検索キーワード「山下京子」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示
検索キーワード「山下京子」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示

2018-06-06

「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」/『石原吉郎詩文集』石原吉郎


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 鹿野の絶食さわぎは、これで一応おちついたが、収容所側は当然これを一種のレジスタンスとみて、執拗な追求を始めた。鹿野は毎晩のように取調室へ呼び出され、おそくなってバラックに帰って来た。取調べに当たったのは施(シェ)という中国人の上級保安中尉で、自分の功績しか念頭にない男であったため、鹿野の答弁は、はじめから訊問と行きちがった。根まけした施は、さいごに態度を変えて「人間的に話そう」と切り出した。このような場面でさいごに切り出される「人間的に」というロシア語は、囚人しか知らない特殊なニュアンスをもっている。それは「これ以上追求しないから、そのかわりわれわれに協力してくれ」という意味である。〈協力〉とはいうまでもなく、受刑者の動静にかんする情報の提供である。
 鹿野はこれにたいして「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない。」と答えている。取調べが終ったあとで、彼はこの言葉をロシヤ(ママ)文法の例題でも暗誦するように、無表情に私にくりかえした。
 その時の鹿野にとって、おそらくこの言葉は挑発でも、抗議でもなく、ただありのままの事実の承認であっただろう。だが、こうした立場でこのような発言をすることの不利は、鹿野自身よく知っていたはずである。私はまたしてもここで、ペシミストの明晰な目に出会うのである。私には、そのときの鹿野の表情がはっきり想像できる。そのときの彼の表情に、おそらく敵意や怒りの色はなかったのであろう。むしろこのような撞着した立場に立つことへの深い悲しみだけがあったはずである。真実というものは、つねにそのような表情でしか語られないのであり、そのような表情だけが信ずるに値するのである。まして、よろこばしい表情で語られる真実というものはない。
 施は当然激怒したが、それ以上どうするわけにも行かず、取調べは打切られた。爾後、鹿野は要注意人物として、執拗な監視のもとにおかれたが、彼自身は、ほとんど意に介する様子はなかった。
 私が知るかぎりのすべての過程を通じ、彼はついに〈告発〉の言葉を語らなかった。彼の一切の思考と行動の根源には、苛烈で圧倒的な沈黙があった。それは声となることによって、そののっぴきならない真実が一挙にうしなわれ、告発となって顕在化することによって、告発の主体そのものが崩壊してしまうような、根源的な沈黙である。強制収容所とは、そのような沈黙を圧倒的に人間に強いる場所である。そして彼は、一切の告発を峻拒したままの姿勢で立ちつづけることによって、さいごに一つ残された〈空席〉を告発したのだと私は考える。告発が告発であることの不毛性から究極的に脱出するのは、ただこの〈空席〉の告発にかかっている。

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」――強靭な精神が発した言葉は強烈に私の魂を打った。極寒と飢えに苛(さいな)まれる最果ての地で、抑留された日本人は涙も凍りつき、感情を喪い、抵抗する意志を奪われた。そんな中にあって鹿野武一〈かの・ぶいち〉はただ独り闘った。彼はソビエト当局に反抗したわけではない。ただ必死に自分の人生を生きようと試み、そして生きた。

 本テキストの直前の文章は「ナット・ターナーと鹿野武一の共通点」で紹介している。竹山道雄を読んでから今まで見えなかったものが見えるようになった。

 私はシベリア抑留に関してそれほど読んできたわけではない。ただ抑留者であった石原吉郎、香月泰男〈かづき・やすお〉、内村剛介の三者三様の態度にすっきりしないものを感じていた。香月は「とにかく一切の指導者、命令する人間という者を信用しない。だから組織というものも右から左までひっくるめて一切信用しない」(『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆)と叫んだ。内村は石原の沈黙を批判した。内村が左翼であるかどうは知らないが、左翼的思考の持ち主であることは確かだろう。佐藤優が推(お)しているので読む必要はないと判断する(内村剛介著『科学の果ての宗教』)。

 多田茂治は「『戦利品』の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた」(『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』)と書いているが、敗戦国の罪を論(あげつら)うことによってソ連の罪を相対化する愚を犯している。

 沈黙の裏側には間違いなく国家不信があったことだろう。北朝鮮による拉致被害者の心情を推し量ることができる。また抑留者が全く語らぬ一つの事実がある。それはソ連当局による洗脳だ。抑留者であった瀬島龍三はソ連のスパイだったという説がある(『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行)。彼らは二重の意味で国家に不信を抱いたことだろう。祖国にも敵国にも。

 本当の哀しみは深い穴の底に溜まった水のようなもので決して言葉にし得ない。その水を他人が汲(く)み上げることはできない。「絶望という名の悟り」とでも名づける他ない境地である。

 鹿野武一〈かの・ぶいち〉は指導者でもなければ英雄でもなかった。彼は単独者であった。

2008-12-30

ナチスはありとあらゆる人間性を破壊した/『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
・『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子

 ・ナチスはありとあらゆる人間性を破壊した
 ・極限状況を観察する視点
 ・生きるためなら屍肉も貪る

『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ

必読書リスト その二

 ナチスの強制収容所といえば本書。既に古典の風格がある。20代半ばで読んだが、自分の知らない“世界と歴史”にたじろいだことを、今でもよく覚えている。

 相手を虫けら同然と認識してしまえば、人間はどこまでも残酷になれる。

 収容者は石を抱かせられ、肥料の中で溺れさせられ、鞭で打たれ、飢えさせられ、去勢され、そして輪姦されたりした。しかしそれだけではなかった。入墨をしている者は薬剤所に報告するように命令された。(中略)その肌に入墨師の技両を発揮したすばらしい彫刻を持っている連中は留置され、それからカポーの一人であるカール・ベイグスの命令による注射で殺されてしまったのである。
 この死体は病理部に引き渡され、そこで皮膚をはがされて処分された。処理を終えた人間の皮は司令官の妻イルゼ・ゴッホに下げ渡されたが、彼女はそれでランプの傘やブックカバーや手袋を造った。(※ブッヒェンワルト収容所)

【『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾〈しもやま・とくじ〉訳(みすず書房、1956年/新版、1985年/池田香代子訳、2002年)】

「♪かあ〜さんがぁ〜夜なべぇ〜をして、てぶく〜ろ編んでくれたぁ〜」――で、それは人間の皮でできていたって話だ。こんなリサイクルが許されていいはずがない。

 正義というものはわかりやすくなくてはいけない、という私の信条に基づけば、鬼畜の如き所業を為した者には同程度以上の苦痛を与えた上で、死をもって償わせる必要があると考える。

 ここで一つ重要な問題が発生する。ナチスドイツが行ったであろう残虐な行為を私が検証できないことだ。つまり、私が殺意を抱いているのは、飽くまでも「書籍から得た情報」によるものであり、この点において、「ゲルマン民族のみが優れているという情報」を鵜呑みにして、ジプシー、身体障害者、ユダヤ人を殺戮したナチスドイツと何ら変わりがない。

 つまり、だ。人間という動物は情報次第で、簡単に人を殺すことができるという事実が浮き彫りになる。何と恐ろしいことだろう。

 タイトルの『夜と霧』は、「夜陰に乗じ、霧に紛れて人々が連れ去られ消された歴史的暗部を比喩」したものとされている。ところがどっこい、私はそうは読まない。『夜と霧』は情報が遮断された状態のメタファーだと考える。

 イスラム文化圏には現在でも「名誉の殺人」という風習が根強く残っている。2007年には、17歳のクルド人少女が家族や親戚の手で殺された動画がネット上にアップされた。少女は衆人環視の中で散々殴る蹴るの暴行を加えられ、大きな石が頭に叩きつけられた。少女の頭部から大量の血が流れ、動かなくなってからも暴行がやむことはなかった。

 人間は愚かだ。愚かであるからこそ歴史は繰り返される。カンボジアではポル・ポト政権が、ルワンダではフツ族がそれを証明した。

 情報を吟味するためには、強靭な知性と豊かな想像力が不可欠だ。そのために、私は今日も本を手に取ろう。

2020-02-10

詩は、「書くまい」とする衝動なのだ/『石原吉郎詩文集』石原吉郎


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 ただ私には、私なりの答えがある。詩は、「書くまい」とする衝動なのだと。このいいかたは唐突であるかもしれない。だが、この衝動が私を駆って、詩におもむかせたことは事実である。詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、「沈黙するための」ことばであるといっていい。もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、このような不幸な機能を、ことばに課したと考えることができる。いわば失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志が、詩の全体をささえるのである。(「詩の定義」)

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

 これは決して「気取った文章」ではない。戦後、シベリアのラーゲリに抑留された石原にとって「言葉を語る」ことは、そのまま実存にかかわることもあった。言葉にした途端、事実は色褪せ、風化してゆく。時間の経過と共に自分の経験ですら解釈が変わってゆく。物語は単純化され、デフォルメされ、そして変質する。

 石原は「語るべき言葉」を持たなかった。シベリアで抑留された人々は、「国家から見捨てられた人々」であった。ロシアでも人間扱いをされなかった。すなわち「否定された存在」であった。

 消え入るような点と化した人間が、再び人間性を取り戻すためには、どうしても「言葉」が必要となる。石原吉郎は詩を選んだ、否、詩に飛び掛かったのだ。沈黙は行間に、文字と文字との間に横たわっている。怨嗟(えんさ)と絶望、憎悪と怒り、そしてシベリアを吹き渡る風のような悲しみ……。無量の思いは混濁(こんだく)しながらも透明感を湛(たた)えている。

 帰国後、鹿野武一(かの・ぶいち)を喪った時点で、石原は過去に釘づけとなった。シベリアに錨(いかり)を下ろした人生を生きる羽目となった。石原は亡霊と化した。彼を辛うじてこの世につなぎ止めていたのは、「言葉」だけであった。


「書く」行為に救われる/『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄、柳澤桂子

2017-09-10

冤罪に陥れられながらも決して翻弄されることがなかった男の手記/『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行


 ・冤罪に陥れられながらも決して翻弄されることがなかった男の手記

『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

必読書リスト その一

 私はこれまで、自分が生きてきた足跡というのは、日々、歩きながら消すものだと思ってきた。足跡を消しながら、また消しながら、最後に死ぬとき、ふっと地上から消えてなくなるのがいい。他人が気がついた時には、もう私はいなくなっていて、「そういえば河野という人間がいたな」というぐらい存在感のない、そういう生き方が好きだった。あらゆる意味で、名前はこの世に残したくなかった。
 それが私のささやかな人生観であり、無常ということばに心を惹かれるところがあった。
 しかし、そうした生き方は全てひっくり返されることになる。前年の松本サリン事件で妻澄子が重症を負ったばかりでなく、警察から私は犯人の扱いを受け、私の44年間の人生はこれ以上洗うものがないくらい徹底的に調べあげられた。私や妻の実家、子供たちはもちろんのこと、友人、知人、会社関係、およそ私たち家族に関係がありそうな膨大な人たちに警察は聞き込みに回り、予断を込めた質問が投げかけられ、あらゆることを調べていった。
 その意味で、私は丸裸になった。
 これまで私は一人の平凡な市民として生きてきた。それが突然、思いもよらない事件に巻き込まれてサリン被害を受け、なおかつ7人を死亡させた殺人犯の汚名を着せられ、プライバシーは跡形もなく踏みにじられた。

【『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行〈こうの・よしゆき〉(文藝春秋、1995年/文春文庫、2001年)】

 本書が1995年、そして『彩花へ――』が1997年に刊行された。失われた10年で日本が経済的に沈滞する中で2冊の本は眩しいほどの光を放った。「市井(しせい)にこれほどの人物がいるのか」と感嘆したことをありありと覚えている。「まだまだ日本も捨てたもんじゃないな」と希望が湧いた。その後、河野の講演会にも足を運んだが、著書から受けた印象そのままの好人物であった。

 バブル景気という狂宴を経てマスコミは災害や猟奇事件を延々と報じるようになった。そしてインターネットが登場すると特定の人物をバッシングする傾向が顕著となる。マスコミは常に虎視眈々と獲物を求めた。その最初にして最大の犠牲者が河野義行であった。

 時に不条理が人生を襲う場合がある。私は若い頃から「極限状況における人間の振る舞い」に関心を寄せてきたが、その意味から申せば上記関連書と併せて読むのが望ましい。

 貧しい想像力を働かせて「もしも自分だったら」と考えてみよう。私なら確実に犯罪的な暴挙に出る。躊躇(ためら)うことなく松本警察署の署長と目ぼしい新聞記者を手に掛けることだろう。だが河野は道徳心を失わなかった。終始、水の如く淡々と振る舞った。夫人が意識不明の重体であるにもかかわらず。

 検察・警察とマスコミを罰する法制度を整備すべきだろう。取り調べの可視化も必要だ。河野は文字通り社会的に抹殺されたわけだから、実際にミスを犯した者と責任者には懲役10年程度が相応(ふさわ)しい。刑事罰がないため彼らは同じ過ちを何度でも繰り返しながら平然としている。

 冤罪(えんざい)に陥れられながらも決して翻弄されることがなかった男の手記である。

2010-06-16

極限状況を観察する視点/『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
・『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子

 ・ナチスはありとあらゆる人間性を破壊した
 ・極限状況を観察する視点
 ・生きるためなら屍肉も貪る

『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ

必読書リスト その二

 20世紀を代表する一冊といっていいだろう。「戦争の世紀」に何がどう行われたか。そして戦争をどう生き抜いたかが記されている。

 20代で初めて本書を読んだ時から、私の胸の内側には「ナチス」という文字が刻印された。激しい憎悪が炎となって燃え盛った。「できることなら、ナチスの連中を同じ目に遭わせてやりたい」と歯ぎしりをした。こうして暴力は光のように反射して拡散する。果たしてジプシーや障害者、そして連合軍兵士やユダヤ人に対して向けられたナチスの憎悪と、私の憎悪とにいかほどの差異があるだろうか?

 私の手元にあるのは旧版で、冒頭には70ページ近い「解説」がある。要はナチスの非道ぶりを紹介しているわけだが、読者を特定の方向へリードしようとする意図が明らかで、先入観を植えつける内容になっている。しかもこの解説は署名がないので、訳者が書いたのか出版社サイドが書いたのかもわからない。「お前は神なのか?」と言いたくなるような代物だ。

 例えばこう――

 グラブナーと彼の助手たちは、何かの口実を設けてはたびたび収容所の訊問を行い、もしそれが男の場合には睾丸を針で刺し、女の場合には膣の中に燃えている坐薬を押し込んだのである。(アウシュヴィッツ収容所)

【『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾〈しもやま・とくじ〉訳(みすず書房、1956年/新版、1985年/池田香代子訳、2002年)以下同】

 文章に独特の臭みがあるので多分、霜山徳爾が書いたのだろう。大体、翻訳者なのだからこっちがそう思い込んだとしても罪にはなるまい。

 我々はともすると、戦争や政治を道徳的次元から問うことがしばしばある。しかし厳密に考えるならば、道徳は個人の行為を問題にするのであって、戦争や政治という利害調整と道徳とは本来まったく関係がない。多数の人々を殺傷しておきながら、ジュネーブ条約もへったくれもない。

 食べるものも満足に与えられず、暴力にさらされると、人間はどのように変わり果てるのだろうか?

 最初は囚人は、たとえば彼がどこかのグループの懲罰訓練を見ねばならぬために点呼召集を命令された時、思わず目をそらしたものだった。また彼はサディズム的にいじめられる人間を見ることが、たとえば何時間も糞尿の上に立ったり寝たりさせられ、しかも鞭によって必要なテンポをとらせられる同僚を見ることに耐えられなかったのである。しかし数日たち、数週間たつうちに、すでに彼は異なってくる。(中略)その少年は足に合う靴が収容所になかったためはだしで何時間も雪の上に点呼で立たされ、その後も戸外労働をさせられて、いまや彼の足指が凍傷にかかってしまったので、軍医が死んで黒くなった足指をピンセットで附根から引き抜くのであるが、それを彼は静かに見ているのである。この瞬間、眺めているわれわれは、嫌悪、戦慄、同情、昂奮、これらすべてをもはや感じることができないのである。【苦悩する者】、【病む者】、【死につつある者】、【死者】──【これらすべては数週の収容所生活の後には当り前の眺めになってしまって、もはや人の心を動かすことができなくなるのである】。

 無気力は「心の死」である。日常的に暴力にさらされると人は痛みに対して鈍感になり、他人の痛みに心を動かさなくなるというのだ。これほど恐ろしいことはない。生存本能を最も深い部分で支えているのは「恐怖」である。強制収容所の人々は確実に死につつあった。

 これを逆から読めば、生の本質は「ものごとを感じ取る力」にあるといえよう。すなわち感受性である。感受して応答するのが生きることなのだ。ゴムまりのように軽やかに弾んでいなければ生きるに値する人生を歩んでいるとはいえない。

 アウシュヴィッツは一つの概念だった。

 概念とは言語世界である。思考は言語世界から離れることができない。そして概念は世界を構築する。この時、アウシュヴィッツの外側の世界は存在しない。世界は階層化する。同じ囚人であっても、カポーと呼ばれる囚人の見張り役になって特典を与えられた者も存在した。過酷な情況は鑿(のみ)となって人々の本質を彫像のように現した。生きるか死ぬかという瀬戸際に置かれた人間は丸裸にされる――

 人間が強制収容所において、外的のみならず、その内的生活においても陥って行くあらゆる原始性にも拘わらず、たとえ稀ではあれ著しい【内面化への傾向】があったということが述べられねばならない。元来精神的に高い生活をしていた感じ易い人間は、ある場合には、その比較的繊細な感情素質にも拘わらず、収容所生活のかくも困難な外的状況を苦痛であるにせよ彼らの精神生活にとってそれほど破壊的には体験しなかった。なぜならば彼らにとっては、恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が開かれていたからである。【かくして、そしてかくしてのみ繊細な性質の人間がしばしば頑丈な身体の人々よりも、収容所生活をよりよく耐え得たというパラドックスが理解され得るのである】。

 生きる権利すら奪われた地獄にあっても、「内なる世界」が存在したというのだ。アウシュヴィッツにはこれほどの希望が存在した。人の心はかくも巨大であった。

 ヴィクトール・E・フランクルの偉大さは、強制収容所において「心理学者としての視点」を失わなかったところにある。つまり、劣悪な環境を一歩高い視点から見下ろすことができたのだ。「観察する自分」はアウシュヴィッツから離れていた。これは一種の解脱と見ることができる。

 最もよき人々は帰ってこなかった。

 この重い一言を徹底して掘り下げたのがプリーモ・レーヴィだった。



・アドルフ・アイヒマン 忠実な官僚
若きパルチザンからの鮮烈なメッセージ/『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
香月泰男が見たもの/『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆
集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ

2001-09-03

無限の包容力/『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『淳』土師守

 ・絶望を希望へと転じた崇高な魂の劇
 ・無限の包容力
 ・新しい生き方を切り開いて全てを「価値」に変えていく

・『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
・『心にナイフをしのばせて』奥野修司
・『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
・『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
・『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
・『石原吉郎詩文集』石原吉郎

 彩花ちゃん、今ごろあなたは既に生まれ変って、どこかお母さんの近くにいるのでしょうね。

 あなたのお母さんが綴った本を読みました。あなたが亡くなったことは、全国を揺るがせた悲しく許し難い事件で、わたしも知っていました。そのお母さんのお心はどれほどのもであるか察するに余りあるものでしょう。手記を読むことでわたしが少しでもその悲しみを共有することができれば、と思って手にとってみたのです。わたしにも彩花ちゃんと同い年の娘がいます。あなたのお母さんがあなたを大事に思うのと同じように、わたしも娘をとても愛していて、自分の命より大事だと思っています。その娘が、ある日突然他人の手によってその生を永遠に奪われてしまう、これほど辛く悲しい出来事はありません。けれど、どんなに想像してみても、本当の悲しみは当事者でなければわからないことでしょう。そのことに申し訳なさを感じながら読み始めてみました。ところがね、驚いてしまったの。悲しみを共有するどころか、反対に私のほうが励まされ、読み終えた今では子供達へのますますの愛情や自分の中にある勇気を信じる力、そして明日からまた続いていく未来への希望、そんなもので心の中は今いっぱいになっているのです。

 嬉しいことに読み始めてすぐ、わたしとお母さんには共通点があることがわかりました。それは、「息子も娘も、偶然にわが家に生まれてきたのではないと思っています。この二人は、まぎれもない私たちとの『縁』によって、遠いところから間違いなく夫と私を選び取り、私のお腹を借りてやってきてくれたのだと信じています。決して、誰でもよかったのではありません」とお母さんが考えているところです。わたしも、うちの子ども達はわが家に必要なメンバーだったから、お互いに呼び合って、私たちを家族と選んで生まれて来てくれたと思っています。生まれたてのくにゃくにゃの赤ちゃんを抱いて「やっと会えたね、ずっと待ってたのよ」と声を掛けチュッとしたあのホッペのあたたかさ柔らかさは今でも覚えています。きっと彩花ちゃんのお母さんも同じ気持ちだったでしょうね。

 そんな大事な娘を他人に奪われた悲しみ、悔しさ、怒り、苦しみ、そのような状況の中へ一人にしてしまった後悔、自分を責め、なぜこんな事件があったのか、なぜ彩花ちゃんでなければいけなかったのか、彩花ちゃんの身に起きたこと、自分に降り掛かってきた事を受け止めなければならないこと、自分の中に受け入れなければならないこと。どうやって納得して心に収めていくのか、この問題は実は私にとっても意味のあることでした。この事件から逃げることや忘れることをせず、しっかり目を開け、心を開いて立ち向かっていったお母さんは立派でしたね。恐ろしいことにも目を背けずに臨む姿勢は、人間として見習わなければいけないことだと気づかされました。

 わたしには子どもの頃、とても悲しく辛いことがたくさんありました。2歳の時に母と別れたので、母のわたしを呼ぶ優しい声やあたたかい抱っこの記憶がありません。寂しさに加え、一緒にいた父には、わたしの存在は怒りの対象にしかならなかったのです。その事がどうしても悔しくて悲しくて、あった事をみんな心の奥深くにしまってしまいました。心がザワザワするよりは忘れた振りをしている方がずっと楽なのです。そうして結婚するまでずっと、楽しいことが全く無い家庭で暮らしてきました。この気持ちは誰にも打ち明けず、外では「明るい笑顔のわたし」で過ごしてきました。けれども、いくら忘れた振りをしていてもその事実が無くなったわけではありません。ときどきフッと浮かんできてはとても悲しい気持ちになります。特に子どもが生まれてからは「こんな可愛いわが子を、どうしてお母さんは置いていったのかしら」「どうしてわたしだったのかしら」「本当なら違う暮らしをしていたはずなのに」と、たまらなく悔しくてあきらめきれない怒りに襲われて、その気持ちがどうにも処理できず、すっかり疲れ切ってしまうことも度々ありました。事実を許さず受け入れず、そのことに囚われて自分のことを哀れんでばかりいました。けれどもある日、そんな親をわたし自身が選んで生まれてきたんだと気づいたのです。そして今度はその理由を探したくなりました。そんな時、彩花ちゃんのお母さんの本を読んだのです。

 運命が動いていくときというのは、人間があらがってもあらがってもどうしようもないくらい、すべてがひとつの方向に流れていきます。人間は、定められた運命や宿命というものの前では、まったく無力なのでしょうか。私は今、人間を貫く運命というものの巨大な力を思い知らされながら、しかし、ときに人間は、流されてしまったように見えるなかにも、運命を乗り越えて勝ってみせることができるのだと信じられるのです。

【『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子(河出書房新社、1997年/河出文庫、2002年)】

 このくだりでは勇気と希望を感じることができました。わたしに起きた納得できない、取り戻すことの出来ないわたしに向けられるべき母の愛、この悔しさや悲しさに立ち向かい、乗り越えて、心からの笑顔を取り戻すことが本当にできるのかも、という希望です。母からの愛情を渇仰したわたしが、今、溢れ出る愛情で子ども達を包んでる。そうしてわたしの心が満ちていくことを確かに感じていました。それでも心の中には常に暗いものがあったままでした。でも、そこにとうとう希望のひかりが射したのです。

 わたしがもっとも心を打たれたのは、どんな状況にあってもそこに留まらず、前進しなければいけない、という考えです。彩花ちゃんのお母さんに、手を取ってもらって歩き出したような気がしました。

 運命だからあきらめよう、というあきらめの思想でも、私たちは悲しみの現場に置き去りにされてしまいます。生きる勇気を奪われてしまいます。憎しみとあきらめを乗り越えて、私たちは前に進しかないのです。新しい生き方を切り開いて、すべてを「価値」に変えていくしかないのです。

 わたしは自分にあった出来事を、変えられないならあきらめようと自分に課していました。あきらめればすっきりした気分で歩き出せると信じて疑わなかったのです。けれど、それはまったくの誤りで、間違っていたからこそ、どうにもこうにも前へ進めず苦しばかりがつきまとっていたことに気づいたのです。わたし自身に起きたことは、わたしにとって必要不可欠な出来事で、これを自分の「価値」として「栄養」に変えていくことこそが、わたしの課題だったのです。

 苦しみながら立ち止まっていては何も生まれません。悲しみや辛さだけで心は一杯になってしまいます。それと同じく愛情や優しい気持ちで、心を一杯にすることもできるはずです。それどころか、わたしが溢れるほどの愛情をもって子ども達を抱き締めても、心の中にはまだあり余る愛情が溢れてきます。母もきっと、そんな気持ちで遠く離れて暮らすわたしを思っていてくれただろうと、今ではとても自然に信じられるのです。そして、わたしが幸せにならなければ、もちろん母の幸せもあり得ないと気づいたのです。今はとてもゆったりとしたあたたかいもので、心の中が満たされています。進んでいく道が開けたので、もうそれほど苦しむこともないでしょう。

 彩花ちゃんを亡くしたお母さんの苦しみにはほど遠いものですが、わたしの問題もまた、わたしにとっては抱え切れない苦しみでした。けれどもお母さんの気持ちに、わたしの気持ちを重ねて読み進んでいくうちに、不思議な力が湧いてくるのがわかりました。この先なにか大変なことがあっても、頑張って乗り越えていける力だと信じています。幸せに向かって歩き続け、努力する力です。こんな素晴らしいことを教えてくれた彩花ちゃんとお母さんに感謝の気持ちを伝えたくてこうして手紙を書きました。とうとうわたしを抱き締めることなく、去年亡くなったわたしの母の分のお礼もつけ加えます。本当にありがとう。

 最後に、加害者の少年に対して「共に苦しみ、共に闘おう。あなたは大切なわたしの息子なのだから」と手を差し伸べる山下さんには心から敬意を表します。母性というものは、無限の包容力に支えられていることを知りました。

 彩花ちゃんへ。それから、いつか母になる娘へ――。

【のり】

 

2012-01-06

小田嶋隆の底の浅さとオウム真理教


 小田嶋をこき下ろす前に一言申し上げておくが、私は熱烈な小田嶋ファンである。一般的にいわれる「頭のよさ」とはプレゼンテーション能力を意味する。要を得た説明、世相の本質に迫る解説、何にも増して絶妙な比喩の数々、そして駄洒落の急降下。さすが小石川高校出身だけのことはある(早稲田大学と書かないところがミソ)。

 小田嶋のコラムには読み手の脳内をスッキリさせるほどの合理性が秘められている。なかんずく、街ネタを書かせれば彼の右側に出る者はあるまい。また昔は臆することなく大企業批判も書いていた。アウトローとまではいわないにせよ、小田嶋は確実にアウトサイドに立って冷ややかな視線で世間を眺めていた。

私鉄不動産複合体財閥企業がつくった東京の山の手/『山手線膝栗毛』小田嶋隆
カルロス・ゴーン

 しかし、である。最新のコラムを読んで彼の底の浅さが見えた。

ハルマゲドンと「グレートリセット」という願望

 小田嶋は無神論者だ。多分。オウム真理教ネタの息の長さはサブカルチャーに支えられているように私は思う。というよりはむしろ、サブカルチャーとしてのオウム真理教といった方が適切かもしれない。当初はニューエイジ的存在として受け容れられたように記憶している。

 私は長らく亀戸に住んでいたが、家から歩いて3~4分のところにオウムの道場ができた。元々は私の友人の家があった場所だ。時々若い信者と擦れ違うこともあったが、「ヘー」くらいしか思わなかった。オウムが経営する飲食店もでき、「おい、サットヴァレモンは飲んだか?」というのが我々仲間内の挨拶になっていた。

 彼らが選挙に出た時も、みんなで「ショーコー、ショーコー、ショコ、ショコ、ショーコー、あーさーはーらー」と歌っていた。

 一部のメンバーは高学歴だったが、若者が衝撃を受けたのは「自分たちと同じようなサブカル好きの普通の若者がテロ組織に取り込まれたこと」であった。

 時を同じくしてオタクが胎動し始めた頃だ。彼らは一様に社会への違和感を抱いていた。それゆえ、ある者はアニメに没頭し、ある者は就職を拒絶し(パラサイト・シングル)、またある者は部屋に引きこもった。その背景には小中学校でのいじめ問題も濃い影を落としていたことだろう。

 オウムを取り巻く情況は上九一色村の強制捜査前後から加熱し、メディアが煽るだけ煽り劇場化した。そこには松本サリン事件で河野義行さんをメディアリンチにした罪悪感を払拭しようとする力も作用したはずだ。

 そして地下鉄サリン事件(1995年)に至る。2年前には亀戸異臭事件が起こっていた。

 この事件のインパクトは、それまで左翼の専売特許であったテロを宗教団体が行ったということ(政治目的ではなかった)、そして生物化学兵器が使用されたこと、更にバブル景気が弾けてから経済的にも心理的にも空白状態が続いたことなどが挙げられよう。

 国民全員がバブルを懐かしんでいた。つまり全国民が日本社会に違和感を抱いていたといってもよい。だから、「ひょっとすると誰がオウムに入信してもおかしくない」ような時代情況があったのだ。

 小田嶋がオウム事件を引き摺っているのは、やはり彼の出自がオタクであるためだろう。小田嶋の違和感とオウム信者の違和感とが共鳴しているのだ。ゆえにどうせ書くのであれば、「内なるオウム」をテーマにすべきであった。

 私はオウムについて何かを書くこと自体を否定しているわけではない。ただ、あのコラム程度の結論になってしまうと、「だったらパレスチナ法輪功はどうなるんだ?」と言いたくなってしまうのだ。しかもこれらは現在進行形だ。ルワンダ大虐殺にしても同様である。

 無神論者は二つに分かれる。宗教性まで否定する者と宗教性を肯定する者とに。小田嶋の底が浅いのは前者のためだと推察する。

 それでも私が小田嶋ファンをやめることはない。新刊ももちろん購入済みだ。

 小田嶋は山下京子さんの著作を読んだのだろうか? 気になるところだ。

絶望を希望へと転じた崇高な魂の劇/『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子

地雷を踏む勇気 ~人生のとるにたらない警句 (生きる技術!叢書)その「正義」があぶない。

2015-11-05

星亮一、藤田紘一郎、土師守、久野譜也、藤原弘達、西鋭夫、他


 2冊挫折、6冊読了。

GHQ焚書図書開封 2 バターン、蘭印・仏印、米本土空襲計画』西尾幹二(徳間書店、2008年/徳間文庫カレッジ、2004年)/息の長い仕事のためスピード感に欠ける。1と比べると見劣りすると言わざるを得ない。

方法 1 自然の自然』エドガール・モラン:大津真作訳(叢書・ウニベルシタス、1984年)/ツイッターで薦められたのだがチンプンカンプン。ボードリヤールの数段上を行っている。

 140冊目『國破れてマッカーサー』西鋭夫〈にし・としお〉(中央公論社、1998年/中公文庫、2005年)/こんな凄い本を見落としていたとはね。西は「スタンフォード大学フーヴァー研究所教授」を名乗っているが、「Postdoctral Fellow」との記述もある。ポスドクか。アメリカで公開された極秘資料を元にマッカーサーの日本占領政策を見つめ直すドキュメント。教育行政についても詳しく触れている。やや物足りなかったのはヴェナノ文書について全く触れていないところ。本は文句なしで素晴らしいのだが、怪しげな商売に手を染めている。例えばこれ。「講演録」が書籍であると思っていたら、届いたのはDVDに見せかけたCD-ROMだった。収録されているのは音声のみ。しかも申し込んだ直後、サイトからダウンロードできるのと同じもの。つまり「送料手数料550円」は丸ごと利益になっているのだろう。もちろん更なる高額商品を購入させるべく、山ほどメールが送られてくる。で、致命的なことに話が下手だ。虚仮威しに近い大声を時折張り上げる。そこはかとなく新興宗教の香りが漂う。余命の短さを思えば、本を書くのが馬鹿らしくなってきたのかもね。

 141冊目『この日本をどうする 2 創価学会を斬る』藤原弘達〈ふじわら・ひろたつ〉(日新報道、1969年)/かつて創価学会が起こした言論出版妨害事件でターゲットにされたのが本書である。最後は自民党の田中角栄幹事長(当時)までもが圧力をかけてきた。出版妨害としては今尚これに過ぎる事件はないだろう。マンモス教団と化しつつあった創価学会を藤原は「民主主義の落ち穂拾い」と嘲る。批判本はどうしても小人物の印象を与えてしまう。ただし、昭和44年の時点で自公連立を予見したのはさすがというべきか。

 142冊目『寝たきり老人になりたくないなら大腰筋を鍛えなさい』久野譜也〈くの・しんや〉(飛鳥新社、2014年)/良書。久野は筑波大学院教授でインナーマッスルとして知られる大腰筋(※画像)に初めて注目した人物。きっかけは高野進のMRI撮影であった。太腿の筋肉を撮影したところ大学の陸上選手と変わらぬ太さ。ついでにあちこち撮影したところ高野の大腰筋が異様に太いことがわかったという。イスさえあれば直ぐにできるトレーニングメニューも紹介。40歳以上の善男善女は必読のこと。

 143冊目『』土師守〈はせ・まもる〉(新潮社、1998年/新潮文庫、2002年)/山下京子著『彩花へ 「生きる力」をありがとう』が1997年だから、翌年に出たことになる。結果がわかっているだけに読み進むのが辛い。山下が母としての立場からメッセージを送ったのに対し、土師は父として厳しい見方を示す。私も少年法は改正して、犯罪によってはきちんと刑事罰を与える仕組みが必要であると考える。びっくりしたのだが犯人である少年Aの母親が何度か登場する。非常識な姿がスケッチされている。

 144冊目『脳はバカ、腸はかしこい』藤田紘一郎〈ふじた・こういちろう〉(三五館、2012年)/傑作。これは必読書ですな。バイセクシュアルの一休禅師を肯定的に捉えるあたりが素晴らしい。タイトルそのまんまの内容である。生物にとって腸の歴史は古く、脳の歴史は浅いため「まだ脳が身体に馴染んでいない」とまで言い切る。セックスレスの風潮にも警鐘を鳴らす。あと、幼児の英才教育は子供をダメにするとも。早速、私は本日より糖質制限に挑戦している。もちろん腸のために。

 145冊目『偽りの明治維新 会津戊辰戦争の真実』星亮一〈ほし・りょういち〉(だいわ文庫、2008年)/微妙。視点がふらつくのが気になる。会津戊辰戦争に至るアウトラインはわかりやすい。「あとがき」の中途半端さが本書を雄弁に語っている。

2014-04-16

カウンセラーのパーソナリティ/『カウンセリングの技法』國分康孝


コミュニケーションの技法
・カウンセラーのパーソナリティ

『どんなことがあっても自分をみじめにしないためには 論理療法のすすめ』アルバート・エリス

 カウンセリングの技法というものは、カウンセラーのパーソナリティの表現でなければならない。心の中では人を軽蔑しながらも、口先だけで「うんうん」と受容するのは欺瞞的である。心の中と表現(技法)とが一致するのでなければならない。

【『カウンセリングの技法』國分康孝〈こくぶ・やすたか〉(誠信書房、1979年)以下同】

 國分の動画を見つけた時は昂奮した。線のくっきりした顔つきであるにもかかわらず柔和だ。話し方も頗(すこぶ)る優しい。さすがカウンセラーである。そして何と言っても高名な人物に特有の傲然とした雰囲気がない。ありのままの人柄が伝わってくる。

「カウンセリングの技法で問われるのは、お前さんの性格だよ」と國分は言い切っている。医師と患者は対等な関係ではない。困っているのは患者だ。意識するとしないとにかかわらず上下関係が構築されやすい。同じ言葉であっても人によって響き方がまるで違う。そこに心の不思議な作用がある。國分は技法とパーソナリティが一体化する条件を四つ挙げる。部分的に紹介しよう。

【人好き】人好きの人間とは、自分を好いている人間である。自己嫌悪の強い人は他者嫌悪も強い。人の好き嫌いの激しい人は自分への好き嫌いも激しいはずである。
 カウンセリングは人の面倒をみる仕事であるから、人好きでないと永続きしない。負担になってくるからである。自分を好くとは自己受容のことである。あるがままの自分を受け入れることである。たとえば、ケチな自分をとがめているとケチな相手をもとがめたくなる。ケチな自分を許すとケチな相手をも許せるようになる。(後略)

【共感性】(中略)共感性はクライエントと類似の感情体験があるとき生じてくる。それゆえ、カウンセラーは日常生活でできるだけ多様な感情体験をしておくのがよい。多種多様な人とつきあう、多種多様な状況に身をおいてみる、多種多様な読書をするなどである。苦労は買ってでもせよということになる。実戦を知らない作戦参謀にはなるなということである。共感性なしに面接技法を用いるとき、それは会話術に堕してしまう。

【無構え】カウンセラーが四角四面なパーソナリティでは来談者もリラックスできない。カウンセラーは酒を飲んでいないときでも、酒に酔ったときのような心境でなければならぬ。すなわち、天真爛漫、天衣無縫でなければならぬ。防御がなければないほど好ましい。(後略)

【自分の人生】カウンセラーは自分の人生をもたねばならない。自分の人生をもたないものは、他人の人生を自分の人生のようにみなしてつい深入りしてしまう。自分の人生がない人は、ややもすると人が幸福な人生を築くと嫉妬しがちである。自分の人生が幸福なとき、初めて人の幸福が喜べるのである。(後略)

 実にわかりやすい話である。現場の体験から導き出された智慧といってよい。相談される機会が多い人ならピンとくるはずだ。互いが心を開けばこそ、胸を打つ対話が成り立つのだ。コミュニケイトとは「通じ合う」ことだ。開かなければ通じない。

 行き詰まりとは先に進めない状態を指す。苦しい胸の内を開き、「そうか――」と話を聞いてあげるだけでもパッと光が差すこともある。苦悩には目方がある。その重みにこちらがしっかりと踏みこたえることができないと、単なる苦悩の二重奏で終わる。私はルワンダ本を読んだ時にそうなった。深海に引きずり込まれたような心境であった。その状態が1年以上続いた。

 多くの人が人生で最大のストレスを感じるのは家族や伴侶の死である。この時、物語化に失敗すると立ち直ることが難しくなる。特に不慮の事故や痛ましい事件の巻き添えとなった場合、理窟で乗り越えることは不可能だ。その意味からも山下京子河野義行の著作を読んでおくべきだ。

 人生どんな出会いがあるかわからぬものだ。だからこそ人との出会いを求めて貪欲に行動することが正しい。今はネットもあるのだから、有効な武器として活用すべきだろう。