・自由の問題 1
・自由の問題 2
・自由の問題 3
・欲望が悲哀・不安・恐怖を生む
・教育の機能 1
・教育の機能 2
・教育の機能 3
・教育の機能 4
・縁起と人間関係についての考察
・宗教とは何か?
・無垢の自信
・真の学びとは
・「私たちはなぜ友人をほしがるのでしょうか?」
・時のない状態
・生とは
・習慣のわだち
・生の不思議
・クリシュナムルティ著作リスト
・必読書リスト その五
クリシュナムルティは前回の部分で、「私達は安心したいがゆえに地位を欲し、肩書きによって自信や自尊心を手中にし、権力と権威を目指して生きている」。しかしながら、「何かに【なろう】という要求がある限り、自由はどこにもない」と語った。
そして、「何かに【なろう】」――つまり、「理想」「模範」「目標」だ――としている姿勢を「模倣」であると鋭く糾弾する――
そこで、教育の機能とは、君たちが子供のときから誰の模倣もせずに、いつのときにも君自身でいるように助けることなのです。これはたいへんに行いがたいことです。醜くても、美しくても、妬んでいても、嫉妬していても、いつもありのままの君でいて、それを理解する。ありのままでいることはとても困難です。なぜなら君は、ありのままは卑劣だし、ありのままを高尚なものに変えられさえしたらなんとすばらしいだろう、と考えるからです。しかし、そのようなことには決してなりません。ところが、実際のありのままを見つめて、理解するなら、まさにその理解の中に変革があるのです。それで、自由とは何か違ったものになろうとするところにも、何であろうとたまたましたくなったことをするところにも、伝統や親や導師(グル)の権威に従うところにもなく、ありのままの自分を刻々と理解するところにあるのです。
君たちは、このための教育を受けていないでしょう。君たちの教育は、何かになるようにと励ましますが、それでは君自身を理解することにはなりません。君の「自己」はとても複雑なものなのです。それは単に学校に行ったり、けんかをしたり、ゲームをしたり、恐れている存在というだけではなく、隠れており明らかではないものでもあるのです。それは、君の考えるすべての思考だけではなく、他の人たちや新聞や指導者から心に入ったすべてのことからできています。そして、えらい人になりたがらないとき、模倣をしないとき、従わないときにだけ、そのすべてを理解することができるのです。それは本当は、何かになろうとする伝統のすべてに対して反逆しているとき、ということです。それが唯一の真の革命であり、とてつもない自由に通じています。この自由を涵養することが教育の本当の機能です。
親や教師、そして君自身の欲望も、君が幸せで安全であるために何らかのものと一体化してほしいのです。しかし、智慧を持つには、これらの君を虜にし、潰してしまうすべての影響力は打ち破らなくてはならないでしょう。
新しい世界の希望は、言葉だけではなくて実際に、何が偽りなのかを見て、それに対して反逆しはじめる君たちにあるのです。それで、正しい教育を求めなくてはならないわけです。というのは、伝統に基づいたり、ある思想家や理想家の体質にしたがって形作られたりしていない新しい世界を創造できるのは、自由の中で成長するときだけですから。しかし、君が単にえらい人になろうとしていたり、高尚なお手本を模倣しているかぎり、自由はありえません。
【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】
ありのままの自分であれ、一切の伝統と権威に反逆せよ――まるでブッダ、まるで日蓮そのものである。違いを見つけることの方が難しそうだ。カーストという差別制度が社会に張り巡らされた後にブッダはインドに生まれ、武力に物を言わせる武家政治が台頭し、天変や地震が相次ぐ鎌倉時代に日蓮は登場した。双方ともそれまでの常識を徹底的にあげつらい、批判に批判を加え、人間という人間に語り抜いた。民の呻吟(しんぎん)に耳を傾け、苦悶をひたと見つめる中から真実の思想は生まれ出る。
インドのバラモン教(古代ヒンドゥー教)は「過去世(かこぜ)の業(ごう)」を持ち出して「今世の差別」を正当化した。そして鎌倉時代の念仏は「この世で幸せになることは決してできないが、死んだ後に西方十万億の彼方の極楽浄土へ往生(おうじょう)できる」と説いた。いずれも、我々が知覚・思考し得ない「前世」や「あの世」の論理をもって、人々を「現状維持」の方向へ誘導する邪論ともいうべき代物だ。こうした思想が結果的に権力を容認し、擁護し、強化していることを見逃してはならない。
印刷技術、通信、マスメディアが発達した現代社会において、「条件づけ」はますます容易になっている。隠された広告戦略が大衆の欲望に火を点ける。そして、否応(いやおう)なく情報の受け手という立場に貶(おとし)められた視聴者は、テレビの前でどんどん卑小な存在と化してゆく。我々は毒性が高いことを知りながらも、五感が刺激されるために依存性から抜け出すことがかなわなくなっている。まるで、LSDや覚醒剤のようだ。
「まだ殺されたわけではないから何とかなる」――甘いね。既に「生ける屍(しかばね)」だよ。あるいは、とっくに何度も死んでいる可能性すらある。
偽りを見抜け。さもなければ、自分自身が偽りの存在となってしまうからだ。まなじりが裂けるほど目を見開いて、闇の向こう側にあるものをしかと捉えよとクリシュナムルティは教えている。
(※「自由の問題」は今回にて終了)
・恐怖からの自由/『自由への道 空かける鳳のように』クリシュナムーテイ
・生存適合OS/『無意識がわかれば人生が変わる 「現実」は4つのメンタルモデルからつくり出される』前野隆司、由佐美加子