2020-12-03

日本近代史が見渡せる貴重な一書/『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎


『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三
『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『五・一五事件 海軍青年将校たちの「昭和維新」』小山俊樹
『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫

 ・日本近代史が見渡せる貴重な一書

『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰
『日本人と戦争 歴史としての戦争体験』大濱徹也
『近代の呪い』渡辺京二

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 その革新将校の一人安藤輝三大尉は、かの二・二六事件首謀者の一人。彼はその朝、中隊を率いて侍従長鈴木貫太郎邸を襲撃したが、形勢非にして、29日朝来攻囲軍の攻撃を前にして、もっとも頑強に抵抗した人として、知られている。その彼は、すでに、2年前(昭和9年頃)鈴木侍従長を訪ねて、その革新につき意見を求めている。これにつき、当の鈴木侍従長は、その戦後の回想(『嵐の侍従長八年』)の中に、興味ある事実を明らかにしている。それによると、鈴木は安藤の意見の中の三点、その第一は軍人が政治に進出して政権を壟断すること、第二は総理大臣に荒木大将を起用せよということ、そして第三に兵の後顧の憂いをなくせとの、三点について反駁した。とくにその第三点については、
「『いま陸軍の兵は多く農村から出ているが、農村は疲弊しておって後顧の憂いがある。この後顧の憂いのある兵をもって外国と戦うことは薄弱と思う。それだから農村改革を軍隊の手でやって後顧の憂いをなくして、外敵に対抗しなければならんといわれる。が、これは一応もっとものように聞こえる。しかし、外国の歴史はそれと反対の事実を語っている。いやしくも国家が外国と戦争する場合、後顧の憂いがあるから戦いができないというような、弱い意思の国民なら、その国は滅びても仕方があるまい』
 とて、フランスの歴史をひいて、これを反ばくし、日清日露戦役当時の日本人が、親兄弟が病床にあり、また妻子が飢餓に瀕していても、その家族たちは御国のために、心残りなく戦ってもらいたいと激励した。これが大国と戦う場合の国民の敵愾心であって、後顧の憂いがあるから、戦争に負けるというのは、とんでもない間違った議論だ」
 と安藤の意見に不同意の旨を述べたとある。
 だが、この鈴木の意見は、兵隊はただ国家のために黙々と戦陣に倒れてしかるべきものだというのだが、それは全くこの国の特権階級の思想であり、国民の犠牲において国家の発展をねがうもの。兵はその犠牲に甘んじ銃火の中に万歳をとなえて、この国に殉ずるものなるが故に、このようなことは、あえて隊附青年将校が叫ばなくとも、国家の手で手厚い保護が加えられて、しかるべきもの。だが、それがないところに、戦場でその部下に死を命ずる第一線青年将校、これを訓練する隊附青年将校たちの煩悶があり、それがつのって彼らの国家革新への志向となったのだ。(中略)
 はたして、安藤大尉は、右の鈴木の説示に納得したものかどうか。彼はその2年後、みずからかって知るこの侍従長の斬奸に出た。その襲撃ぶりは安藤の統率がよくきいて倒れた侍従長に「とどめ」の声があったが、彼はあえてこれをすることなく、瀕死の侍従長に「捧銃の礼」を捧げて退散した。

【『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎〈おおたに・けいじろう〉(『皇軍の崩壊 明治建軍から解体まで』図書出版社、1975年/改題『陸軍80年 明治建軍から解体まで』図書出版社、1978年/『皇軍の崩壊 明治建軍から解体まで』光人社NF文庫、2014年)】

 著者の大谷敬二郎は元憲兵将校で吉田茂を中心とするヨハンセングループの逮捕で指揮を執った人物である。私は『昭和陸軍謀略秘史』でその名を知った。国民から忌み嫌われた憲兵だが大谷の人物についてはよくわからないので評価はできず。

 岩畔豪雄〈いわくろ・ひでお〉が名を挙げるだけあって日本近代史が見渡せる貴重な一書である(※岩畔が示したのは二・二六事件関連書で書名は不明)。明治健軍から大東亜戦争敗北に至る歴史を綴っているが、落ち着きのない政治史よりも軍隊を巡る歴史の方がわかりやすい。

 上記の文章からも明らかなように大谷が描くのは「国民の軍隊が皇軍意識に酔い痴れ暴走する」様相だ。岡崎久彦の「外交官とその時代」シリーズですら外交という限られた分野を描いていることがわかる。

 安藤輝三と鈴木貫太郎の会話は気が入っていて興趣がある。「革新」とは昭和初期を席巻した思想である。革新派の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)が様々な化学反応を引き起こして戦争を敗北に導いたとも考えられるが、むしろ私はそれが日本国民の民意であったと見る。

 大正デモクラシーで政党が暴走し、昭和維新で軍が暴走した。GHQの占領によって日本は骨抜きとされたわけだが、GHQが去った後も変わろうとしない姿を見れば、日本人が望んだあり方だと考えていいだろう。国家の命運を握るのは国民の意志である。

 尚、全ての書影を挙げておく。amazonの検索は以前からデタラメだが、『陸軍80年』の別ページがあって私はこれに騙された。古い本なのでよもや文庫化されているとは予想せず、やはり本を売らなくなると探す感覚も鈍く劣化していることを痛感する。ハードカバーは上下二段で文字が小さいため文庫版をお勧めする。

【薇羽 看世間】グレートリセットと大覚醒の戦い


『グレート・リセット ダボス会議で語られるアフターコロナの世界』クラウス・シュワブ、ティエリ・マルレ、ナショナル ジオグラフィック編

 ・【薇羽 看世間】グレートリセットと大覚醒の戦い


 彼らによると「ザ・グレート・リセット」の目標は、資本主義と民主主義をリセットし、全体主義的な高度管理社会への移行の実現であるという。

ダボス会議「グレートリセット」で仕組まれる金融崩壊とコロナ後の資本主義=高島康司 | マネーボイス

「グレート・リセット」とは何ですか? 結論を言いましょう。今後、数十年に及ぶ経済の縮小のことです。

ダボス会議「グレートリセット2021年」が経済崩壊を予告 | カレイドスコープ

『グレート・リセット ダボス会議で語られるアフターコロナの世界』クラウス・シュワブ、ティエリ・マルレ、ナショナル ジオグラフィック編


 ・『グレート・リセット ダボス会議で語られるアフターコロナの世界』クラウス・シュワブ、ティエリ・マルレ、ナショナル ジオグラフィック編

【薇羽 看世間】グレートリセットと大覚醒の戦い



 世界経済フォーラムは、世界のリーダーたちが連携する国際機関。スイスの保養地ダボスで開催される年次総会(ダボス会議)には、著名な政治家や実業家、学者らが招かれ、意見を交わします。本書は、次のダボス会議のテーマとなる「グレート・リセット」を余すところなく解説しています。「グレート・リセット」とは文字通り、あらゆる局面においてこれまでの常態が覆ること。コロナ禍によって図らずも生まれたこの歴史の分岐点について、著者の二人は豊富な研究やデータを参照しながら深く考察し、平易な言葉でわかりやすく説明します。


 この著書の副題は「新しい経済と社会は大不況から生まれる」。すなわち2008年のリーマンショックに始まる不況を名指して、産業革命以降の資本主義の時代における三度目の「グレート・リセット」の時期に入ったのだとしています。
 一度目が1870年代に始まる「大不況(Great Depression)」、二度目が1930年代からの「大恐慌(The Great Depression)」。

 そして今度が、定冠詞をつけた「the Great Reset」です。

『グレート・リセット』とは | ちえのたね|詩想舎

2020-12-02

日本経済を崩壊に導いた日本銀行/『円の支配者 誰が日本経済を崩壊させたのか』リチャード・A・ヴェルナー


『ギャンブルトレーダー ポーカーで分かる相場と金融の心理学』アーロン・ブラウン
『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
『税金を払う奴はバカ! 搾取され続けている日本人に告ぐ』大村大次郎
『国債は買ってはいけない! 誰でも儲かるお金の話』武田邦彦
『平成経済20年史』紺谷典子
『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃

 ・日本経済を崩壊に導いた日本銀行

『消費税減税ニッポン復活論』藤井聡、森井じゅん

必読書リスト その二

 日本は1990年代を通じて高度成長できたはずだ。日銀がそう望みさえすれば、である。しかし、日銀幹部の見方によれば、「大事なことは、一時的な経済成長率の引き上げをめざすのではなく、腰をすえて構造的課題の解決に取り組むことではないかと思います」

【『円の支配者 誰が日本経済を崩壊させたのか』リチャード・A・ヴェルナー:吉田利子訳(草思社、2001年)以下同】

 日本銀行(にっぽんぎんこう)は財務省所管の認可法人である。政府の子会社といってよい。にも関わらず勝手な真似をすることが「日銀の独立性」として長く容認されてきた。まともな経済論議が見受けられるようになったのは「失われた10年」を経た後のことと記憶している。その先鞭をつけたのが元財務官僚の高橋洋一であった。続いて三橋貴明渡邉哲也上念司ら1969年生まれが綺羅星の如く登場した。彼らの功績は決して小さなものではない。それまでの経済学者が日銀に対してどのような見解を述べたかは知らないが、国民に届くような声を発してこなかったのは確かだろう。

 経済的な知識が弱いため、この手の書評を記すとなると膨大な量の検索を迫られる。場末ブロガーである私ですら公開する文章だとそれほどの慎重さが求められるのだ。フェイクニュースという代物は明らかに何らかの意図に基づいて書かれたものだろう。

 リチャード・ヴェルナーはドイツ人学者で日本にも留学した経験がある。世界経済が低迷する中で量的緩和を主導した大物である。

 だが、(※日銀法改正)法案は通った。そのために、政府は現在、最も重要な政策である金融政策をコントロールできなくなっている。2001年はじめに株価が下がったあと、多くの政治家は日銀総裁の退陣を求めた。だが速水総裁は以前にこう述べていた。「雇用調整、人員の再配備など、いずれも、これまでの経済や社会の仕組みの見直しを迫るものであります。その過程ではさまざまな痛みが伴うことは避けられません」。つまり、日本人は終身雇用をあきらめ、雇用の不安定化という現実に直面すべきだというのだ。ただし彼の雇用の安定は保証されていた。本人が自発的に辞任しないかぎり、政府には彼をクビにする術がない。また新しい日銀法に照らせば、彼は何ら悪いことをしえちない。中央銀行は健やかな経済成長を達成すべきだとは記されていないからである。
 政治家が意志を実現するメカニズムはない。政府代表は日銀に立ち入って帳簿を監査したり、適切に運営されているかどうかをチェックすることさえできない。日銀は法律を超越し、民主的機関を超越している。景気がよくなるか悪くなるかを決定するのは政府ではなく、日銀だ。

 日銀は大蔵省ですらコントロール不能に陥っていた。大蔵省出身者が日銀総裁になると実権は副総裁が握ったという。独立性というよりも通貨発行権に基づく権力強化を目的にしたと考えてよさそうだ。

 敗戦でも変わらなかったものがあるとすれば、それは官僚支配である。官僚は昆虫を操る寄生虫(『したたかな寄生 脳と体を乗っ取り巧みに操る生物たち』成田聡子)のように国家を操る。

 この国に真のジャーナリズムは存在しない。それゆえ彼らはテロの犠牲となることがないのだろう。

2020-11-27

問いの深さ/『近代の呪い』渡辺京二


『逝きし世の面影』渡辺京二
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『日本人と戦争 歴史としての戦争体験』大濱徹也

 ・問いの深さ

世界史の教科書
必読書リスト その四

 では、近代とは何でありましょうか。このような民衆世界の国家と関わりない自立性を撃滅したのが近代だったのであります。ただし近代といっても、アーリイ・モダン段階まではヨーロッパにおいても、このような自立した民衆世界は存在していたのでありますから、18世紀末以降のモダン・プロパーのことになります。モダン・プロパーの成立は実体的にいえば国民国家の創出であります。ヨーロッパにおいては、これがフランス革命でありまして、その意義はブルジョワ支配の確立なんてところにあるのではなくて、国民国家の創出にこそその第一の意義が認められねばならない。フランス革命が創造したのはナショナル・ガード、つまり国民兵であります。お国のことなんて知らねえよと言っていた民衆が、よろこんでお国のために死ぬことになった。これは画期的なことでありまして、フランス革命のキー・ポイントは民衆世界の自立性を解体するところにあったのです。  国民国家の創成には、絶対主義国家という前史があります。しかし、この絶対主義国家というものはもちろん国家の統合・中央集権を強化しましたけれども、国民を直接把握したわけではないのです。国民と王権の間には様々の中間団体がありまして、絶対主義王権はそれを解体することはしなかった。この中間団体を解体したのがフランス革命であります。中間団体が解体されるということは、民衆の自立性が浸食されてゆくということです。  戦争という点をみても、この時代の戦争は国民全体を巻きこむものではなかった。だから、イギリスとフランスが戦争をしているのに、イギリス人が自由にフランス国内を旅行するということが可能だったのです。国民と国民が全体的に戦争によって対立するというのはナポレオン戦争が生みだした新事態であって、それがすなわち国民国家の創出ということであったのです。  国民国家の創成については、世界経済の成立という点も併せて考えてみる必要がありましょう。先に述べましたように、世界経済は環大西洋経済として出発したのでありますが、この環大西洋経済圏のヘゲモニーを握るためには、民衆を国民として統合する強力な国家が必要でありました。もちろん、インドから日本に至るアジア経済、具体的にいえばインド洋貿易圏と南シナ海貿易圏のヘゲモニーを握る争いも重要でありました。そういった世界経済におけるヘゲモニーは、スペイン、オランダ、英国という順に推移してゆくわけでありますが、結局は強力な国民国家を創出できた者がヘゲモニーの保持者となります。  幕末において、日本の先覚者といわれる連中が直面したのは、こういったインターステイトシステム、つまり世界経済の中で占める地位を国民国家単位で争うシステムであります。それを彼らは万国対峙の状況と呼んだのである。このシステムは、ぼやぼやしている連中は舞台の隅に蹴りやって冷飯を喰わせるシステムでありますから、幕末の先覚者たちが、天下国家のことには我関せず焉(えん)という民衆の状態にやきもきしたのは当然です。ぼやぼやしていたら、冷飯どころか植民地にされてしまうかもしれないのです。

【『近代の呪い』渡辺京二〈わたなべ・きょうじ〉(平凡社新書、2013年)】

 ポストモダン用語に苛々(いらいら)させられるがアーリーモダンは「初期近代」(その前にプレモダンがある)、モダンプロパーは初耳だが「本格的な近代」といったところか。

『逝きし世の面影』で外国人の手記を通して幕末から明治の日本を鮮やかに抽出した渡辺だが、私は信用ならぬ感触を懐(いだ)いていた。その後、石牟礼道子に心酔した渡辺が身の回りの世話までするようになった事実を知った。対談にも目を通した。『苦海浄土 わが水俣病』(講談社、1969年)は紛(まが)うことなき傑作だが、実はノンフィクションを装った文学作品である。第1回大宅壮一ノンフィクション賞を辞退したのは石牟礼の良心が疼(うず)いたためか。水俣の運動はやがて市民色を強めていった。彼女は『週刊金曜日』の創刊時にも参画している。

「どうせ、リベラルの仮面をつけた隠れ左翼だろうよ」という私の疑問は本書で完全に氷解した。渡辺京二は臆することなく左翼であることを白状しているのだ。嘘がないことはそれだけでも人として称賛できる。しかも現代を照射するための近代への問い掛けの深さが生半可ではない。渡辺は時代と世相を問いながら、更に自分自身をも問う。もはや評論の域を超えて哲学にまで迫っている。

「中間団体」なる言葉を私は佐藤優の著書で知った(『人間の叡智』)。佐藤は精力的に中間団体へアプローチし、現在も例えば創価学会などに秋波を送り続けている(『AERA』)。

 宗教と個人主義の関係について重要な指摘がなされているのは、ウェーパーの『プロテスタンテイズムの倫理と資本主義の精神』([1904-5] 1920)においてである。「個人」意識が発生する契機になったのは中世的構造原理の解体であったが、なかでも宗教改革によって促進された教会の衰退が大きく作用している。教会という中間集団が弱体化し、神と信者を媒介していた教会や司祭は、この時に取り除かれることになったのである。

アメリカにおける個人主義とニューエイジ運動 現代宗教の問題と課題:藤本龍児

 カルビニズムの到来が象徴する思想史の転換とほぼ時代的に重なって,社会史の転換が起こった。それは中世社会で強力であった中間集団,すなわち国家と個人の中間にある大家族,自治都市,ギルド,封建領主領,地区の教会などの集団が,しだいに自立性を失って,これらの集団に属していた個人がこれらの支配から解放されてきた,という転換である。中間集団からの個人の独立という転換と,思想史の上でのあの世的個人主義の世俗的世界への拡散という転換とが重なって,西欧の近代に個人主義が確立した。

世界大百科事典内の中間集団の言及

 ひょっとしたら共産主義革命のセオリーなのかと思いきやそうではなかった。エミール・デュルケムも『自殺論』などで中間集団論を述べているようだ(中間集団論 社会的なるものの起点から回帰へ:真島一郎)。

「インターステイトシステム」はイマニュエル・ウォーラステイン世界システム論で説かれた概念である。

 佐藤優がいう中間団体は党や組合を思わせるが、渡辺京二が説く中間団体は政治被害を防ぐ目的があるように感ずる。渡辺が抱く民衆世界への郷愁には共感できないが、その気持ちは理解できる。