を「主体的に」選択する。

【『マインド・コントロール』岡田尊司〈おかだ・たかし〉(文藝春秋、2012年/文春新書増補改訂版、2016年) 】

 一般的には閉ざされた環境で身体的抑圧(睡眠不足や暴力など)がある場合を洗脳、それ以外の心理操作および誘導をマインド・コントロールと考えればいいだろう。朝鮮戦争(1950-53年)で捕虜とされた米兵が共産主義を信奉するようになっていた。中国共産党が行ったこの思想改造が洗脳の嚆矢(こうし)である。

 マインド・コントロールという言葉が広く知られるようになったのは統一教会(世界基督教統一神霊協会→世界平和統一家庭連合)の霊感商法が社会問題化した頃だったと記憶する。有名な歌手や女性タレントまでが信者となったことでセンセーショナルな報道が繰り返された。もしも当局が厳格な対応をしていればオウム事件は防げた可能性がある。だが統一教会は勝共連合という下部組織を通じて保守層にがっちりと喰い込んでいた。

 岡田の指摘は重要だ。ソフトパワーとしてのマインド・コントロールが自主的・自発的な行動を導くというのだ。こうしてテロという犯罪が大義に置き換えられる。「必然性」とは完全な物語を意味する。自爆は使命にまで高められる。

 マインド・コントロールは何も特別のことではない。大衆消費社会における全ての広告は消費・購買への誘引で様々なテクニックが応用されている。購入価格を操作することも簡単だ(『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー)。

 群れをなす動物は同調する。逆に言えば同調性を欠いた動物が群れをなすことはできない。つまり集団や社会そのものが形成するマインド・コントロールが存在する。一番わかりやすいのは教育だ。学校であれ家庭であれ教育は強制と矯正の2本柱で行われる。子供を家族や社会という鋳型(いがた)にはめ込み、大人の言いなりにするのが教育の目的である。かつて自由な環境(『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ)で行われた教育はない。枝打ちされて材木になるか、針金でぐるぐる巻きにされた盆栽になるかの違いがあるだけだ。我々は社会適応養成ギブスを着用した星飛雄馬なのだ。

 平均的な人間は自分が見た事実にも目をつぶって周囲の意見に合わせる(アッシュの同調実験)。日本社会でいえば「空気を読む」のが同調で、「KYだ」と認定されるのが同調圧力である。メガデス(大量虐殺)を可能にするのも同調性だ。

 我々を取り巻く様々な集団ごとにそれぞれの同調性が働く。国家を超えても尚、条約やグローバル・スタンダード(世界標準)という同調性が存在する。日本が慰安婦捏造問題を真っ向から否定することができないのも、アングロサクソンやキリスト教といった世界の主流に異を唱える羽目になるからだ。

 高度情報化社会ではあらゆる情報がプロパガンダと化しマインド・コントロールを試みる。人々を騙(だま)せば自分が得をする。高度な知性は「騙す」行為を通して最大限に発揮される。騙すためには相手に偽りの情報を信じさせる必要がある。つまり自分と相手が異なる信念の持ち主であることを理解する必要があるのだ(心の理論)。

 そして我々は騙されることを好む。だから手品を楽しむのだ。また映画・ドラマ・芝居・漫画・小説などのフィクションを楽しむのも同じ理由だ。騙したいエリートと騙されたい大衆で織り成す世界に我々は生きている。