2018-09-04

人間は世界を幻のように見る/『歴史的意識について』竹山道雄


『昭和の精神史』竹山道雄
『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄

 ・人間は世界を幻のように見る

『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

必読書リスト その四

 私は長いあいだ人間の心の動きを驚(おどろ)き怪(あや)しんできた。その謎(なぞ)を解きたいと願っていたのだったが、その正体もはっきりとは摑(つか)めず、どこから手をつけていいかも分からない。ただ茫然(ぼうぜん)として手をこまねいている間に年月は奔(はし)って、もはや日暮(ひぐ)れである。
 この謎は、まだ学問の領域(りょういき)ではとりあげられていないのではないか、という気がする。私にはそれを解くことはできず諦(あきら)める他はないのだが、今までにああではないかこうではあるまいかと思いあぐんだ段階のことを記しておきたい。
 その人間の心の不可解とは、だいたい、客観世界(きゃっかんせかい)についての人間の認識とはどういうものなのだろうか、というようなことである。
 人間はナマの世界に自分で直接にふれることはあまりないのではなかろうか。むしろ、世界についてのある映像(えいぞう)の中に生きているのではないのだろうか。
 そして、その人間の世界に対する映像(えいぞう)のもち方は、自分の直接の経験(けいけん)から生れたものよりも、むしろおおむね他から注ぎこまれたものではないだろうか? 「このように見よ」という教条(きょうじょう)のようなものがあって、人間はそれに合せて世界を見る。人間の対世界態度は他から与えられ、これが基本になって世界像がえがかれ、人間はその世界像にしたがって行動する。この際に理性はほとんど参与しない。(「人間は世界を幻のように見る ――傾向敵集合表象――」)

【『歴史的意識について』竹山道雄(講談社学術文庫、1983年)以下同】

 竹山道雄の著作を貫いてやまないのは「イデオロギーに対する不信感」である。その筆鋒(ひっぽう)はナチス・ドイツ、軍国ファッショ、社会主義・共産主義に向けられた。時代を激しく揺り動かすのは煽動されたファナティックな大衆である。大衆は他人から与えられた結論を自分の判断と錯覚し、時代の波に飲み込まれ、次の波を形成してゆく。

 岸田秀が『ものぐさ精神分析』で唯幻論(ゆいげんろん)を披露したのが1977年のこと。注目すべき見解ではあったが学問的な裏づけが弱い。西洋の認識論はプラトンからデカルトまでの流れがあるが、より具体的な進展は人工知能分野における認知科学まで待たねばならなかった。

 1976年に『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』(ジュリアン・ジェインズ)の原書が出ている。ジェインズの衣鉢を継いだ『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』(トール・ノーレットランダーシュ)の原書が1991年である。同年には『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』(トーマス・ギロビッチ)も刊行されている。その後、コンピュータの発達によって脳科学が一気に花開く。アントニオ・R・ダマシオもこの系譜に加えてよい。

 宗教分野では『解明される宗教 進化論的アプローチ』( ダニエル・C・デネット)、『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』(ニコラス・ウェイド)、『神はなぜいるのか?』(パスカル・ボイヤー)、『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』(アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース)と豪華絢爛なラインナップが勢揃いした。

 そしてコンピュータ文明論ともいうべき『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』(レイ・カーツワイル)にまでつながるのである。

 傾向敵集合表象はナマの客観世界からは独立して、人間精神の中だけで成立した世界像であるが、ほとんど絶対の権威(けんい)をもって支配する。それが風のごとく来ってまた去ってゆくのを私は幾度(いくど)も経験した。それが一世を覆(おお)うのをいかんとも解することができず、ついには国運をも傾けてゆく中にただ怪訝(かいが)の念をもって揉(も)まれていた。

 大東亜戦争は冷静に考えれば確かに勝ち目のない戦争であった。講和をするのも遅すぎた。黒船襲来不平等条約三国干渉人種的差別撤廃提案の否決と国民的鬱積は60年以上にも及んだ。軍国主義に至った背景を思えば、当時の政治家や国民を軽々しく批判することは難しい。ドイツは第一次世界大戦後に敗れて法外な賠償金を求められ、国民の溜まりに溜まった怒りがヒトラーを誕生させたのと似ている。しかし日本に独裁者は存在しなかったし、大量虐殺の計画も実施もない。

 共同幻影は集団の中に暗示(あんじ)によって触発され、さながら女が衣装(いしょう)の流行から免(まぬか)れることができないのと同じ強制力(きょうせいりょく)をもつ。それはさながら水が大地に浸(し)みるように拡(ひろ)がってゆくのだが、それに対して、個人の理性をもってしては歯が立たない。

 大正期や戦後の赤化(せっか)が正しくそうだった。かつての大本教創価学会もそうだったのかもしれぬ。

 傾向敵集合表象はつねに論理化して説かれる。そして、理屈(りくつ)はみな後からつく。どのようにもつく。
 その幻影と狂信を正当化する理屈のつけ方には、さまざまなパターンがある。
 もっともしばしば行われるのは「部分的真理の一般化」ということである。

 いわゆる理論武装である。特にキリスト教世界から誕生した共産主義はディベートの流れを汲(く)んでいて自分たちへの批判を想定した問答をマニュアル化する。現実の否定、あるべき理想、論理の構築が三位一体となって脳内情報を書き換える。

 人間はごく身のまわりの事や昨日とか今日の事についてならともかく、すこし離れたことについては、自分が主体になってナマの経験に即して判断することは、ほとんどない。むしろ、集団がいだいている社会表象とでもいうべき、あたえられた枠組(わくぐみ)にしたがって判断する。これは個人が主体であるといわれるヨーロッパ人でもやはりそうである。

 時代の波をつくるのは人々の昂奮や熱狂だ。理性ではない。群れを形成することで生き延びてきた我々の脳(≒心)は他人に同調しやすい。なぜなら同調することが生存確率を高めたのだから。

 いちじるしいことであるが、「第二現実」のみが、人間のエモーションをはげしく動かす。ナマの現実によって激情(げきじょう)が触発(しょくはつ)されることはあまりない。ナマの現実に異変があったときには、むしろそれへの対応(たいおう)にいそがしく、戦中もいかにして食物を手に入れるとか疎開(そかい)するとかに集中して、われわれはむしろプラクチカルになり、悲観(ひかん)とか絶望(ぜつぼう)という情動(じょうどう)はなかった。敗戦のときには虚脱(きょだつ)してむしろ平静だったが、やがて宣伝(せんでん)がはじまってから激動(げきどう)した。戦時中には自殺はなく、敗戦翌年にはおどろくべき数にのぼった。

 私が「物語」と呼び、バイロン・ケイティが「ストーリー」と名づけたものを、竹山は「第二現実」といっている。創作された映画や小説が「第二現実」であるように、我々は「自分」というフィルターを通して世界を見つめる。そこに喜怒哀楽が生まれる。人の感情の多くは誤解や錯誤から生じているのだ。「見る」という行為をブッダは如実知見と説き、智ギ天台は止観とあらわし、日蓮は観心本尊抄を認(したた)め、クリシュナムルティは徹底して「見る」ことを教えた。

 私の眼は節穴なのだろうか? その通り。人間の五感の中で視覚情報が圧倒的に多いのは脳の後ろ1/3を視覚野が占めているためである。ところがだ、実際の視覚情報は我々が感じているような細密なものではなく脳が補完・調整をしているのだ。しかも知覚は準備電位より0.5秒遅れて発生し、視覚の場合は更に光速度分の遅れが加わる。例えば北極星でサッカーが行われたとしよう。我々が超大型電波望遠鏡で見るのは434年前に行われたゲームだ。

 そして見る行為には必ず見えないものが含まれている。表が見えている時、裏は見えない。中も見えない。前を見る時、後ろは見えない。遠くを見る時、近くは見えない。美人を見る時、その他大勢は見えない。見るとは見えない事実を自覚することである。ま、無知の知みたいなもんだ。

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2018-09-02

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2018-09-01

68歳で自転車デビュー/『こぐこぐ自転車』伊藤礼


 ・68歳で自転車デビュー

・『自転車ぎこぎこ』伊藤礼
・『大東京ぐるぐる自転車』伊藤礼
『自転車で遠くへ行きたい。』米津一成

 学校に着いたときには散々な気持ちになっていた。ずいぶん大変そうな顔をしていたに違いない。私の顔を見た守衛さんがびっくりして、どうかしましたかと訊いてくれたほどだ。事実、東京港を出発して南極に着いたぐらいの気分にはなっていた。
 その日は、家に帰れば帰ったで、家人が「なんだってそんな顔をしているのよ」と言うのであった。夕方暗くなった環状7号線や青梅街道を、野方はまだか、高円寺はまだか、五日市街道はまだか、荻窪はまだか、とガタガタの歩道を尻の痛さをこらえながら我が家めざしてこぎまくる。あまりの痛さにそれではと車道に下りると、生意気な乗用車がすれすれに追い越してゆく。ひとの命のことなどすこしも考えない走りかただ。轟音をあたりに響かせて迫ってくる大型トラック、ぎりぎりに幅寄せしてくるいやらしい都営バスや関東バス。横丁からもいきなり自動車が鼻先をつき出してくる。ぎりぎりにセーフということが何度も生じる。男が一歩家を出れば外はすべてこれ敵なのだ。
 私はトロイ戦争から帰ってきたオデッセウスの気持ちが分かった。あまたの修羅場をくぐり抜けやっと帰宅したのである。家に着いたときは朝出たときより10歳ぐらい年取ったような気がしていた。すこし顔が変になるぐらいは仕方なかった。気だって変になっていたかもしれない。しかし女というのは想像力が貧弱だからそういうことが理解できないようだった。
 自転車乗りの第1日目は刺激的だった。命を落とすか落とさないかという1日だった。排気ガスをたっぷり吸って気絶した私とか、オートバイに跳ね飛ばされて10メートル先に墜落し、アスファルトの道路にピンク色の脳ミソを垂れ流して死んでいる私。そんな想像もつぎつぎ脳裏をかすめた。だがこれに懲りず、そのあとも天気さえ良ければ私は自転車で学校に行ったのであった。

【『こぐこぐ自転車』伊藤礼〈いとう・れい〉(平凡社、2005年/平凡社ライブラリー、2011年)】

 68歳の教授がいつもはクルマで通う大学へ何を血迷ったか、ある日突然自転車で通勤する。12.5kmの道のりだったが早くも2kmでへばり、フラフラになりながら命からがら辿り着いた顛末(てんまつ)が中高年初心者サイクリストに勇気を与える(笑)。

 クスリと笑ってしまう文章がちりばめられていて読みやすい。行間から滲み出る偏屈さと年相応の教養とどちらが気になるかで好みが分かれる。土屋賢二を軽くしたような印象だ。地図マニアのようで道路の由来を綴り、自転車に関する古い日本文学を引用する。著者の専門は英米文学。

 もう一つ興味深かったのは老いた自転車仲間との会話である。口が悪い私からすれば実に慎ましい距離感で「ヘエー」ってな感じである。

 伊藤は次々と自転車を購入するがメインマシンはフラットバーロードとミニベロだ。仲間と一緒に輪行(りんこう)をし全国各地でペダルを踏み込む。

 私の父は69歳で死んだ。68歳からサドルに跨(またが)るとは見上げた気骨である。

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2018-08-29

過去の歴史を支配する者は、未来を支配することもできる/『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明


『学校では絶対に教えない植民地の真実』黄文雄

 ・過去の歴史を支配する者は、未来を支配することもできる

『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温
『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一

日本の近代史を学ぶ

 過去の歴史を支配する者は、未来を支配することもできる。日本は先の戦争に敗れてから、自国の歴史を盗まれた国となってしまった。
 歴史は記憶だ。記憶を喪失した人は、正常な生活を営むことができない。国家についても、同じことである。

【『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明〈かせ・ひであき〉(ベスト新書、2015年)以下同】

 著者は加瀬俊一〈かせ・としかず〉の子息である。名前は知らなくても誰もが必ず一度は見たことがあるはずだ。日本が大東亜戦争に敗れ、ミズーリ号で降伏を調印した際、重光葵〈しげみつ・まもる〉外相に付き添っていた外交官である(※当時42歳、Wikipedia、右上の画像)。

 加瀬英明の著作や言論にはやや脇の甘さがあるものの貴重な証言が多い。

「(小学3年生の)私は『東京がこんなにめちゃくちゃになったが、日本は大丈夫なのか』とたずねた。父は『アメリカは日本中壊すことができるが、日本人の魂を壊すことはできない』といった」「(ミズーリ号降伏文書調印式の)その前夜、祖母が父を呼んで、『あなた、ここにお座りなさい』といった。座ると、『母はあなたを降伏の使節にするために、育てたつもりはありません』と叱って、『行かないでください』といった。父は『お母様、この手続きをしないと、日本が立ち行かなくなってしまいます』と答えて、筋を追って説明した。祖母は納得しなかった。『私にはどうしても耐えられないことです』といって立つと、嗚咽(おえつ)しながら、父の新しい下着をそろえたという」(【戦後70年と私】加瀬英明氏 ミズーリ号で降伏文書調印に臨んだ父の無念と誇りを胸に - 政治・社会 - ZAKZAK)。

「私は重光さんに晩年まで可愛がられました。よく存じ上げて、いろいろ話を伺う機会がありました。重光さんは私の父とミズーリの艦上に立ったときのことを、次のように述懐されました。『あの日、敗れたという屈辱感よりも、日本が今度の戦争で多くの犠牲を払ってアジアを数世紀にわたった白人・西洋の植民地から解放したという高い誇りを胸に抱きながら、ミズーリ号の甲板を踏んだ』」(戦艦ミズーリ号上での降伏文書調印と戦争犯罪(加瀬英明氏のコラム) - 東アジア歴史文化研究会)。

 冒頭の指摘はジョージ・オーウェルと完全に一致している。「そして他の誰もが党の押し付ける嘘を受け入れることになれば――すべての記録が同じ作り話を記すことになれば――その嘘は歴史へと移行し、真実になってしまう。党のスローガンは言う、“過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする”と」(『一九八四年』ジョージ・オーウェル)。

 オーウェルの『一九八四年』や『動物農場』は社会主義国家の風刺といわれるが敗戦後の日本と重なって仕方がない。GHQの半分が左翼であったことが判明しているが、マッカーサー以下GHQの総意として、白人に歯向かった日本の歴史を書き換える必要があったのは確実だ。上書き更新された歴史は半世紀に渡って日本を蝕み続け、今もなお余燼(よじん)がくすぶっている。

 ルーズベルト大統領が中国を愛して、日本を疎(うと)んでいたことが、日米戦争の大きな原因となった。
 ルーズベルトの母サラの父は、帆船(クリッパー)時代の清朝末期に、阿片貿易によって巨富を築いて、香港にも豪邸を所有していた。サラは少女時代に香港に滞在して、中国を深く愛するようになった。(中略)
 多くのアメリカ国民が、中国をアメリカの勢力圏のなかにあると、みなしていた。
 中国は、多くのキリスト教宣教師をアメリカから受け入れていたし、アメリカ国民が“巨大な中国市場”を夢みて、中国に好意を寄せていた。ところが、日本は市場が地位さすぎたし、伝統文化を守って、キリスト教文明に同化することを拒み、アメリカに媚(こ)びることがない、異質な国だった。(中略)
 ルーズベルトはそれにもかかわらず、日本が中国を侵略したとみなした。(中略)
 ルーズベルトは盧溝橋事件も、第二次上海事変も、日本が中国を計画的に侵略したと、曲解した。
 日華事変は、日本から仕掛けたのではなかった。
 戦後になって、日華事変は日中戦争と呼ばれるようになったが、日本も中国も、日米戦争が始まるまで、互いに宣戦布告をしなかった。事変と呼ぶのが正しい。
 ルーズベルト政権は、日本がアメリカに対して、いささかの害も及し(ママ)ていなかったのにもかかわらず、日本を敵視した。(中略)
 ルーズベルト政権は、中国へ惜しみなく、援助資金と、兵器、軍需物資を注ぎ込んだ。
 多くのアメリカ国民が、蒋介石総統とその宋美齢夫人がキリスト教徒だったために、キリスト教国である中国が、異教の日本による侵略を蒙(こうむ)っているとみなした。
 蒋政権はアメリカの世論を工作するために、アメリカのマスコミや、大学、研究所に、ふんだんに資金をばら撒(ま)いた。
 翌年、シェンノートは大佐として、中華民国空軍航空参謀帳に任命された。
 シェンノートは、蒋介石政権に戦闘機と、アメリカ陸軍航空隊のパイロットを、「義勇兵」(ボランティア)として、偽装して派兵する案を、ルーズベルト政権に提出した。ルーズベルト大統領はこの提案を、ただちに承認した。
 これは、重大な国際法違反だった。シェンノートの航空機は、機首に虎の絵を描いていたので、「フライング・タイガース」として知られた。アメリカが戦闘機を供給した。中国の「青天白日」のマークをつけて、アメリカの「義勇兵」が操縦する「フライング・タイガース」は、アメリカで大きく報道された。

 検索したのだが中々これだという情報が見つからない。フライング・タイガースと日本軍の初戦が1941年(昭和16年)12月25日(加藤隼戦闘隊 VS フライングタイガース - かつて日本は美しかった)だとすれば、Wikipediaの「実際に戦闘に参加し始めたのは日米開戦後であったため、このような経緯から『義勇軍』の意義もうやむやになった」という指摘は正しい。正しいのだが、「昭和16年7月23日、ルーズベルト大統領は、陸海軍長官の連名で(7月18日付)提出された合同委員会の対日攻撃計画書『JB355』にOKのサインをした」(「宣戦布告」をせずに戦争を仕掛けたのはアメリカだった。 真珠湾攻撃、その真実の歴史  正しい日本の歴史 | 正しい日本の歴史 | 正しい歴史認識)のだから、先に戦争を始めたのはアメリカだったという見方ができるのだ。

 しかも戦後、毛沢東率いる共産党に敗れつつあった蒋介石を根本博中将が助けるのである。歴史というものはつくづく厄介だと思われてならない。個人的には孫文や蒋介石を評価する気にはなれない。

 ナチス・ドイツがポーランドに進攻して第二次世界大戦の幕が開く。イギリス、フランスは2日後ドイツに宣戦布告をし、2週間後にはソ連も参戦した。ヨーロッパで死闘が繰り広げられる時に、ルーズベルトは反戦・孤立主義の公約を掲げて3選目の大統領選挙に勝利したのだった(1940年)。大衆はいつの時代も愚かだ。世論なんぞは雰囲気や感情で一夜にして変わる性質のものである。そもそも大衆には責任がないのだから。そして世論は常に誘導・操作される。

 インディアンを大量虐殺し、黒人を奴隷にして栄えたアメリカが、黄色人種の国日本に原爆を2発落とした。アメリカの歴史を1行に要約すればこうなる。

 せめて我々の世代が「正しい記憶」を取り戻し、子々孫々が「正しい判断」をできるようにしておくことが責務であると強く思う。

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2018-08-28

「人種差別」こそが大東亜戦争の遠因/『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温


『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『学校では絶対に教えない植民地の真実』黄文雄
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明
『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭

 ・「人種差別」こそが大東亜戦争の遠因
 ・ポルトガル人の奴隷売買に激怒した豊臣秀吉

『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一
・『パール判事の日本無罪論』田中正明

・『だから、改憲するべきである』岩田温

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 何故、日本人は戦争を選んだのでしょうか。驕っていたとの批判は甘受しても構いません。何故に、日本人は戦争を選んだのでしょうか。この問いこそが重要です。
 戦争を選択した日本側の動機を探っていく上で極めて参考になるのが、昭和天皇の御指摘です。
 昭和天皇は、独白録の冒頭で、「大東亜戦争の原因」について次のように指摘しています。

「この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在している。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず。黃白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。又青島還附を強いられたこと亦然りである。かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がった時に、之を抑へることは容易な業ではない。」
(『昭和天皇独白録』文藝春秋)

 昭和天皇は、大東亜戦争の遠因が、第一次世界大戦の平和条約、すなわちベルサイユ条約の中に存在していることを指摘しています。そして、国際連盟設立の際に日本が主張して、アメリカ、イギリスによって退けられた「人種平等案」について言及しています。さらに、アメリカのカリフォルニア州における排日移民法の存在についても言及しているのです。
 ここで昭和天皇が指摘しているのは、一言でいえば「人種差別」の問題です。昭和天皇は「人種差別」こそが大東亜戦争の遠因であったと指定記してえいるのです。
 大東亜戦争と人種差別。
 普段、意識されることの少ない組み合わせなのではないでしょうか。
 何故に、大東亜戦争が人種差別と深く関わっているのか。それは、大東亜戦争が、「人種平等」という理念を掲げた戦争であったからです。「侵略戦争」というイメージが先行する大東亜戦争ですが、当時の日本人が掲げた大義は「人種平等」だったのです。

【『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温〈いわた・あつし〉(彩図社、2015年/オークラNEXT新書、2012年『だから、日本人は「戦争」を選んだ 』改訂改題)】

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』(ジェラルド・ホーン著)の直後に読んだのはタイミングがドンピシャリだった。本と本がつながる快感は何ものにも代え難い。脳内の配線がすっきりする。

 人種差別が大東亜戦争の導火線となったことを知らない日本人が大半であろう。私もそうだった。「どうしてこれほど大切な歴史を学校で教えないのか?」という率直な疑問が強い怒りと共に湧いてきた。

 簡単に歴史を振り返ってみよう。

 大東亜戦争(1941-45年〈昭和16-20〉:※日中戦争〈1937:昭和12年-〉を含まず)は自衛目的で始め、後にアジアを植民地から解放することを目指した戦争であった。

 1924年(大正13年)にアメリカで排日移民法が成立する(日本のほっぺたをひっぱたいた排日移民法 - かつて日本は美しかった)。低賃金でも黙々と真面目に働く日本人移民をアメリカ人労働者は許せなかった。そして日本人児童を差別のターゲットにしたのだ。

 1921-22年(大正10-11)ワシントン海軍軍縮条約ワシントン海軍軍備制限条約)で日英同盟が失効した(日英同盟破棄)。

 1919年(大正8年)1月14日、第一次世界大戦後に開かれたパリ講和会議において日本は人種的差別撤廃提案を行った。「国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である」(Wikipedia)。賛成11票、反対・保留5票という結果となったが議長を務めたウッドロウ・ウィルソン米大統領が「全会一致でないため提案は不成立である」とちゃぶ台返しをする。最も強く反対したのは白豪主義を唱えるオーストラリアであった。

 第一次世界大戦(1914-18年)で日本は勝利した連合国側に加わった。国際的な地位は格段に上がり、国際連盟の常任理事国入り(列強の仲間入り)を果たす。

 1904-05年(明治37-38)日露戦争。歴史上初めて有色人種が白人を打ち破った戦争で、世界中の有色人種が狂喜した。後に白人帝国主義を倒す最大の要因となる。日本は明治開国以来の不平等条約を克服する(日露戦争が世界に与えた衝撃/『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭)。

 1894-95年(明治27-28)日清戦争。日本は戦勝国となり、イギリスに治外法権を撤廃させる。ところが三国干渉ロシアの南下政策と三国干渉について | 日本の歴史についてよく分かるサイト)があり、日本国民の間で「臥薪嘗胆」(がしんしょうたん)が合言葉となる(三国干渉における臥薪嘗胆 | 日本の歴史についてよく分かるサイト)。

 19世紀半ば-20世紀前半に欧米豪で黄禍論(おうかろん/こうかろん)が唱えられる。日露戦争に勝利したことで黄色人種脅威論が欧州全体に広まる。

 1853年(嘉永6年)黒船来航砲艦外交の末に1854年(嘉永7年)日米和親条約締結日本の開国)。日本は開国するも不平等条約に長く苦しめられることになる。

 1639-1854年(寛永16-嘉永7)鎖国。鎖国体勢は徳川家光が完成させたが、発端はキリシタン禁制(禁教令)で豊臣秀吉のバテレン追放令(1587年:天保15)までさかのぼることができる(『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新〈ひらかわ・あらた〉)。

 最低でもこの程度の流れは踏まえておくべきである。豊臣秀吉はポルトガル、スペインを中心とする大航海時代(15世紀半ば-17世紀後半)の動きを鋭く察知していた。明治維新も阿片戦争(1840年)という背景があった。すなわち日本は辺境でありながらも国際情報に対して敏感な危機感を持って対応してきたのだ。

 昨今の日本史本ブームに対して、「またぞろ江戸万歳本ですか」みたいな揶揄(やゆ)を飛ばす者がいるが、植民地の悲惨を知らぬ底の浅さを露呈している。同じ時代に黒人やインディアンがどんな目に遭ったと思っているんだ?

 東京裁判(極東国際軍事裁判/1946-48年〈昭和21-23〉)は500年も続いた白人帝国主義を崩壊させた日本人に対する公開処刑であった。そのために日本は大量虐殺を行ったナチスと同列にさせられたのだ。我々の父祖が大東亜戦争で立ち上がったことによって世界の植民地は白人の手から解放された。米国内の黒人も日本に続いて立ち上がったのである。