2011-12-17

修正し、改竄を施し、捏造を加え、書き換えられた歴史が「風化」してゆく/『一九八四年』ジョージ・オーウェル


 凄いニュースだ。

 野田佳彦首相は16日、政府の原子力災害対策本部の会合で、東京電力福島第一原発で原子炉を安定して冷却する「冷温停止状態」を達成し、事故収束に向けた工程表「ステップ2」が完了できたとして「事故そのものは収束に至った」と宣言した。

TOKYO Web 2011-12-17

 どうして誰も喜ばないのだろう? なぜ胸を撫で下ろす人がいないのだろう? それは「収束」が嘘であることを知っているからだ。ゴムひもじゃあるまいし、放射能がそう簡単に収束してたまるかってえんだ。

 福島原発の現場で働く人々の反応はどうか?

「冷温停止状態」を通り越し「事故収束」にまで踏み込んだ首相発言に、福島第一原発の現場で働く作業員たちからは、「言っている意味が理解できない」「ろくに建屋にも入れず、どう核燃料を取り出すかも分からないのに」などと、あきれと憤りの入り交じった声が上がった。
 作業を終え、首相会見をテレビで見た男性作業員は「俺は日本語の意味がわからなくなったのか。言っていることがわからない。毎日見ている原発の状態からみてあり得ない。これから何十年もかかるのに、何を焦って年内にこだわったのか」とあきれ返った。
 汚染水の浄化システムを担当してきた作業員は「本当かよ、と思った。収束のわけがない。今は大量の汚染水を生みだしながら、核燃料を冷やしているから温度が保たれているだけ。安定状態とは程遠い」と話した。
 ベテラン作業員も「どう理解していいのか分からない。収束作業はこれから。今も被ばくと闘いながら作業をしている」。
 原子炉が冷えたとはいえ、そのシステムは応急処置的なもの。このベテランは「また地震が起きたり、冷やせなくなったら終わり。核燃料が取り出せる状況でもない。大量のゴミはどうするのか。状況を軽く見ているとしか思えない」と憤った。
 別の作業員も「政府はウソばっかりだ。誰が核燃料を取り出しに行くのか。被害は甚大なのに、たいしたことないように言って。本当の状況をなぜ言わないのか」と話した。

TOKYO Web 2011-12-17

 やはり現場の声は重い。野田首相の言葉の軽さとは対照的だ。政府、東電、保安院は今まで散々嘘に嘘を重ねてきた。巨大な力を持つ連中は少々叩かれたところでビクともしない。「どうせ正確な情報を流したところで文句を言う奴はいるわけだから、これくらいは構わんだろう」という思惑があって当然だ。詐欺国家ニッポン。

 我が国が法治国家であるならば、政策ミスによる犯罪性を司法が裁くべきであると考えるがどうだろう? 鈴木傾城〈すずき・けいせい〉氏が「せめて、東京電力の責任者くらいは、しっかり死刑にすべき」と書いている。私は原子力行政に絡んで利権に預かってきた連中は、最低でも禁固刑にすべきだと思う。菅直人前首相は死罪に値すると考える。民主党内から切腹を求める声が上がってしかるべきであった。

 ジョージ・オーウェルが描いた『一九八四年』的世界が現実となりつつある。以下の記事を熟読されよ。

現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル

 ダブルシンク(二重思考)という概念(オーウェルの造語)が歴史の本質を炙(あぶ)り出す。歴史とは事実を意味しない。記録されたもののみが歴史なのだ。

 例えば原発労働者の声は歴史として残らない。大体、数百年後の日本史年表であれば「収束宣言」すら記録されない可能性が大きい。よほどのことがない限り、カッコの中や脚注に書かれることもないのだ。我々は当事者だから日々のニュースを極太ゴシック体で受け止めるが、100年前の事件は名称でしか認識していない。つまり100年後には「東日本大震災時における福島原発事故」で全部片づけられてしまうのだ。1000年立てば「日本昔ばなし」レベルだ。

 この恐ろしさが理解できるだろうか? 権力者が修正し、改竄(かいざん)を施し、捏造(ねつぞう)を加え、書き換えられた歴史が「風化」してゆくのだ。

 権力とは、暦(こよみ)、文字、度量衡(どりょうこう)を決定するものだ。そして歴史とは政治史を中心に綴られる(※岡田英弘を参照のこと)。

歴史とは何か/『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘
歴史の本質と国民国家/『歴史とはなにか』岡田英弘

 彼は彼女に理解させようとした。「これはまずめったにないことなんだ。単に誰かが殺されるという問題じゃない。分かるだろう、昨日を起点としてはるか続く過去が現に抹消されているんだ。過去がどこかで生き延びるとしたら、それは何のことばもついていない数少ない確固たる物体のなかでしかない。例えば、そこにあるガラスの塊のようなもののなかとかね。すでにぼくたちは、革命について、そして革命前の時代にちて、文字通り何の手がかりもなくなっていると言っていい。記録は一つ残らず廃棄されたか捏造され、書物も全部書き換えられ、絵も全部描き直され、銅像も街も建物もすべて新しい名前を付けられ、日付まですっかり変えられてしまった。しかもその作業は毎日、分刻みで進行している。歴史は止まってしまったんだ。果てしなく続く現在の他には何も存在しない。そしてその現在のなかでは党が常に正しいんだ。もちろん分かっているさ、過去が捏造されているって。でもぼくがそれを証明するなんて、とうてい無理な話、たとえ自分がその捏造に直接関わっていてもね。作業が終われば証拠は何も残らないのだから。唯一の証拠はぼくの頭のなかにあるだけ。そしてぼくの記憶を共有してくれる人間がはたして他にいるもやら、とても自信がないね」

【『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳(ハヤカワepi文庫、2009年/吉田健一・龍口直太郎訳、文藝春秋新社、1950年/『世界SF全集 10 ハックスリイ オーウェル』村松達雄・新庄哲夫訳、早川書房、1968年/新庄哲夫訳、ハヤカワ文庫、1972年)】

 そしてオーウェルの時代には判明していなかったことと思われるが、人間の記憶自体も日常的に書き換えられていることが科学的に証明されている。つまり人の数だけ事実があるってわけだよ。歴史修正主義は社会主義国家の専売特許に非ず。

 ウィンストン・スミスとジュリアは恋に陥る。恋愛そのものが自由であり反逆行為であった。しかし二人の自由は長く続かなかった。管理社会はありとあらゆるところに罠を張り巡らせていた。二人は逮捕される。

「しかし、いいかねウィンストン、現実は外部に存在しているのではない。現実は人間の精神のなかにだけ存在していて、それ以外の場所にはないのだよ」

 オブライエンの指摘が読む者の背筋を凍らせる。そして記憶と精神を改造すべく、一片の容赦もない拷問が加えられる。

「他人を支配する権力はどのように行使されるかね、ウィンストン?」
 ウィンストンは考えた。「相手を苦しめることによって、です」と答えた。
「その通りだ。苦しめることによってはじめて行使される。服従だけでは十分でない。相手が苦しんでいなければ、はたして本当に自分の意志ではなくこちらの意思に従っているのかどうか、はっきりと分からないだろう。権力は相手に苦痛と屈辱を与えることのうちにある。権力とは人間の精神をずたずたにし、その後で改めて、こちらの思うがままの形に作り直すことなのだ」

 原書の脱稿は1948年12月4日(1949年刊行)。下二桁の数字を入れ替えてタイトルにしたとされている。イスラエル建国と同年であることが不気味だ。

 スタンレー・ミルグラムがアイヒマン実験を通して服従心理のメカニズムを解明したのは1963年のことである。

服従の本質/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム

 オーウェルはミルグラムより15年も先んじてディストピアを描いてみせたのだ。当初は『ヨーロッパ最後の人間』(The Last Man in Europe)と題されていた。単純なソビエト批判でないことは明らかだ。中世において人間はヨーロッパにしか存在しなかった。これが西洋史観である(※化物世界誌)。

コロンブスによる「人間」の発見/『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世

 すなわちオーウェルが描いた世界は、集団化が行き着く極北を示したものと考えられる。組織における人間は機能や役割に貶(おとし)められる。社員はいつだって交換可能な部品のようなものだ。そして大衆は会社や国家に依存せざるを得ない情況へと追い込まれる。

 国民国家が目指すのは「国家依存主義」であり「国家万能主義」であろう。ゆえに無謬性(むびゅうせい)が重んじられるのだ。

「つまづいたって いいじゃないか にんげんだもの」と、みつをは言った。人間はつまづくが国家はつまづくことがない。決して。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)


物語る行為の意味/『物語の哲学』野家啓一

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