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数学の研究は、主として純粋直観の働きによって出来るのです。ところで、私が数学の研究に没入している時は、自然に生きものは勿論殺さず、若草の芽も出来るだけ踏まないようにしています。だから純粋直観は、慈悲心に働くのです。
私は本当によい数学者が出て来てほしいと思います。数より質が大事です。闇との戦いにはぜひ働いてほしいからです。(「新義務教育の是正について」)
【『紫の火花』岡潔(朝日新聞社、1964年/朝日文庫、2020年)】
【女性刺され重傷 中2男子逮捕】https://t.co/fdnZpm30SD
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) 2018年8月19日
大阪府吹田市で7月、新聞配達中の女性が刺された事件で、府警は19日、殺人未遂などの疑いで府内の中学2年の男子生徒を逮捕。容疑を認め「イライラしており、誰でもよかった」と供述。
数学を蔑ろにしてきた社会の末路である。まともな教育を受けていれば、イライラしたときには数学をやって心を落ち着けることができたはずだ。
— நீப்பொ (@nipox25) 2018年8月19日
その意味からも数学者の岡潔が情緒を説いたのは卓越した見識といえる。 https://t.co/rzphlWl4rw
— 小野不一 (@fuitsuono) 2018年8月19日
世界でいちばん有名なレースであるツール・ド・フランスでは、3週間にわたって、1日150キロ以上の距離を走り続け、その間、何度も峠を越える。走行距離は3000キロを越え、高低差は富士山を9回上り下りするのに匹敵する。しかも、2日ある休養日を除けば、1日たりとも休むことは許されない。休んだ時点で、リタイアとなる。
【『サクリファイス』近藤史恵〈こんどう・ふみえ〉(新潮社、2007年/新潮文庫、2010年)以下同】
自己輸血。それはドーピングの一種だ。
なにもないときに、自分の血液を抜いておき、それを冷凍保存する。そしてレースの前に輸血するのだ。そうすれば赤血球の量も普段より増え、パフォーマンスが上がる。もちろん禁じられているが、ものは自分の血液だ。ヘマトクリット値の上限にさえ気をつければ、一般のドーピングテストではまだ発見することが難しい。
彼(※保守系知識人)らは過激な死を嫌って、逃げ腰でした。
【『三島由紀夫の死と私』西尾幹二(PHP研究所、2008年/戎光祥出版増補新訂版、2020年)以下同】
三島由紀夫氏にお会いしたのは一度だけである。昭和43年の秋であったと思うが、ある人が橋渡しをしてくれて、特徴のあるあのお宅を訪問することになった。多忙な氏が、無名の外国文学者の最初の仕事(その頃私はある雑誌にヨーロッパ論を連載していた)に関心を持っているとある編集者から伝え聞いていた。そこへ橋渡しをしてくれる人が別に現われたので、若干とも私のことを氏が知っていて下さるという安心感から、ようやくお訪ねする気になったのだと思う。世の中は大学紛争で騒然としていたころのことであった。
階段をぐるぐる昇って三島邸の一番高いところに位置した、白壁の明るい部屋に通された。橋渡しの知人と一緒にしばらく待っていると、やがて大きな、元気のいい声がした。氏は椅子から立ち上がった私の正面にきちんと姿勢を正し、三島です、と明晰な発音で挨拶された。それから円卓をはさんで、私にビールを注いでくれた。氏は年下の、まだたいした仕事もしていない文学青年を相手にしているという風ではなかった。物の言い方は遠慮がなく、率直であったが、客である私には礼儀正しく、外国の作家のことが話題になると、まず私の見解を質した。男らしく、さっぱりした人だと私は思った。日本の文化人の誰彼が話題にのぼると、氏はそうとうに辛辣なことをずけずけ言ったが、陰湿なところがまるでなく、からっとしていた。たった今怒りの言葉を述べて、次の瞬間にはもうそれにこだわっていないという風だった。私もまた、怒りはときに大切だと思っている方だが、氏の前に出ると勝負にならなかった。そう私が述べると氏はとても愉快そうに爽快な笑い声をあげた。私がしばらくしてトイレに立とうとすると、氏はすばやく私を先導し、階段を三つも跳ぶようにして降りて、なんのこだわりもなく便所のドアを開いてくれた。私はこのときの氏の偉ぶらない物腰と、敏捷な身のこなしをいつまでも忘れられないでいる。そのときはなんでもないことだと思っていたが、あとでよく考えてみると、年下の無名の人間を、このように友人のように扱う率直さはじつは大変なことだと思った。私は大学関係の先生や先輩を訪問して、こんな風にわけへだてなく遇されたことはたえて一度もなかったからである。
江藤淳のこの「『ごっこ』の世界が終ったとき」は明らかな生存中の三島さんへの批判です。そして江藤淳は、三島さんが死んだときにも嘲ったのです。それが私には許せなかった。三島さんの死後に書いた「不自由への情熱」のなかで、私は江藤淳のこの点を避難しました。それを引いてみます。
三島氏の死に到った行動について、ある著名な評論家が、まるで白昼夢を見ているようで、死んでもなお本気でないようにみえるところがあるなどと、気楽なことを言っていたが、こういうことでは孤独な心の謎などはなにひとつ見えないし、時代のニヒリズムにも初めから目をふさいでいるようなものである。
(「不自由への情熱」『新潮』昭和46年2月号)
小林秀雄●三島君の悲劇も日本にしかおきえないものでしょうが、外国人にはなかなかわかりにくい事件でしょう。
江藤淳●そうでしょうか。三島事件は三島さんに早い老年がきた、というようなものなんじゃないですか。
小林●いや、それは違うでしょう。
江藤●じゃあれはなんですか。老年といってあたらなければ一種の病気でしょう。
小林●あなた、病気というけどな、日本の歴史を病気というか。
江藤●日本の歴史を病気とは、もちろん言いませんけれども、三島さんのあれは病気じゃないですか。病気じゃなくて、もっとほかに意味があるんですか。
小林●いやァ、そんなこというけどな。それなら、吉田松陰は病気か。
江藤●吉田松陰と三島由紀夫は違うじゃありませんか。
小林●日本的事件という意味では同じだ。僕はそう思うんだ。堺事件にしたってそうです。
江藤●ちょっと、そこがよくわからないんですが。吉田松陰はわかるつもりです。堺事件も、それなりにわかるような気がしますけれども……。
小林●合理的なものはなんにもありません。ああいうことがあそこで起こったということですよ。
江藤●僕の印象を申し上げますと、三島事件はむしろ非常に合理的、かつ人工的な感じが強くて、今にいたるまであまりリアリティが感じられません。吉田松陰とはだいぶちがうと思います。たいした歴史の事件だなどとは思えないし、いわんや歴史を進展させているなどとはまったく思えませんね。
小林●いえ。ぜんぜんそうではない。三島は、ずいぶん希望したでしょう。松蔭もいっぱい希望して、最後、ああなるとは、絶対思わなかったですね。
三島の場合はあのときに、よしッ、と、みな立ったかもしれません。そしてあいつは腹を切るの、よしたかもしれません。
江藤●立とうが、立つまいが……?
小林●うん。
江藤●そうですか。
小林●ああいうことは、わざわざいろんなこと思うことはないんじゃないの。歴史というものは、あんなものの連続ですよ。子供だって、女の子だって、くやしくて、つらいことだって、みんなやっていることですよ。みんな、腹切ってますよ。(小林秀雄・江藤淳「歴史について」『諸君!』昭和46年7月号)
三島由紀夫の死には、政治的な速効性はありませんでしたし、三島自身もそんなことは初めから思ってもいませんでした。しかし、30年以上たった今から考えると、彼の最後の行為は、戦後日本の精神的荒廃への生命を賭した警告という意味が際だって見えてきます。この日本の荒廃を、三島は一貫して、今のインタビュー発言にもあるとおり、「偽善」と呼んでいます。
「偽善」とは、民主主義の美名のもとに人間の生き方や国の政策に関する意思決定を自分でおこなおうとせず、個人と社会と国家のとりあえずの目的を経済成長(つまり金もうけ)のみに置き、精神の空虚を物質的繁栄で糊塗する態度にほかなりません。
【『三島由紀夫が死んだ日 あの日、何が終り 何が始まったのか』中条省平〈ちゅうじょう・しょうへい〉(実業之日本社、2005年)以下同】
「首相や長官が、三島由紀夫の自刃を狂気の沙汰だと言っているが、私は気ちがいはどっちだ、と言いたい。現在、日本は、外国から一人前の国家として扱われていない。国家も、人間も、その威が失われていることで、はじめて国家であったり、人間であったりするのであって、何の交渉においても、外国から、既に、尊敬のある扱いをうけていない日本は、存在していないのと同じである。……三島はこの無風帯のような、日本の状態に、堪えられなかったのと同時に、文学の世界の駘蕩とした、(一部の優秀な作家、評論家は除いて)無感動なあり方にも堪えられなかった」
全く面白みもヒネリもないことを書きます
— ゆう/no simulacra (@simulacra18) 2018年8月14日
過去の日本人がいたから現在の日本人がいるのは当たり前です
でも過去の「尊い犠牲」の上に現在の平和がある訳ではありません
尊い犠牲を払わない方が良かったのです
有為な人材を失い、多くの人々の幸福を奪いました
いかなる形でも戦争肯定は容認できません
「戦争肯定」というのは珍しい日本語だな。 https://t.co/aJdmSCZh5C
— 小野不一 (@fuitsuono) 2018年8月15日
国が亡びる前兆と見た。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2018年8月15日
米軍は神風(しんぷう)特攻隊の攻撃に恐れをなした。彼らにすれば狂気の沙汰でしかなかった。日本の若きエリートは死ぬとわかっていながら九州の地から飛び立った。彼らの勇気と行動が結果的に天皇陛下をお守りしたのだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2018年8月15日
日本が大東亜戦争で立ち上がらなければ、帝国主義はあと数世紀続いたことだろう。世界中の植民地を独立に導いたことは誇るべき歴史だ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2018年8月15日
近代史を振り返ると一番悪い国はイギリスだ。次にアメリカ。そしてオーストラリアとなる。アングロ・サクソン三兄弟だ。カナダは例外。東京裁判の裁判長がオーストラリア人(ウェッブ)というだけで、まともな裁判ではないことが明らか。オーストラリは人種差別大国で米軍人の黒人をも嫌悪した。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2018年8月15日
とてもよい例えだ。工事現場で死者が出たからと言って「もう工事なんかやめよう」「そのために重機や工具を保持しない」「安全靴の響きが聞こえる」などと極端な反応をするのはばかげている。 https://t.co/MpQZCgcZEl
— クーペンが気になる (@junks2) 2018年8月15日
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。
【「果たし得ていない約束」三島由紀夫/サンケイ新聞 昭和45年7月7日付夕刊】