2018-10-25

「基本」は背中まっすぐの「おじぎ」の姿勢/『自転車の教科書』堂城賢


『ロードバイク初・中級テクニック』森幸春

 ・「基本」は背中まっすぐの「おじぎ」の姿勢

『自転車の教科書 身体の使い方編』堂城賢

 僕が教えている自転車の乗り方は【「おじぎ乗り」】と言います。【「背中をまっすぐにした『おじぎ』の姿勢」】で乗ることです。皆さんが一番知りたがっているハンドルやサドルの位置、つまり「自転車のポジション」は、おじぎの姿勢をしたまま、手を前に振った軌道にハンドル、お尻の位置の下にサドルとなります。
 たったそれだけです。

【『自転車の教科書』堂城賢〈たかぎ・まさる〉(小学館、2013年/小学館文庫、2016年)以下同】


 背中を丸めた姿勢でハンドルを低く遠くにしている人をよく見かけますが、背中を丸めてぐーっと手を伸ばしていると、後ろの足にものすごく荷重が掛かるのです。プロの選手の真似をしてこの乗り方を一般の人がやると、まったく前に進みません。
 後ろ足に自分でたくさん荷重を掛けて、自分で作り出した負荷に苦しめられていたわけです。ですから、姿勢の悪い人はステムを短くすると足が回るように感じるのです。

 レース実績のある専門家が相反する主張をしている場合は、結局自分で探るしかない。堂城賢〈たかぎ・まさる〉は言葉が拙い。本書は意図的に話し言葉を使い読みやすくしたのだろうが言葉の重複が目立ち表現の浅さが先立つ。方や森幸春は雑誌におけるコメントというおしゃべり程度の代物だ。

 YouTubeで「やまめの学校」と検索すると堂城の実際の講義を見ることができる。そのネーミングセンスの悪さや自分を「校長」と紹介する節操のなさもさることながら、「イチロー選手は一流のアスリートだと思う」などといった陳腐な言葉にはやはり問題があろう。おじぎ乗りの傍証としてイチローが守備につく際、両手を膝に乗せて背中を伸ばすポーズを挙げているが、あれは一種のストレッチであって打者が打つ瞬間は猫背になるに決まっている。

 実際にやってみたが、骨盤を立てるべきなのか、おじぎ乗りにすべきなのかよくわからない。何となく中間の位置で乗っているが疲れてくると全てがどうでもよくなる(笑)。素人感覚からすると最初は前立腺の痛みに苦しめられるので、骨盤はやや起こした方がいいような気がする(※関係ないけどこんな記事を発見→長時間のサイクリングは危険?前立腺がんの発症リスクに|男の健康|ダイヤモンド・オンライン)。

 運動に関する理論を参照するのは正しいが鵜呑みにしてはいけない。なぜなら人の体は個体差があるからだ。他人の言葉を額面通りに受け止めてそれを墨守すれば、硬直した精神性が硬直した体を形成して必ず故障や怪我につながるだろう。自分の体に耳を傾けて答えを導くことが大切だ。むしろ、自分なりの創造性を発揮するところにトレーニングの目的があるといっても過言ではない。

 散々腐してしまったが、本書の評価が高い(文庫本の解説は高千穂遙)ところを見るとそれ相応の理由があるのだろう。私が初心者ゆえ気づいていないだけかもしれない。数年後に再読して検証するつもりだ。

自転車の教科書 (小学館文庫)
堂城 賢
小学館 (2016-06-07)
売り上げランキング: 42,545

2018-10-23

骨盤を起こして肩甲骨を開く/『ロードバイク初・中級テクニック』森幸春


『大人のための自転車入門』丹羽隆志、中村博司

 ・骨盤を起こして肩甲骨を開く

『自転車の教科書』堂城賢
『自転車の教科書 身体の使い方編』堂城賢

「初級者が上級者のようにいきなり100回転/分でペダルを回そうとすると、よけいなところに力が入って、むしろ心拍数が上がってしまいます。まあ、いずれはできるようになればいいことなんで、まずは90回転/分くらいからはじめてみましょう。これくらいの回転数なら、さほど筋力が必要なわけでもないし、十分に低い負荷で効率よく走ることができるはずです。とにかく小手先……っていってもこの場合は足ですが……を使うんじゃなくて、ふとももの付け根からさらに上、お腹の奥のほうを意識します。もちろんクランクの長さは同じなんですけど、ペダルを大きな円で回すイメージがほしいですね」と森師匠は言う。

【『ロードバイク初・中級テクニック改訂版 BiCYCLE CLUB別冊』森幸春(エイ出版社、2011年)】

「森師匠」と呼ぶのは編集部のおべんちゃらではないようだ(「日本ロード界の師匠  森幸春さん逝く」)。既に物故していることを今知った。謹んでご冥福を祈る。

 大きな雑誌の体裁でパラパラとめくって一通り読んだのだが、何度となく読み返して「ああ、そうか」と腑に落ちるところが多かった。7月27日から自転車に乗り始め、10月12日でやっと1000kmを走破した。まだまだ体作りの段階だ。焦ってオーバーワークしてしまえば必ず怪我の原因となる。今は走りたくて脚が疼(うず)き出すのを待っている。それでもケイデンス90は難しい。週に二度リカンベントタイプのエアロバイクに跨(またが)っているが、私が心地よく回せるのはせいぜい80回転/分である。

 ペダリング革命で多少は股関節を動かせるようになっていると思う。まあ、この辺はまだまだ気にするレベルではない。今はとにかくひたすらペダルを踏むことに力を注ぐ。



 骨盤を起こして肩甲骨を開くとあるが、肩甲骨を開くのが案外難しい。1000km走ってもまだまだ上半身に余計な力が入ってしまう。上半身をリラックスさせないと肩甲骨は開けない。また、堂城賢〈たかぎ・まさる〉は骨盤を寝かせた方がよいと説く。ポジショニングに関しては自分の体に耳を傾けるしかない。一番楽な姿勢が正しいのだ。

 初心者にとってはわかりやすい内容であるが、なぜかエンゾ早川が登場して読み手のやる気を思い切り削(そ)いでくれる。

ロードバイク初・中級テクニック 改訂版 (エイムック 2120 BiCYCLE CLUB別冊)
エンゾ早川 森 幸春
エイ出版社 (2011-02-15)
売り上げランキング: 111,208

「ならば、変えなければならない」/『果断 隠蔽捜査2』今野敏


『隠蔽捜査』今野敏

・「ならば、変えなければならない」

『疑心 隠蔽捜査3』今野敏
『初陣 隠蔽捜査3.5』今野敏
『転迷 隠蔽捜査4』今野敏
『宰領 隠蔽捜査5』今野敏
『自覚 隠蔽捜査5.5』今野敏
『去就 隠蔽捜査6』今野敏
『棲月 隠蔽捜査7』今野敏
・『空席 隠蔽捜査シリーズ/Kindle版』今野敏
『清明 隠蔽捜査8』今野敏
・『選択 隠蔽捜査外伝/Kindle版』今野敏
『探花(たんか) 隠蔽捜査9』今野敏

ミステリ&SF
必読書リスト その一

 世間のことを知らなければ的確な指示が出せないという警察官僚もいるが、竜崎にいわせれば、その程度の者は警察官僚になるべきではない。一生現場にいればいいのだ。
 国家公務員がすべきことは、現状に自分の判断を合わせることではない。現状を理想に近づけることだ。そのために、確固たる判断力が必要なのだ。竜崎はそう信じている。世俗の垢にまみれる必要などない。指揮官に求められるのは、合理的な判断なのだ。

【『果断 隠蔽捜査2』今野敏〈こんの・びん〉(新潮社、2007年/新潮文庫、2010年)以下同】

 家族の不祥事で左遷の憂き目に遭った竜崎は警察署長となった。主人公が現場の最前線で指揮を執ると、やはりストーリーの精彩が上がる。立場が変わっても竜崎の信念が揺らぐことはなかった。彼は警察の仕事に心から誇りを抱いていた。

 前巻では父子の対話であったが、本巻ではPTAとの会話がエリートと大衆の落差を象徴している。発想が違うのだ。竜崎の発言にPTAはさることながら、教師や同行した警察幹部までが唖然とする。

 竜崎は、手を止めて貝沼を見つめた。貝沼の表情は読めない。真意がまったくわからなかった。
「じゃあ、方面本部が死ねと言えば、君は死ぬのか?」
「時と場合によありますが、そういうこともあるという覚悟はしております」
「警察の指揮系統と言ったが、それは幹部がまともな命令を下すという前提で重視されるべきものだ。そうじゃないか? 理不尽な命令に盲従する必要などない」
「ですが、それが警察というものです」
「ならば、変えなければならない」
 貝沼副署長が無表情のまま見返してきた。斎藤警務課長も、無言のまま立ち尽くしている。
「なんだ?」
 竜崎は、二人に尋ねた。「私は何か、おかしなことを言ったか?」
「いえ」
 貝沼副署長が言った。「本当に、野間崎管理官のことはよろしいのですか」
「いい」
「では、お任せします」
 ようやく二人は出て行った。
 竜崎にだって、二人が何を恐れているかくらいはわかる。警察というのは、古い体質が残っている。それは、ひょっとしたら明治に警察庁ができて以来変わらないのではないかとすら思えてしまう。冗談のようだが、いまだに薩長閥が幅をきかせている。

「ならば、変えなければならない」との一言に竜崎の真骨頂がある。清濁併せ呑んで物分かりがよくなることが大人なのではない。大人とはある責任を引き受けた上で若者の手本となる人物をいうのだ。幾度となく煮え湯を呑まされている内に精神が澱(よど)み、濁ってゆく男がそこここにいる。彼らが上司に逆らったり、組織を改革することはないだろう。せいぜい酒場で他人の悪口を言うのが関の山だ。

 官僚組織の複雑さを初めて知った。野間崎は役職が竜崎よりも上だがノンキャリアだ。キャリア組も同様で役職よりも入庁年度がものを言うらしい。

 もちろん竜崎一人が頑張ったところで警察組織が変わるはずもない。だが署内は確実に変わってゆく。

 捜査が差し迫ってゆく中で竜崎の妻が倒れる。ラストシーンでやり取りされる夫婦の会話が短篇小説のように味わい深く、静かな余韻を響かせる。

2018-10-22

真のエリートとは/『隠蔽捜査』今野敏


『半沢直樹1 オレたちバブル入行組』池井戸潤

 ・真のエリートとは

『果断 隠蔽捜査2』今野敏
『疑心 隠蔽捜査3』今野敏
『初陣 隠蔽捜査3.5』今野敏
『転迷 隠蔽捜査4』今野敏
『宰領 隠蔽捜査5』今野敏
『自覚 隠蔽捜査5.5』今野敏
『去就 隠蔽捜査6』今野敏
『棲月 隠蔽捜査7』今野敏
・『空席 隠蔽捜査シリーズ/Kindle版』今野敏
『清明 隠蔽捜査8』今野敏
・『選択 隠蔽捜査外伝/Kindle版』今野敏
『探花(たんか) 隠蔽捜査9』今野敏
『惣角流浪』今野敏

ミステリ&SF
必読書リスト その一

 東大以外は大学ではない。それは実を言うと竜崎自身の考えというよりも、省庁の考え方だ。
 毎年国家公務員I種試験の合格者が省庁詣でをする。人気の高い省庁の側では、すでに対応は決まっている。どんなに試験の成績がよくても、私立大学や三流大学の卒業生は取らない。人気省庁にとって、大学というのは東大と京大しかないのだ。

【『隠蔽捜査』今野敏〈こんの・びん〉(新潮社、2005年/新潮文庫、2008年)以下同】

 主人公は警視庁のキャリア官僚という毛色の変わった警察モノだ。役所と聞けば「融通が利かない」との答えが導かれる。竜崎は原理原則に忠実な堅物で節を枉(ま)げることがない。それは「決まりだから」という言いわけによるものではなく、原則が合理性に基づいているとの信念からである。時を経て信念は生き方そのものになっていた。

 彼の判断が厳しく感じるのは、我々が情に傾き理を侮っているためか。竜崎は周囲や家族に対して情け容赦がなかった。そして自分自身にも。

 それまで顧みることがなかった家庭が揺れる。大学浪人の一人息子がトラブルを起こしたのだ。

「それって何だ?」
「自分が正しいと思っていることを、家族に押しつけてんだよ」
「これ以上に正しいいことがあるか? 官僚の生活というのはこういうものだ。父さんなんてまだましなほうだ。財務省や外務省の高級官僚は、それこそ週に何日も家に帰れないんだ」
「だから、俺は嫌だったんだ」
「何がだ?」
「東大に入って、官僚になるという父さんの押しつけが、だ。俺、そんな人生、まっぴらだ」
「おまえは、何年生きた?」
「18年だ。子供の年も覚えていないのかよ」
「父さんは、46年だ。若い頃は全国を転々として見聞も広めた。おまえとは人生経験が違う。どちらの判断が正しいと思う?」
「そういう問題じゃないだろう」
「じゃ、どういう問題なんだ?」
「俺の人生は俺のものだってことだ」
 竜崎は、この陳腐な言い回しに、またしてもあきれてしまった。
「そんなことはわかりきっている。だから、若いうちに可能性を増やせと言っただけだ。官僚になるかどうかは、東大に入ってから考えればよかったんだ。別に官僚になることを強制したわけじゃない。いいか。東大には日本の最高の英知と技術が集中している。東大に入るだけで、できることが格段に増えるんだ。それを利用しない手はない」
「利用だって……?」
「そうだ。おまえの人生はおまえのものだと言った。ならば、その人生のためにあらゆるものを利用しないと損じゃないか。利用するなら、最高のものを利用したほうがいい。東大はそのための一つの条件に過ぎない。だが、その条件すらクリアできないで、人生、好きに生きたいなどと言っているのは、所詮、負け惜しみに過ぎないじゃないか」
 邦彦は、ぽかんとした顔で竜崎を見ている。何も言い返せない様子だ。

 これは大衆とエリートとの対話だ。竜崎の言葉は常に単純なため時に誤解を生む。ところが彼の言い分には明確な目的意識があった。

 省庁が「東大以外は大学ではない」と考えるのも一つの見識なのだろう。そんな彼らが仕える政治家の多くが東大出身ではない。ネット上で元官僚の人物が安倍首相の学歴を嘲るのを見たことがある。で、その元官僚はといえば、全く売れない本を上梓しながら糊口(ここう)を凌(しの)いでいるのだ。学歴至上主義は知性を野蛮な性質に変える。しかも、よくよく見つめればそれは知性というよりも記憶力中心の学力に過ぎない。極論を述べれば、「東大生だけで、いざ戦争となった場合に勝てるかどうか?」まで考える必要があろう。

 偏屈な官僚が少しずつ魅力的な人間に変わってゆく。このシリーズで今野敏も化けたに違いない。思わず一気に全作を読破した。

 ここに描かれている真のエリート像を通して、日本型ピラミッド組織の脆弱さを思わずにはいられなかった。それを面白がって読む自分にも問題がある。竜崎は官僚の域を脱しておらず、武士道にまで至っていない。次の戦争の弱点が露(あら)わになっているような気がしてならない。

 かつて「近藤史恵は男が描けていない」と書いた(『サクリファイス』近藤史恵)。本書を読めばたちどころにその意味がわかるだろう。