2008-10-04

統治形態は王政、貴族政、民主政/『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志


 ・民主的な議員選出法とは?
 ・統治形態は王政、貴族政、民主政
 ・現在の議会制民主主義の実態は貴族政
 ・真の民主政とは
 ・理性の開花が人間を神に近づけた
 ・選挙と民主政
 ・貴族政=ミシュランガイド、民主政=ザガットサーベイ

『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹

 現代日本の我々が考える貴族政とは、「貴族としての身分」を保障された面々による政治ということになる。だが、これがそもそもの間違い。

 古代のアテナイでは、統治形態を三つに分類して考えるのが一般的であった。すなわち、王政、貴族政、民主政の三つである。この分類法自体は、それほど違和感を与えるものではあるまい。むしろ、問題は、この分類が何を第一の基準にしていたのかという点にある。
 その解答を極めて単純に言うならば、意志決定者の数だということになろう。具体的には、それが一人なのか、一部なのか、全員なのかということである。王政には一人の支配者がおり、貴族政には一部の支配者がいる。それに対して、全員参加の民主政が、「人民による支配」なのだというわけである。

【『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志〈やくしいん・ひとし〉(PHP研究所、2008年)】

 言われなければ一生気づかないまま人生を終えていたことだろう。つまり、選挙制度と民主主義の間には何の関係もないってことだ。「へぇボタン」があったら、ぶっ壊れるまで叩いてやるところだ。多分、政治家の連中も気づいていないだろーね。あな、恐ろしや。



パレートの法則/『新版 人生を変える80対20の法則』リチャード・コッチ
最後の元老・西園寺公望/『幣原喜重郎とその時代』岡崎久彦
政党が藩閥から奪った権力を今度は軍に奪われてしまった/『重光・東郷とその時代』岡崎久彦

2008-10-02

民主的な議員選出法とは?/『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志


 ・民主的な議員選出法とは?
 ・統治形態は王政、貴族政、民主政
 ・現在の議会制民主主義の実態は貴族政
 ・真の民主政とは
 ・理性の開花が人間を神に近づけた
 ・選挙と民主政
 ・貴族政=ミシュランガイド、民主政=ザガットサーベイ

『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹

 民主主義=善である。いつからそうなったのであろうか。全く覚えていない。いつの間にやらそうなっていたのだ。少年時代に読んだリンカーンの伝記の影響だろうか。はたまた、平等の価値観を押し付けた義務教育のせいかも知れない。

 だが、図らずもブッシュ大統領が本当の意味を教えてくれた。民主主義とは、アメリカが戦争を仕掛ける大義名分であり、異教徒や有色人種を殺戮する言いわけであることを。そして民主主義の目的は、独裁国家の体制を破壊して、国民が選挙によって議員を選び、自由競争を原則とする資本主義体制を構築し、ドル機軸通貨制度の支配下に組み込むところにある。

 アメリカが牛耳る世界では、アメリカに逆らう国が“世界の敵”と化す。つまり、実は米主主義(パックス・アメリカーナ)だったってことだわな。

 我々はいともたやすく民主主義という言葉を使う。殆どの場合、多数決という程度の意味合いで、議会制民主主義こそ民主主義の本道であると考えている。だが、そうではなかった――

【問題】括弧の中に入る言葉を、下記の1から6の中から選び、番号で答えなさい。

 モンテスキューやルソーは、議員や統治者を(   )によって選ぶことが民主政治の本質にかなうものだと論じた。

1.選挙 2.世襲 3.魚屋の意見 4.くじ引き 5.決闘 6.占い

 実は、この問題、それほど常識的なものでもなければ、学校のテストに出題されるような代物でもない。むしろ、こんな問題が出題されることは絶対にないだろう。選択肢がふざけたものであるからではない。正解が4、すなわち「くじ引き」だからである。何も怪しげな珍説を持ち出しているのではない。事実として、ルソーの『社会契約論』(1762年)には、次のように明記されているのである。

「抽籤(ちゅうせん)による選任法(suffrage par le sort)は民主政の本質にかなうものだ」と、モンテスキューは言っている。これはわたしも賛成である

 モンテスキューもルソーも、「抽籤」こそが「民主政の本質にかなう」と明言している。これは、厳然たる事実である。しかも、この見解が、枝葉末節に関わる問題ではなく、まさに「民主政の本質」として示されているということを軽視してはならない。

 たしかに、ルソーの発言は、我々の常識と相反するものであろう。だが、常識に反することは切り捨てるという態度は、思考停止の最たるものなのだ。

【『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志〈やくしいん・ひとし〉(PHP研究所、2008年)】

 たまげた。あんぐりと口が開いたまま、3日間を経たような感覚に陥った。目が点になるどころか、それ以前の私の目にはウロコしかなかったと言ってもいいくらいだ。目からウロコが落ちると言うよりは、ウロコだらけの目が落ちたって感じだな。

 そしてルソーは、民主主義が正しいものとは考えていなかった。お前の名前は「ル嘘」に変えるべきだと私は思った。

 このテキストだけでは、その理由がわかりにくいことだろう。追って紹介する予定である。取り敢えず今日のところは、「民主政の本質=くじ引き」と覚えておけば宜しい。

明治以前、日本に「社会」は存在しなかった/『翻訳語成立事情』柳父章


 ・明治以前、日本に「社会」は存在しなかった
 ・社会を構成しているのは「神と向き合う個人」
 ・「存在」という訳語
 ・翻訳語「恋愛」以前に恋愛はなかった

・『「ゴッド」は神か上帝か』柳父章
・『翻訳とはなにか 日本語と翻訳文化』柳父章

 元始の言葉はどんなものであったのだろう。時折、そんなことを思う。叫び、祈り、歌――いずれにせよ、何らかの感動が込められていたに違いない。しかしながら残念なことに、最初の言葉は名詞であったという説が有力だ。ヘレン・ケラーが最初に発した言葉も「ウォーター(水)」だった。

「言葉(=名前)」がなければ、それは「存在」しないという考え方がある。例えば、苫米地英人の『夢をかなえる洗脳力』では、外国人が風鈴に気づかない様子が描かれている。日本人であれば、風鈴の音を聞くと涼しげな心持ちとなるのが普通だが、外国人には全く通用しない。それどころか、情報空間に存在すらしていないという。

 もちろん風鈴は実際に音を鳴らしている。だが、その概念や意味合いを知らなければ、脳内で情報として処理されることはないのだ。明治期に導入された翻訳語もこれと似ている。

 この「社会」ということばは、societyなどの西欧語の翻訳語である。およそ明治10年代の頃以後盛んに使われるようになって、1世紀ほどの歴史を持っているわけである。
 しかし、かつてsocietyということばは、たいへん翻訳の難しいことばであった。それは、第一に、societyに相当することばが日本語になかったからなのである。相当することばがなかったということは、その背景に、societyに対応するような現実が日本になかった、ということである。
 やがて「社会」という訳語が造られ、定着した。しかしこのことは、「社会」−societyに対応するような現実が日本にも存在するようになった、ということではない。そしてこのような事情は、今日の私たちの「社会」とも無縁ではないのである。そこで、societyの翻訳がいかに困難であるか、そのことを実感していた時代をふり返る必要がある、と私は考える。

【『翻訳語成立事情』柳父章〈やなぶ・あきら〉(岩波新書、1982年)】

 非常に抑制された慎重な文章である。まどろっこしいほどだ。

 それまでは、「世間」はあっても「社会」はなかったのだろう。何となく、いまだに「社会」は存在しないような気になってくる。どうも、なさそうだな。「世間」は確かに存在している。だって、不祥事があるたび、世間に向かって詫びを入れる面々がいるからね。そして、「世間」は狭い。更に、「渡る世間は鬼ばかり」である。

 でも、「世間」ってどの範囲を指しているんだろうね? よもや、日本全体ではあるまい。都道府県レベルでも広過ぎるだろう。多分、「ムラ」でしょうな。DNAに伝わる仮想空間としての「ムラ」である。日本人が恐れてやまない「村八分」が徹底できる範囲だ。

 共同体としての「ムラ」は実在しないから、極めて狭い人間関係となる。親戚、友人、同僚という程度か。つまり、日本人にとっての世間とは、せいぜい数十人程度の関係性を示すもので、そこでのルールは法律や道徳などではなく、「ムラの掟」だ。

「societyの翻訳」は、まだ終わっていない。



人間のもっとも原初的な社会は母子社会/『結社のイギリス史 クラブから帝国まで』綾部恒雄監修、川北稔編

2008-09-30

六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 既に紹介済みだが六月戦争(第三次中東戦争)があったのは1967年6月のこと。これ以降、アメリカとイスラエルは急接近し、腕を組んで歩き始める。これがその辺の男女の仲であれば、「ヨッ、ご両人!」で済むところだが、そうは問屋が卸さない。

 メディアというものは、大なり小なり国家意思に基づいた報道を行う。その典型が戦争報道であろう。米国内では六月戦争以降、イスラエル関連のコラムが激増する。

 六月戦争以後の主流アメリカ・ユダヤ人組織は、アメリカ・イスラエル同盟を確かなものとすることにすべての時間を費やした。ADLの場合、イスラエルや南アフリカの情(諜)報部とともに広範な国内調査まで実施している。また1967年6月以降、『ニューヨーク・タイムズ』紙がイスラエルを取り上げる回数が劇的に増加した。『ニューヨーク・タイムズ・インデックス』を見ると、1955年も1965年もイスラエルの項目は60コラムインチだった。それが1975年には、260コラムインチにもなっている。1973年のヴィーゼルは、「いい気分になりたいときには『ニューヨーク・タイムズ』のイスラエルの記事を見ることにしている」と言っている。ポドレツと同様に六月戦争では多くの主流派アメリカ・ユダヤの知識人が「宗教」を発見した。ノヴィックによれば、ホロコースト文学の第一人者ルーシー・ダヴィドヴィッチは、かつては「イスラエル批判の急先鋒」だった。1953年には、一方で故郷を追われたパレスティナ人に対する責任を回避しながら他方でドイツに賠償金を要求することはできないため、「道徳性はそんなご都合主義のものであってはならない」と、イスラエルを痛烈に批判していた。それが六月戦争のほぼ直後には「熱心なイスラエル支持者」となり、「現代世界における理想的ユダヤ人像へ向けた組織的パラダイム」だとして、イスラエルを熱烈に称賛するようになるのである。

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン: 立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)】

 まったく酷い話だ。昨日、ダウが777ドルという暴落を記録したが、きっと遅過ぎた天罰が下ったのだろう。ざまあみやがれってえんだ。私の懐が痛まない限り、好き勝手に放言させてもらうよ。

 そして、六月戦争以降、ナチ・ホロコーストはザ・ホロコーストへと変貌するのだ。米国内のユダヤ・エリートは、金に任せて歴史を書き換えたってわけだ。恐るべきは“金の力”だ。

2008-09-07

1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 1960年代初頭は、まだ「ナチ・ホロコースト」(歴史上のホロコースト)だった。そして、イスラエルは米国を利する存在にはなっていなかった。1967年6月の第三次中東戦争(六月戦争)までは。

 1960年代初頭のイスラエルは、アイヒマンを拉致したことで、AJC元代表のジョゼフ・プロスカウアー、ハーヴァード大学の歴史学教授オスカー・ハンドリン、ユダヤ人が社主を務める『ワシントン・ポスト』紙など、各方面のユダヤ人エリートからさんざんな批判を浴びた。精神分析学者で社会学者のエーリッヒ・フロムは、「アイヒマンの拉致は、まさにナチが犯した罪とまったく同じ不法行為である」と述べた。

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン: 立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)】

 こうした事実が、「ザ・ホロコースト」(金儲け、及び政治的プロパガンダとしてのホロコースト)へと歴史を捏造(ねつぞう)した有力な証拠である。ただし、ユダヤ人エリート以外がどのような反応を示したのかはわからない。

 当時、アメリカにとってはイスラエルよりもドイツとの同盟関係が重きをなしていた。エーリッヒ・フロムが政治に沿った発言をしたのだとすれば、彼の思想・信条は眉唾物であると言わざるを得ない。

 価値関係からしても、巨悪を撃つための小さな悪ならば、善となるはずだ。