・『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
・『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
・『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
・『学校では絶対に教えない植民地の真実』黄文雄
・『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
・『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明
・『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭
・「人種差別」こそが大東亜戦争の遠因
・ポルトガル人の奴隷売買に激怒した豊臣秀吉
・『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一
・『パール判事の日本無罪論』田中正明
・『だから、改憲するべきである』岩田温
・日本の近代史を学ぶ
・必読書リスト その四
何故、日本人は戦争を選んだのでしょうか。驕っていたとの批判は甘受しても構いません。何故に、日本人は戦争を選んだのでしょうか。この問いこそが重要です。
戦争を選択した日本側の動機を探っていく上で極めて参考になるのが、昭和天皇の御指摘です。
昭和天皇は、独白録の冒頭で、「大東亜戦争の原因」について次のように指摘しています。
「この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在している。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず。黃白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。又青島還附を強いられたこと亦然りである。かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がった時に、之を抑へることは容易な業ではない。」
(『昭和天皇独白録』文藝春秋)
昭和天皇は、大東亜戦争の遠因が、第一次世界大戦の平和条約、すなわちベルサイユ条約の中に存在していることを指摘しています。そして、国際連盟設立の際に日本が主張して、アメリカ、イギリスによって退けられた「人種平等案」について言及しています。さらに、アメリカのカリフォルニア州における排日移民法の存在についても言及しているのです。
ここで昭和天皇が指摘しているのは、一言でいえば「人種差別」の問題です。昭和天皇は「人種差別」こそが大東亜戦争の遠因であったと指定記してえいるのです。
大東亜戦争と人種差別。
普段、意識されることの少ない組み合わせなのではないでしょうか。
何故に、大東亜戦争が人種差別と深く関わっているのか。それは、大東亜戦争が、「人種平等」という理念を掲げた戦争であったからです。「侵略戦争」というイメージが先行する大東亜戦争ですが、当時の日本人が掲げた大義は「人種平等」だったのです。
【『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温〈いわた・あつし〉(彩図社、2015年/オークラNEXT新書、2012年『だから、日本人は「戦争」を選んだ 』改訂改題)】
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』(ジェラルド・ホーン著)の直後に読んだのはタイミングがドンピシャリだった。本と本がつながる快感は何ものにも代え難い。脳内の配線がすっきりする。
人種差別が大東亜戦争の導火線となったことを知らない日本人が大半であろう。私もそうだった。「どうしてこれほど大切な歴史を学校で教えないのか?」という率直な疑問が強い怒りと共に湧いてきた。
簡単に歴史を振り返ってみよう。
大東亜戦争(1941-45年〈昭和16-20〉:※日中戦争〈1937:昭和12年-〉を含まず)は自衛目的で始め、後にアジアを植民地から解放することを目指した戦争であった。
1924年(大正13年)にアメリカで排日移民法が成立する(日本のほっぺたをひっぱたいた排日移民法 - かつて日本は美しかった)。低賃金でも黙々と真面目に働く日本人移民をアメリカ人労働者は許せなかった。そして日本人児童を差別のターゲットにしたのだ。
1921-22年(大正10-11)ワシントン海軍軍縮条約(ワシントン海軍軍備制限条約)で日英同盟が失効した(日英同盟破棄)。
1919年(大正8年)1月14日、第一次世界大戦後に開かれたパリ講和会議において日本は人種的差別撤廃提案を行った。「国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である」(Wikipedia)。賛成11票、反対・保留5票という結果となったが議長を務めたウッドロウ・ウィルソン米大統領が「全会一致でないため提案は不成立である」とちゃぶ台返しをする。最も強く反対したのは白豪主義を唱えるオーストラリアであった。
第一次世界大戦(1914-18年)で日本は勝利した連合国側に加わった。国際的な地位は格段に上がり、国際連盟の常任理事国入り(列強の仲間入り)を果たす。
1904-05年(明治37-38)日露戦争。歴史上初めて有色人種が白人を打ち破った戦争で、世界中の有色人種が狂喜した。後に白人帝国主義を倒す最大の要因となる。日本は明治開国以来の不平等条約を克服する(日露戦争が世界に与えた衝撃/『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭)。
1894-95年(明治27-28)日清戦争。日本は戦勝国となり、イギリスに治外法権を撤廃させる。ところが三国干渉(ロシアの南下政策と三国干渉について | 日本の歴史についてよく分かるサイト)があり、日本国民の間で「臥薪嘗胆」(がしんしょうたん)が合言葉となる(三国干渉における臥薪嘗胆 | 日本の歴史についてよく分かるサイト)。
19世紀半ば-20世紀前半に欧米豪で黄禍論(おうかろん/こうかろん)が唱えられる。日露戦争に勝利したことで黄色人種脅威論が欧州全体に広まる。
1853年(嘉永6年)黒船来航、砲艦外交の末に1854年(嘉永7年)日米和親条約締結(日本の開国)。日本は開国するも不平等条約に長く苦しめられることになる。
1639-1854年(寛永16-嘉永7)鎖国。鎖国体勢は徳川家光が完成させたが、発端はキリシタン禁制(禁教令)で豊臣秀吉のバテレン追放令(1587年:天保15)までさかのぼることができる(『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新〈ひらかわ・あらた〉)。
最低でもこの程度の流れは踏まえておくべきである。豊臣秀吉はポルトガル、スペインを中心とする大航海時代(15世紀半ば-17世紀後半)の動きを鋭く察知していた。明治維新も阿片戦争(1840年)という背景があった。すなわち日本は辺境でありながらも国際情報に対して敏感な危機感を持って対応してきたのだ。
昨今の日本史本ブームに対して、「またぞろ江戸万歳本ですか」みたいな揶揄(やゆ)を飛ばす者がいるが、植民地の悲惨を知らぬ底の浅さを露呈している。同じ時代に黒人やインディアンがどんな目に遭ったと思っているんだ?
東京裁判(極東国際軍事裁判/1946-48年〈昭和21-23〉)は500年も続いた白人帝国主義を崩壊させた日本人に対する公開処刑であった。そのために日本は大量虐殺を行ったナチスと同列にさせられたのだ。我々の父祖が大東亜戦争で立ち上がったことによって世界の植民地は白人の手から解放された。米国内の黒人も日本に続いて立ち上がったのである。