2018-12-29

義を見てせざるは勇なきなり/『武士道』新渡戸稲造:矢内原忠雄訳


『国家の品格』藤原正彦
・『名著講義』藤原正彦
・『日本人の矜持 九人との対話』藤原正彦

 ・義を見てせざるは勇なきなり

『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』ノエル・ペリン

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 義は武士の掟(おきて)中最も厳格なる教訓である。武士にとりて卑劣なる行動、曲りたる振舞いほど忌むべきものはない。義の観念は誤謬であるかも知れない――狭隘(きょうあい)であるかも知れない。或る著名の武士〔林子平〕はこれを定義して決断力となした。曰く、「義は勇の相手にて裁断の心なり。道理に任せて決心して猶予(ゆうよ)せざる心をいうなり。死すべき場所に死し、討つべき場合に討つことなり」と。また或る者〔真木和泉(いずみ)〕は次のごとく述べている、「節義は例えていわば人の体に骨あるがごとし。骨なければ首も正しく上にあることを得ず。手も動くを得ず。足も立つを得ず。されば人は才能ありとても、学問ありとても、節義なければ世に立つことを得ず。節義あれば、不骨不調法にても、士たるだけのこと欠かぬなり」と。孟子は「仁は人の心なり。義は人の路なり」と言い、かつ嘆じて曰く「その路を舎(す)てて由らず、その心を放って求むるを知らず」と。彼に後(おく)るること三百年、国を異にしていでたる一人の大教師〔キリスト〕が、我は失(う)せし者の見いださざるべき義の道なりと言いし比喩の面影を、「鏡をもて見るごとく朧(おぼろ)」ながらここに認めうるではないか。私は論点から脱線したが、要するに孟子によれば、義は人が喪(うしな)われたる楽園を回復するために歩むべき直(なお)くかつ狭き路である。
 封建時代の末期には泰平が長く続いたために武士階級の生活に余暇を生じ、これと共にあらゆる種類の娯楽と技芸の嗜(たしな)みを生じた。しかしかかる時代においてさえ、「義士」なる語は学問もしくは芸術の堪能を意味するいかなる名称よりも勝れるものと考えられた。我が国民の大衆教育上しばしば引用せられる四十七人の忠臣は、俗に四十七義士として知られているのである。
 ややともすれば詐術(さじゅつ)が戦術として通用し、虚偽が兵略として通用した時代にありて、この真摯正直なる男らしき徳は最大の光輝をもって輝いた宝石であり、人の最も高く賞讃したるところである。義と勇は双生児(そうせいじ)の兄弟であって、共に武徳である。

【『武士道』新渡戸稲造〈にとべ・いなぞう〉:矢内原忠雄〈やないはら・ただお〉訳(岩波文庫、1938年/櫻井鴎村訳、丁未出版社、1908年/英文原著は1908年)】

 孔子は「義を見てせざるは勇なきなり」と教え、孟子は「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も、吾往かん」と説いた。これのみを10歳までに叩き込めば教育は成功するようにも思う。孔子と正反対に位置するのが「触らぬ神に祟(たた)りなし」との俚諺(りげん)である。いじめ、セクハラ、パワハラを支える振る舞いだ。

「卑怯」という言葉は私が小学生だった時分はまだ使われていた。それから「ズルい」「セコい」と移り変わる。北海道だと「半可臭い」(=愚か)が多用されるので各地方には同様の方言があることだろう。「卑怯」とは道に反することである。これに対して「狡(ずる)い」には利が絡み、「セコい」は人物の卑小を表す。言葉の変遷に人間が小さくなってゆく様子が窺える。

 藤原正彦はお茶の水女子大学で十数年にわたって行った読書ゼミで『武士道』を読ませた。私が読む気になったのは『日本人の矜持』を読んでのこと。源義家〈みなもとのよしいえ〉と安倍貞任〈あべのさだとう〉が衣川の戦い(1189年)で歌をやり取りしたエピソードに度肝を抜かれた(第三章 武士道における美意識 | 美しい日本)。死地に通う詩心と交情が胸を打つ。

 現代の正義は何と小ぢんまりとしていることか。我々の日常では言った言わないとか、納得できるできないというレベルで正しさを争っている。一億総町人あるいは一億総商人の時代といってよい。しかも日本の文化ではヨーロッパのように売る側が客に対して断固とした主張をすることもない(『自由の悲劇 未来に何があるか』西尾幹二)。モンスタークレーマーやモンスターペアレントを育む素地がもともとあった。「お客様は神様」ではない。企業が利益より道理を重んじて社員に堂々たる態度を取らせることも必要だろう。

 もう一つ私が注目したのは「骨」というキーワードである。不骨とい漢字は初めて見たが、後に続くのが不調法(ぶちょうほう)だから「ぶこつ」と読むのだろう(“ぶこつもの”のいろいろな漢字の書き方と例文|ふりがな文庫)。48歳で生まれて初めて肩凝りを知り、爾来(じらい)身体調整の勉強を続けてきた。気功、筋トレ、ヨガ、ストレッチ、呼吸法などである。鍛えることもよりも調整に重きを置いている。古武術家の甲野善紀〈こうの・よしのり〉は常々筋トレ偏重を批判し、骨の優位を説いている。イチローも筋肥大に否定的なのは有名な話だ(※腱を鍛えることができないため)。

 高岡英夫は『意識のかたち』(講談社、1995年)で「身体言語」なる概念を披露しているが、そこでも骨と腰というキーワードが重視されている。『フェルデンクライスの脳と体のエクササイズ 健康とリラックス、フィットネスのためのらくらくエクササイズ』(マーク・リース、デヴィッド・ゼメック・バースン、キャシー・バースン:かさみ康子訳、晩成書房、2005年)を開いてはたと膝を打った。


 體は体の旧字体である。すなわち、からだとは骨が豊かな様を表していたのである。現在でも「骨のある男」とか「気骨」などという言葉がそれを象徴している。人品骨柄ってえのあ死語だね(笑)。

 儒家の根本理念は仁(思いやり)と義(正義)である。やくざ者の口上を仁義と呼んだ時点で仁義は廃(すた)れたのだろう。

 こうして見ると日本人の情緒には孔孟のエッセンスが脈打っていることがよくわかる。惻隠(そくいん)も孟子に拠(よ)る。それは単なる舶来思想ではなくして、日本人の心情によく適(かな)った言葉で、翻訳された途端腑に落ちるほど見事にマッチしている。

 ただし儒教も武士道も官僚の道である。乱世を乗り切ることは難しいだろう。



英語で世界に発信した明治人/『武士の娘 日米の架け橋となった鉞子とフローレンス』内田義雄

2018-12-27

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2018-12-25

新潮社はダメかもね/『ぼくを忘れたスパイ』キース・トムスン


『時のみぞ知る』ジェフリー・アーチャー

 ・新潮社はダメかもね

「なんだっけか?」彼は自問した。

【『ぼくを忘れたスパイ』キース・トムスン:熊谷千寿〈くまがい・ちとし〉訳(新潮文庫、2010年)】

 またぞろ新潮社である。翻訳家の熊谷は東北出身なのか? やっぱりね。宮城県出身のようだ。私としては新潮社の編集の問題であると考える。言葉を生業(なりわい)とする者が言葉に対して鈍感になった事実が新潮社の凋落(ちょうらく)ぶりを示して余りある。ひょっとすると「訛(なま)り」をも訳した可能性があるが、それならそうと説明を加えるべきだ。2ページ目でかような言葉を目にして読み続けることは困難だ。

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