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2014-10-10

虐殺者コロンブス/『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編


 ・虐殺者コロンブス

『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(下) 1901-2006年』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編

 自分の過(あやま)ちを正すには、わたしたち一人ひとりが、その過ちをありのままに見つめなければならない。

【『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(上) 1492-1901年』ハワード・ジン、レベッカ・ステフォフ編:鳥見真生〈とりみ・まさお〉訳(あすなろ書房、2009年)以下同】

 歴史は繰り返す(古代ローマの歴史家クルティウス・ルフスの言葉)。なぜなら人類は歴史から学ぶことがないからだ。唯物史観は進歩を謳ったが歴史も人類も進歩することはないだろう。ただ「自分を正すかどうか」が問われる。「子曰く、過ちて改めざる、是を過ちと謂う」(『論語』衛霊公第十五)と。過ちを知りながら悔い改めないところに過ちの本質がある。

将来は過去の繰り返しにすぎない/『先物市場のテクニカル分析』ジョン・J・マーフィー

 ルビが多いので多分中高生向けと思われるが、アメリカ合衆国の歴史を知るには打ってつけの一書である。アメリカが反省していないところを見ると本書もさほど読まれていないことだろう。テレビに向かう人は多いが良書に向かう人は少ない。

 私の考える愛国心とは、政府のすることをなんでも無批判に受け入れることではない。民主主義の特質は、政府の言いなりになることではないのだ。国民が政府のやり方に異議を唱えられないなら、その国は全体主義の国、つまり独裁国家である――わたしたちは幼いころ、そう学校で教えられたはずだ。そこが民主国家であるかぎり、国民は自分の政府の施策を批判する権利をもっている。

 メディア・ファシズムが投票民主主義を葬った。そして政府は大企業と金融に支配された。資本主義経済-大衆消費社会の構図がそれを可能にしたのだ。我々は国の行く末よりも今月の給料で何を買うかに関心がある。響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉は次のように指摘する。

「有権者」と称しつつ、国あるいは自治体の財政収支、つまり【社会資本配分の内訳】を理解して投票する者など1%にも満たないわけです。【99%の国民にとって政治とは感情的に参画する抽象概念であり、統治の本質とは認知捜査に過ぎず、社会システムは迷妄(めいもう)の上に成立しています】。

【『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉(ヒカルランド、2012年)】

 そして国家のバランスシートは全てを公開しているわけではない。私も含めて国民の99%はB層なのだ。

 アラワク族の男たち女たちが、村々から浜辺へ走り出してきて、目をまるくしている。そして、その奇妙な大きな船をもっとよく見ようと、海へ飛びこんだ。クリストファー・コロンブスと部下の兵たちが、剣(つるぎ)を帯びて上陸してくるや、彼らは駆けよって一行を歓迎した。コロンブスはのちに自分の航海日誌に、その島の先住民アラワク族についてこう書いている。
〈彼らはわれわれに、オウムや綿の玉や槍(やり)をはじめとするさまざまな物をもってきて、ガラスのビーズや呼び鈴と交換した。なんでも気前よく、交換に応じるのだ。彼らは上背があり、体つきはたくましく、顔立ちもりりしい。武器をもっていないだけでなく、武器というものを知らないようだ。というのは、わたしが剣をさし出すと、知らないで刃を握り、自分の手を切ってしまったからだ。彼らには鉄器はないらしく、槍は、植物の茎でできている。彼らはりっぱな召使になるだろう。手勢が50人もあれば、一人残らず服従させて、思いのままにできるにちがいない〉
 アラワク族が住んでいたのは、バハマ諸島だった。アメリカ大陸の先住民と同じように、客をもてなし、物を分かち合う心を大切にしていた。しかし西ヨーロッパという文明社会から、はじめてアメリカへやってきたコロンブスがもっていたのは、強烈な金銭欲だった。その島に到着するや、彼はアラワク族数人をむりやりとらえて、聞き出そうとした。金(きん)はどこだ? それがコロンブスの知りたいことだった。

 黄金と香辛料を持ち帰れば利益の10%がコロンブスのインセンティブとなる契約だった。当初、黄金は見つからなかった。船を空(から)にしたままスペインへ帰るわけにはゆかない。そこでコロンブスは1495年に大掛かりな奴隷狩りを行う。捕虜の中から500人を選別しスペインへ送った。

 航海の途中で、200人が死んだ。残る300人はなんとかスペインに到着し、地元の教会役員により競(せ)りにかけられた。
 コロンブスはのちに、信心深い調子でこう書いている。〈父と子と聖霊の御名(みな)において、売れんかぎりの奴隷をさらに送りつづけられんことを。〉

 ヨーロッパ人の恐ろしさはここにある。何かトラブルがあって殺害に至ったわけではなく、最初から略奪・虐殺を目的としていたのだ。その後、アフリカ大陸の黒人も奴隷としてアメリカに輸送される運命となる。

コロンブスによる「人間」の発見/『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
侵略者コロンブスの悪意/『わが魂を聖地に埋めよ アメリカ・インディアン闘争史』ディー・ブラウン
ラス・カサスの立ち位置/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス

 サミュエル・エリオット・モリソンは、コロンブス研究でもっとも有名な歴史学者の一人だ。モリソンはみずからコロンブスの航海をたどり、大西洋を横断した。1954年には『大航海者コロンブス』という、一般向けの本も出版した。そのなかで彼は、コロンブスやあとに続くヨーロッパ人による残虐な行為のせいで、インディアンの〈完全な大量殺戮(ジェノサイド)〉が引き起こされた、と述べている。ジェノサイドとは、とても強い言葉だ。ある民俗的、または文化的集団の全員を計画的に殺害する、という恐ろしい犯罪の呼び名である。

 宗教的正義が大量殺戮を可能にする。アメリカ人の祖は人殺しと泥棒であった。自由の国とはヨーロッパ人が暴力を振るう自由であった。一神教(アブラハムの宗教)こそが世界を混迷させる一大要因であると私は考える。ハワード・ジンの良心はキリスト教を攻撃するまでには至っていない。それは東洋の仕事だ。一神教を撃つ学問を立ち上げる必要があろう。

「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた/『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹

 

2014-07-05

近代において自由貿易で繁栄した国家など存在しない/『略奪者のロジック 支配を構造化する210の言葉たち』響堂雪乃


・『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃

 ・近代において自由貿易で繁栄した国家など存在しない

 この社会は「文明の衝突」に直面しているのかもしれない。国家の様態は清朝末期の中国に等しく、外国人投資家によって過半数株式を制圧された経済市場とは租界のようなものだろう。つまり外国人の口利きである「買弁」が最も金になるのであり、政策は市場取引されているのであり、すでに政治と背徳は同義に他ならない。
 TPPの正当性が喧伝されているが、近代において自由貿易で繁栄した国家など存在しないのであり、70年代からフリードマン(市場原理主義者)理論の実験場となった南米やアジア各国はいずれも経済破綻に陥り、壮絶な格差と貧困が蔓延し、いまだに後遺症として財政危機を繰り返している。
 今回の執筆にあたっては、グローバル資本による世界支配をテーマに現象の考察を試みたのだが、彼らのスキームは極めてシンプルだ。
 傀儡政権を樹立し、民営化、労働者の非正規化、関税撤廃、資本の自由化の推進によって多国籍企業の支配を絶対化させる。あるいは財政破綻に陥ったところでIMFや世界銀行が乗り込み、融資条件として公共資源の供出を迫るという手法だ。それは他国の出来事ではなく、この社会もまた同じ抑圧の体系に与(くみ)している。
 我々の錯誤とは内在本質への無理解なのだけれども、おおよそ西洋文明において略奪とは国営ビジネスであり、エリート層の特権であるわけだ。除法平価の軍隊がカリブ海でスペインの金塊輸送船を襲撃し、中国の民衆にアヘンを売りつけ、インドの綿製品市場を絶対化するため機織職人の手首を切り落とし、リヴァプールが奴隷貿易で栄えたことは公然だろう。
 グローバリズムという言葉は極めて抽象的なのだが、つまるところ16世紀から連綿と続く対外膨張エリートの有色人種支配に他ならない。この論理において我々非白人は人間とはみなされていないのであり、アステカやインカのインディオと同じく侵略地の労働資源に過ぎないわけだ。
 外国人投資家の利益を最大化するため労働法が改正され、労働者の約40%近くが使い捨ての非正規労働者となり、年間30兆円規模の賃金が不当に搾取されているのだから、この国の労働市場もコロンブス統治下のエスパニョーラ島と大差ないだろう。

【『略奪者のロジック 支配を構造化する210の言葉たち』響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉(三五館、2013年)】

 前著と比べるとパワー不足だが、言葉の切れ味とアジテーションは衰えていない。テレビや新聞の報道では窺い知るのことのできない支配構造を読み解く。ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』の後塵を拝する格好となったが説明能力は決して劣っていない。

 興味深い210の言葉を紹介しているが、人名やタイトルだけで出典が曖昧なのは三五館の怠慢だ。ともすると悲観論に傾きすぎているように感じるが、警世の書と受け止めて自分の頭で考え抜くことが求められる。元々ブログから生まれた書籍ゆえ、この価格で著者に責任を押しつけるのはそれこそ読者の無責任というべきだ。

 一気に読むのではなくして、トイレにおいて少しずつ辞書を開くように楽しむのがよい。前著は既に絶版となっている。3.11後の日本を考えるヒントが豊富で、単なる陰謀モノではない。

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アメリカに「対外貿易」は存在しない/『ボーダレス・ワールド』大前研一

2014-06-12

ドル基軸通貨体制とは/『新・マネー敗戦 ――ドル暴落後の日本』岩本沙弓


『円高円安でわかる世界のお金の大原則』岩本沙弓

 ・大英帝国の没落と金本位制
 ・日本の資産がアメリカに奪われる理由
 ・ドル基軸通貨体制とは

『あなたの知らない日本経済のカラクリ 対談 この人に聞きたい!日本経済の憂鬱と再生への道』岩本沙弓

 日本人の我々にとって外国為替が米ドルに対して何円、という表示に違和感を覚える方はいないだろう。為替の中心となるのはあくまでも米ドル、調整するのは我々円の方、長年それで通してきたゆえ、習慣として身についてしまっているからだ。しかし、実は当たり前にしてきたこのドル中心の現在の為替システムというのは、実は非常に偏った通貨システムである。町中のお店、デパート、スーパーマーケット、通常であればモノを売る側がモノの値段をつけている。それに従えば、為替市場でもモノを作って売る側の通貨に合わせるほう(ママ)が自然ではなかろうか。
 仮に、モノを買う側の米国が日本円で支払いをしていたらどうなるか。まず日本製の車を買うために米国人が外国為替市場で手持ちのドルを円に替えるので、日本製品の需要があればあるほど為替市場ではドル売り・円買いが発生し、ドル安となる。極論だが、プラザ合意でみたような為替介入などの人為的操作をしなくてもドル安の状況が生まれ、輸入品に対する米国国内産業の競争力が出てくることになり、輸入品と国内製品との均衡点が為替レートに反映されたはずだ。
 日本のメーカーとしては実際に車を売る、家電を売る市場が米国ならば、顧客の使用する米国ドルに合わせて商売をするべき。なるほど、それも一理ある。事実、今でも日本の輸出企業の多くが円ではなく外貨ベースで決済を行っているのもそのためだ。
 であるならば、我々日本人が買い手に回った場合はどうであろう? 牛肉やオレンジ、小麦を米国から買う場合、はたして消費者である我々に合わせて円で彼らは売ってくれるだろうか? 最近では企業によっては円ベースで取引をする場合も増えてきたものの、基本的には買う側の我々が円を売ってドルを調達し、そのドルを使って購入する、モノを買う場合でも相手が提示するドル価格に合わせてこちらが調整役に回っている。
 これは何も日本だけではない。小麦やトウモロコシなどの農産物、そして為替や金利の先物取引をはじめとしてデリバティブ商品が上場されているシカゴ・マーカンタイル取引所(CME)は今や世界最大の取引所である。ここでの取引に使用されるのは全てドル建てなのである。為替の先物取引で日本円を取引しようが、ユーロを取引しようが、差額決済はドルで行うのだ。例えば商品価格の高騰で市場がにぎわいを見せれば商品決済がドルで行われるため、ドルの需要が増えるのである。重要なのはモノでもサービスでも米ドル表示であるということである。米国がモノを作らなくてもドル買い需要を喚起できるシステムが成立しているのである。
 日本人がモノを買うにしても、売るにしても値段がドル表示となっている限り、通貨の変動リスクは輸出入いずれの場合も日本サイドが持つことになる。このような非常に偏った通貨制度のもとで我々は経済活動を行っていると認識する機会もないままこれまで過ごしてきたわけだが、我々が気づかなったところに、米国にとって基軸通貨国としての最大のメリットがある。これこそが米国の力の源泉である。

【『新・マネー敗戦 ――ドル暴落後の日本』岩本沙弓〈いわもと・さゆみ〉(文春新書、2010年)】

 たまげた。供給サイドに合わせれば為替は自然調整されるというのだ。つまり為替レートは実需に応じて動くわけだ。現在でも実需筋の動向がマーケットを動かすという指摘もある。

為替の価格変動要因/『矢口新の相場力アップドリル【為替編】』矢口新
貿易黒字は円高トレンドを示す

 矢口新〈やぐち・あらた〉は名著『実践 生き残りのディーリング 変わりゆく市場に適応するための100のアプローチ』にも書いている。差金決済を目的とした日計り(デイトレード)と異なり、実需筋のポジションは反対売買(決済)されない。つまりそのポジションは消える。為替相場はゼロサムゲームなので通常は10人の買いと10人の売り(※本当は人数ではなくポジション数)が存在する。買い(ロング)のうち二人が実需筋と仮定しよう。彼らはマーケットで決済しないため、実態としては8人の買いとなる。買い持ち全員が決済しても、売りが二人残るわけだから価格には下落圧力が掛かる。

 消えたポジションは侮ることができない。価格圧力は永遠にのし掛かる。実需筋のポジションが相殺してどちらに傾いているかは貿易収支に現れる。だが金融経済のマネーが既にGDPの4倍にまで膨れ上がっている現在、実需筋よりも投機マネーの影響力が圧倒的に大きい。


 岩本沙弓が単純な理屈で突いてるのはドル基軸通貨体制の矛盾である。なぜ石油や武器を中心に商品先物(コモディティ)に至るまでドルで決済する必要があるのか? 確かに第二次世界大戦後はドルしか信用に値する通貨はなかった。半世紀以上を経た現在、ユーロやポンドおよび円、豪ドル、カナダドルは十分世界で通用するはずだ。

 リーマン・ショックでドルの信用は揺らいだ。実際に米国内でゴールドによる支払いが一部で認められたほどである。IMFは日本の財政赤字に茶々を入れてくるが、世界最大の赤字国はアメリカであり、限りなく印刷され続けてきたドルがただの紙くずになる日もそう遠いことではあるまい。

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『史上最大の株価急騰がやってくる!』増田俊男
『日本経済大好況目前!』増田俊男
エンロン破綻という経済戦略/『大相場、目前!! これから株神話が始まる!』増田俊男

2014-06-10

日本の資産がアメリカに奪われる理由/『新・マネー敗戦 ――ドル暴落後の日本』岩本沙弓


『円高円安でわかる世界のお金の大原則』岩本沙弓

大英帝国の没落と金本位制
・日本の資産がアメリカに奪われる理由
ドル基軸通貨体制とは

 もう少し踏み込んで考えてみよう。モノを購入する際の各国のお金の出入りを考える世界の貿易収支というものは、そもそもはゼロサムである。自国製品を売った代金が入ってくることで、ある国の終始がプラスになったということは、モノを買った国では支払いが生じるためマイナスとなる。つまり、世界全体のトータルでみればプラス・マイナス・ゼロである。
 米国の大量消費の体質に便乗して、日本が対米輸出によって経済成長を謳歌してきた経緯は戦後ずっと続いたわけで、日本の経常収支がプラスになる分、米国の対日貿易赤字も同様に増え続けたということになる。
 極論ではあるが、1980年台に取り沙汰された問題は(そして今でも問題とされるのに変わりはないのだが)、米国の貿易赤字の増加ということ以上に、本質的な問題は貿易赤字の米国に黒字国の日本から資金還流せよという点だったといえよう。
 日本が製品を作り、米国が消費する。お金を受け取るだけの日本と支払うだけの米国、これでは日本の方に一方的にお金が溜まっていってしまう。一時的に日本経済自体は資金が滞留して潤うかもしれないが、米国が大量消費をしてくれればこその日本。消費に回す資金が米国で枯渇すれば、買い手不在となる日本の経済は遅かれ早かれダメージを受ける。1970年代、モノを作ることを早々に放棄して、消費大国の借金体質となった米国にしてみると、世界のモノを自分たちが消費すればこそ世界経済は回っているという自負心がある。ちなみに、外務省が発表する主要経済指標によれば2008年の世界の名目GDPを見ると、1位は米国の14兆2043億ドル。全世界のGDPの23.4%を占めており、現在でも圧倒的なシェアである。欧州圏としては30.2%、アジア圏としては22.0%と対抗できるものの、国単位でみれば、今でも世界経済の頼みの綱は米国なのである。
 我々のところにお金が入ってこなければあなたたちの作ったモノは買えなくなる。それでよろしいのですか? と米国から日本が突きつけられたのがプラザ合意であり、対米輸出に依存してきた日本は、たとえ為替レートの変動する方向が自国の輸出にとってマイナスでも、合意について首を縦に振らざるを得ないというのが実情だったろう。
 そして、プラザ合意のもとで、為替市場でドルが十分売られた状況となれば、今度は日本の輸出産業保護の名目で日銀がドル買い介入を実施する大義名分が整う。日本国として購入したドルを米国債の買い入れの資金に回せば米国側に日本の資金を還流させることができる。

【『新・マネー敗戦 ――ドル暴落後の日本』岩本沙弓〈いわもと・さゆみ〉(文春新書、2010年)】


(プラザホテル、以下同)

 1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルでG5(先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議)による為替レート安定化の合意がなされた。ホテルの名をとってプラザ合意と呼ばれる。ドル安誘導が合意されたわけだが、「アメリカの対日貿易赤字が顕著であったため、 実質的に円高ドル安に誘導する内容であった」(Wikipedia)。つまり日本が狙い撃ちにされたわけだ。ドル円レートは235円から20円下落し、1年後には150円台で取引されるようになった。これだけで対日貿易赤字は63.8%に圧縮される。そして日本の対米貿易黒字も同じく圧縮される。これが為替マジック。

 関税を無視すれば日本の消費者にとって米国製品は安くなるのでお買い得。一方、アメリカ人の場合は日本製品の値上げを意味する。

 岩本沙弓はこれを「アメリカの借金棒引きシステム」と喝破した。



 すなわちプラザ合意とは、アメリカが日本に対して235円の借金を150円に下げさせた歴史なのだ。その後日本経済はバブル景気へ向かう。三菱地所が2200億円でロックフェラー・センターを購入し、安田火災海上保険(現在は損保ジャパン)が58億円でゴッホのひまわりを落札した。日本の不動産は上昇の一途を遂げ、東京山手線の内側の土地価格でアメリカ全土を買えるまでに至った。


 日銀の為替介入で買われたドルは米国債購入に当てられる。しかも為替介入の原資となっているのは国民の資産なのだ。財務省~日銀は国民の与(あずか)り知らぬところで数兆円規模のカネを勝手に使っている。これについては日を改めて書こう。

 大きすぎる嘘は見えない。アメリカが「オレ、オレ……」と電話をしてくれば、スワ一大事とばかりに振り込むのが日本なのだ。「日本はアメリカの財布」といわれる所以(ゆえん)もここにある。

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2014-06-08

大英帝国の没落と金本位制/『新・マネー敗戦 ――ドル暴落後の日本』岩本沙弓


『円高円安でわかる世界のお金の大原則』岩本沙弓

 ・大英帝国の没落と金本位制
 ・日本の資産がアメリカに奪われる理由
 ・ドル基軸通貨体制とは

『あなたの知らない日本経済のカラクリ 対談 この人に聞きたい!日本経済の憂鬱と再生への道』岩本沙弓

 自然界の中で、弱者であるシマウマと強者であるライオンの数を見た場合、シマウマの数の方が圧倒的に多い。つまり、ライオンとシマウマのこの数の差が存在すればこそ、食物連鎖を維持できるわけである。
 では、獲物となるシマウマの数が少ないとどうなるのか? 弱者が絶滅するまで強者の側が食べ尽くすようなことをすると、均衡を保っていた食物連鎖が崩れ、結局のところは強者も共倒れとなってしまう。これが自然界の掟である。
 現代金融において、強者はこの自然の論理をよく理解している。彼らは、金融・経済活動の中での弱者の数が減りすぎないように「生かさず殺さず」を心がけているようなものだ。上前を撥ねる相手がいなくなれば、自分の稼ぎもなくなる。これがいわば、金融界の掟である。

【『新・マネー敗戦 ――ドル暴落後の日本』岩本沙弓〈いわもと・さゆみ〉(文春新書、2010年)以下同】

 岩本沙弓の名前を知ったのは金融機関のレポートであった。テクニカル分析に関する指摘に目を瞠(みは)った。それもそのはずで彼女は米系銀行の為替ディーラーを務めた人物であった。今私が最も注目する一人だ。タイトルは吉川元忠著『マネー敗戦』に由来。

 岩本はまず姿勢がよい。真っ直ぐで嘘がない。どの著作を開いても好感が持てる。それでいて鋭い。日経新聞を1年間購読するよりも岩本の本を1冊読んだ方がずっと勉強になる。

 イギリスは18世紀に産業革命が起こり「世界の工場」として圧倒的な経済力を手に入れることになった。世界の工場としてモノを作り、世界中にモノを得ることで世界経済を一手に収めたのだ。しかしそれは長い目でみれば一時的なことにすぎない。というのも、経済大国となるがゆえにやがては国内の生産コストが上がってくるのは当然のことであるし、加えて、技術や産業形態は国境を超えて伝播していくものであるから、それを模倣し、あるいは改良したより安価な製品を作り出してくる新興国が出現するのである。すると大国の国際競争力は低下し、海外の安い商品が大量に大国に入ってくることとなる。実際、19世紀の半ばにはすでにイギリスの輸出は輸入を大幅に下回っていることからも、かなり早い段階から製造業の国際競争力が低下していたことがうかがえる。
 当時のイギリスには2つの問題が発生した。他国のモノをイギリスが購入すれば、その分基軸通貨ポンドを世界中にばら撒くということになる。金本位制を採用していると、海外に出て行ったポンドは、相手国が金に換えて欲しいと言えば、イギリスはそれに応じなければならない。その結果、イギリスから大量に金が流出することになったのが第一の問題。そして2つめとして、国際競争力低下に歯止めをかけるには、米国がプラザ合意で断行したように自国通貨の切り下げを行い、自国産業を守るという手段もあったのだが、そうはしなかった。そのため「世界の工場」は新興国の米国へと移り、イギリスの国内産業は空洞化したのである。国内産業が低迷すれば国内金利は低下するので、海外との金利差が発生する。いつの時代も一緒だが、金利差に着目した投資資金はイギリスから海外へと向かっていった。
 そのような状況での第一次世界大戦勃発だったため、イギリスには物資と戦費調達をしなければならなくなった。物資の購入は金の流出を招いた。戦費調達のために保有していた債券を売却し、米国からの多額の借り入れをしたことで、イギリスの債券国家としての立場は終わりを告げた。第一次大戦後、一時停止されていた金本位制が復活する際には、経済が弱体化していた各国は為替レートを切り下げたものの、イギリスだけは国の威信にかかわるとして旧平価にこだわったことも更なる金流出を招き、米ドル覇権への移行に拍車をかけたといえるだろう。

 近代以降の歴史は金融を理解せずして読み解くことはできない。カネがなければ戦争もできないのだ。人類が6000年かけて掘り出したゴールドの量はオリンピックサイズ・プール(長さ50m、幅22m、深さ2m)の3杯分しかない(埋蔵量は1杯分あるとされている)。中世のイギリスにおける決済手段はゴールドであった。人々は貴重品であるゴールドを金細工商(ゴールドスミス)に預けた。彼らが最も頑丈な金庫を持っていたためである。そしてゴールドスミスが発行した預り証(金匠手形)が取引に用いられるようになる。これが紙幣の原型である。

学校の先生が絶対に教えてくれないゴールドスミス物語

「世界の工場はやがてその座を新興国に奪われる」。これは岩本の著作で何度となく指摘されている。実際、イギリス~アメリカ~日本~中国と世界の生産拠点は移動してきた。そして今中国から近隣アジア諸国へと雇用の流出が始まっている。注目を集めているのは東南アジアとアフリカだ。

 20世紀の初頭、覇権を掌握するまでに米国は、大英帝国ののこのような隆盛と没落を淡々と眺めていたに違いない。イギリスに限らず、どの国でも「世界の工場」となって覇権を握ったときから最後はデフレの問題が出てくるのは歴史の必然である。それをいち早く認識して、米国はたとえ「世界の工場」となってもそれは一時的なことであると認識して(※「認識して」が重複しているがママ)、やがては登場してくる新興国への対応を着々と準備していたのではなかろうか。
 国力の差があれば、安い輸入商品が流入してくるのはどうしても避けられない。それを防ぐ手段はいったい何か。イギリスを反面教師として利用するならば、国同士の取引に不可欠な為替レートを操作して輸入品の値段を押し上げる、ということになる。

 金本位制における紙幣はゴールドと等価であった。そして1929年の世界大恐慌を経て各国は金本位制をやめた。第二次世界大戦後はブレトン・ウッズ体制となる。そして1971年のニクソン・ショックで紙幣は何の裏づけもないペーパーマネーへと転落した。(固定相場制以前、固定相場制時代、変動相場制時代の主な出来事

 ドル基軸通貨体制をいいことにアメリカはやりたい放題の限りを尽くしてきた。ドル決済に水を差す連中はイラクのフセイン大統領のように殺された(『超マクロ展望 世界経済の真実』水野和夫、萱野稔人)。

 長期的に見ればドルは価値を下げ続けてきた。サブプライム・ショック~リーマン・ショックを経たのち量的緩和に次ぐ量的緩和でドルは湯水の如く印刷された。その穴埋めをさせられているのが日本と中国だ。米大統領が変わるタイミングでドル高騰は反転することだろう。米ドル最大の保有国である中国と日本が戦争にでもなれば、アメリカの借金はチャラになる可能性が大きい。

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2014-05-07

「年次改革要望書」という名の内政干渉/『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之


 ・「年次改革要望書」という名の内政干渉

日下公人×関岡英之
郵政民営化は小泉さんが考えたんじゃない

年次改革要望書』は単なる形式的な外交文書でも、退屈な年中行事でもない。アメリカ政府から要求された各項目は、日本の各省庁の担当部門に振り分けられ、それぞれ内部で検討され、やがて審議会にかけられ、最終的には法律や制度が改正されて着実に実現されていく。受け取ったままほったらかしにされているわけではないのだ。
 そして日本とアメリカの当局者が定期的な点検会合を開くことによって、要求がきちんと実行されているかどうか進捗状況をチェックする仕掛けも盛り込まれている。アメリカは、日本がサボらないように監視することができるようになっているのだ。
 これらの外圧の「成果」は、最終的にはアメリカ通商代表部が毎年3月に連邦議会に提出する『外国貿易障壁報告書』のなかで報告される仕組みになっている。アメリカ通商代表部は秋に『年次改革要望書』を日本に送りつけ、春に議会から勤務評定を受ける、という日々を過ごしているわけである。

【『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之(文春新書、2004年)以下同】

 10年前の本だがまったく古くなっていない。というよりはTPP締結を控えた今こそ本書が広く読まれるべきだ。関岡は基本的に取材を行わない。オフィシャルな情報だけを手掛かりにして、アメリカの内政干渉と日本政府の欺瞞を暴く。個人的には「保守の質を変えた」一書であると考える。日本人であれば心痛を覚えない人はいるまい。「敗戦」の意味を思い知らされる。半世紀という時を経ても尚、日本はアメリカ各地の州以下の扱いを受けており、文字通りの属国である。この国は独立することを阻まれているのだ。

 年次改革要望書は宮澤喜一首相とビル・クリントン米大統領との会談(1993年)で決まったものだが、日米包括経済協議(1993年)、日米構造協議(1989年)に淵源がある。ということはバブル景気の絶頂期にアメリカが動き出したわけだ。プラザ合意(1985年)に次ぐ攻撃と考えてよかろう。

牛肉・オレンジ自由化交渉の舞台裏

 アメリカによる外圧のわかりやすい例が紹介されている。

 日本の国内では、建築基準法の改正や住宅性能表示制度の導入は、阪神・淡路大震災での被害の大きさからの反省や手抜き工事による欠陥住宅の社会問題化などがきっかけとなって日本政府内で検討が始められ、導入が決定されたものだと理解されている。それは日本の国民の安全と利益のためになされたはずだ。
 しかし実はこれらの法改正や制度改革が、日本の住宅業界のためでも消費者のためでもなく、アメリカの木材輸出業者の利益のために、アメリカ政府が日本政府に加えた外圧によって実現されたものであると、アメリカ政府の公式文書に記録され、それが一般に公開されている。

 日本国民はおろか政治家だって知らなかったことだろう。政府が二つ返事で引き受けて、官僚が具体的な法案を作成しているに違いない。マスコミがこうした事実を報道することもない。日本の新聞は官報なのだろう。日本で民主主義が機能しないのは情報公開がなされていないためだ。むしろ情報は統制されているというべきか。

 1987年にアメリカの対日貿易戦略基礎理論編集委員会によってまとめられた『菊と刀~貿易戦争篇』というレポートがある。執筆者名や詳しい内容は公表されていないが、アメリカ・サイドから一部がリークされ、その日本語訳が出版されている(『公式日本人論』弘文堂)。
 この調査研究の目的は、日本に外圧を加えることを理論的に正当化することだった。そして結論として、外圧によって日本の思考・行動様式そのものを変形あるいは破壊することが日米双方のためであり、日本がアメリカと同じルールを覚えるまでそれを続けるほかはない、と断定している。つまり、自由貿易を維持するという大義名分のためには、内政干渉をしてでもアメリカのルールを日本に受入(ママ)れさせる必要がある、と主張しているのである。
 このレポートの執筆者のひとりではないかと推測されるジェームズ・ファローズは『日本封じ込め』(TBSブリタニカ)というエッセイのなかで「叫ぶのをやめて、ルールを変えよう」という有名なせりふを吐いた。こうした声が、アメリカのルールを強制的に日本に受け入れさせること、もっと露骨に言えばアメリカの内政干渉によって日本を改造するという、禁じ手の戦略を正当化することになったのである。そしてそこから導き出されたアメリカの政策こそ、「日米構造協議」と呼ばれる日本改造プログラムに他ならない。

 ジェームズ・ファローズはジミー・カーター大統領のスピーチライターを務めた人物だ。アメリカの傲慢は戦勝国意識とプロテスタント原理主義に支えられている。ま、原爆投下を一度も謝罪しないような国だ。我々黄色人種を同じ人間としては見ていないのだろう。

 鳩山由紀夫首相が年次改革要望書を斥(しりぞ)けた。そして直ぐに小沢一郎と共に葬られた。その後TPPと名前を変えて再びアメリカは日本に要求を突きつけているのだ。当初は「聖域なき関税撤廃が前提なら参加しない」としていた安部首相も態度を180度変えた(田中良紹)。

 今ニュースとなっている憲法解釈の閣議決定もアメリカからの要求であり命令だ。彼らは日本を再軍備するつもりだ。


自由競争は帝国主義の論理/『アメリカの日本改造計画 マスコミが書けない「日米論」』関岡英之+イーストプレス特別取材班編

自由競争は帝国主義の論理/『アメリカの日本改造計画 マスコミが書けない「日米論」』関岡英之+イーストプレス特別取材班編


佐藤●なぜ、いま大川周明なのかということですが、現在、世界を新古典派経済学的な市場原理主義が席巻(せっけん)しています。「自由競争」というのは、実は最強国に有利な論理であって、19世紀であればイギリス、20世紀であればアメリカしか利さない。つまり帝国主義の論理だということです。そこに気づくかどうかが、いま問われていると思います。

関岡●「自由主義」を装った帝国主義ですね。そのことを戦中に理路整然と説き明かした大川周明の『米英東亜侵略史』(第一書房、1942年)は非常に重要な文献で、いまの日本で広く読まれる必要があると、私もかねがね思っていました。

【『アメリカの日本改造計画 マスコミが書けない「日米論」』関岡英之+イーストプレス特別取材班編(イーストプレス、2006年)以下同】

 佐藤優と関岡の対談が面白かった。他は生臭くてちょっと……。帝国主義は力の論理である。ドラえもんでいえばジャイアンが帝国主義で、メガネををかけた弱者のび太はドラえもんと手を組んでテクノロジーで勝負をする。あれは日本のよき時代を象徴したマンガであったのかもしれぬ。ま、本当はたくさんの人々をいじめるジャイアン(アメリカ)の手助けをのび太とドラえもん(日本)がしていたわけだが(『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー)。

 大川周明といえば極東軍事裁判で東條英機の頭を叩く映像が広く知られている。大川は裁判そのものが茶番劇であることを示そうとした。


佐藤●ソ連が崩壊してイデオロギーの時代が終焉(しゅうえん)すると、世界各国は露骨に自国の利益を追求する時代になりました。なかでも一番強い国は、関係国に対して「さぁ、競争だ、自由に競争させろ、競争を邪魔するな」と市場開放や規制改革をどんどん要求するようになった。自分と同じやり方でやれ、自分のルールを受け入れろ、と。
 駆け足が一番速い人は、物事をすべて駆け足で決めるのが一番有利です。そして「ウィナー・テイク・オール」、勝者が果実を独占する。『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』(文春新書、2004年)を私なりに解釈すると、そういうことだろうと思います。

関岡●正確に汲(く)み取ってくださって、ありがとうございます。

『拒否できない日本』はアメリカが日本に突きつける「年次改革要望書」を広く知らしめた一書で関岡英之の名を不動のものとした。そして保守の質を明らかに変えた著作であった。

 自由貿易で貧しい国が栄えたことはない。産業革命の歴史を見てもわかるように、技術力を有する国家に強味がある。発展途上国には技術どころかインフラすら整備されていない。つまり自由貿易とは経済の名を借りた侵略戦争なのだ。

関岡●井筒俊彦は、アラビア語だけでなく、古典ギリシャ語、ラテン語なども学び、イスラーム研究の範疇(はんちゅう)にとどまらず、思想史の分野の世界的権威になりましたね。深層心理学の父カール・グスタフ・ユングなどが中心的メンバーになっていたエラノス会議にも招かれ、ユング一門や、宗教学のミルチャ・エリアーデ、神話学のカール・ケレーニイなど、ヨーロッパの錚々(そうそう)たる知識人たちと交流していたようです。

佐藤●井筒俊彦は天才ですよ。

関岡●慶應の東洋史学科にはアラビア史専攻の前嶋信次(まえじましんじ)もいましたが、井筒俊彦も前嶋信次も慶應が生んだのではなく、東亜経済調査会(ママ)の「大川塾」に育てられたんですよ。竹内好(たけうちよしみ/中国文学者、文芸評論家)も指摘していますが、大川周明の隠れた偉大な功績は、日本のイスラーム研究の先駆者として学問的な礎(いしずえ)を築いたことです。戦後、巣鴨(すがも)プリズンで『コーラン』を邦訳したことが有名ですが、『復興亜細亜の諸問題』や『回教概論』(慶應書房、1942年)を発表したのは戦前ですよね。

 大川周明がA級戦犯とされたのは日本に理論的指導者が見当らず、大川の著作が英訳されていたためアメリカ当局が目をつけた。ただそれだけの話である。どのような時代であろうと優れた人物がいる事実に驚かされる。

アメリカの日本改造計画―マスコミが書けない「日米論」 (East Press Nonfiction #006)日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く大川周明の大アジア主義

「年次改革要望書」という名の内政干渉/『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之
シオニズムと民族主義/『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』高橋和夫

2014-04-14

日米関係の初まりは“強姦”/『黒船幻想 精神分析学から見た日米関係』岸田秀、ケネス・D・バトラー


岸田●ペリーがきたというのが、アメリカと日本の最初の関係のはじまりなわけですけれども、その最初の事件に関するアメリカ人の見方と日本人の見方に、非常に大きな開きがあって、そこに日米誤解の出発点があるんじゃないかと思います。日本の側から言えば、あれは強姦されたんです。

バトラー●文化に対する強姦ということは言えるんでしょうかねえ。

岸田●その理論的根拠については僕の書いた本のなかに述べておりますが、僕は、個人と個人の関係について言い得ることは集団と集団との関係についても言い得ると考えているわけです。強姦されたと言ったのは、司馬遼太郎さんですがね。僕はどこかで読んだんですけれども、そのとき、まさにそうだと僕は思ったわけです。日本が嫌がるのにむりやり港を開かされたのは、女が嫌がるのにむりやり股を開かされたと同じだと。ところがアメリカのほうは、近代文明をもたらしてあげたんだぐらいに思っている。

バトラー●そのつもりでしたね。

岸田●アメリカのほうは、封建主義の殻に閉じ籠もっていた古い日本を近代文明へと拓いた、むしろ恩恵を与えたぐらいのつもりで、日本のほうは強姦されたと思っているわけですね。同じ事件に関する見方が、かくも違っている。

バトラー●(省略)

岸田●ああいう形で日米が出会ったのは、やはり不幸な出会いだったんじゃないかと思います。いわばある男と女の関係が強姦ではじまったようなものです。そしてその強姦された女は、その男と仲よくしたいと思うんだけれども、いろいろなことから、どうしてもこだわりがあるわけです。

【『黒船幻想 精神分析学から見た日米関係』岸田秀、ケネス・D・バトラー(トレヴィル、1986年青土社、1992年/河出文庫、1994年)】

 ケネス・D・バトラーは東洋言語学博士でアメリカ・カナダ大学連合日本研究センターの所長を務めた人物。岸田の対談集はどれも面白いが本書の出来はあまりよくない。

 私はペリー強姦説が岸田のオリジナルだと思い込んでいたので司馬遼太郎の名前を見て驚いた。

 ペリー来航の意義は、圧倒的な武力による開国の強要だけではなく、また交易の開始でもなかった。政治と経済、文化といったあらゆる面において、日本が近代という巨大なシステムに吸収されるということだったのである。

【『近代の拘束、日本の宿命』福田和也(文春文庫、1998年)】

 つまり強姦された挙げ句に、白人の家へ嫁入りさせられてしまったわけだ。そう。先進国一家だ。

 憂鬱になってくる。強姦した相手が金持ちであったために結婚生活が何となく幸福に見えてしまう。日本の経済発展の底流にはそういう心理的な誤魔化しがあったのだろう。で、怒りの矛先はアメリカではなく中国や韓国に向かう。まったく捻(ねじ)れている。

 しかも、黒船ペリーが開国を迫ったのは捕鯨船の補給地を確保するためだった(『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男)。現在、その捕鯨で我が日本は白人どもから叩かれている(有色人捕鯨国だけを攻撃する実態)。

「強姦」は喩えではない。アメリカ人は黒人奴隷やインディアンを実際に強姦しまくっている。ノルマンディー上陸作戦においては白人をも強姦している(「解放者」米兵、ノルマンディー住民にとっては「女性に飢えた荒くれ者」)。奴らのフロンティアスピリットとは強姦を意味するのかもしれない。

「世界の警察」を自認するアメリカは強姦魔であった。民主主義が有効であるならば、アメリカは倒されてしかるべき国家だ。



黒船の強味/『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八
泰平のねむりをさますじようきせん たつた四はいで夜るも寝られず/『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』岩下哲典
意識化されない無意識は強迫的に受け継がれていく/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

2014-04-05

官僚機構による社会資本の寡占/『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃


 ・官僚機構による社会資本の寡占

『円の支配者 誰が日本経済を崩壊させたのか』リチャード・A・ヴェルナー
・『略奪者のロジック 支配を構造化する210の言葉たち』響堂雪乃
国会で高橋洋一が「国の借金」の嘘を暴く 2018/02/21 衆議院予算委員会公聴会

 この国は【官僚機構と米国から重層的に搾取を受けている】わけです。【各種租税、新規国債、借換債、財投債により編成される370兆円規模の特別会計から推計70兆円が人件費、福利厚生、償還費、天下り、関連団体の補助金として公的部門へ吸収され、さらに外国為替特別会計を通じ既述のごとく莫大な金が米国に収奪されるという図式です】。

【『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉(ヒカルランド、2012年)以下同】

 ブログに大幅な加筆をした書籍である。全国紙系列の広告代理店で編集長を務めた人物で著者名はハンドルと思われる。ジャン・ボードリヤールを思わせる華麗な文体は意図的なもので正体を隠すためか。明らかにアジテーター的要素が強いが、傑出した説明能力の持ち主である。

【この国のエスタブリッシュメントが国民を殺戮している】わけです。経済産業省を頂点とする官僚機構が主導的に原発行政を推進し、電力企業関連会社に天下り、業界団体に公益法人を設立させ、さらに天下り、莫大な不労所得と引き換えに無軌道な運用管理を是認するという、監督者と被監督者による癒着(ゆちゃく)と共依存が利権の淵源(えんげん)となります。【文科省、国家公安委員、国土交通省などおおよそ主要官庁全てがこの腐敗構造に与(くみ)され、つまりは官僚機構】によるジェノサイド(大量虐殺)です。

 福島原発事故による被曝を声高に糾弾しているのは災害直後に書かれたためか。ただしここは吟味が必要なところで被曝の根拠が荒っぽい。国民が知るべきは原発利権であってエネルギー問題へと目を逸(そ)らしてはなるまい。

 国家システムのアルゴリズム(計算手順)とは、官僚機構の肥大化に他ならないわけです。繰り返しますが、【国税または地方税は全て官僚の給与、福利厚生および外郭団体の補助金として消えます。政府公表の公務員人件費総額には独立行政法人、特殊法人または特殊会社に属す「みなし公務員」の給与や補助金は含まれず、実際に租税から拠出される人件費または天下り団体の償還費等は年間70兆円に達すると推計されます】。

 官僚機構は癌細胞なのだろう。無限に増殖を繰り返し、肉体そのもの(国家)を滅ぼすまで蝕み続ける。著者は国家予算の中身を読めない者をB層と位置づけている。

【財政投融資とは、国民資産の不正流用】であり、【郵貯、年金、簡保の積立金が複雑な会計処理を経て特別会計予算に編入され国の外郭団体へ貸付けされ債権化】します。これまで400兆円規模の金が77の特殊法人や自治体などへ還流されながら、それらは統一されたバランスシート(貸借対照表)を持たず、財務内容も事業内容すらも不明瞭にいまだ跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)しています。
 2002年に日医総研が年金積立金の調査を行ったところ、【147兆円あるべき運用資金が財政投融資による87兆円を毀損(きそん)している】実態が明らかとなりました。(中略)
【日本国の本質とは、官僚機構による社会資本の寡占(かせん)】であるわけです。【過剰な公債発行と国民資産の流用により370兆円規模の特別会計という裏予算を編成し独立行政法人、特殊法人、特殊会社さらに系列3000社のグループ企業へ還流させ、洗浄した社会資本を天下りにより合法的に収奪する】、これが利権構造の概観です。【国家予算とはすなわちブラックボックスであり、我々のイデオロギーとは旧ソビエトを凌ぐ官僚統制主義に他なりません】。

 複式簿記を導入しているのはたぶん東京都だけだ(石原慎太郎「こんなでたらめな会計制度、単式簿記でやっているのは、先進国で日本だけ」の真意。複式簿記とは何か。)。この国は国家予算のバランスシートさえ明らかにしていないのだ。驚愕の事実である。

 本当の「戦後レジーム」とは、米国の意向を受けた官報複合体の利権構造を意味する。つまり政治家から権力が剥奪されているのだ。立法府の役割は法整備と予算編成にあるわけだが完全に官僚が牛耳っている。この国では国会議員が起草する法案をわざわざ「議員立法」と呼称するほどで、可決される法案のうち20%にも満たない。

 日本をアメリカの属国にしているのは官僚とメディアだ。響堂雪乃の言葉は彼らを銃弾のように撃つ。



虐殺者コロンブス/『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編
マネーと民主主義の密接な関係/『サヨナラ!操作された「お金と民主主義」 なるほど!「マネーの構造」がよーく分かった』天野統康
マネーサプライ(マネーストック)とは/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
日本の原発はアメリカの核戦略の一環/『原発洗脳 アメリカに支配される日本の原子力』苫米地英人
資本主義経済崩壊の警鐘/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
「物質-情報当量」
汚職追求の闘士/『それでも私は腐敗と闘う』イングリッド・ベタンクール
借金人間(ホモ・デビトル)の誕生/『〈借金人間〉製造工場 “負債"の政治経済学』マウリツィオ・ラッツァラート
力の強いもの、ずる賢いものが得をする税金/『税金を払わない奴ら なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?』大村大次郎

2014-02-13

「原発稼働停止」の嘘/『原発洗脳 アメリカに支配される日本の原子力』苫米地英人


日本の原発はアメリカの核戦略の一環
・「原発稼働停止」の嘘

 しかし、実態は違います。「停止」あるいは「再稼働」という言葉に騙(だま)されてはいけません。
【日本の原発が停止したのは、「発電」だけです。】
 核燃料棒の「発熱」は続いていますし、原子炉を冷やす「冷却運転」も続いています。つまり、発送電が停止したにすぎません。
 原発というのは、「臨界」(りんかい)と呼ばれる核分裂の連鎖反応によって大きな熱を生み出して、発電をする仕組みです。
 制御棒を入れ絵、中性子の動きを止めることによって、核分裂の連鎖反応を止めることはできます。ですが、臨界は起きていなくても、ウランの燃料棒は崩壊熱を出し続けます。冷やさなければ、熱がたまりすぎて、過熱状態になることもあります。
 発熱が続いている状態を「稼働停止」の状態といえるでしょうか。

【『原発洗脳 アメリカに支配される日本の原子力』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(日本文芸社、2013年)】

 我々は日々流れてくるニュースに目を奪われ、これほど重要な事実も見失ってしまう。問題は「電気」ではなく「ウラン」なのだ。ここから目を逸らさせることが計画停電の目的であったのだろう。

 苫米地は更に「自動車のエンジンでいえば、空回りしている『アイドリング状態』」であり、「日本の原発は、単に発電を停止しただけであり、『出力ゼロ』になっているだけです」と続ける。そりゃそうだ。廃炉にする場合でも数十年かかるのだから。

 一度点(つ)けた神の火は簡単には消えない。原発を導入した政治家や東京電力にその覚悟があったとは思えない。彼らは夢と理想を語っただけだ。そして繰り返し「安全」を説き、神話のレベルにまで引き上げた。

 政治主導といえば聞えはいいが、民意が熟成するだけの時間は与えられていないし、そもそも情報公開がなされていない。政治のセンセーショナルな決断は常に国民を欺く性質を有する。

 去る東京都知事選では反原発候補二人が敗れた。だが選挙結果=民意ではいだろう。民意にはきちんとした情報開示とまともなジャーナリズムが必要不可欠だ。既に選挙は民意を問うものではなく、感情や感覚に動かされる衆愚のバロメーターと化しつつある。

 権力者は愚かな民を好む。そして愚か者同士が争い始めるのだ。

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苫米地英人

2014-02-12

日本の原発はアメリカの核戦略の一環/『原発洗脳 アメリカに支配される日本の原子力』苫米地英人


・日本の原発はアメリカの核戦略の一環
「原発稼働停止」の嘘

 なぜ、自民党は原発をやめることができないのでしょうか。
 それは、日本の原発がアメリカの核戦略の一環であることを自民党は熟知しているからです。
 第二次大戦後、アメリカは敗戦国日本を占領し、日本から徹底的に軍事力を奪う政策をとりました。そのアメリカが、何の理由もなしに、原爆製造につながりかねない原子力技術を日本に提供するはずがありません。
 日本は、アメリカの核戦略に全面的に協力することを条件に、見返りとして原子力技術を得たのです。
 アメリカとしては、日本に危険な技術を教える以上、日本を徹底的なコントロール下に置こうとするのは当然のことです。アメリカの意向を忠実に実現してくれる政党を支援し、アメリカの意向に沿った情報を流すメディアを育成しようとしました。
 その結果として、アメリカの意向に忠実な自民党が長年にわたって政権を握り続け、原発を推進してきたのです。
 また、アメリカは、電通などの広告代理店を通じて、日本の新聞・テレビの情報もコントロールしました。アメリカは、日本国民がアメリカに逆らわないように、政党支配とメディア・コントロールによって、日本国民を洗脳し続けてきたというわけです。

【『原発洗脳 アメリカに支配される日本の原子力』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(日本文芸社、2013年)】

 敗戦の事実はこれほど重いのだ。1945年(昭和20年)8月15日に敗戦。9月2日、東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリ前方甲板において降伏文書に調印。この日からサンフランシスコ講和条約(1951年9月8日調印)が発効する1952年(昭和27年)4月28日までの約7年間、日本はGHQの支配下にあった。そしてGHQの実体はアメリカを筆頭とするアングロサクソン人であった。

 占領を経て日本の何がどう変わったのか。戦後の日本は経済成長に酔う中で歴史の検証を怠ってしまった。沖縄の米軍基地問題、クロスオーナーシップ、慰安婦問題などは敗戦に根を下ろした問題であろう。

 大体、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の切実な訴えに耳を貸す政治家は当初いなかった事実を思えば、この国は国家の体(てい)を成していない。

 日本経済が発展したのはアメリカが戦争を行うたびに日本の外需が増えたからだ。決して自力で先進国入りしたわけではない。それが証拠に日本が購入した米国債やドルは自由に売ることができない。またゴールドを保有することも制限されているといわれる。いつまで経っても食料自給率が上昇しないのも同じ理由だと思われる。我が国はアメリカに急所という急所を握られているのだ。


「♪洗脳はつづくーよ、どーこまでーも」ってわけだ。東京都知事選の結果がそれを雄弁に物語っている。原発はなくならない。たとえ日本がなくなったとしても。

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テレビ局と大手新聞社は原発利権の一部/『利権の亡者を黙らせろ 日本連邦誕生論 ポスト3.11世代の新指針』苫米地英人
官僚機構による社会資本の寡占/『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃

2014-02-11

マンデラを釈放しアパルトヘイトを廃止したデクラークの正体/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン


『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス

 ・資本主義経済崩壊の警鐘
 ・人間と経済の漂白
 ・マンデラを釈放しアパルトヘイトを廃止したデクラークの正体

『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹

必読書リスト その二

 怒りに駆られ眠ることができなくなった。そして今、脱力感に覆われている。不屈の闘士ネルソン・マンデラは27年半にわたって獄につながれた(1962年8月5日、逮捕~1990年2月11日、釈放)。マンデラを釈放し、アパルトヘイトを廃止したのはデクラーク大統領だった。1993年、マンデラと共にノーベル平和賞を受賞している。1994年、マンデラ政権が発足。デクラークは副大統領として起用された。そしてデクラークはANC(アフリカ民族会議)が長年にわたって掲げてきた「自由憲章」を骨抜きにし、白人の資産を完璧に守り抜き、マンデラ大統領の手足に枷(かせ)をはめたのだ。南アフリカの希望は線香花火のようにはかないものだった。

ネルソン・マンデラ。人種差別主義を超えたアフリカの偉人

 ではなぜ偉大な大統領が誕生したにもかかわらず南アフリカの状況が変わらないのか?

南アフリカの若いチンピラたちがひとりの男を殺す一部始終(※18禁、閲覧注意)

 その答えが本書に書かれている。


 和解とは、歴史の裏面にいた人々が抑圧と自由の間の質的な違いを本当に理解したときに成立するものです。彼らにとって自由とは、清潔な水が十分あり、電気がいつでも使え、まともな家に住み、きちんとした職業に就き、子どもに教育を受けさせ、必要なときに医療を受けられることを意味します。言い換えれば、これらの人々の生活の質が改善されなければ、政権が移行する意味などどこにもないし、投票する意味もまったくないのです。
   ――デズモンド・ツツ大主教(南アフリカ真実和解委員会委員長、2001年)

【『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン:幾島幸子〈いくしま・さちこ〉、村上由見子訳(岩波書店、2011年)以下同】

 多くの黒人が望んだのはたったそれだけのことだった。最低限の人間らしい暮らしといってよい。ANCは1955年、5万人のボランティアを各地へ派遣し、「自由への要望」を集めた。ここから「自由憲章」が起草された。そこにはアパルトヘイトで奪われた富の再分配が高らかに謳われていた。ANC政権は権力を手に入れた代わりに経済政策を譲った。デクラークは白人保護の網を巧妙に張り巡らせ、マンデラは国際舞台へ登場するたびにワシントン・コンセンサスを頭に叩き込まれ、南アフリカはマーケットの動きに翻弄された。


 新政権発足後の数年間、マンデラ政権の経済顧問を務めたパトリック・ボンドは、当時、政府内でこんな皮肉が飛び交ったと言う――「政権は取ったのに、権力はどこへ行ってしまったんだ?」。新政権が自由憲章に込められた夢を具体化しようとしたとき、それを行なうための権限は別のところにあることが明らかになっったのだ。
 土地の再分配は不可能になった。交渉の最終段階で、新憲法にすべての私有財産を保護する条項が付け加えられることになったため、土地改革は事実上不可能になってしまったのだ。何百万もの失業者のために職を創出することもできない。ANCが世界貿易機関(WHO)の前身であるGATTに加盟したため、自動車工場や繊維工場に助成金を出すことは違法になったからである。AIDS(エイズ)が恐ろしいほどの勢いで広がっているタウンシップに、無料のAIDS治療薬を提供することもできない。GATTの延長としてANCが国民の議論なしに加盟した、WTOの知的財産権保護に関する規定に反するためだ。貧困層のためにもっと広い住宅を数多く建設し、黒人居住区に無料で電気を提供することも不可能。アパルトヘイト時代からひそかに引き継がれた巨大な債務の返済のため、予算にそんな余裕はないのだ。紙幣の増刷も、中央銀行総裁がアパルトヘイト時代と同じである以上、許可するわけはない。すべての人に無料で水道水を提供することも、できそうにない。国内の経済学者や研究者、教官など「知識バンク」を自称する人々を大量に味方につけた世銀が、民間部門との提携を公共サービスの基準にしているからだ。無謀な投機を防止するために通過統制を行なうことも、IMFから8億5000万ドルの融資(都合よく選挙の直前に承認された)を受けるための条件に違反するので無理。同様に、アパルトヘイト時代の所得格差を緩和するために最低賃金を引き上げることも、IMFとの取り決めに「賃金抑制」があるからできない。これらの約束を無視することなど、もってのほかだ。取り決めを守らなければ信用できない危険な国とみなされ、「改革」への熱意が不足し、「ルールに基づく制度」が欠けていると受け取られてしまう。そしてもし、これらのことが実行されれば通貨は暴落し、援助はカットされ、資本は逃避する。ひとことで言えば、南アは自由であると同時に束縛されていた。一般の人々には理解しがたいこれらのアルファベットの頭文字を並べた専門用語のひとつひとつが網を構成する糸となり、新政権の手足をがんじがらめに縛っていたのだ。
 長年にわたる反アパルトヘイト逃走の活動家ラスール・スナイマンは、こう言い切る。「彼らはわれわれを自由にはしなかった。首の周りから鎖を外しただけで、今度はその鎖を足に巻いたのです」。


 目に見えない経済という名の牢獄だ。米英を筆頭とする世界はかくも残酷だ。ハゲタカファンドではなく、ハゲタカが世界を支配しているのだ。貿易によって国家は栄え、そして今度は貿易に依存せざるを得なくなる。アメリカは軍需・金融・メディア・穀物、カルチャー、そして学問の大国である。更にアメリカの購買力が世界経済を支えている。第二次大戦後の国際的な枠組みは殆どがアメリカ主導で形成されてきた。既にIMFもシカゴ・ボーイズが自由に踊る舞台となった。

 それでも政権に就いて最初の2年間、ANCは限られた資産を用いて富の再分配という約束を実行しようと努めた。立て続けに公共投資が行なわれ、貧困層向けの住宅10万戸以上が建設され、数百万世帯に水道、電気、電話が引かれた。だがご多分に漏れず債務に圧迫され、公共サービスの民営化を求める国際的圧力がかかるなか、政府はやがて価格を上昇させ始める。ANC政権発足から10年経った頃には、料金を払うことのできない何百万もの人々が、せっかく引かれた水道や電気を利用できなくなった。2003年には、新しい電話線のうち少なくとも40%が使用されていなかった。マンデラが国営化すると約束した「銀行、鉱山および独占企業」も、依然として白人所有の4大コングロマリットに所有されたままであり、これらのコングロマリットはヨハネスブルク証券取引所上場企業の80%を支配していた。2005年には、同証券取引所上場企業のうち黒人が所有するものはたった4%にすぎなかった。2006年には、いまだに南アの土地の7割が人口の1割にすぎない白人によって独占されていた。悲惨きわまりないのは、ANC政権が500万人にも上るHIV感染者の生命を救うための薬を手に入れるより、問題の深刻さを否定するほうにはるかに多大な時間を費やしてきたことだ(2007年初めの時点では、いくらか前進の兆しが見られるが)。もっとも顕著にこのことを物語るのは、おそらく次の数字だろう。マンデラが釈放された1990年以降、南ア国民の平均寿命はじつに13年も短くなっているのだ。

 後にマンデラの後継となるムベキは公の場で言った。「私をサッチャー主義者と呼んでください」と。ANCは玉手箱を開けてしまった。革命の夢が実現した直後に志は崩れ去った。現実は変わらないどころか悪くなる一方だった。

 本書で次から次へと繰り出される衝撃の事実に感情が追いつかない。本物の事実は所感を拒絶する。我々はただありのままにそれを見つめる他ない。


 そのうえ、債務が具体的に何に使われている金なのかという問題がある。体制移行の交渉の際、デクラーク大統領側はすべての公務員に移行後も職を保障すること、退職を希望する者については多額の生涯年金を支給することを要求した。これは社会的なセーフティーネットと呼ぶべきものが存在しない国においては、まさに法外な要求だったにもかかわらず、ANCはこの要求をはじめとするいくつかの要求を「専門的」問題としてデクラーク側に委ねてしまったのだ。この譲歩によって、ANCは自らの政府と、すでに退職した影の白人政府という二つの政府のコストを負うことになり、これが膨大な国内債務としてのしかかっている。南アの年間の債務支払のじつに40%は、この大規模な年金基金に振り向けられ、年金受給者の大多数は、かつてのアパルトヘイト政権の政府職員で占められているのである。
 最終的に南アには、主客が逆転したねじれた状況が生じることになった。つまりアパルトヘイト時代に黒人労働者を使って膨大な利益を得た白人企業は【びた】一文賠償金を支払わず、アパルトヘイトの犠牲者の側が、かつての加害者に対して多額の支払いをし続けるという構図である。しかもこの多額の金額を調達するのに取られたのは、民営化によって国家の財産を奪うという方法だった。それはANCが交渉に同意するにあたって、隣国モザンビーク独立の際に起きたことをくり返さないために断固として回避しようとした「略奪」の現代版にほかならなかった。もっともモザンビークでは、旧宗主国の政府職員が機械類を破壊し、ポケットに詰められるだけのものを詰めて去って行ったのに対し、南アでは国家の解体と資産の略奪が今日に至るまで続いているのだ。

 マンデラの苦衷を思う。獄舎から放たれた後の方が苦しい人生だったのではあるまいか。

 昨夜から今朝にかけて私は密かに復讐を誓った。もちろん蟷螂の斧であることは自覚している。蟷螂の小野と呼んでくれ給え。寒い朝が白々と明けるなかで今日が2月11日であることに気づいた。24年前にマンデラが釈放された日だ。悲惨を生き続けるアフリカに太陽が昇る気配はまだない。地獄は続くことだろう。だが永遠に続く地獄は存在しない。マンデラの夢がかなうのはいつの日か。そして実現させるのは誰か。

2014-02-09

人間と経済の漂白/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン


『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス

 ・資本主義経済崩壊の警鐘
 ・人間と経済の漂白
 ・マンデラを釈放しアパルトヘイトを廃止したデクラークの正体

『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹

必読書リスト その二

 フリードマンはキャメロンと同様、「生まれながらの」健康状態に戻すことを夢のように思い描き、それを使命としていた。人間の介入が歪曲的なパターンを作り出す以前の、あらゆるものが調和した状態への回帰である。キャメロンは人間の精神をそうした原始的状態に戻すことを理想としたのに対し、フリードマンは社会を「デパターニング」(※パターン崩し)し、政府規制や貿易障壁、既得権などのあらゆる介入を取り払って、純粋な資本主義の状態に戻すことを理想とした。またフリードマンはキャメロンと同様、経済が著しく歪んだ状態にある場合、それを「堕落以前」の状態に戻すことのできる唯一の道は、意図的に激しいショックを与えることだと考えていた。そうした歪みや悪しきパターンは「荒療治」によってのみ除去できるというのだ。キャメロンがショックを与えるのに電気を使ったのに対し、フリードマンが用いた手段は政策だった。彼は苦境にある国の政治家に、政策という名のショック療法を行なうよう駆り立てた。だがキャメロンとは違って、フリードマンが抹消と創造という彼の夢を現実世界で実行に移す機会を得るまでには、20年の歳月といくつかの歴史の変転を要した。

【『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン:幾島幸子〈いくしま・さちこ〉、村上由見子訳(岩波書店、2011年)】

 ドナルド・ユーイン・キャメロンとミルトン・フリードマンに共通するのは「漂白」という概念だろう。人間も経済も真っ白にできるというのだ。そのためには洗濯機でグルグル回す必要があるわけだが。

 彼らが説く「ショック療法」は神の怒りに由来しているような気がする。なぜなら自分を神と同じ位置に置かなければ、そのような発想は生まれ得ないからだ。彼らは裁く。誤った人間と誤った経済を。そして鉄槌のように下されたショックは部分的な成功と多くの破壊を生み出す。

 人間をコントロール可能な対象とする眼差しを仏典では他化自在天(たけじざいてん)と説く。「他人を化する」ところに権力の本性があるのだ。親は子を、教師は生徒を、政治家は国民を操ろうとする。広告媒体と化したメディアが消費者の欲望をコントロールするのと一緒だ。マーケティング、教育、布教……。

 ミルトン・フリードマンはニクソン政権でチャンスをつかみ、レーガン政権で花を咲かせた。この間、シカゴ学派による壮大な実験が激しく揺れる南米各国で繰り広げられる。CIAの破壊工作と歩調を揃えながら。

 自由の国アメリカは他国を侵略し、彼らが説く自由を強制する。その苛烈さはスターリン時代のソ連を彷彿とさせる激しさで、オーウェルが描いた『一九八四年』の世界と酷似している。

 社会の閉塞感が高まると政治家はショック・ドクトリンを求める。新自由主義は津波となって我々に襲いかかり、瓦礫(がれき)だらけの世界を創造することだろう。

2014-02-07

資本主義経済崩壊の警鐘/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン


『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス

 ・資本主義経済崩壊の警鐘
 ・人間と経済の漂白
 ・マンデラを釈放しアパルトヘイトを廃止したデクラークの正体

『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹

必読書リスト その二

 禁を破り、まだ読み終えていない作品を紹介しよう。第二次大戦後、アメリカが世界で何を行ってきたのかが理解できる。情報の圧縮度が高いにもかかわらず読みやすいという稀有な書籍。2冊で5000円は安い買い物だ。

 少なからぬ人々が中野剛志〈なかの・たけし〉の紹介で本書を知り、翻訳を心待ちにしていたことだろう。


【5分7秒から】

 ナオミ・クラインについては『ブランドなんか、いらない』を挫折していたので不安を覚えた。それは杞憂(きゆう)に過ぎなかった。

 書評の禁句を使わせてもらおう。「とにかく凄い」。序章と第一部「ふたりのショック博士」だけで普通の本1冊分以上の価値がある。CIAMKウルトラ計画で知られるドナルド・ユーイン・キャメロン(スコットランド生まれのアメリカ人でカナダ・マギル大学付属アラン研究所所長。後に世界精神医学会の初代議長〈※本書ではユーイン・キャメロンと表記されている。なぜドナルド・キャメロンでないのかは不明〉)と、マネタリズムの父にしてシカゴ学派の教祖ミルトン・フリードマンがどれほど似通っているかを検証し、同じ種類の権威であることを証明している。

ジェシー・ベンチュラの陰謀論~MKウルトラ

 枕としては巧妙すぎて私は首を傾(かし)げた。だが南米の国々を破壊してきたアメリカの謀略を読んで得心がいった。

 壊滅的な出来事が発生した直後、災害処理をまたとない市場チャンスと捉え、公共領域にいっせいに群がるこのような襲撃的行為を、私は「惨事便乗型資本主義」(ディザスター・キャピタリズム)と呼ぶことにした。

【『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン:幾島幸子〈いくしま・さちこ〉、村上由見子訳(岩波書店、2011年)以下同】

 フリードマンはその熱心な追随者たちとともに、過去30年以上にわたってこうした戦略を練り上げてきた。つまり、深刻な危機が到来するのを待ち受けては、市民がまだそのショック状態にたじろいでいる間に公共の管轄事業をこまぎれに分割して民間に売り渡し、「改革」を一気に定着させてしまおうという戦略だ。
 フリードマンはきわめて大きな影響力を及ぼした論文のひとつで、今日の資本主義の主流となったいかがわしい手法について、明確に述べている。私はそれを「ショック・ドクトリン」、すなわち衝撃的出来事を巧妙に利用する政策だと理解するに至った。

 ショック・ドクトリンというレンズを通すと、過去35年間の世界の動きもまるで違って見えてくる。この間に世界各地で起きた数々の忌まわしい人権侵害は、とかく非民主的政権による残虐行為だと片づけられてきたが、じつのところその裏には、自由市場の過激な「改革」を導入する環境を考えるために一般大衆を恐怖に陥れようとする巧妙な意図が隠されていた。1970年代、アルゼンチンの軍事政権下では3万人が「行方不明」となったが、そのほとんどが国内のシカゴ学派の経済強行策に版愛する主要勢力の左翼活動家だった。

 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の目的も「アメリカのための市場開放」であることは間違いない。しかもフリードマン一派が常に待望している惨事(東日本大震災)がこれ以上はないというタイミングで発生した。あとは枠組みを作って根こそぎ奪うだけのことだ。

 利権が民主主義を脅かしている。政治は経済に侵略され、思想よりも損得で動くようになってしまった。既に巨大な多国籍企業は国家を超える力をもつ。富は均衡を失い富裕層へと流れ、先進国では貧困化が拡大している。このまま進めば庶民は確実に殺される。

 本書のどのページを開いても資本主義経済崩壊の警鐘が鳴り響いてくる。

 私も以前からミルトン・フリードマンに嫌悪感を覚えていたが、そんな彼でさえクリシュナムルティを称賛していたことを付記しておく。(ミルトン・フリードマンによるクリシュナムルティの記事




資本主義の問題に真っ向から挑むマイケル・ムーアの新作 『キャピタリズム~マネーは踊る』(前編)
資本主義の問題に真っ向から挑むマイケル・ムーアの新作 『キャピタリズム~マネーは踊る』(後編)

キャピタリズム~マネーは踊る プレミアム・エディション [DVD]

『禁じられた歌 ビクトル・ハラはなぜ死んだか』八木啓代
環境帝国主義の本家アメリカは国内法で外国を制裁する/『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人
モンサント社が開発するターミネーター技術/『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子
『ザ・コーポレーション(The Corporation)日本語字幕版』
帝国主義大国を目指すロシア/『暴走する国家 恐慌化する世界 迫り来る新統制経済体制(ネオ・コーポラティズム)の罠』副島隆彦、佐藤優
パレートの法則/『新版 人生を変える80対20の法則』リチャード・コッチ
アメリカ礼賛のプロパガンダ本/『犬の力』ドン・ウィンズロウ
官僚機構による社会資本の寡占/『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃
グローバリズムの目的は脱領土的な覇権の確立/『超マクロ展望 世界経済の真実』水野和夫、萱野稔人
シオニズムと民族主義/『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』高橋和夫
汚職追求の闘士/『それでも私は腐敗と闘う』イングリッド・ベタンクール
ネイサン・ロスチャイルドの逆売りとワーテルローの戦い/『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』宋鴻兵
TPPの実質は企業による世界統治
近代において自由貿易で繁栄した国家など存在しない/『略奪者のロジック 支配を構造化する210の言葉たち』響堂雪乃
ヨーロッパの拡張主義・膨張運動/『続 ものぐさ精神分析』岸田秀
新自由主義に異を唱えた男/『自動車の社会的費用』宇沢弘文
フリーメイソンの「友愛」は「同志愛」の意/『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘
「我々は意識を持つ自動人形である」/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
ヒロシマとナガサキの報復を恐れるアメリカ/『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎

2014-02-05

黒人奴隷の生と死/『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要


『奴隷船の世界史』布留川正博
『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス

 ・黒人奴隷の生と死

『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

キリスト教を知るための書籍

黒い怒り』(※W・H・グリアー、P・M・コッブズ:太田憲男訳、未來社、1973年)をもう一度引用してみよう。
「アメリカは、黒人は劣等であり、雑草刈りと水汲みのために生まれているとの仮説を身につけた生活様式、アメリカは民族精神、あるいは国民生活様式を築き上げたのである。この国土への新移民(もし白人ならば)はただちに歓迎され、豊富に与えられるもののなかには、彼らが優越感をもって対処することのできる黒人がある、というわけである。彼らは黒人を嫌い、けなし、また虐待し、搾取するように求められたのである。ヨーロッパ人にとって、この国が何と気前よく見えたであろうかは容易に想像し得るのである。即ち、罪を身代りに負う者がすでに備えつけられている国であったのである」
 この点まで理解できれば、われわれはもう一歩先へ進まなければならない。奴隷制度がそのように白人にも黒人にも、その後長い傷を与え続けている以上、奴隷制度そのものを、もっと実態に即して理解しなければならないだろう。それも、奴隷制度の存続をめぐる政治的対立とか、奴隷制度の経済的効用とかいったものではもちろんない。一個の人間が奴隷制度のなかで生まれ、奴隷として働かされ、まだ奴隷制度が全盛だった頃に死んでいったことの意味を、もっと理解しなければいけなのである。

【『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要〈さるや・かなめ〉(河出書房新社、1975年『生活の世界歴史 9 新大陸に生きる』/河出文庫、1992年)以下同】

 岸田秀が紹介していた一冊。『ものぐさ精神分析』か『続 ものぐさ精神分析』か『歴史を精神分析する』のどれかだったと思う。岸田の唯幻論は不思議なもので若くて純粋な時に読むと反発をしたくなるが、複雑な中年期だとストンと腑に落ちる。

 近代史の鍵を握るのは金融とアメリカ建国である。これが私の持論だ。

何が魔女狩りを終わらせたのか?

 特に第二次世界大戦以降の世界を理解するためにはアメリカの成り立ちを知る必要がある。稀釈されてはいるがキリスト教→プロテスタンティズム→プラグマティズムが先進国ルールといってよい。そしてアメリカはサブプライムショック(2007年)とリーマンショック(2008年)で深刻なダメージを受け、9.11テロ以降、以前にも増して暴力的な本性を世界中で露呈している。

 アメリカはインディアンから奪い、そして殺し、黒人の労働力で成り立った国だ。彼らが正義を声高に叫ぶのは歴史の後ろめたさを払拭するためである。彼らの論理によればアメリカの残虐非道はすべて正義の名のもとに正当化し得る。もちろん広島・長崎への原爆投下についても。それが証拠にアメリカは日本の被爆者に対して一度たりとも謝罪をしていない。

 奴隷制度は何も合衆国だけの占有物ではない、という反論もあるだろう。たしかに中南米のたいていの国にそれはあったし、ヨーロッパ諸国の多くも無関係ではなかった。しかし国内の奴隷所有勢力が奴隷を開放しようとする勢力と国論を二分して対立し、足かけ5年、両方あわせて60万人の人命を犠牲にするような大戦争に突入した国は、世界のなかでただアメリカ合衆国あるのみである。

南北戦争
南北戦争の原因
アメリカ合衆国の奴隷制度の歴史

 リンカーン自身が奴隷解放者であったわけではない。リンカーンはイギリスの南部支援を防ぐ目的で奴隷制度廃止を訴えたのだ。単なる政治カードであったことは、その後も黒人差別が続いた事実から明らかであろう。有名無実だ。また具体的には黒人を北部の兵隊とする目論見もあった。

 インディアンを虐殺し、黒人をリンチして木に吊るし、そして自国民同士が殺戮(さつりく)を行うことでアメリカはアメリカとなった。アメリカの暴虐はナチスの比ではない。

アメリカ合衆国の戦争犯罪

 次はどの国の人々が殺されるのだろうか? それが有色人種であることだけは確かだろう。


2014-02-02

ベトナム戦争とサンドクリークの虐殺/『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂


ソンミ村虐殺事件
・ベトナム戦争とサンドクリークの虐殺

 長いテキストであるがどうか慎重に読んでいただきたい。区切ろうと思ったが、やはりそのまま紹介した方がいいと判断した。

 ボディ・カウントという言葉がある。殺したベトナム人の数である。米軍の戦果を示す統計的数字である。ある者は、ヘリコプターの胴体に、ベトナム人の帽子をあらわす三角の長い列を、ていねいに書込んで行く。ある者は、ジープのラジオ・アンテナに、切取った耳を、多数串ざしにする。ある人間集団を、虫けらのように殺戮し得るためには、まずその人間達が、虫けらでしかないことを自らに説得する必要があろう。米兵達は、嫌悪と侮蔑をこめて「よいグーク(ベトナム人)は死んだ奴だけ」(Only good gook is a dead one)という。アメリカのインディアン達は、この言葉が Only good Indian is a dead one という、シェリダン将軍の言葉に、遠く呼応することを、苦渋の中で確認する。彼等もかつて「虫けら」であった。そして、現在、彼等が、もはや虫けらとは見なされていないという確証はない。
 1864年11月、ブラック・ケトルと、ホワイト・アンテロープに率いられた約700人のシャイエン・インディアンの集団は講和の意図をもって、コロラドのフォート・リオンにおもむいたが、フォートの白人達は、シャイエンの接近を嫌い、その北40マイルのサンド・クリークの河床で沙汰を待つことを示唆した。ブラック・ケトルは、そのキャンプが、白人に対して、敵意を持たぬことを示すために、自分のテントのまえに大きなアメリカ国旗をかかげ、人々には、白人側からの攻撃のおそれのないことを説いた。これが、二人の指導者の状況判断であった。
 そのインディアンのキャンプに対して、11月29日払暁、シビングトン大佐の指揮する約750の米兵が突如としておそいかかり、老若男女を問わず、殺りくした。攻撃を前に、シビングトンは、「大きな奴も小さいのも全部殺して、スカルプせよ。シラミの卵はシラミになるからな(Nits make lices)」と将兵に告げた。ここで、スカルプとは、動詞としては、頭髪のついた頭皮の一部をはぎ取ることを意味し、名詞としてはボディ・カウント用の軽便確実な証拠としてのその頭皮、あるいはスラング的には、戦勝記念品一般を意味する。インディアン討伐に初参加の若い兵士達も多く、彼等にとって、後日の武勇談のトロフィーが必要でもあったろう。兵士達は、その指揮官の期待をはるかに上まわる、異常な熱狂をもってインディアンにおそいかかったのであった。
 しかし、インディアンの抵抗もまた熾烈をきわめた。全く絶望的な状況のもとで、彼等は鬼神のごとく反撃した。ホワイト・アンテロープは、直ちに自己の状況判断が甘すぎたことを覚ったが、武器をとることを否み、撤退のすすめに応ぜず、傲然と腕を組んで、松の木のように立ちつくし、朗々と「死の歌」を歌いつづけた。「悠久の大地山岳にあらざれば、ものなべてやがて死す」一発の銃弾が、老酋長の魂を大空の極みへ送った。抵抗は、払暁から夕刻にまでおよんだ。その終焉をたしかめてから、兵士達は、トロフィーを求めて、累々たるインディアンの死体に殺到した。ホワイト・アンテロープのなきがらを、彼等はあらそって切りきざんだ。スカルプはもちろん、耳、鼻、指も切りとられた。睾丸部を切りとった兵士は、煙草入れにするのだと叫んだ。それらの行為は女、子供にもおよんだ。女陰を切りとって帽子につける者もいた。乳房をボールのように投げ合う兵士もいた。大人達の死体の山からはい出た3歳くらいの童子は、たちまち射撃の腕前をきそう、好個の標的とは(ママ)なった。シビングトンは、その赫々たる戦果を誇らかに報告した。「今早朝、わが部隊は、戦闘員900ないし1000を含むシャイエン族の一群を攻撃し、その400ないし500をせんめつした」実際の死者総数は遂に確立されることがなかった。もっとも確かと思われる推定によれば、キャンプにあったインディアンの総数は約700、そのうち200人が戦闘員たり得る男子であり、他は老人、婦女子、幼児であった。その6~7割が惨殺されたのである。デンバー市民は、兵士達を英雄として歓呼のうちにむかえ、兵士達はそれぞれに持ちかえったトロフィーを誇示した。
 サンド・クリークの惨劇の再現を、我我(ママ)は、1969年製作の映画『ソルジャー・ブルー』に見ることが出来る。もし、記述の信ぴょう性をたしかめたければ、700ページにのぼる、米国議会の同事件調査報告書をひもとくこともできる。

【『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂(朝日選書、1974年)】

 鍵括弧の後に句点がないのもそのままとした。ボディ・カウントとのキーワードで鮮やかにベトナム戦争とインディアン虐殺をつなげている。どうやらこの文章の構成そのものが『ソルジャー・ブルー』に準じているようだ。

映画『ソルジャー・ブルー』を歴史する : 『私の歴史夜話』


『ソルジャー・ブルー』(Soldier Blue)は、『野のユリ』で知られるラルフ・ネルソン監督の1970年公開の映画。同年12月に公開された『小さな巨人』とともに、西部劇の転換点に位置する作品である。米国史の暗部を提示することで、1960年代のベトナム戦争でのソンミ村事件へのアンチテーゼを掲げた映画だとも云われている。また、これ以降ネイティブ・アメリカンを単純な悪役として表現することがなくなった。

Wikipedia

 以下のページも参照せよ。

ソルジャー・ブルー①サンドクリークの大虐殺の史実 - 西部劇が好き!!ジョン・ウェイン 私のヒーローインディアン書庫
モルモン教/教義への疑問点/その3/迫害の一部

 ベトナム戦争で定着した「ボディカウント」(死者数)という言葉も、こうした数値への盲信を如実に反映するものである。

文化は変えられるのか? - Civic Experience

 私は本書を再び手に取った。どうしても読まざるを得なくなった。藤永茂は量子化学を専攻する物理化学者だ。彼はなぜインディアンについて書いたのか。書かずにいられなかった理由を私は知りたい。


(ブラック・ケトル)

「2014年はサンドクリーク虐殺の150周年」(ノースウェスタン大学、創設者のサンドクリーク虐殺への関わりを調査/アイヌ遺骨調査 - AINU POLICY WATCH)であった。私は死後の存在を否定する立場であるが、シャイアン族の怨念が吹き荒れることを切に願うものである。


(サンドクリーク/画像クリックで拡大)

 メイフラワー号でアメリカへと渡ったピルグリム・ファーザーズたちが示したのは、信教の自由を求める情熱がいとも簡単に暴力へと相転移する事実であった。元々宗教という宗教は常識や社会通念を破壊する力を秘めている。

 アメリカインディアンの社会は、完全合議制民主主義であり、「首長」や「族長」のような権力者は存在しない。白人が「指導者」だと思っている「酋長」(チーフ)は、実際には「調停者」であって、「部族を率いる」ような権限は持っていない。インディアンは「大いなる神秘」のもと、すべてを「聖なるパイプ」とともに合議で決定するのであって、個人の意思で部族が方針を決定するというような社会システムではない。

 しかし白人たちは、インディアンとの条約交渉の際に、「酋長」を「代表」、「指導者」だと勘違いして、彼らと盟約することによって全部族員を従わせようとした。

Wikipedia

『ヒトデはクモよりなぜ強い 21世紀はリーダーなき組織が勝つ』オリ・ブラフマン、ロッド・A・ベックストローム

 インディアンは平和でかつ民主的であった。だから殺されたのだ。ここに救い難い人間の矛盾が存在する。自然の摂理は適者生存である。獰猛(どうもう)で狡猾な種ほど生存率が高まる。アメリカを封じ込めるほどの知恵者が現れない限り、我々の世界が救われることはないだろう。

アメリカ・インディアン悲史 (朝日選書 21)
藤永 茂
朝日新聞出版
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2014-02-01

ソンミ村虐殺事件/『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂


・ソンミ村虐殺事件
ベトナム戦争とサンドクリークの虐殺

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

 美しい朝であった。1968年3月16日午前8時、南ベトナム、ソンミの小村落に近い稲田に着陸した、一群のヘリコプターからおり立った約80人の米軍兵士は、何らの抵抗も受けることなく村落に入り、その総人口700人ほどのうち、450人を虐殺した。すべては老人、婦女子、幼児であり、若い男はほとんど見当(ママ)なかった。捕獲した火器は小銃3挺であった。
 カリー中尉ひきいる最初の2小隊が村落の南部の小さい広場に入って行ったとき、村落の間にまだパニックの気配はなかった。朝餉の時であり、家の前に火をしつらえてその用意をしている家庭がいくらも見えた。数十人の村民たちは、何の抵抗も示さず、米兵の強いるままに広場に集ったが、やがて米兵が無造作にM16ライフル銃弾を打ちこみはじめると、女たちはむなしくも、子供たちを身でかばいつつ「ノー・ベトコン、ノー・ベトコン」と叫びながら、くずおれて死んで行った。他の一群は、灌漑用の溝の中に追い集められ、銃撃を浴びた。あるいは、村はずれのたんぼ道で折り重なって死んで行った。米兵のある者は、家の中の人々に、外からたっぷり銃撃を浴びせ、そのあと家屋に火を放った。牛を殺し、つみ上った死体の下にうずもれて、たまたま死をまぬがれる者もいた。一人の女が、死体の山の中から、まだ生きている赤ん坊を掘り出しているのを見つけた米兵の一人は、まず女を銃殺し、次に赤ん坊を殺した。至近距離からの銃弾は、その女の背が空中に飛び散るほどに強力であった。また、他の米兵は、弟と思われる子供をかばいつつ逃げようとする少年を、あぜ道にとらえ、腕前もたしかに射殺した。少年をたおれつつも、なお弟をかばう風にして死んだ。これらの事実を、我我は参加者の直接の証言によって知る。従軍カメラマンによる多数のカラー写真の中に少年の高貴な死を見ることもできる。

【『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂(朝日選書、1974年)以下同】

 入力しながら胸が悪くなった。ソンミ村虐殺事件である。「少年の高貴な死」は英語版のWikipediaに掲載されている(3枚目)。

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 インディアンを虐殺したアメリカ人のDNAは確かに受け継がれているのだろう。狩猟というよりは金魚すくいも同然だ。ひょっとすると面白半分にやったのかもしれない。彼らはこれを「南ベトナム解放民族戦線のゲリラ部隊との戦い」と偽って報告した。死人に口なしというわけだ。しかしアメリカにはまだジャーナリズムが生き残っていた。

 こんなことは米兵からすれば朝飯前だ。彼らの残虐さには限度がない。

米兵は拷問、惨殺、虐殺の限りを尽くした/『人間の崩壊 ベトナム米兵の証言』マーク・レーン

 かような国が世界の保安官として君臨しているのだから平和になるわけがない。もしも私が米兵であったなら、迷うことなく祖国に対して自爆テロを行う。アメリカはいつの日か必ず滅びゆくことだろう。インディアンを虐殺した時点で国家の命運は決している。

 しかし、ソンミは、アメリカの歴史における、孤立した特異点では決してない。動かし難い伝統の延長線上にそれはある。



ソ連によるアフガニスタン侵攻の現実/『国家の崩壊』佐藤優、宮崎学
残酷極まりないキリスト教/『宗教は必要か』バートランド・ラッセル

2014-01-30

ラス・カサスとフランシスコ・デ・ビトリア(サラマンカ大学の神学部教授)/『大航海時代における異文化理解と他者認識 スペイン語文書を読む』染田秀藤


 インディアスに滞在した経験のない学級の徒ビトリアは、征服者フランシスコ・ピサロがアンデス山中の高原都市カハマルカで策を弄してインカ王アタワルパを捕らえ、大勢のインディオを殺戮したことや、約束どおり身代金として莫大な量の金・銀財宝を差し出したアタワルパを絞首刑に処したことを知って、ペルー征服の正当性に疑義を表明し、1539年1月にサラマンカ大学で『インディオについて』と題する特別講義を行った。ビトリアはその講義で、征服戦争の実態に関する情報を頼りに、トマス・アキナス(ママ)の理論に依拠して、ローマ教皇アレキサンデ6世の「贈与大教書」をスペイン国王によるインディアス支配を正当化する権原とみなす公式見解に異議を唱えたばかりか、当時主張されていたそれ以外の正当な権原(皇帝による譲与、先占権、自然法に背馳するインディオの罪など)をことごとく否定した。しかし、彼はそれにとどまらず、独自の「万民法理論」をもとに、新しくスペイン人による征服戦争を正当化する七つないし八つの権原を導いた。さらに、ビトリアは征服戦争の行き過ぎを防ぐために、同年6月、場所も同じサラマンカ大学で『戦争の法について』という特別講義を行った。

【『大航海時代における異文化理解と他者認識 スペイン語文書を読む』染田秀藤〈そめだ・ひでふじ〉(渓水社、1995年)以下同】

 本書によればフランシスコ・デ・ビトリアは後に「国際法の父」と謳われる人物だ。戦争とは人間の残虐さを解放する舞台装置である。殺し合いが目的なのだから、非道な残虐行為が必ず行われる。何をしようが相手を殺せばわからない。味方の国であっても信用ならない。

「解放者」米兵、ノルマンディー住民にとっては「女性に飢えた荒くれ者」

 ノルマンディー上陸作戦は1944年のこと。インディアン虐殺はその400年前である。人類史の大半は残酷というペンキで塗られている。

 ラス・カサスは「1502年に植民者としてエスパニョーラ島に渡航(中略)1514年にエンコメンデロの地位を放棄してインディオ養護の運動に身を捧げてから修道請願をたててドミニコ会士になるまで(1522年)、二度にわたってスペインへ帰国し、当局にインディアスの実情を訴え、その改善策を献じた。

 そのラス・カサスが1540年に帰国した(8度目の航海)。この時の報告内容が1522年に発表された『インディアスの破壊についての簡潔な報告』の母胎となった。

ラス・カサスの立ち位置/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス

 不思議な時の符合である。閉ざされたキリスト世界から開かれた人間が登場したのだ。二人の存在はどのような環境に置かれようとも人間は自由になれることを教えてくれる。そして彼らが殺されなかった事実が歴史の潮目が変わったことを伝える。

 モトリニーアはスペイン人植民者の虐待からインディオを保護することに尽くしたが、征服戦争の犠牲となったインディオの死を「邪教を信じたことに対する神罰」と解釈し、むしろインディオが日々改宗していく様子に感激して、常に改宗者の数を誇らしげに記し、新しいキリスト教世界の建設に大きな期待を表明した。しかし、常にキリスト教化の名のもとにインディオが死に追いやられた事実の意味を問いつづけるラス・カサスはそのような歴史認識を抱くことができなかった。

 これが「普通の宗教的態度」であろう。信仰とは教団ヒエラルキーに額(ぬか)づいてひたすら万歳を叫ぶ行為だ。教団はサブカルチャー装置である。社会通念とは別の価値観を提供し、下位構造の中で競争原理を打ち立てる。更に教団内部でサブカルチャーを形成することで、信者に存在価値・役割・使命・生き甲斐を与えるのだ。資本無用のギブ・アンド・テイク。しかも黙っていてもお布施が入ってくるシステムだ。ああ、教祖になっておけばよかった。

目指せ“明るい教祖ライフ”!/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世

 罰(ばつ)や罰(ばち)を持ちだして人間の罪悪感に訴える宗教には要注意。「自分こそ正しい」と思い込んでいる彼らにこそ天罰が下されるべきだ。

 ラス・カサスとビトリアの言葉が世界を変えたかどうかはわからない。ただ私を変えたことは確かだ。