2018-12-24

ロードバイクは人生を変える/『自転車で遠くへ行きたい。』米津一成


『こぐこぐ自転車』伊藤礼

 ・ロードバイクは人生を変える

「そんな長距離なんてとてもとても」と思うかもしれない。でも、あなたがロードレーサーを手に入れたならば、50kmがたやすく走れる距離であること、100kmが手の届く距離であることにすぐに気がつくだろう。そしていずれは200km、300kmという距離を走ることも不可能ではないと気がつくはずだ。
 今は信じてもらえないかもしれないが(東京近郊に住んでいる人ならば)その気になれば1日で往復200km、東伊豆で海鮮丼を食べて帰ってくることも、片道300km、日本海まで走って夕焼けを眺めることさえできる。そして、その距離を走る間に見ることができる景色は、エンジン付きの乗り物から見る景色とはまったく違うものだ。もちろん辿り着いた目的地で見る景色もまったく違って見えるはずだ。
 ロードレーサーとはそういう乗り物だ。
 僕はロードレーサーに出会って、生活が一変した。見たことのなかった景色をたくさん見た。走ったことのなかった道をたくさん走った。自転車仲間という多くの新しい友人も得た。体型もずい分変わった。そして何より、僕の心の奥底の何かが大きく変わった。再生した、と言ってもいい。(中略)
 自転車で遠くへ行きたい。
 その「遠く」とは物理的な距離だけではない。ロードレーサーはあなたの心も「遠く」へ連れていってくれるはずだ。

【『自転車で遠くへ行きたい。』米津一成〈よねづ・かずのり〉(河出書房新社、2008年/河出文庫2012年)】

 自転車は移動そのものを喜びに変える不思議な乗り物だ。慣れるまでは確かに苦しい。前傾姿勢とケツの痛みは拷問といってよいほどだ。最初の関門は1000kmである。私は2ヶ月半で達成した。体が自転車に馴染んでくると周囲の景色がよく見えるようになる。

 ロードバイクの定義は様々あるようだが、目方が10kg以下で、サドルの位置がハンドルより高く、タイヤ幅が28cm以下の自転車と考えればよい。もっと簡単明瞭にいえば「荷物を載せない自転車」である。ハンドルはドロップが望ましいが、フラットバーでもバーエンドバーを付ければ姿勢を変えることができる。街乗りメインだとブレーキを掛けやすいフラットバーの方が安全だ。

 私は55歳で乗り始めたのだが4回目で50kmを走行した。軽い衝撃を覚えた。原付バイクで50km走ることもそう滅多にあるものではない。それを人力で成し遂げたのだ。文明の利器これに優(すぐ)るものなし。寒くなってくると案の定乗る機会は減ってきたが、現在の総走行距離は1337kmである。最長距離は77kmで100kmまで手が届きそうだが今はまだ脚作りが先だ。

 自転車の難点は二つある。まず盗難リスクである。自宅保管は当然ながら、飲食をする際にも十分留意する必要がある。二つ目は飲食代が嵩(かさ)むことだ。ここ数年、殆ど使ってこなかった自動販売機を多用する羽目になった。で、カロリーを消費するわけだから当然食べる量が増える。脚力をつけるためにもタンパク質の摂取が欠かせない。これはガソリン代と考えてよかろう。

 最大のリスクは交通事故であるがこれについては稿を改める。

 颯爽と風を切る。風を浴びるのではない。私が風になるのだ。

自転車で遠くへ行きたい。 (河出文庫)
米津 一成
河出書房新社
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2018-12-23

香る言葉/『ストーナー』ジョン・ウィリアムズ


『あなたに不利な証拠として』ローリー・リン・ドラモンド

 ・香る言葉

東江一紀
楡井浩一

 図書館では、何万冊もの本を収めた書庫のあいだを歩き回って、革の、布の、そして乾きゆくページのかびくささを、異国の香(こう)のようにむさぼり嗅(か)いだ。ときおり足を止め、書棚から一冊抜き出しては、大きな両手に載せて、いまだ不慣れな本の背の、硬い表紙の、密なページの感触にくすぐられた。それから、本を開き、この一段落、あの一段落と拾い読みをして、ぎこちない指つきで慎重にページをめくる。ここまで苦労してたどり着いた知の宝庫が、自分の不器用さのせいで万が一にも崩れ去ったりしないようにと。
 友人はなく、生まれて初めて孤独を意識するようになった。屋根裏部屋で過ごす夜、読んでいる本からときどき目を上げ、ランプの火影(ほかげ)が揺れる隅の暗がりに視線を馳(は)せた。長く強く目を凝らしていると、闇が一片の光に結集し、今まで読んでいたものの幻像に変わった。そして、あの日の教室でアーチャー・スローンに話しかけられたときと同じく、自分が時間の流れの外にいるように感じた。過去は闇の墓所から放たれ、死者は棺から起き上がり、過去も死者も現在に流れ込んで生者にまぎれ、そのきわまりの瞬時(ひととき)に、ストーナーは濃密な夢幻に呑み込まれて、取りひしがれ、もはや逃れることはかなわず、逃れる意思もなかった。

【『ストーナー』ジョン・ウィリアムズ:東江一紀〈あがりえ・かずき〉訳(作品社、2014年)】

 平凡な男の平凡な一生が稀有な文章で綴られる。何ということか。物語は語られる対象のドラマ性に拠(よ)るのではなく、実はその語り口にあるのだ。脳は因果というストーリーを志向するのだが、好悪を決めるのは文体(スタイル)だ(『書く 言葉・文字・書』石川九楊、『漢字がつくった東アジア』石川九楊)。すなわちメロディーとリズムの関係といってよい。感情を高めるのはメロディーだが体を揺するのはリズムである。

 香る言葉が至るところに散りばめられ、青葉の露を想わせる何かが滴(したた)り落ちる。巧みな画家は路傍の石を描いても傑作にすることができる。小林秀雄が岡潔との対談『対話 人間の建設』で紹介している地主悌助〈じぬし・ていすけ〉は石や紙を題材に描く。つまり作品は表現で決まるのだ。

 長い生命を勝ち得た思想を支えているのも文体だ。仏典、聖書、四書五経に始まり、ありとあらゆる宗教や哲学に後世の人々が心を震わせるのは時代を超えたスタイルに魅了されるためだ。セネカショウペンハウエル三木清を見よ。書かれた内容よりも文体に魅力があるのは明々白々だ。

 いかなる人生であろうとも物語られる価値がある。もしもあなたがつまらない日々を過ごしているならば、それは語るべき言葉が乏(とぼ)しいためだ。語彙(ごい)数ではない。視点の高さから豊かな言葉が生まれる。

 本書は東江一紀の遺作である。ラストで物語と翻訳家の人生が交錯し、現実とドラマが完全につながる。「あとがき」から読むことを勧める

ストーナー
ストーナー
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ジョン・ウィリアムズ
作品社
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英「今年の本」は50年前に絶版の小説、翻訳版で一躍ベストセラーに | ロイター

悪文極まれリ/『時のみぞ知る』ジェフリー・アーチャー


・『百万ドルをとり返せ!』ジェフリー・アーチャー
・『新版 大統領に知らせますか?』ジェフリー・アーチャー

 ・悪文極まれリ

『ぼくを忘れたスパイ』キース・トムスン

 クラスの女の子は一人残らず彼に首ったけだったけれど、それは彼が学校代表のサッカー・チームのキャプテンだというだけが理由ではなかった。
 学校時代のわたしにはちらりとも関心を見せなかったにもかかわらず、彼が西部戦線から帰ってきた直後に、それに変化があった。あの土曜の夜の《パレ》で、わたしとわかっていてダンスを申し込んできたのかどうかはいまだによくわからないけれども、公平を期すために言うなら、わたしも相手が彼とわかるまで、二度もその顔を見直さなくてはならなかった。

【『時のみぞ知る』ジェフリー・アーチャー:戸田裕之〈とだ・ひろゆき〉訳(新潮文庫、2013年)】

 7部作全14巻の1ページ目がこの悪文である。三度読み返しても理解できず、頭がおかしくなりそうになった。「首ったけだったけれど」という音の悪さ、「けれど~なかった~かかわらず~けれども~ならなかった」という否定形の連続が文章の行方をわからなくしている。なかんずく「直後に、それに」は致命傷だ。「彼が西部戦線から帰ってきた時に変わった」で構わないだろう。「一変した」でもよい。

 新潮社も落ちたものだ。

時のみぞ知る〈上〉―クリフトン年代記〈第1部〉 (新潮文庫)
ジェフリー アーチャー
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時のみぞ知る〈下〉―クリフトン年代記〈第1部〉 (新潮文庫)
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2018-12-21

松岡完


 1冊挫折。

ベトナム戦争 誤算と誤解の戦場』松岡完〈まつおか・ひろし〉(中公新書、2001年)/好著である。にもかかわらず読む速度が遅いのは体調が合わないためか。80ページほどで中止する。年を取るとこういうことがしばしばある。『動くものはすべて殺せ アメリカ兵はベトナムで何をしたか』ニック・タースの後に読むのがいいだろう。ほぼ1年振りに読書日記を復活するほどの内容である。『ベトナム症候群 超大国を苛む「勝利」への強迫観念』(中公新書、2003年)と併せて必ず読む予定である。

「外交官とその時代」シリーズ/『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦


『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ
『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』岡崎久彦

 ・「外交官とその時代」シリーズ

『陸奥宗光』岡崎久彦
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦
『幣原喜重郎とその時代』岡崎久彦
『重光・東郷とその時代』岡崎久彦
『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦
『村田良平回想録』村田良平『歴史の教訓 「失敗の本質」と国家戦略』兼原信克

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 そのころ、大和(やまと)の五条という天領にいた本屋の主人が、たまたま和歌山に来ていて、宗光が復讐(ふくしゅう)、復讐と叫ぶのを聞いて、これは面白い子だと思って、ぼっちゃん(紀州では、ぼんぼんという)、紀州家に仇討ちをされるなら、天領の代官になりなさい、と言ってくれた。
 宗光は雀躍(じゃくやく)して喜び、大和五条にある老人の家の食客(しょっかく)となって『地方凡例録』(じかたはんれいろく)とか、『落穂集』(おちぼしゅう)とかを勉強した。これらは、幕府の民政の書で、代官の教科書であった。後年、陸奥が、日本の近代化を一挙に促進した地租改正の議(ぎ)などを提案したのは、このときの素養があったからという。
 こんなものは、大人が読んでも面白いもののはずがない。それを、数え年10歳の少年が読んで、あとに残るほど理解し、吸収し得たとすれば、それは仇討ちの気魄(きはく)があって初めてできることと思う。昔話に、仇討ちの執念でたちまちに剣道が上達する話がよくあるが、やる気というものは、恐ろしいものである。(※ルビの大半を割愛した)

【『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦(PHP研究所、1999年/PHP文庫、2003年)】

 岡崎は先に『陸奥宗光(上)』『陸奥宗光(下)』(PHP研究所、1987年/PHP文庫、1990年)を著しており、これを短く書き直したのが本書である。刊行年だけ辿ると『小村寿太郎とその時代』(1998年)を先に読みかねないので注意が必要だ。

「外交官とその時代」シリーズは英訳を視野に入れたもので日本の近代史を客観的に捉える工夫がなされており、ルビも聖教新聞並みに豊富で配慮が行き届いている。岡崎は親米保守の旗幟(きし)を鮮明にしているが、安易なコミュニズム批判は見受けられず、時代に寄り添い、時代の中に身を置いて世界の動きを体感しようと試みる。日本近代史の中で立憲制~政党政治がどのように育まれてきたかを俯瞰できるシリーズとなっている。

 陸奥宗光〈むつ・むねみつ〉は紀州藩(和歌山県)士で海援隊では坂本龍馬の右腕となり、任官してからは版籍奉還、廃藩置県、徴兵令、地租改正を始め、農林水産業に至るまでのグランドデザインを描いた人物である。岡崎久彦は伊藤博文と陸奥宗光を日本近代化における政党政治の立役者として描く。陸奥の志は死後に立憲政友会を生ましめる。

 私はかねがね、西郷(さいごう)など徳川時代の教養を深く身につけた人が西欧の合理主義になじまなかった罪は陽明学にあると思っている。陽明学は儒学の行きついた極致であり、すべて自己完結している。個人の人格さえ完成すれば、それが社会全体の幸福にまでつながると信ずれば、日々の生活になんの迷いも生じない。物質的な貧乏(後進性)も、毀誉褒貶(きよほうへん/世論〈よろん〉)も気にすることはない。何もかも失敗しても、天の道をふんでいるのだから、志は天に通じていると思っている。そんな思想に凝り固まっている「立派な人」に近代思想を説いても、結局は歯車が噛み合わないであろう。
 明治維新の過程をみると、行動を重んじる陽明学はたしかに革命の原動力にはなった。江戸時代唯一の革命の試みといえる1837年の乱を起した大塩平八郎も陽明学者だった。吉田松陰が長州の革命家を育てた役割も大きい。しかし、維新後の近代化の過程では西南戦争の西郷隆盛と言い、後に議会政治を弾圧した品川弥二郎(しながわやじろう)と言い、陽明学の士は、近代化の足を引っ張っている。しょせん革命には有用であっても、近代化にはなじまない思想なのであろう。

 儒家における大乗化みたいな代物か。人を動かすのは感情だが、人を糾合するためには理窟が必要となる。思想という物差しがなければ軍は成り立たず、一揆やゲリラ戦で終わってしまう。たぶん様式化した武士道と陽明学の親和性が高かったのだろう。

 陸奥の配下に岡崎邦輔〈おかざき・くにすけ〉がいたが、実は著者の祖父に当たる。本書には書かれていないが上下本では詳細が綴られている。

 人と時代を見事に描き切った傑作である。