2013-01-20
2013-01-19
デヴィッド・ボーム、トマス・ウルフ、E・T・ベル、スタニスラス・ドゥアンヌ、山本周五郎
7冊挫折。
『犯罪』フェルディナント・フォン・シーラッハ:酒寄進一訳(東京創元社、2011年)/話題の本。友人のシンマチも勧めていた。ドイツ人作家の短篇集。暴力的な匂いが立ち込めている。それはいいのだが物語の結構が勝手すぎるように思う。「タナタ氏の茶盌」まで読んでやめる。
『考えることの科学 推論の認知心理学への招待』市川伸一(中公新書、1997年)/ある、ないが混在して文章がわかりにくくなっている。
『ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ』デヴィッド・ボーム:金井真弓訳(英治出版、2007年)/満を持して読んだつもりだが最悪だった。この手の内容であれば『集合知の力、衆愚の罠』の方が断然いい。
『汝再び故郷に帰れず』トマス・ウルフ:鈴木幸夫訳(荒地出版社、1968年)/大冊すぎた。これは後回し。レイ・ブラッドベリが『とうに夜半を過ぎて』でオマージュを一篇書いている。
『数学をつくった人びと I』E・T・ベル:田中勇、銀林浩〈ぎんばやし・こう〉訳(東京図書、1997年/ハヤカワ文庫、2003年)/冗長。若いうちに読んでおくべきだった。
『数覚とは何か? 心が数を創り、操る仕組み』スタニスラス・ドゥアンヌ:長谷川眞理子、小林哲生訳(早川書房、2010年)/冗長。これは類書が少ないためだろう。値段は良心的だ。
『青べか物語』山本周五郎(新潮文庫、1963年)/よもや周五郎を挫折するとはね。主人公である作家の目線に嫌なものを感じた。
国家予算の6分の1しかわからぬ不可解な仕組み
国民がわかる部分は、日本の214兆円のわずか6分の1という仕組みになっているのです。無駄なダム、無駄な公共事業、(中略)こうしたことに利害のある「族議員」の暗躍する結果なのです。この仕組みを一掃しない限り、日本は変わらないでしょう。http://bit.ly/afeaPB
— 小野不一さん (@fuitsuono) 7月 4, 2010
・5分でわかる日本の国家予算 2009年2月号|環境レポート|NPO法人ネットワーク『地球村』
2013-01-18
D&Mサポーター
48歳を過ぎてから身体のあちこちがガタガタになり始めた。そこで転ばぬ先の杖ならぬ、痛まぬうちのサポーターってことで、私が使っているものを紹介しよう。サポーターも色々あるが、やはりD&Mが一番優れている。毎日使用するので安物だとすぐヨレヨレになってしまう。その点でもD&Mはコストパフォーマンスが高い。マッサージ代と比べてみるとよい。
|
|
自転車用に買ったのだが、あまりにも足が軽くなるので毎日使っている。
|
|
これは昨日購入したもの。マジックベルト三点留めのを買ったのだが激しく動くと膝裏が痛くなってくる。バイクに乗る時も多分こちらの方がいいだろう。
その他は以下のリンクから。尚、保温用サポーターは締め付けが弱い。
・D&Mサポーター
2013-01-16
学校のトイレで7歳女子児童が強姦被害、インド
インドのゴア(Goa)州バスコダガマ(Vasco da Gama)市にある学校のトイレで、休み時間中に7歳の女子児童が強姦(ごうかん)される事件が起こり、管理責任を果たさなかったとして女性校長が逮捕された。警察が15日、発表した。
事件は14日に明らかになった。容疑者は20代前半とみられるがまだ見つかっていない。事件が起きたのは小学部がある高校で、警察関係者がAFPに明かしたところによるとトイレは校長室の隣にあったという。
住民は大規模な抗議行動を起こし、14日夜には数千人が学校を取り囲んで校長と容疑者の逮捕を求めた。被害児童の身元が明らかになることを防ぐため、校長の氏名は公表されていない。
インドでは先月、首都ニューデリー(New Delhi)のバスで女学生が集団強姦される事件が発生し、全国規模の抗議行動が起きている。
【AFP 2012-01-16】
2013-01-14
蛇の毒/『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
・『日常語訳 ダンマパダ ブッダの〈真理の言葉〉』今枝由郎訳
・『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳
・『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』アルボムッレ・スマナサーラ
・『原訳「法句経」(ダンマパダ)一日一悟』アルボムッレ・スマナサーラ
・『法句経』友松圓諦
・『法句経講義』友松圓諦
・『阿含経典』増谷文雄編訳
・『『ダンマパダ』全詩解説 仏祖に学ぶひとすじの道』片山一良
・『パーリ語仏典『ダンマパダ』 こころの清流を求めて』ウ・ウィッジャーナンダ大長老監修、北嶋泰観訳注→ダンマパダ(法句経)を学ぶ会
・『日常語訳 新編 スッタニパータ ブッダの〈智恵の言葉〉』今枝由郎訳
・犀の角のようにただ独り歩め
・蛇の毒
・所有と自我
・ブッダは論争を禁じた
・『スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳
・『原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章』アルボムッレ・スマナサーラ
・『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
・『慈経 ブッダの「慈しみ」は愛を越える』アルボムッレ・スマナサーラ
・『怒りの無条件降伏 中部教典『ノコギリのたとえ』を読む』アルボムッレ・スマナサーラ
・『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
・『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ
・『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』J・クリシュナムルティ
・ブッダの教えを学ぶ
第一 蛇の章
一 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起ったのを制する修行者(比丘〈びく〉)は、この世とかの世をともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
【『ブッダのことば スッタニパータ』中村元〈なかむら・はじめ〉訳(岩波文庫、1984年/岩波ワイド文庫、1991年)】
数え50歳にしてスッタニパータと取り組む。実は数年前に一度読んでいるのだが、その時は「フーン」としか思わなかった。46歳でクリシュナムルティと巡り会った。その後ブッダの言葉は一変した。自分でもびっくりした。乾いたスポンジが水を吸うようにスーッと染み込んできた。
ルワンダ大虐殺を知り、私は変わった。むしろ思想的に行き詰まったといった方が正確だろう。45歳になった直後のこと。それまでに築いてきた価値観がまったく通用しなかったのだ。1年ほど煩悶と懊悩の間を行ったり来たりしていた。そんな私にとってクリシュナムルティの言葉は光明となった。
『スッタニパータ』は最古の経典である。このため原始仏教と称されることもあるが、「原始」という表現は誤解を生じかねない。それゆえ私は初期仏教と表記する。また、古いことそれ自体に価値があるわけではなく、「より正確なブッダの言葉」を探るべきだと考える。飽くまでも「誰か」が伝えた言葉で、「誰か」が翻訳した言葉である事実を念頭に置く必要があろう。テキストを真に受けることはブッダの姿を人影に隠してしまうようなものだ。
スッタとは縦糸のことで「経」と訳される。スマナサーラ長老は「式=フォーミュラ」としている。縦に時間を貫くのが経であれば「理」(ことわり)すなわち理法と考えてよかろう。ナンバーが打たれているのは一つ一つが独立した式であるため。
蛇の毒は脈動によって波のように押し寄せ、波紋を広げ、余韻を伸ばしてゆく。「よくも俺を馬鹿にしたな」「私に恥をかかせたわね」――怒りは痛みから生まれる。まさしく蛇に噛まれたようなものだ。だがその毒は自分の内側に拡大してゆくのだ。そして我々は毒を吐き捨てる機会を虎視眈々と窺う。
果たして毒蛇に噛まれた人が毒蛇を追い掛けるだろうか? 蛇を打ちのめし、切り刻んだところで毒が消えるわけでもない。しかし我々が日常で行っているのはこういうことである。国家や民族も同様だ。人類全体が毒=怒りに駆られて行動している。
怒りを制するためには怒りをただ観察する。否定するのはダメだ。否定は抑圧となるため怒りの根が深まってしまう。「あの野郎、俺のことを馬鹿にしやがって」「今度会ったら何か言い返してやろう」「一発殴ってやろうかな」「仲間を集めて袋叩きにするか」「いざという場合に備えてサバイバルナイフでも買っておくか」「あんな奴は生きている価値がないな」「いっそのこと……」――私は怒りやすい方なのでよくわかるが、怒りは常に殺意をはらんでいる。怒りは大なり小なり相手の死を願っているのだ。
今日、愛については誰も語っている。誰が怒について真剣に語ろうとするのであるか。怒の意味を忘れてただ愛についてのみ語るということは今日の人間が無性格であるということのしるしである。
切に義人を思う。義人とは何か、── 怒ることを知れるものである。
【『人生論ノート』三木清(創元社、1941年/新潮文庫、1954年)】
不正を憎み、社会を改革してゆくことは正しい。敗戦後の混乱から学生運動に至るまでの時期は「怒りの季節」であった。それで何かが変わったのかもしれないし、変わらなかったのかもしれない。社会の制度や仕組みが変わっても、そこにはいつも変わらぬ人間の姿があった。
正義から発せられた怒りが正しければ、人類が行ってきた革命はもっと上手くいってしかるべきではないか? 共産主義だって成功したはずだろう。真正なる怒りは必ず暗殺に向かう。その意味では革命もテロも一緒だ。
「殺したい」との願望をありのままに見つめる。私は殺人鬼だ。あいつとこいつと、そうだあの野郎も殺してしまいたい。あんな人間を育てた親も殺そう。近所に住んでいた連中も同罪だ。あいつと同じ民族も絶滅させるべきだ。同じ種を滅ぼすべきかもしれない……。殺意は巡り巡って自分に向けられる。
これが数千年間にわたって繰り返されてきた人類の歴史だ。脱いでしまえば旧(ふる)い皮に価値はなくなる。
実際にやってみると至難ではあるが、修行と心を定めて行っていると怒りが静まる時間が短くなる。怒りっぽい私が言うのだから本当だ。
2013-01-13
『みさおとふくまる』伊原美代子(リトル・モア、2011年)
いつも一緒のおばあちゃんと猫。日々、畑仕事に精を出すみさおおばあちゃんと、猫のふくまるの日常を写し取った写真集。季節ごとに色彩を変える、表情豊かな風景のなか、一人と一匹が、寄り添い、見つめ合いながら暮らしています。
「お日様の下を生きる事ができれば、すべてが好日。今日もいい日だね、ふくまる」。
12年前、著者の伊原美代子さんは、みさおおばあちゃんを撮影しはじめました。おばあちゃんの生きた証を残したい、という思いだったそうです。そんなある日、家の納屋で、おばあちゃんは一匹の子猫と出会いました。
「ふくまる」という名前には「福の神様が来て、すべてが丸く治まるように」というおばあちゃんの願いが込められています。87歳になった今も、毎日畑へでかけるおばあちゃん。そして、それにお伴するふくまる。青々とした田んぼ、咲き誇る花々、丸々と実る果実……。色鮮やかに、豊かな表情をみせる風景のなか暮らす、一人と一匹の姿が写真で綴られていきます。気づけばおばあちゃんとふくまるが出会って8年。すっかり耳の遠くなってしまったおばあちゃんと生まれつき耳が不自由なふくまるは、いつも見つめ合い、お互いを感じ合っています。
青い空に白い雲がプカプカと浮かぶ頃、おばあちゃんとふくまるは今日も畑へ出かけます。
日常の尊さ、美しさ、かけがえのなさが詰まった一冊です。
2013-01-12
デイヴィッド・リンドリー
1冊読了。
3冊目『そして世界に不確定性がもたらされた ハイゼンベルクの物理学革命』デイヴィッド・リンドリー:阪本芳久訳(早川書房、2007年)/参った。読み物としては『宇宙をプログラムする宇宙』よりこちらの方が上。天体物理学の博士号をもつサイエンスライターだけあって一筋縄ではゆかない。時に堂々と批判を加える。不確定性原理そのものが科学界の量子的存在として誕生した模様がドラマチックに描かれている。アインシュタインvsボーアの論争が圧巻でハイゼンベルクの影が薄れてしまうほどだ。そしてプランク、ゾンマーフェルト、ボルン、パウリ、シュレーディンガー、ド・ブロイ、ディラックといった豪華キャストが脇を固める。彼らの人間臭さを描写することで読者は不確定性原理の呼吸と汗を感じることができる。晩年のアインシュタインは実に性格が悪い。阪本芳久の訳はどれも素晴らしい。2000円以下に抑えたところに早川書房の気合いが感じられる。尚、関連書は既に紹介済みだ。
2013-01-10
スリランカ女性を斬首処刑=雇い主の子殺害の罪問う-サウジアラビア
サウジアラビアで9日、スリランカから家政婦として出稼ぎに来ていた女性が、雇い主の赤ん坊を殺したとして、斬首により処刑された。スリランカのラジャパクサ大統領は繰り返し助命を嘆願し、代表団をサウジに派遣する矢先に無視され、激怒している。
国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチによると、事件発生は2005年。処刑された家政婦は当時まだ17歳で、「脅迫され自白を強要された。赤ちゃんはミルクを飲んでいて窒息した事故死だった」と訴えていた。
【時事ドットコム 2013-01-10】
2013-01-09
デイヴィッド・リンドリー、デヴィッド・リンドリー、デヴィッド・リンドレー
早川書房から発行された近著はデイヴィッド・リンドリーという表記になっている。『そして世界に不確定性がもたらされた ハイゼンベルクの物理学革命』があまりにも素晴らしいので、全部読む予定だ。
物理学の果て 統一理論という神話
2013-01-08
財源の話
IMFに4.8兆円、東電に3兆円、ミャンマーに0.5兆円。これだけで8.3兆円。年間の税収全体の20%だ。このカネの支出を報道するとき、マスコミは絶対に財源の話をしない。借金の山の話をしない。社会保障の話をするとき、財政赤字だの現役世代がどうだのを喚き散らし、増税が必要だと言う。
— 世に倦む日日さん (@yoniumuhibi) 1月 6, 2013
2013-01-06
2013-01-05
セス・ロイド
1冊読了。
2冊目『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』セス・ロイド:水谷淳〈みずたに・じゅん〉訳(早川書房、2007年)/情報と宇宙を「計算」という概念で読み解いた一書。2013年の1位は本書でほぼ決まりか。「初めにビットありき」――「あ」と思った瞬間、陸続と「!」が脳内を駆け巡った。少々難しい内容も含まれるが、「宇宙は量子コンピュータである」という展開は非上にわかりやすい。つまり生命とは「情報処理の当体」と考えることが可能だ。
色心を開くと色受想行識(五蘊)となる。これが更に唯識へとつながる。世界は目の前にあるわけではなく知覚の中に存在する。とすれば生命機能の本質は「情報処理」といえそうだ。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 1月 5, 2013
関連書
・脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
「冬、未来へ」福嶋由記
日本子ども虐待防止学会第16回くまもと大会テーマ曲。作詞:内田良介、作曲:上村宏樹。
それはきみのせいじゃない
夢を描けないとしても
最初見たはずの光
喉の渇きと飢え
遠い愛の砂漠で
刃物のような言葉に
いつも血を流しながら
恐怖と怒りと不安の中で
きみは生きてきたのだから
そのままでいてかまわない
それはきみのせいじゃない
優しくなれないとしても
通り過ぎる他人(ひと)しか
信じられなくとも
冬の王子のように
凍った傷を抱いて眠る
私たちは忘れない
この世界に生きていたはずの
過ぎ去った未来のことを
消え去った希み(のぞみ)のことを
父や母のせいだけじゃない
乏しい孤立の鎖に
さよならをするために
手を差し伸べ合おう
きみの笑顔のために
つなげられた愛がある
それぞれの違う場所で
ひとつの命を支えている
空や風や海のように
懐かしい言葉のように
2013-01-03
アルボムッレ・スマナサーラ
1冊読了。
1冊目『原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章』アルボムッレ・スマナサーラ(佼成出版社、2009年)/クリシュナムルティを手掛かりにしてブッダを探ることが私のライフワークだ。その意味においてスマナサーラ長老の書籍は最高の参考書となる。願わくは本格的な仏典の新訳に取り組んでもらいたいところ。眼からごっそりと鱗が落ちた。
2013-01-01
紙の本には顔がある
紙の本は所有の欲望を満たしてくれる。デジタル書籍は情報であって所有物ではない。人の欲望は重量と大きさを求めてやまない。ゆえに、本が減ることはあっても無くなることはあり得ない。本には紛(まが)うことなき顔がある。デジタル書籍には性格しかない。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 4月 14, 2010
2012-12-31
2012年に読んだ本ランキング
・2011年に読んだ本ランキング
『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(下) 1901-2006年』と小室直樹著『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』を書いていなかったので、今年読了した本は72冊である。挫折本が異様に多いのは、いよいよ余生が残り少なくなっており取捨選択を厳しくしているためだ。なお昨年同様クリシュナムルティは入れていない。また小説も除いた。
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『黄金旅風』飯嶋和一
『神無き月十番目の夜』飯嶋和一
『とうに夜半を過ぎて』レイ・ブラッドベリ
次に小室直樹と苫米地英人も除いた。
『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹
『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人
『利権の亡者を黙らせろ 日本連邦誕生論 ポスト3.11世代の新指針』苫米地英人
更に今年最も大きな収穫ともいえるアルボムッレ・スマナサーラ長老も除いた。
『怒らないこと 役立つ初期仏教法話 1』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと 2 役立つ初期仏教法話 11』アルボムッレ・スマナサーラ
『心は病気 役立つ初期仏教法話 2』アルボムッレ・スマナサーラ
『苦しみをなくすこと 役立つ初期仏教法話 3』アルボムッレ・スマナサーラ
石原吉郎関連も除いた。
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
ではまず番外から紹介しよう。
『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之
『地下足袋の詩(うた) 歩く生活相談室18年』入佐明美
『ストレス、パニックを消す! 最強の呼吸法 システマ・ブリージング』北川貴英
『ブッダの人と思想』中村元
『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(上) 1492-1901年』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編
『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(下) 1901-2006年』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編
『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー
『完全なる証明 100万ドルを拒否した天才数学者』マーシャ・ガッセン
『複雑で単純な世界 不確実なできごとを複雑系で予測する』ニール・ジョンソン
次にベスト10。判断が難しいため同立順位が複数あることをご了承願おう。
10位 『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩
9位 『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ
8位 『カウンセリングの技法』國分康孝
7位 『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
6位 『通貨戦争 影の支配者たちは世界統一通貨をめざす』宋鴻兵〈ソン・ホンビン〉
6位 『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』宋鴻兵〈ソン・ホンビン〉
5位 『放浪の天才数学者エルデシュ』ポール・ホフマン
5位 『My Brain is Open 20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記』ブルース・シェクター
4位 『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
3位 『宗教は必要か』バートランド・ラッセル
3位 『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
2位 『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
1位 『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
・2013年に読んだ本ランキング
2012-12-30
2012-12-29
「フィルタリング」で、有害サイトから見を守ろう!
毎週のように生の死体を見てる小学生に言われたくないな。 twitter.com/d_v_osorezan/s…
— ダ・ヴィンチ・恐山さん (@d_v_osorezan) 12月 23, 2012
2012-12-28
バッハ「マタイ受難曲」カール・リヒター指揮
1971年5月ミュンヘンでの、カール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団の演奏による「マタイ受難曲」。
・バッハ「ヨハネ受難曲」
・丸山健二と『マタイ受難曲』
・バッハをキリスト教に閉じ込めてはならない/『J・S・バッハ』礒山雅
・礒山雅
2012-12-27
2012-12-26
2012-12-25
まばたき:脳リセットの働き? 大阪大などのチームが発表
まばたきするのは脳をリセットし、新たな展開に備えるため――。こんな可能性があるとの研究結果を大阪大や情報通信研究機構未来ICT研究所(神戸市)のチームがまとめ、24日付の米科学アカデミー紀要電子版に発表した。
映像を見ている時、まばたきをするのと同時に、脳で活発に働いている領域が一瞬変化することから得た分析。中野珠実大阪大准教授は「目を閉じることで、物語の流れに区切りをつけて注意を解き、情報処理を円滑にしているとみられる」としている。
ヒトは毎分15~20回まばたきする。目を潤すには毎分3、4回で十分で、頻繁なまばたきの理由は謎。(共同)
【毎日jp 2012-12-25】
眠りは「小さな死」で、まばたきは「ミクロな死」というのが私の持論だ。つまり、まばたきするごとに世界は新しく構成されている。多分それが真実だ。
2012-12-24
石原吉郎、トマス・ウルフ、他多数
15冊挫折。
『解錠師』スティーヴ・ハミルトン:越前敏弥訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2011年)/語り口がちょっと。
『泡沫桀人列伝 知られざる超前衛』秋山祐徳太子(二玄社、2002年)/2ページでやめる。
『はじめての人の電卓操作入門塾』浜田勝義(かんき出版、2010年)/イマイチ。
『ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語』ヴィトルト・リプチンスキ:春日井晶子訳(早川書房、2003年/ハヤカワ文庫、2010年)/書き出しが冗長。
『望郷と海』石原吉郎:岡真理解説(みすず書房、2012年/筑摩書房、1972年/ちくま学芸文庫、1997年)/石原の文章は血で書かれている。苦しみのあまり読み通すことができず。気安く読める作品ではない。人生の節目節目で本書を開くことになることだろう。
『天使よ故郷を見よ(上巻)』トマス・ウルフ:大沢衛訳(新潮文庫、1955年/三笠書房、1952年)/フォントが小さい上、旧漢字であった。ブラッドベリが絶賛した作品だ。
『20世紀英米文学案内6 トマス・ウルフ』大澤衛編(研究社出版、1966年)/本の堅牢な作りに驚く。これは参考資料として。
『科学哲学講義』森田邦久(ちくま新書、2012年)/文章がわかりにくい。
『雪』中谷宇吉郎〈なかや・うきちろう〉(岩波新書、1938年/岩波文庫、1994年)/雪国の惨状を知るに連れて私の内側にムラムラと怒りが湧いてきた。で、パタンと本を閉じた。
『科学の方法』中谷宇吉郎〈なかや・うきちろう〉(岩波新書、1958年)/良書。が、古い。
『雪の結晶』ケン・リブレクト:矢野真千子訳(河出書房新社、2008年)/これはオススメ。美しい結晶写真が多数配されている。雪って透明なんだってさ。六角形の不思議に眩暈(めまい)を覚える。
『ドン・キホーテ 前篇1』セルバンテス(岩波文庫、2001年)/他の本が面白すぎるため挫ける。若いうちに読んでおくべきだったな。ひょっとするとキリスト教のパロディなのかもしれない。200ページまで。
『「漢字廃止」で韓国に何が起きたか』呉善花〈オ・ソンファ〉(PHP研究所、2008年)/漢字廃止で論理的思考ができなくなったとすれば、英語圏はどうなるのか?
『祈りの海』グレッグ・イーガン:山岸真訳(ハヤカワ文庫、2000年)/イーガンの作品はどうも訳文が肌に合わない。
『人生の科学 「無意識」があなたの一生を決める』デイヴィッド・ブルックス:夏目大〈なつめ・だい〉訳(早川書房、2012年)/前置きが長い。訳者の賛辞も「売り」が入っていて薄気味悪い。散文だと思って読むべきだろう。
無垢の自信/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ
・自由の問題 1
・自由の問題 2
・自由の問題 3
・欲望が悲哀・不安・恐怖を生む
・教育の機能 1
・教育の機能 2
・教育の機能 3
・教育の機能 4
・縁起と人間関係についての考察
・宗教とは何か?
・無垢の自信
・真の学びとは
・「私たちはなぜ友人をほしがるのでしょうか?」
・時のない状態
・生とは
・習慣のわだち
・生の不思議
・クリシュナムルティ著作リスト
・必読書リスト その五
組織や集団についてあれこれ考えていた時期があった。2年ほど前のことだ。いくつかツイートを紹介しよう(※リンク切れあり)。
【音声】小林秀雄その三。「イデオロギーは匿名ですよ、常に。責任をとりませんよ。そこに恐ろしい力があるじゃないか。それが大衆・集団の力だ」 http://bit.ly/aBBByZ
— 小野不一さん (@fuitsuono) 9月 3, 2010
内部告発のない組織は、完全に腐敗しきった組織である。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 9月 11, 2010
というよりは、むしろ集団そのものが暴力として機能すると私は考えます。力を集めたものが集団である以上、組織はヒエラルキー化を防ぐことができません。力という力は必ず何らかの暴力性を秘めています。 RT @ujikenorio: すると宗教が暴力組織として機能しまう。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 9月 15, 2010
世界のいたるところで、ますます多くの党派が結成されたり、たくさんの「主義」が引きも切らずに生まれております。なぜかといえば、混乱が増大すればするほど、私たちはますますこの混迷から救い出してくれるような指導者や組織を渇望するからなのです。(クリシュナムルティ)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 9月 14, 2010
大首肯。ですから社会環境のあり方としては「流動性」を担保すべきで、それがマーケットの自由競争なわけです。機会均等としての自由。しかし利権が阻害しているのが現状です。(続く) RT @ujikenorio: 具体的には、集合離散の自由度を意識的に維持しながら牽制していくのが妥当
— 小野不一さん (@fuitsuono) 9月 16, 2010
利権とは個人的利益ではなく集団的権益の維持・拡大です。すると所属組織からの経済的見返りに人々が支配されている様相が見えてきます。宗教がご利益と罰をもって信徒を束縛するのであれば、これまた経済と考えることが可能です。(続く) RT @ujikenorio: 集合離散の自由度
— 小野不一さん (@fuitsuono) 9月 16, 2010
流動化を阻害する最大の要因は土地への呪縛です。村の論理は村八分の論理でもある。火事と葬式(これで二分)以外は完全に無視するわけですから、集団が暴力性をはらんでいるのは明らかです。村人は経済的見返りのため暴力に加担するのです。国家、民族、企業も村です。(続く)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 9月 16, 2010
我々が正義に憧れてやまないのは、社会に正義が存在しないことを知っているからです。幼い頃にテレビで知った正義の味方は、必ず変身するか仮面を着用してます。これは正義が非日常であることを示唆しています。ありのままの人間が正義を行使することは、まずありません。その意味では神といえそう。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 9月 16, 2010
良心の自由を叫んだことで知られる宗教団体が、個人の良心の声を抑えるために極めて厳しい制裁措置を取る。この現代において実におかしなことであると思う。(『良心の危機 「エホバの証人」組織中枢での葛藤』レイモンド・フランズ)http://bit.ly/c1Rdm3
— 小野不一さん (@fuitsuono) 9月 23, 2010
我々は常に迷う。損得と善悪の間で。大人は利に聡い。社会に揉まれる中で、頭を下げたり、煮え湯を飲まされたり、毒饅頭を喰らったりしながら、若き日とは異形な自分が出来上がる。何らかの犠牲を強いられているうちに、いつしか他人を平然と犠牲にするようになるのだ。集団の利益という美名の下で。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 9月 23, 2010
思想が個人のものであれば殴り合いは可能です。これが党派制に基づいたイデオロギーとなるから喧嘩ができないわけです。横槍が入り、後ろから刺されかねない(笑)。必要なのは反逆と破壊。 RT @ujikenorio: 知識とか思想に関しても人間は子供のように殴り合いを続けてと思います
— 小野不一さん (@fuitsuono) 9月 23, 2010
是非を問われることもなく、自動的に組み込まれているのが現実。我々はどこかに所属せざるを得ない。で、実は所属が自我を形成している節がある。 RT @ujikenorio: 権力とは何か、組織とは何か、国家とは何か…それに対する原理的考察を割愛したまま、善し悪しの議論がすすんでいく。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 9月 28, 2010
これが人間の家畜化につながり、植民地主義へと発展を遂げた。そして奴隷という商品が流通し始める。 RT @ujikenorio: うまく羊を飼うのが羊飼い。羊を上手くコントロールできないのはウンコな羊飼い。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 9月 28, 2010
奪われること=委ねること、なのかもしれませんね。なぜ我々は奪われていることに気づかないのだろうか? 元々持ってなかったのか? それとも奪い方が巧妙なのか? RT @ujikenorio: 委ねてしまうことの問題
— 小野不一さん (@fuitsuono) 9月 28, 2010
宗教的なヒエラルキーは一神教的発想と本仏思想から生まれたものだと思う。神仏に対してさえ、上下関係を築こうとする人間の性(さが)が恐ろしい。1位を設定するのは比較している証拠である。比較における1位は絶対性とは似て非なるものだ。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 10月 17, 2010
そう考えると、社会や集団は排除することで求心性を維持しているような節が窺える。組織は内外に立て分け、人間を分断するのだ。(続く)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 10月 23, 2010
ユリーカ、ユリーカ! 共同体、集団、組織は恐怖でもって人々を支配している。つまり共同体を共同体たらしめている力は罪と罰ということ。昨夜、風呂場で悟りを得た(笑)。 RT @ujikenorio: 現世の人間はあらゆる側面でどこかで共同体的人間です。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 11月 17, 2010
あとは以下の検索結果を参照してもらいたい。
・集団:検索結果
その答えをクリシュナムルティが示す。ツイートが多くなってしまったので所感は割愛する。
無垢の自信
私たちは、監獄の中の反逆という問題について話していました。つまり、すべての改革者や理想家、ある結果を生み出そうと絶えまなく活動している他の人たちが、彼ら自身の条件づけの壁の中、彼ら自身の社会構造の中、大勢の集団的意志の表現である文明の文化的な型の中で、いつも反逆しているようすについて、です。それで今、もしも自信とは何か、それはどのようにわいてくるのかがわかったならば、価値があるだろうと思うのです。
自信は創意によって出てきます。しかし、型の中での創意は、【自我】の自信をもたらすだけであり、それは自我のない自信とはまったく違っています。君たちは、自信を持つとはどういうことか、知っていますか。自分の手をつかって何かをしたり、木を植えて育てたり、絵を描いたり、詩を書いたり、大きくなってから橋を架けたり、何か経営の仕事をきわめてうまく果たすなら、自分には何かができるという自信がつきますね。しかし、私たちが今知っている自信は、いつも監獄の中に――共産主義でもヒンドゥー教でもキリスト教でも――社会が私たちのまわりに築いた監獄の中にあるでしょう。監獄の中の創意は確かに、ある種の自信を生み出します。なぜなら、自分には何かができると感じるからです。モーターを設計したり、とても良い医者や優秀な科学者などになれるのです。しかし、社会構造の中で成功したり、監獄の内部を改革し、もっと明るくし、装飾したりする能力によって出てくるこの自信という感情は、本当は【自我】の自信です。自分には何かができると知って、それをするとき自尊心を感じます。自尊心のないまったく異なった自信が出てくるのです。それで、この二つ――自我の自信と自我のない自信の違いを理解できるなら、私たちの生において大きな意義を持つだろうと思うのです。
君たちは、バトミントンやクリケットやサッカーのようなゲームを、とてもうまくやれるとき、ある種の自信の感覚を持つでしょう。自分はかなり上手だという感じがします。数学の問題を解くのが早ければ、それもまた自信の感覚を生み出します。社会構造の中の行為から自信が生まれるとき、そこにはいつもおかしな傲慢さが伴っているでしょう。いろいろなことができたり、業績を上げる力を持つ人の自信はいつも、この自慢や、「それをするのは私だ」という感情に染まっています。それで、業績を上げたり、監獄の中で社会改革をもたらす行為そのものに、自慢とか、【私】がそれをした、【私】の理想が重要だ、【私】の仲間が成功したという感情があるのです。この「私が」「私の」という感覚が、社会的な監獄の中で表現される自信に、いつも伴っているのです。
君たちは理想家がどんなに傲慢なのか、気づいたことがないですか。ある成果をもたらしたり、大改革を成し遂げる政治的指導者がうぬぼれて、自分たちの理想や業績にのぼせているのに気づいたことがないですか。彼らは、彼ら自身の評価では、とても重要です。政治演説を少し読み、改革者を名乗る人たちを何人か見てごらんなさい。彼らはまさにその改革の過程において、彼らの自我を涵養していることがわかるでしょう。彼らの改革派、どんなに広範囲でもやはり監獄の中にあり、したがって破壊的であり、究極的には人間にもっと多くの悲惨と葛藤をもたらすのです。
そこで、君たちがこの社会の全構造、文明と呼ばれる集団的意志の文化の型に精通し、そのすべてを理解してそこを離れ、ヒンドゥー教でも共産主義でもキリスト教でも、自分特有の社会の監獄を離れるならば、そのときには慢心に汚れていない自信が出てくることに気づくでしょう。それは無垢の自信です。それは、完全に無垢であるために何でもしてみる子供の自信に似ています。新しい文明をもたらすのは、この無垢の自信でしょう。しかし、社会の型の中にとどまるかぎり、この無垢の自信は生じてこないのです。
注意して聴いてください。語り手は少しも重要ではないのです。しかし、君たちが言われていることの真実を理解することは、とても重要です。というのも、それが教育でしょう。教育の機能とは、君たちを社会の型にはめこむことではありません。反対に、君たちが完全に深く充分に理解して、それによって社会の型を離れるのを助け、自慢のない個人であるよう、本当に無垢であるがために自信を持つように、君を助けることなのです。
私たちのほとんどみなが、社会に合わせる方法やその改革方法だけに関心を持っていることは、大きな悲劇ではないでしょうか。君たちのする質問のほとんどが、この態度を反映していることに、気づいたことがありますか。君たちは実際は、「どうすれば社会に合わせられるのですか。そうしなければ、お父さんやお母さんはなんて言い、僕はどうなってしまうでしょう」と言っているのです。こういう態度では、君たちが持っているいかなる自信、いかなる創意も滅んでしまいます。そして、君たちはたくさんのロボットのように学校や大学を出て、たぶん大いに有能になるのでしょうが、創造の炎がありません。それで、自分の住む社会、環境を理解して、まさにその過程においてそこを離れることが、とても重要であるわけです。
これは世界中の問題でしょう。人間は生への新しい応答、新しいアプローチを求めています。なぜなら、ヨーロッパでもロシアでもここでも、古い方法が腐敗しかけているからです。生は絶えまない挑戦です。そして、単により良い経済秩序をもたらそうとするだけでは、その挑戦への完全な応答にはなりません。その挑戦はいつでも新しいのです。そして、文化、国民、文明は新しいものの挑戦に完全に応答しきる力がないとき、滅んでしまうのです。
君たちが適切な教育を受けず、この無垢のとてつもない自信を持たないならば、必然的に集団に吸収されて、凡庸性の中で迷ってゆくでしょう。名前に少し肩書きを加えたり、結婚して子供を持ち、それで君たちは終わりでしょう。
私たちのほとんどは怯えていますね。君たちの親も怯えているし、教師も怯えているし、政府や宗教も君たちが完全な個人になるのではと怯えています。なぜなら、彼らはみな君たちに、環境や文化の影響の監獄内に安全にとどまってもらいたいからです。しかし、社会の型を理解することで打ち破り、したがって自分の心の条件づけに縛られないのは、個人だけなのです。新しい文明をもたらしうるのはそのような人たちだけなのです。単に順応するだけの人たちや、自分が他の型によって作られているため、特定の型に抵抗する人たちではありません。神や真理の探究は、監獄の中ではなく、むしろ監獄を理解して、その壁を破るところにあるのです。そして、自由へと向かうこの動きこそが、新しい文化、異なった世界を創造するのです。
【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】
福島の白菜のおばあちゃん
嗚呼――。 RT @show_you_all: 福島の白菜のおばあちゃん。これが日本の現実。 こんなおばあちゃんを見捨てないでくれ日本人。 bit.ly/RNzj0N @yab887さんから
— 小野不一さん (@fuitsuono) 12月 24, 2012
2012-12-23
目撃された人々 30
年老いた二人の修道女と擦れ違った。私は小声で「シスター」と呟き、心の中で「姉ちゃん」と翻訳して、忍び笑いを漏らした。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 12月 23, 2012
・目撃された人々(旧)
福島県で児童の甲状腺異常が激増
【全国民に知らせろ】表 甲状腺異常『35%→43%』の激増。表 6才~15才女子のう胞率54%過半数オーバーの衝撃。表 チェルノブイリ0.5%と比べて桁違いに深刻で叫びたくなる恐怖。 全国民に知らせろ!そして動け!今動かないと間に合わん! twitter.com/EscapeBias/sta…
— 生存をかけた闘いさん (@EscapeBias) 9月 21, 2012
・福島県の児童における甲状腺がん・甲状腺異常の発生-「通説」をたてにした事態の「否認」
2012-12-22
全世界で陰謀犯罪者 大量逮捕のテレビ報道近し
全世界で陰謀犯罪者、大量逮捕のテレビ報道近し 2012
間近に迫るテレビ報道:10000人の世界陰謀メンバーの大量検挙
間もなく、世界中で多くの陰謀犯罪メンバーたちが大量逮捕されることを目撃するでしょう。これらの検挙は借金と貧困の条件を押し付ける現在の経済システムから人類を解放する新しいシステム導入への最後の障害物の排除を意味します。
このことを実現するために、長年にわたり、陰に隠れて、一所懸命尽くしてきた多くの男性、女性が存在します。彼らは人類に新しいシステムを提示することに努力を続けています。このシステムは直ちに人類に富の再分配を行い、一般に考えられている普通の生活から人類を解放するでしょう。
科学技術は他の制圧されていた要素は開放され、この移行に助けになります。
これらの大量逮捕のニュースは突然現れ、強烈なものしょう。準備をしていていない多くの人たちにはなぜ起きているのかを理解することに関して、大量の人間が留置されるのを、目の当たりにして、ショックを受けたり、混乱するかもしれません。
しかし、検挙される大量の男性、女性たちは、皆さんを永久に奴隷化するために従事してきました。
いくつかの大手メディアグループはこれらの出来事について報道し、何が起きたのかを時系列に公開する手助けをすることに合意済みです。これらの検挙はテレビで放映され、完全にみなさんと完全に共有されます。こうすることは世界の人々に対する義務だからです。そして、世界の人々はこの瞬間、この出来事を目撃し、人類を支配、搾取してきたこれらの大量の人間たちから開放されることを意味するのです。
巧妙な工作による支配は終わり、人類は新しい人生に突入します。このことを心に留めておけば、これらの検挙を恐れを持たずに見ることができるし、私達の世界に対する彼らの存在の意味が理解できます。
このような開放への情報に対する情報源がたくさん存在しています。この情報を希望する人たち、あるいは希望しない人たちにも伝わるように要請します。少なくともこの件について事前に親しんでほしいのです。この情報を広く伝える努力は重要なことで、これは恐怖を取り除き、衝撃を減らすことに役立ちます。
間もなく、真の自由が皆さんのもとに戻されます。
コピーに関する覚え書き
やられた。こりゃ凄いよ。個人化、解釈、信憑性は科学・宗教にも適用可能。/情報のコピーが無料になった中で、コピーできない8つの価値 :Heartlogic http://t.co/YGWXOqIh
— 小野不一 (@fuitsuono) December 20, 2012
ってなわけで、早速引用させてもらおう。
・即時性(Immediacy) コピーよりも速いこと
・個人化(Personalization) 個人に最適化されていること
・解釈(Interpretation) コピーの価値を上げるための付加価値を持つ情報
・信憑性(Authenticity) コピーを手に入れるときの特別な体験
・アクセスしやすいこと(Accessibility) 取りやすく見やすいこと
・具体化(Embodiment) 情報に実体を持たせること
・後援(Patronage) 作者との関係性
・見つけやすいこと(Findability) 目につく場所に情報を存在させること
【「情報のコピーが無料になった中で、コピーできない8つの価値」Heartlogic】
ここから我が「宗教OS論」に結びつけることを目論んだのだが、如何せん思索不足である。というわけで中途半端な解説となることを許されよ。
生命連鎖という歴史の主役は遺伝子だ。つまり生命の営みは遺伝子複製を目的としている。そして文化・文明は学習という名のコピーで維持されるわけだ。子は親のコピーであり、人類は神のコピーなのだ。宗教行為を見よ。コピーそのものではないか。
人間の脳は凄まじいポテンシャルを秘めている。
・脳という宇宙
・「世界の全情報処理能力」は「ヒトの脳」に匹敵
しかしながら実際は思考速度が遅いため、情報量は限られている。
・脳の情報量とコンピュータの情報量について計算してみました
・情報過剰は思考を駄目にする
・人間の脳は限界に達しているのかも!?
仮に17.5GBあったとしても、私の場合は明らかにメモリ不足だ。加齢が上書き更新を困難にしつつある。忘却とは忘れ去ることなり。
レイ・カーツワイルはイノベーション(技術革新)が「記憶のダウンロード&アップロード」を可能にするだろうと告げている。
では、わたしとは誰なのか? たえず変化しているのだから、それはただのパターンにすぎないのだろうか? そのパターンを誰かにコピーされてしまったらどうなるのだろう? わたしはオリジナルのほうなのか、コピーのほうなのか、それともその両方なのだろうか? おそらく、わたしとは、現にここにある物体なのではないか。すなわち、この身体と脳を形づくっている、整然かつ混沌とした分子の集合体なのではないか。
だが、この見方には問題がある。わたしの身体と脳を構成する特定の粒子の集合は、じつは、ほんの少し前にわたしを構成していた原子や分子とはまったく異なるものなのだ。われわれの細胞のほとんどがものの数週間で入れ替わり、比較的長期間はっきりした細胞として持続するニューロンでさえ、1か月で全ての構成分子が入れ替わってしまう。微小管(ニューロンの形成にかかわるタンパク質繊維)の半減期はおよそ10分である。樹状突起中のアクチンフィラメントに至っては約40秒で入れ替わる。シナプスを駆使するタンパク質はほぼ1時間で入れ替わり、シナプス中のNMDA受容体は比較的長くとどまるが、それでも5日間で入れ替わる。
そういうわけで、現在のわたしは1か月前のわたしとはまるで異なる物質の集合体であり、変わらずに持続しているのは、物質を組織するパターンのみだ。パターンも又変化するが、それはゆっくりとした連続性のある変化だ。「わたし」とはむしろ川の流れが岩の周りを勢いよく流れていくときに生じる模様のようなものなのだ。実際の水の分子は1000分の1秒ごとに変化するものの、流れのパターンは数時間、時には数年間も持続する。
つまり、「わたし」とは長期間持続する物質とエネルギーのパターンである、と言うべきだろう。だが、この定義にもまた問題がある。いずれこのパターンをアップロードし、オリジナルとコピーが見分けられないほど正確に、自分の身体と脳を複製できるようになるからだ(そうなると、わたしのコピーが、「レイ・カーツワイル」を見分けるチューリングテストに合格しかねない)。
【『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル:井上健監訳、小野木明恵、野中香方子〈のなか・きょうこ〉、福田実訳(NHK出版、2007年)】
福岡伸一が同じことを言っている。「生命とは動的平衡にある流れである」(『生物と無生物のあいだ』)、「ミクロのレベルではたまたまそこに密度が高まっている分子の、ゆるい『淀み』でしかない」(『もう牛を食べても安心か』)と。つまり自我を支えているものは「記憶という情報」なのだ。
では実際に私がコピーされたとしよう。一体全体どちらの私が本物であるのか?
『スター・トレック』の転送装置で、星の地上にいる人が宇宙船の中にビームで転送されるとき、何をやっているかというと、その人のいる地上の空間の素粒子状態、つまり情報状態を全部スキャンしているのです。そしてそのスキャンした状態を宇宙船の中に移動させているわけです。
簡単にいえばコピーするということでしょうか。もちろん、思考も記憶も全部一緒にコピーをしています。それを移動と呼んでいるだけなのです。
ただし、コピーだけでは移動ではありません。ただの複製になってしまうため、オリジナルの消去もあわせて行っているのです。
スコッティーが転送してくれたときに、たまたま宇宙船が攻撃されて、オリジナルの消去ができなかったとしたら、オリジナルとコピーが同時に存在することになります。
そして、しばらくしてからスコッティーに、「ごめん、あなたの転送は終わった。したがってこれからあなたを消去します」といわれてしまうわけです。
では、どちらが本物か。
それは、移動した方が本物なのです。それがインテンショナリティ、つまり意思という考え方です。
移動するという意思が反映されているのは移動後のほうです。
理論上は、寸分たがわず、魂まで含めた完全コピーではあります。しかし、移動という意思は複製された側にあるわけですから、結果として、オリジナルのあなたは消去されるべき存在になってしまうのです。
【『苫米地英人、宇宙を語る』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(角川春樹事務所、2009年)】
「コピーという意思」に軍配が上がるというのだ。だから親が先に死ぬのか(笑)。私の完全コピーが100体あったとすれば、100番目のコピーが本物となる。ただし、これは「自我の固有性」にまつわる問題であって、各コピーの環境が異なるわけだから当然それぞれの人生は別物だ。
・移動(コピー)した方が本物
社会にも進化にも常にコピーという同調圧力が働いている。コピーし損なった者は弾かれる。美しいコピーを競うのが「受験」だ。
彼は一瞬私を優しく見つめ、それから言った。「あなた――あなたの身体、感情、思考――は、過去の結果です。あなたの身体はたんなるコピーなのです。例えば羨望や怒りなどのどんな感情も、過去の結果なのです。羨望について、それを抑圧したり、それを何かあるいは何らかの行為にしようとするなど、あなたが何をしようと、それもまた過去の結果なのです。そのように、あなたはたんに経験の輪のなかを動いているだけなのです」
【『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(コスモス・ライブラリー、2000年)】
コピーは「過去への依存」である。自我の大半は親や教師、友人、本、メディアによって書き込まれたものだろう。真の悟りとは意味から離れ、時間から離れ、自我を白紙に洗い戻す営みに違いない。これが「即時性」だ。
・パソコンが壊れた、死んだ、殺した
・移動(コピー)した方が本物
・レイ・カーツワイル
・苫米地英人


