・『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
・『大空のサムライ』坂井三郎
・『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
・『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編
・『今日われ生きてあり』神坂次郎
・『月光の夏』毛利恒之
・読書日記
・フランス人ジャーナリストが描く特攻の精神
・仏教は神道という血管を通じて日本人の体内に入った
・特攻隊員は世界の英雄
・『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス
・日本の近代史を学ぶ
・必読書リスト その四
すべては1944年10月25日に始まった。いや、より正確にいうなら、全世界はこの日驚くべきニュースに接したのである。新聞とラジオは、日本軍の飛行機がレイテ沖でアメリカ海軍艦船に決然たる体あたり攻撃を敢行し、大損害を与えたことを報じた。ニュースの解説者たちは、これらの攻撃が秩序だてて実行されたもののように見えるところから、これが日本軍司令官の命令に発したものであろうということを力説した。このときをもって、太平洋戦争の局面はまったく異常な展開を見せることになったのである。この日以降、それは世界戦史のいかなる戦闘にも似つかぬものと化した。
【『神風』ベルナール・ミロー:内藤一郎〈ないとう・いちろう〉訳(ハヤカワ・ノンフィクション、1972年)以下同】
「まえがき」の冒頭部分である。1944年10月18日に捷(しょう)一号作戦が発動された。神風(しんぷう)特別攻撃隊が実際に体当たり攻撃を行ったのが25日のことである。敷島隊、菊水隊、朝日隊、山桜隊が出撃した。
特攻隊第一号の務めを果たした関行男。 pic.twitter.com/XBq7TYcnB2
— 小野不一 (@fuitsuono) November 21, 2014
それでも、大戦勃発以来すでに5年、世界の人心は軍の発表や戦闘のニュースにもはや食傷していたけれども、この事件のニュースだけには感銘を受けた。だがこれに対する意見はかなり分裂した。ある者はこの途方もない勇気の持主だったパイロットたちに尊敬と感嘆を惜しまなかった。また他のある者はこの戦闘手段の性質自体に戦慄をおぼえ、眉をひそめ、一種の集団的発狂だときめつけたものであった。
このどちらもあまりに早計であることは明らかだった。そこにはこれら日本人パイロットの行動の真意をつかむ要素が欠けていた。この前代未聞の、そして常軌を逸した行動を理解するための、あるいは少なくとも説明をつけてみようとするための、哲学的な思惟というものは世界になく、多くの者はただ迷ってしまうだけであった。彼らがこれら日本の逆上した空軍軍人たちを鼓舞している原理というものについて、本気になって自らに立ち向かうようになったのは、もうしばらくたってからのことで、他にも同様の自殺攻撃がより大規模に実行されつづけるようになってからである。戦後はより広汎に、かつ詳細に事実が判明した。そして感情の鎮まるにつれて、少しずつ理解の度が進展していったのである。まったくそれは驚くべきことで、全世界があらためて驚倒したのであった。
原書刊行は1970年と思われる。タイトルは『叙事詩カミカゼ』か。日本が朝鮮特需を経てベトナム戦争を背景にした高度経済成長に沸いている頃、特攻に思いを馳せたフランス人がいた。その目の付けどころと精神性の深さが鞭を振るうように迫ってくる。
若きエリートたちの自己犠牲がなければダウンフォール作戦(連合国による本土上陸作戦)が実施されていたことだろう。特攻隊が日本を守ったのは確かな歴史的事実である。問題は戦後の日本人が特攻隊への感謝を忘れ、あろうことか蔑む人々まで現れたことだ。そしてシナ大陸(※「中国」だと中華民国と中華人民共和国の違いが不明瞭となるため地理的名称の「シナ」を採用する)への深入りが必然的に特攻を誕生させたわけだが、その戦略ミス・政策判断ミスを現在に至るまで研究も反省もしていない。結局我が国は大東亜戦争と似たようなことを何度も繰り返す羽目となる。「官僚の無謬性」はその最たるものだろう。
靖国神社に参拝する国会議員は100人程度だろう(昨年の秋季例大祭は98人)。旧会津藩以外は党派・宗派を超えて参拝するのが当然ではないのか? なかんづく「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」に一人も参加していない公明党・共産党は反日勢力と言われても仕方ないだろう。