2020-02-10

「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」/『石原吉郎詩文集』石原吉郎


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 小説は短篇の方が難しいといわれる。限られた紙数で物語を描くのだから構成や結構で勝負するしかない。石原吉郎は詩人であるが、味わい深い短篇小説も残している。

「気がかりな夢から目を覚ますと男は毒虫になっていた」というカフカ的手法に近い。不条理を戯画化することでシンボリックに描き出している。

 主人公の男は棒をのんでいる。なぜ棒をのまないといけないのかは一切語られない。

 要するにそれは、最小限必要な一種の手続きのようなものであって、「さあ仕度しろ」というほどの意味をもつにすぎない。それから僕の返事も待たずに、ひょいと肩をおさえると、「あーんと口を開けて」というなり、持ってきた棒をまるで銛でも打ちこむように、僕の口の中へ押しこんでしまうのである。その手ぎわのたしかさときたら、まるで僕という存在へ一本の杭を打ちこむようにさえ思える。
 一体人間に棒をのますというようなことができるのかという、当然起りうる疑問に対しては、今のところ沈黙をまもるほかはない。なぜなら、それはすでに起ったことであり、現に今も起りつつあることだからだ。

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)以下同】

 石原吉郎はシベリア抑留という不条理を生きた。

 敗戦必至という状況下で日本政府は天皇を守るため、ソ連に労働力を提供する申し出をしていた。この取引は実現することはなかったが、酷寒のシベリアに連れ去られた同胞を政府が見捨てたのは事実であった。

 それはまさしく「棒をのまされた」様相を呈していた。

 それにしても僕が、なんの理由で刑罰を受けなければならないかは、やはり不明である。

 僕はその日いちにち、頭があつくなるほど考えてみたが、何がどういうふうにしてはじまったかは、ついにわからずじまいだった。

 こうした何気ない記述の中には石原が死の淵で叫んだであろう人生に対する疑問が込められている。具体的には国家に対する疑問でありながら、理不尽や不条理はやはり神に叩きつけるべき問題だ。

 理由が不明で、いつ始まったかもわからない──こんな恐ろしいことがあるだろうか? 不幸はいつもそんな姿で現れる。

 僕がこころみたおかしな抵抗やいやがらせは、もちろんこれだけではない。だがそれはつまるところ、棒に付随するさまざまな条件に対する抵抗であって、かんじんの棒をどう考えたらいいかという段になると、僕にはまるっきり見当がつかないのである。僕が棒について、つまり最も根源的なあいまいさについて考えはじめるやいなや、それは僕の思考の枠をはみだし、僕の抵抗を絶してしまうのだ。要するに災難なんだ、と言い聞かせておいて、帽子をかぶり直すという寸法なのだ。

 ここだ。巧みな描写で石原は政治と宗教の違いを示している。「棒に付随する条件への抵抗」が政治、「棒の存在そのもの」が宗教的次元となろう。

 棒をのまされたことで、主人公はどうなったか?

 すると、その時までまるで節穴ではないかとしか思えなかった僕の目から、涙が、それこそ一生懸命にながれ出すのである。
 だがそれにしても、奇妙なことがひとつある。というのは、いよいよ涙が、どしゃ降りの雨のように流れ出す段になると、きまってそれが一方の目に集中してしまうのである。だから、僕が片方の目を真赤に泣きはらしているあいだじゅう、僕のもう一方の目は、あっけにとられたように相手を見つめているといったぐあいになるので、僕は泣いているあいだでも、しょっちゅう間のわるい思いをしなければならないのだ。やがて、いままで泣いていた方の目が次第に乾いてきて、さもてれくさそうに、または意地悪そうにじろりと隣の方を見つめると、待っていたといわんばかりに、もう一方の目からしずかに涙がながれ出すというわけである。

 私は震え上がった。不条理は一人の人間の感情をもバラバラにしてしまうのだ。悲哀と重労働、飢えと寒さがせめぎ合い、生きる意志は動物レベルにまで低下する。希望はあっという間に消え失せる。今日一日を、今この瞬間をどう生き抜くかが最大の課題となる。

 帰国後、更なる悲劇が襲った。抑留から帰還した人々をこの国の連中は赤呼ばわりをして、公然とソ連のスパイであるかのように扱ったのだ。菅季治〈かん・すえはる〉は政治家に利用された挙げ句に自殺している(徳田要請問題)。

 石原の心の闇はブラックホールと化して涙を吸い込んでしまった。

「それに場所もなかったよわね。あんなところで問題を持ち出すべきじゃないと思うな。」
「じゃ、どこで持ちだすんだ。」
「そうね、裁判所か……でなかったら教会ね。」
 僕は奮然と立ちあがりかけた。
「よし、あした教会へ行ってやる。」
「そうしなさいよ。」
 彼女は僕の唐突な決心に、不自然なほど気軽に応じた。
「それでなにかが変ることはないにしてもね。」

 裁判所と教会の対比が鮮やか。どちらも「裁きを受ける場所」である。最後の一言が辛辣(しんらつ)を極める。政治でも宗教でも社会を変えることは不可能であり、まして過去を清算することなど絶対にできない。それでも人は生きてゆかねばならない。

 果たして、「棒」は与えられた罪なのだろうか? そうであったとしても、石原は過去を飲み込んだのだろう。鹿野武一〈かの・ぶいち〉や菅季治の死をも飲み込んだに違いない。体内の違和感に突き動かされるようにして、石原は言葉を手繰ったのだろう。

ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある/『石原吉郎詩文集』石原吉郎


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 自覚された状態としての失語は、新しい日常のなかで、ながい時間をかけてことばを回復して行く過程で、はじめて体験としての失語というかたちではじまります。失語そのもののなかに、失語の体験がなく、ことばを回復して行く過程のなかに、はじめて失語の体験があるということは、非常に重要なことだと思います。「ああ、自分はあのとき、ほんとうにことばをうしなったのだ」という認識は、ことばが取りもどされなければ、ついに起こらないからです。

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

 言葉を取り戻さなければ失語の体験を語ることができない。人は語り得ることを失った時、言葉を失うのだろう。凍てつく大地で強制労働をさせられ、目の前で同胞が虫けら同然に殺されてゆく。しかも祖国は手を差し伸べてはくれない。更に周囲は社会主義の洗脳で赤く染まってゆく。語るべき言葉を失い、沈黙の中で死んでいった人々もまた多かったことだろう。その壮絶を思え。日本政府は北朝鮮による拉致事件でも同じことを繰り返した。この国には命を捨てて守るほどの価値はないかもしれない。

詩は、「書くまい」とする衝動なのだ/『石原吉郎詩文集』石原吉郎


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 ただ私には、私なりの答えがある。詩は、「書くまい」とする衝動なのだと。このいいかたは唐突であるかもしれない。だが、この衝動が私を駆って、詩におもむかせたことは事実である。詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、「沈黙するための」ことばであるといっていい。もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、このような不幸な機能を、ことばに課したと考えることができる。いわば失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志が、詩の全体をささえるのである。(「詩の定義」)

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

 これは決して「気取った文章」ではない。戦後、シベリアのラーゲリに抑留された石原にとって「言葉を語る」ことは、そのまま実存にかかわることもあった。言葉にした途端、事実は色褪せ、風化してゆく。時間の経過と共に自分の経験ですら解釈が変わってゆく。物語は単純化され、デフォルメされ、そして変質する。

 石原は「語るべき言葉」を持たなかった。シベリアで抑留された人々は、「国家から見捨てられた人々」であった。ロシアでも人間扱いをされなかった。すなわち「否定された存在」であった。

 消え入るような点と化した人間が、再び人間性を取り戻すためには、どうしても「言葉」が必要となる。石原吉郎は詩を選んだ、否、詩に飛び掛かったのだ。沈黙は行間に、文字と文字との間に横たわっている。怨嗟(えんさ)と絶望、憎悪と怒り、そしてシベリアを吹き渡る風のような悲しみ……。無量の思いは混濁(こんだく)しながらも透明感を湛(たた)えている。

 帰国後、鹿野武一(かの・ぶいち)を喪った時点で、石原は過去に釘づけとなった。シベリアに錨(いかり)を下ろした人生を生きる羽目となった。石原は亡霊と化した。彼を辛うじてこの世につなぎ止めていたのは、「言葉」だけであった。


「書く」行為に救われる/『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄、柳澤桂子

依正不二/『「原因」と「結果」の法則2 幸福への道』ジェームズ・アレン


『「言葉」があなたの人生を決める』苫米地英人
『アファメーション』ルー・タイス
『「原因」と「結果」の法則』ジェームズ・アレン

 ・依正不二

『新板 マーフィー世界一かんたんな自己実現法』ジョセフ・マーフィー
『未来は、えらべる!』バシャール、本田健
『潜在意識をとことん使いこなす』C・ジェームス・ジェンセン
『こうして、思考は現実になる』パム・グラウト
『こうして、思考は現実になる 2』パム・グラウト
『自動的に夢がかなっていく ブレイン・プログラミング』アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ
『あなたという習慣を断つ 脳科学が教える新しい自分になる方法』ジョー・ディスペンザ
『ソース あなたの人生の源はワクワクすることにある。』マイク・マクナマス
『科学的 本当の望みを叶える「言葉」の使い方』小森圭太

 あなたの世界は、あなたがどんな人間であるかの現れです。あなたの世界は、あなたの内側の状態が投影されたものであり、これからもそのすべてが、あなたが内側で体験することによって色づけされることになります。
 あなた自身の思い、希望、願望が、あなたの世界をつくり上げています。あなたの世界内にあるものは、たとえそれが、あなたにとって美しいものであっても、喜びであっても、醜いもの、あるいは痛みであっても、そのすべてが、あなたの内側に存在しています。
 あなたは、自分自身の思いによって、自分の人生、自分の世界を、あなたが思いのパワーによって内側の人生を築き上げると、あなたの外側の人生は、その内側の人生に従って自然に築かれることになります。
 たとえあなたが、心の奥底のどんな秘密の場所に、何を隠そうとも、あなたの内側に存在するすべてのものが、やがて必ず、あなたの外側の人生のなかに姿を現してきます。

【『「原因」と「結果」の法則2 幸福への道』ジェームズ・アレン:坂本貢一〈さかもと・こういち〉訳(サンマーク出版、2004年)】

 湛然〈たんねん/天台中興の祖。妙楽大師とも〉の十不二門(じっぷにもん)の中に依正不二(えしょうふに)がある。依報(えほう)が環境で正報(しょうほう)が生命主体のこと。報は報いで因→縁→果→報という時間の方向性を示す。身口意の所作は繰り返されることによって業(ごう)の慣性が働く。怒りっぽい人は些細なことでも怒りを露(あら)わにする。彼の世界は怒りの炎に包まれていることだろう。

 人類が犯した残虐さに目を向けてみよう。ナチスの強制収容所シベリア抑留のラーゲリルワンダでも依正不二は通用するだろうか?

 思考は感覚に基づいて比較し、社会もまた比較によって人々をランクづける。幸不幸も比較を通して感じることが多い。強制収容所の内側と外側を比較すれば明らかに理不尽の度合いが異なる。しかしながら外部世界にも悲惨な目に遭ったり、非業の死を遂げた人々は存在した。割合の違いだけを注目すれば比較は比率の問題になる。自由が不自由の中で試されるとすれば、幸福も不幸の中で鍛えられる。

 程度の差こそあれ万人が収容され、強制的な労働を強いられ、自由を損なわれていると考えることも可能だろう。例えば牢獄で生まれた子や孫にとっては牢獄が当たり前の世界と認識するように。現代では経済力が幸不幸を左右するため報酬の高い職業ほど会社に隷属せざるを得ない。社会の至るところで自由と不自由のフェアトレードが行われている。

 世界は塀で截然(せつぜん)と分けられているのではない。人々が織りなす安定と混沌が点在し、明滅しながら色彩を変化させている。不幸な世界であっても幸福な家庭はあり得る。とすれば不自由な強制収容所であっても自由な精神を確立することは可能だろう。

 世界から何を受け取り、何を思い、いかなる行動をしたかで世界観が形成される。幸不幸は解釈の問題であって自分を縛る事実ではない。今日、自分の内側にどんな種を蒔いたかを振り返る。それが憎悪の種ではなく感謝や歓びの種であれば周囲は必ず明るくなる。

2020-02-09

土地の価格で東京に等高線を描いてみる/『我が心はICにあらず』小田嶋隆


 ・洗練された妄想
 ・土地の価格で東京に等高線を描いてみる
 ・真実
 ・「お年寄り」という言葉の欺瞞
 ・ファミリーレストラン
 ・町は駅前を中心にして同心円状に発展していく
 ・人が人材になる過程は木が木材になる過程と似ている

『安全太郎の夜』小田嶋隆
『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆
『山手線膝栗毛』小田嶋隆
『仏の顔もサンドバッグ』小田嶋隆
・[https://sessendo.blogspot.com/2022/01/blog-post_95.html:title=『コンピュータ妄語録』小田嶋隆]
『「ふへ」の国から ことばの解体新書』小田嶋隆
『無資本主義商品論 金満大国の貧しきココロ』小田嶋隆
『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ』小田嶋隆
『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆
『イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』小田嶋隆
『テレビ標本箱』小田嶋隆
『テレビ救急箱』小田嶋隆

 この発想が天才的だ。オダジマンは企業の意向に沿って出来上がった町を嫌悪する。これぞ江戸っ子の心意気か。捏造されるのは歴史だけではない。町もそうなのだ。

私鉄不動産複合体財閥企業がつくった東京の山の手/『山手線膝栗毛』小田嶋隆

 で、土地の価格で東京に等高線を描くとどうなるか――

 現在の東京は大雑把に言えば西高東低の原則で構築されている。この西高東低の原則は、海抜高度、土地価格、住民の最終学歴、住民の平均年収、その地域にある学校の偏差値分布など、かなり広い範囲で適用できる。
 仮に土地の価格で等高線を描くとすれば、東京の地形は港区、千代田区、渋谷区といった中心部をピークにして西側に向かってなだらかなカーブで降りて行く。東急沿線、または小田急沿線の世田谷あたりはちょっとした尾根のようになっており、田園調布、等々力、成城学園あたりは峠になっている。
 東および北に向かう斜面は急であり、等高線の間隔はひどく狭い。そんな中で赤羽は川口市に向かってざっくりと落ちる崖っぷちの斜面に位置している。
 赤羽は国鉄とともに発展してきた町である。町の成立と発展を考える上で、このことは重要だ。国鉄の沿線と私鉄の沿線では全然違う町が出来上がる。つまり私鉄沿線(特に西側の私鉄)では都市計画の一部として線路を通すのだが、国鉄は単に線路を通すために線路を通すのだ。そのため国鉄の沿線では町は無秩序に、雨の後のタケノコのように自然発生してしまうのである。

【『我が心はICにあらず』小田嶋隆(BNN、1988年/光文社文庫、1989年)】

 実に見事だ。実際に地図をつくるだけの価値すらある。地価格差地図。これを全国に広げれば、湖のように陥没した地域も数多く出現することだろう。現在は隅田川から東側を下町と呼ぶのが一般的となっている。古くから東京に住む人は「川向こう」と嘲っていた。

 私が青春時代を過ごした亀戸(かめいど)はゼロメートル地帯で昔は大雨が降るたびに川が溢れたという。小学校から渡し舟で家に帰ったことがあると後輩の父親が語っていた。深川から東京湾にかけては江戸時代の埋立地で、隅田川と旧中川を結ぶ小名木川(おなぎがわ)という運河は徳川家康が作った。家康が江戸入りした頃は雨が降れば各所が水浸しになっていたことだろう。

 私が北海道から上京したのは昭和61年(1986年)だが、まず貧富の差に驚いた。新玉川線と東武亀戸線の客層はブティックと洋品店ほどの差があった。しかもその差が老若男女に及んでいた。ま、今時は山の手も下町もユニクロっぽい服装になっているから昔ほどの大差はないことだろう。下町からは木造アパートも姿を消して鉄筋コンクリートのビルになっている。

 昨年の台風19号による水害を思えば、やはり低い土地には危険が伴う。東京に地の利があるのは確かだが、地のリスクも高いことを弁えるべきだろう。