2018-11-20

カルロス・ゴーンと青い鳥/『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆


『我が心はICにあらず』小田嶋隆
『安全太郎の夜』小田嶋隆
『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆
『山手線膝栗毛』小田嶋隆
『仏の顔もサンドバッグ』小田嶋隆
『コンピュータ妄語録』小田嶋隆
『「ふへ」の国から ことばの解体新書』小田嶋隆
『無資本主義商品論 金満大国の貧しきココロ』小田嶋隆
『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ』小田嶋隆

 ・襲い掛かる駄洒落の嵐
 ・カルロス・ゴーンと青い鳥

『イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』小田嶋隆
『テレビ標本箱』小田嶋隆
『テレビ救急箱』小田嶋隆

 つまり、チルチルとミチルがお家の中で遊んでいると、ふらんすからごーんという名前のおじさんがやってきて、青い鳥を焼き鳥にして食ってしまうのである。
 この場合、青い鳥は何の象徴だろう?
 ブルーバード?
 ははは。違うね。
 ブルーカラーに決まってるだろ。

【『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆(BNN、2003年)】

 カルロス・ゴーンは青い鳥をたらふく食った挙げ句に勘定を誤魔化していたようだ。コストカッターが自分の税金もカットしていた模様である。

 社員の首を切りまくり、工場の土地を売りまくり、経費を節減することで利益を出したゴーン社長をマスコミは手放しで称賛した。私は「フン、まるでマッカーサーだな」と業を煮やした。

 ゴーンが行ったことは地域に根差した日産ファンや日産文化の破壊であった。それまでは経営者の禁じ手であった人員整理が以後当たり前の経営手法に格上げされた。派遣社員も企業側の要望から適用業種が拡大された。富国の要であった経済が今度は国を亡ぼそうとしている。まるで癌細胞だ。癌は人体と共生することを拒んで人体と共に亡ぶ。

 ヨーロッパには「ノブレル・オブリージュ」(高貴なる者の義務)という観念があり、昔の戦争では貴族が先頭に立って出撃した。現代の高貴なる者は納税の義務すら回避しようと節税対策に余念がない。

かくかく私価時価―無資本主義商品論1997‐2003
小田嶋 隆
ビー・エヌ・エヌ新社
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2018-11-18

シリーズ中唯一の駄作/『疑心 隠蔽捜査3』今野敏


『隠蔽捜査』今野敏
『果断 隠蔽捜査2』今野敏

 ・シリーズ中唯一の駄作

『初陣 隠蔽捜査3.5』今野敏
『転迷 隠蔽捜査4』今野敏
『宰領 隠蔽捜査5』今野敏
『自覚 隠蔽捜査5.5』今野敏
『去就 隠蔽捜査6』今野敏
『棲月 隠蔽捜査7』今野敏
・『空席 隠蔽捜査シリーズ/Kindle版』今野敏
『清明 隠蔽捜査8』今野敏
・『選択 隠蔽捜査外伝/Kindle版』今野敏
『探花(たんか) 隠蔽捜査9』今野敏

ミステリ&SF

 まったく、恋愛というやつは理解に苦しむ。いや、恋愛感情を否定するわけではない。男女の関係にルールやしきたりがあるような風潮が理解できないのだ。
 もっと理解できないのが、あたかもこの世で一番大切なものが恋愛であるかのようなテレビドラマや映画が人気を博していることだ。世間の人々の関心事が恋愛なのではないかと思えてしまう。
 実際にそうなのかもしれない。
 そんな国は滅ぶ。竜崎は、本気でそう考えていた。(中略)
 思う人に思われない。いわゆる片思いというのが、恋の悩みの大部分を占めるのだろうが、恋愛に限らず人生うまくいかないのが当たり前だ。大人ならそれくらいのことは充分に認識できるはずだ。
 昨今、交際を断られたことが動機となる若者の凶悪犯罪が目立つ。社会的なトレーニングの欠如だろうと、竜崎は思う。
 断られることなで、長い人生においてはどうということはないのだ。だが、それを受け容(い)れることができずに、感情的になって犯行に及ぶのだろう。
 交際を断られたから、刺し殺した。
 無視されたから、殺した。
 振り向いてもらえなかったから、猟銃で撃ち殺した……。
 枚挙にいとまがない。
 こうした犯罪の一因として、恋愛至上主義ともいえる昨今の風潮があるかもしれない。

【『疑心 隠蔽捜査3』今野敏〈こんの・びん〉(新潮社、2009年/新潮文庫、2012年)】

 その竜崎が生まれて初めて恋を経験する。ありきたりの展開は若い読者に向けたサービス精神の現れか。終始、感情移入することができなかった。堅物のキャリ官僚も一皮むけば普通の人間と変わらなかった、という話のどこが面白いのだろう? 中学生でも思いつくプロットだ。

 ただしシリーズ物としての意味がないこともない。隠蔽捜査シリーズの「.5」は短篇集なのだが、新しいストーリーに発展させているところはさすがである。

 恋愛至上主義は歌に始まる。思春期であればまだしも、年老いた演歌歌手までが男と女の心の綾を熱唱する。他に歌うものがないのだろうか? ないんだな、これが(笑)。俳句の伝統を思えばもっと自然や風景を歌うべきだし、社会風刺や流行、科学や技術革新、労働と生活、友情や信頼関係などが歌われるべきだ。「野球部に入っていると爪水虫になりやすいぞ」なんていう歌があったら俺は水虫にならなくて済んだのに。料理や算数の歌だってもっとあっていいはずだ。大体、相対性理論や量子力学が歌われていない現実がおかしいのだ。

 私の親友が恋の悩みを先輩に打ち明けた。「本当に相手のことを大切に思っているのか? そして結婚まで考えているのか?」と先輩は訊(き)いた。「はい」と応じると先輩は答えた。「君の気持ちが純粋なことはよくわかった。恋愛感情というのは時に美しく感じられるものだが本当は違う。我々男たちが最終的に考えているのは『やりたい』ってだけのことなんだ。その欲望をよく見極めて行動するように」と。

 恋愛とは優れた遺伝子を探す本能に基づく条件反射だ。美男美女(『なぜ美人ばかりが得をするのか』ナンシー・エトコフ)に衆目が集まるのは、遺伝情報が顔に現れやすいためだ。均整のとれた体型も同様である。更に家柄・学歴は社会で生きてゆく上でのメリットであるが、基本的には子孫の生存率が高まることを意味する。人類の歩みを振り返れば男性の優位性は暴力・体力→政治力→財力とシフトしてきているように見える。政治力・財力は知力と置き換えてもよい。要は「他人からいかに奪うか」というのが男の本領であろう。

 自分に最適な遺伝子を見つける方法は案外簡単である。それは体臭だ。相手の体臭を「いい匂い」と感じれば、それが最もタイプの遠い遺伝子を示しており、自分の遺伝子と掛け合わせることで強い子供が生まれるという寸法だ。整形手術で顔は誤魔化せても体臭は変えようがない。

 ここで最大の疑問が生じる。なぜ人類は進化しているように見えないのだろう? 実に不思議なことだ。

 恋愛至上主義は自分が大切にされてこなかったことに対する反動だ。高度成長期にフォークやニューミュージックが一世を風靡(ふうび)したのも偶然ではあるまい。生活の豊かさが愛情を枯渇させたのだ。大事にされた経験が人の目方の中心を成す。軸の弱い人は風に翻弄されやすい。他人の視線や顔色を窺いながら自分の人生を見失ってゆく羽目に陥る。

「いのち短し 恋せよ乙女/あかき唇 あせぬ間に/熱き血潮の 冷えぬ間に/明日の月日は ないものを」(『ゴンドラの歌』大正4年〈1915年〉)――ま、「若いうちに子供を産め」って歌だわな。


2018-11-17

読み始める

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2018-11-15

ありきたりの光景/『ベトナム戦記』開高健


 ・ありきたりの光景

『人間の崩壊 ベトナム米兵の証言』マーク・レーン
『動くものはすべて殺せ アメリカ兵はベトナムで何をしたか』ニック・タース

 短い叫びが暗がりを走った。立テ(ママ)膝をした10人のベトナム人の憲兵が10挺のライフル銃で一人の子供を射った。子供はガクリと膝を折った。胸、腹、腿にいくつもの黒い、小さな小さな穴があいた。銃弾は肉を回転してえぐる。射入口は小さいが射出口はバラの花のようにひらくのである。やがて鮮血が穴から流れだし、小川のように腿を浸した。肉も精神もおそらくこの瞬間に死んだのであろう。しかし衝撃による反射がまだのこっていた。少年はうなだれたままゆっくりと首を右、左にふった。
「だめだ。だめだ。まだだめだ」
 そうつぶやいているように見える動作だった。将校が近づき、回転式拳銃をぬいて、こめかみに1発“クー・ド・グラース”(慈悲〈とどめ〉の一撃)を射ちこんだ。少年は崩れ、うごかなくなった。鮮血がほとばしってやせた頬と首を浸した。
 銃音がとどろいたとき、私のなかの何かが粉砕された。膝がふるえ、熱い汗が全身を浸し、むかむかと吐気がこみあげた。たっていられなかったので、よろよろと歩いて足をたしかめた。もしこの少年が逮捕されていなければ彼の運んでいた地雷と手榴弾はかならず人を殺す。5人か10人かは知らぬ。アメリカ兵を殺すかもしれず、ベトナム兵を殺すかもしれぬ。もし少年をメコン・デルタかジャングルにつれだし、マシン・ガンを持たせたら、彼は豹のようにかけまわって射殺し、人を殺すであろう。あるいは、ある日、泥のなかで犬のように殺されるであろう。彼の信念を支持するかしないかで、彼は《英雄》にもなれば《殺人鬼》にもなる。それが《戦争》だ。しかし、この広場には、何かしら《絶対の悪》と呼んでよいものがひしめいていた。あとで私はジャングルの戦闘で何人も死者を見ることとなった。ベトナム兵は、何故か、どんな傷をうけても、ひとことも呻かない。まるで神経がないみたいだ。ただびっくりしたように眼をみはるだけである。呻きも、もだえもせず、ピンに刺されたイナゴのように死んでいった。ひっそりと死んでいった。けれど私は鼻さきで目撃しながら、けっして汗もかかねば、吐気も起さなかった。兵、銃、密林、空、風。背後からおそう弾音。まわりではすべてのものがうごいていた。私は《見る》と同時に走らねばならなかった。体力と精神力はことごとく自分一人を防衛することに消費されたのだ。しかし、この広場では、私は《見る》ことだけを強制された。私は軍用トラックのかげに佇む安全な第三者であった。機械のごとく憲兵たちは並び、膝を折り、引金をひいて去った。子供は殺されねばならないようにして殺された。私は目撃者にすぎず、特権者であった。私を圧倒した説明しがたいなにものかはこの儀式化された蛮行を佇んで《見る》よりほかない立場から生れたのだ。安堵が私を粉砕したのだ。私の感じたものが《危機》であるとすると、それは安堵から生れたのだ。広場ではすべてが静止していた。すべてが薄明のなかに静止し、濃縮され、運動といってはただ眼をみはって《見る》ことだけであった。単純さに私は耐えられず、砕かれた。

【『ベトナム戦記』開高健〈かいこう・たけし〉(朝日新聞社、1965年/朝日文庫、1990年)】

 1964年、開高健は朝日新聞社臨時特派員として米軍が本格的に介入するベトナムへ飛んだ。どちらからどちらに頼んだのかはわからない。野次馬根性の強さを思えば開高から頼んだ可能性も高い。東京オリンピックよりはベトナムの方がお似合いだ。

 やはり1965年の本である。しかも戦記というよりは戦争見学雑記といった内容だ。危ない目には遭っているものの、拭い難い気楽さが漂っている。

 当時の戦地であれば処刑の場面はありきたりの光景といってよい。「サイゴンの処刑」(1968年)は世界中で放映された。

 開高健は帰国後、ベ平連に参加するものの、左翼が行う反米闘争にうんざりして脱退する。保守派とは言い難いが常識的なセンスの持ち主だった。ま、元々サントリーの宣伝をやっていたわけだから現実主義者であったのだろう。

「砕かれた」彼はその後どうなったのか? 私が本気で読んだのは『白いページ』くらいなので知る由もない。よもや釣り三昧ではあるまいな。

ベトナム戦記 (朝日文庫)
開高 健
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白いページ―開高健エッセイ選集 (光文社文庫)
開高 健
光文社
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2018-11-13

憲法9条に対する吉田茂の変節/『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温


『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温
『いちばんよくわかる!憲法第9条』西修

 ・憲法9条に対する吉田茂の変節

・『だから、改憲するべきである』岩田温
『日本人のための憲法原論』小室直樹
『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八
『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八
『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖
『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦

 当初、憲法第9条は、どのように解釈されていたのかを確認しておこう。
 この問題について考える際、最も参考になるのが、吉田茂総理の国会答弁だ。
 昭和21年6月26日、吉田茂は、憲法と自衛権との関係について次のように答弁している。
「戦争抛棄(ほうき)に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はして居りませぬが、第9条第2項に於て一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も抛棄したものであります。従来近年の戦争は多く自衛権の名に於て戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争然りであります」(1946年6月26日、衆議院本会議)
 ここで吉田茂は、憲法第9条が直接自衛権を否定しているものではない、との留保をつけながらも、「自衛権の発動としての戦争」まで否定しているのだ。(中略)
 今日では考えられないことかもしれないが、こうした吉田茂の自衛権を否定する発言に対して、批判したのが日本共産党だ。日本共産党の野坂参三が、「侵略戦争」と「自衛戦争」を区別し、後者を擁護したうえで、次のように指摘した。
「戦争には我々の考えでは二つの種類の戦争がある、二つの性質の戦争がある。一つは正しくない不正の戦争である。(中略)他国征服、侵略の戦争である。是は正しくない。同時に侵略された国が自由を護るための戦争は、我々は正しい戦争と云って差支えないと思う(中略)一体此の憲法草案に戦争一般抛棄と云う形でなしに、我々は之を侵略戦争の抛棄、斯(こ)うするのがもっとも的確ではないか」(1946年6月28日、衆議院本会議)
 日本共産党の野坂は、祖国を防衛する自衛のための戦争までも放棄する必要はなく、他国を武力によって侵略する「侵略戦争」のみを禁じればよいのではないか、という極めて常識的な指摘をしている。
 これに対して、吉田茂は、次のように応じている。
「戦争抛棄に関する憲法草案の條項に於きまして、国家正当防衛に依る戦争は正当なりとせらるるようであるが、私は斯(か)くの如きことを認むることが有害であると思うのであります(拍手)近年の戦争は多くは国家防衛権の名に於(おい)て行われたることは顕著なる事実であります、(中略)故に正当防衛、国家の防衛権に依(よ)る戦争を認むると云うことは、偶々戦争を誘発する有害な考えであるのみならず、若(も)し平和団体が、国際団体が樹立された場合に於きましては、正当防衛権を認むると云うことそれ自身が有害であると思うのであります、御意見の如きは有害無益の議論と私は考えます」

【『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温〈いわた・あつし〉(並木書房、2015年)以下同】

 多くの書籍で引用されている会議録だがまだまだ知らない人が多いと思われるので資料として記録しておく。吉田発言は芦田修正を完全に無視した妄言で、日本の政治が気分によって動く様相をありありと映し出す。敗戦からまだ1年を経てない時期ゆえ、戦争に対する嫌悪感は理解できるが、床屋のオヤジが言うならまだしも一国の総理が議会で説くような内容ではあるまい。原理原則を軽んじ、本音と建前を器用に使い分ける国民性を恥じるべきだ。

「私は一つの含蓄をもってこの修正を提案したのであります。『前項の目的を達するため』を挿入することによって原案では無条件に戦力を保持しないとあったものが一定の条件の下に武力を持たないということになります。日本は無条件に武力を捨てるのではないということは明白であります。そうするとこの修正によって原案は本質的に影響されるのであって、したがって、この修正があっても第9条の内容には変化がないという議論は明らかに誤りであります」

芦田均の証言:昭和32(1957)年12月5日、内閣に設けられた憲法調査会

日米安保条約と吉田茂の思惑/『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 しかし、こうした吉田の「自衛」を放棄するという主張は、戦後日本の一貫した国防方針とはならなかった。
 こうした国防方針を否定することになったのは国際情勢が激変したことによる。冷戦の激化にともない、日本の再軍備が必要だとアメリカが考え始めたのだ。
 1950年の元旦、マッカーサーが「日本国民に告げる声明」において、次のように指摘した。
「この憲法の規定は、たとえどのような理屈をならべようとも、相手側から仕掛けてきた攻撃に対する自己防衛の冒しがたい権利を全然否定したものとは絶対に解釈できない」
 これは、極めて重大な指摘だ。憲法の規定について、従来、吉田茂は、自衛戦争も否定する旨の発言を繰り返してきた。だが、マッカーサーが日本国憲法には、「自己防衛の冒しがたい権利」を否定したものではないと強調したのだ。
 これは、明らかに、日本の再軍備を念頭に置いたものであり、このマッカーサー発言以降、吉田茂の「自衛」論も変化を遂げることになる。

 1952(昭和27)年4月28日まで日本はGHQの占領下にあった。このため憲法制定も憲法解釈も自主的に行うことができなかった。占領下の憲法は廃棄すべきであるとの主張には一定の説得力がある。押し付け憲法論の最右翼で「青年将校」の異名を取った中曽根康弘は衆議院5期目の時に「この憲法のある限り 無条件降伏つづくなり/マック憲法守れるは マ元帥の下僕なり」と歌った(「憲法改正の歌」1956年)。



 国民は食べることに必死だった。政治家は経済発展を何よりも優先した。やがて高度経済成長を迎えた。そして国家を見失った。飽食の時代に至り、バブル景気が弾けた時、長く続いた平和が精神を蝕んできたことにようやく気づいた。

 中国が領空・領海侵犯を繰り返し、沖縄に魔手を伸ばす現実がありながらも、「平和憲法擁護」を叫ぶ人々がまだ存在する。平和の美酒は甘く、薫り高い。アメリカの核の傘の下で目覚めることのない酔いに浸(ひた)るのは無責任な快楽主義といってよい。



GHQはハーグ陸戦条約に違反/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠