2018-07-30

オーストラリアの安全保障を確保するために日露戦争は煽動された/『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子


『動乱はわが掌中にあり 情報将校明石元二郎の日露戦争』水木楊
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子

 ・オーストラリアの安全保障を確保するために日露戦争は煽動された

・『辛亥革命とG・E・モリソン 日中対決への道』ウッドハウス暎子
・『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦
『國破れてマッカーサー』西鋭夫

日本の近代史を学ぶ

「イギリスは、日本人に激しい反露感情をたきつけることを、極東政策とすべきである。日本を煽動(せんどう)するためには、あらゆる手段を講じなければならない……ロシアはなんとしても抑えるべきだ。東清(とうしん)鉄道の完成を妨害し、不凍港の獲得・強化を阻止しなければならない……そして、それを日本にやらせるのだ」
 これは、ロンドンタイムズ北京(ペキン)駐在特派員、豪州人のジョージ・アーネスト・モリソンが、同社上海(シャンハイ)特派員J・O・P・ブランドに宛てた書簡の一部である。書かれたのは、1898年1月17日、日露戦争勃発(ぼっぱつ)の6年前である。日露戦争は「モリソンの戦争」といわれ、モリソンは「戦争屋」と呼ばれた。それは、モリソンが、日露戦争を惹起(じゃっき)することと日本を勝利に導くことを自己の使命として全力を尽くしたからであり、また、彼の仕事の効果が日本および世界に認められたからである。
 モリソンは、なぜ、日露戦争を切望したのであろうか。それは、オーストラリアの安全保障を確保するためであった。

【『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子(東洋経済新報社、1988年/新潮文庫、2004年)】

 修士論文が元になっているので読み物としては面白くない。しかしながら資料的価値が極めて高く、日本近代史なかんずく日露戦争を知るためには外せない一冊だ。ジョージ・アーネスト・モリソンはロンドン・タイムズの記者でオーストラリア生まれ。彼の日記と手紙を中心に日露戦争の経緯を描く。七つの海を制覇した大英帝国はボーア戦争で国力に翳(かげ)りを見せ始めた。ドイツ、ロシア、アメリカの力が英国に迫ろうとする。イギリスは極東で南下しようとするロシアを阻むだけの余裕がなかった。自国の安全保障上の必要から日英同盟を締結するに至る。イギリスの「栄光ある孤立」は幕を下ろす。モリソンはタイムズ紙を通して親日反露報道を繰り返し、日露を戦争させるべく誘導する。ただし現在のアメリカを牛耳るユダヤ・メディアのような嘘は感じられない。国家から兵士に至るまでロシアの不道徳ぶりは凄まじかった。国境線が長いこととも関係しているように思われる。小村寿太郎外相が臨んだポーツマス条約も熾烈な外交戦であったことがよく理解できた。イギリスのボーア戦争とアメリカのイラク戦争が重なる。強大国が衰える時、戦乱を避けることはできない。世界の覇権はまたしても東アジアで戦火を交えることだろう。文庫解説は櫻井よしこ。ついこの間読んだ菅沼本でも紹介されていた(読書日記転載)。

 このような全体観に立った安全保障的視点を我々日本人は欠いている。どうしても卑怯な手に思えてしまう。たぶん元軍と戦う際に名乗りを上げて一騎打ちに持っていこうとして殺された鎌倉武士のメンタリティから進歩していないのだろう。その点、アングロサクソン人は一枚も二枚も上手(うわて)だ。分割統治も同じ発想から生まれたものだろう。中世のヨーロッパは戦争を繰り返してきた。ひしめき合う国家間の中で狡知(こうち)や奸智(かんち)が育まれ、騙し合いに巧みな文化が形成されたのだろう。

 当時の国際政治の世界は、ジャングルの掟(おきて)のまかり通る弱肉強食の世界であった。そして、清国は列強の帝国主義的侵略の格好のえじきとなっていた。
 日清戦争(1894-95年)の敗北は、清国にとって二重の災難を意味した。
 まず、第一の災難は戦勝国・日本との間に締結した下関条約の履行で、これは敗戦の汚名と共に、重く清国の肩にのしかかった。ちなみに、下関条約とは、清国が朝鮮の独立を承認し、日本に遼東半島・台湾・澎湖(ほうこ)列島を譲渡し、2億両(約3億6000万円)の賠償金を支払うことを規定して、1895年4月に調印された条約である。
 しかし、第二の災難はさらに苛酷(かこく)であった。飢えた猛獣のように西欧列強が襲いかかってきたのである。アフリカ分割の余勢を駆って、アジアに迫った帝国主義的勢力は、清国を「眠れる獅子(しし)」とみなして手出しができず、遠まきにむらがり寄っていた。ところが、清国は新興の小国・日本との戦いにもろくも破れ、その弱体をさらけだしてしまったのである。もう、こうなったら遠慮はいらない。列強は猛然と襲いかかった。

 朝鮮独立の立役者が日本だったとは知らなかった。韓国の学校教育でどのように教えているのか気になるところだ。それにしても隔世の感とはまさにこのことで、1世紀後の中国がアメリカや日本を脅かすようになるのだから歴史が動くスピードは想像以上に速い。

 いつの時代も大衆は煽動される。民主政においても変わらない。むしろメディアを通じた煽動は広告技術や心理学をも駆使してマインドコントロール並みに行われる。群れを形成する動物には「従う」本能がある。従うことと引き替えに何らかの優位性を手に入れているのだ。一匹狼という言葉はあるが実際にはそのような狼は存在しない。狼もまた群れをなす動物だ。もしも 一匹狼がいたとすれば確実に飢え死にする(笑)。

 中国は必ず日本を攻めてくることだろう。戦火を開くのは尖閣諸島あたりか。モリソンが日露を戦わせたのと全く同じ手法でアメリカが日中をぶつけるのだ。自分たちの手で憲法改正すらできないとなれば米軍は日本から撤収するに違いない。トランプ大統領が掲げるアメリカ・ファーストとは、アメリカが世界覇権から一歩退いて内向きになることを雄弁に物語っているのだ。大東亜戦争(1937-45年)の「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜細亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」という理念は後付ではあったものの、決して間違ったものではない。1919年のパリ講和会議で日本が主張した「人種的差別撤廃提案」とも整合性がとれている。帝国主義の本質はキリスト教に基づく人種差別であった。本来であれば来る日中戦争を契機に日本がアジア・太平洋地域の警察として機能すべきであるが、学校教育で近代史すら教えていないのだからそうした気風が涵養(かんよう)されるに至っていない。ビジョンなき国家の弱味である。

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白虎隊の落し児、柴五郎/『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子


『動乱はわが掌中にあり 情報将校明石元二郎の日露戦争』水木楊
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛

 ・白虎隊の落し児、柴五郎

『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子
・『辛亥革命とG・E・モリソン 日中対決への道』ウッドハウス暎子
『國破れてマッカーサー』西鋭夫

日本の近代史を学ぶ

白虎隊の落し児、柴五郎

 交民巷の要・王府の防衛は、籠城者全員の命にかかわる。この大役を柴が担い、日本軍は度胸をすえた。そこへ、イタリア軍がのこのこ入ってきた。このイタリア兵と日本兵の組合せが実に奇妙で、イタリア兵は心ならずも日本兵の引立て役を演ずることになってしまった。それについては、外国人の口から語ってもらおう。以下は、ピーター・フレミングの著書『北京籠城』の一節である。
「戦略上の最重要地・王府では、日本兵が守備のバックボーンであり、頭脳であった。日本を補佐したのは頼りにならないイタリア兵で、日本を補強したのはイギリス義勇兵であった。
 日本軍を指揮した柴中佐は、籠城中のどの国の士官よりも有能で経験も豊かであったばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。当時、日本人とつき合う欧米人はほとんどいなかったが、この籠城を通じてそれが変わった。日本人の姿が模範生として、みなの目に映るようになったからだ。日本人の勇気、信頼性そして明朗さは、籠城者一同の賞賛の的となった。籠城に関する数多い記録の中で、直接的にも間接的にも、一言の非難も浴びていないのは、日本人だけである」
 P・C・スミス嬢の前述の書における柴観は次の通り。
「柴中佐は小柄な素晴らしい人です。彼が交民巷で現在の地位を占めるようになったのは、一に彼の智力と実行力によるものです。なぜならば、第1回目(6月21日)の朝の会議では、各国公使も守備隊指揮官も別に柴中佐の見解を求めようとはしませんでしたし、柴中佐も特に発言しようとはしなかったと思います。でも、今(7月2日)では、すべてが変わりました。柴中佐は王府での絶え間ない激戦で怪腕を奮(ママ)い、偉大な将校であることを実証したからです。だから今では、すべての国の指揮官が、柴中佐の見解と支援を求めるようになったのです」
 スミスの記述にはだんだん熱が入り、柴から日本兵へ、そしてイタリア兵へと及んでいく。
「彼(柴中佐)の部下の日本兵は、いつまでも長時間バリケードの後に勇敢にかまえています。その様子は、柴中佐の下でやはり王府の守護にあたっているイタリア兵とは大違いです。北京に来ているイタリア兵はイタリア本国の中でも最低の兵隊たちなのだ、と私はイタリアの名誉のためにも思いたいくらいです」
 清帝国海関勤めのイギリス人下級職員、23歳のB・レノックス・シンプソン(ペンネームはパットナム・ウイール)は、籠城中、義勇兵となり、柴のもとに派遣されて戦った。彼は当時の日記を、1907年になって出版した。『率直な北京便り』というその題が示すように、実に遠慮のない日記である。彼の6月21日付日記をみよう。
「数十人の義勇兵を補佐として持っただけの小勢日本軍は、王府の高い壁の守護にあたった。その壁はどこまでも延々と続き、それを守るには少なくとも500名の兵を必要とした。しかし、日本軍は素晴らしい指揮官に恵まれていた。公使館付武官・柴中佐である。彼は他の日本人と同様、ぶざまで硬直した足をしているが、真剣そのもので、もうすでに出来ることと出来ないこととの見境をつけていた。ぼくは長時間かけて各国受持ちの部署を視察して回ったが、ここで初めて組織化された集団をみた。
 この小男は、いつの間にか混乱を秩序へとまとめ込んでいた。彼は自分の注意を要する何千という詳細事を処理することに成功していた。彼は部下たちを組織化し、さらに、大勢の教民を召集して前線を強化した。実のところ、彼はなすべきことはすべてした。ぼくは自分がすでにこの小男に傾倒していることを感じる。ぼくは間もなく、彼の奴隷になってもいいと思うようになるだろう」
 このように、ウイール青年は籠城第1日目にして、柴にほれこんでいる。

【『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子(東洋経済新報社、1989年)】


 ウッドハウス暎子ジョージ・アーネスト・モリソン(タイムズ紙特派員/1862-1920年)の研究者である。著作はすべてモリソンに関するもので、ジャーナリストが歴史を見つめ、歴史を動かしゆく様を実証的に描く。カテゴリーを「自伝・評伝」としたが学術書である。

 日清戦争(1894-95年)後、義和団という白蓮教(びゃくれんきょう)の秘密結社が貧困に喘ぐ農民を糾合して戦闘に至ったのが義和団事変(北清事変/1900-01年)である。

 義和団は清国各地で外国人やクリスチャンを襲撃した。言うなれば帝国主義・キリスト教宣教に対する攘夷運動である。北京にあった列国大公使館区域に襲いかかり、西太后がこれを支持したことで戦争状態に突入した。最終的には日本を含む8ヶ国の連合軍が出動して鎮圧したが、公使館区域での籠城(ろうじょう)は2ヶ月間に及んだ。

 阿片戦争(1840-42年)からの100年は中国大陸にとって蹂躙(じゅうりん)の季節だった。結局、清朝は亡び、中華民国は台湾へ追いやられた。鬱屈したエネルギーが共産主義革命の原動力となったに違いない。

 阿片戦争は日本の進路をも変えた。明治維新の直接的なきっかけとなったのは黒船来航(1853年)だが、指導層や知識人の問題意識は阿片戦争によって生まれた。

 大航海時代(15世紀半ば-17世紀半ば)を通して帝国主義が生まれ、ヨーロッパ人はキリスト教宣教の旗をなびかせながら有色人種を殺戮(さつりく)し、あるいは奴隷にした。逸(いち)早くそれに気づいた日本は鎖国(1639-1854年)をして侵略から防いだ。そのおかげで戦乱とは無縁の平和な時代が200年にも渡った。

 選民思想はユダヤ教に基づくものだがキリスト教もこれを受け継いでいる。神を理解せぬ者は虫けら以下の扱いを受ける。我々のような「一寸の虫にも五分の魂」という情緒は彼らに通用しない。虫に魂を認めないのが西洋の流儀である。血塗られた思想は20世紀に入りナチズムと共産主義の母胎となった。

 薩長の陰謀によって逆賊とされた会津藩出身の柴五郎がヨーロッパ人からの信頼を勝ち得たことに妙味を覚えてならない。しかも事変が起こった翌日は柴の40歳の誕生日であった。北京籠城を共にしたモリソンの報道や、イギリス公使クロード・マクドナルドの柴に対する篤い信頼が、やがて日英同盟(1902年)として花開く。1822年から「光栄ある孤立」を貫いてきたイギリスが初めての同盟国に選んだのが日本であった。

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2018-07-28

55歳から始めるロードバイク


ロードバイク~乗る前に必ずマスターしておくべきこと
ネット通販で購入したロードバイクの防犯登録とTSマーク(自転車向け保険)

 ・55歳から始めるロードバイク

格安ロードバイクを嗤(わら)うことなかれ
余生をサドルの上で過ごす~55歳の野望


 5月に買ったのだが昨日デビューを果たした。愛機は「FUJI BALLAD Ω 2018年モデル」である。相模川の辺りを23kmほどぶらついてきた。体力の衰えをつくづく思い知らされた。「これは、あと20年もすれば確実に死んでるな」と実感するほどであった(当たり前)。大学教授の伊藤礼は何と定年間近の68歳でサイクリングに目覚めたというから、50代で遅いということはない。

 いやあでもね、前傾姿勢が辛いッスよ。もはや苦行のレベルである。しかもその姿勢のせいでハンドル操作がしにくい。帰宅してからビジネスバイクにまたがったところ、後ろに反っくり返っているような錯覚を覚えたほどだ。今朝、目覚めると腰と背中に痛みを覚えた。先が思いやられるが私は断固として明るい未来に向かって進む。

 1年ほど入念に調べてきたが、クロスバイクのストレートハンドルをドロップハンドルに替える人が何人もいた。ストレートハンドルは同じ場所を握っているため長距離走行だと掌が痛くなるようだ。ってなわけで私はドロップハンドルを選んだ。

 ここで自転車の選び方について一言申し上げておこう。

 通勤・通学や街乗りであれば5万円前後のクロスバイク一択である。盗難の可能性がないわけではないが低い。その辺に駐(と)めても鍵を切断したり破壊してまで盗むことは考えにくい。距離だって十分走れる。少し前まではGIANTのESCAPE R3かGIOSのMISTRAL(ジャイアント エスケープR3とジオス ミストラルを徹底比較 GIANT ESCAPE R3 vs GIOS MISTRAL | クロスバイクラボ)という選択肢しかなかったが、最近はいい自転車が陸続と登場している(尚、GIANT社は通販禁止)。とりわけアートサイクルスタジオはもはや価格破壊といっていいレベルである(楽天通販のみ)。

 次にシマノコンポが搭載されているとほぼ確実に盗難対象となる。コンポだけ盗まれるケースもあるようでこれは防ぎようがない。つまり自宅保管が前提となる。私は4階に住んでいるのだが車重が10Kgを切っているので持ち運びはさほど難儀しない。ただし中高年女性の場合、そうはいかないだろう。高額スポーツバイクの選択は飽くまでも自宅保管という軸から考えるのが筋である。すなわち階段の上り下りが大変な人は折り畳み式バイク一択となる(※ホイール径が短いミニベロではなく折り畳みである)。

 続いてコンポーネントだが、「最低でもシマノ105」などと御託を述べているブログが多い。私としては「ふざけるな」と申し上げたい。そんな高性能のコンポを必要とする脚力がお前にあるのかよ? エッ、どうなんだ?――私にはありません(涙)。また、ビンディングシューズは事故に遭った時のことを考えると極めて危険で(足がペダルから外れない)、素人は避けるべきだと考える。大体、引き足を推進力にする前に基本的な脚力を鍛えるのが先だ。私は最初っからギョサンで乗ることを前提にしていた。フラットペダルであればSORAかClarisで十分だろう。

 シフターはシマノSTI一択である。特にドロップハンドルの場合、ダブルレバーだとハンドルから手を離すことも難しいと思われる。セール品はダブルレバーが多いので要注意。


 我が座右の銘はブログトップに掲げている通り「ただ独り、不確かな道を歩め」(エリアス・カネッティ)である。不確かな道を不確かな前傾姿勢で歩んでみせるよ(笑)。

2018-07-27

エアロスポーク(扁平形状)にサイクルコンピュータのマグネットを取り付ける


ひょっとして電池よりも安い!? 中国製激安サイクルコンピュータ

 ・エアロスポーク(扁平形状)にサイクルコンピュータのマグネットを取り付ける

 中華サイコンのマグネットを上手く取り付けることができなかった。本来であればマグネットを横向きにしなければならないのだが、スポークが平たいため縦向きになった。案の定、コンピュータは反応せず。どこかの工場に持って行ってマグネットの溝を切ってもらおうかと考えていたのだが、検索したところ答えを見つけた。

エアロスポークについて

サイコン用マグネットはネオジム磁石NK022が美しい(笑 - 自転車で旅しよう!
サイクルスパイス:純正品?すごくしっくりくる二六製作所のネオジム磁石をサイコンマグネットにしました。

 ・NK022 ネオジム 10×3×3(N40)|【株式会社二六製作所】
 ・EO003 自己融着ブチルゴムテープ(約200mm程度)【株式会社二六製作所】
 (※いずれも送料無料、「支払い方法について」を参照のこと)

中華製サイコンでうまく測れないと困っている人にもおすすめ 投稿者ハゼドン

2018-07-26

科学革命を推進し、現代文明を支えるガラス/『世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史』スティーブン・ジョンソン


『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン
『人類を変えた素晴らしき10の材料 その内なる宇宙を探険する』マーク・ミーオドヴニク

 ・科学革命を推進し、現代文明を支えるガラス

必読書リスト その三

 これはグーテンベルクの発明がたどった不思議に並行する道筋である。印刷が長年、科学革命と結びつけられている理由はいくつかある。ガリレオのような異端者とされる人たちの小論文や専門書が、教会の批判にとらわれることなくアイデアを広めることができ、最終的にその権威を弱体化させた。同時に、グーテンベルクの聖書から数十年を経て発展した引用と参照のシステムは、科学的手法を応用するにあたって不可欠のツールになった。しかしグーテンベルクの発明は、別のあまり知られていないところでも、科学の前進を促している。すなわち、レンズ設計の可能性、ガラスそのものの可能性を広げたのだ。私たちは二酸化ケイ素の特異な物理的特性を、自分の目ですでに見えていたものを見るのに初めて利用しただけでなく、持って生まれた人間の視力の限界を超越してものを見ることができるようになった。

【『世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史』スティーブン・ジョンソン:大田直子訳(朝日新聞出版、2016年)以下同】

 これは気がつかなかった! 印刷技術には誰もが注目するがガラス(二酸化ケイ素)が科学革命の推進力であったとは。眼鏡の発明が1284年頃のイタリアとされているので、ルネサンス(14世紀イタリア発)の導火線となった可能性も高そうだ。

 現在、あなたが住んでいる部屋を見回せば、二酸化ケイ素があるからこそ存在するもの、もっと言えばケイ素という元素そのものに依存しているものが、軽く100個は手の届くところにあるだろう。窓や天井にはまっているガラス、カメラつきスマホのレンズ、コンピューターの画面、マイクロチップやデジタルクロックが入っているものすべて。1万年前の日常生活の化学に登場する主役を選ぶとしたら、上位の序列は現在と同じになるだろう。私たちは炭素、水素、酸素のヘビーユーザーである。しかしケイ素はクレジットタイトルにさえ出てこないかもしれない。ケイ素は地球上にふんだんにある――地殻の90パーセント以上がケイ素化合物でできている――が、地球上の生命体の自然な代謝にはほとんどなんの役割も果たさない。私たちの体は炭素に依存しているし、私たちのテクノロジーの多く(化石燃料やプラスチック)も同じ依存関係にある。しかしケイ素の必要性は現代になってから強まったものだ。

 細いガラスの糸を作る実験が繰り返され、チャールズ・ヴァーノン・ボーイズが19世紀末に約27メートルのガラス繊維を作り出した。驚くべきはその繊維の強靭さであった。次の世紀の半ばにはガラス繊維が撚(よ)り合わされてグラスファイバーとなる。奇蹟の新素材は「家の断熱材、衣類、サーフボード、クルーザー、ヘルメット、最新のコンピューターのチップを接続する回路基板、エアバスの主要ジェット機」に使われている。そしてインターネットをつなぐ光ファイバーもまたガラス繊維でできている。「ワールド・ワイド・ウェブはガラスの糸で織り上げられているのだ」。

「ガラス」「冷たさ」「音」「清潔」「時間」「光」の六つに焦点を当て、全く新たな角度から文明を切り取ってみせる手並みが鮮やかである。こうした良書を読むと、白人の説明能力の高さにたじろいでしまう。私が知る限りではポピュラーサイエンスの分野だと日本人に勝ち目はない。