2022-02-25
2022-02-24
6挺が放つ銃弾をかわす植芝盛平/『生命力を高める身体操作術 古武術の達人が初めて教える神技のすべて』河野智聖
・6挺が放つ銃弾をかわす植芝盛平
・『身体構造力 日本人のからだと思考の関係論』伊東義晃
・身体革命
この話は陸軍の砲兵官が、合気道という素晴らしい武道があるからと軍の関係者を9人ばかり連れて植芝道場に見学にやってきたことからはじまります。そのときにいっしょにきた人たちというのは鉄砲の検査官でした。そういう人たちを前にして演武を行った植芝翁が、そのとき「ワシには鉄砲は当たらんのや」と言ってしまったのです。しかし彼らは鉄砲検査官。プライドを傷つけられ、怒ってしまいました。
「本当に当たりませんか?」
彼らが先生に詰め寄ると、「ああ当たらん」「じゃあ、試してみていいですか」「けっこうや」と売り言葉に買い言葉となりました。
植芝翁は撃たれて死んでも、文句が言えないように、その場で何月何日に大久保の射撃場で鉄砲の的になる、と拇印まで押し誓約書を書かされます。彼らはその写しを軍の裁判所のようなところへ持っていって、確認までしてもらったそうです。奥さまやお弟子さんに大変心配されても、「いや、大丈夫。あんなもん当たらんよ」とのんきに答えたそうです。そして射撃場での拳銃の一斉射撃となるのです。
たっている植芝翁に向かって六つのピストルの引き金が引かれます。ところが、次の瞬間には、25メートルの距離を移動して、人一人投げ飛ばしているのです。
25メートルの距離を瞬時に移動して投げ飛ばすなんて、信じられますか? その時にお供したお弟子さんの一人は合気道養神館館長、故・塩田剛三〈しおだ・ごうぞう〉先生です。
塩田先生は現代武術において達人と尊敬される武術家です。その塩田先生が、何が起こるか見極めてやろうと目をこらしていても植芝翁の動きはなにひとつ見えなかったと告白しています。【あまりにも凄まじい話なので、誰もが嘘だと思ってしまうかもしれません。それを嘘だと疑ってかかるか、または人間の潜在的な力の実例ととらえるかでは自己の能力開発において大きな違いが生まれるでしょう】。
【『生命力を高める身体操作術 古武術の達人が初めて教える神技のすべて』河野智聖〈こうの・ちせい〉(経済界、2005年)】
小野田寛郎もまた射撃をかわすことができると語っている。
・小野田寛郎の悟り
予備動作を見抜く以上の何かがあるのだろう。気配に先んじる何かがあるとすれば、それはもう量子力学的な世界だ。人間の認知能力には限りがないということか。
河野智聖はユニークな武術家である。ただし文章があまりよくない。本書が一番おすすめできる。
2022-02-23
ユーザーイリュージョンとは/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
・『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
・『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
・ユーザーイリュージョンとは
・エントロピーを解明したボルツマン
・ポーカーにおける確率とエントロピー
・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
・対話とはイマジネーションの共有
・論理ではなく無意識が行動を支えている
・外情報
・論理の限界
・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
・神経系は閉回路
・『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
・『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
・意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
・『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
・『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
・『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
・必読書 その五
【ユーザーイリュージョンとは
パソコンのモニター画面上には「ごみ箱」「フォルダ」など様々なアイコンと文字が並ぶ。実際は単なる情報のかたまりにすぎないのに、ユーザーはそれをクリックすると仕事をしてくれるとので、さも画面の無効に「ごみ箱」や「フォルダ」があるかのように錯覚する現象を指す。】
本書で、著者は「ユーザーイリュージョンは、意識というものを説明するのにふさわしいメタファーと言える。私たちの意識とは、ユーザーイリュージョンなのだ……行動の主体として経験される〈私〉だけが錯覚なのではない。私たちが見たり、注意したり、感じたり、経験したりする世界も錯覚なのだ」という。(表紙見返しより)
【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】
・視覚というインターフェース/『世界はありのままに見ることができない なぜ進化は私たちを真実から遠ざけたのか』ドナルド・ホフマン
本書のパクリだったか。
行動嗜癖を誘発するSNS/『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた』アダム・オルター
・『浪費をつくり出す人々 パッカード著作集3』ヴァンス・パッカード
・『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ
・『依存症ビジネス 「廃人」製造社会の真実』デイミアン・トンプソン
・『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー
・行動嗜癖を誘発するSNS
・『快感回路 なぜ気持ちいいのかなぜやめられないのか』デイヴィッド・J・リンデン
・『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
・『もっと! 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』ダニエル・Z・リーバーマン、マイケル・E・ロング
だが事実は違う。依存症は主に環境と状況によって引き起こされるものだ。スティーブ・ジョブズはそれをよく心得ていた。自分の子どもにiPadを触らせなかったのは、薬物とは似ても似つかぬ利点が数多くあるとはいっても、iPadの魅力に幼い子どもは流されやすいと知っていたからだ。
ジョブズをはじめとするテクノロジー企業家たちは、自分が売っているツール――ユーザーが夢中になる、すなわち抵抗できずに流されていくことを意図的に狙ってデザインされたプロダクト――が人を見境なく誘惑することを認識している。依存症患者と一般人を分ける明確な境界線は存在しない。たった1個の製品、たった1回の経験をきっかけに、誰もが依存症に転落する。
【『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた』アダム・オルター:上原裕美子訳(ダイヤモンド社、2019年/原書、2017年)以下同】
大袈裟だ、と思うのは私が甘いせいか。私がネット中毒に陥ったのは1999年頃である。自ら立ち上げた読書グループのホームページに設置した掲示板でyamabikoなる人物と毎日意見を戦わせていた。該博な知識にたじろぎながらも知的昂奮を抑えることができなかった。ログの一部が辛うじて残っている。
・「安楽死」を問う! 1
当時は掲示板とメーリングリストが主な交流の場であった。オンライン古書店を立ち上げてからは年に100人ほどの人と直接会ってきた。あの頃の賑やかさと比べると、SNSは明らかに温度が低かった。ただし私のネットデビューが1998年なので、遅れてやってきた人々にとっては革命的であったのだろう。掲示板はその後、修羅場と化す場面が増え、善男善女が去っていったのであった。
2004年のフェイスブックは、楽しかった。
2016年のフェイスブックは、ユーザーを依存させて離さない。
フェイスブックの個人情報収集は当初から知っていたので私は殆ど利用することがなかった。あの頃は、茂木健一郎なんかが「実名でのネット利用」を吹聴していた。
何らかの悪癖を常習的に行う行為――これを「行動嗜癖(しへき/behavioral addiction)」という――は昔から存在していたが、ここ数十年で昔よりずっと広く、抵抗しづらくなり、しかもマイナーではなく極めてメジャーな現象になった。
昨今のこうした依存症は物質の摂取を伴わない。体内に直接的に化学物質を取り込むわけではないのに、魅力的で、しかも巧妙に【処方】されているという点では、薬物と変わらない効果をもたらす。
それを仏教では業(ごう)と名づける。同じことを繰り返すところに人の心の闇が隠されている。悟りとは一回性のものだ。今この瞬間を生きることが瞑想である。私たちは往々にして過去の快楽を思っては同じ行為を繰り返してしまう。そうやって現在性を見失うのだ。
何も持たずに旅をするのがいいかもしれない。若者よ、スマホを置いて見知らぬ土地を目指せ。自ら情報鎖国状態にすれば、忘れかけていた野生が蘇るに違いない。
言語が情報交換を可能にし物語を創作した/『人類の歴史とAIの未来』バイロン・リース
・言語が情報交換を可能にし物語を創作した
・『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
もっと強大な技術である言語は、私たちが情報を交換することを可能にした。言語を使えば学んだことを要約し、人から人へと効率よく広めることができる。(中略)さらに、言語は人間が持つ特殊能力の1つともいえる協力を可能にした。言語を持たないヒトが1ダース集まってもマンモス1頭には太刀打ちできないが、言語を使って協力し合えれば彼らはほぼ無敵だ。
私たちの大きな脳が言語をもたらし、言語を用いて思考することで脳がより大きくなる、という好循環が生まれた。言語を使わなければできない種類の思考があるからだ。言葉とはつまるところ考えを表す記号であり、私たちは話すという技術がなければどうやればよいかも見当もつかない形で考えを組み合わせたり変化させたりできる。
言語のもう1つの贈り物は、物語だ。物語とは私たちが進歩するために最初に必要だった想像力に形を与えるものであり、人間に最も重要なものだ。今日ある物語歌(バラッド)、詩、はたまたヒップホップの原型といわれる詠唱(チャント)は、話すことを覚えた私たちの祖先が最初に創作したものであろう。そのままでは覚えられないような物語も韻を踏むと覚えやすくなるのはなぜか? 1ページ分の散文よりも歌の歌詞のほうが覚えやすいのと同じ理由だ。私たちの脳がそのように作られているからこそ、「イーリアス」と「オデュッセイア」は、文字が発明されるずっと前から長きにわたり口伝で受け継がれていた。
【『人類の歴史とAIの未来』バイロン・リース:古谷美央〈ふるたに・みお〉訳(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2019年)】
個人的に「1つ」という書き方が大嫌いである。本文も翻訳も微妙によくない。
マンモスの件(くだり)は明らかに間違っている。狩猟から派生したのがスポーツであるが、スポーツの試合において言語が発揮する力は極めて少ない。言語が有効なのは作戦においてである。
「人間に最も重要なものだ」との訳文も工夫が足りない。
本書は数多い『サピエンス全史』派生本と考えていい。
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