・『ものぐさ精神分析』岸田秀
・『続 ものぐさ精神分析』岸田秀
・『脳は奇跡を起こす』ノーマン・ドイジ
・『脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線』ノーマン・ドイジ
・唯脳論宣言
・脳と心
・睡眠は「休み」ではない
・構造(身体)と機能(心)は「脳において」分離する
・知覚系の原理は「濾過」
・『カミとヒトの解剖学』養老孟司
脳と心の関係に対する疑問は、たとえば次のように表明されることが多い。
「脳という物質から、なぜ心が発生するのか。脳をバラバラにしていったとする。そのどこに、『心』が含まれていると言うのか。徹頭徹尾物質である脳を分解したところで、そこに心が含まれるわけがない」
これはよくある型の疑問だが、じつは問題の立て方が誤まっていると思う。誤まった疑問からは、正しい答が出ないのは当然である。次のような例を考えてみればいい。
循環系の基本をなすのは、心臓である。心臓が動きを止めれば、循環は止まる。では訊くが、心臓血管系を分解していくとする。いったい、そのどこから、「循環」が出てくるというのか。心臓や血管の構成要素のどこにも、循環は入っていない。心臓は解剖できる。循環は解剖できない。循環の解剖とは、要するに比喩にしかならない。なぜなら、心臓は「物」だが、循環は「機能」だからである。
【『唯脳論』養老孟司(青土社、1989年/ちくま学芸文庫、1998年)】
つまり、心は脳機能であるということ。作用としての心。心として働く。養老の考え方は諸法無我と似ている。
脳の構造からいえば思考(大脳皮質)と感情(辺縁系)と運動(小脳)を司るところに心が位置する。
「心」という漢字が作られたのは後代であること(『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登)や、ジュリアン・レインズの二分心を踏まえると、【言葉の後に】心が発生したことがわかる。
人間にとって言葉は智慧であり、病でもあるのだろう。