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2014-04-06

今日、ルワンダの悲劇から20年/『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ


『ホテル・ルワンダ』監督:テリー・ジョージ
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン

 ・眼の前で起こった虐殺
 ・ジェノサイドが始まり白人聖職者は真っ先に逃げた
 ・今日、ルワンダの悲劇から20年

『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ

必読書リスト その二

 そのとき私は、悪魔がこの世に存在することを知った。たった今、その瞳と視線を交わしたところだった。
 シボマナはまず、私に寄りかかっていたヴァランスに切りかかった。従弟の血が降りかかる。シボマナが再び鉈(なた)を振り上げる。私は反射的に左手で、頭の前、額の辺りを守った。まるで父親に平手打ちを食らわされる時のように。敵が襲いかかってくる。刃が振り下ろされ、私の手首をぱっさり切り落とす。左手が後ろに落ちた。温かい濃厚な液体がほとばしる。私はその場にくずおれた。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ:山田美明〈やまだ・よしあき〉訳(晋遊舎、2006年)以下同】

 20年前の今日、それは起こった。大虐殺に手を染めたのは警察でも軍人でもなかった。同じ町に住む隣人であった。ここにルワンダ大虐殺の恐ろしさがある。教会による断罪でもなければ、異人種による侵略でもなかった。迫害ですらなかった。かつて宗主国であったベルギーが分割統治するべく、身長や鼻の高さなどで二つの民族を創作した。それがツチ族とフツ族だった。ベルギーに続いてイギリスとフランスが手を突っ込む。80万人の大虐殺にはミッテラン大統領の子息も関与したとされる(『山刀で切り裂かれて ルワンダ大虐殺で地獄を見た少女の告白』アニック・カイテジ)。

 本書を読んだ時、私は45歳だった。「私を変えた本」は数あれど、この一書の衝撃に比するものはない。しばらくの間、精神的に立ち上がれなくなったほどだ。そして1年後にクリシュナムルティと邂逅(かいこう)する(クリシュナムルティとの出会いは衝撃というよりも事故そのもの/『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ)。


 レヴェリアン・ルラングァは既に鼻を削がれ、左目を抉(えぐ)り取られていた。眼の前で家族を含む43人が殺された。シボマナは顔見知りの男だった。

 本書後半で地獄を見た男の内省は神への疑問と否定に向かう。同じように私は大衆部(大乗仏教)の因果応報思想と向き合わざるを得なくなった。ルラングァは養父と暮らすことになる。この養父の言葉がいぶし銀さながらの光を放っている。

「それは勇敢だな」
 ある晩、雪の小道で養父リュックにばったり出くわした。私が、この冷え切った暗闇を歩きながら幽霊を追い払おうとしていたのだと打ち明けると、リュックはこう言った。
「そうさ、怖がらないことが勇気なんかじゃない。恐怖に耐え、苦しみを受け入れることが勇気なんだよ」

 私にとってはパウル・ティリッヒ著『生きる勇気』1冊分以上の価値がある言葉だ。セネカ(『怒りについて 他一篇』)と同じ響きが感じ取れる。理解と寛容こそが本物の優しさなのだ。だがルラングァの懊悩(おうのう)は続いた。


 二人の間には敬意のこもった愛情が織り成された。私たちの間には、随分押し付けがましい物言いもあれば、歯に衣着せぬ言い争いもあったが、言葉と沈黙を通して私たちは一緒に歩んでいった。
 例えば今日の午後も、二人の対話は随分白熱した。彼には既に話したことがあるが、私は母が腹を切り裂かれるのを見た時から信仰を失っていた。だから、模範的な説教なんかして、あまり私をうんざりさせない方がいい。私たちに生を与えておきながら私たちを死に置き去りにした、わが少年時代の司祭たち。彼らの説教を思い出すと吐き気がする。

 白人の司祭(カトリックの指導者。プロテスタントは牧師)は真っ先に国外へ逃亡した。フツ族の司祭は教会の中でツチ族の少女たちを次から次へ強姦していた。神よ……。あんたはいつまで黙っているつもりなんだ?


「ある文化の中で、服従することが神聖なことだと考えられるようになれば、人は良心の呵責なく罪なき人を殺すことができる」
 精神科医ボリス・シリュルニックはこう答える。大戦当時子供だった彼は、両親が捕まった時見事に逃げ出すことに成功した(両親はアウシュヴィッツに送られて殺された)という経験の持ち主だ。
「服従によって、殺戮者は責任を免れる。彼らはある社会システムの一員であるに過ぎないからだ。そのシステムに服従して行う行為は全て許される」

 スタンレー・ミルグラムはアイヒマン実験を通してそれを証明してみせた(『服従の心理』スタンレー・ミルグラム/『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス)。権威者に判断を委ねた無責任が罪の意識を軽くする。集団は人間を手段として扱い、矮小化する。アイヒマンは裁判で「命令に従っただけ」と答えた(Wikipedia)。

 いじめも組織犯罪も大量虐殺も根っこは皆同じだ。「命令されたから」「皆がやってたから」という安易な姿勢が80万人を殺すに至ったのだ。たぶん人間には「社会の標準に位置すれば生存率が高まる」という本能があるのだろう。だが、そのまま何も考えずに進めば、やがて欲望に翻弄されて人類は滅びてしまう。現実に資本主義や新自由主義が発展途上国の貧困や餓死を支えているではないか。

 ルワンダも同様である。ジェノサイドの犯人はベルギーであり、イギリスであり、フランスだ。かの国の人々はルワンダを始めとするアフリカ諸国から奪うことで豊かな生活を享受した。このように考えると先進国の犯罪性を自覚せざるを得ない。日本の経済発展はそのすべてがアメリカの戦争に加担することで成し遂げられた。ま、戦争のおこぼれ経済といってよかろう。ツチ族を切り刻んだマチェーテ(大鉈〈おおなた〉)の大半は中国製であった。私の生活が実は何らかの形でルワンダにつながっているかもしれないのだ。


 35歳になったレヴェリアン・ルラングァの心には今どんな風が吹いているのだろうか。

 先ほどツイッターでルワンダの画層を紹介した。Bloggerには暴力表現の規制があるため貼りつけることができない。リンク先を参照せよ。

小野不一(@fuitsuono)/2014年04月06日 - Twilog



強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
ルワンダ大虐殺を扇動したラジオ放送
虐殺の光景
ルワンダ大虐殺の爪痕 - ジェームズ・ナクトウェイ
ルワンダの子供たち 1994年
ロメオ・ダレール、ルワンダ虐殺を振り返る

2020-05-16

ルワンダ大虐殺の重要指名手配犯、フランスで逮捕


 ・ルワンダ大虐殺の重要指名手配犯、フランスで逮捕

『ホテル・ルワンダ』テリー・ジョージ監督

2020年5月16日 21:38 発信地:パリ/フランス [ フランス ヨーロッパ ルワンダ アフリカ ]

【5月16日 AFP】(更新、写真追加)フランスの警察当局は16日、ルワンダ大虐殺をめぐる残り少ない重要指名手配犯であるフェリシアン・カブガ(Felicien Kabuga)容疑者を逮捕した。当局者が明らかにした。

 検察および警察当局は共同で声明を発表し、かつてルワンダ有数の富豪であり、大虐殺において資金を工面した84歳の同容疑者が、パリ郊外で偽名を使って暮らしていたと明かした。

 この声明によると、夜明けごろに実施された作戦により、「司法当局が25年間行方を追っていた」逃亡者が逮捕されたという。

 フツ(Hutu)人の過激派によってツチ(Tutsi)人だけでなく穏健派のフツ人も虐殺された1994年のジェノサイド(大量虐殺)では、80万人前後が犠牲となった。

 先の声明は、カブガ容疑者はパリ北方のアニエールシュルセーヌ(Asnieres-sur-Seine)で、共犯者である自身の子どもたちとともに身を隠して暮らしていたとし、「フェリシアン・カブガはルワンダにおけるジェノサイドの資金担当者として知られる」と説明している。

 同容疑者は、虐殺を実行した悪名高い民兵組織インテラハムウェ(Interahamwe)を創設したとされる。

 また人々に殺人の実行を放送で呼びかけたことで、同じく悪名高いミルコリンヌ自由ラジオ・テレビジョン(Radio-Television Libre des Mille Collines)の創設を援助した。(c)AFP

2008-07-24

眼の前で起こった虐殺/『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ


『ホテル・ルワンダ』監督:テリー・ジョージ
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン

 ・眼の前で起こった虐殺
 ・ジェノサイドが始まり白人聖職者は真っ先に逃げた
 ・今日、ルワンダの悲劇から20年

『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ

必読書リスト その二

 ルワンダものを読むのは初めてのこと。私の知識は『ホテル・ルワンダ』で得たものしかなかった。『ホテル・ルワンダ』は国連平和維持軍に守られているエリアからの視点であった。一方、レヴェリアン・ルラングァは塀の外の大虐殺を目の前で目撃した。だが、目撃しただけではない。体験させられたのだ。2分とかからぬ間に43人の身内を殺され、彼自身も身体をマチューテ(大鉈)で切り刻まれ、左手を切り落とされ、虐殺を目撃した左眼をえぐり取られた。これが、15歳の少年の身に振りかかった現実であった。

 ジェノサイド(大量虐殺)といえば、ヒトラーによる600万人のユダヤ人殺戮が代名詞となっているが、ルワンダで起こったこととは決定的な違いがある。ルワンダでは、近隣の友人や知人が大鉈を振り回し、赤ん坊を壁に叩きつけたのだ。何と100日間という短期間の間に、100万人のツチ族が殺された。1日1万人、1時間で417人、1分間で7人……。ルワンダの大地は文字通り血まみれになったことだろう。

 錠が飛んだ。扉が半開きになる。小さな弟たちや従兄弟たちが泣き、従姉妹たちが悲鳴を上げる。最初に扉の隙間から顔をのぞかせた男は、私の知っている男だった。シモン・シボマナという、繁華街でキャバレーを経営している無口な男。(中略)
 シボマナは怒鳴った。
「伏せろ、さあ、早く。地面に伏せるんだ!」
 ふと側にいる伯父ジャンの存在に気が付く。伯父は少しだけ左向きに身体を起こし、頭をのけぞらせて彼を見つめている。シボナマは素早い動作で伯父の首を切り落とす。ホースから水が噴き出すように、血しぶきが笛の音のような音を立てて鉄板屋根までほとばしった。
 伯父ががっくりとくずおれた時、一人の子供がとりわけ大きな叫び声を上げた。9歳になる伯父の末子ジャン・ボスコだ。シボマナはマチューテの一撃で子供を黙らせる。キャベツを割るような音と共に、子供の頭蓋骨が割れる。続いて彼は4歳のイグナス・ンセンギマナを襲い、何故だか分からないがマチューテで切り付けた後で死体を外に放り投げた。(中略)
 血が血を呼ぶ。荒れ狂う暴力。シボマナは地面に横になっている祖母を踏んだ。暗くてよく見えなかったのだが、彼が祖母を殺そうとすると、祖母は断固とした口調で言った。
「せめてお祈りだけでもさせておくれ」
「そんなことしても無駄だ! 神様もお前を見捨てたんだ!」
 そして祖母を一蹴りしてから切り裂いた。
 私はその時何も感じていなかった。恐怖、恐怖、恐怖しかなかった。恐怖にとらわれて私の感覚は麻痺し、身動きすることさえできなかった。クモの毒が急に体温を奪うように。心臓がどきどきし、汗が至るところから噴き出す。冷え切った汗。
 シボマナは切って切って切りまくった。他の男たちも同じだ。規則的なリズムで、確かな手つきで。マチューテが振り上げられ、襲いかかり、振り上げられ、振り下ろされる。よく油を差した機械のようだった。農夫の作業みたいに、連接棒の動きのように規則的なのだ。そしていつも、野菜を切るような湿った音がした。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ:山田美明〈やまだ・よしあき〉訳(晋遊舎、2006年)以下同】

 シボマナが大笑いして、私に近付いてきた。
「おやおや、そこで外に鼻を突き出しているのは、ツチの家族の長男じゃないか!」
 そう言うと非常に機敏な動作で、私の顔から鼻を削いだ。
 別の男が鋲(びょう)のついた棍棒で殴りかかってくる。頭をそれた棍棒が私の肩を砕き、私は地面に倒れ伏した。シボマナはマチューテを取替え、私たちが普段バナナの葉を落とすのに使っている、鉤竿(かぎざお)のような形をした刃物をつかんだ。そして再び私の顔めがけて襲いかかり、曲がった刃物で私の左目をえぐり出した。そしてもう一度頭に。別の男がうなじ目掛けて切りかかる。彼らは私を取り囲み、代わる代わる襲ってきた。槍が、胸やももの付け根の辺りを貫く。彼らの顔が私の上で揺れている。大きなアカシアの枝がぐるぐる回る。私は無の中へ沈んでいった……。

 元々、ツチ族とフツ族は遊牧民族と農耕民族の違いしかなかった。そこに勝手な線引きをしたのは植民地宗主国のベルギーだった。1994年の大虐殺もイギリスとフランスがそれぞれの部族にテコ入れしている。挙げ句の果てにはアメリカ(クリントン大統領)が、ルワンダ救援を阻止した。シエラレオネと全く同じ構図で、アメリカ人にとっては、アフリカで行われている殺し合いなど、昆虫の世界と変わりがないのだろう。

 ラジオでは毎日、「ツチ族を殺せ! ゴキブリどもを殺せ!」とディスクジョッキーが扇動する。フツ族の子供はラジオ番組に電話をし、「僕は8歳になったんですが、ツチ族を殺してもいいんですか?」と質問をした。実際にあったエピソードである。そして、フツ族の少女は笑いながら略奪に加わった。

ルワンダ大虐殺を扇動したラジオ放送

 果たして何が人間をここまで変えるのか? 善悪という概念は木っ端微塵となって、フツ族はあたかも狩りやスポーツを楽しむように、ツチ族の身体を切り刻む。しかも、フツ族はただ殺すだけでは飽き足らず、ツチ族が苦しむように一撃では殺さなかった。幼い子供達は足を切断して放置された。

 人は物語に生きる動物である。物語は情報によって変わる。嘘やデマと、誤信・迷信がマッチした瞬間から、憎悪の焔(ほのお)が燃え始める。結局、白人がでっち上げた歴史を鵜呑みにしたフツ族が、殺戮に駆り立てられた側面が強かったと思わざるを得ない。

 本書の後半からレヴェリアン・ルラングァの葛藤が描かれる。深い自省は静かな怒りとなって青白く燃え上がり、神に鉄槌を下す。その烈しさは、ニーチェをも圧倒している。

 母は最期まであなたのことを信じていました。それはよくご存知でしょう。母がいくら祈っても、私がお願いしても、全能の神であるはずのあなたは指一本たりとも動かすことなく、母を守ろうとしませんでした。私はその乳とあなたの言葉で育ててくれた母は、喉の渇きに苦しみながら死んでいきましたが、あなたは自分のしもべの苦痛さえ和らげようとせず、干からびた母の唇に清水の一滴も注ごうとはしませんでした。その唇は最後の最後まであなたの名を唱え、あなたを褒め称えていたというのに。

 伯父ジャンの喉元から血がほとばしり出た瞬間、私の信仰も抜け出ていきました。
 祖母ニィラファリのお腹から生命が逃げ去った瞬間、私の信仰も逃げていきました。
 叔父エマニュエルが串刺しにされた瞬間、私の信仰も串刺しにされました。
 殺戮の場と化した教会の壁にあの子供たちが打ち付けられて、その頭蓋骨が砕かれた姿を見た瞬間、私の信仰も砕かれました。
 私が愛した人々の命が燃え尽きた瞬間、私の信仰は燃え尽きました。
 鋲つきの棍棒で肩を粉々に砕かれた瞬間、私の信仰も粉々に飛び散りました。

 あなたには、無垢な人々を救う手さえないのですか?
 自分の子供の不幸も見えないほど目が悪いのですか?
 彼らの叫び声も、助けを求める声も、悲嘆の声も聞こえないほど耳が悪いのですか?
 彼らをずたずたに切り裂こうと襲ってくる汚らしいやつらを踏み潰す足さえないのですか?
 涙を流す人々と共に、涙を流す心さえ持っていないのですか?
 か弱き者や小さき者を守るはずなのに、ゴキブリたちさえ守ることができないほど無力なのですか?
 つまりあなたは、闇の中にいて盲目の眼差しで私を見つめるだけの無力な神なのですね?
 しかしそんなことはどうでもいいのです。私の心の中では、あなたはもう死んでいるのですから。

 テレビを消して、この本と向き合おう。我々がメディア情報に振り回されている内は、いつでもフツ族になる可能性があるからだ。善と悪との間に一線を画すためには、「嘘を見抜き、嘘を否定する」ことである。



暴力と欲望に安住する世界/『既知からの自由』J・クリシュナムルティ
縁起と人間関係についての考察/『子供たちとの対話 考えてごらん』 J・クリシュナムルティ
ルワンダ大虐殺の爪痕
ラス・カサスの立ち位置/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ
会津戦争の悲劇/『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人

2011-10-05

私を変えた本


 個人的な覚え書き。人間は人間と出会うことで変わる。触発という言葉は手垢まみれで好きではない。ここはやはり脳内のネットワークが変わるとすべきだろう。本を読むこともまた人との出会いを意味する。

 感動には2種類ある。今までの自分の反応を強化する感動と、それまでにない全く新しい感動である。例えば私は人がバタバタと死ぬ映画を好むが、そのような映画を何本見たところで私が変わることはない。

 面白い本は多い。ためになる本も山ほどある。だが自分の価値観を揺さぶり、思考を木っ端微塵にし、概念を破壊する本は少ない。

 私を変えた本たちを紹介しよう。

『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ

文庫 女盗賊プーラン 上 (草思社文庫)文庫 女盗賊プーラン 下 (草思社文庫)

 34歳の時に読んだ。私はどちらかというと積極的――あるいは攻撃的――な平和論者であった。しかし暴力が支配する世界では暴力でしか立ち向かうことができない事実を知った。しかも本書に書かれていることは大昔のことではなかった。プーラン・デヴィは私と同い年だった。世界平和など戯言(たわごと)であることを思い知らされた。

両親の目の前で強姦される少女/『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ

『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ

ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜

 私はキリスト教の運命論を否定して仏教の宿命論を信奉していた。それなりに勉強もしてきたつもりだった。ところがルワンダ大虐殺には全く通用しなかった。わずか100日間で100万人近い人々が殺戮された。もしも殺された原因が過去世にあるとするならば、全ての犯罪は容認されてしまう。レヴェリアン・ルラングァは本書の後半で神との対話を試みて、完膚なきまでに神の欺瞞を暴いている。だがそれで彼が救われるわけではない。私には彼に掛ける言葉がなかった。「生きていてよかったね」ということすらはばかられた。45歳にして迷いは深まり、懊悩(おうのう)する日々が続いた。

『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ

『石原吉郎詩文集』石原吉郎

石原吉郎詩文集 (講談社文芸文庫)

 読書にはタイミングがある。『女盗賊プーラン』以外はいずれも45歳で読んだ作品である。石原はシベリア抑留者であった。それは国家から見捨てられた経験であった。クリスチャンとしての信仰スタイルも変わらざるを得なかった。石原は平凡な人物であった。しかし彼の目は鹿野武一〈かの・ぶいち〉をしかと捉えた。本書を読んで国家、組織、集団に対する考え方が一変した。

究極のペシミスト・鹿野武一/『石原吉郎詩文集』~「ペシミストの勇気について」

『一九八四年』ジョージ・オーウェル

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 20代で新庄哲夫訳を読んでいたが、これほど面白いとは思わなかった。管理社会と自由をテーマにした作品であるが、より本質的には集団と権力(≒暴力)の実相を描いている。つまり集団そのものが暴力であると考えることも可能だ。メディア社会(≒高度情報化社会)は人間のつながりをコントロールする関係に変えてしまった。

現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル

『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ

子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)

 クリシュナムルティを知り、私が抱いてきた数々の疑問は完全に氷解した。初期仏典の意味もわかるようになった。クリシュナムルティとの出会いは人生最大の衝撃といってよい。自由とは離れることであった。

自由の問題 1/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ

 不惑(40歳)と知命(50歳)のちょうど真ん中になる45歳で私は変貌した。自分でも驚いているほどだ。なお適当なカテゴリーがないため「併読」にしておく。

どう生きたらいいかを考えさせる本

2011-12-23

ルワンダの大量虐殺で2被告に終身刑 国際犯罪法廷


 アフリカ中部ルワンダで80万人あまりが殺害された大量虐殺事件の首謀者らを裁く国連のルワンダ国際犯罪法廷は21日、ジェノサイド(集団虐殺)や人道に対する罪に問われた同国の元閣僚2人に終身刑を言い渡した。

 当時のルワンダ与党幹部だったカレメラ元内相ら被告人2人は、ジェノサイドを扇動し、強姦や暴行、殺人などに関与したとして有罪判決を言い渡された。国際犯罪法廷は、両被告が犯罪集団を組織して民兵や殺人部隊を雇い、武器などを供給したと認定した。

 ルワンダの大量虐殺事件では、1990年代にフツ人の一部政治エリートが少数派のツチ人に対する憎しみをあおるプロパガンダを展開、94年4月6日にフツ人の大統領を乗せた航空機が撃墜された事件が引き金となって、フツ人によるツチ人の大量虐殺が始まった。

 国連の推計では20万人がこの虐殺に加担し、ツチ人を中心に女性と子どもを含む80万人あまりが殺害された。穏健派のフツ人も犠牲になった。

CNN 2011-12-23

Rwanda: 15 years on - photostory 3

『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン
ルワンダ大虐殺の始まり/『ジェノサイドの丘』フィリップ・ゴーレイヴィッチ

2008-10-31

ジェノサイドが始まり白人聖職者は真っ先に逃げた/『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ


『ホテル・ルワンダ』監督:テリー・ジョージ
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン

 ・眼の前で起こった虐殺
 ・ジェノサイドが始まり白人聖職者は真っ先に逃げた
 ・今日、ルワンダの悲劇から20年

『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ

必読書リスト その二

 ルワンダは、ベルギーの植民地だった1930年代にカソリック国となっていた(『ジェノサイドの丘』フィリップ・ゴーレイヴィッチ)。映画『ホテル・ルワンダ』にも、白人男女の聖職者が登場していた。神の僕(しもべ)は、大虐殺を前にして戦おうとすらしなかった。そうだ。全ては神の思し召しなのだ。いかなる悲惨な結末が待っていようとも、キリスト教思想ではそれが「神の意志」とされる。神様のジャンケンはいつも後出しなのだ。

 では実際に、ルワンダの聖職者はどのように振る舞ったのか。こうだ――

(※ジェノサイドが始まった直後)私たちの羊飼いは子羊を見捨てた。さっさと逃げてしまった。子供を連れて行くことさえしないで、私には、両司祭が私たちを見捨てた事実を理解することも受け入れることできなかった。二人は小型バスに乗る前に、誰にともなくこう言った。
「お互いに愛し合いなさい」
「自分の敵を赦(ゆる)してあげなさい」
 自らの隣人に殺されようとしているその時の状況にふさわしい言葉ではあったが、それは私たちを取り囲んでいるフツ族に言うべきだろう。
 司祭の一人はベルギーに避難した後、こうもらしたという。「地獄にはもう悪魔はいない。悪魔は今、全員ルワンダにいる」と。神に仕える者が、迷える子羊たちを荒れ狂うサタンの手に引き渡すとは、感心なことだ!
 ある修道女もトラックに乗る前に、周りに殺到してきた人々に向かって「幸運を祈ります!」と言っていた。ありがとう、修道女様。確かに幸運が来れば言うことなしなのだが。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ:山田美明〈やまだ・よしあき〉訳(晋遊舎、2006年)】

 大鉈(おおなた)でこれから殺される人々に向かって放たれた言葉である。何たる偽善か。草葉の陰でイエス様も泣いていたことだろう。彼等がことあるごとに説いてきた「愛」の真実がここに現われている。結局は「自分の命が惜しい」だけに過ぎない。ツチ族を殺戮したフツ族よりも、こいつらの方が悪魔に見える。で、彼等は安全な場所へ移動してから、ルワンダを心配してみせたに違いない。

 思想や信条というのは、口で語るためのものではない。いざという時に、その人の生き方を問うような形で試されるものだ。生きざま以外に思想など存在しない。聖職者の説く神様はルワンダにはいなかったようだ。多分、アフリカ大陸のどこを探してもいないだろうし、世界を歩き回っても見つけることはできないことだろう。一体全体どこにいるのだろう? エ、「天」? ケッ、ふざけんじゃないよ。それじゃあ、屋根の上で日向ぼっこをしている猫と変わりがない。本当に神がいるのであれば、飢餓で死ぬ人々がこれほど存在するわけがない。

 修道女は自らが幸運という名のトラックに乗りながら、間もなく殺される人々の幸運を祈った。もし、殺されたツチ族のために彼女が涙を流したとすれば、そんな涙にいかほどの意味があるというのだろうか?

2021-11-20

隣国で行われている現在進行系の大虐殺/『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ


『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ

 ・隣国で行われている現在進行系の大虐殺

『命がけの証言』清水ともみ
『AI監獄ウイグル』ジェフリー・ケイジ

必読書リスト その一

【『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ(季節社、2020年)】

 清水ともみが『その國の名を誰も言わない』に続いて2019年8月にツイッターで発表・公開した作品である。作家の百田尚樹が虎ノ門ニュースで全編を紹介し、広く知られるようになった。ネット上で公開されているが、本書と『命がけの証言』は是非とも購入していただきたい。2640円の喜捨と考えて欲しい。既に新聞やテレビでは世界を知ることはできない。犠牲者の声は圧力によって封殺される。経済的な見返りのためなら臓器狩りや虐殺も見て見ぬ振りをするのが親中派政治家や経団連の流儀である。

 岡真理はパレスチナの若者を見てこう思った。「むしろ不思議なのは、このような救いのない情況のなかで、それでもなおジハードが、そしてほかにも無数にいるであろう彼のような青年たちが、自爆を思いとどまっていることのほうだった」(『アラブ、祈りとしての文学』岡真理)。国際社会は国益を巡るゲームである。ルワンダ大虐殺の時も国連は動かなかった。目立った報道すらなかった。それどころか同じ信仰を持つイスラム世界も沈黙を保っている。インドネシアではムスリムによる反中デモが行われたが、インドネシア政府はウイグル人服役囚を中国に強制送還している。

 米軍が撤退した途端、アフガニスタンをタリバンが完全に支配した。権力の真空が生まれることはなかった。中国共産党はアメリカが退いたところに進出するという単純な攻撃法で国際的な影響力を高めている。WHOなどが典型だ。

 アメリカはトランプ大統領が対中制裁に舵を切ったが、政策を引き継いだバイデン政権の動きは鈍いように感じる。言葉だけが虚しく響いているような気がする。

 ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから
 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから
 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから
 そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

マルティン・ニーメラー

 ニーメラーの悔恨は最初の迫害を他人事と捉えたところにあった。虐殺されているのはウイグル人ではない。我々なのだ。

 




清水ともみ|note
香港でも拡散!8.6万RTウイグル漫画『私の身に起きたこと』が描かれるまで(FRaU編集部) | FRaU
ウイグルの人権問題を描いた漫画に反響 作者「怖かったけど、天命」:朝日新聞GLOBE+

2011-09-01

ルワンダ大虐殺を扇動したラジオ放送


 ハビャリマナにとってアルーシャ協定が政治的な自殺に等しい、というのは事実だった。フツ至上主義党の指導者たちは裏切りだと叫び、大統領その人が同調者になったと告発した。アルーシャ協定の署名から4日後、アカズのメンバーと友人から出費を受けた千の丘の自由ラジオ(ラジオ・テレヴィジョン・リブル・デ・ミル・コリン/RTLM)がジェノサイドのプロパガンダ専門局としてキガリから放送をはじめた。



 そうした(※ラジオからの)メッセージ、そして社会のあらゆる階層の指導者たちからの命令によって、ツチ族の虐殺とフツ族反体制派の暗殺は各地に広がっていった。民兵たちの手本にならい、フツ族は老いも若きも仕事にとりかかった。隣人が隣人を自宅で切り刻み、同僚が同僚を職場で切り刻んだ。医師が患者を殺し、教師が生徒を殺した。多くの村ではわずか数日でツチ族の人口がほぼゼロになった。キガリでは、囚人たちが釈放されて労働班を編成され、道路沿いにならぶ死体を片づけた。虐殺にともなうレイプと略奪がルワンダじゅうに広がった。酔っぱらった民兵集団は薬品店から略奪したドラッグで景気をつけ、虐殺から虐殺へと駆けまわった。

【『ジェノサイドの丘』フィリップ・ゴーレイヴィッチ:柳下毅一郎〈やなした・きいちろう〉訳(WAVE出版、2003年)】

ジェノサイドの丘〈新装版〉―ルワンダ虐殺の隠された真実


ルワンダ大虐殺の爪痕
強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク

2011-08-21

どう生きたらいいかを考えさせる本


どう生きたらいいかを考えさせる本:finalventの日記

 この飄々とした軽やかさは中々出せるものではない。finalvent氏といえば「極東日記」で知られる超大物ブロガーだが、少し前に私の方から喧嘩を売ったところ、敢えなくコテンパンにされた次第。






 弁当兄さん(finalvento氏の愛称)のラインナップは意外なものだった。闊達な文章でありながら、私の食指が動くものはない。ま、所詮好みの問題だわな。

 張り合うつもりは毛頭ないのだが、「自分だったら何をオススメするかな」と考えてみた。

 まず、人生は幸福よりも自由を求めるべきであるというのが私の基本的なスタンスである。大前提として人生とは不如意なものであり、不条理がつきまとう。そして自由をテーマに掲げると、必ず暴力の問題に行き当たる。強い者が弱い者を食い物にするのが社会の実相だ。

 格差がどうの、いじめがどうの、福島がどうのと皆が奇麗事を並べ立てる。だが本当は自分のことしか考えていない。そんな人間は感受性が麻痺しているため、どんなに素晴らしい作品を読んだところで生き方を変えることは難しい。

 打ちひしがれた経験を持つ者、心に傷を負った者、のた打ち回る苦しみを知る者だけが、深い共感から人生の幅を押し広げてゆくことができる。

 最初に2冊。『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行〈こうの・よしゆき〉(文藝春秋、1995年/文春文庫、2001年)と、『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子(河出書房新社、1997年/河出文庫、2002年)。

 河野さんはオウム真理教と警察とメディアの被害者で、山下さんは酒鬼薔薇事件で愛娘を喪った。これほどの不条理はない。ところがこのお二方は、深い静けさを湛(たた)えた瞳で事件を見つめる。そして看病という行為の中から、生命の尊厳性を鮮やかにすくい上げる。「市井(しせい)の庶民にこれほどの人物がいるのか!」と驚嘆したことをありありと覚えている。

「疑惑」は晴れようとも―松本サリン事件の犯人とされた私彩花へ―「生きる力」をありがとう

『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子

 ここでちょっと角度を変えよう。人間心理のメカニズムに光を当てた2冊。『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル:小此木啓吾〈おこのぎ・けいご〉訳(フォー・ユー、1987年)と、『服従の心理』スタンレー・ミルグラム:山形浩生〈やまがた・ひろお〉訳(河出書房新社、2008年/同社岸田秀訳、1975年)。

『生きぬく力』は強姦や拷問を経験した人々がどのように乗り越えたかが描かれている。絶望的な極限状況からの生還といっていいだろう。過重なストレスをコミュニケーションで解決する模様が紹介されている。『服従の心理』は社会心理学のバイブルである。本書によって心理学は科学的地位を確保したといっても過言ではない。ヒエラルキーに額(ぬか)づき、いじめに同調する人間心理を理解することができる。いつ自分が「電流を流される側」になるかわからない。だからこそ読む価値がある。

生きぬく力―逆境と試練を乗り越えた勝利者たち服従の心理

ストレスとコミュニケーション/『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
服従の本質/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム

 そして、とどめの3冊だ。『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳(ハヤカワ文庫、2009年)と、「黒い警官」ユースフ・イドリース:奴田原睦明〈ぬたはら・のぶあき〉訳(『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20 中国・アジア・アフリカ』1991年、所収)、『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ:山田美明訳(晋遊舎、2006年)。

『一九八四年』は新訳で。情報と暴力が人間をどのようにコントロールし得るかを描いた傑作。ウィンストン・スミスは少なからず勇気のある人物である。その彼が崩壊してゆく姿を凄まじいリアリズムで描写している。「黒い警官」はエジプトで実際にあった警官による拷問を小説化した作品だ。暴力の獣性を凄まじい迫力で暴いている。そして『ルワンダ大虐殺』は私の人生を変えた一書である。運命と宿命の欺瞞を思い知った。出口のない暗闇にあっても尚、人は生きてゆかねばならない。著者が生きているという事実が唯一の光明である。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)中国・アジア・アフリカ/集英社ギャラリー「世界の文学」〈20〉ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜

現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル
暴力が破壊するもの 1/「黒い警官」ユースフ・イドリース(『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20 中国・アジア・アフリカ』所収)
『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ

 私はレヴェリアン・ルラングァから真の懐疑を学び、そこからクリシュナムルティに辿り着いた。その意味ではルワンダの悲劇が私の眼(まなこ)を開かせたといってよい。最終段階としては、ブッダの初期経典(中村元訳)とクリシュナムルティの共通性を探るのが私のライフワークである。

 でもまあ、本気で人生を考えるのであれば120冊程度は読んでおきたい。

私を変えた本

2008-07-27

トイレの中に8人の女性が3ヶ月間も隠れ続けた/『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン


『ホテル・ルワンダ』監督:テリー・ジョージ

 ・トイレの中に8人の女性が3ヶ月間も隠れ続けた

『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア

必読書リスト その二

 ルワンダもの、2冊目。レヴェリアン・ルラングァが怒りにのた打ち回り、神をも裁いたのに対し、イマキュレー・イリバギザは大虐殺を通して信仰をより深めている。圧倒的な暴力にさらされても、人によって反応はこれほど異なる。どちらが正しくて、どちらが間違っているという類いの違いではなく、人間の奥深さを示すものだ。

 冒頭に掲げられたこの言葉が、イマキュレーの立場を鮮明にしている。

 もはや何一つ変えることが出来ないときには、
 自分たち自身が変わるしかない
   ――ビクトール・E・フランクル

【『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン:堤江実〈つつみ・えみ〉訳(PHP研究所、2006年/PHP文庫、2009年)以下同】

 幼い頃、彼女はフツ族とツチ族の違いすら知らなかったという。

 フツとツチは同じキニヤルワンダ語を話し、同じ歴史を共有し、同じ文化なのです。同じ歌を歌い、同じ土地を耕し、同じ教会に属し、同じ神様を信じ、同じ村の同じ通りに住み、時には同じ家に住んでいるのです。

 だが、植民地宗主国が既に“人種”という太い線を引いていた。

 ドイツの植民地になった時、また、ベルギーがその後を継いだ時、彼らがルワンダの社会構造をすっかり変えてしまったということも知りませんでした。  それまで、ツチの王が統治していたルワンダは、何世紀ものあいだ平和に仲良く暮らしていたのですが、人種を基礎とした差別的な階級制度に変えられてしまったのです。
 ベルギーは、少数派のツチの貴族たちを重用し、支配階級にしたので、ツチは支配に必要なより良い教育を受けることが出来、ベルギーの要求にこたえてより大きな利益を生み出すようになりました。
 ベルギー人たちが人種証明カードを取り入れたために、二つの部族を差別するのがより簡単になり、フツとツチのあいだの溝はいっそう深くなっていきました。これが、フツの人たちのあいだに絶え間ない恨みとして積み重なり、大虐殺の基盤になったのです。

 大きな出来事が起こる前には必ず予兆があるものだ。しかし、よりよい社会を築く努力をした者ほど、努めて楽観主義であろうとする。イマキュレーの父親もそうだった。

「いいや、お前は大げさすぎるよ。みんな大丈夫さ。前より事態は良くなっているんだ。それにこれは、単に政治のことだからね。子どもたち、心配はいらない。みんなうまくいくさ。大丈夫」と、父は私たちをなだめました。

 この一言が家族を地獄へと導いた。留学中の兄とイマキュレーを除いて全員が殺される羽目になる。

 彼女は教会の狭いトイレの中で、7人の女性たちと共に3ヶ月間も隠れ続けた。凄惨な現場を見てないとはいえ、密閉された空間で同胞の殺戮を知ることは、極度のストレスにさらされる。それでも、彼女はあきらめなかった。満足な食べ物もなく、風呂にも入れない状況下で、彼女は英語を学ぶ。

 私はただちにそれ(2冊の分厚い英語の本と辞書)を開きました。見慣れない言葉にワクワクしながら、まるで金で出来ているかのように扱いました。アメリカの大学から奨学金をもらったような気分でした。
 祈りの時間は少なくなりましたが、でも、勉強しているあいだ、神様は一緒にいて下さるとわかっていました。

 私は、他の女性たちが、眠っているか、ぼんやりしている時に、新しい宇宙を探検し、一日じゅう、祈りを唱え、真夜中過ぎまで窓から漏れるかすかな明かりで、もうこれ以上目を開けていられないというまで本を読み続けました。一瞬一瞬、神様に感謝しながら。

 イマキュレーは希望を捨てなかった。だが、建物を一歩出れば、ツチ族は虫けらよりも酷い殺され方をしていた。

 6月中旬、隠れてから2カ月以上が過ぎた時です。
 私は、牧師の息子のセンベバが窓の下で友達と話しているのを聞きました。
 その近所で最近あった殺戮について、目撃したり、あるいは誰かから聞いたりしたもので、その恐ろしさは今までに聞いた中でも最悪でした。
 私は、少年の一人が、まるでサッカーゲームのことでも話しているような調子で身の毛のよだつような恐ろしい出来事を話すのを聞いて、吐いてしまいそうになりました。
「一人の母親が捕まえられたんだ。彼らは次々にレイプをした。その女は、どうぞ子どもたちを向こうにやって下さいと必死で頼んだ。でも、彼らは、その夫と3人の小さい子どもののどもとに大鉈を突きつけて、8人から9人がレイプするあいだ、彼らに見させたんだと。それで、終わった時に全部殺したんだ」  子どもたちは、より苦しんで死ぬように、足を叩き切った後、生きたままその場に放置され、赤ん坊は、岩にうちつけられ、エイズにかかっている兵士は、病気がうつるように10代の少女をレイプするように命令されたのでした。

 この件(くだり)を読んだ時、私は「フツ族は全員死刑にすべきだ」と思わざるを得なかった。誤った歴史を吹聴され、誤った教育を受け、誤った情報に踊らされた民族は、これほど酷(むご)いことができるのだ。フツ族は隣人のツチ族を笑いながら大鉈で切り刻んだ。

 フツ族の中には、親しいツチ族を匿(かくま)う者もいることはいた。だが、その実態はこうだった――

 僕は、彼を藪に隠れながら引きずって、誰も僕たちを知らない場所の病院に運んだ。そうして、ローレンが僕たちをフランス軍が来るまでかくまってくれたんだ。
 それは恐ろしいことだった。彼は我々をかくまって命を助けてくれた。でも、僕たちは生きていることが苦痛だった。ローレンは、毎朝、我々を起こしてお早うって言うんだ。それから出かける。何時間もツチ狩りをするためにね。僕の家族を殺した奴らと一緒にだ。
 彼が夕方返ってきて夕食を作る時、洗い落とせなかった血が飛び散った跡が、手にも服にもついているのが見えるんだ。僕たちの命は、彼の手の中にあったから、何も言えなかったけれど。どうして、そんなことが同時に出来るのか、僕にはわからないよ」

 こうなると、ツチ族を殺すことはスポーツであり、遊興と変わりがなかったことだろう。人間がここまで残酷になれる事実が恐ろしい。いかなる理由であろうとも、それが正当化されてしまうと、人は人を躊躇(ためら)うことなく殺せるのだ。

 イマキュレーは、無事保護された後、トイレで学んだ英語を武器に国連職員となった。彼女が発する「許す」という言葉には、私の想像も及ばぬ呻吟(しんぎん)が込められているのだろう。だが、私のマチズモが彼女への共感を拒否しているのも確かだ。

 それでも人は生きてゆかねばならない――これほど厳しい現実があるだろうか?

2014-04-07

大虐殺を見守るしかなかったPKO司令官/『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール


 以下は、1994年ルワンダで起こったことをめぐる私の物語である。それは裏切り、失敗、愚直、無関心、憎悪、ジェノサイド、戦争、非人間性、そして悪に関する物語だ。強い人間関係が作られ、道徳的で倫理的かつ勇敢な行動がしばしば描かれるものの、それらは近年の歴史の中で最も迅速におこなわれ、最も効率的で、最も明白なジェノサイドには太刀打ちできない。80万人以上の罪のないルワンダの男たち、女たち、子供たちが情け容赦なく殺されるのにちょうど100日が費やされたが、その間、先進世界は平然と、また明らかに落ち着き払って、黙示録が繰り広げられているのを傍観するか、そうでなければただテレビのチャンネルを変えただけのことだった。私の父や妻の父はヨーロッパの解放に手を貸した――その時、絶滅収容所の存在が暴き出され、声を一つにして人類は「二度とこんなことはさせない」と叫んだ。それからほぼ50年たって、私たちは、この言葉にできない惨事が起こるのをふたたび手をこまねいて見ていたのだ。私たちはこれをやめさせる政治的意志もリソースも見出せなかった。以来、ルワンダを主題にして多くのことが書かれ、つい最近に起こったこのカタストロフはすでに忘れられつつあり、その教訓は無知と無関心に埋もれている、そのように私は感じている。ルワンダのジェノサイドは人類の失敗であり、それはまた疑いなく繰り返される可能性があるのだ。

【『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール:金田耕一〈かなだ・こういち〉訳(風行社、2012年)】

武装解除 紛争屋が見た世界』で伊勢崎賢治を知った。伊勢崎の著作を数冊読み、ロメオ・ダレールを知った。

「私たちは大量虐殺を未然に防ぐ努力を怠ってきた」/『NHK未来への提言 ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く』ロメオ・ダレール、伊勢崎賢治

 何と、映画『ホテル・ルワンダ』に登場した国際連合ルワンダ支援団(UNAMIR)の司令官であった。



 それから直ぐに以下の動画を見つけた。

ロメオ・ダレール、ルワンダ虐殺を振り返る

 ロメオ・ダレールは元カナダ軍中将であった。その彼が帰国後、自殺未遂をした。ダレールはルワンダという地獄に身を置きながら、国連の政治に翻弄された。彼は虐殺を見守るしかなかった。真の地獄は目撃者をも間接的に殺するのだろう。ダレールは生還した。ルワンダからも、自殺からも。タフという言葉はこの男のためにある。


 当時、第8代国連難民高等弁務官を務めたのは緒方貞子であった。

ルワンダ: Strings Of Life
特別対談 | 池上彰と考える!ビジネスパーソンの「国際貢献」入門 - JICA

 緒方に反省と悔恨が見えないのはどうしたことか。緒方もダレールを見捨てた一人ではなかったか?

 信じられるのは見捨てられ、傷ついた人間である。安全な位置や快適な空間にいる連中は信用ならない。戦争決定者が戦地へ赴くことはないのだ。紛争を支えるのは大国の無関心だ。彼らは原油やゴールドが埋蔵されていない地域には目もくれない。有色人種がいくら殺し合おうと知ったことではないのだ。

 この世界を肯定することは虐殺に加担する可能性がある。

なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか―PKO司令官の手記
ロメオ ダレール
風行社
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2021-02-10

読書讃歌/『書斎の鍵 父が遺した「人生の奇跡」』喜多川泰


・『賢者の書』喜多川泰
・『君と会えたから……』喜多川泰
『手紙屋 僕の就職活動を変えた十通の手紙』喜多川泰
『心晴日和』喜多川泰
『「また、必ず会おう」と誰もが言った 偶然出会った、たくさんの必然』喜多川泰
『きみが来た場所 Where are you from? Where are you going?』喜多川泰
・『スタートライン』喜多川泰
・『ライフトラベラー』喜多川泰

 ・読書讃歌

『株式会社タイムカプセル社 十年前からやってきた使者』喜多川泰
『ソバニイルヨ』喜多川泰
『運転者 未来を変える過去からの使者』喜多川泰

必読書リスト その一

 部屋着に着替えた浩平は、ダイニングに行き、料理をしている日菜にカウンター越しに話しかけた。
「ママ、今日俺は目覚めたよ」
「何言ってるのよ」
 日菜は鼻で笑って相手にしなかった。
「本当だ。俺はこれまでの俺の生き方を改める」
 いつになく強い口調に、日菜は手を止めて浩平を見た。

【『書斎の鍵 父が遺した「人生の奇跡」』喜多川泰〈きたがわ・やすし〉(現代書林、2015年)】

 必読書の一冊目にした。本を取り巻く物語であり、傷ついた男性が再生するドラマである。小説の途中に『書斎のすすめ 読書が「人生の扉」をひらく』という90ページほどの解説がある。この読書礼賛が私の趣味に合わない。本好きが昂じて古本屋にまでなってしまった私にとっては、書物が「人生の扉を開く」のは確かだが、「部屋の扉が開かなくなる」のもまた確かなのだ。私に言わせれば読書はただの病気に過ぎない。

 浩平は人々との出会いを通して逝去した父親の思いを知る。従姉妹の洋子、営業先の志賀会長、部下の加藤、上司の井上部長に導かれて答えは自(おの)ずから得られた。鍵が開けたのは「自分の心」であった。

 両親が結構本を読んでいたこともあって私は幼い頃から本が好きだった。文字が読めない頃から本を開いていた記憶がある。絵本はたくさんあったし、小学校に上がると小学館の『世界の童話 オールカラー版』を毎月1冊ずつ買ってもらった。


 小学校の高学年で図書室の本の半分以上の図書カードに私の名前があったはずだ。本を借りすぎて怒られたこともあった。誰もが恐れるオールドミスのヨシオカ先生に職員室で叱責され、反省文を提出する羽目となった。

 ずっと本を読んできたが病の度合いが本格化したのは、やはり上京して神田の古書街に足を運んだことが切っ掛けとなった。やがてブックオフが登場する(1990年)。私にとっては安価なドラッグが現れたようなものだ。直ぐに10冊以上買う癖がついた。やがて20冊となり、クルマを持つと30~40冊と増えていった。30代で3000冊、40代に入ると5000冊を数えた。5000冊がどの程度の量かというと、3部屋の壁ほぼ全部が本棚で各段には前後2列ずつ並べても収まらない。床は林立する本で覆われつつあった。書籍のビルはやがて都市を形成し、残されたのは奥の細道のような通路だけであった。決して笑い事ではない。2年に一度くらいの割合で書籍の重みによって床が抜けたというニュースが報じられているのだ。

 私にとって本を読む行為は人に会うことと同じである。問われるのはコミュニケーションの深さである。文字をなぞり、受け取るだけが読書ではない。優れた書籍は必ず開かれた精神で書かれている。本物の一書は答えに窮する問い掛けをしてくる。読み手は何をもって応答するのか? それは個性に他ならない。

 為になる本は読んできた。感動した本も多かった。しかしながら私の周囲にいる人々の魅力を上回ることはなかった。それほど私は人間関係に恵まれていた。『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』(レヴェリアン・ルラングァ著)を読んだのは45歳の時だ。私は完膚なきまでに打ちのめされた。『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』や『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』は過去の歴史であった。だがルワンダ大虐殺の場合、私は同時代を生きていた。「なぜ切り刻まれたツチ族の叫び声が私の耳には聴こえなかったのか?」と我が身を苛(さいな)んだ。あまりの残酷に宗教や哲学の無力を思い知った。生きる意味は殺す意味に呆気なく踏みにじられた。

 1年ほどの煩悶を経てクリシュナムルティと出会った(『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』)。『子供たちとの対話 考えてごらん』を通して私は初めてブッダの教えを理解した。心の底から「本を読んできてよかった」と思った。

 だからといって私がルワンダ大虐殺やクリシュナムルティを布教するつもりはない。ただ静かに胸の内に仕舞って今日を生きるだけのことである。

2011-12-21

縁起と人間関係についての考察/『子供たちとの対話 考えてごらん』 J・クリシュナムルティ


自由の問題 1
自由の問題 2
自由の問題 3
欲望が悲哀・不安・恐怖を生む
教育の機能 1
教育の機能 2
教育の機能 3
教育の機能 4
・縁起と人間関係についての考察
宗教とは何か?
無垢の自信
真の学びとは
 ・「私たちはなぜ友人をほしがるのでしょうか?」
 ・時のない状態
 ・生とは
 ・習慣のわだち
 ・生の不思議

 ランスケさんとの出会いは、レヴェリアン・ルラングァ著『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』によってであった。一冊の本を通して人と人とが邂逅(かいこう)する。何と不思議なことか。最初にコメントがあり、ランスケさんのブログで私の記事を紹介していただいた。

「ルワンダ大虐殺」及び「ルワンダの涙」

 我がブログは反応らしい反応が乏しいこともあって、大変ありがたかった。また私が綴る諸法無我についても敏感に応じてくださった。感受性の鋭い人は侮れない。彼の文章に私も思うところがあった。

 そこで議論、というよりは私自身の考えを確認する意味でこの一文を書いておこう。

 諸法無我という言葉(キーワード)が、重苦しい閉塞感の先に光明を見出す切っ掛けとなるだろうか?
 自我という実体が幻想なら、私という記号は人やモノとの関係性のなかで常に変化するのなら、
 私は「自我の地獄」から解放される。
 それは地球上のすべての生物種がそうであるように、
 人も生命の循環のなかに組み込まれた一つの生物種であることの証明だろう。
 人だけが自我という主体を持つ別個の存在という発想の方が歪に思えてくる。
 その関係性は「縁起」であり「慈悲」へと辿り着くのなら、これは幸福のかたちではないだろうか?

Landscape diary ランスケ ダイアリー

「自我の地獄」とは言い得て妙である。「地」は最低を意味し、「獄」には束縛の義がある。我々は生命を自我に閉じ込めてしまった。

 欲望を巡って幸不幸が位置する。大衆消費社会における幸福とは欲望の充足である。矢沢永吉は「愛も金で買える」と嘯(うそぶ)いてみせた(『成りあがり』)。

 で、欲望は「私」に基づいている。もう一歩踏み込もう。私とは「私の欲望」である。

 自我は版図(はんと)の拡大を目指す。我々がこれほど所有に執着するのは、所有物をもって自我を延長・拡大するためと考えられる。財産はもとより学歴、家柄、氏素性に至るまで他人との差別化を図れるものは全て自我に収束される。

 人が権力に憧れる理由もここにある。より多くの大衆を「手足のように」コントロールするところに権力の本質がある。男性にメカマニアが多いのも頷ける。機械は正確に応答するからだ。拳銃は機能性や様式美もさることながら、離れた場所に位置する人物の生殺与奪を決定する力が男の本能に強く訴えるのだろう。

 縁起=諸法無我とは具体的にいえば「コントロール性から離れる」ことを意味する。仏典では権力に潜む魔性を「第六天の魔王」と説く。これを略して天魔と称する。第六天とは有頂天のこと。天は人間界の上に位置する。別名を「他化自在天」(たけじざいてん)とも。他人を化すること自在というのが権力現象とってよい。

 これは本能に基づいたコミュニティがヒエラルキー構造を避けられないことを示していると思う。ブッダが生まれる以前からカースト制度は存在した。それゆえ弱肉強食からの超脱と考えることも可能だろう。

 もう一つ付け加えておくと、仏法が理解されにくいのは我々が幸福を求めるのに対して、ブッダは苦からの解放を説くという微妙な擦れ違いがあるためだ。厳密にいえばブッダが教えたのは幸福になる道というよりは、自由への直道(じきどう)であった。

 前置きが長すぎた。本論に入ろう。

 ただし、私は縁起は人との関係性を含むと思います。世界との繋がりは、生けるもの全てを呑みこんだ連綿と続く循環だと信じたい。

Landscape diary ランスケ ダイアリー:コメント欄

 私は次のように書いた。

 生は諸行無常の川を流れる。時代と社会を飲み込んでうねるように流れる。諸法無我は関係性と訳されることが多いが、これだと人間関係と混同してしまう。だからすっきりと相互性、関連性とすべきだろう。「相互依存的」という訳にも違和感を覚える。

自我と反応に関する覚え書き/『カミとヒトの解剖学』 養老孟司、『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略』 岡本浩一、他

 また次のようにも書いた。

 最近になって気づいたのだが、ここで説かれる関係性とは「能動的な関わり」を勧めたものではない。ただ、「これがあれば、あれがある」としているだけである。すなわち教育的な上下関係ではなくして、存在の共時性を示したものと受け止めるべきだろう。

クリシュナムルティの縁起論/『人生をどう生きますか?』J・クリシュナムルティ

 大抵の人間関係は自我に基づいている。国家とは自我である。アイデンティティを規定するのは所属である。「私」が空虚であれば、最終的にしがみつくものは国家しかない。すなわち「私は日本人である」ということが自我の規定となる。

 大阪高等学校寮歌に「君が愁いに我は泣き 我が喜びに君は舞う」との美しい一節がある。かくの如き友情でありたいと私も願う。だが醒めた目で見つめると、その同一性、一体性が戦争の原因ともなり得ることに気づく。

 私が32歳の時、わずか半年の間で6人の後輩を喪ったことがある。文字通り涙が涸(か)れるまで泣いた。その後私は泣くことができなくなったほどである。それこそ身体の一部をもぎ取られるような感覚に陥った。ご家族の哀しみは想像にあまりある。私は彼らの死を力任せに引きずって生きてきた。彼らは私の胸で生き続けた。

「生きとし生けるものは必ず死ぬ」――そんな当たり前の真理に目をつぶりながら賃金を得るため身を粉にして働き、どうでもいいものに金をかけ、刺激を求めることに余念がなく、人の役にも立たない趣味にうつつを抜かし、のんべんだらりとブログを綴っているという寸法だ(※最後のは私のことね)。

諸君は永久に生きられるかのように生きている/『人生の短さについて』セネカ

 そして自我に基づいた人間関係は必ず依存へと向かう。

 現在、自由というようなものはないし、私たちはそれがどのようなものかも知りません。自由にはなりたいけれども、気づいてみると、教師、親、弁護士、警察官、軍人、政治家、実業家と、あらゆる人がおのおのの小さな片隅で、その自由を阻むことをしています。自由であるとは単に好きなことをしたり、自分を縛る外の環境を離れるだけではなく、依存の問題全体を理解することなのです。依存とは何か、知っていますか。君たちは親に依存しているのでしょう。先生に依存して、コックさんや、郵便屋さん、牛乳を届けてくれる人に依存しています。このような依存はかなり簡単に理解できるのです。しかし、自由になる前に理解しなくてはならない、はるかに深い種類の依存があるのです。つまり、自分の幸せのための、他の人に対する依存です。自分の幸せのために誰かに依存するとはどういうことか、知っていますか。それほどに人を縛るのは他の人への単なる物理的な依存ではなくて、いわゆる幸せを招来するための、内面の心理的な依存です。というのは、誰かにそのような依存をしているときには、奴隷になってゆくからです。年をとるなかで、親や妻や夫や導師(グル)、ある考えに情緒的に依存しているなら、すでに束縛が始まっているのです。私たちのほとんどは、特に若いときには自由になりたいと思うけれども、このことを理解していないのです。
 自由であるには、内的なすべての依存に対して反逆しなくてはなりません。そして、なぜ依存するのかを理解しなければ、反逆はできないでしょう。内的な依存のすべてを理解して、本当に離れてしまうまで、決して自由にはなれません。なぜなら、その理解の中にだけ自由はありうるからです。しかし、自由は単なる反動ではありません。反動とは何か、知っていますか。もし私が君を傷つけるようなことを言ったり、悪口を言うなら、君は私に対して怒るでしょう。それが反動で、依存から生まれた反動です。自立はさらに進んだ反動です。しかし、自由は反動ではありません。反動を理解して、それを超えるまで、決して自由ではないのです。
 君たちは、人を愛するとはどういうことか、知っていますか。樹や鳥やペットの動物を愛するとはどういうことか、知っていますか。何も報いてくれないかもしれないし、木陰を作ってくれたり、ついてきたり、頼ってくれたりしないかもしれないけれども、世話をし、餌をやり、大事にするのです。私たちのほとんどはそのように愛していないし、私たちの愛はいつも心配や嫉妬や恐怖に閉ざされているために、それがどういうことかもまったく知りません。それは、私たちが内的に人に依存していて、愛されたがっているということを意味しています。私たちはただ愛して、放っておかず、何か報いを求めます。そして、まさにその求めることで、依存するのです。
 それで、自由と愛は伴います。愛は反動ではありません。君が愛してくれるから愛するのでは、単なる取り引きで、市場で買える物なのです。それでは愛ではありません。愛するとは、何の報いも求めないし、与えていることさえも思わないことなのです。そして、自由を知りうるのはそのような愛だけです。しかし、君たちはこのための教育を受けていないでしょう。君たちは数学や化学や地理や歴史の教育を受けて、それで終わりです。なぜなら、親の唯一の関心は、君たちがよい仕事を得て、人生で成功するように助けることですから。親がお金を持っているなら、君たちを外国に行かせてくれるかもしれません。しかし、親のすべての目的は世間と同じで、君が豊かになり、社会の中で立派な地位を得ることなのです。そして、上に昇れば昇るほど、君たちは他の人々にもっと多くの悲惨を引き起こします。なぜなら、そこにたどり着くために競争し、非情にならなくてはならないからです。それで、親は野心と競争があり、まったく愛のない学校に子供を送ります。そのために、私たちのところのように社会は絶えず腐敗してゆき、絶えまない闘いの中にあるわけです。そして、政治家や裁判官、いわゆる土地の貴族が平和について語っても、何の意味もないのです。
 そこで、君と私はこの自由の問題全体を理解しなくてはなりません。愛するとはどういうことかを自分自身で見出さなくてはなりません。なぜなら、愛していなければ、決して思慮深く、注意深くなることはできないからです。決して思いやることができないからです。思いやるとはどういうことか、知っていますか。大勢の素足が歩く道に尖った石が落ちているのを見たら、それをどけるのです。頼まれたからではなく、他の人を気づかうのです。その人が誰であろうと問題ではありません。その人にはまったく会わないかもしれません。木を植えて大事にしたり、河を見て地球の豊かさに歓喜する。飛んでいる鳥を観察し、その飛翔の美しさを見る。この生というとてつもない動きに敏感で、開いている――これらには自由がなくてはなりません。そして、自由であるには、愛さなくてはなりません。愛がなければ自由はありません。愛がなければ自由は単に、まったく価値のない考えにすぎません。それで、自由がありうるのは、内なる依存を理解して離れ、そのために愛とは何かを知る人だけなのです。そして、新しい文明、違う世界をもたらすのは、彼らだけでしょう。

【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】

 同一化とは依存であり、依存は形を変えた所有である。そして自我は蓄積物でいっぱいになる。

あらゆる蓄積は束縛である/『生と覚醒のコメンタリー 2 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ

 2年前に父が死んだ。まともに会話をするようになったのは私が結婚してからのことだった。「もう少し……」という思いは確かにある。もう少し教えてもらいたかったこともあるし、もう少し親孝行もしたかった。だが父は死んだ。私は生きている。私は父と共に生きている。やがて私も死ぬ。

 我々は自分の周囲の死を嘆き悲しむ一方で、他人の死を深く心にかけることがない。世界が不幸に覆われている原因はその辺りにあるのだろう。



Krishnamurti with Students, Rishi Valley, India.

死者数が“一人の死”を見えなくする/『アラブ、祈りとしての文学』岡真理

2012-02-05

強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク


『ホテル・ルワンダ』監督:テリー・ジョージ
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン
『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール

 ・強姦から生まれた子供たち

『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス

 ちょっと油断をしていたら、もう品切れになってしまった。2010年刊だぞ。そりゃ、ねーだろーよ、赤々舎(あかあかしゃ)さんよ。版元になければ、是非とも図書館から借りて読んでもらいたい。特に女の子を持つお母さんは必読のこと。(※その後、増刷された)

 ルワンダ大虐殺は私の人生を変えた。

 当時は3ヶ月で100万人が殺害されたと報じられたが、現在は80万人という記述が多い。本書は母と子の写真集である。しかしながら普通の親子ではない。強姦された女性と強姦から生まれた子供だ。

 ジョナサン・トーゴヴニクは声を掛けずにはいられなかったのだろう。静かにインタビューをすることで、彼女たちの苦悶(くもん)の声を拾い上げた。神に見捨てられた女性の叫びは、いかなる神の声よりも重い。決して解決し得ない不幸がルワンダのあちこちでとぐろを巻いている。トーゴヴニクは性的暴力から生まれた子供たちの中等教育を支援するために「ルワンダ財団」を立ち上げた。

 私は奥歯を噛み締めることさえできなかった。ただ、わなわなと震えながら、血管という血管を駆け巡る怒りに翻弄された。もし許されるのであれば、どんな残虐なことでもやってのける自信はある。

 ルワンダで殺人や性的暴力や傷害を犯したフツの民兵の多くは、コンゴ民主共和国や近隣諸国へ逃げた。彼らはいまもなお現地で大規模な暴力行為を繰り広げ、多くの少女や女性たちを暴行しているのである。驚くべきことに、世界はこの地域に対して何も新たな行動を起こそうとしていない。

【『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク:竹内万里子訳(赤々舎、2010年)以下同】

 元々ルワンダの宗主国はベルギーであった。その後、フランスとイギリスが首を突っ込む。アフリカ諸国の殆どは英語圏とフランス語圏が入り乱れている。欧米諸国の複雑に絡んだ利権が暴力の温床となっている。兵器売買の流れを詳細に検討しなければ、アフリカの現状を知ることはできまい。

 ルワンダの国立人口局は、強制的な妊娠によって生まれた子供の数を、2000人から5000人と推定している。しかし被害者団体の情報によれば、その数は実際1万人からおよそ2万5000人に及ぶという。ルワンダはきわめて父権制的な社会であるため、子供は父親の一族と見なされる。つまり、内戦時の性的暴力によって生まれた子供は、その地域に暮らす大半の人々にとっては敵側の存在として受け止められるのである。彼らはしばしば「悪しき記憶の子供」とか「憎しみの子供」と呼ばれ、母親や地域の人々から「小さな殺人者」と言われることもある。それゆえ、母親が性的暴力の事実を明らかにした途端、家族から拒絶され、地域社会から何の支援も得られなくなってしまう。そこには、ジェノサイドが人々の心に残した深い傷がある。大多数の女性は当時まだ少女だったので、公的にも私的にも性的暴力の事実を認めてしまえば、結婚という将来の希望は打ち砕かれてしまう。(マリー・コンソレ・ムカゲンド)

 被害女性が今度は身内からの暴力にされされるのだ。ここに政治の本質が浮かび上がってくる。我々は常に「敵か味方か」を問わずにはいられない。敵の子を生んだ者は敵だ。たとえそれが強姦であったとしても。利益共同体は残酷さを発揮する。

 ユニセフによれば、ジェノサイドの際に性的暴力を受けた女性の70パーセントはHIVに感染している。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ルワンダで性的暴力によって生まれた子供たちの大半は、15歳になるまでに母親をHIV/エイズで失うことになるだろうと予測している。エイズは、女性たちの最大の死因のひとつであり続けている。(マリー・コンソレ・ムカゲンド)

 強姦された挙げ句に子供を生まされ、身内からは見放され、そしてHIVに感染する。この世界に神様なんていないことが証明されたといえよう。いるんだったら連れて来い。俺がぶん殴ってやるから。

 私は正直でなければいけません。私は、この子を決して愛してはいません。この子の父親が私にした行為を思い出すたびに、それに対する唯一の復讐は、その息子を殺すことだと感じてきました。でも、私は決してそれを実行に移しませんでした。この子を好きになろうと努力してきましたが、それでもまた好きになれずにいます。(ジョゼット)

 子供に罪はない。だがその子は罪から生まれた。これほどの矛盾があるだろうか? 愛せない子供を育てる彼女たちを思えば、イエスが背負った十字架なんぞ軽いものだ。

 ページを繰るためには勇気を必要とする。そんな本だ。

Joseline with daughter Leah

 ルワンダでジェノサイドが起こり、誰も経験したことのないような苦悩を私たちが経験したということを、あなたに世界へ伝えてほしいのです。ジェノサイドが残したものだけでも、それと共に生きてゆくのは非常に大変なことです。国際社会は私たちを助けなかったのですから、それを償うべきです。いまジェノサイドの後を生きている私たちを、助けにやって来るべきです。(ステラ)

 これは、あなたや私に突きつけられた言葉だ。我々は同じ世界にいながら、彼女たちを無視してきたのだから。

 私はいつも勝気だったので、その男は他の民兵たちに、私の身長を低くするように命じました。そこで民兵たちは私の脚を棍棒で殴りました。脚を切り落とすのではなく、粉々になるまで打ち砕いたのです。(バーナデット)

hm
(※本書とは別の写真でウガンダの女性、Heather McClintock撮影

 せめて男たちを同じ目に遭わせるべきだ。それをしておかなければモラルが成立しない。彼らには凌遅刑(りょうちけい)か石打ち刑が相応(ふさわ)しい。

 息子の未来について考えるたびに、私は何の確信ももてなくなります。それが一番の問題です。私がペンを買ってやれないので、一学期じゅう家にいることもあります。私をひどく苦しめるものがあるとすれば、それは息子の明日です。(バーナデット)

 嗚呼――言葉が出てこない。底知れぬ闇の如き沈黙に沈むのみ。

 いまでも、人々がセックスを楽しむと聞いても、セックスを楽しむということがどういう意味なのかわからないのです。私にとってセックスは拷問であり、苦しみと結びついています。(バレリー)

 暴力はここまで人間を破壊し得るのだ。

 私は家族というものに興味はありません。愛というものにも興味はありません。私の身に訪れるのは不意打ちであり、あらかじめ計画されたものではないのです。私には自分の将来が見えません。私はときどき、家族をもつ人たちと自分を比べます。そしてジェノサイドで死ななかったことを後悔します。ジェノサイドはなぜ私の命を奪わなかったのだろうかと。(イザベル)

 生きること自体が彼女にとっては業苦であった。ジェノサイドで死ななかったことを後悔します、ジェノサイドで死ななかったことを後悔します、ジェノサイドで死ななかったことを後悔します……。

 彼は大勢の男たちを連れて来て、私が脚を閉じることができなくなるまで次々と暴行させました。(ウィニー)

 その場を想像してみよ。

 私は、自分の子供たち全員が見ているところで暴行されました。最初の5人までは覚えています。その後、私はわけがわからなくなりました。私が意識を失った後もなお、彼らは私を暴行し続けました。正直に言えば、あのとき、あの教会にいた女性は、全員暴行されました。(オリビア)

 更に想像を巡らせよ。

Intended Consequences: Rwandan Children Born of Rape @ Aperture Gallery

 結局、私の心が、長男を連れて行けと命じたので、その子を抱えて教会のドアへ向かって走りました。たくさんの人たちが走っていたので、私は転んでしまいました。息子をかばおうと、その子に覆いかぶさりました。人々は次々と倒れ、4段ほどに重なりました。民兵たちはその一番上から人々を切り刻んでゆきました。1段目、2段目、そして3段目となりました。自分は次だ、とわかりました。
 民兵たちが人々を殺していくにつれて、血が滴り落ちてきました。正直に告白しますが、私の口に血が落ちてきたとき、とても喉が渇いていたので、私はそれを飲みました。塩と血の混じったような味でした。そしてついに私の段に到達すると、民兵たちは言いました。「こいつはすでに死んでいると思う」。(オリビア)

 小説家が想像力を駆使しても、これほどの地獄は描けないことだろう。多くの死が彼女を救った。

 ジェノサイドが始まったとき、私は婚約していました。私の婚約者は、最初の3日間で殺された大勢のうちのひとりでした。私は、鉈(なた)で殺された彼の死体を見ました。その後、私は愛していないたくさんの男たちに暴行されました。その結果が、この子供たちです。私はもう二度と恋に落ちません。決してセックスを楽しみません。自分が母親であることや、子供をもつことに喜びを覚えることも決してありません。私はただ、それを引き受けたのです。(ブリジット)

 最後の一言があまりにも重い。苦しみ悶える彼女たちに「新しい物語」を吹き込む宗教は存在するのだろうか? それとも物語性から離れるべきなのだろうか? 人生に意味を求める思考回路が不幸を拭えぬものとしている。

 それは理解を超えているのです。動物でさえ、あの民兵たちのように振る舞うことはできないでしょう。(アネット)

 鬼畜と化した男どもは間違いなく動物以下の生き物であった。彼らが生きることを赦(ゆる)してはなるまい。

 娘は生き延びました。後になって、この子が私を暴行した民兵の子供であることを知ると、夫は娘の世話は決してできないと言いました。そして私たちがよい関係であり続けるために、この子を殺そうと言い出しました。私にはとても受け入れられませんでした。あるとき、彼は地面に赤ん坊が横たわっているのを見つけて、その上に自転車で乗りました。幸い、この子は生き延びました。またあるときには、夜酔っ払って帰って来た夫が、赤ん坊を壁に叩きつけました。娘の鼻から血がにじみ出ました。そのとき、私は娘の命を救うためにあと一歩で家出をするところでした。(ベアタ)

 二重三重の悲劇。被害者は何度も犠牲を強いられる。その運命に抗しようとすれば、プーラン・デヴィになるしかない。

両親の目の前で強姦される少女/『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ

 男たちは10人以上いて、私を暴行しました。ひとりがやって来て、その男が去るとまた別の男がやって来て、そして去っていきました。いったい何人だったのか、数えられません。ある男に暴行された後、私は喉が渇いているので水をもらえないかと頼みました。男はうなずき、一杯のグラスを持って来ました。口にすると、それが血だと気づきました。その男は言いました。「おまえの兄弟の血を飲んで、行け」。それが最後でした。(マリー)

 以下のブログでは「弟の血」となっている。

KazaLogue "写真のかざろぐ"

Rwanda, photographer unknown
(※本書とは別の写真)

 中にはこのような女性も存在した。

 そして自分にこう言い聞かせたのです。「この子を殺せない。愛そう」(イベット)

 生きることとは愛することであった。

 私たちを無視した世界には、あの悪事を働いた者たちを法の下で裁くのを助けてほしいと思います。(キャサリン)

 真っ当な要求だ。しかし世界はいまだに代価を支払おうとしていない。相変わらず無視したままだ。

 出産から2年間、私には自分と子供を養うすべがありませんでした。そこで売春をしたのですが、ひどいことにまた妊娠して子供を産みました。今度は性的暴力の結果ではなく、子供を育てるために行なった売春の結果として。(キャサリン)

 売春をしなければ生きてゆけない世界。これが我々の生きる世界なのだ。怒り、ではなく狂気が私の内側で吹き荒れる。

「ここでこいつを殺すな。俺が必ず苦痛で死なせてみせる」。男はコップを持って来て、そこに放尿すると、私に飲ませました。翌日食べるものを持って来ましたが、そこには石と尿が混ぜられていました。そういうことを、男は何日間にもわたって続けました。「おまえは俺のトイレだ」と言い、放尿したいときはには私の脚を開いて、私の性器にしました。コンゴの難民キャンプへ行ってからも、男は私を離さず、したいときにはいつでも拷問や暴行を繰り返したのです。(アリン)

 願わくは私に男を処刑する権限を与えて欲しい。

Isabelle with son, Jean-Paul

 私はHIVと、この息子を負っています。しかし正直に言うなら、HIVは息子の人生ほど私を悩ませはしません。息子は私の人生そのものですから。あるとき、私は医療カードを受け取りに政府のジェノサイド生存者基金へ行きました。そこで息子の分のカードも尋ねると、私はこう言われてほとんど殺されかけました。「民兵の息子が政府のお金をもらうだなんて、いったいどうやったらそんなことが言えるんだ?」しかし私にとっては、息子は他の子供と同じ子供なのです――この子はどこに属しているのでしょうか?(エスペランス)

 家族の次は政府からも見放される。「死ね」と言われたに等しい。

 ジェノサイドについて語ろうとしても、十分な言葉が見つからないのです。(ウェラ)

 正真正銘の不幸は言葉にできない。それは「表現されること」を望まない。説明不可能な「状態」なのだ。

 司祭が私に、司祭長の家に隠れるようにと言いました。私がそうすると、司祭は自分の友人を呼び、「ツチの少女を楽しむ」機会だと言いました。こうして彼らは私を暴行しました。2人は司祭長の家で、それぞれ3回私を暴行しました。(クレア)

 聖職者という名のクズどもだ。キリスト教は人間を抑圧するゆえ、タガが外れると欲望まみれとなる。世界史の中で最も残虐ぶりを発揮してきたのがクリスチャンであることは間違いない。それは今も進行中だ。

 今日、私は大きな問題を抱えています。私は母親ですが、母親でありたくないのです。私はこの子を愛していません。この子を見るたびに、暴行の記憶がよみがえります。この子を見るたびに、あの男たちが私の両脚を広げるイメージが浮かびます。娘が無実だということはわかっていますし、娘を愛そうとしました。でも、できませんでした。普通の母親が子供を愛するようには、私には娘を愛せないのです。(中略)ときどき、自分はなぜ中絶しなかったのだろうかと後悔します。(フィロメナ)

 暴力から生まれた子供たちは愛されることなく育てられ、再び暴力の渦へと引き寄せられるのだろうか?

 最初の6年間、私は男性に近づくことすら耐えられませんでした。人々に通りすがりに、「ほら、あの娘をごらん。暴行されたんだよ」などと言われると、私の心はずたずたに傷つけられます。自分に何の価値もないような気持ちになります。だからそのことは考えないようにしてきました。人々は私たちを、民兵の性欲の食べ残しなのだと言います。そのことを考えるたびに、私は自己嫌悪に陥ります。それについては話したくありません。(デルフィン)

 噂話というセカンドレイプ。結局、フツ族もツチ族も一緒なのだろう。人間ってのは、下劣な生き物なのだ。さっさと滅んでしまった方がいいのかもしれない。

「マミー、どの子にもお父さんがいるよ。なぜ私にはお父さんがいないの?」(シャンタルの娘ルーシー)

jt

 読んでいて途中で気づかされるのだが、子供たちの瞳に撮影者のジョナサン・トーゴヴニクが映っている。だが実は彼ではない。それは「私」なのだ。通り一遍の同情を寄せるだけで、実際は何もしない私の姿が立ち現れる。彼らの目に映る世界を構成しているのは私である。その事実に打ちひしがれる。だが、絶対に暴行した男たちを私が許すことはない。

 私は君たちと共に生きよう。





「写真の学校」第二回 写真から人を考える~『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』/竹内万里子&カンベンガ・マリールイズ
ジョナサン・トーゴヴニク公式サイト(英語)
リレーエッセイ『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』に寄せて
紛争が生んだ母子の肖像 写真展「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」
ジョナサン・トーゴヴニク写真展「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」
ルワンダの子供たち 1994年
ルワンダ大虐殺の爪痕
レイプという戦争兵器「絶対に許すな」ムクウェジ医師、DRコンゴ
1日に1100人以上の女性がレイプされる国 コンゴ
少女監禁事件に思う/『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子

2009-03-08

少年兵は自分が殺した死体の上に座って食事をした/『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア


『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』後藤健二

 ・少年兵は自分が殺した死体の上に座って食事をした
 ・かくして少年兵は生まれる
 ・ナイフで切り裂いたような足の裏
 ・逃げ惑う少年の悟りの如き諦観
 ・ドラッグ漬けにされる少年兵
 ・少年兵−捕虜を殺す競争

『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン
『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー

必読書リスト その二

 レヴェリアン・ルラングァは被害者の立場からルワンダ大虐殺を書いた。イシメール・ベアは被害者であり加害者でもあった。シエラレオネ――世界で最も寿命が短い国。12歳で戦乱に巻き込まれた少年は何を見て、何をしたのか――

 弾薬と食べ物のある小さな町を襲いに行く途中だった。そのコーヒー農園を出てすぐ、廃墟となった村のすぐそばのサッカー場で、別の武装集団と鉢合わせした。敵方の最後の一人が地に倒れるまで、ぼくらは撃ちまくった。そしてハイタッチを交わしながら、死体のほうに歩いていった。向こうの集団も、ぼくらと同じように幼い少年ばかりだったが、そんなことはどうでもよかった。やつらの弾薬を奪い、その死体を尻に敷いて、やつらが持ち歩いていた糧食を食べはじめた。あたり一面、死体から流れ出た血の海だ。

【『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア:忠平美幸〈ただひら・みゆき〉訳(河出書房新社、2008年)】

 イシメール・ベアは政府軍に参加していた。そこには何がしかの大義名分がありそうなものだが、読み進むうちに大差のないことが明らかになる。政府軍も反乱軍も少年達を薬物漬けにして、殺人へと駆り立てた。

 血まみれの死体は、生きているうちからモノと変わらなかった。憎悪は人間を単なる標的にする。そして暴力が感覚を麻痺させる。

 彼等は誤った政治のもとで、誤った教育を受けたとも言える。子供は教えられれば、英知を発揮することも可能だし、殺人マシーンと化すことも可能なのだ。

 それにしても、西欧の植民地として散々蹂躙されたアフリカの傷は深い。キリスト教に巣食う差別主義の恐ろしさを改めて思い知らされる。

2013-05-18

虐殺の光景


 どう見てもルワンダである。だが虐殺の光景は一様に酷似している。なぜなら虐殺は人間をモノとして扱うことで成立するからだ。その意味で人形には二重のメッセージが込められている。ルワンダでは80万人もの人々が虫けらのように殺され、ボロ雑巾のような骸(むくろ)とされた。白骨化した遺体の数々は今もなお叫び声を上げている。「殺すのが正義」と信ずることができれば、人は何人でも殺せるのだ。その事実が胸から離れない。

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『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン
強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク